かくして緒戦は勇者軍の快勝に終わり、戦況は次なる局面へ移行した。
出会いがしらの攻防で、勇者軍は魔王城3重防壁のうち2枚目までもを突破。ますます勢いづく勇者軍に対して、
しかし、ここからが……長かった。
最終防壁まであと一歩のところで、勇者軍はビタリと足止めされてしまったのだ。
停滞の原因は、
これでずいぶん楽にはなるが、それでも生身の人間を相手どるよりは遥かに面倒である。生きた人間なら頭や胴に一撃でも攻撃を通せばそれで終わるものを、足を砕き、腕を砕き、場合によってはアゴも砕いて……と念入りに処置をしておかねばならない。この一手間二手間の積み重ねが、将兵の疲労という形で少しずつ
さらに厄介なことに、敵には
必然的に、損害を極力避けようという意識が生まれ、安全重視の立ち回りがさらなる停滞をもたらす。
こうなると、緒戦の勝利がかえって悪い方に働きさえする。「敵は弱い」「いつでも勝てる」という侮りが、本来抱くべき焦りを打ち消してしまったのだ。気付かぬうちにじわじわと進軍速度が
もちろんヴィッシュは、矢継ぎ早に飛んでくる観測部隊からの《遠話》によって、この状況を正しく認識していた。打開策も分かり切っている。まずミュートを討つこと、これしかない。
だが……
*
「ッらァ!!」
沸騰した汗を飛び散らせつつ、緋女がゴルゴロドンの腕を切り落とす。巨人の攻勢が一瞬緩む。好機と見たヴィッシュが、すかさず勇者の剣を突き入れる。
だが彼の刃が届くより先に、ミュートの術が発動した。
「《
これは一種の召喚術だ。
かつてミュートが自身に用いた再生の術。それを巨人ゴルゴロドンに
腕を取り戻した骸骨巨人はすぐさま攻撃を再開した。怪物並みの
――クソ! またか!
唇を一文字に結び、断腸の思いでヴィッシュは後退した。
絶好のチャンスを逃したのはもう6度目。ヴィッシュと緋女は、すでに6度もゴルゴロドンを追い詰めている。あと一撃、たった一撃、巨人の
なのに、その一撃が入らない。
あと一息というところで、ミュートがたちまち巨人を回復させてしまう。
この決戦のために準備していたのはヴィッシュたちばかりではない。ミュートもまた、勇者たちの武器に対抗するため策を練り続けていたのだ。その解答が再生術《
もちろん負けないだけでは勝てないが、勇者軍最強のふたりを足止めできれば実入りは充分。長引けば長引くほど戦況が
こうして互いに決め手を欠いたまま、戦い続けること――実に3時間。
いつ終わるとも知れない真剣勝負が、ふたりの体力を着実に
「やりづれーなあ」
緋女は疲れた口元になんとか笑みを作り、隣のヴィッシュへ悪戯っぽく流し目を送った。
「どっかで見たようなやりくちじゃん?」
ヴィッシュにはもう軽口を返す余裕もない。ただ喘ぎながら頬を引きつらせるばかり。
緋女の言うとおり。味方の持ち味を引き出し敵方の強みを殺す、この立ち回りはまさしくヴィッシュの得意技。当然だ。彼を一人前の戦士として仕込んだのは、あのミュートなのだ。戦術も発想も似ていて当然。ヴィッシュにはミュートの考えが手に取るように分かる。相手もまた同じだろう。互いに手の内を知り尽くしているからこそ、余計に勝負が長引いてしまう。
――まずいな……
限界に達しつつある疲労に、焦燥までもが追い打ちをかけていく。
*
そしてさらに半時間。
遅々として進まぬ作戦が勇者軍全体の意気を鈍らせ、揺らいだ闘志の隙間に不安がそっと
ここへきてようやく勇者軍の武将たちも状況に気付きだした。自分たちは思ったほど勝てていない、という焦りが
ここでもう一手何かがあれば、一気に形勢が傾きかねない……そんな最悪のタイミングで、最悪の一報が全軍に電流を走らせた。
〔王都北西に敵増援!!〕
――まずい! 早すぎる!!
《遠話》を聞くなりヴィッシュは顔色を変えた。彼の計算を根底から
〔ドラゴン旅団……
四天王ボスボラスですッ!!〕
「勝ったァッ!」
ミュートの
勇者軍は今、
……が。
ここで事態は誰も予想だにしなかった方向へ転がりだした。
魔王城を目前にして、ドラゴン旅団が突如転進。小山の山頂に位置取ると、あろうことか、そこに腰を据えて陣地を設営しはじめたのである。
「……は?」
ぴく。と、ミュートの頬が引きつった。
*
「ボスぅ。ホントにいいんスか? 加勢しなくて」
ドラゴン旅団副長コブンは首を
確かにこの小山は、魔王城の死闘も
至極もっともなコブンの疑問を、しかし四天王ボスボラスは一笑に付した。
「ハ! 素直だけじゃあ生き抜けねえぜ、コブンちゃん」
「ってえと?」
「加勢して何のメリットがある」
「じゃあ魔王様を裏切るんで!?」
「それを馬鹿正直ってんだ。
いいか? オレ様の見立てじゃあ、勇者と魔王はほぼ互角だ。このまま戦闘が長引けば双方グダグダに疲弊する。どっちが勝つにせよ余力は残らねえ……」
「あ、そっかァー! そこで乱入! 勇者も魔王もブッ殺しゃあ……」
「「世界はぜんぶオレらのもの!!」」
声を揃えて高笑いするふたり。コブンは胸の前で揉み手などして、絵に描いたような
「さっすがボス! 発想がゲスいっ!」
「おだてるなって。まァ、そういうわけだから、しばらく適当に遊んでろや」
「えっへへへぇ……そんじゃまあ、お言葉に甘えて……」
コブンが足を向けたのは、戦陣の奥にいち早く建てられた天幕である。見れば、既に2、3の竜人兵たちが
「あっ、お前ら! サボってんじゃねーぞ」
「サボりませんよォ、ボスに殺されちまう。オレら大急ぎでノルマ片付けたんスから」
「好きだね、お前らも……」
「コブンさんだって」
と、顔つき合せて下品に笑う。
彼らの目当ては“お姫様”。以前ミュートへの捧げ物として送られてきたところを竜人に捕縛された、あの哀れな少女である。
あの日の輪姦は半日にも渡って続いたが、それでもなお彼女の地獄は終わらなかった。あれ以来、竜人どもはどこへ行くにも彼女を連れ回し、暇さえあれば
「まあしょうがねえか。あの抱き心地を味わっちゃあ……」
「なんともいえず、こう、ぷにぷにっとしてねえ。たまらない抱き心地で……」
「ウラガナガルがヤりすぎて腰抜かしたって本当?」
「テントでくたばってますよ……おい! ちょっと長えぞ、早く替われよ」
いらだって天幕を持ち上げてみれば、中からムワ……と漂い出てくる濃密な熱気と体臭。大岩のような竜人の下に組み敷かれ、姫君が、裸の肢体を汗に湿らせ、じっと、濡れた目をコブンたちへ向けてくる……
「だめだ」
下半身からこみ上げてくる欲情に突き動かされ、コブンは、前の男がまだ果てていないのを承知の上で天幕へ踏み込む。
「我慢できねえ。皆でやろう」
*
「あ……ンのドチンピラァァァァァ!
露骨なマネしやがってェェーッ!」
ミュートは激怒にまかせて頭を
だが、己の怒りを制御できなかったのは大失態だ。ヴィッシュはミュートの絶叫を当然聞いた。そして瞬時に状況を悟った。
――布石が活きたか!
第3の秘策、“ボスボラス造反”。開戦前にさんざん
もちろんボスボラスが思い通りに動くかどうかは運次第。正直に言って「あわよくば」程度の不確かな策でしかなかった。これは
ならばこの好機に――
「踏み込め! 緋女!」
「ッシャアァーッ!!」
稲妻と化して飛び込む緋女。
対して巨人は迷わず前進。骨の髄にまでこびりついた武士の本能が、亡者ゴルゴロドンを突き動かした。正解である。神速の攻め足を持つ緋女を相手に、半端な
ところが、ゴルゴロドンに迷いはなくとも、彼を支配するミュートの方が迷ってしまった。
――ボスボラスはもうアテにならねえ! ここで粘る価値あるか!?
長年
――下がれゴルゴロドン! 一度退くぞ!
この
支配者の命に従い一歩後退するゴルゴロドン。そのふくらはぎへ、
ガッ……
と、不可視の糸が引っかかる。
――
驚愕にミュートが目を引き
そこへ、
――情けねえ!
緋色の炎が肉迫する! 斜めに
我慢ならない。見ていられない。ゴルゴロドンなら、本当の彼なら、絶対ここで
「それがテメーの
一閃。
激情の炎が、
(つづく)