その運命に、永遠はあるか   作:夏ばて

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暑すぎてパソコンに向かうのも無理でした。
クーラーの購入を決めたので投稿ペースが戻るように自分に期待します。



八話

「ふう……」

呆然とした声。

カーテンを捲ると個室の窓からは夕焼けの光が入り込み、光と闇の境界線をひく。

医務室のベッドで横になっているリーシャの瞳は眩しさで細められる。

数日は安静と専属の女医さんに念を押されはしたが、戦闘後の高ぶった精神は和らぐことを知らない。

ルクスとの決闘の後も胸は高鳴りを覚えたが、あの時とはまた別の高揚感に、じっとしてはいられないと全身が疼いている。

 

非常に濃い一日だった。

 

まさか『無敗の最弱』と『黒き英雄』が同一人物だったとは。

五年前、クーデターの首謀者の娘として軟禁されていたリーシャが、帝都の王城から見た帝国を滅ぼす英雄が助けに来てくれた。

ぼーっ、と意識が切れかけていたのであまり驚きはせず、そのあたりの事情は医務室で睡眠を挟んだためかすんなりと整理できた。

 

白い天井を見上げるリーシャは、開いた両手をかざす。

何も変哲の無い人の手だ。

 

装甲機竜を纏ってしまえば武器を操るのはこの手ではなく、神経が通っていない機械の手。

それでもリーシャは剣を振り続けた感覚を手放すことはできなかった。

生と死の狭間で戦ったひとときは夢なんかではない。

手の内より訪れる痺れが、震えがその証明をしている。

 

「あの、リーシャ様。聞こえてますか?」

かけられた声に、慌てて半身を起こす。

固定化されていた意識がほぐれたリーシャが捉えたのは、花瓶を持つルクスの姿だった。

 

「ノ、ノックはどうしたノックは!」

「あの、えと、一応したんですけど、返事がなくて……」

非があるわけではないのにルクスは縮こまる。

こんな弱々しい男か彼の有名な『黒き英雄』だなんて、民に知れ渡れば冗談として軽くあしらわれそうだ。

 

「そうか、それはすまなかった」

「いえ。それよりも頭とか強く打ったりはしていませんか?」

「少し考え事をしていただけだ。この怪我も一日二日寝れば治ると言われているし、お前が心配するようなことではない」

筋肉が張っているため起き上がるだけでも多少痛むが大したことではない。

こんな状態でよく動けていたものだと感心してしまう。

機竜使いなら誰でも一度は思うことだが、くたくたになった翌日が怖い。

集中しすぎて疲労さえ忘れ装甲機竜を動かした次の日の朝一番、ベッドから抜け出そうとしたときに走る筋肉痛が控えめに言って死ぬ。

内心冷や汗をかくリーシャは、嫌なことは忘れようとぶんぶんと頭を左右に振った。

 

「まあなんだ……その節は世話になった。『騎士団』を代表して礼を言う、『黒き英雄』」

結局駆け付けたルクスによって反乱軍は撃ち落とされ、幻神獣も黒い金属の破片と化した。

決闘に色々と乱入があったのでベルベットが水を差すなと異議を唱えるが、口が達者なシオンの前ではどんな正論も通用せず、今頃砦の地下牢で臭い飯を食っているところだろうか。

 

「その名前で呼ぶのはこれっきりにしてほしいんですけど……」

正式に編入が決まったと、先ほど病室に足を運んだレリィから報告をされたので、正体が数名にばれたからといって学園を去るようなことはなくなった。

勿論リーシャは嬉しいと感じたが、両手を上げて素直に喜べない自分がいた。

 

「やっぱり調子が悪いんですか?」

「ぎゃあああああぁぁ!」

様子を窺おうと覗き込んできたルクスに、乙女が放ってはいけない悲鳴をあげて顔面をビンタしてしまう。

 

「おま、お前! いきなり顔を近づけるな、びっくりするだろ! そういうのはもっと順を追ってだな……」

「えぇ、僕が悪いんですか……」

心臓が飛び跳ねた。

口づけで子を授かると本気で信じているリーシャは、胸に手を当てて呼吸を整える。

 

「でも本当に平気ですか? 心ここにあらずって感じで、リーシャ様にしては元気が無いように見えますよ」

そこまで露骨に表れてしまっていたか。

何かと鈍いルクスに指摘されるとなると、相当眉間にしわを寄せていたのかもしれない。

「そうだ。シオンの奴も公式模擬戦に出場しているのだったな。『無敗の最弱』のお前なら戦ったこともあるだろ?」

公式模擬戦は月に一度王都のコロシアムで開催されており、王立士官学園の士官候補生の参加は禁止されていてリーシャもそういう情報には疎い。

最多の出場回数を誇るルクスなら一戦交えたことあるだろうと期待したのだが

「そんな目を爛々とさせていると答えにくいんですけど……。シオンと僕は階級が違いますので、当たったことはないです」

公式模擬戦は下位と上位に層が分かれている。

この両者が交わるのは、上位の成績が乏しい機竜使いと下位の成績優秀者との入れ替え戦しかない。

もちろんルクスが上位でシオンが下位だ。

「へ? あいつは上位グループではないのか?」

「下位の真ん中ぐらいだったと思います。でも下位の中では人気は凄いですよ」

上位の模擬戦に比べて客足が少ない下位層では一番だとか。

「本人が機竜使いとして稼ぐのは納得してないらしくて、『キングのデュエルはエンターテインメントでなければならない!』が口癖なので観客を楽しませてファイトマネーを貰ってます」

花火持ち込んで打ち付けたり、ピンチに追いやられたら自爆したりしているようで、見映えが派手だから客にもウケが良いのか。

余計に訳が分からなくなる。

 

「よし」

決意を固めたリーシャがベッドを抜け出す。

「ルクス、わたしはこれから用ができた。女医が様子を見に来ても騙せるようにお前はベッドに潜り込め。褒美としてわたしの残り香を嗅ぐのを許可する」

好機は逃すべきではないという教訓に従い、廊下へ出ると脱兎のごとく走り出した。

一人取り残されたルクスが吠えるも、構わず階段を駆け降り、寮を目指す。

 

 

 

 

『得物も身の内であるからして、手首の延長として考えればいい。力の使い方が嘘であっても誤魔化しがききやすい剣は恰好だけなら馬鹿でも振れるが、力を通せないのなら棒切れを振り回すチャンバラ遊びと差異はない』

 

『全ては使い手次第、それが剣って武器の本質だ。素人が手にすれば刃は錆びるが、剣客が手にすればその一本で天下を掴むことも可能だ』

 

『迷っても剣を返そうとするな。最後まで振り切ったから返せば素人相手なら間に合うはずだ』

 

『腕で振ろうとするなよ。肩、肘、手首が連動してこそ最大の力を発揮する。間合いも図ろうとするな。一歩踏み込めば打て、一歩さがれば外せる距離なんて対人での教えだ。とにかく突っ込め。ビビらせろ。肝っ玉がかなりデカくなければ、押し寄せてくる合金の塊に恐怖心が芽生えるはずだ』

 

『腕がついてんなら殴っちまえ。その腕が弾け飛べば蹴り上げろ。足もなくなれば噛みつけ。歯がかければ今度は頭突きでもお見舞いしろ。頭が吹き飛べばダルマとなった体で力一杯突進しろ。それでも無理なら血の一滴まで搾り取って溺死させちまえ。そこまでしてようやく、タマを取れるってわけよ』

 

 

 

誰だ、こいつは

 

さらに幾度も剣戟が鳴り響く。

これまで教わってきた常識を根底からひっくり返したようなシオンからの指示に、何故かかつて感じたこともない激烈な怒りを覚えた。

その怒りは話の内容に引き起こされたものではなく、不可思議な説明を加えるシオン本人に対しての感情であった。

ただ真っ向から否定できるものではない。

ところどころ的を得ているような部分もあるが、それでもこれまでリーシャが築き上げてきた剣術、戦法と照らし合わせてみれば合理的な戦い方であるとは決して言えない、言ってはならないものだ。

 

『人が最も頼りにする五感は視覚、次点で聴覚だが、見えないし聞こえないなんて時に頼りになるのは第六感だ。たまにこれを信用しない奴もいるが、存在していないなら魂や生命といった人には感じれない何かの説明がつかないからな』

押し殺した笑い声がリーシャの耳に届く。

直感、第六感といった理屈で説明するのが困難な働きは、リーシャも肯定派である。

戦闘中に背後をとられても電流のような刺激が走り、身体が勝手に動くことは珍しくも何ともない。

極限の超集中状態に突入していたから、微かな音に敏感になっていた説も否定できないが、第六感とか積み重ねてきた経験といったものが要因になっている説も否定はできない。

 

沈み込んだ体勢から地面ぎりぎりを滑空してくるベルベットを確認する。

いつの間にかリーシャには見物人たちの野次は聞こえなくなっていた。

 

「お前から見て、わたしの剣は棒切れか?」

紙一重で攻撃をかわしながらリーシャは問う。

 

『路地裏で開かれているチャンバラ大会に興味本位で参加してきた貴族のお嬢様が、パパに強請って買い与えてもらった高価な木剣ってとこだな』

削ったか削っていないかの違いで、表現を変えればこの振るうブレードはシオンからすれば一級の古木からとられた棒切れでしかない。

 

「わたしの剣は、子供遊びにすぎないということか?」

『それはどうだか。剣術に限らず武術に正解はないからね。流派の数、人の数だけの答えがあるわけで、俺の口からはなんとも』

「わたしはお前の意見を聞いている」

昔、お稽古の前置きにシズマも同じ反応をしていた。

王家に限らず貴族や大商人の家ならば、女子にも武術を習わせるというのはそれほど常識に外れた話ではない。

しかし法外な謝金だけが目当ての師を連れてきたところで、やることなすことに「お見事でございます」と繰り返す無能へと退化してしまうことも珍しくはないが、シズマの教育は名門の名に相応しいものだった。

 

「なあ、教えてくれ。 わたしの剣でこいつに勝てるのか?」

恥じらいなど捨ててリーシャは問い続ける。

ふと気づいたことがある。

 

剣術の分野で第一人者だったオウシン・ステアリードの一番弟子を、義理の母はどんな裏技を用いて呼びこんだのかは、長年リーシャを悩ませていた種でもある。

が、それとは別にシオンと初めて会った時期がひっかかった。

一時期は軍に籍を置いていたシズマが引退し、教育係として城にきたのが新王国が一歳になろうとした時期だったと記憶している。

それからしばらくたった頃にシオンとアルフィンを紹介されたわけだが、王都に移り住んで以降は実家には顔を出していないと聞いたことがある。

1つ下なので当時の年齢は十二か十三ぐらい。

 

いくらなんでも引き継ぐ長男が修行も積まずに家を出てくるとは思えないが、まだ幼い子供が全ての技を習得できるとも到底思えない。

例外としてシズマは十四で残さず会得してはいるが、あれは数百年に一人の逸材だそうだ。

 

あの性格を鑑みれば途中できり上げて抜け出してきたのかとも考えられるが、未完成な剣士の助言にしては聞き逃すのに不思議と勿体なさが付きまとう。

 

もしやこの男は――

 

『勝ちたいか?』

「勝たなければならないんだ」

瞬時に返した答えに、竜声越しからまたも押し殺した声。

一騎打ちと言い出したのはこいつなのに、勝てる見込みがないなら挑むなよと言いたげなのが顔を見ずとも分かった。

 

出力を上げた≪エクス・ワイバーン≫に突き飛ばされた形となったが、しぶとく粘っているうちにあちらにも疲労が回ってきたようだ。

追撃の動作に移ることはなく、ベルベットは間を置いて大きく息を吐き出した。

 

『次で決めるぞ』

これだ。

付き合いの長い者しか変化は感じ取れないが、シオンは剣を語る時だけ声音が固くなる。

 

『奮い立たせた闘志のまま仕掛ける先手必勝も道理にはかなっているが、剣の真髄は圧倒的な後の先。誘い込み、合わせ、打ち付けろ』

簡潔にまとめられた、柄を初めて握った者に対するような説明に、リーシャは半ば唖然とする。

もっと実践的なアドバイスでもしてくれるのかと心待ちにしていたのに、期待外れも甚だしい。

 

それが顔に出ていたのか、

『………ならまずは型から説明してやろうか? 第四()一節の出だしは起式(キシキ)、主祭神へ先代から正式に受け継いだ旨の表明。次いで――』

続々とシオンの口から意味不明であり理解不能な呪文が流れる。

気に障ってしまったらしいので顔色を窺いたくもなるが、再び視線を切ってしまう失敗は繰り返さない。

 

『ろくに振ってこなかった奴に呼吸法がどうこうとか言ってもなんだソレでお終いだろ。頭ん中空っぽにして来たと思ったら全身全霊をの限りを尽くして叩きつけろ。お前はシズマよりかは才能あるからそれだけで勝てるよ』

なんだソレ。

確かに先ほどの呪文を聞き取るのは困難だとしても、胡散臭さの原因はその点ではない。

シズマよりも才能がある。

そう告げられるのなら、まだお前には王女の器があると言われた方がまだ納得できる。

 

『ほれ来るぞ。さくっと倒して帰って飯にしよう。昼を抜いてる俺はもうお腹と背中がくっつきそうになってる』

どこまでも一本調子な話しぶり。

距離をとって向き合っているベルベットの苛立った様子、剣の構え方、足の開き方といった気配を読むべく、リーシャは『竜声』を閉じる。

装甲機竜を纏っていると通常以上に繰り出そうと意図する剣技の癖が事前に現れるものだ。

ベルベットは中段やや担ぎ気味の構えで前傾姿勢をとっている。

最速の攻撃手段の刺突。

無論それがフェイントというのも大いにあり得る。

ここ一番で切り札を組み込ませてくることも合わせれば、きっと『神速制御』で終わらせにくる。

前回くらった時は一手目の囮からの『神速制御』による連続攻撃。

また同じ手を使うとは考えにくい。

 

二系統の操作を交差させる『神速制御』は、肉体動作の他に精神操作するための操縦桿である機甲殻剣に触れることで発生する。

光速の一閃であろうと、細かな動作に注意を払っていれば発動のタイミングは掴める。

しかしリーシャはあえてその選択を放棄した。

 

ベルベットが動く。

予想を裏切らず低い姿勢で飛び込んでくるその速度は一切衰えることがない。

生半可なガードでは受けることに成功しても衝撃が大きすぎて反撃に入れず、避ければ距離が開き仕切り直しとなる。

これ以上長引かせるのは体力で圧倒的に劣るこちらがじり貧となるので好ましくない。

ならば全霊をこの一撃に込めると意を決し、リーシャはブレードを大きく後ろに振りかぶる。

 

そもそも愚直に突進して敵を突き殺すという技は本来、捨て身の特攻とステアリードの流派には伝わっている。

カウンターを当てるのは難しいが受け流しやすく、胴を突いたとしても素早く斬りつけなければ脳天をかち割られる恐れが付きまとう。

だから受ける側は流すのが最善だし、気迫がこもった突進を真っ向から斬り伏せるのは恐怖や不安でいっぱいになる。

達人なら特攻を紙一重で流し急所を一振りで沈めるだろうが、生憎リーシャはそんな域に達してなどおらず、しかも複雑な操作を要する機竜戦だ。

 

逃げるものか。

合わせる間合いをしくじらなければ勝てる、外せば死ぬ。

簡単な話だ。

 

武器の種類によって異なるが、工房に保有している大型ブレードの重心は剣身を六分割し、その握りに近い層の真ん中にある。

直前にベルベットが他の技に変えても、狙うは武器のバランスをとる重心一点のみ。

全てを投げ出すつもりで、相手の大剣を破壊する覚悟を決める。

『神速制御』が降りかかったとしても打ちぬく、リーシャは知覚を加速させた。

研ぎ澄まされた冷たい糸が張り巡らされ、ベルベットの一挙手一投足がはっきり見て取れた。

 

凄い。

こんな経験はしたことがない。

瞳孔は完全に開ききっているだろう。

もしかすると笑みも浮かべているのかもしれないが、そうなればもはや死合いで興奮する狂った変人だ。

 

凄まじいスピードで縮んでいく二人の距離。

額から垂れる汗が目に入る。

刺激が痛みとして脳に伝わりリーシャは反射的に目を瞑ったが、構えは微動だにせず固定されている。

 

いつだ。

暗闇に落ちたリーシャが全神経を開放させ時機を見計らう。

 

舞う砂埃も、渇いた空気も何もかも取り込み肌に走った神経を逆流するような電流。

 

きたっ

 

カッと目を見開く。

無音の敵意が濃密に絡みついてくる刹那に投じた、上段からの振り下ろし。

一時期は血まめが潰れるほど鍛錬をつんだ基礎の基礎。

咄嗟に斬閃を外そうと軌道を変えたベルベットのブレードの上から押しつぶすと、耳をつんざくような金属音をまき散らし、大剣が真っ二つに折れた。

 

疲れた。

成し遂げてから抱いた感想にしては微妙なものだ。

でも三日三晩寝ずに働いた後のように疲れた。

無力化できたし、降参を持ち掛けようとリーシャが剣先をベルベットに向ける。

 

「舐めるなッ、小娘が!」

驚愕の表情を張り付かせたベルベットの欠けた大剣が≪ティアマト≫の障壁を貫く。

ここぞとばかりに披露された『神速制御』が迫る。

抉られ、削ぎ取られた肉が宙を舞い、血しぶきが乾燥した地を濡らす。

 

はずだった。

 

「はい終了。うちの姫様の勝ちってことで」

そうはならなかったのは、≪ティアマト≫が尻もちをつくようにひっくり返ったからだ。

仰向けに倒されたリーシャがずるずると引きずられていく。

 

鞭のように肩口に巻き付けられたワイヤーテイル。

たどり着いたのはシオンの足元だった。

 

「神聖な決闘を侮辱する気か!」

ベルベットの半分裏返った声が響き渡る。

「人を殺すためにある凶器振り回して神聖とか、脳みそに蛆虫でも飼ってんのかよ」

回収したシオンが≪ティアマト≫を数回踏みつけると装甲が強制解除され、滝のように流れた汗に砂が張り付く。

起き上がろうとするも四肢に力が入らない。

 

「最後のは及第点ってところかな」

シオンもワイバーンを解くと、首から下を覆っているマントを嫌々ながら脱ぎ、リーシャを包ませ肩に担ぐ。

ベルベットの横を通り過ぎたシオンが肩越しに振り返ると、≪エクス・ワイバーン≫ごと背中がぶるぶると戦慄いていた。

「決闘はお前の勝ちでいいよ。良かったねおめでとう」

明らかにおちょくっている。

負けを認めたなら城塞都市を引き渡さなければならないのに、決闘自体が執り行われなかったかのようにシオンは振舞っている。

「ふ………ふざけるな!! 貴様、対価はどうした!!」

「決闘の契約って口頭では成立しなかったと思うからごめんちゃい、さっきの話は無しね。じゃ、俺らはここでおさらばするとして、このあとは後任に引き継ぎますのでよろしくお願いします」

「き、貴様ァァァァ!」

顔面蒼白になったベルベットは震えた右手で機竜を操り、折れた大剣を投げ飛ばしてくる。

人一人を抱えるシオンは一歩二歩三歩と横にずれ、風を裂く音が通過する。

 

「大人を舐めるのもいい加減にしろ」

無理はない。

決闘をけしかけ、負けたら白紙撤回して尻尾巻いて逃げようとしているのだから。

反乱軍、そして笛で押さえつけている幻神獣に囲まれているのに、波風を立ててどうする。

極めつけに≪ワイバーン≫を解除するとは、挑発でもしているつもりなのか。

そのとき、四方八方からの殺気を当てられているシオンがゆっくりとリーシャを薄く茂っている芝生に寝かした。

 

「機甲殻剣なら障壁破れるんだったよな」

いつだか王都の工房で自慢げに語ったことをシオンは覚えていた。

幻創機核が組み込まれている機甲殻剣なら、装甲機竜の障壁も突き破れるのだと。

 

「これだから実力差も分からない帝国の愚図は嫌いなんだ。喧嘩を売る相手を間違えんなよ」

頭を振り、髪の毛を乱したシオンの左手には≪ワイバーン≫の機甲殻剣。

そして掬うように右手に取ったのは、≪ティアマト≫の機甲殻剣。

 

何をする気だ。

声を出そうとして振り絞っても掠れ声しか喉を通らない。

まさかこの阿呆、機甲殻剣で装甲機竜とやり合おうとしているのか。

 

「ありえないなんて事はありえない。論より証拠、見せてやるよ」

風が吹く。

長髪が暴れる。

狂気が跳ねる。

 

何があっても目を閉じてはならない。

リーシャの本能がそう告げていた。

 

「武器を手にすればもう手遅れだ。言い訳はできないし、どこでどのように死のうが文句は言えまい。だから俺は朽ち果てる覚悟はできている。だがそれは明日でも、十日後でも、一年後でもない。今日この場で、俺は命を落とす」

右の剣を天へ掲げ、左の剣は水平に伸ばす。

左足を軸に左回りで半周、軸足を逆にしてさらに半周し、白刃が万物を滅ぼす境界の形成する。

 

見入ってしまう。

敵も味方も、自然と一体化したシオンに釘付けだった。

 

「括目しろよ、下等生物ども。うちが祀る大神様は――」

青空を見上げ、両手を広げる。

片膝をつくように沈み、伸ばした両腕を交差させ、こうべを垂らす。

穏便に話をつけるつもりはからきしなのに、ベルベットたちは手出しをしない。

彼らは内心さぞ慌てていることだろう。

何に?

リーシャも探している。

物事の頂に登りつめた者に常識が通用しないのはどの時代も変わらず、非常識なまでに凡人ではその片鱗すら読み取ることが出来ない。

 

シオンが何かした。としか言いようがない。

ただ内なるものが雄たけびを上げる。

理屈では説明しきれないが、あいつが強者で、自分が弱者だと。

 

近いのに遠すぎる。

這って手を伸ばせば届くか。

届かない。

白刃でひかれた境界を一たび侵せば、待ち構えているのは死。

永遠に到達できない極地を垣間見れたのは幸か不幸か。

ありえないないなんて事はありえない、なら自分がシオンに勝てることが果たして可能なのか。

 

「と思ったけど、俺の出番はなくなったようだからやめよう」

茫然自失になっていると、憑き物を振り払ったようにシオンがひょいと顔を上げた。

 

「良将は戦わず座して待つ。やっちゃえ」

「≪暴 食(リロード・オン・ファイア)≫」

呼びかけに呼応したのは格納庫で待機をしているはずの攻撃がてんでダメな機竜使い。

包囲していた装甲機竜数機がバラバラに弾け飛び、立ちふさがるように漆黒の神装機竜が降り立った場面を最後に、リーシャの回想は終わる。

 

 

校舎裏になんてこれまで来る機会がなかったので、整えられてはいるが未開の地に足を踏み入れた気分になる。

木剣を二本ぶら下げたリーシャは今か今かと待ちわびる。

「校舎裏に呼び出して定番のカツアゲでもするのか? こちとら毎日が金欠で財布の中身はすっからかんだぜ」

お馴染みの調子でシオンはだらしなく歩いて来た。

大あくびを挟み、さっさと要件を申せと言いたげな視線を当ててくるので、リーシャは木剣を放る。

 

「続きだ」

「あん?」

「前回の決闘の続きだと言っている」

決着をつけたいなど、根底に潜むのはそんな浅はかなものではなく、心を惹きつけられた未知への好奇心に起因する。

無気力そうに落ちた木剣を拾い上げたシオンは、それを杖のように地に立て身体を預ける。

 

「王都でのわたしとの鍛錬で、手を抜いていたな」

しかしシオンは何も答えなかった。

こちらを見ているようで実は見ていない。

眼中にすらないというのがシオンの本音なのか。

居心地の悪い沈黙が長々と立ち込めたが、やがて

「何人か辞めるかもな」

唐突に、一切脈絡のない返事がくる。

 

「一世代前、戦乱に身を投じてきた戦士の個の能力が戦の勝敗を左右することはまずなかった」

疲れた顔に影がうつって揺れている。

その声は死者を弔う鐘のように悲し気に響く。

 

「戦争の趨勢を決定づけるのは常に兵站の優劣と事前の計画で、一個の技量なんて足が速いとか背が高いって類の特徴でしかない。達人にしろ凡人にしろ足を滑らせば踏みつぶされるちっぽけな存在だったのに、迷惑極まりない魔法の杖の出現が戦争概念を覆しやがった」

「………装甲機竜、か」

技術が解明できない装甲機竜が遺跡から発掘されて十数年経っているのに、愚痴を零して何になるとリーシャは思う。

 

「戦場は無残におっちんでも世間に何の影響も発しない奴らが集うドブ溜めだったのに、パパからおもちゃ買い与えられた高貴なる血筋の娘っ子に憩いの場まで奪われるとは世知辛いったらありゃしねえ。機竜使いの俺が言っても皮肉にしかなんなねえけど」

 

口の悪さは今に始まったことではない。

だがこれまでの辛辣な言葉よりも、切れ味は格段と増していた。

 

「普通に演習やって、実地訓練して上手くできたから本番もなんとかなる。まあこれまではなんとかなってきたから現実が霞んでいただけで、あいつらにも良い教育になっただろ」

シオンは指先で木剣の側面を小突く。

木剣と真剣は別物というのは機甲殻剣を持つ士官候補生なら心得ていてほしいが、実際に木剣と真剣の重さを比べた経験があるのはリーシャぐらいではなかろうか。

学園には真剣を置いておらず、そもそも機甲殻剣で事が足りる。

機甲殻剣は物を斬る性質以外に、シオンの表現を借りれば機竜を召喚する魔法の杖となる。

一方で真剣は物を斬る、即ち人を斬る道具として今日まで発展を遂げてきたのであって、こればかりは持ってみなければ分からない重さがある。

 

「騎士団から脱落者が出る、そう言いたいのか」

騎士団ならば危険な目に合うのは当然だと反論できるのはリーシャだからであって、皆が皆同意見を貫いてくれるとは限らず、今回の件でトラウマ植え付けられてしまったとすれば復帰するのは困難だ。

 

「覚悟なきゃ入団前にサインなんてしないから辞めないだろ」

一転して真逆の主張をするシオンが足を引きずるように近づいてくる。

 

「今は機嫌がいいから遊んでやるよ」

ならば近づいてく必要はどこにある。

もしやもう試合は始まっているのか。

慌ててリーシャが木剣を振り回そうとするが、シオンが素手で掴み取る。

あくまで真剣をもって敵を制するのが正しい剣術、その代替品に過ぎない木剣をあるがままに捉えていれば刀身部を握りこむなど考えつきもしない。

市民が刃物を持ち歩くことが禁じられているなら、見咎められない木剣を持ち歩けばいいと豪語し、野良試合に精を出す暇人の手法だ。

喧嘩屋に近いやり方をするに、シオンはあるべき正式な指導を踏んでいない。

 

しかし本職の喧嘩屋ならもう片方の手で腹にでも打ち付けてくるはずだが、おもむろに機甲殻剣を抜いたシオンは刃を自分に、剣先を下に向けるようにくるりと握りなおしこちらに差し出してくる。

こいつは何がしたいのだと、状況が呑み込めずぽかんとしているリーシャから木剣を奪い取ったシオンが一定の距離を保つために背は見せずに後退。

落ちそうになる機甲殻剣を慌てて拾う。

 

「一振りあれば天下人に成り上がれるなら、二振りありゃ天上界を統べることができるのかもな」

 

――双剣

その響きにはロマンはあるが、実用的かと問われれば判断に迷う。

片方が流しや盾、防御の役割を担う小回りの利く短剣ならまだマシだ。

両方長剣でどちらかが疎かになるようならば、即座に一本を投げ捨てるべきで、技量が追い付いていないなら腰が引けた下手な踊りとなる。

 

その場でリーシャは飛び跳ねる。

身体の節々が痛いが、動けなくはない。

 

格上との手合いでは、先手を譲ってもらうのが礼儀としてある。

木剣なんて機甲殻剣の前ではただの紙切れ同然なのに、気味が悪くなるほどシオンは自然体を崩さず、リーシャの一打を待つ。

 

ハンデのつもりか、もしくは驕りか。

先刻の夢が現実だったのなら、ここではっきりと明確になる。

 

一陣の風がゆるやかに吹きすぎる夕暮れ。

 

木々の影に塗りつぶされた得体のしれぬつわものの剣を、リーシャはこの先忘れないと心に誓った。

 


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