四十七話
「ああン、なんじゃこりゃ」
その怒号は地下音楽室ではよく響いた。
合奏部の練習を終え、部員から手渡された月刊学園新聞特別号を読んだシオンは面白くないと、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ投げ捨てた。
報道部が発行している新聞のトップに記載されているのは、この間の男子の処遇を決する投票についての概評だ。
ただし中立的な立場からではなく、学園で多大な影響力を持つセリスを褒め称える内容になっている。
四週間前の集会で反対派筆頭のセリスがシオンとルクスを認める旨の発言が後押しとなり、満場一致の結果となった。
セリス様かっこいい、セリス様すごい、どこぞの暴れん坊よりもやっぱりセリス様が学園最強。
と文頭から文末までセリス推し全開かつ微妙にシオン下げの掲載にシオンはキレていた。
「どうなってんだこの記事は!俺の溢れんばかりの魅力があったからこそ、先の投票では圧勝を飾ったんじゃないのかね。それなのにどいつもこいつもセリスティアセリスティアセリスティアセリスティア。俺の活躍については全く書かれてないだと!やってられねーよな、そう思わねえか人気者のラルグリスさんよぉ!」
「私ですか? えっと、その……」
感想を求められたセリスは、ヴァイオリンの松脂を払っていたのを中断して言葉を探すが、納得させられる言葉が見つからなかったのか押し黙った。
「あそこの現部長、熱心な信者なのよね。選抜戦で土をつけかけて、おまけにアンタ達最近は一緒にいる時間が増えてんだから、蓄積された恨みを記事に落とすことで発散したんじゃないの」
こちらも練習後のお手入れは決して欠かさない合奏部部長でトランペット奏者のりっちゃんが会話に加わった。
音楽大好きっ娘の彼女は、セリスがコンミス就任当初から刺々しくしていたが、ここのところ態度が軟化しつつある。
「仕方ねーだろ。こいつ外に出ず一人で延々と弾きまくってたせいで、オケを全く理解してないんだからよ。夏を越えたらもう学園祭はすぐだぞ。ちんたらしてらんねえよ」
「ぐっ……勉強不足ですみません」
呑気に構えていられないが、セリスは飲み込みが早く、努力家だ。
校外対抗戦も迫っており時間はより削られてしまうが、期待には応えてくれるだろう。
「私としては、君たちがいがみ合わず仲良くしているのは喜ばしいのだが……」
「お陰でクルルシファーは超不機嫌でさー。どうにかしてよしおりん」
三和音のシャリスとティルファーはエキストラとして参加している。
選抜戦で大人げなくだるまにしてしまい、関係がギスギスする懸念もあったが、それは過剰な心配だった。
ちなみに残るの三和音のノクトは、お出掛けがあるということで一足先に音楽室を出ていった。
「へえ、そんな素振りは見せないんだけどな。俺の前じ基本上機嫌だぜ」
「そりゃ好きな人の前では別だよ」
「そんなもんなのかね」
「そんなもんなの!」
ティルファーによると、そんなものらしい。
女心とは難解で複雑だ。
まあクルルシファーが拗ねているからといって、接し方を変えご機嫌とりに回るつもりはないので、ティルファーには愚痴の聞き役を続けてもらうとしよう。
「ところでセリス、例の話はもうしたのか? 一応シオン君の承諾を得ないとまずいだろう」
「ん、なんの事だ?」
話についていけず、促すようにシャリスを見返すと、説明役は任したとばかりに彼女はセリスの肩を押した。
「学園長がですね、対抗戦前最後の追い込みとしてメンバー全員参加の合宿の予定を立てていまして、是非シオンにも同行してもらいたいなと」
胸の前で指同士を絡め、もじもじしながらセリスは用件を伝える。
指導役に任命されてからは、騎士団の演習に顔を出すようになったが、あくまで騎士団を指導するのがシオンの役割であり、選抜戦メンバーの面倒をみるのは職域を越えている。
大体、本番一ヶ月前を切っているこの時期に合宿をする意味があるのかさえ怪しい。
「あのな、世には三ヶ月の法則というものがあってだな、今日の取り組みは三ヶ月後になって初めて実を結ぶってもんなのさ。天才鬼才も恐れ戦く神域の才覚を持って生まれた俺ならいざ知らず、お前らがこんな時期に悪足掻きしても時間の無駄。そんなことする暇があるなら、神に祈りでもささげたほうが勝算は上がるかもしれないな」
「もっと言い方に気を遣ってくれれば嬉しいのだが……」
「だって事実だし」
シオンが断定すると、苦笑を浮かべるシャリスは肩を落とした。
「えーじゃあしおりん来ないってこと。ライグリィ教官は学園に残るみたいだし、誰が教官役やってくれんの~」
対抗戦のメンバーに選出されたルクスなら、手取り足取り丁寧に指導してくれるはずだ。
着いていったとしても暇を持て余すだけなら、城塞都市で遊び呆けているほうが有意義だ。
と言っていつもなら突き放すところ、シオン個人としては乗り気であった。
「行かないとは言ってないだろ。仲間外れはいくないぜ」
対抗戦で惨敗しようが知ったことじゃないが、合宿である以上、装甲機竜を乗り回せる環境は整ってあるだろう。
不純な動機を隠してシオンは参加を表明した。
「つーわけで、数日間俺は抜けることになった」
方針を固めてあるので、りっちゃん主導のもと練習に励んでくれるので安心して抜けることはできる。
「ヘルプが減るのは慣れてるから構わないけど、怪我して帰ってきましたとかはやめてよね」
りっちゃんがぎろりと睨みをきかせた。
ただでさえ小規模なので、これ以上人員が減るのは好ましくない。
だがセリスと三和音は騎士団に所属している有力な仕官候補生である。
学園祭を優先させるわけにもいかないため、怪我のリスクは常に付きまとう。
コンミスとして全体の舵をとるセリスと、希少価値の高いティンパニストのティルファー。
この二人は替えがきかないので注意を促すと、シャリスからの訂正が入った。
「セリスの代役は私には荷が重いが、ティルファーの代わりなら任せてくれ」
「えっ、まさかティンパニ叩けんの?」
「私もティルファーもノクトも、大抵の楽器はそこそこ扱えるのさ」
変な所で芸達者な三和音だった。
機竜使いとしても演奏家としても、使い勝手のいい素晴らしい人材だ。
「じゃあティルファーは替えのきく女になったわけだ」
「その言い方だとわたしが駄目男に貢ぐ都合がいい女みたいに聞こえるじゃん!」
こんな風に、助っ人が合流してからは毎日が賑やかな合奏部である。
地下音楽室から地上へ戻ったシオンは、閉塞感からの解放により、両腕を大きく伸ばして体をほぐしていた。
暗く狭苦しい空間は、長期間過ごしていた経験もあって苦手ではないが、とりわけ好きでもない。
対抗戦へ向けての特別強化合宿は、新王国領の外海に浮かぶリエス島なる地で決定している。
地下と地上。
どちらかを選べといわれたら、さんさんと照りつけるお日様を選ぶが、初夏真っ只中の離島の熱気を考えただけで、尋常ではない汗が流れてきそうであった。
「あのシオン、ご相談があるのですがよろしいでしょうか」
続いて出てきたセリスはまだもじもじとしている。
一体何がセリスをもじもじちゃんにさせているのかは分からないが、コンミスから相談事を持ちかけてきたなら聞くしかない。
「どうしたよ?」
「その……男性と外泊する時は特別な下着を用意すると耳にしたのですが、それは本当ですか?」
突拍子もないことを言い出した。
正確には男性と二人っきりで外泊する時であれば必需品となるので今回の合宿には不要だ。
いつかした夜這いのやり取りが一瞬浮かぶも、中途半端な知識しか持ち合わせていないセリスのことだから、きっと純粋な疑問をぶつけてきているのだろう。
「嘘ではないな」
「そうですか。ありがとうございます。具体的には普段の下着と何が異なるのでしょう。対抗戦のリーダーが作法を弁えないわけには行きませんし……」
感謝を述べたセリスは、立ち尽くして小さい独り言を呟く。
「なんならこれから買い出しにでも行くか?」
街に繰り出してぶらつこうとしていたシオンが誘ってみると、その手の話題に疎いセリスは目を爛々と輝かせた。
「本当ですか!」
「暇潰しには丁度よさそうだしな」
本人は理解していないが、勝負下着を新調しにいくのだ。
男目線の意見も取り入れたほうがいいだろう。
門限もあるので、手早く身支度をして出発した。
学園の敷地から外れた時に、無造作にシオンの右手がセリスへ差し出された。
察しの悪いセリスは食い入るようにその手のひらを見ている。
「手、繋ぐぞ」
「ええっ! そんなのいけません!」
そんな必死に断られると、美を司る女神も平伏する絶世の美男子を自称するシオンは面白くない。
(この俺が自ら手を繋いでやろうと片手をあげたなら、膝をつき両手で添えて感謝を示すのが常識じゃねえのか)
なんて本気で思っていた。
「距離が近い者は敵と見なせと言っていたのはシオンではありませんか」
ところが、セリスがそう主張したことで、不機嫌になりかけていたシオンは呆気にとられる。
同じ失敗をするまいと、あの時の教えに従おうとしているなんて、律儀というか柔軟性に欠けているというか。
「そう言ったのは事実だが俺は例外だろ。指揮者とコンミスは一心同体であることが理想なのに、お前がそんな態度だと先行きが不安になっちまうよ」
おてて繋いでエスコートするだけなのに、何故回りくどいやり方をとって言いくるめなきゃならん。
選抜戦のラストで奇策にて仕留めようとした柔軟性を、私生活でも見せてほしいものだ。
「ほら早く」
痺れを切らしたシオンは語気を強めると、漸く観念したセリスがスカートの裾で手を拭い、少し照れ臭そうに周囲を見渡してから。
「よ、よろしくお願いします!」
お辞儀とともに、両の手で握られてしまうのだった。
握手か。
スナップを効かせた鋭い突っ込みが危うく出そうになったが、緊張のあまり突飛な行動に走る可愛げに面して、手は上げなかった。
歩き方がぎこちなかったりと、うぶなセリスの相手をしながら向かった先は、学園の生徒からも高い評判を得ているランジェリーショップだ。
華やかな店内に気後れしているセリスの手を引き突入するシオンの姿は、男とは思えぬほどとても堂々としていた。
「おやおや、珍しいお客さんが来店しましたね」
すると、奥からはセリスに気づいた店員が顔を出した。
セリスのみならず、学園の子女と外出すると、立ち寄った店では高い頻度で接待を受ける。
公爵家に名を連ねるセリスを連れていれば、必然とこうなる予想はついた。
「ラルグリス家のご息女様と、そちらは………ああ、浪費癖が激しいと有名な荒くれ者ですね! ご来店ありがとうごさいまーす!」
店内のきらびやかな装飾も鬱陶しいが、それに負けないくらいこの店員もハイテンションで鬱陶しい。
ティルファーも常時テンションが高いが、その五割増しぐらいの勢いが彼女にはあった。
「いやぁ、旦那が通る道には紙幣が舞い落ちるって表通りではかなり噂されてまっせ。しかも来る日も来る日も女をとっかえひっかえしてると耳にしていましたが、とうとう並の貴族じゃ飽きたらずエロい意味でも学園最強の少女を誑し込むなんてやりますねぇ!」
良くもまぁ初対面の相手にここまで口がまわる。
ただその学園最強(エロい意味で)のワードセンスは気に入った。
次回から使わせてもらうとしよう。
「して、本日はどうなさいました?」
ふざける時と、定員として対応する時と、切り替えが早い。
腐ってもプロということだろうか。
まあテンションがうざいことには変わりないが。
「今度泊まり掛けででかけるから、こいつの下着一式を頼むわ」
初対面で本音をぶちまけるのは流石に失礼なので、シオンは手短に用件を伝える。
「あっはー、マジっすか! そのためにわざわざお二人で来たんすか! 夜の営みは既に始まってるのさって感じですかね!」
速攻で茶化された。
興味津々といった風な薄ら笑いを張り付けて、店員さんはシオンの肩をバンバンと叩く。
「勝負下着はどんなものをお好みでお兄さん。遠慮せずぶちまけて下さいよ。うち品揃えは新王国一ですから任せてくださいな」
「勝負下着……とは一体?」
聞き慣れないワードを拾ったセリスが小首を傾げた。
そもそもセリスが愛読している小説に詳しい用語説明が載っていれば、相談相手となっていたのはシャリスをはじめとする女性陣だ。
「勝負下着ってのはですねーーー」
だから勝負下着の用途を耳打ちされてしまえば、純粋なセリスは当然取り乱す。
みるみるうちに顔色が変わり。
「ち、違います! これには深い意図があったのではなく、ただ学んだことを生かそうとしたまでであって、シオンとだだだだだだだだ男女の関係に発展するのを望んでいるわけでは決してありません!」
弁解しようとしても、焦りで口が追い付かず噛みまくりだ。
その方面への免疫が薄いと返ってくる反応も良いので実に面白い。
シオンの気分はまさに新しいおもちゃを手に入れた時のそれだ。
「フラれちゃいましたねお兄さん。まぁ元気だしてくださいよ。他にもキープが山のようにいるんでしょう?」
「ふられてねえし、いねえし」
今度はシオンが慰めてくる店員の肩を叩き返した。
「どうやら誤解が生じていたみたいですが、最終的にどうなさいますか?」
セリスが無知でなくなった以上、この店に用はない。
いや、元々は用などない。
セリスは大貴族の長女だ、
ならばドレスコード用の紐を引っ張れば脱げてしまうような下着があれば十分だというのがシオンの意見だった。
しかし来店したのに金を落とさずに帰るのは……と悩んでいるときだった。
新たに入店した女の子二人組、その片割れと視線がぶつかった。
まさか男が店内にいるはずがないと思い込んでいた少女は「あっ」と声を漏らした。
「お前は、カビパンのアイリ!」
「誰がカビパンですかっ!」
そう、雑用係に対する人質として新王国に飼われている
首輪付きの少女、アイリ・アーカディアである。
従者のノクトも数歩下がって控えている。
「外出ってアイリとだったのか」
「Yes,このような場所で鉢合わせるとは、奇妙な巡り合わせですね。シオンも女物の下着に興味がおありで?」
「自分がつける趣味もねーし、他人がつけてるのもぶっちゃけ興味ねーよ」
手近のショーツを手にし、生地の質感を確かめる。
ほんと、女物というのは少し力を入れたら破けてしまいそうな商品ばかりだ。
女性のファッションは大変だなと心底思う。
「俺たちはデートだよデート。指揮者とコンミスは親密で濃厚な関係性を築けるかどうかにかかっているからな。そうだろセリスティア」
「は、はい。そうだと思います」
どさくさに紛れてセリスの腰に手を回して引き寄せた。
その振る舞いはあまりにも自然なもので、セリスも満更ではないご様子だ。
「とんだたらしですね」
女癖の悪さを目の当たりにしたアイリにジト目で睨まれる。
「おっと、嫉妬か?」
「馬鹿ですか?」
ツンツンして一向にデレる気配はない。
しかし、このランジェリーショップで出会したのがアイリにとって運の付きだ。
「このようにいつにも増して辛辣ですが、実はアイリは階段でシオンにパンチラを盗み見られても、逆に悩殺できるようになりたいと相談を持ちかけられまして……」
「してませんよっ!嘘を発信するのはやめてください!」
校内選抜戦よりも前の出来事。
男子追放賛成派を黙らせるために、セリスを筆頭とした騎士団最上級生を力でねじ伏せてほしいとアイリに依頼された。
その際、支払われた報酬から紙幣一枚だけ抜き残りは投げ返し、パンティ代にあてるよう助言したのがシオンだった。
元々は借金の返済目的で貯めていたものを、お子様パンティからの卒業に使うのは苦渋の決断だったはずだが、それは異性を気にしている現れでもある。
「へえ、悩殺ね。わざわざノクトを同伴させるなんて、随分気合いが入っているではないかアイリよ」
「誰がシオンの視線を気にしますか! 勘違いも甚だしいです!」
必死に否定されても、シオンのニヤニヤは止まらない。
「店員さーん、こっちの銀髪が大人の階段上りたがってるみたいだから一式揃えてくんね」
「ちょっ、何を勝手にーー」
先ほどの店員を呼ぶと即座にこちらへ駆けつけてくれた。
「おおっと、これまたタイプの違うおにゃの子ですね。タイプ別女子完全制覇を目論んでるって感じっすか。モテる男はやっぱり違いますねぇ」
「でもな、コイツなかなか素直になんねえんだよ。思春期にありがちな嫌よ嫌よも好きのうちってやつみたいでよ」
「見かけによらずそういうプレイをお求めなんじゃないですか。悔しい、でも感じちゃう、みたいな」
「マジか。アイリお前、結構変態なんだな」
いじる側に回れば口数が多くなり、生き生きとし出す。
凶悪タッグが結成されたことでより下品さが増し、そんな二人に挟まれたアイリは困惑するばかり。
「なんなんですかこの低俗なやり取りは?」
「ぁ、ですがシチュエーション的には上中下で評価するなら、中評価だと思います!」
頼れる先輩であるはずのセリスまでもが、彼らの戯れに混ざってしまい、開いた口が塞がらないアイリである。
「ところでご予算はいかほどでしょうか」
「金の心配はするな」
「ならば特注でも?」
「構わん」
荒事の専門家で、依頼があれば剣を担いで解決にいくシオンの懐は、先日の事件のお陰で温かい。
女に使う金はある。
「ですから、私の話を聞いてください!」
「聞きますとも。向こうで採寸しながらになりますがね!」
必死の抵抗も虚しく、店員に導かれアイリは裏へと消えていくのだった。
前半はセリスと遊んで、後半はクルルシファーと遊んで、時々アイリと遊ぶ4章にしたいです。