欲しかった擬人化ミハイル当たって舞い上がっています。
午後を告げる鐘がなると、それまでざわめいていた少女たちが、風に吹かれた煙の如く消えていった。
落ち着きを取り戻した学園長室で、一仕事を終えたかのように肩をまわすシオンは思い出す。
屋上でティルファーから良いニュースを聞かずに飛び出してしまったことを。
ティルファーが授業から解放されるのを待とうとしていたら、レリィが応接室へ向かうように言ってきた。
そこで飛び跳ねて喜ぶものがあるのだというので、どうやら応接室へ向かうことと、朗報が関係しているようだ。
逆に怪しいと勘ぐってしまいそうになるも、確かめなければ何も始まらない。
そんなこんなで応接室へ到着したシオンの前には、目を疑いたくなるような光景が広がっていた。
これは幻覚か。
両目をごしごしと擦ってみても、シオンは現実世界に引き戻されることはなかった。
試しに触ってみても、幻覚のわりには質量があるようにも思えた。
はて、このサヤカの形をしたものは、何なのだろうか。
「どうしてサヤカがいるんじゃーーー!」
現実逃避もほどほどに、この世の終わりかのようにシオンが吠えた。
良いニュースなんて嘘っぱちだ。
「どうしてじゃないでしょ。呼んだのはあんたなんだから」
幾度なくタイルを拳で叩くシオンの横で見下ろしているのは、腕組をしたまま呆れ気味のサヤカ。
いつだか手紙を送ったことはあるが、訪問しろなんて一文を付け足してはいない。
呼んでないと再度絶叫をあげようとしたシオンだったが、すんでのところでそれを飲み込んだ。
現状を把握するために、冷静さを取り戻したシオンは、もう一人の訪問者の胸倉を掴んだ。
「おいベイル、なに余計なもん連れてきてんだよ!」
「あー、知ってた。サヤカを運んできたせいで、怒りの矛先を向けられることは知ってた」
大きく前後に揺さぶられるベイルが、物憂げな眼差しを天井に当てる。
家中の権力争いから逃れるために新王国正規軍に入隊したベイルは、元々王都に配置されていた軍人だが、わけあって城塞都市に飛ばされている。
最近は王都までの護送任務についていたとのことでしばらく会っていなかったのだが、よりによっていらぬ拾いものをして帰ってきてしまったみたいだ。
「コラっ、そうやってすぐ手を出すのはやめなさいって、いつも言ってるでしょう!」
「ぐっ!」
サヤカに後ろ襟を掴まれて引き剥がされたシオンは、一瞬息がつまりゴホゴホと咳き込む。
アルフィンを超える真のストッパー役のサヤカには、シオンの唯我独尊のスキルは通用しない。
反抗しても絶対に臆さないサヤカとやり合うのは愚策中の愚策、穏便に用件を済ませお引き取り願おう。
大人しく地べたに胡坐をかき、サヤカに向き直る。
「元気にしてた?」
「皆にウザがられるくらい元気だから、サヤカが心配することではない」
「ご飯もちゃんと食べてる」
「一日三食、肉だけではなくしっかり野菜もとってるから、サヤカが心配することではない」
「真面目に働いてるの?」
「日々汗水流して働くことを生きがいに感じてきているから、サヤカが心配することではない」
「友達は出来た?」
「今度新しくできた友100人とピクニックをする約束を取り付けたから、サヤカが心配することではない」
新生活を心配していたのか、考えていることがわかりやすいサヤカにしては不気味とも思えてしまうような真顔のサヤカが早口で聞いて来たので、当たり障りのない返答でその場を凌ぐ。
無論、真っ赤な嘘である。
包み隠さず話せば簀巻きにされて実家に送られるかもしれない。
が、残念ながらもうすでに遅かった。
「さっきレリィさんから聞いたわよ」
そこからは素早かった。
サヤカが柳眉を逆立てた瞬間に駆け出したシオンの逃走劇。
裏で既にやり取りがあったことを見抜けなかった自分を叱咤するのは、この場を離れてから。
とりあえず街に逃げて時間を稼ごうとしたシオンだったが、肝心な扉が固く閉ざされている。
何者かによって外側から鍵をかけられてしまっていた。
慌てて別の逃走ルートを探そうと首を振るが、そうしている間に手首をがっちりとサヤカに掴まれてしまう。
力の込み具合から、本気で怒っているのは間違いない。
問題を起こして、学園に親を呼び出された生徒の気持ちはこんな感じなのか。
「いくらシオンでも、サヤカには敵わないか」
いつにないシオンの慌てっぷりに可笑しさがこみ上げてきたベイルが豪快に笑った。
そういうベイルだってサヤカには敵わない。
シズマもそうだ。
シンガ村出身の男衆は情けないことに、サヤカの尻に敷かれているのが現状である。
「そこに座りなさい」
「ふっ、流石は栄誉あるステアリードの一人娘。ジジイにも負けん迫力に凡人なら卒倒しているだろうが、この俺を誰だと思っているか。姓は『烈風』、妖名は『くちなわ』、道場を荒らしまわった流浪の剣士『狐仮面』とは――」
「いいから座れ」
「はい」
冗談が通じないサヤカが冷ややかに言ってくるので、泣く泣くシオンは固い床に三角座りをするのだった。
生活態度から仕事関連まで、耳が痛くなるほど長い説教に、シオンは無心となって時間が過ぎるのを待つしかなかった。
途中でベイルが退室したことで、終了の流れになると思いきや、全然終わる気配がない。
全く関係のない無駄に伸びたままの髪型にまで波及してしまい。
「アルフィン、ハサミ持ってる?」
「ここに」
鍵を開けた扉の先にいたアルフィンが、小さなポーチからハサミを取り出し、チョキチョキとアピールをしてきている。
逃げ道を予め塞いでたということは、応接室に入った時点でお説教を受けるのは確定していたか。
「主を陥れる従者がいるか?」
「主の好きなようにさせるのは二流の証。主を正しい道へ導くのが一流の従者の務め、です」
清々しいほどの棒読みだ。
どうせ従者として先輩のノクトからの受け売りで、本心では全くない。
「ほら行くわよ。きびきび歩きなさい」
有無を言わさずに、サヤカが横に長い無骨な金属の箱をアルフィンに預け、シオンの背中を押して歩き出す。
アルフィンが重そうに脇に抱えるその箱を引っ手繰ろうと手を伸ばすが、サヤカの無言の圧力に屈する自分が情けない。
無造作に伸ばしている黒髪は、時おり手入れをしているはものの、その長さは腰にまで到達している。
王都にいた頃もサヤカに散髪してもらっていたので抵抗感などはないが、髪を切ること自体への抵抗感は僅かばかり存在している。
時間が時間のため生徒たちにすれ違うことはなかったが、どうせ放課後にサヤカを紹介することになるなら、早い方が良かったかもしれない。
引きずるようにして足を動かし屋上にまで戻ってくると、柔らかな風が迎え入れた。
無風であれば都合が良かったが、アルフィンが用意した椅子に座ると、結っていない髪が風に靡く。
「シオンは根は真面目で思いやりもあるんだから、ひたむきに頑張れば周りも認めてくれるわよ」
咎めるような、それでいて慰めるような口調だった。
認めたくない事実ではあるが、なんだかんだ姉の役割を果たしている。
叱る時は叱り、必ず自分の味方でいてくれる。
(そういや、最初は嫌々言いながら髪を切られていたんだっけ)
羊が大人しく毛を刈られないように、拾われた直後は切られまいと駄々を捏ねていたのは、若気の至りということにしておこう。
祀ってあるものを鎮めるために、一族の女の髪を供えなければならないのが、代々引き継がれてきた習わし。
桐の花が咲き始める蒸し暑い時期はまだ遠いけれど、きっと神様はお許しになる。
本来は火をつけて、煙を天へ立ち上らせることで奉納完了となるが、そんな手間暇がかけられない。
さて、突風に上手い事乗せられたら、空高くに舞い上がってくれるだろうか。
噂が広まる速度とは恐ろしいもので、支持をすると伝えるためだけの他のクラスから訪ねてきた少女が大勢いた。
中には一年生もちらほらと混じっていたが、案の定三年年は見当たらず、レリィが提案した校内戦は一、二年と三年の戦いとなることが決定的であった。
もしかしたら悪名高いシオンのせいでこちらの陣営から流れる生徒が続出するかもしれないが、人脈があるティルファーが聞き込みをしてくれるようなので、その報告が届いてから考えよう。
ルクスのクラスを担当しているライグリィにより、校内戦のざっとした説明をされてから解散を告げられる。
「よしルクス、これからわたしの工房で対策会議を開くぞ」
「雑用の予約が入っているので、僕抜きでやってもらえますか?」
「溜まった分はシオンにも手伝わせるから校内戦の期間は雑用はしなくていいぞ。お前は試合にだけ集中すればいい」
拒否権がないルクスはリーシャに手をひかれて教室をあとにする。
後回しにされた雑用を片づけるために、ちゃっかりシオンが犠牲になっているが、本人にばれたら大変なことになりそうだ。
とはいえ、ルクスとしては手を貸してもらいたい。
校内選抜戦により最低二日は雑用から離れなければならなくなる。
特別ルールが導入された選抜戦は、早ければ二日でルクスの出番は終わる。
長引けば八日もかかるので、半分の四日にしておこう。
休息日も設定されているため、その日にもリーシャの監視がつくとしたら五日にもなる。
その間、雑用に一切手を付けなかったら、いくらティルファーに選別してもらっているからといえ、仕事に追われ夜も眠れない日々が続く。
また依頼を減らすのも、この重要な時期には避けたい。
ぐーたらなシオンが手伝ってくれるだろうかと思うルクスが、階段を下りて正面玄関に差し掛かったところで、噂をすればなんとやら。
シオンがいた。
「…………」
リーシャは唖然と言った様子で口を噤んでいる。
それもそのはず。
どこを目指しているのか分からない、特徴的な吸い込まれそうなほど黒い髪の毛を、ばっさりと切り落としているのだから。
「失恋でもした?」
「イメチェンだイメチェン。そろそろ夏が到来しててくるし、伸ばしたままだと熱が籠って熱いから心機一転して生まれ変わったシオンをお届けしようってな」
どうも落ち着かない様子のシオンは、短く切りそろえられた黒髪をかきあげる。
「ところでそちらの人は?」
いつものように適当な言葉で取り繕うシオンをスルーしたルクスは、その後方に視線を投げた。
目立たないように控えるアルフィンの他、ルクスの見知らぬ女性も立っている。
「もしかして、シオンとアルフィンの姉であるサヤカ・ステアリードか?」
しばらく固まっていたリーシャがはっと目を覚ました。
王都時代から度々シオンとの雑談で話題に上がるお姉さんだったか、とルクスが自己完結をしていると、サヤカが一歩前に出た。
「サヤカ・ステアリードです。いつもシオンとアルフィンがお世話になっています」
敬意を払われる身分ではないルクスはもどかしさを感じていたが、これは隣のリーシャのみに向けられた礼儀だと思い込むことにした。
「うむ。わたしはリーズシャルテ・アティスマータだ。シオンには迷惑をかけられっぱなしだが、わたしはシズマに世話になっていた。それでお相子にしよう」
「リーズシャルテ様!?」
リーシャに続いてルクスが挨拶に入ろうとした時、サヤカが狼狽したように妙な瞬きを繰り返した。
そして気まずさもあるのか、ふてくされるように立っていたシオンの後頭部を鷲掴み、半ば無理矢理跪かせた。
「う、うちの愚弟が度重なる失礼をおかけして申し訳ございません。ほらシオン、シズマから色々聞いてるんだから、あなたも謝りなさい!!」
「誰がこんなちんちくりんに謝るか。今は王女なんて大層な位についてるが、五年前は伯爵令嬢だからな。元伯爵令嬢なんぞに下げる頭はないわ!」
「伯爵令嬢だとしても、うちよりは地位が高いでしょうが!」
「俺だってこの学園占領してシオン国と名付ければ王様だぜ。爵位なんて所詮張りぼてでしかないのさ」
「また意味の分からない自論を展開して!本当に申し訳ございません。この馬鹿には後できつく言っておきますので!」
面と向かって新王国の姫リーシャに毒を吐けるシオンも相変わらずだが、対等に渡り合っているサヤカも凄い。
勃発した弟が一方的に悪い姉弟喧嘩に、お昼の学園長室前のように人だかりができる予感がしたので、アルフィンに仲介に入ってもらおうと目で訴えるが、彼女は首を横に振るだけだった。
口論を見守っているリーシャはリーシャで、隠し切れない笑みが漏れていた。
天敵のシオンが押されている姿に思わずニヤケてしまっているようだった。
これではリーシャにも期待できない。
結局割って入りたくない気持ちを押し殺して、ルクスが二人を引き剥がすことで落ち着いた。
「ルクスさん、この御恩はいつか必ず」
「ええっ!なんかいつものシオンより弱くなってない!?」
まさに姉は強しを実感したルクスだった。
短時間でやせ細ったようにげっそりとしたシオンが、サヤカから与えられた金属箱を大事そうに抱え直す。
学園まで訪れた理由は、この中に眠るお目当てのブツを届けるためで、早急に帰ってもらいたかったが、不運は重なった。
「くそっ、早く帰ってくれ……」
「そんなつれない事をいうなよシオン。せっかくの機会だ。サヤカもこの学園を見て回ったらどうだ?」
もし学園に池があれば、肩を組んでくるリーシャを投げ捨てていたところだ。
飛び跳ねるほど喜べないニュースのサヤカの職場見学が、一日限りであったなら不幸中の幸いとして、飛び跳ねて喜べていた。
学園長権限でレリィが数日の滞在許可を下していているのだ。
マジで寿命が縮む。
校内戦などどうでも良く、この一週間をどう凌ぐかでシオンの頭は一杯だった。
リーシャを振る払う気力すら湧いてこなかったが、思いが通じたのかすんなりと解放してくれた。
「シオン君」
『私のシオン君に気安く触れるな』オーラ全開でクルルシファーが階段を下ってくる。
そして当然のように腕を組んで密着してくる。
「短いのも似合っているわね。ところで……彼女は?」
「サヤカ」
このやり取りを聞かれるごとにしなくてはならないめんどくささが、更に身体を重くさせるが、事務的に紹介を済ませると、クルルシファーの目の色が変わった。
サヤカの手を自らの両手で包み込み。
「お義姉様」
「お義姉様?」
クルルシファーの婚約者候補に推薦されているのがバレてしまえば、またサヤカからお小言を頂くことになる。
「俺まだやること残ってるから、ちょっとサヤカを案内してきてくれない?」
クルルシファーの口から説明してくれれば、サヤカも叱りにくくなるはず。
追い払うようにサヤカを押し付けると、外堀から埋めていこうと画策していそうなクルルシファー同意してくれた。
「じゃあ俺寝てくるわ」
「これから作戦会議をする予定だから、シオンにも参加してくれないかな?」
作戦会議なんかより、寝て体力回復しなければ身体が持たない。
誘ってくるルクスには、議事録係としてアルフィンを押し付け、夕食の時にでも情報共有すれば問題はないだろう。
そんなこんなでルクスたちとも別れて自室へ着くと、預かった箱から中身を取り出す。
王都出発の日に回収された『ミハイル』の機甲殻剣が、絨毯の上に寝転がった。
内側で生きているミハイルは、特定の距離までなら機甲殻剣の位置を察知することができる。
何も反応を示さないとなると、熟睡しているか気付かないほど夢中になって遊んでいるかのどちらかになる。
思念で呼びかけて見ても、ミハイルからの返事はない。
お休み中か。
アイリが起こしに来るまで、枕に顔を埋めてミハイル同様熟睡するのだった。
三巻は二巻と同じか、少し長くなる程度かと。