二十五話
座っているソファの座り心地から、肘掛けの細工まで何から何までお金がかかっていそうで、心地が良すぎて居心地が悪い。
「うー……」
ふかふかのソファに腰かけるサヤカは、居心地の悪さのあまり唸っていた。
落ち着きなく足をゆらゆらと動かしていても全く解消されない。
窓ガラスの向こうに目が行くと、日は沈んでしまっていて街は夜に呑まれている。
町全体を見下ろしたことがある人は、この王都に何人いるのだろうかと、意味のない疑問を抱くも、それを知るすべがないサヤカは背もたれに寄りかかり力を抜いた。
王都を訪れたのはこれが初めてではない。
家を出たシオンとアルフィンが、ちゃんと生活できているか確かめに足しげく通っていたこともあり、人の多さに圧倒されたのは過去の自分だ。
しかしながら、下から城を見上げる立場だったのが、上から見下ろす立場になっているのは未だに信じられない。
お昼過ぎに王城へ到着してからはずっと緊張しっぱなしで、何もしていないのに疲れが蓄積していく。
呼び寄せたシズマが会議で遅れるとのことだったので、客室に通され、時計の針がそろそろ半周しそうなほど待たされている。
困りごとがあれば使用人が駆けつけてくれるので不自由はないが、お姫様のような気分にも馴染めず、シズマの登場を願うばかりである。
隣に座る初老の男性――サヤカの父オウシンは硬い表情で瞑目をしている。
若い頃は剣の腕を買われ皇帝の騎士を務めていたこともあり、あっちこっちへ慌ただしく視線をやるサヤカとは違い場馴れしている。
「シズマ、おそいね」
「コツコツと努力を重ね、きちんと結果に繋げるシズマの事だ。期待の若手として忙しいのだろう」
人一倍熱心に努力するのは、サヤカが一番その目で見守ってきたからよく知ってる。
朝も昼も夜も、とにかく庭で剣を振っていた。
高名な剣士の娘でありながら、サヤカは剣を構えたことすらないので、才能があるとかないとか区別するのは出来ないが、オウシンが言うにはシズマは剣の才能がなかったらしい。
それでも挫けずに積み重ねてきたものがあるから、シズマが機竜使いを目指そうとした時も、その背中を押してあげたのだ。
正反対に、シオンは才能の塊だとも。
ステアリード剣術を教え込もうとしても、生理的に受けつけないのが、自分の中で確立された形態がある証拠だと説明されたあの日のことはよく覚えている。
食料が詰まった紙袋を両腕で抱えて歩いていると、矢のように走り去るシオンと、遅れて続くアルフィンとすれ違った。
普段は持ち運ばない機攻殻剣を背負っていたことを見落とさないでいれば、いつもの親子喧嘩で結論付けることはなかったとサヤカは反省している。
日が落ちても一向に帰って来ない二人を心配し、オウシンに尋ねてみたが、まるで明日の天気を告げるように「出て行った」と。
これがただの子供ならば、可愛い冗談ですまされていたのだが、桁外れの行動力をもつシオンならば家出を決意すれば必ず実行する。
シオン達が王都に身を寄せるとシズマから手紙がくるまでは、夜も眠れぬ日々が続いた。
父を恨んだりはしなかった。
誰が悪いとかも考えたくなかった。
父がシオンを引き留めなかったのも、置物として飾っておく素材ではないからという理解しがたいものでも、シズマはすんなりと飲み込めていた。
剣に魅了されていない自分は除け者。
類まれな才能があるから家に置いてはおけない。なら外の世界へ出て行けば、世界を救う英雄になるのか。
シオンはそんな柄ではない。
数刻前にオウシンの客人として挨拶しにきたあの女の子――セリスティア・ラルグリスと名乗る彼女のほうがよっぽど、選ばれし者の風格がある。
四大貴族ラルグリス家に教え子がいたとは、つい先ほど知ったばかりで、礼儀正しいしっかり者のお姉さんという印象だ。
正式に受け継いでいるのはシズマだけになる流派も、指導だけなら受けたことがある者はけっこう多い。
オウシンの下では彼女だったり、近場では村の活力に満ちた若者を自衛手段としての剣を授けていたりもしている。
シズマも新王国の王女様の教育係を務めていた。
シオンはシオンで沢山働いているようだし、みんな凄いなと素直に思った。
(私もなんでもいいから役に立てないかな)
サヤカにしか頼めない仕事、そのために王都まで呼び出されたことを、サヤカはまだ知る由もない。
どうやら変質者なる者が、学園敷地内に出没していてるようだ。
まず最初に変質者とは?
イメージでは、全裸でコートを羽織り女性の傍へ歩み寄ると開放して、その粗末なイチモツを見せつける変態。
それとも王都の中央公園で、人気がなくなる夜に背徳感を刺激に、目的を果たそうとする不埒なカップルも変質者なのか。
だとするなら、そんなカップルを撃退する仕事をこなしたことがあるので任せてほしい。
「へぇ、変質者ね……。俺の隣にまず一人座ってんだけど、この人も捕まえておく?」
「シオン、僕もそろそろ怒るよ?」
女子寮の屋根を突き破って風呂場へ突入し、どさくさに紛れてパンツを盗んだ変態を指したのはシオン。
その人差し指を握りしめたのはルクス。
学園の若い男が応接室に集まっていた。
「こらこら、しおりん。お姉さんが真面目な話をしているんだから、しおりんも真面目に聞かなきゃお仕置きしちゃうぞ~」
学園名物三和音の真ん中、ティルファーが口ではそう言っているものの、残念ながら内容は真面目とは程遠いものだ。
「ティルファーがお姉さんキャラは………無理があるな」
「Yes, 精神的な幼さもありますが、なにより身体的な幼さが原因ではないかと」
「な、なにをー!」
三和音が全員集合していると、常時こんな感じで騒がしくなる。
話の脱線がしやすくなるのは、人によっては我慢のならぬことかもしれないが、シオンはこの騒がしい空気が嫌いではない。
でもいくら議論しても大きくはならないのだから、一先ずティルファーの無乳のことは置いておこう。
放課後に女子生徒と遊びに出かけていたシオンが正門を潜ると、待ち伏せていた三和音に網をかけられ応接室へと連行された。
最近出没するようになった変質者の対策として、ルクスと共に学園敷地内の見回りを依頼されたのである。
「というわけなのだが、学園の平和を守るために、私たちに協力してくれないか?」
「僕で良ければ力になります。シオンは……」
「学園の平和は俺が守ってやるよ。昔から憧れてたんだ、平和という響きに」
物腰が柔らかくなったのは学園の出資者――女子生徒のパパ達から圧力をかけられて、追放されたくないのなら、輪に溶け込むように、クルルシファーが助言をしてくれたからだ。
それからは持ち前の積極性を活かして放課後に遊びに出掛けるまでの友好関係を築いた女の子もいる。
変質者を縛り上げれば、チョロい女生徒からの好感度はさらに上昇し、いずれはこの学園のテッペンに。
「悪巧みを企てている顔で、平和を守ると申されましても」
的確なツッコミを入れてくるノクトには、笑顔で応え誤魔化してみるも、ジト目を当てられてしまう。
女を落とす必殺の笑みが通用しないとは、ノクトもなかなかやる。
警備の準備として、三和音のリーダーであるシャリスから、机の下から引っ張り出してきた紙袋を渡される。
開いてみると、何故か女子用の制服が折りたたまれている。
「何ですかこれっ!?」
「女物の制服だ。ルクスさんの目ん玉は腐ってんのか?」
「それぐらい見たら分かるよ!どうしてその女子用制服を手渡されたか聞いてるんだ!」
ルクスの手荷物の中身もスカートやブラウス、それに栗色のウィッグまで用意されているのだから女装しろということだ。
あるがままを受け入れているシオンには大体のシャリスの策が読めた。
「女のフリをしてケツでも触らしている隙に捕まえろってことだろ、シャリスの姐御」
紙袋から取り出した上着をつまんで、自分の身体に合わせてみると、採寸したわけでもないのにサイズが合っている。
まだルクスは現実を受け止めきれておらず、これは幸いとシャリスが畳みかける。
「流石は順応性の高いシオン君だ。そう、これは学園の治安を守ろうと、悩み抜いた末に出した作戦であり、私たちの私情は一切入っていないから安心してくれたまえ!」
「わ、わかりました」
押しに弱いルクスは結局折れる。
シオンはヘタレだなぁと思いつつも、着替えのために運び込まれている仕切り板の裏で服を脱ぐ。
さっさと着替え終えると、入れ替わるように表で弄られていたルクスが息を乱してやってきた。
「着替えるの早っ!」
「じゃ、お先~」
髪の毛を束ねている紐を解いて、手ぐしで整える。
パンパンと頬を叩いて気持ちを入れ替え、姿鏡に営業スマイルを振りまいて荒々しい雰囲気を閉じ込めれば、一見真面目そうな黒髪少女の出来上がり。
「俺の女装姿を拝めるなんて、運がいいな」
機甲殻剣は身につけているだけで変質者との遭遇率が下がりそうだったので、シャリスに投げ渡し、無い胸を張る。
男とも女ともとれる、中性的な容姿をしているシオンの女装姿に少女たちは……。
「うわっ。似合うとは思ってたけど、なんかショック……」
一人で沈むティルファーの他にも、ノクトは拍手で褒めたたえ、シャリスは絶句。
近寄りがたい、遠目からいつまでも眺めていたい美しさで人々を魅了する美少女が、そこにはいた。
「オシャレするだけで印象が百八十度変わりますね。シャリスよりも女の子らしさに溢れています」
「私より女の子をしているではないか! ず、ずるいぞ!」
ノクトの一言がシャリスを涙目にさせる。
面倒見が良く、頼りがいもあるシャリスは、シオンが姐御と呼ぶだけあり同性からのウケがいい。
姐御肌の自覚はあるのか、制服に袖を通したシオンの変わりように、恨めしそうな暗い顔をしていたが、何かを思い出したように目つきが鋭くなった。
「ふぅ、まあいいさ。ところでシオン君、下もキチンと穿いているのかな?」
用意されていた紙袋の奥底に眠っていた下着。
それを身につけているかどうかを聞かれる。
これがセクハラをされる気持ちか。
ノクトもティルファーも興味津々そうにしていて、どうしようかと迷うも、シオンはからかわれるのが好きではない。
その手の話題で攻めてしまったシャリスの敗北は、この段階で決まってしまった。
「見れば?」
シオンはスカートの裾を軽くたくし上げるようにして、誘惑してみせた。
シャリス達三和音はそんな反撃をくらうとは想像もしておらず、ドキッとしつつも、見えそうで見えないスカートの中身に意識が注がれていた。
覗き込めばどんな下着か判明するが、布一枚のために屈んで醜態をさらす勇者はいなかった。
「あれれ、興味ないの?」
にやにやと内心を見透かすような笑みをつくるシオンが、近くにいたシャリスの肩に手を伸ばす。
退かないように右足の甲を踏みつけ、息がかかりそうな距離に顔を近づけた。
年上といえどシオンからしてみれば、股にぼっこでも刺せば血が垂れてくる生娘。
思い通りに操ることなど造作もない。
人の素性は手に現れることを、シオンは全身の肌で知っている。
これは自分だけの特殊能力ではなくて、身体と引き換えに賃金を受け取っている者なら誰でも出来ることだとシオンは思っている。
だから、ずぼらな一面がありそうなシャリスが手の手入れを欠かさずにしていることを知っている。
彼女が女の子であることも、手を見れば分かっていた。つもりだった――
「……もしかして姐御ってソッチの人?」
「ちがっ、私は男が好きだ!」
一応シオンも女になりきっているので、そこまでの効果は期待していなかった。
女(男)にぐいぐい来られて赤面するシャリス。
女子の楽園王立士官学園の内情は、百合の花がところどころで咲いていても仕方がないよねと自らに言い聞かせる。
いや、百合でもなく。
「顔真っ赤にしてたら説得力ナシ。女装男子好きで、攻められるのが好きなネコって、かなりマニアックな性癖じゃない?」
「だから私はノーマルだ!」
「まあいいや。性的嗜好なんてそれぞれだし、とやかく言う筋合いもないしね」
何を好きになるなんて自由だ。
それが同性であっても、対物であっても、女装男子であっても、差別は良くない。
ただ同性からエロい目で見られたらシオンはキレるが、自分を対象にしないなら大いにけっこう。
「ほら、犬みたいに跪いて、スカートに頭を突っ込んでみたらどうだ? 男を誘うようなやつを穿いてるのか、ただの男物か。それとも何も身につけていないのか。その目で実際に確かめなよ」
「は、はいていない!?」
新たな可能性ノーパンが浮上し、シャリスは過剰に意識してしまい茹で上がる。
未知の領域への好奇心は恥ずべきことではないと考えていても、まっさらな令嬢にはどぎついパンチだ。
悪魔のささやきに耐えかねたシャリスは、両手で押しのけるようにシオンを突き飛ばす。
「うわああああああああ―――!」
混乱しすぎて目が回ったらしく、平衡感覚が乱れた足を回転させ、危なっかしい走りで廊下へ逃げていく。
「シャリスも純情だねぇ」
「Yes, ところでシオン、結局私たちが選んだ下着を穿いているのですか?」
こんなことのために新品の下着を購入したノクトとティルファーに苦言を呈したくなった。
女の子用の下着に抵抗はそこまで感じられないが、外見だけ取り繕えば変質者など騙せる。
なので下着までは取り替えなかった。
着替えたはいいものの、踏ん切りがつかずに仕切り板で隠れていたルクスの背中を押して中庭に出る。
「ルクスちゃん、不審者退治の経験は?」
「あるはあるけど、確実にその分野は僕よりシオンが優れているよ。あとその呼び方やめて」
広大な敷地内を散歩しながら周囲を警戒しても、そんな都合よくターゲットが現れるらな、とっくに捕まっているはずだ。
年頃の可憐な少女の下着で己の欲望を満たしたり、ルクスのように風呂場を覗いて欲望を満たす侵入者が導かれるのは女子寮。
全域をくまなく探すよりは、女子寮周辺に絞っておけば、いずれは現れてくれると期待してうろついていると、不意にルクスが。
「そろそろ彼女が帰ってくること、クルルシファーさんから聞いてる?」
好感度上げ大作戦のアドバイスをクルルシファーから貰ったのだって、その対策なのだから聞いている。
「男嫌いで有名なラルグリス家の小娘がとうとう帰還するらしいですね。城塞都市に危機が迫っていたのに、今頃ノコノコ顔見せに来るとは四大貴族のメスガキはお気楽なもんだな」
「シオンも追い出されるかもしれないのに余裕だよね」
旧帝国が敷いてきた男尊女卑の制度が薄れても、世代によってはまだ名残がある。
その辺りの事情から貴族子女を一カ所に集め、外敵から守って育成に力を注いでいる学園に、イレギュラーな存在が混じってることを騎士団の長、セリスティア・ラルグリスは受け入れはしないだろう。
加えて男嫌い。
学園から永久追放される日が近いにも関わらず、ルクスとは対照的に楽観的なシオンであった。
追い出されたら昔の生活に戻るだけ。
それで食い繋ぐことができるんだから贅沢言っちゃいかん。
借金を抱えているルクスのように困らないので、さほど将来について真剣に考えていない。
追い出されたとしても、また王都を走り回れば城からお給金が入る。
伯爵令嬢のクルルシファーもいるし、将来は安泰だ。
「――ですから、そう思いました」
勝ち組のレールを走っているのだと実感し、上機嫌になっていると、どこからか話し声が。
幻聴などではなくルクスも聞こえたようで、互いに顔を見合わせるとその方向へ足音を殺して進む。
声からしてターゲットの不審者ではなさそうだが、人目につかない裏門付近の草藪で密談とは、事によっては事情聴取をしなければいけない。
「――なのであの時は、私一人が王都に残るほうがいいと判断したのです。我ながら英断だと自負しているのですが、あなたはどう思いますか?」
姿勢を低く保って葉の隙間から覗くと、一人の女子生徒が屈んで、女子生徒独り言を呟いていた。
ネクタイの色は青、ということは三年だ。
よくよく観察してみると、足元の黒猫を相手に会話をしている。
「シオン、あれ……」
「あれは妖怪ぼっちだ。話しかけるとぼっちになる呪いをかけてくるので、そっとしておきましょう」
ぼっちを拗らせすぎてしまえば、人外と友情を築き始める。
孤独とは恐ろしい。
友人の少ないシオンではあるが、ゼロでないだけまだマシだった。
人との繋がりが途絶えれば、行き着く先はあんなのになってしまうのか。
触らぬぼっちには祟りなしということで、何も見なかったシオンとルクスがその場を引き返そうとする。
「ですが、内心誰かが一緒に残ってくれると言い出してくれるかと、期待していたのです。なのに、誰にも残ってくれませんでした……。もちろん、誰かがそう言いだしても断るつもりではあったのですが……」
つまり、彼女はかまってちゃんなのだと、去り際に聞きたくもない人と猫の会話を聞かされたシオンは思った。
(どっかで似たようなかまってちゃんガールに出くわしたことがあったな)
「ああ、待ってください!」
一段と声のトーンが上がる。
草葉が擦れる渇いた音、そして突進してくる黒い小さな塊が、シオンの胸に飛びついた。
「にゃあ~」
その正体は少女の会話の聞き手役に徹していた黒猫で、甘えるようにシオンに体を擦り付けている。
シオンは小動物に懐かれやすい。
犬や猫、ウルフやワイバーンなどを引き寄せてしまいやすく、逆に熊やケルベロスといった大型の獣やモンスターには嫌われる傾向がある。
野良猫に餌付けもしているため、この黒猫も覚えたシオンの匂いを嗅ぎ取り飛びついて来たのかもしれない。
「話はまだ途中ですよ!」
ぼっち少女も猫を追ってきた。
ただでさえ友人がいない少女の、友猫を奪ってしまったことへの罪悪感――よりも、あるのは優越感。
振られた女の御尊顔を拝見してやろうと踵を軸に反転する。
色白の肌に、夜風に靡く腰までかかる鮮やかな金髪を持つ少女の、底なしに深い翡翠の瞳が見開いた。
「あなたは………シオン!」
「………」
誰だ、こいつは。
オケを導くのは指揮者ではなく、コンサートマスターだと個人的には思っています。
だから騎士団を導くのも指揮者(シオン)でもソリスト(ルクス)でもなく、コンミス(セリス)なのです。