面と向かっての低能宣言。
バルゼリッドのこめかみに、うっすらと青筋が浮かぶ。
「アルテリーゼ殿、彼は何者だ?」
大きく息を吐き出し、バルゼリッドは冷静な気持ちを保ちながら問う。
さきほどされたクルルシファーの説明をそのまま繰り返すと、それは予想外という顔つきになる。
だがすぐにあざ笑うような瞳でシオンを見た。
「これは傑作だ。時代に取り残された愚か者の子息がこのオレに楯突くだと。身の程を弁えないか」
旧帝国から続く由緒ある血族、片やステアリードは剣を持たせれば一流なだけで、名だたる機竜使いを続々と輩出しているわけでもない。
見下されて当然であったが、訂正箇所が一か所ある。
「ジジイをいくら貶してくれても俺はどーも思わんが坊ちゃん、あんたは勘違いしている。うちは時代に取り残されちゃいない」
隣のテーブル、リーシャのお皿に添えてある肉を切り終えたナイフをシオンがかっさらい、バルゼリッドへその先端を向ける。
「装甲機竜が発掘されてからは選りすぐりの剣士百人よりも汎用機竜一機が求められているし、実際にただの騎士一家の奴らはそっちの分野に首突っ込んで食いつなげているなんて話はざらにある。そんな世の中でも、我がステアリードの技を学び機竜使いへの道に進んだのは、皆さんご存知十四で帝国騎士入りした馬鹿シズマたった一人だけだ」
手ほどきを受けたことのあるリーシャや、齧ってから放り出したシオンなどの例外を除けば、シズマのみがステアリード出身の機竜使いだ。
装甲機竜で遊べる広さもなければ格納庫もない。
装甲機竜に現を抜かしている時間があるなら素振りをし、技を極め、己を磨き、その得物に魂を込める。
「剣と生き剣と死ぬ、その家訓が誕生した瞬間から俺たちの時代の中心に飾られているのは他でもなく、職人が丹精込めて作り上げた鉄の塊だ」
頭は固い、口うるさくもあるが、誇りを曲げない姿勢は嫌いではない。
誇りを曲げ、装甲機竜に現を抜かしたシズマは案の定怪我をし、引退。
歴代の当主に呪われたのだと弟子たちの間では囁かれていたりするので、恐らくもううちから機竜使いは生まれないはずだ。
「ちなみに、ここからならジジイは一つも数えぬうちにお前に致命傷を与えることができる。その速度にお前の召喚は追い付けるか?」
強者への鉄則は同じ土俵に上がらないこと。
強い相手との戦いは避ければいい。寝込みを襲うなり、毒を盛るなりすればいい。
それすらを掻い潜る少数もいるが、バルゼリッドは彼らとは異なる。
「御託を並べたところで貴様に爵位が与えられるわけではないぞ。 ユミル教国の名家、エインフォルクと釣り合う男ではないと、オレは判断するが?」
論客シオン、お得意の論点ずらし失敗。
貴族間の結婚に口を挟む予知すらないシオンであったが、余裕に満ち溢れた顔だ。
物心ついたころから、シオンは自分が世界の中心人物であると信じてやまない。
貴族、平民などの身分なんて干渉しない、人間を超越した存在であると自称していたため、古都では頭がおかしいと言われていたり。
「たりめーだろ坊ちゃん。神の子である俺が人間なんて愚かで利己的で欺き殺し奪い、他人を出し抜くことに没頭する卑しい生き物と釣り合う? 冗談は顔だけにしておけよ」
会話に交ざることなく、クルルシファーは硬直して身を委ねてきている。
なんとシオンは、彼女の肩に回している右腕を、微妙に開けている胸元に突っ込んだ。
「―――ッ!」
「俺が付き合ってやっているんだよ。 こいつが身も心も差し出すって言うもんだから、そこまで言うなら付き合ってやろうってな」
覗き、痴漢、下着泥棒。
人の事をどうこう言えない、正真正銘の痴漢行為である。
叫んでも張り手を食らわしても負け、頬を染めるだけのクルルシファーだったが、ここぞという時の机の下。
踵で思いっきり足の甲を踏みつけられた。
「お、お、お、お嬢様………」
虚言であってほしいと願いを込め、クルルシファーの名を呼ぶアルテリーゼ。
啓蒙な信者であるはずのクルルシファーが、恋に落ちたことで理性や常識を失い身体を捧げた。
事実ならば、当主にはどう伝えればいいのか。
「え、ええ。 私が彼に生涯の服従を誓ったのは事実よ」
流石は順応性の高いクルルシファーだ。
この破天荒なシオンについてこれる、タフな人間はそうそういない。
流れは掴んだ、このまま一気にまくしたててしまおう。
「悪いな坊っちゃん。恨むなら雪を浴びすぎて思考回路まで凍結したエインフォルク家を恨むんだな。 こんないい女を野放しにしておいて、食われないと思ったのか。甘いんだよ」
勝った。
完全勝利だ。
良家の娘の純潔は政略結婚上重要になる要素で、結婚するまでは奪われてはならない。
そんじょそこらの馬の骨に手を出されるわけにはいかず、ちゃんと見張りをつけて囲うようにするのが普通だが、寮生活を強いられている学園では監視の目が甘くなる。
ただ盲点だったのは、学園の信用がガタ落ちすること。
責任問題にまで発展し、レリィの失脚。
今後の進展次第だが、最悪そう繋がる。
なので最悪な事態になるようなら、≪ミハイル≫で飛ばしてアルテリーゼがユミルに帰るよりも早く、エインフォルク家で話し合い、もとい脅しをかけに行かなければならなくなった。
〔ん? ボクの出番?〕
久しぶりの登場、ミハイルの声が脳裏に響く。
〔そうだ。≪ワイバーン≫ですら強すぎて参ってしまうレベルだが、俺がキミに乗れば最強無敵。たとえユミルの機竜使いがまとめて襲ってきても、かすり傷一つすらつけられねえだろうな〕
〔うん! ボクとシオンならスッゴーイ強い敵にも勝てるよね、勝てるよね! でもヒト殺しダメだよ。シオンはいつもいつも――〕
どんな相手でも話し合えば理解し合える、生態系の頂点に君臨するドラゴンらしからぬ平和主義。
人の心を捨てているシオンが過激であることも相まって、理想論を述べて苛立たせることも多い。
個性は尊重するが、もっとドラゴンらしく凶暴になってほしいというのが本音である。
なぜ子供に説教されなきゃいけないのか。ミハイルの声を一方的に遮断し、本来の目的であるバルゼリッドの反応をうかがった。
「貴様と肌を重ねていたとしても、オレは構わないが?」
「は?」
ここでようやく、初めてシオンの余裕がなくなった。
褥を共にしたのに構わない?
「おい、こいつ貫通済みだぞ?」
「構わん」
「淫乱クソ女だぞ?」
「むしろ構わん」
なんだこの貴族は、隣の芝は青く見えてしまう性癖持ちかよ。
焦ってぼろを出さぬように、ひとまず飲み物で喉を潤そうと、クルルシファーの服に突っ込んでいた右手を抜く。
「覚えておきなさいよ」
「一分だけ覚えといてやるよ」
聞き取りずらい小声で交わし、注がれていた冷水を一気に流し込む。
(プライドだけはいっちょ前な貴族が、穢れた女を望むか普通)
ちらりとクルルシファーを一瞥すれば、微かに頬を赤めるクルルシファーが目を閉じ精神を統一していた。
もしや、と思った矢先。
「長々と口論しても埒があかない。ここは決定権を委ねられているアルテリーゼ殿に任せようではないか」
主導権をとろうとバルゼリッドが判断を仰ぐ。
貴族のステータスはせこいと、改めて実感するシオンが新たに浮かんだ対抗策としては、バルゼリッドを挑発し、機甲殻剣を抜かせた瞬間に息の根を止めるといった正攻法とは程遠いもの。
これだから知能戦は苦手だ。
相手の出方を様子見しても時間の問題で、次第にイライラが積もっていく。
「エインフォルク家の意向は、四大貴族にして新王国でも突出した実力を兼ね備える『王国の覇者』、クロイツァー卿こそが婚約を結ぶに相応しいと」
『王国の覇者』とは、記憶が正しければ最近頭角をあらわしてきた機竜使いで、前年度トーナメントの総合成績が上位に食い込んでおり、酒場でも話題になっていた。
二つ名付きのランカーだが実力は確かだと、なぜアルテリーゼは断言できているのだろう。
「お坊ちゃん、お前軍属か?」
「正式入隊はしていないが軍学校を首席で卒業している。貴様は見たところ機甲殻剣は携えているみたいだが、無名の機竜使いでは比較対象にすらならんよ」
不信、憎悪、いくつもの感情がぶつかり合った結果、急激に吐き気が襲い掛かる。
これが闘技場で剣闘士同士の戦いを観戦する貴族側の認識。
稽古と本番をはき違えた者のなれの果て。
「遊びで好成績残して嬉しいのか」
胸に残るわだかまりを堪えながら、シオンは思いを吐き捨てる。
感情の変化に気付けたのは、剣士としての顔を知るリーシャ及び、何かと勘が鋭く、武を嗜むフィルフィのみ。
「遊びだと?」
「遊びだよ。あんな会場で表彰台にのぼったとしても、機竜使いとしての実力が反映されるわけじゃない」
見てきたから、言えることだ。
武名が知れ渡り、制覇が期待される筆頭だったはずなのに、あっけなく散った様を。
打ち合う音など、二ケタに届かないうちに噴き出した生々しい血の色を。
「お前、弱いよ」
こいつは弱く、そして戦士にもなり切れていない甘ちゃんだ。
鳥かごで男二人がヤッパを片手にじゃれ合って誰がどっちが弱いだの強いだの、そういう幼稚な戯言をほざいてるかぎり。
よくぞ言いきってくれた。
感極まって涙腺崩壊の危機に陥っていたリーシャは、なんとか涙目で留めていた。
「リーシャ様、泣いてる」
「泣いてなどいない」
ごしごしと目元を袖で拭う。
あのシオンが、学園では旧帝国の残党から派遣された刺客だなんて噂が立ったシオンが、四大貴族に一歩も引かずに啖呵を切っている。
そりゃたしかに口が非常に悪いし、上下関係もわきまえない。
自己中心的で金に目がくらみやすく、喧嘩っ早いが、ああ見えて老人や子供といった社会的弱者に優しかったりする。
王都で貴族の屋敷に乗り込み、暴れまわった後始末をリーシャら王族の権力で騙されたりと後先考えずに行動したりするが、発端となったのはシオンの知り合いの女の子のぬいぐるみを奪った貴族の子息の軽率な行いが原因にある。
噂されるほど悪い奴ではないのだ。
ただちょっと金持ちが嫌いなだけで。
「横から失礼する」
小馬鹿にしたシオンの発言で停滞した空気を切り裂く一言。
「わたしは新王国第一王女、リーズシャルテ・アティスマータだ。 そして、そこにおられるシオン・ステアリードの一番弟子である」
これもまた、ねつ造だった。
口を挟む隙間など与えず、リーシャは話を続ける。
「シオンは現在、わたし専属の教育係として学園へ招かれている。出自は貴族からすれば立派ではないだろうが、機竜使いとしてはこのわたしの遥か上をゆくぞ、バルゼリッド・クロイツァー」
本気でシオンとやり合った経歴はないが、リーシャには確信があった。
都合のよい予想、期待から贔屓しているのではない。
夕闇に紛れた校舎裏の一戦、よくよく思い返せばシオンが木剣を使用を最小限に抑えたのは妥当である。
木剣と機甲殻剣だ。
打ち合いなど初めから成立しておらず、回避優先なのも理解できる。
リーシャとて一応剣士の端くれ、本気で仕掛けにいったのだが、かすりもしなかった。
いや、もしかしたら服に触れていたかもしれないが、シオンが寸前で躱しているにすぎず、人体へ迫る一撃はことごとく空をきっていた。
リーシャの身体に纏わりつくような動きに翻弄され、息を切らせたところに突きで終了。
完璧に見切られていた。
手も足も出なかったとこに打ちひしがれるよりも感動を覚えた。
多分、きっと、これこそ都合のよい期待だが、目が利くシオンは『黒き英雄』に並ぶ実力を秘めていても不思議ではない。
「『朱の戦姫』が彼に師事している……。 にわかには信じられませんが?」
「だから惚れたのよアルテリーゼ。 私は強い男にしか興味ないの」
追い打ちをかけるように進言するクルルシファーも、嘘で嘘を塗り固める悪女となりつつある。
事前に何も知らされていなかったリーシャも、ここまでついて来ればクルルシファーが結婚から逃げていることぐらい把握していた。
どんだけ結婚したくないのだと、もはや呆れてくる。
「ほう、確固たる権威を持ち、装甲機竜の扱いにも長けるオレでは不十分。エインフォルク家の判断はそうであると?」
「―――お嬢様、いい加減にしてください」
お互い引くことなく言い争っていても議論は一向に進まない。
シオンを欲しがる材料を作るのが精いっぱいで、あとのことはリーシャが口出しすることではない。
理知的なクルルシファーならば、勝機は逃がさないから安心だ。
「なら力ずくで私を奪ってみるのはどうかしら。私たちを上回ることが万が一にも起こるなら、大人しくあなたに従うわよ」
「あなたたち……。 それは私とクロイツァー卿への決闘の申し込みのつもりですか?」
「あら、エインフォルク家執事にして特級階層の腕前を持つあなたと、トーナメントで第三位の実力を誇る『王国の覇者』とあろうものが、私たちの愛の力を前にして怖気づいているのかしら」
ペア戦にさりげなく誘導するクルルシファーの恋人としての演技力を、ぜひこの場で学んでおこう。
そっけないシオンを鍛錬に誘うためにも。
「ククク、俺は構わんよ。勝てばいい、手短に済むではないかアルテリーゼ殿」
バルゼリッドが不敵な笑みとともに、それを承諾する。
「勝者がクルルシファーと婚約を交わす。貴様もそれでいいなシオン・ステアリード」
自らを過大評価していると、リーシャには写る。
自分の力にそれほどの自信があるのか、裏で何者かと通じ合っているか。
もしくは力量すら測れないただの阿呆か。
「………負ければ公爵家御用達のもみ消し屋に泣きつく。 それとも既に泣きついているのか?」
口の端でにたりとわらうシオンにリーシャは目を丸くした。
射貫くような視線にバルゼリッドは余裕を崩さず
「なんのことだ?」
「尻尾切りされる下っ端の賊は簡単に依頼主を吐くぞ、というのは俺の独り言で。いいよ、受けてやる」
ナイフを木製のテーブルの中央に刺したのはシオンなりの威嚇だろうか。
「お前は環境に恵まれていた、運のみでのし上がった機竜使いだというのを分からせてやろう。武の才が欠けている貴族じゃたどり着けねえ、本当の力ってやつで完膚なきまでに叩き潰し、再起不能にまで追い込んでやるよ」
三日後の夜。
騎士団にとっては遺跡調査の帰還日。
時間に間に合えば、遠目からでもいいので見学できればいい。
ようやく訪れた機竜使いとしてのシオンの初陣に、リーシャは胸を膨らませるのだった。
門限が迫り、リーシャとフィルフィを先に引き換えさせ、夕食もすませていないシオン達は酒場へ残ることにした。
厳しい規則が存在する学園で門限破りをすれば、罰として校舎を隅から隅まで掃除させられることになるが、本来ならばとっくに帰っている手筈だったので責任をアルテリーゼに押し付ければいい。
「疲れたわ」
口数が少なくなったクルルシファーが、肩に頭を乗せてくる。
「それはこっちの台詞だ。従者はまだしも、婚約者が来るなんて聞いていない」
「私も聞かされていないのよ。ほんと、困った従者だわ」
なりゆきでの決闘。あまり目立つことはしたくないのだが、バルゼリッドが異常性癖者だったことにより退路は塞がれた。
本当に困った従者だ。
「勝算はあるのか?」
『騎士団』に所属しているクルルシファーは、留学生として独自の戦闘基準が定められている。
関わるのは安全な後方支援なので遺跡調査には参加せず、決闘には万全の状態で挑めるはずだ。
「大見得切ったあなたに全てがかかっているわ」
「まじかよ」
「嘘よ。で、実際あなたはお姫様よりも手練れなの?」
どうなのだろう。
昔はリーシャと戯れる日々に装甲機竜で大空を舞っていたが、『朱の戦姫』としてのリーシャとは手合わせしたことがない。
負けるとは思えないが、白黒つけていない今は何とも言えない。
ただ――
「切った張ったの死合いなら、俺に敗北は許されない」
いつの時代も、強さを追及する道に情は不要。
敗者は地に落ち、勝者は天に近づく。
ある理はそれだけだ。
情など捨てたからこそ、こうして生きている。
故にシオンは勝つしかない。
似合わない神妙な面持ちに、シオンはらしくないと意識を切り替える。
「そう。なら期待しているわ」
「自分の人生がかかっているのに、やけにあっさりしているな」
「淫乱クソ女だろうと彼氏を信じるのが彼女の役目よ」
明らかに根に持っている。
もっと柔らかい言い方ならまだよかったのかもしれないが、つい癖で暴言が出てしまったのだ。
「これで私は婚期を逃す可能性が一段と高くなったわ。軽い女と思われ、良い男性には敬遠され、母国では白い目で見られる。責任をとりなさい」
「へいへい。レリィといい勝負できる年齢になっても独り身だったら貰ってやるよ」
自然と砕けた関係にまで打ち解けているのは、多少なりともクルルシファーからの好感度が上がっているからだと身をもって実感している。
色を好むシオンも悪い気はしていない。
「夕方に襲われた賊は、クロイツァー家の差し金とあなたは踏んでいるのよね」
金銭要求するにしても、機竜使いをわざわざ狙うとは考えられにくい。
機甲殻剣という旨味はあるが、いっぱしの賊がそんなリスクを背負うか。
「国の命運を左右するお偉いさんなんてそんなもんだろ。国家なんて一枚皮を剥げばごく一部の人間が好き勝手やってるだけ。その一人が手段を選ばず将来の嫁候補に付きまとう男を排除したかったんじゃねえの」
どちらが狙いだったのかは、賊から直接聞くしかない。
まあバルゼリッドに追及したところで、切り捨てられているから無駄足だが。
時刻を確認すると門限は過ぎていたので、運ばれてきた料理をゆっくりと腹に入れ帰路に就く。
学園の正門で鬼の角を生やしていたライグリィ教官から、シオンだけがゲンコツされたことを除けば、特にお咎めなしだった。
アルフィンを起こさないように自室の扉を静かに開け、中に滑り込む。
「起きてたのか」
「はい。 主の帰宅を待つのが従者の務めですので」
眠気すら感じさせない調子で、アルフィンはベッド上段で姿勢を正していた。
お気に入りの古いマントを外すと、返り血を浴びたままで白地に赤の染みがついている。
ルクスなら長年の雑用のお陰で染み抜きもできるだろうから、明日の朝一番に頼んでみよう。
「せっかくですから新調してみてはいかがでしょうか?」
「着心地が最高だしこれでいいんだよ」
肌を日に当てたくない、顔を隠せる頭巾が欲しい。
そう強請ったことでサヤカからプレゼントされ、夏だろうと肌身離さず羽織っている。
「ツンデレですか。サヤカも喜ぶと思います」
「黙れ下僕」
一喝し、シオンは椅子に腰かけ、ランプに明かりを灯す。
シズマとサヤカへの返信がまだなので、書き上げておこうとペンにインクを付け紙に走らせる。
シズマには≪ミハイル≫を返却してほしい旨。
決闘では≪ワイバーン≫で十分だが、手元にあって損はない。
神装機竜の操縦は危険が付きまとい、なにより強力だ。
それを懸念して≪ミハイル≫は没収されてしまったが、機竜使いとしての第一歩をともにした相棒に愛着が湧かないわけがない。
サヤカ宛には、新しい友達が出来ました。元気にしてます。学園にはくれぐれも来ないように念を押す一言、ラストに加え自分の名前で締める。
過保護なサヤカなら学園に訪問しかねない。
心から思う。来ないでほしい。
サボっているのをバレたら一貫の終わりなのだから。
「クルルシファーとのデートは楽しめましたか?」
「四大貴族のバルゼリッド・クロイツァーと女を巡る決闘をすることになったわ」
さらりと経緯を端折って結論だけ伝える。
「流石はルクスと双璧をなす新王国のトラブルメーカーです。毎度毎度揉め事を起こす体質には恐れ入ります」
この従者、絶対おちょくっている。
決闘のほうは大して心配せず、主を鼻で笑っている。
「あとハニーの奴、腹に一物抱えていやがる」
だからといって、これからの生活に影響を及ぼすのではないかと心配することでもない。
どんな裏の顔をもっていようが、依頼は依頼と割り切ってやる。
「クルルシファーがですか?」
「処女を散らした女に執着する貴族がこの世にいると思うか? いるもんなら是非頭の中身を調べさせてもらいたいね。 あぁ、別にあの女は抱いていないから安心しろ。ホラ吹いて奴さんに諦めさせようとしたら失敗しただけだ」
女は秘密を着飾って美しくなるなんて古くから伝わっているが、ミステリアスな雰囲気のクルルシファーに適しているのがどこか悔しい。
クロイツァー家は旧帝国時代に国家転覆を密かに計画しており、当時から危険視されていたようだ。
今でも王の座を虎視眈々と狙っていて黒い噂が絶えない。
「エインフォルク家の屋敷の下を掘れば埋蔵金が眠っているんじゃねえの。それか姫様の母親を失脚させられる機密文書、神装機竜さえ凌駕する古代兵器、過去未来へ転送できる時空移動装置――」
真面目に当てるつもりがないからか、出せば出すほど遠ざかっている。
技術が解明しきれない装甲機竜があるのなら、否定はできやしないが。
「――古代文明に関係している、とも考えられます」
「そんな重要人物が新王国でバカンスを送ってんのか。世界は平和になったものだな」
「裏付けはありませんが、推測の一つとして考えられます。クルルシファーが古代文明に近い存在であるなら、遺跡から強力な兵器を引っ張り出すことも可能です」
装甲機竜でも十分強力なのに、それを超えるとなると一体どんな兵器になるのやら。
もしアルフィンの言うことが正しいのなら、旧帝国を体現するクロイツァー家のことだ、最強兵器を担いで城の謁見の間に打ち込むだろう。
「この仮説通りだとすれば、シオンはどうしますか?」
いつにもまして真剣に聞いているのだと、もう何年も一緒に過ごしている感情をあらわにしないアルフィンの小さな変化が読み取れた。
ムキになることでもないのに、滑稽だと流すこともできたが、シオンは機甲殻剣の柄を撫でながら口を開く。
「楽して手に入れた力が、血反吐を吐いて手にした力に勝る道理はない」
今までは何らかの笑みを浮かべてたというのに、それらをすべて消し去って、あまりにも平淡な表情で、瞳だけは露になった冷たさを宿し、沈みかけていた視線を持ち上げた。
「俺が両手に構えれば、神をも食い殺す牙と化す。装甲機竜に二振りありゃ、他のどんな破壊兵器だろうが俺に適いっこねえよ」
剣とは争乱が育んだ最強の武器。
あとはそれを操る人の技量次第で、強くも弱くもなる。
姿かたちを変えることなく生き続けた無敵の武器以外は必要としない。
ひたすら高みを目指し力に溺れるタイプでなく、心技体を極め登りつめるのがシオンだ。
「………やはりシオンは剣術馬鹿で、痛い病気にかかっているのだと再確認できました」
根っからの戦人にそう告げる。
いかなる武器が転がっていようとシオンは迷わず剣を選ぶと疑う余地はなく、アルフィンの口調は幾分か柔らかかったが毒は混ざっていた
「おい、ちょっと表出ろ。か弱い譲ちゃんに護身術を直接身体に叩き込んで教えてやる」
「お断りします。暴れたりないのなら外での運動お勧めしますが?」
「やっぱ俺のこと下に見てんだろ。絶対そうだろ」
「近所迷惑なので毛布に潜って叫んでくれると助かります」
そう言って、アルフィンは背を向けて寝台に横たわる。
自称最強も身内には弱い。
「ちと動いてくるわ。朝は水ぶっかけてでも起こせ」
「了解しました。優先度Aで登録しておきます」
「なんだよそれ……」
大きな吐息を零したシオンは、腰に巻き付けていたベルトを外し機甲殻剣を直に鷲掴みして、窓から飛び降りた。