移動する内、幾つかの牙が少女に刺さってしまったらしい。
最近の寝床にしている洞穴へ辿り着いた時には、彼女は既に虫の息だった。
やはり人間は脆い。
これしきで失神するとは……。
まあ、放っておけば治るだろう。
少女を近場の平地へ放り捨て、私はふうと一息ついた。
そして不意に先程の味わいを思い起こす。
とても……とても美味だった。
あれに比べたら、草食獣の肉等、天と地程の差があると言える。比較的美味な飛竜の肉とて、あそこまで美味いとは言えないだろう。今思えば、あれは確かに肉だったのだろうが……本当に何の肉だったのかが分からない。
ただただ感動の余熱ばかりが、身体を滾らせる。
むう……考えると余計腹が減る。
しかしあんなものを味わってしまった以上、どんな肉を喰らったとして、満たされる事が無いように思えてしまう。
寝るが吉か……。
私はそう考え、後ろ足を崩した。
翌日。
目を開いた私は、件の少女の姿に、再度衝撃を覚えた。
人間の中でも色白だと思われる肌が、明らかに血色を失くしていたのだ。
加えて昨日の傷が
ぼろと化した布の下に見える真っ白な肌には、幾つもの傷痕がしかと窺えた。そのどれもが私のように、すぐに治るという訳ではないようだった。流れ出る血液こそ止まってはいるが、傷は痛々しく残っている。
人間は脆弱な生き物だ。
私と比べれば、あっという間に死んでしまう。
とはいえこれぐらいの傷……私ならば一眠りするだけで塞がるのだが、こうまで違うものなのか?
私は少女の肢体をまじまじと観察した。
髪はところどころ血で染まっているが、地毛は土と同じ色をしているようだ。
腕や足は細く、大した筋肉はついていない。牙の通りから考えて、腹や背中も柔らかいのだろう……どうやら私が見てきた人間とは、全くの別種のようだ。
僅かに唇が動き、うわ言のように何かを呟いているが……何と言っているのか分からない上、よく聞こえない。まあ、一応生きてはいるようだ。
一先ず安堵する。
続いて私は、何となく違和感を覚えた。
これは一体どうした事だろうか?
少女の血の匂いに対して、涎が出てこない。先ずそれに違和感を覚え、続いて彼女に対して、『捕食』しようと思えない事も自覚する。
有り体に言って、彼女が生きている事に『安堵』していた。……喰らう訳でもないのに、だ。
小首を傾げて、私は今一度息をつく。
尤もらしい答えは、人間の不味い肉に興味を無くしていることぐらいだろうか。はたまた彼女から件の肉の入手法を得るまで、死なせる訳にもいかない……と、そう考えているのだろうか。
もしくはその両方か……。
思案をそこそこに、私は首を横に振る。
何にせよ、少女をそのまま放置する訳にもいかない。
傷が治らないまま放置すれば、どんな生命体も死んでしまうだろう。
そうなると……あの肉を永遠に食べられなくなってしまうかもしれない。
何としても生かさねば……。
――しかし、どうやって?
再度小首を傾げる。
以前対峙した人間達は、傷を負うとすぐに緑色の液体を飲んでいた。
それを飲むと、何やら可笑しなポージングをして、隙だらけになる。……が、みるみる内に傷が塞がっていて、『道具を使うとは、賢いな』という印象を受けた覚えがある。
あれを少女に飲ませれば……。
そう思うものの、あれが何なのかも分からない。
自然界で見かけるものではないので、きっと人間独自のものだろうが……どうやって手に入れたものか……。いや、手に入れたとしても、それを彼女に飲ませるような器用さは持ち合わせていない。これまた難題だ。
暫く考え込むが……妙案は浮かばない。
代わりに腹が減ってきた。
已む無く、洞穴に少女を残し、外へ出る。
昨日の獣のようなものに彼女を食べられる訳にもいかないので、地面を掘り起こして、入り口を塞ぐ。こうすれば、人間ぐらい頭の良い生物でない限りは、中に空洞があると思わないだろう。
少女の具合も、一人で動き回れる程でもない。
私は満足して、空を仰ぐ。
日は既に落ち、半日程を眠っていたらしいと気付く。
翌日――ではなかったようだ。
時間の確認を終え、辺りを観察する。
ちらりと見渡せば、羽虫が飛んでいた。
いかに暴食とは言え……流石に虫で腹を満たせる訳が無い。
生物としてさえ、映らない。
あの肉に出会えるとは思えないが……一先ず、肉を喰いたい。
私は近場を散策する事にした。
あわよくばあの『緑色の液体』も手に入れたい。
そもそも獲物以外に興味が無かった私だ。注意深く観察していなかった為、見落としている可能性は否めないだろう。
そうして散策を開始して少し。
獲物はすぐに見付かった。
昨日喰らった紫の獣と仕草が良く似ている青い鱗の獣だ。
それが三頭。
身体の大きな個体は見当たらない。縄張りを哨戒している子分だろうか……まあ、喰えるのであれば何でも構わない。
私が近付くと、彼等は素早く距離を置いた。そして私を振り返ってきて、『出て行け』というような威嚇をする。
が、足を止めてくれるのは、良い的になるだけだ。
口腔を大地に突っ込み、力任せに掬い上げる。
顎に引っかかった岩石を、発達した背筋で持ち上げ――投げた。
岩は弧を描き、二頭の青い鱗の獣を蹴散らした。
それを見て、唖然とした残りの一頭を、素早く距離を詰めた末に踏み潰す。
確実に息の根を止め、私は彼等を喰らった。
味わいは昨日の獣と良く似ている。
決して美味いとは言えない。
きっと悪食なのだろう……内臓のくせが強い。
そうだ。
そういえば昨日喰らったあの肉は、臓物が無かった。
偶に人間が屠った獣の亡骸を見るが……綺麗に解体されているのが、人間が屠った証だと言える。残っているのは骨と肝ばかりで、小型の肉食獣の餌になっている。
勿体無いことをする……と思えるが、あれはあれで小型の肉食獣が育つ為、私としては有り難い。まあ、私が見かけたら、小型の肉食獣諸共、胃袋に収めてしまうのだが。
しかしながら、そう考えてみると、あの肉は人間の手を加えられたもので間違いなさそうだ。昨日私は『何の肉だ?』と思ったものだが、もしやすると人間が独自の方法で生み出したものやもしれぬ。
肉なのは間違い無かったのだが……断言出来る自信も無い……。
それ程までに、味に隔たりがあった。
むう……。
私は僅かに落胆する。
己の知能の低さ、人間の知能の高さ。
生まれて初めてその差を痛感した気分だった。
人間があんな美味な肉を毎日喰らっているのだとすれば、とんでもなく羨ましい。それこそ、彼等の住処を蹂躙してでも、手に入れたくなってしまう。
うん?
それは……有りではないか?
人間は強く、賢いが、決して全ての人間がそうではないらしい。
それを件の少女から学んだ。
とすれば、彼等の住処を荒らすことそのものは、決して危険な行いだとは限らないのではないだろうか?
――いや、違うな……。
私は首を横に振る。
彼等の最も恐ろしい点は、『復讐』をする事だ。
一人を屠れば、
幾度と無く彼等を退けてきたが、それは皆同じことだった。
背中の古い傷痕が疼く……。
これをつけられた際も、対峙した男は息の根を止めるその瞬間まで、私を屠る事を諦めなかった。
背に乗っては、何度振り払っても落ちる事は無く。
一度足を崩せば、執拗に前足を切りつけられ……。
あの時の傷ばかりは、治るのに数日掛かったものだ。
自然界において、『復讐』をする生物はそういない。
かく言う私はしない側――そもそも連れ合いがいない――の生物だが、様々な生物を喰らってきたからこそ、言える。
赤と緑の番いの飛竜。
背中に虫を纏って雷光を放つ金色の獣。
そして人間。
復讐や怨恨を知っている者に手を出すと、途方も無く『面倒臭い』。後々執拗に狙われ、皆殺しにするか、場所を移すかを、余儀なくされるのだ。
手を出すのはどうしても腹が減った時だけだ。
つまるところ、あの肉はとても恋しいが……あの肉の為に彼等を脅かすのは無しだ。
それに、もしもあの肉が人間の手でしか作れないものだとしたら、彼等を蹂躙するのは卵を産む前に草食獣を絶滅させてしまうようなものだ。宜しくない。
とはいえ、あの肉を目の前にしたら、私はこんな理知的にはいられない。我を忘れ、蹂躙する事だろう。
住処に攻め入るのは、間違いなく悪手だ。
経験上、私はこう見えて、そこらの獣よりずっと頭が良い。
この思案に誤りは無いだろう。
――む?
自ら出した結論に納得していると、不意に私の聴覚が異常を捉えた。
やおら振り返ると、視界は数多の木々で埋め尽くされる。
何時も何気なく見渡している密林の風景だ。
私が歩くのにあたって、木々を薙ぎ倒してきたぐらいしか、変わった様子は見受けられない。その他の不調和は、見当たらない。
が、よくよく耳を澄ませば、やはり何かしら違和感を覚える。
虫の羽音。
風で葉が揺れる音。
遠くから聞こえるさざなみの音。
それらとは全く別の……何か。
ザザッと、音が聞こえる。
その音のした方に目をやれば、私の後ろ足程の茂みが揺れていた。
揺れ方は……やはり、風が揺らしたようではない。
明らかに、そこに何かが居る……。
いや、『何か』等と勿体ぶる必要は無いだろう。
大自然において、身を隠す程の知能を持ち、身を隠さなければならない程の脆弱さを持っているのは、唯一無二……そう、そこに居るのは人間だ。
逡巡。
彼等を無闇に襲うのは宜しくないと自戒したばかりだ。
しかし、いざ相対してしまえば、昨日少女を喰らおうと決めた私のように、本能が理性を消し去ってしまう。その姿を見た時点で、それ以上の獲物を見つけない限りは……喰らってしまう。
ただ、私がこの密林に居をおいて暫く。
彼等人間は、私を強く警戒しているのか、私が定住をすれば、定期的に襲い掛かってくるようになる。それが面倒に思える頃には、辺りの獲物を喰らい尽くしているのが常だが……もしやすると、
となれば、無闇に背を向ける訳にもいかない。
私が生きている以上、敗北の経験こそないが、私は彼等を『私を屠り得るもの』として記憶している。
金色の牙獣より、真白の一角獣より、猪突猛進な草食獣より、余程厄介なのだ。
さて……どうするか。
当たりをつけてから、僅かに時が過ぎる。
気配を感じた茂みに動きは無く、注視する私も動いていない。
全くの膠着状態だった。
いや……もしも本当に人間ならば、これは不利な状況と言える。
人間が私を襲う時、彼等は必ず徒党を組んでいる。
記憶にあるもの全て、彼等は『四人』居た。
となると……。
私は即座に動けるよう身構え、首だけで辺りを見渡す。
右、左……と、確認して、彼等のものらしき気配を辿る。
しかし、気配を悟れない。
感じる匂いも『一人分』だ。
囮を置いて、他の仲間は姿を隠している……その可能性は無きにしも非ず。
私で思いつく作戦ならば、私より知力に富んだ彼等が思いつかぬ筈がない。
なら、仕掛けてくるとすれば……。
私はやおら空を見上げる。
そして、深く息を吸い込んだ。
身体中の筋肉に力を籠める。
思わず身震いしたくなる衝動を、後ろ足を一歩前へ進めて押し留める。
行き場を無くしたエネルギーを胸に集中。吸い込んだ大気をも熱く滾らせ、身体中の熱気をそれに委ねる。
そして――私は咆哮を上げた。
出て来い。
人間共!!
それは、開戦の合図。
屠れるものなら屠ってみろと、彼等を挑発する儀式。
しかし――。
「く、くそったれっ! やっぱ見付かったか。ちくしょう!!」
現れたのは、赤い甲殻を用いた着物を纏った男。
ただ一人だった。
備考
・ジョーさんの思考。
非飢餓なので、常時腹は空いているが、死ぬ程腹が空いている訳では無い。
繁殖期の満腹状態(悪意ある訳:賢者モード)みたいなもの。
知能指数が高いのは、公式設定……どうだろ。
自覚している通り、肉を目に留めると我を忘れる事もある。
・シャンヌの容態。
普通に危篤。
何時も書いてる小説なら死んでるとこだけど、生かしてる。
・青い鱗の獣。
ランポス。
青い鱗の……獣?(ジョーさん視点ry)
・赤い(中略)男。
名前は……ボブでいっか。おっさん。
台詞見れる読者さんなら予想つくだろうけど、別クエに来てたハンター。
突然イビルジョーが乱入してきてビビルジョー(wikiより抜粋)。
鎧は次回描写するけど、ラングロ。ラングロ一式なら武器は多分二択。