次の日。今日も授業はなく、学校の説明などで1日が終わるということで鞄の中はまだ軽かった。
スカスカのスクールバッグをぶら下げて欠伸をしながら校門をくぐり教室に入ると、真鍋と談笑していた浩史が、こちらに気づく。
「おはよう、遼祐」
「ウィー。あれ、2人ともいつの間に仲良くなったの」
「さっき先生に臨時のクラス委員を任されてさ。なんでも、入試の時の成績で決めたんだって」
「はへー。秀才2人かよ。肩身せめー」
「もう、からかわないで」
浩史は小学校の時から勉強ができる大人しい子だった。それ故にクラスのガキ大将的な人たちに目をつけられたのを俺が助けたのが絡むきっかけになった……らしい。なんせ昔のことなのであんまり記憶にない。これは誰にでもあることだろう。
あの時から変わらず勉強はできるようで安心だ。これからはわからないところがあったらバシバシ聞こう。
「そいや真鍋、平沢は?」
「ああ、あの子ならそろそろ……」
「おはよ〜みんな〜」
と、噂をしたら本人登場。
振り向くと、眠そうな顔をした平沢がそこにいた。
「うわ、眠そう」
「うー春休みボケが治らないよー」
「もう、唯。しっかりしなさい」
保護者のように振る舞う真鍋と子供のように振る舞う平沢。あまりにも自然な姿に年季のようなものを感じた。
「そういえば遼祐、部活はどうするの?」
「んあ?」
あれから何週間か経ち少しずつ高校のシステムに慣れ始めたある日の昼休み。昼飯を食べていた時に浩史が突然そんな質問してきた。
ふむ、何も考えていなかったな。
「え、そろそろ決めないといけないんじゃないの?」
「でもなー。俺部活とかやった事ねーしなー」
「なら尚更、やってみてもいいんじゃない?」
どうやらこの学校、とりあえず最初はどこかの部活に所属しなければいけないらしく、そろそろある程度目処はつけておかないと担任からお呼出がかかってしまうらしく。
結局「まあどうにかするわー」と曖昧な答えを出した。そのあと、クラス委員会があるらしい浩史は、真鍋と共に教室を忙しそうに出た。残された俺は中庭で腹ごなしの散歩をしていた。
「あれ、平沢?」
珍しく真剣な顔をした平沢が、掲示板をじっと眺めていた。
はて、彼女があんな顔をするとは。余程何か興味を引かれる部活でも見つけたのだろうか。
気になった俺は彼女の横に歩み寄った。
「どしたの、なんか気になる部活でもあんの?」
「あ、りょうくん。……あのね、この前和ちゃんに早く部活を決めなさいって言われちゃって」
「デジャヴ」
「へ?」
「続けて」
「う、うん。それで色々見てたんだけど、これとかいいんじゃないかなって」
平沢が指さした先には、『軽音楽部』と書かれたポスターが貼られていた。
意外なチョイスに俺は驚きを隠せなかった。こんなポヤポヤした子が、軽音楽。うーん、ミスマッチ感ある。
「平沢、ギターとかできんの?」
「……ギター?」
おや、想定した返答とはだいぶ違うのが返ってきたぞ。
「……軽音楽って、何かわかってる?」
「軽い音楽って書いてるし、簡単なことしかない音楽かなって」
「んなわけねえだろ!どんな音楽だ!!」
「カスタネットとかハーモニカとか?」
「カスタネットとかハーモニカのガチ勢の人たちに謝れ!」
なるほど、ただの勘違いだったようだ。
普段からこの調子となると、真鍋の大変さがよくわかる。
「軽音楽ってのはな、ギターとかドラムとか、ああいうのを演奏するのを言うの」
「ギター!?私弾けないよ!?」
「じゃあ諦めな。他の部活探そう」
「え、でももう入部希望書出しちゃったし」
とんでもない爆弾発言をさらっとされた気がする。もしくは、耳がいよいよ使い物にならなくなったのかと思った。
早とちりとか空耳とかかもしれないし、一応確認を取ることにした。
「……マジ?」
「マジ」
「……お馬鹿」
「えへへ」
「一応突っ込むぞ。褒めてねえ」
「うっ」
困ったな。軽音楽だぞ軽音楽。言っちゃ悪いが、あんまり良いイメージがない。周りにそういう奴がいたとかいうわけではないし、本当に個人的なイメージだが、所謂『輩』的なのが大勢いるようなイメージだし、ましてやこんな女の子が行ったとなると、本当にそういうのがいたとして、何をされるかわからない。となると、取るべき行動は一つしかない。
「……平沢、謝りに行こう。俺もついてくから」
「うっ、そうします……」
放っておけばいいのに、放っておけなかった。
そんな気持ちにさせる目の前の平沢唯という少女は、とても不思議な生き物だと思う。
放課後、真鍋と浩史に事情を説明し、それぞれ用事のある2人(浩史は陸上部、真鍋は生徒会の手伝い)に見送られながら俺たちは軽音楽部の部室へと向かう。
ポスターには音楽準備室と書いてあった。俺たちの足はそこを目指すことになった。お互い重い足取りだが、仕方なかった。
やがて目の前には、音楽準備室と書かれたプレートが上に掲げられている扉の前までたどり着いた。
「……ほら、開けろって」
「え、わたし!?」
「俺が行ってどーすんだよ。入部希望書出したのお前だし」
「でもでもでも、ほらあの、怖い人とか出てきたら……」
「そん時は俺がなんとかするから、多分」
「多分!?酷いよ!りょうくんの鬼!りょうくんの方が怖い人だよ!!」
「んだとこの野郎!?もっぺん言ってみろ!!」
「あのー、何やってんの」
扉の中から出てきたのは、カチューシャをつけた女の子だった。
結論から言うと、輩はやはり俺の間違ったイメージだった。
軽音楽部にいたのは、美少女3人。他に部員は見当たらず、部屋にいたのは彼女たちだけだった。
「良かったらどうぞ」
中に入れられて席に座らされ、金髪の子から頂いたのは高価そうなカップに淹れられたこれまた高価そうな紅茶。そして高価そうなケーキ。
いいのかなと思い、そういえば喉が渇いたと思いとりあえず紅茶を一口。
あ、高い奴だこれ。舌触りから違う。多分。
「それで、平沢さんはどんな音楽が好きなの?」
黒髪ストレートの少女が平沢に髪の通りストレートに問いかけてきた。
ケーキを幸せそうに頬張っていた平沢がウッと言ったのち紅茶で口を綺麗にした後、チラッとこちらを見たが俺は他所を向いた。許せ平沢。これはお前に与えられた試練なのだ。と、思う。
「好きなギタリストとか、バンドとか」
「ば、バンド……、ギタリスト……」
あ、ヤバそう。
「え、えっと、じ、じーー」
「ジェフ・ベック!?」
ああ、この流れあかん奴だ。
「どなた?」
「常に新しい音楽に追求する、挑戦的なギタリストだよ」
カチューシャが解説してくれた。ちなみに僕もギタリストとかバンドとかは詳しくないです。
「本当に、平沢さんが来てくれて助かったよ」
「実を言うと、1週間後までに入部希望者がいなかったら、廃部になってたの」
「平沢さんが来てくれて良かったよーありがとー!」
すごく言いづらい状況になってしまった。もはや俺なら諦めるレベルだ。
しかし、流石に申し訳なく感じたのだろう。突如平沢が「あの!」と言って勢いよく立ち上がった。
「じ、実は入部するのやめさせてくださいって言いに来たんです!」
3人はポカンとしていた。そりゃそうだろう。まさか絶望の淵に立たされていた時に、入部希望書というその名の通り希望を見つけたのに、その希望がまさかの裏切り。思考が追いついてないのかもしれない。
「本当はギターも弾けないし……音楽も全くわからなくて……」
「じゃ、じゃあなんで入部希望を……?」
「え、えっとその……もっと違う楽器をやるものだと……」
軽い音楽だから簡単な事しかしないと思った、なんて口が裂けても言えないだろう。
「じゃあ、どんな楽器なら弾けるの?」
「カスタ……あ、ハーモニカとか!」
「あ、ハーモニカここにあるよー。吹いてみて!」
カチューシャはブレザーのポケットからハーモニカを取り出し、笑顔で手渡す。なぜそんなところにあるんだ。
「ご、ごめんなさい吹けません!!」
「吹けねえのかよ!!」
思わず突っ込んでしまった。
その途端、あっ、そういえばこいつもいたなって顔でみんながこっちを見てきた。多分存在感が完全に消えていたのだろう。
「そういえば、貴方は?」
「まあ何というか、この子の付き添いというか……あっ、日暮遼祐って言うの。よろしくー」
「日暮は、音楽に興味ある?」
だろうとは思ったが、やはりそういう類の質問が飛んできた。
しかし俺はここに入る気は無いし、ここは正直に言ったほうがいいだろう。変な期待をさせるわけにはいかないし。
「いやーこれが全くで。流行ってる日本のバンドとかぐらいしかわかんなくて」
「そっかー……」
空気が死んだ。多分、僕はいらないことをしてしまったのかもしれない。もう少し気の利いたコメントをすれば良かった。
ついにみんな黙り込んでしまった。これがお葬式ムードという奴ですか。
流石にまずい、そう思いしばし何かできないものかと考える。
「そ、そうだ。試しになんか演奏してみたら?そうしたら、平沢も楽器に興味が湧くかもしれないしさ!」
全員が顔を上げる。絶望の顔から、それだ、という希望の顔になった。
「平沢もさ、せっかくこんな美味しいのご馳走になったし、とりあえず見てから決めてもいいんじゃないかなー」
「うん!わたし、演奏見てみたい!」
意外と食いつきが良かった。ついでに笑顔になった。
と言うことで、急遽開かれることになった客2人の臨時ライブ。
それぞれがチューニングや確認のための軽い音出しをしていた。カチューシャはドラム、黒髪ロングはベース、金髪ちゃんはキーボードを担当しているらしい。
それぞれが音出しを終え、互いに準備OKの意思を確認し合うと、カチューシャがスティックをかかげ、それを叩く。
「ワン、ツー、スリー、フォー……」
一斉に楽器を演奏し始め、音色が合わさりひとつの曲となる。確かにこうして聴くと楽器というものの凄さに驚かされる。
曲は恐らく『翼をください』だろう。ちょっと意外な選曲だが、音楽のわからない俺たちに対しての配慮なのかもしれない。隣の平沢は、凄く興味津々という顔で聴き入っていた。
やがて演奏が終わり、ひと段落つくと平沢のスタンディングオベーションが音楽室を包む。
「いやー、どうだった?」
「な、なんていうか、凄く言葉にしにくいんだけど……」
「うんうん」
「あんまり上手くないですね!」
みんな一斉にコケた。それはもう綺麗にお笑い芸人顔負けの。
本日何度目かわからないまさかの爆弾発言に思わず腰が抜けてしまった。
まあ彼女たちも入部して日が浅いし、リズムも若干狂っていたりしていたからそう受け取られても仕方ないといえば仕方ないのだろうけども。
「……でも、すごく楽しそうでした!」
だけど、平沢の感想はそれで終わらなかった。
みんな顔をあげて平沢の顔を見る。
「わたし、この部に入部します!!」
夢を見ているのだろうか、といった表情で黒髪ロングとカチューシャが互いの頬を抓り合う。ベタか。
それが夢じゃないと確信した途端、3人は感嘆の声を上げた。
「やったー!ありがとう、平沢さん!」
「でもわたし、楽器やった事ないし……あっ、マネージャーとかどうかな?」
「いや、運動部じゃないからうち」
まあ、あとは本人たちの問題だ。部外者は関わるべきではないだろう。
はしゃいでいる彼女たちを尻目に、俺は部室を後にしようとした、時だった。
「あああああああ!」
「な、なんだよ律」
「しまったあああ忘れてたああああ!この学校の部活、5人以上じゃないと部として申請されないんだったー!!」
あれ。なんか思わぬ展開になったぞ。
律と呼ばれた女子は妙にオーバーリアクションで言う。
ちょっと試しに振り返って見ると、全員の顔がこちらをロックオンしていた。間違いない、俺は今捕獲されようとしている。
「りょうくん……」
やめろ平沢、そんな目で俺を見るんじゃない。
いや、君だけじゃなくて他のやつもだが。
ため息をつき、しばし考える。
楽器はまあ、できなくもないが。
ただこうして本当にできる人たちと並んでやれる程じゃないし、そもそもそんなにやってなかったりするし。
しかし、もうこれは断れる雰囲気じゃない。
男子がいればまあすんなりわかった、と言えたのだろうがなんせ女の子ばかりなのだ。色々大変そう。
が、流石にこの空気が読めないほど、俺も鈍くはなかった。
「……ギターをほんのちょっと弾けるだけだかんな、期待すんなよ」
「やったあああああ!!」
まあ、俺の部活問題も解決したし、ひとまずは安心って事でいいのかもしれない。
それに、放課後に毎日美味しいお茶とお菓子を貰えるのだと思うと、いるだけでも悪くないかもしれない。
こうして、俺と平沢は軽音楽部に所属することになった。
これが、俺たちの運命を大きく変えていく事になるとは、この時まだ知る由はなかった。