朝、眼が覚めた時の快感とストレス。どちらの比率が大きいだろうか。
一度眠りについて朝起きることができれば、快感の方が多いかもしれない。もしくは、目覚めたのが何もない休日等であれば、ますますいい目覚めになるのかもしれない。
逆に、夜中に何度も眼が覚めたり、面倒な仕事やテスト等、嫌な用事がある日は朝を迎えることにストレスを感じてしまうかもしれない。
今朝の俺はいい朝を迎えられた。
春休みという宿題もなければ何か用事もない。平穏な毎日を過ごすことができる日々。そんな日の朝に、俺はいつも通りの時間に眼が覚めた。
姉と二人暮らしの俺は、いつも通り朝食の支度にかかる。今日は何を作ろう。昨日はハムエッグにトースト、ヨーグルトにサラダというTHE・洋食という組み合わせだった。
ということは今日は和食でもいいかもしれない。白身魚に市販の漬物、味噌汁にご飯。
「美味そう」
胃袋は和食を求めていたようだ。それを考えた途端、急激に空腹感が全身に走った。
早速台所に立ち、支度を始めようと冷蔵庫を開けようとした時。
「あれ、まだいたの?」
横で姉の声が聞こえた。
「起きるん早くね。どしたの」
「いや、いつも通りだけど。ってか、今日あんた入学式でしょ」
入学式。
漢字三文字。口にしたら七文字のその言葉の意味をしばし考える。
学に入る式。と言うことは、どこかの教育機関に入ることを意味しているのだろう。
そして先ほど入学式の単語の前に言っていた、今日あんた、と言う言葉。
それらを踏まえて、先ほどの姉の言葉をーー。
「今日入学式じゃねえかァァァァァ!!」
「いや、だからそう言ってんじゃん」
慌てて自室に戻ると寝間着を放り投げ、壁に掛けてある新品の制服に袖を通し、カバンを引っ掴むと玄関にダッシュした。
「ほんじゃな!!」
「はーい、いってらー」
眠そうな顔でフラフラ手を振る姉を尻目に自宅である賃貸マンションの一室を後にした。
存在するのかは知らないが春休みボケというのはこの事だろう。自分のボケっぷりにため息をつく暇もないまま、これから3年間通う学び舎への道を駆け出した。
どんな景色なのだろう、どんな人が通ってるのだろう。そんな事は気にしない。気にできない。ただ記憶の通りに走り出した。
しばらく走っていると、やがて校舎が角をのぞかせてきた。正門の前で息を切らし肩を揺らす。
「……?」
そこで違和感を感じた。
なぜ生徒が少ない。理由は二つ。
一つは、既に入学式が始まっている説。
ただこの場合、生徒は少ないとは言ったもののちらほらとはいるので、こいつらも遅刻組ということになる。春休みボケがここまで多いと流石にこの学校レベル低すぎ……?ではなかろうか。
もう一つは、まだ早すぎた説。
二つの説を検証するべく、俺は携帯で時間を確認してみた。そして、全てがつながった。
ネクタイは締めない。脳細胞も別にトップギアではない。
「……早すぎぃ」
現時刻は8時丁度。入学式は9時30分から。1時間の余裕があった。
校舎内にはまだ入れそうになかったので、仕方なく校舎周りを散策することにした。中学からの友人はまず間違いなくこの学校には来てないので時間を潰す相手もおらず、他にやる事が学校の地形を把握するぐらいしかなかった。情けない話である。
そんな情けない俺の目に入ったのは、恐らく理科ーー高校からは生物かーーに使うのであろう池だった。
訂正しよう。池を確認したのは、その近くにしゃがみこんでいる女子生徒が視界に入った後だ。
腹でも痛いのだろうか。それとも池の中の生物でも見てるのか。何にしても、俺が気にすることではない、そう思い彼女の後ろを素通りしようとした時。
「わっ」
嫌な予感がした。その予感が的中したとしたら、かなりベタすぎる。ギャグ漫画か。
この場合、この後俺は何をするべきだろうとか、そういえば朝飯食べ損ねたなー、なんて思いながらため息まじりに俺は後ろを振り向いた。
案の定、バランスを崩して頭から池に彼女が落ちそうになっていた。目の前でびしょ濡れ女子を見るのは悪くないし、朝からいいものを見せてもらいましたと手を合わせてご馳走様ですと言いたいが、見ず知らずの人間にそんなことをできるわけもなかった。俺の手は彼女の手引っ掴んでそのまま引っ張りあげていた。
引っ張った勢いで、彼女の身体がこちらを向いた。ついでに、顔も見えた。ヘアピンで前髪を留めており、何となく幼さが残る可愛らしい顔立ちだった。
息を切らした彼女が深呼吸して、お礼の台詞でも出てくるのかと思ってとりあえず手を離した。
「わー、びっくりした」
「こっちの台詞だわ」
お礼ではなく、心境吐露だった。そこはお互い様であるが。
「あ、えっと……ありがとうございました!」
「どういたしまして。怪我ない?」
このまま勢いで連絡先でも聞けそうだったがそんな軽い振る舞いはできない人間なのでそこは心の中に留めておく。
「あっ、うん。大丈夫です!」
それは良かった。
「ところで、何やってたの」
「いやーそれが話せば長くなる話でして」
「よし、じゃあ簡潔に」
「学校に早く着きすぎたので暇つぶしに池を眺めてたら落ちそうになりました」
敬礼しながらそう言った。ウザがられるかと思ったがわりとノリはいい子らしい。
「まあ、何で落ちそうになったのかは知らんが一先ず無事で良かったよ」
「お陰様です」
さて、会話もひと段落したところで、腕のデジタル時計を見るとそろそろ教室が開放された時間になっていた。
彼女の制服のリボンを見る限り、俺と同じ新入生だろう。
「そろそろ時間だし、教室に行こうぜ」
「うん!」
と、俺が回れ右をして教室に向かって歩こうとした時。彼女は再びあっ、と声を出す。いやまさかまた落ちるわけあるまい、と思ってまた振り返った。そこに彼女はいた。良かった。
「私、平沢唯!同じクラスだったら、よろしくね!」
「日暮遼祐。こちらこそ、よろしく」
これも何かの縁だ。もしかしたら、本当に同じクラスかもしれない。
そう思いながら、彼女と2人で今度こそ教室へと向かった。
彼女との出会いが、まさかこの高校生活3年間どころか、俺の人生を大きく動かしていく事になるとはーー。
「あ、同じクラスだよりょうくん!」
「り、りょうくん?ってか、同じクラス!?」
ーーまだ、俺は気づいていなかった。