修羅幼女の英雄譚   作:嵯峨崎 / 沙城流

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7 『気高き重装騎士』

 現在、バラボア砦では厳戒態勢が敷かれている。

 その威容は宵闇の手を寄せつけない。砦中の灯籠の火は惜しみなく灯り、怒声と剣戟、破砕音が静寂を裂く。闖入客の登場を慌しく出迎える様相は、さながら大規模な饗宴の一幕である。ただし振る舞われるのは酒ではなく血液。散じて、床に滲み込んでいく。

 激戦の舞台はすでに砦内部へ移行していた。

 連合側の強襲部隊は四手に分かれ、食い荒らす。

 ボガートを始めとする『英雄級の人員』が加わったそれに、起き抜けの帝国兵たちは為す術もない。決死の応戦虚しく、進撃は苛烈を極めていく。

 だが、帝国側も拱手傍観に徹してばかりではない。

 砦防衛組は、腐っても昇進が内定した者たちだ。

 それに見合うだけ実力者たちが揃っている。

 たとえば、内部構造を活かす策があった。この砦には建築時点から、侵入者を迎撃する工夫が幾つも施されている。その一つが内部通路の入り組みようだ。通路すべてが不規則な位置で道が分かれている。枝木めいた構造は、ひとえに死角を増やすためである。

 意図的な死角から、通りがかる者の不意を突く。

 それが実践されているのは東側の一角。

 

(全く。帝国軍も浅知恵を巡らせるものである)

 

 一人の男が血塗れの通路を闊歩していた。

 彼はテーリッヒ・ガルディ。階級は大尉である。

 御年四十六にして強襲部隊の頭領格の一人だ。

 ひときわ異彩を放つのは纏う装備だった。ひと昔前の重装騎士姿。鈍色の仰々しい甲冑で全身を覆い、腰元には一振りを収めた鞘が吊られている。歩くたびに装甲同士が接触し、甲高い軋みを上げていた。表面に滴る鮮血も落ちて一直線の血道を伸ばし続ける。

 この重装備は強襲部隊にそぐわない恰好だ。

 強襲で得られる優位性は速度。ゆえに俊敏さを捨てた姿は非合理的とも言える。加えて、その大柄な身体つきは室内戦に向いているとは言えない。

 当然、テーリッヒはそれを承知でいた。

 

(何にしても『使い方』が存在するのである)

 

 テーリッヒが歩を進めれば、仰々しい音が鳴る。

 それに引き寄せられた気配は五つ。通路を挟んだ左右の暗がりから発せられている。きっと算段としては目配せを送り合い、機会を見計らって一斉に飛びかかるつもりなのだろう。視界外だが、城砦の内部構造を知悉していれば予想するのは容易い。

 一歩、二歩──三歩目を踏んだ瞬間だった。

 果たして、五の人影が一気に襲いかかってくる。

 彼らは重装備の隙間から刺し貫かんとする。

 

「ここは、ラプテノンの庭である」

 

 すでにテーリッヒは前方に踏み込んでいた。

 鞘鳴りとともに解き放った刃が煌めく──速い。

 

「占領したての砦は、さぞ使い辛かろう」

 

 伏兵の五閃が届くより先に、直剣が五人を襲う。

 銀閃は正確無比な軌道を描いた。真実、そこに寸分の狂いもない。五つの首筋が斬り裂かれて、赤色の雫が舞う。そこを疾風が駆け抜けたあと、ぐらりと屍が倒れ伏した。鼓膜に遅れ馳せた音はただの一度。

 この一度に込められたのは幾重もの金属音。

 それだけが重装備のしがらみを思い出させた。

 彼は着地すると、剣身に滴る血を振るい落とす。

 手慣れた動作で鞘に仕舞い、前進を再開する。

 

(失敗は許されない。帝国の鼻を明かす、千載一遇の好機である。否、我らからすれば最後の機会。一度失敗した我らには、もはや後などない)

 

 テーリッヒは苦々しく己の命運を呑み込む。

 彼は二十年以上も戦場に立つ古兵。その武勇はラプテノン王国では語り草になっている。だが三年前から体力の衰えを感じ、第一線を退こうと思案していた。

 先日の戦場は、退役前の仕事になるはずだった。

 本来ならばデラ支城で指揮官を担うはずだったところ、腕を買われて、特殊任務を負った部隊に配属された。秘密裏に動いていたその計画とは、退役前の大仕事として飾るには、あまりに華々しい大任だった。

 だが結局、計画は頓挫し、第二計画に移行した。

 それが此度の強襲作戦である。

 

(元より、帝国側に情報が流れないよう内密にしていた計画である。協調相手のビエニス王国にすら気取られておらず、強襲には適した部隊であるからな)

 

 目的地に向かって、着実に歩を進める。

 思い返すのは、内部構造と計画手順だった。

 彼は砦東部の『魔術房』を襲う手筈になっていた。

 魔術房とは城砦や街における守備の拠点だ。一定範囲を覆うように展開する『結界魔術』──つまり、衝撃を緩和する魔術。その維持を司る特別室である。

 彼は足を踏み入れるたび「奇妙な空間だ」と思う。

 天井、壁、床に魔法陣が描かれた密閉空間。そこには専門の魔術師が交代制で詰めているか、もしくはマナ結晶と呼ばれる代用品が安置されている。

 維持に必要な魔力を提供せねばならないのだ。

 

(この技術は『英雄』が蔓延る前まで、あまり見向きもされなかった技術であるがな。現代では魔術的な保護のない建物なぞ役に立たん。石造の砦すらも砂上の楼閣同然だ。…… 力ずくで塵芥にするという方法で、単独の砦攻略を成し遂げられかねん)

 

 そんな理不尽を防ぐための魔術房である。

 魔術で脆い城砦を補強するのだ。当然ながら強度に限りはあるがゆえに、圧倒的な力業で打ち砕かれる場合もある。たとえばバラボア砦の砦門など、最終的にはボガートの一撃と攻撃魔術の連撃で突破された。

 だが魔術房の有無による影響は大きい。そこが敵方の手に落ちれば、白旗を上げる以外の道はない。もしも結界魔術がなかったのなら、強襲開始を告げた一蹴りで門ごと砕け散っていたに違いない。

 すなわち、魔術房とは城砦における枢要。

 防衛側の心臓部とも言い換えられる。

 

(だからこそ魔術房の位置とは極秘である)

 

 バラボア砦での位置は典型的なそれだ。

 魔術房は全部で四箇所。それぞれ東西南北に分けられている。この配置の理由は「魔術供給の配分として全体に行き渡りやすくするため」でもあり「敵戦力を分散させるため」でもある。本来ならば、内部に形成された迷宮構造も併せて、厄介なはずだったのだ。

 ──攻城側が砦の内部を熟知していなければ。

 

「手応えもなし。消化試合であるな」

 

 テーリッヒの周囲では銀閃が円弧を描く。

 それは紅色を散らし、肉を引き裂き、待ち構えていた帝国兵たちの命を刈り取った。鎧袖一触を地で行く進撃は、着々と目的地に徒歩の速度で進んでいく。

 彼は手勢を引き連れていない。貸与された小隊規模の王国兵は後方に控えさせている。余計な闖入者を阻むため、通路を堰き止めてもらっている。手狭な通路で大人数を伴うことは、足枷にもなり得るのだ。

 ──この先は単独のほうが安泰である。

 彼には確たる自負があった。戦場を生き延びた二十数年という年月は、伊達や酔狂で積み上げられるものではない。それは自信となって心に降り積もる。

 だが万事上首尾な段取りに反して、嘆息した。

 

(あの魔術房まで辿り着けば、私の役目は終わったも同然。華々しい終幕──とは行かぬまでも、大事な務めは果たしたことになる。二十年の終止符まで、そろそろである)

 

 血飛沫の散った廊下で伏した若兵を越える。

 次第に、通路の突き当たりが視界に映り出した。

 そこには、ひときわ頑丈な扉が待ち受けている。表面に刻まれた魔術的な模様──規則的な線と、特殊な文字の羅列で構成されている──を見て、頷く。

 あれこそが東部魔術房の扉。目的地に到着した。

 彼は一抹の寂寥感と、ひとまずの安堵を覚える。

 そして寸瞬だけ緊張が緩み、隙が生まれた。

 

「……ッ!?」

 

 そのとき背後から通路に吹き抜ける一陣の風。

 否、否だ。それは乱れ舞う白刃である。

 突如として襲いかかる斬撃の嵐に、足が止まった。

 見事に意表を突かれた。だが何の捻りもない奇襲に命を遣れるほど、テーリッヒは甘くない。前方に身体を飛ばすと同時に鞘から鋭く抜剣。瞬時に右脚で床を踏み締め、丹田に重心を落としながら腰を捻る。咆哮を上げ、振り向きざまの一閃が振るわれた。

 咄嗟の迎撃ながら渾身の力が籠もった一撃だ。

 

「はあああッ!」

「ぬぅ──ッ」

 

 果たして、刃物特有の甲高い悲鳴を上げて激突。

 テーリッヒは鍔迫り合いを一瞬で制すと、流すような銀閃で襲撃者を弾いた。どうやら相手は地に足がついておらず踏み止まれなかったようで──三丈ほど吹き飛ばされる。しかし中空で姿勢制御を抜かりなく行い、両足での接地に成功していた。そのまま足裏と床との摩擦で余勢を削ぎ落とし、前傾姿勢で止まる。

 そうして襲撃者たる、小さな影は顔を上げた。

 通路に等間隔に並んだ灯で、正体が露わになる。

 

(……(わらべ)、か?)

 

 にわかには信じられなかったが間違いない。

 どれだけ目を凝らそうと、それは幼女だった。

 容姿からは北国に降り積もる雪を連想させる。きっとひとつに括られた白髪や、陶器めいた素肌の印象に引きずられているのだ。その顔立ちはあどけなく、十にも満たないだろう年相応に身体は小さい。

 だが、雪の妖精なる可愛らしい印象は皆無だ。

 彼女には物騒な歪さが上塗りされている。

 黄金色の瞳に宿っている『強烈な意志』。表情を引き締める『研ぎ澄まされた殺意』。矮躯に不釣り合いな『帝国軍の装身具』。彼女のすべてが不自然極まりなく、思わず目を疑うほどに歪であった。

 そして何より面妖さを醸し出すのは──血。

 身体を斑らに染め上げている紅色だ。

 

(童には外傷が見当たらん。と言うのに、大量の血液が髪や装備に付着している。間違いなく返り血の類いであろう。童の来た方向を鑑みれば……もはや、通路の阻塞は突破されたと見るべきであるか)

 

 驚くべきは、その兆しが一切なかったこと。

 奮戦には付き物の()がなかった。力量が釣り合うだけ長引き、熾烈さを増す戦闘音がない。更にテーリッヒの元には誰一人として逃げ果せていないことも不可解である。手に負えないならば、全霊で伝令を発すように教育したはずが──それもなかった。

 刹那に思考が垂れ落ち、熱い唾を飲み込む。

 まさか電光石火の勢いで圧倒したのだろうか。

 

(だとすれば、この若さでは異例の才能だ)

 

 彼は抜き身の剣を構え、敵方を見据える。

 何にせよ、見目に謀られるわけにはいかない。

 どんな相手であれ油断は許されないのだ。

 

「不思議じゃのう。なぜここにおる」

 

 幼女がぽつりと口を開く。

 その口調は、舌足らずの声色と乖離していた。

 

「テーリッヒ・ガルディ大尉。ぬしは裏方仕事に割り振られる男ではなかったと記憶しておる。やはり、ぬしらは奇襲部隊というより強襲部隊なのじゃな」

「……私を、知っているのか」

「一度でも学ばせてもらった相手を忘れるものか」

 

 それは彼からすれば謎めいた物言いだった。

 はて、と眼前で構える幼女に目を凝らす。

 戦場経験を下に、教官職に就いていたことはある。

 だが、やはり見覚えはない。王国の士官学校では、こうも年端もいかない教え子はいなかった。加えて彼女の立場は帝国兵。面識があるとは思えない。

 きっと心を乱すために法螺を吹いているのだろう。

 結論すると、それ以外の無駄な思考を断ち切った。

 そして剣の切っ先を床に突くと、声を上げる。

 

「知っていれど、改めて名乗らせて貰おう。私はラプテノン王国軍大尉『最後の騎士』の名を預かるテーリッヒ・ガルディである。そちらに名乗りはあるか?」

「……わしは、これまで単なる根無し草」

 

 幼女は、その朗々たる決まり文句に呼応した。

 彼に倣うように切っ先を下に向けて、名乗る。

 

「しかし、いまや帝国軍の平兵士の──ソルじゃ」

 

 剣先で音を立てて、その儀礼的な行為を終える。

 ──己が命を預ける剣の切っ先で床を突く。

 これは衰退して久しい『一騎打ち』の作法だ。

 もはや時代の波に攫われ、底に沈んだ文化である。

 廃れる要因は両手に余るほどあった。集団戦術の発展に加え、動員される大規模兵力との兼ね合い、遠距離攻撃魔術の発達と、英雄の台頭。それらが後押しした結果、騎士という階級とともに廃れてしまった。

 ゆえにテーリッヒは喫驚を露わにしてしまう。

 まさか幼女に正しい作法を返されるとは思わない。

 今時、一騎打ちの作法を知る者は少ない。その上で応じる者など一握りだった。命の遣り取りの最中で敵方に礼を尽くすことは難しい。若人であるほど戦功に逸って、儀礼を土足で踏み荒らすように襲いかかる。

 だが、目前の謎めいた存在は違った。

 

(礼を失さず、私に挑むというのか。童よ)

 

 この作法に則る理由は個人的な矜持によるものだ。

 ガルディ家は代々、誉れ高い騎士の家系だった。

 だが時代とは移ろうもの。戦場の常識が塗り替えられるたびに形骸化が進み、遂には王国において騎士という階級は消滅した。そして貴族階級に併合されたあと、戦場からも遠ざかった家が大多数を占める。

 現在も騎士階級が存在するのは帝国だけだ。あれは現役の『六翼』の一人が、騎士たちを英雄と張り合えるだけの精強な軍勢に仕立てられるからこそだ。もちろん、時代の流れに抗える横紙破りはそういない。

 先祖たちのような騎士は王国から消えてしまった。

 テーリッヒの纏う重装騎士のごとき出で立ちも、一騎打ちを望む姿勢も、すべてが過去の遺物。時代に取り残された無意味の塊である。それでも彼はずっと胸を張って、騎士の真似事をし続けていた。

 その理由は問われるまでもなく、憧れからだ。

 両親から、そのまた両親から受け継がれてきた騎士の血筋。子供の頃から先祖たちの偉業を聞くたびに心を惹かれ、彼らの高潔な有り様に憧れてきた。

 だから彼は、礼式に則った幼女に好感を抱いた。

 

(ソル、ソルか。しかと覚えておこう)

 

「──その志に感謝するのである、ソルよ」

「感謝されることではないのじゃ。問われたから応じたまでのこと。わしの事情を言えば、時間も惜しい身の上じゃ。開始の作法は略式で構わんか?」

「了解である。事情は私も同じ、多くは望むまい」

 

 紅蓮を揺らす松明の下、対峙する影は二つ。

 片や、王国最後の騎士たるテーリッヒ・ガルディ。

 重武装の甲冑を鳴らし、全身から闘気を上らせる。

 片や、単なる一兵卒の幼女たるソル。

 血染めの剣を構え、鋭い眼光に闘志を滾らせる。

 ソルの提案した、略式の開戦方法は明快だ。

 ただ、互いに初撃は真正面に打ち込むこと。剣身同士の交わる金属音こそが、戦闘開始を告げる銅鑼の音というわけだ。ゆえに、互いを見定める静の時間が終わるのは一瞬。唐突に打ち切られることになる。

 そうした果てに、先手を取ったのは──。

 

「行かせて貰おうッ──!」

 

 テーリッヒ・ガルディは渾身の力で踏み込んだ。

 たった一歩。それだけでソルとの間合いを埋める。

 彼は重装備で固めた巨躯を軽々と駆動させ、抜き身の剣で横一閃に薙ぐ。待ち構えていた幼女も剣を一直線に振るう。見目に合わない古びた剣が宙を裂き、甲高い金属音をもってして鋼鉄は交じり合った。

 ──かくして、騎士と幼女の一騎打ちが成立する。

 東部魔術房を巡る戦端が開かれた。


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