修羅幼女の英雄譚   作:嵯峨崎 / 沙城流

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説明回です


11 『怪物退治の始まり』

 マッタ―ダリ山脈の峰は雲を貫き、天を衝く。

 かの霊峰は模擬戦の顛末まで見下ろしていた。

 この山脈は大陸に産み落とされたなら言わずと知れた、世を東西に分断する最高峰である。初めて東西の概念を生み出したと伝えられており、現在では対帝国戦における最重要防衛線の役割を果たしている。つまり帝国の英雄たちですら二の足を踏む難所なのだ。

 その要因は、大まかに三指を折って数えられる。

 急勾配の斜面と比類なき標高、そして天候だ。

 雨風にせよ雷にせよ移ろいやすく、どれもが熾烈なものである。そんな峻厳な環境には獰猛な野生動物が根を張り、勇気ある登山者たちを待ち構えている。

 軍事的な判断に基づけば越山は現実的ではない。

 麓から見上げればその険峻さは圧巻の一言である。

 比較的低域の峰すら刺々しいまでに角ばり、真白い雪化粧が施されている。山頂付近を隠すように広がった雲河が下界と袂を分かつ。その先の陰影を朧げに落とす雲霞を喩えて御簾とし、マッターダリを貴人として仰ぐ一部地域の言にも頷けるだけの威容だった。

 誰も踏み入れたことがない、かの山頂付近。

 その、神聖視された不可侵領域のなかで──。

 

「■■■■■■、幸■■■。■■■■」

 

 鉛白の手が蠢き、その純白の禁域に指をかけた。

 人類未踏の雪が侵されるように──翳る。

 

「■■■■■■■為■■■■■■」

 

 違う。あれは無数の手にも似た濃霧の浸食だ。

 だが自然現象としての霧と一線を画している。

 それは幾条かの紫電を放ち、金光にも似た火花を飼い慣らし、大木すら千切りに変える烈風を住まわせているのだ。そして霧が濃さを増すほど尋常ならざる冷気が足元から這い、岩肌の表面に氷が張っていく。

 冥漠というより謂わば灰漠(・・)というべきその奥──。

 不可思議な霧の中心にはひとつ巨影が佇んでいた。

 曖昧な実像の二足歩行だ。周囲には二十もの帯状の影が取り巻き、そのうち十数本が岩盤に突き刺さっている。大木の根のような姿は単なる猛獣かと侮れず、最新式の魔導兵器かと安堵するには禍々しい。

 そして、霧の向こうに朧げに浮かぶ紅。

 爛れたような単眼の瞳が『根絶』の欲望に歪む。

 すべてを灰燼に帰さんと。すべてを穢し尽さんと。

 ──絶対的な破壊が、間近まで迫っていた。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 まず目にしたのは、梁が剥き出しの天蓋だった。

 

(いつの間に……眠っておったのじゃろうか)

 

 幼女は腹部に力を込め、緩慢に上体を起こす。

 ぼんやりと寝惚け眼のまま視線を彷徨わせる。

 ここはどうやら民家の一室のようだった。だが生活必需品たる家財道具は見当たらない。いまソルが身体を横たえている寝台と同様のものが、室内に所狭しと幾つも詰め込まれているだけだ。急拵えの病室にも見える。その割には自分以外の怪我人が誰もいない。

 ソルは錆びついた思考回路に記憶を流し込む。

 

(……わしは、そう。確か)

 

 遅蒔きながら、これまでの経緯が頭に蘇る。

 ここは討伐隊の医務室だ。彼らが家主の消えた民家を拝借し、仕立てていたのである。幼女は模擬戦終結後、討伐隊の救護班によって運び込まれた。外傷より遥かに臓器や骨や肉に関する損傷がひどく、迅速に治療を施さねば命にもかかわるほどだったらしい。

 伝聞調の理由はすぐに幼女が気絶したからである。

 

(ほとんど朦朧としておったから覚えておらんが)

 

 ついと壁際に目を移す。そこの寝台には見慣れた剣が古布に包まれ、置かれていた。その丁寧な取り扱いに眉尻が下がる。とりあえず相棒の健在に安堵の溜息を漏らし、視線を肌着一枚の己の身体に戻した。

 この小さな身体は見違えるほどに治療されていた。

 血塗れですり切れた包帯は新たに交換され、以前にも増して分厚く巻かれている。淡い青痣が右手首を始め、包帯の隙間から漏れるだけでも複数箇所に滲んでいたが、普段通り拳を握ることはできるようだった。

 ならば試しに一度は動いてみるべきだろう。

 纏わりつく倦怠感を引き剥がし、上体を起こした。

 すると、目前にあったのは少女の顔だった。虚を突かれて身体が硬直する。どうやら彼女は矮躯に覆い被さっていたらしく、図らずしも死角にいたようだ。

 襤褸切れのローブから紅玉一揃いの双眸が覗く。

 

「おお目覚めたっ? おはよっ『お孫ちゃん』!」

「は」

 

 起き抜けにとびっきりの笑顔でそう言われた。

 ──思考が停止。ぱちりと瞬きを一回。

 

(お……まごちゃん)

 

 眠気が霧散し、段階も踏まえず頭が冴え渡る。

 ソルは唐突すぎる単語の意味を丹念に咀嚼する。

 その果てに、ただ聞き間違いを期待した。

 

「? どうしたのお孫ちゃん、調子悪い?」

「い、いえ…… 驚くほどよくなっておりますゆえ」

「ならよかったんだ! イルルたち救護班で頑張ったけど、どこかおかしいなら言ってね! 治癒魔術での強引な回復には反動があるからね。『ホコロビトハナニゴトモチイサイモノダー』って言うでしょ?」

「寡聞にして……聞いたことはないのじゃです」

「ふふーん。お孫ちゃんもベンキョーブソクだね!」

 

 ──お孫ちゃん、お孫ちゃん、おまごちゃん……。

 どうやら言葉の一字一句に間違いはないらしい。

 幼女は「夢じゃ」と断じて瞼を閉じたくなった。

 しかし、そうやって逃避しても無意味である。どこまで逃げれど目前を塞ぐからこその現実だ。逃げることに良し悪しあれど所詮は一時凌ぎであり、いずれ立ち向かわねばならないのである。すでに冴えた記憶は忌々しいことに、ハキムの孫宣言が木霊していた。

 あの瞬間、ソルを構成する要素がひとつ増えた。

 だから幼女らしい口調と仕草に整えて──。

 

「……はい。わしはハキムのま、孫です、のじゃ」

「わーやっぱりーっ!? ホントのホントなんだ!」

「ほ、ホント……とは孫という、それが?」

「モっっチロンだよ!」

 

 少女は我が意を得たりとばかりに快哉を上げる。

 

「いやーハキムのお爺ちゃんにこんな可愛いお孫ちゃんがいるなんてねー、イルルも聞いたトキはびっくりびっくりだったよ! 大々的に伝えたときはイルル、シャイラのお姉さんのほうに付いてたからね、あとで教えられたとき『えっー!?』って! だってハキムのお爺ちゃんずっと言わなかったし『もう少しでタイヘンなことになってたんだ!』って思うじゃん!」

「た、確かにその通りですのう」

 

 興奮の熱に炙られ、沸くように捲し立てられる。

 ソルは辟易しつつも思考裡に自嘲を浮かべた。

 両手を側頭部にやって白髪をくしゃりと握る。

 ここ数十年でも有数の、悪夢めいた状況だった。

 

(ああ。憂鬱じゃ。まっこと憂鬱じゃ……が、もはや終わったこと。未練がましく引き摺れど進展は望めない。そう、そうじゃ。昨晩から覚悟自体はできておったはずじゃろう。ベクティス殿にそう認識された時点で……腹は決まったはず。いまは堪えるのみじゃ)

 

 だが視線には思わず恨みがましさが篭ってしまう。

 少女は首を傾げ、ローブの縁取りが崩れる。

 

「どうかしたの? わかんないことある?」

「いえ……その、この体勢なのは一体どういう」

「ああ、ごめんごめん! ちょっと重かったよね!」

 

 ぴょんと飛び退くと、両脚で床に着地する。

 両腕を天に掲げて脇腹を伸ばした姿勢を取った。

 少女は薄汚れた頭巾を目深に被っている。手に小綺麗な包帯を携えているところから察するに、直接ソルを治療していたのだろう。思えば、模擬戦終盤で錯乱したシャイラを運んでいたのも彼女だった。

 くるりと振り向いて、こちらに笑って曰く。

 

「自己紹介! イルルはイルル・ストレーズ! デュナム公国出身の十六才! 元々は怪物退治専門で、この討伐隊には公国側の代表者としてバッテキされちゃったんだー! 主な仕事は後方支援で、何やかんや救護班長って感じだよ! これからよろしくねっ!」 

「よ、よろしくお願い申す……のじゃ。わしは」  

「ソルちゃんだよね! よろしくよろしくぅーっ!」

 

 側まで早足で近づいて両手を胸に抱き寄せる。

 ソルの手より一回りほどの大きさに包まれた。人の温もりが伝ってくる。きっと握手のつもりだろう。イルルの熱烈な歓迎方法は、まだ完治できていない腕の可動部を気遣っている何よりの証拠だった。そこに対する感謝は忘れないが、反して拍子抜けでもあった。

 幼女は予想していたのだ。帝国小隊の価値自体は模擬戦を経ることで認められたものの、おそらくは感情的に納得できない者も多かったに違いないと。存在することは許されど、やはり二組が一致団結という未来は難しかったのではないかと今更ながら思えた。

 ──ゆえにハキムはあの場で孫宣言をした。

 

(孫設定の宣言を模擬戦前にすれば、実力を測る意味合いが薄れる。だが、いつかしなければ模擬戦後の団結が壊れていく恐れもあった。ならば宣言する機会はあそこ以上のものがない……というわけかのう)

 

 イルルは幼女の内心を置き去りに幾度も頷く。

 

「うんうんよかったんだ! イルルたちはもうドーホーだからね! 目標を達するまで一蓮托生! 助け合って、最後には笑えるような未来を迎えようね!」

「……応とも。それは心惹かれる謳い文句ですのう」

「でしょー! やっぱり皆で手を繋いだほうがいいよね! 君たちと一緒に戦えるようになってホントによかったー! 『根絶』退治は大変だけど頑張ろー!」

「ご同慶の至りです。願ってもない話ですのじゃ」

 

 嘘である。ソルは誰よりもこの展開を願っていた。

 ここまでハキムと構想した計画をなぞれている。討伐隊に帝国小隊を同道させ『根絶』討伐に一枚噛むこととなった。それも可能な限り円満に進んでいると言って差し支えあるまい。その過程で想定以上の怪我を負ったものの、英雄好きの本能は満ち足りていた。

 大英雄と模擬戦を演じ、初めての喝采を浴び──。

 身体の傷跡すらも勲章に伍する出来事に思えた。

 思いを馳せる幼女は、はたと見落としに気づく。

 

「そうじゃ……御璽契約の談合に参加できておらん」

「あっ大丈夫だよ。御璽の話、全部終わったからね」

「……終わったとな? わしが眠っておる間に?」

「うんうん。お孫ちゃんは丸二日眠りこけてたから」

「ま、丸二日……?」

 

 愕然として、窓からの仄温かい光に目を向ける。

 麗かな陽だまりが寝台の一角に落ちていた。ともすれば暁光に多少の血色が戻った程度のそれは、一見すると気絶以前と大差ない。だから依然として実感は薄いものの、次第に身体の節々にある違和感が目につき始める。いままで他の感覚で覆い隠されていたのだ。

 イルルの言に嘘はないのだろう。どうやら疲労は想像以上の負担になったようだ。確かに模擬戦では無理を重ねすぎた。身の丈に合わない舞台で身の丈以上に背伸びした。その反動が事後に訪れたに違いない。

 彼女は「でも御璽契約はゴーイの上だよ」と笑う。

 

「合意、というとわし以外の……?」

「そう、帝国小隊の皆。率先してたのは君のとこの副長ちゃんとナッドくん! イルルはお孫ちゃんも同席してたほうがーって思ったけど、ナッドくんが『これは俺たちの仕事だから』って。いやー素敵な話!」

「ナッドが……そうか。自ら……」

「模擬戦で頑張った君に報いたいんだって!」

 

 ソルは上手く経緯を呑み込めないまま呆然とする。

 ──これは喜んでよいことなのだろうか。

 信頼の上で請け負ってくれたのなら喜ぶべきだ。

 求める英雄像たる『非才の身ゆえに仲間の力も借りながらも、先頭を切り拓く英雄』の姿に似ている。帝国小隊総員の意欲も買いたいところだ。彼らが一丸となる姿は、諸手を挙げて歓迎すべきことだろう。

 実益の面から見ても最善だと言える。交渉関連においては迂拙極まる幼女。談合の場では飾り物同然の佇まいだったに違いない。口を開くたびに損害を被るのなら、適材適所の理念に基づき、出張らないが吉だ。

 しかし、己は『六翼』から長を任された身である。

 上の者として背中に感じていた責任の重み。

 それが急に退けられて戸惑いを隠せなかった。

 幼女の心境を他所に、鼓膜には複数の声が響いた。

 

「ストレーズ、俺たちはそろそろ出るが……って」

「ハキムの旦那のご令孫さんじゃないですかい」

「まだ手足が動くなら上等か。見上げた頑丈さだ」

「気骨天晴れ。されども見目痛ましきこと限りなし」

 

 窓を見遣れば、その枠の向こうに男が四人いた。

 彼らには見覚えがある。模擬戦を執り行う際に舞台を形作っていた討伐隊員たちだ。口を開いた順に、左頬から額まで傷痕が目立つ壮年の巨躯、枯葉色の外套を纏った柔和な顔立ちの青年、背に剣を斜にかけた初老の男、詩人風の旅衣を身につけた不惑なる男。

 イルルは彼ら四人に弾けるような笑みを向けた。

 

「あっ眼班(まなこはん)のみんなー! そろそろ出発ー?」

「ああ交代の時間でな。そっちも急げよ。ストレーズたち以外の角班(つのはん)は出発しているから……で、そちらの女の子。ムンダノーヴォ様の娘さんだろ?」

「そうそう、お孫ちゃんが起きたんだよー!」

「あの怪我から二日で回復か。全く、英雄の適性を持つ人間とは度し難いほどに出鱈目だ。我らが『黎明』様にせよ、ムンダノーヴォ卿にせよ──君にせよ」

 

 剣士風の男の眼差しに、ソルは心臓を射抜かれる。

 英雄の適性。その音韻が思いの外に響いてしまう。

 それはソルフォート・エヌマが生涯を通して受け取れなかった評価だった。適性という幸多き方角が己の望むほうに向いていることは稀である。そこから研鑽を重ねられることも、また稀である。ならば他者の太鼓判もなく、明確な結果すら伴わないままに続けるなど──どれだけの愚者が為せるものだろうか。

 凡人は大器晩成という名の範疇からあぶれている。

 生涯を終えるまで、結果を掴めなかったのだから。

 ゆえにこそ、彼の一言を重々しく受け止めた。

 剣士風の男は、真摯な瞳をこちらに向けると。

 

「模擬戦の戦いぶり、実に素晴らしかった」

「嗚呼、まさに『修羅』たる精神。感服極まる」

「俺としちゃ内心ドン引きでしたがね。ハキムの旦那もアンタらも、こんな女の子をボコボコにしようってんだから。ストレーズ先輩とか、あとビエニスの良心派とかが翻心求めてたのにまさか強行するたあね」

「それはもっともだが……あちらは我々と手を結ぶ仲間として来ているのだ。女だ童だと関係がない。あのときは心を鬼にするべきだった。然し……今は」

「……いえ」

 

 ソルは謝罪しかけた男の言葉を切り落とした。

 そうしてわざとらしく「ごほん」と咳払いする。

 

「お気遣い痛み入ります。ですがのう、仰る通りにわしは一人の戦士として挑みましたのじゃ。それで負った傷は自己責任。いっそ誇りでございますゆえのう」

「……童とは思えない殊勝な台詞だな」

「まあでも、ハキムの旦那の孫娘で、その髪で、帝国の次期英雄候補ってんですから。最初から只者じゃないのはわかってましたがねえ。幼にして頴悟。その年齢でこれは末恐ろしい。そんであの根性と立ち振る舞い。ホロンヘッジの阿呆みたいに素直に褒めらんねえですけど、歴戦の風格が漂っていて、まるで──」

「それは買い被りでござりますのじゃ」

 

 幼女として、そんな青年の口振りに抗議しておく。

 自らが老爺という事実だけは悟られてはならない。

 

「わしは普通の幼女です。紛うことなき八歳児ゆえ」

「八歳! イルルの半分じゃんー、若いんだねー!」

「いや若いって段じゃねーだろ十六歳」

「精神年齢が逆なのは面構えからもわかるな」

「なにをー! イルルがお姉さんなんだぞー!」

 

 ──もはやこの二人、突っ込みどころしかない。

 討伐隊四人の言外の訴えが届くことはなかった。

 おもむろに幼女は礼儀作法に則り、両手をつく。

 

「では改めて自己紹介をば。わしの名はソル。帝国軍に拾われ、先の武功で少尉の称号を預かりましたのじゃ。俚俗な喋り方ゆえ奇異に思われるやもしれませぬが、帝国小隊共々これからよろしく頼みます」

「……こちらこそ。この奇縁を大事にしたいものだ」

「いやぁ、この時点でストレーズ先輩負けてるじゃないですかい。こんな立派な言葉遣いとか逆立ちしたってできないでしょう。見習って欲しいですねぇ?」

「君だって言葉遣いテキトーなくせにー!」

 

 イルルの反撃を優男はのらりくらりと躱し続ける。

 ぎゃあぎゃあと、二人の掛け合いは騒々しい。

 異彩を放つ幼女の言動も誤魔化しきれたようだ。

 

「あー、帝国小隊のほうは心配要らないと思うがね」

「奴らは御璽契約時点から討伐に参画している。今日で行動を共にするのは三日目だ。昨晩まで色々と問題は発生したが、それも含めて半ば馴染めている。これには帝国小隊の覚悟やデュナム勢の働きもあるが、やはり一番は君の影響だということに疑う余地はない」

「……わしの」

 

 剣士風の男に見据えられて静かに視線を返す。

 彼曰く「ハキムの孫娘という要素だけではない」。

 討伐隊の六割はビエニス出身の益荒男たちで構成されている。競争社会の生残者たちはその自負があるゆえに、頑固一徹の信念を貫いている。シャイラやハキムでさえ揺るがせない。そんな彼らに存在を認められたからこそ、斯くも穏当に物事が運んでいるのだ。

 幼女の奮闘が尾を引いて、奇跡的に和を成した。

 そう無骨な口調で言い放った彼に男たちは頷く。

 

「ソル。君のことは同志と認めている。あの祝福に嘘はない。君の戦いぶりは心を打つものだった。特に私やここにいるようなビエニスの連中なら……否、この討伐隊に志願した者ならば認めざるを得なかった」

「認めざるを得ない、とは異な言い回しですのう」

「ハハ。傷があんのは顔にだけじゃねぇってな」

(むべ)なるかな。落葉の先、血染めの文は地に還る」

 

 彼らの表情に自嘲めいた感情が影として落ちる。

 刻まれた傷跡には渓谷のような深みが加わった。

 幼女は眉間に皺を寄せ、わずかに身を乗り出すと。

 

「……不躾ながら事情を訊いてもよろしいかのう」

「まーまー、長話にしかりゃしませんしそこら辺で終えときましょうよ。俺たちの予定も遅れ気味ですし、そろそろ出発しませんと交代が遅いってんで、後々ハキムの旦那にもお小言を喰らっちまいます」

「確かに。立ち話の種としてはいささか場違いか」

「だが貴様、以前から思ってはいたが……ムンダノーヴォ卿を馴れ馴れしく名前で呼ぶな。貴様もだぞストレーズ。デュナムの連中は大概そうだが、あまつさえ『黎明』様にも軽薄な呼び方をしているのは……」

「いきなりの被弾!? イルルにも説教なのー!?」

 

 イルルと優男は軽佻浮薄の物言いを窘められた。

 その後は二人の頭が稲穂のように垂れ下がった。

 さしものソルと言え、説教中に水は差せなかった。

 結局のところ、寸間に影を見せた話は雲散霧消し、事情に踏み込む機会は逸してしまった。眼班(まなこはん)と呼ばれた彼らは叱責を早目に切り上げると、別れを告げる時間も惜しむように去っていった。その忙しなさから察せられるが、事実それほど余裕はなかったようだ。

 結果、取り残されたのは相変わらず幼女と少女。

 いまや後者は萎れた花のように顔を曇らせている。

 

「ううー公的な場でもないんだしー……」

「しかし、ベクティス殿を気安く呼ぶのは如何なものかと思いますのじゃ。手に手を取り合い『根絶』討伐を志す同志であれど、友達関係とは異なりましょう」

「お孫ちゃんまでー……うう、考えとくんだ」

「ただハキムのほうは如何様にでも呼んでよいかと」

「いいんだ!? これが家族の距離感……」

 

 ──誰が家族じゃ誰が。腐れ縁関係じゃ。

 本音を胸中に仕舞い込んだとき、ふと思いつく。

 

「ついでにわしへの呼称も改めて欲しく存じます」

「君への呼称? お孫ちゃんっていうやつ?」

「はい。いささか……き、き、恥ずかしく」

「あーだよねえ。ダイジョーブ! ハキムのお爺ちゃんから事情は聞いてるよ。たしか、二人はイキワカレで、君のほうはまだ実感があんまり追いついてないーとか。慣れてなくて恥ずかしがるかもって」

 

 ──あやつも相変わらず気の利く男じゃな。

 ソルは入念な根回しに嘆息する。舌先技術のない凡人のためだろう。聞けば、彼は模擬戦の行われた日の晩に時間を取ってソルとの事情を語ったそうだ。討伐隊と帝国小隊の衆目を浴びながら、シャイラにも話して聞かせた嘘八百を。そこに、幼女がうっかり口を滑らせても修繕が効く程度の補足を入れたようだ。

 思えば、彼の口先には幾度も窮地を救われた。

 それと同様に足を掬われたことも幾度もあるが。

 とりあえずじゃ、と咳払いで執りなした。

 

「わしのことはソルと呼んでいただきたいですのう」

「うーん。ソルのお孫ちゃん、とかじゃダメ?」

「それではわしの子孫を指しているようじゃな。そもそも、ぬしの呼び方は奇妙にすぎます。なぜに家名のほうを呼ばぬのです。ベクティス殿のことはベクティスのお姉ちゃん、が正しいのではないでしょうか」

「イルルもねー、フツーだったらそうするんだけど」

 

 少女は転瞬「二人は特別なんだ」と目を泳がした。

 

「本人に聞いたコトないし、勘違いかもしれないんだけど『家名で呼ばれたくない感じかな?』ってホント何となく思ってねー、気をつけてただけなんだ」

「ふむ。家名に曰くがあるやも、と」

「あー、イルルの感覚の話だからあんまり真に受けないよーに。君にはそういうのなさそうだけど、というか家名自体ないし『ソルちゃん』って呼んでもいいんだろーけどねー、うー。君にしっくり来ないんだー」

「しっくりも何も、わしの実名なのじゃが……」

 

 イルルの感覚的な違和は話半分に聞くべきだろう。

 ちなみに迷うこと暫し、決議案は『ルーちゃん』となった。この簡素な呼称に至るまでには紆余曲折があった。「マゴ=ヨージョちゃん」「ソル=シロ=オマゴちゃん」「マッシロマシロちゃん」「ケンシュラちゃん」等々、少女には命名に関しても独特の感性を持っていた。最終的にはソル自身が提案した「ルーちゃん」なる適当な渾名に収まったという経緯がある。

 しかし、無難な意見を通すには一つ代償を要した。

 

「さあ、イルルのことはお姉ちゃんと呼ぶんだ!」

「……やはり呼ばねばなりませんのじゃか」

「イルル的には『マッシロマシロちゃん』一強だったんだけど、君がどうしてもってゆーからルーちゃん呼びを採用したんだからねー? ほらほら頑張って!」

「ど、努力させてもらうのじゃ。お……姉ちゃん」

「あー、もう、ルーちゃん可愛いんだー!!」

「……抱きついて頭を掻き回さないで欲しいのう」

 

 そして少女の指以外に、猛烈な痒みを覚える。

 齢にして六十半ば。人生で初めて「お姉ちゃん」と口にする抵抗感が駆け巡っていた。生涯を通じて形成されていた常識の殻が身体を傷つける。単語自体を拒むような感覚。それは幼女を演じる際に大なり小なり自身を苛むものだったが、今回は比類ない強烈さだ。

 一方、少女は得意げに人差し指を突き上げる。

 その挙動からは年長の気配が皆無に等しかった。

 ただ姉気分に浸りたいらしく、気炎を上げている。

 それは、腕を振り回し始めた様子からも窺えた。

 

「ようし、気分も上がってきたところで! ルーちゃん、いま何か聞きたいことある? イルルは討伐隊の代表者さんだからね、今回の討伐のことに対してすっごく物知りさんなんだよ。気になることがあれば、なんでもこのイルルお姉さんが教えてあげるんだ!」

「……では、幾つか問うてもよろしいかのう」

 

 現時点で最も気にかかる不明瞭な点は目前にある。

 イルルたちの存在自体、と言い換えられようか。

 

「まず、ぬしたちはデュナム公国軍、ハキムたちはビエニス王国軍ですじゃろう。そしてあの報告会での役回りや言動を見るに、此度の『根絶』討伐隊はビエニス主導のものと睨んでおりますが、どうでしょうか」

「うんうん。間違いないんだ!」

「ではなぜにデュナムが参画しているのでしょう?」

 

 ビエニスとデュナムは表向き、同盟関係にない。

 デュナム公国は大陸の僻地で産声を上げた。

 それから現在に至るまで目立った活躍はない。浅い歴史、ささやかな領地には緑ばかり。特産品に目を惹くものはなく、国名を知らしめるほどの大英雄はおらず、国境を跨いだ人の往来も並程度。しかしデュナムは『天下の弱兵』なる悪名で大陸に名を轟かせた。

 惰弱なものを喩えて、彼らの名は頻繁に使われる。

 前向きな慣用句を取り上げるならば『肩組みひとつでデュナム人でも盾代わり』がある。たとえ散木であれど束ねれば相応に役立つの意である。だが『脳味噌足らずのデュナム人は頭数だけ』とも言う。大愚が雁首を揃えたとて、塵の山に等しいの意である。

 悪しき言い回し極まるが、何も流言飛語ではない。

 どれも元となる逸話が実際に存在しているのだ。

 鮮烈なものと言えば、数年前の騒動が挙げられる。

 

(まあ、傭兵間で広まった噂じゃが)

 

 ──デュナム公国が援軍を送り込んだときのこと。

 その戦地では苦戦が続いていた。消耗戦の色も見え始め、絶望感が漂っていた。ゆえに援軍の知らせを耳にしたとき軍兵は大層な喜びようだったそうだ。遂に到着予定日を迎え、一日が過ぎ、二日が過ぎ、されど援軍の姿は影も形も見えなかったという話である。

 このときの顔色の翳りようは想像に難くない。

 結局、援軍は遅れ馳せること三日後に到着した。

 何があったのかと聞けば、曰く「すまん。美味そうな実のなった木があったもんでな。たらふく皆で食ってたら援軍命令忘れちまってヨ。気づけば首都に引き返してたネ」と、公国軍を率いていた男──デオグレット・ヴォルケンハイムは悪びれず答えたらしい。

 能天気にして陽気、脳内お花畑の生きた標本。

 その形容こそがデュナム人に対する一般論だった。

 

「あーまー不思議だよねー。うちの国はデオたいしょー以外だと有名な英雄さんもいないし、そこまでハキムのお爺ちゃんのトコと仲いい感じもないからね。帝国小隊の皆からも『何でー?』って言われたんだー」

「やはり関係が不明瞭ゆえ奇妙に思いますのじゃ」

「資金難ってヤツなんだよ。世知辛いんだー」

 

 イルルは瞑目し、虚空で指先をくるくると回す。

 公国は深刻な財政危機に直面しているらしい。

 その原因と言えば、今世紀最高の暗君の呼び声が高い、現デュナム君主の浪費癖によるもののようだ。これを補填するために『根絶』討伐隊の一翼を引き受けたという。つまり彼らはビエニス王に金銭で雇われている立場であり、任務失敗は破産を意味している。

 陽気な言動の裏で国家の安危がかかっていたのか。

 少女は目を逸らして人差し指の先同士をくっつけ。

 

「もちろんね? イルルたち以外だって色々資金集めで頑張ってるんだけどー、結構カンバしくないらしくて。でもビエニスの王様がすっごく羽振りよくて、いつの間にかこの任務がお国回復の柱になっちゃって」

「『根絶』討伐の浪漫に惹かれたわけではなく?」

「あはは。ごめんね? きっかけは現実的にお金が目的だったんだー。でも、ずっと一緒にいたら皆のことが好きになっちゃって、いまは討伐自体にも意欲アリアリ! それはデュナム側のソーイってやつだよ!」

「では、ストレーズ殿……ストレーズお姉ちゃんは」

 

 ソルは律儀な幼女であった。

 その報酬とばかりに少女から頭を撫で回される。

 

「うんうん、イルルはお姉ちゃんなんだ。そして?」

「……はい。お姉ちゃんはビエニス側の事情を何か知っておりますのじゃか、と尋ねたく存じます。彼らの『根絶』討伐を志す理由も、ひとえにビエニス王から下賜された任務ゆえ……なのじゃろうか。それとも」

「うーん。イルルが言っちゃダメなやつなんだよね」

「何やら込み入った事情があるのでしょうかのう」

「そんなことないんだけど──とと、来たみたい」

 

 頷きを返した矢先、医務室の木扉が叩かれた。

 イルルは耳をピンと立てて振り向く。彼女の口ぶりと機敏な反応からは、まるであらかじめ呼んでいた人物の来訪を待ち侘びていたような印象を受けた。

 幼女は戸惑いを露わにしつつ、少女に手を伸ばす。

 

「その、ストレーズお姉ちゃん。来た、とな?」

「あっまだ説明してなかった! えっとね、ちょっと遠回りな話なんだけどね、実はルーちゃんとイルルは討伐隊のなかじゃ同じ班なんだ。君が眠ってる間に決まったことで急な話だと思うだろうけど、君とイルルともう一人ってゆー三人組でこれから一緒に作戦行動するんだ。で、いまその最後の人が来たかなーって」

「要するに『これから共に行動する仲間が来た』と」

「よき理解! じゃ入ってどうぞーっ!」

 

 木扉は軋む。イルルに促され、緩慢に開いていく。

 屋外の光を連れてきたのは──青蛾の女だった。

 歩くたびに紫紺の髪が二房、腰付近で揺れ動く。

 その毛先で腰に帯びた長大な鞘を擽っていた。

 

「……貴女は」

「おはよー、ほらほら見て! いまね、この子が目覚めたトコなんだ! 体調は大丈夫だから安心して。身体の傷も塞がってるし、前みたいに慌てなくてヘーキだよ。さっすがハキムのお爺ちゃんの孫だよねー!」

 

 少女は橙の毛を揺らして、鼻高々に言ってのけた。

 それに頷きもせず──女は悠然と立ち止まった。

 その女の美貌は、幼女の鈍い感性でも理解できる。

 たとえば彼女の藍色の目元や口許には、濃い憂愁が宿っている。それらは明眸や花唇、雲鬢といった美人の形容と反していて、人間的な生命の美など感じられない。見るだに血が通っているか怪しい素肌や細腕は不健康そのもの。だが最終的に「影のある麗人」という心境に落ち着かせるあたりに恐ろしさがあった。

 精巧な造形美で感性を捻じ伏せているかのようだ。

 彼女こそはあらゆる畏怖と憧憬を受ける大英雄。

 

「ベクティス殿。拝謁、久方ぶりでございのじゃす」

「時々訛り方すごいねールーちゃん」

「卑俗の生まれゆえ御寛恕いただきたいのです」

 

 見紛うはずもなく彼女は『黎明の導翳し』だった。

 ソルを公衆の面前で滅多打ちにした当人でもある。

 だが、幼女はひとまず胸を撫で下ろした。

 

(よかったのじゃ。あの模擬戦でベクティス殿が気に病んでおったら申し訳が立たんかった。元を正せば、わしの無理を通してくれた御方じゃからのう)

 

 あのとき、模擬戦終盤に見せた錯乱状態。

 ハキムは流すように「心配せずともよい」と言い添えていたが、尋常ならざる彼女の容体を案じないはずがなかった。だが見る限り顔色に異状はなく、羽織っている軍服や軽鎧には戦闘の痕跡すらも窺えない。

 どうやら真に平静を取り戻せているようだ。

 

「とゆーか、話し方が固いよルーちゃん! 仲間なんだし、もっと砕けてもいいんじゃない? これから一緒に行動するんだし、タニンギョーギすぎるよ」

「先ほどはそれで叱責を受けたばかりでは……?」

「ふふん。こーゆーのはアンバイってゆーんだよルーちゃん。ほらよく言うでしょ『ハンパトアンバイハセナカアワセ。リョーリモカゲンガヒツヨウダ』って」

「……初耳です。無知に恥入るばかりですのじゃ」

「あの、その……」

 

 静かな小声は掛け合いの寸間に染み入った。

 シャイラの控えめな瞼が、遠慮がちに上げられる。

 そうして、こちらの姿を捉えるや否や──。

 

すみませんでし(・・・・・・・)()……!」

 

 ぶわりと、目元に豆粒大の水滴を溢れさせた。

 涙堂に溜まったそれが決壊し、滂沱と流れ始める。

 ソルがそれで呆気に取られた瞬間だった。勢いよくシャイラの頭頂部がこちらに向く。足腰で為す角度は直角すら越えて鋭角に至る。張力で丸まって真珠めいた涙が空中に散らばると、二尾の紫紺が反り返る。

 幼女は常軌を逸した光景を徐々に飲み込んでいく。

 表面的に受け止めれば、彼女は謝意を示したのだ。

 泣きながら頭を下げて──許しを乞うように。

 

「……申し訳ないです。私のせい、で」

「ちょっ!? ちょっと、シャイラのお姉さん!?」

 

 青天の霹靂。その形容が過言ではない事態である。

 仮にも一国を背負う大英雄のすべき態度ではない。

 尊崇の眼差しを砕き、敬慕の念を凍らせてしまう。

 そもそも、何に対する謝罪なのかも不明瞭だった。

 イルルすら口をあんぐりと開け、呆然としている。

 

「ストレーズお姉ちゃん。これは一体……?」

「……うーん。お説教案件、なんだ」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 数分後。扉を厳重に閉めきった医務室にて。

 ローブ姿の少女が腕を組み、仁王立ちしていた。

 彼女の内心の意気込みは鼻息の荒さに現れている。

 その紅い目線は寝台同士の隙間たる手狭な床、そこに座している妙齢の女に向けられていた。項垂れ、脚を折り畳んだ姿には物悲しさを感じるばかりだった。

 幼女は戸惑いつつも寝台の上から傍観している。

 

「もー、ハキムのお爺ちゃんも口酸っぱくして言ってたでしょー! 簡単に頭は下げちゃダメ、君は四大将の一角なんだから。お姉さんの頭がお買い得になったらビエニスの皆にシメシつかないでしょー! イルルたちの公王のテレミンせんせーも、あんな銅像建てて国庫を食い潰したって頭下げなかったんだから!」

「あの、それは……それで、問題です、けど」

「ホントにそーなんだけど! だからイルルたちがここにいるんだけどっ……うー話が逸れちゃった。いまはシャイラのお姉さんの話なんだ!」

 

 イルルの柄にもない叱責は依然として続く。

 その焦点は、シャイラの非常識ぶりに絞られた。

 先刻は少女の非常識が咎められていたが、翻然と立場が上方に変わっている。それだけシャイラの奇行が抜きん出ていたということなのだ。風儀のよろしくない幼女ですら困惑を隠しきれなかったほどである。

 これを巻き起こした当人は顔を伏せつつ呟いた。

 瞳に涙の残滓を溜め、影を含んだ紫紺を揺らす。

 

「でも、私、もしハキムさんがいなかったら……ソルちゃんのこと。串刺しにして、ました。本当なら駄目なんです。謝るだけじゃ足りない、です。だから」

「だから、じゃないよー。君はもっとジブンってのを見なきゃ! ごめんなさいするなら考えてって、ハキムのお爺ちゃんにだって注意されてたでしょー」

「あ、あー。わしは気にしておりませんゆえ……」

 

 どうやら彼女は模擬戦のことを詫びているらしい。

 第一に、ソルを散々痛めつけたこと。第二に、そもそも彼女の指名を受け入れてしまったこと。第三に、終幕間際で禁を破って剣の針鼠にしかけたこと。訥々と後悔の内容を舌に乗せ、更に背を曲げていく。

 一方、幼女はひどく落ち込んだ。いずれも好意的に解釈していた事柄である。容赦はあれど遠慮のない剣撃で迎え撃ってくれたこと──無謀な指名を受け、舞台に上がってくれたこと──この二つに関しては、ハキムの孫という配慮が介在したにせよ、曲がりなりにも戦士の線引きに入れた証拠だと思っていた。

 しかし、シャイラ本人から直々に訂正された。

 

(わしは……あの一戦に誇らしさすら覚えていた。四大将と対峙できたことは剣士としての誉れ。それも努力の英雄との対峙。英雄愛好家としても誉れで──)

 

 だが、シャイラはあの模擬戦の意義を否定する。

 あれは自らの過ちで、偽りない罪なのだと。ゆえに贖罪か断罪かを被害者に乞うているのだと。当然その行為の疎漏は自覚していたが、立場をかなぐり捨てた姿勢を取るほどに悔いていたと──彼女自身の釈明を噛み砕いてはみたが「浅薄」の一言で切り落とせた。

 まず、高みからの過度な謝罪はその用を成さない。

 それは許しを乞う意味を飛び越え、ただ受け取り手を恐縮させるだけの奇行と化す。ともすれば暴力にも等しい行為なのだ。たとえ曇りなき悔悟だけを胸に秘めていたにせよ、自らの良心の呵責に耐えきれなかったにせよ、方法を誤ったことは疑うまでもない。

 そして何よりソルを落胆させたのは彼女の態度だ。

 これは同胞ではなく、庇護対象に対するそれだ。

 

(否、それも当然かのう。わしは小狡く立ち回るばかりで、正面から押し通ったわけではない。無力感すら覚えるに能わず。元よりあの一瞬にハキムの横槍が入った時点から、これがベクティス殿に認められる機になり得ないと悟っていたがのう……口惜しさは残る)

 

 自らの力不足にはただただ臍を噛むしかなかった。

 それを他所に、イルルの叱責は打ち切られていた。

 少女は額に手を当て、すとんと寝台に尻をつく。

 

「まー、お説教はこのくらいにしとくよ」

「はい。ごめんなさ、い。また勝手なこと、して」

「いやいやー。イルル的にはその気持ち自体すごく立派だと思うんだ。だから気にしないで! 一応これもハキムのお爺ちゃんから頼まれてたことだし」

「……ハキム、さんから?」

「そーそー『二人の面倒を見といてくれや』ってね」

 

 ──ふふん、お姉さんは色々頼られてしまうんだ。

 少女は満更でもなさそうに頬を掻き、片目を瞑る。

 実に恰好のつかない背伸びである。年長者の気配は依然として薫らない。心身両面の年齢を秤に乗せ、片側にソルとシャイラの年齢を乗せども、少女が釣り合いを崩す要因にはなり得ない。見目年齢ではシャイラより下、実年齢ではソルよりも遥か下なのだ。

 落ちた転瞬の沈黙が少女以外の総意を示していた。

 

(では、次はわしの出る幕……ということかのう)

 

 ソルは底冷えした空気を吸い、肺腑に巡らせる。

 下方から這うような視線が送られてきていた。一種の期待を含んだそれに小さく身震いする。第三者から一通り叱責を受けたのだから、最後は当事者に裁定する役所が回ってくることは自明の理だった。

 目を遣れば、雨曝しの子犬を思わせる女がいる。

 

「……ベクティス殿」

「ごめんな、さい。そんな風にしてしまっ……て」

「貴女に非はございませぬ。むしろ、わしのほうこそ詫びなければならぬ身でございますのじゃ。心をかけられた側でありながら、構わず我を通し──」

「そんな、こと……!」

 

 シャイラは涙滴を散らし、勢い立って面を上げる。

 

「だって、痛くて、苦しい思いをさせて……」

「元よりわしが剣士として望んだものですのじゃ。痛苦は覚悟の上でございます。それでも、あのとき貴女はわしの不躾な挑戦を引き受けてくだすった。そこに対する張り裂けんばかりの好感はあれど、恨みなぞと抱く謂れもございませぬでしょうのじゃ」

「でも……それじゃ私は」

 

 ──私が、許せなくなってしまい、ます。

 落葉めいた目線は空中を泳ぎ、最後は地に落ちた。

 憂愁の面差しからは、感情の決壊を土俵際で堪えているように感じられた。彼女の腕は緩く曲がり、ぴたり閉じた太腿に収められている。両手指はその場に蹲って布地に皺をつくっていた。その谷間の深みにこそ小心翼々とした彼女の態度の頑強さが窺えた。

 ソルはひとつ息を漏らしてイルルに目配せする。

 ──お姉ちゃん、何やら秘策はござらぬですか? 

 ──ふふんお姉ちゃんです。秘策はないけど。

 少女は鼻を膨らませて偉ぶりながら頭を振る。

 

(な、何かないものかのう……)

 

 態度と回答の不一致に惑わされつつ困り果てる。

 これで一縷の望みも潰えてしまった。ソルとしてはイルルと共同で懐柔したかったのだが、元より可能ならすでに手を打っていただろう。根本的な解決策が必要、という見立ては彼女と一致しているらしい。奔放な大英雄の自責の念を破り、気を晴らす方法が──。

 そこで不粋な手拍子がぱちんと思考を打ち切った。

 音の主は、先ほど助けを求めたイルルだった。

 

「あ、そーだルーちゃん。いま思いついたんだけど、ここはシャイラのお姉さんにお願いを一個きいてもらうのはどうかなー? こーゆーのはめったにない、センザイイチグーのキカイってやつだと思うよ!」

「お願い……ですかのう。しかし……」

「ほら、シャイラのお姉さん的にはどー?」

「ください。私にできることなら、何でも」

 

 はたと足元を見れば、ずいと迫るシャイラがいる。

 思わず尻で後退った。彼女の深藍の瞳からは涙の雨雲が拭い去られ、ただ残照のような期待感を浮かべられている。それは艶冶なる所作に似つかわしくない奴婢めいた体勢から向けられたものだが、不思議と卑しさは覚えなかった。さしずめ美貌と卑屈が背馳せずに同居しているとでも言うべきか、馴染んでいるのだ。

 普段も淑女にあるまじき姿勢なのかと疑いかける。

 

(しかし、何にしても状況は打破されたのじゃ)

 

 ソルはその立役者に感謝の眼差しを向ける。

 その当人はこちらに這い寄るシャイラを牽制し、ちょうど二人の間に割り込んだところだった。首を反らして密かに片目を瞑ると、去り際に囁いてくる。

 ──キューバジタテだけど妹分は助けないとね。

 

(心よりの感謝をストレーズ殿に捧げよう)

 

 ハキムから二人の目付役を見込まれただけはある。

 加害者の罪悪感を打ち消す手段は幾つか存在する。

 ひとつは実際に罰を与えること。もうひとつは被害者の一助となること。そのための代償は度外視で、むしろ失えば失うほど罪悪感は希釈され、一息で酒とともに飲み干せる程度には誤魔化せる。何にせよ加害者が『罪を償っている』という自覚さえ持てればよいのだ。畢竟、許しとは自らが自らを許容できるかだ。

 先ほどのイルルの提案は後者だった。これならば主戦力の大英雄に無闇な罰を与えて討伐に支障を来すこともなく、ソルにも役得が大きい。討伐隊全体としても各個人としても、都合のいい交換条件である。

 願いを叶える代わりに模擬戦の不始末を水に流す。

 そうなれば、自ずと願いはひとつ答えに集約する。

 ──わしの、ベクティス殿への願いは。

 

「もう一度。再び剣を交えてはくれませぬか」

「え。でも、それは……」

「次こそ遠慮無用、心胆震わす真剣勝負を。その剣には貴女を貴女たらしめる悉くを込め、この剣にはわしの持てる全霊を注ぎ、刃を交えたく存じます。此度の模擬戦では力不足から醜態を晒しましたがのう、今度は貴殿の元まで届かせましょうぞ」

 

 シャイラの期待に満ちた表情はそれで剥落した。

 彼女が言い淀むのも無理はない。なにせ模擬戦のことすら悔いていたのだ。あまつさえ生死のかかる真剣勝負。怪我をさせた代償にそれの死を要求されるなどと道理に背く話ではないか。腑に落ちないだろう。

 ソルの精神性を知らねば──夢という悪疾に犯され抜いた本性を知らねば、端倪すべからざる願いに響くに違いない。英雄を渇仰しながらも賞翫し、不遜にもその彼方に手を伸ばす不心得者。彼女もまた模擬戦に対して悔いを残していたのだ。今更、気づかされた。

 まだ、憧憬の先に立つ英雄に認められていないと。

 シャイラは正気を確かめるように問うてくる。

 

「……本気、なんですか」

「頭から真剣に申しておりますのじゃ」

「次は──殺して、しまうかも。悲しみ、ます」

「ハキムなら勝手に悲しませておけばよいのです」

「それは……だめです。だって、もう」

「それとも」

 

 問答を一言の下に切り伏せ、身を乗り出す。

 

「この幼い願い。跳ね除けてしまいますかのう」

 

 シャイラはその言葉に唇をぎゅっと絞った。

 無責任に「私にできることは何でも」と請け負ったことを後悔しているのだろうか。だが彼女はもはや願いを唯々諾々と受け入れる身だ。導翳しとあろう大人物が軽率に前言を撤回することはないだろう。つい数分前に少女からこってり叱責を受けたばかりなのだ。

 ゆえに幾度も葛藤を重ねても、結末は変わらない。

 

「……やはり、あなたは度し難い狂人、です」

「褒め言葉として受け取りますのじゃ」

「そう……これは、褒め言葉、です」

 

 シャイラは諦めたように言い、立ち上がった。

 そして腰に帯びていた長大な鞘ごと引き抜く。

 

「わかり、ました」

「それはつまり」

「いつか。いつか必ずです。約束しま、しょう」

 

 ソルは歓喜のあまり思わず喉を鳴らした。

 シャイラは鞘を手ずから取った。金打(きんちょう)の作法だ。

 金打とは主にビエニス周辺地域──大陸南西部に伝わる誓約法である。互いに一番大事な品物を打ち、音を鳴らすことで約束の履行を誓うのだ。婦女子の多くは鏡を、魔術師は杖を、武人同士ならば己が命を預ける武具をもって『その誇りにかけて約定を果たす』という意志の下、音を合わせると聞いたことがあった。

 今回は互いに剣士だ。己の剣を鳴らすことになる。

 鞘から一寸ほど剣を抜き、戻す際に音を立てる。

 これを示し合わせて行えば、契りとなる。

 

「…… と、流儀自体は心得ておりますものの」

「あ、その、ソルちゃんの剣、鞘は……?」

「生憎と元から存在しておりませぬ。なれば」

 

 ──この流儀で結ばせて貰いたく存じますのじゃ。

 ソルは剣から包帯を剥いでいく。覆い隠されていた剣身が外気を待ち侘びてか、身震いするような感覚がした。あるいは望んだ戦を予定に据えられたことに武者震いしているのか。もしや単なる錯覚か。ある西方の地域ではむかし「剣は使い手の鏡」という言説があったが、彼らがそう信じる理由も理解はできた。

 この身が老骨となるまでに幾度かそう錯覚した。

 しかし、相変わらず彼女は明確に否定してしまう。

 剣は美しい。ゆえに使い手の心の鏡ではない。

 これは「剣士たる者こうあれかし」という見本。

 剣士の極点に立った者のみ『己が鏡』と言えると。

 

(わしは言えぬ。一人前どころか半人前のわしでは)

 

 緩く開いた手に、一糸纏わぬ艶やかな刃を乗せる。

 かれこれ数十年振るった馴染みの剣だ。いまだこれに見合う英雄になれず、持て余してやいまいか不安に駆られることも一度や二度ではなかった。これを打った鍛治師曰く「これはアンタの剣」とまで買い被られたが、果たして未来の姿はその想像通りだろうか。

 きっと失望するはずだ。だからこれも脱却の一歩。

 ソルは諸手で握った剣の鋒を、直下の床に向けた。

 

(これは、わしの身に余る高潔なものじゃが)

 

 ──両手で得物を掴み、地に突いて音を立てる。

 これは大陸西部、騎士の一騎討ちに則った作法。

 その発祥を辿れば、武人同士の誓約が源流だ。履行を誓う場には適していると言えよう。ただ幼女が行える礼節は少なく、消去法で絞られた結果だが。

 幼女は確認の意を込めて上方の美貌に目を遣る。

 

「よろしいでしょうか」

「もちろん、です……ソルちゃんは物知りです、ね」

「いえ、流石ベクティス殿もよくご存知で」

「……本を読む時間は、多かったんです」

 

 そこでシャイラは一息を吹き、粛然と場を整える。

 これは子供の指切りではなく武人同士の契り。

 単なる幼子という認識を覆す足掛かりには十分だ。

 

「剣士としての誇りにかけ、約定は違えぬと──」

「導翳しとしての矜恃にかけ、約定は違えず──」

 

 その一瞬。互いに視線を交え、相手の覚悟を問う。

 女は立てた黒塗りの鞘からわずかに剣身を晒した。

 透徹した剣身。その内側を毛細血管めいた紋様が這っていた。否、紋様ではなく文字だ。きっと魔術的な効験を付与した魔剣だろう。模擬戦では目にすることも叶わなかった一振りを凝視したかったが、意を決して打ち切る。また目にする未来に興奮を預けておく。

 幼女は瞳を閉じて、ただ一言に万感を込めた。

 

「誓うのじゃ」

「誓い、ましょう」

 

 かちり──と、室内には音がひとつ転がる。

 こうして、武人同士の約束事は確と結ばれた。

 もちろん魔術的な制裁のある御璽とは違う。ゆえに重い。剣士の魂である剣に誓った望みを違えれば、それは誇りを捨てると同義。誇りなき非人の烙印を押されるは生涯の恥である。ならばこの約束はいつか必ず果たされる。ソルにはそれが楽しみでならない。

 ほうと息を漏らす。なんと心地よい気分だろう。

 潮が満ちていくように静寂が足元から浸していく。

 だが、その余韻を味わう時間は長く続かなかった。

 

「それじゃこれで一段落だね! よかったよかった」

「……あの、その、一緒に止めてくれて、たら」

「いやー提案したのイルルだし止めづらくって」

「ストレーズお姉ちゃん。感謝の至りにございます」

「それにー。イルルはお姉ちゃんなんだしー」

「わ……私が来るまでに、何が」

 

 ──全くでございますのうベクティス殿。

 幼女は声を漏らさず静かに首肯する。その間にイルルから肩を掴まれて身体を抱き寄せられていた。抵抗しづらい立場上、為すがままにされざるを得ない。

 シャイラが辟易するように後退り、閑話休題。

 現状整理の題目で、三人は顔を突き合わせた。

 

「まあこれで、みんな打ち解けたということで!」

「然りのじゃすな。そして確か……わしを含めこの場の三人が班員と言っておりましたのう。『根絶』討伐のため、我々は如何に動けばよろしいのでしょう?」

「うんうん、それが本題なんだけど、どーしよかな」

「段階踏んで、ちょっとずつ。行きましょう」

「だね! 目標は『根絶』討伐! とゆーことで」

 

 ──それにあたって色々確認しとこっか!

 イルルは思案の方向に目を遣り、下顎をなぞった。

 

「ルーちゃんは獄禍のことってどこまで知ってる?」

「人並程度には。帝国小隊は元より獄禍討伐を理由に集められましたがゆえ、基本的な情報は押さえておるつもりですのじゃ。他の小隊員は幾度も討伐しておると聞いておりますが、わしともう一人は初めてで」

「なるほどなるほどー。じゃあ『根絶』のことは?」

「英雄譚でその巨影を見る程度、ですのう。なにぶん物語で打倒されたことのない怪物。どうしても語り手から脇に置かれる存在でしたゆえのう」

「まー、お伽話で倒されてたらよかったんだけどね」

 

 ソルは生前に溜め込んだ知識を掘り返す。

 原罪の獄禍。彼らのうち特筆すべき個体は三体。

 『根絶』『反転』『至高』。万人は口を揃えて「名を呼んではいけない」と言うだろう。名を口にすれば呼び水となって寄ってくる──と、そう畏怖される所以はその広大な行動範囲にあった。他の四体が自ら定めた根城で蟠踞しているからこそ、異質だった。

 記録上、彼らの侵攻を受けた地域に偏りはない。

 東は帝国の下端グレイ地方、西はラプテノン王国の国境付近、北はセレスニア共和国の首都カーディア、南はビエニス王国の第三位都市サルドナ。気の向くままに東西南北を闊歩する。さしずめ生きた災害だ。

 この三体のうち『根絶』の被害は最たるものだ。

 

「まず『根絶』。その特徴は──って言いたいケド」

「あまり……断言、できない、です。支持してくれた国の文献も総出で探しても……矛盾の多い、憶測や推理ばかり、で。信頼できる資料が、少なくて」

「それは……噂に聞く、霧のせいですかのう?」

 

 イルルは頭巾の縁を揺らし、夕陽色の髪房を零す。

 

「そうそう。だけど実際には霧じゃなくてマナ(・・)。『根絶』の周囲には霧状の濃ぃーマナが覆っててね、それが本当に厄介なんだ! あんな濃いと魔術は掻き消されちゃうし、すごく身体にも悪いし」

「内側に、行くほど……物理的にも、消されて」

「霧の外から遠距離でどーんってのも難しいんだー」

 

 マナ。大気中に漂っているとされる魔力の総称だ。

 ソルには魔術に対する学はない。ゆえに説明を聞いて連想したものは在りし日の記憶だった。そのとき雇い主だった妙齢の魔術師からの零れ話として。

 ──本質的に、魔の文字通りに魔力とは毒だ。

 ──我々は少なからず毒を含んで生きている。

 ──私などは嬉々として身体に回しているがな。

 

(当然、いまもわしたちが肺に取り込んでいる程度の濃度ならば人体に害はない。しかし、件の霧のマナ濃度は大気のそれを遥かに越しておるようじゃな)

 

 曰く「『根絶』が放出する霧は攻防一体を為す」。

 高みにある舞台は大根役者を箔だけで圧倒する。

 隔絶したマナ濃度はそれに見合わない魔術強度のものを触れた途端に打ち消して(・・・・・)しまう。魔術強度とは文字通りに魔術の耐久性のことだ。それはどれだけ緻密に編まれたか、どれだけ濃密、高純度な魔力で編まれたかで左右されるらしい。これが高ければ高いほどに外的要因や内的要因で崩されず、掻き乱されない。

 しかし、生半可な強度では打ち消されてしまう。

 

(ふむ。圧力のようなものなのじゃろう)

 

 以上の説明を受け、ソルは門外漢なりに咀嚼する。

 たとえば深海。そこでは水圧に耐えるだけの強度がなければ潰されてしまう。同様に『根絶』の霧は魔力的にも高圧であって、霧を抜くためにはそれらを凌ぐだけの耐久性が必要だと言いたいのだろう。だが討伐に通暁している彼女たちの語調は現実的と考えていないそれだった。何にせよ正面突破は困難なのだろう。

 これを大前提に置けば、突破方法は限られる。

 

「打倒するには霧をまず払わねばならん、と?」

「カンがいいねえルーちゃん! 大正解なんだ!」

「でも、難しいです。ただの霧なら……強風や気温を上げれば……払え、ます。でも、超高密度のマナを物理的に払うことは現実として難しい、です」

 

 シャイラは深青色の目線を控えめに側める。

 

「……他の方法として、魔力の特質を利用することも考えまし、た。魔力は編んで固めなければ、大気のマナに希釈されて、徐々に溶け出していきま、す。けど『根絶』は体表から霧状のマナを噴出します。濃度が薄まる前に補充、常に維持され、てしまい──そのままでは私たちの、突破口足り得ませ、ん」

「この永続的な循環を前に……如何に討伐を?」

 

 ソルが純粋な疑問を投げかけると、首肯した。

 

「……魔力を補給する根本を断ち、ます」

「根本。どこかに補給元がある──のですかのう」

「はい。『根絶』と繋がった……獄禍たちで、す」

 

 そこで討伐隊が着目したのは魔力収集用の獄禍だ。

 当然、霧の生成には莫大な魔力を必要とする。生半の魔力供給ではすぐに枯渇してしまう。そのため『根絶』は二十体もの獄禍を従えているという。彼らは地理的にマナの吹き溜まりに派遣され、『根絶』と繋がった補給管を通し、収集した魔力を本体に供給しているようなのだ。これを断ちきり、霧を突破する。

 これを耳にした幼女にも思い当たるものがあった。

 

「もしや、ジャラ村に鎮座しておった獄禍は──?」

「あーハキムのお爺ちゃんが倒したやつかな? 君たちが帝国の『六翼』の人に受けた任務の? それならそーだよ! イルルとハキムお爺ちゃんで行ってね」

「なるほどですのう。目的物は同一でしたのか」

「本当に、運命みたいな……」

 

 シャイラの呟くような声色の残滓を掻き消し──。

 少女は朗々と「そんなわけで!」と宣言した。

 

「これからイルルたちがすることは『魔力を集めてる獄禍を倒しにいくこと』なんだ! 明日中にはまたここに帰還する予定だから、ルーちゃん! 身支度を済ませたらすぐに出発するよー!」

 

 ローブの裾を翻して、人差し指を天に突き立てる。

 

「いざ、怪物退治なんだ!」

 


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