修羅幼女の英雄譚   作:嵯峨崎 / 沙城流

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8 『随に漂う小舟』

「実際……こいつらを生かして得はあるのか」

「まァ、ガラクタってことはないでしょうけど」

「問題なのは、生かすだけの費用を払った上で、なおも釣り銭が返ってくるかだがな」

「商人めいた物言いはお手の物だね、手前」

「皮肉か? とりあえず最初に言った通り、こっちはバルバイムに賛成。扱いが難しいだけだからな」

「えー! 嘘、こっち側の人すくなくないー!?」

「ありがとうございます。それでは次──」

 

 ──都合のいい幻想は脆くも崩れ去った。

 議論の皿上に乗った、帝国小隊の処遇。

 そこに討伐隊の各々が手を伸ばす。デュナム公国側ふたりの意見表明を皮切りに、侃々諤々と所見が戦わされた。空気が赤熱するほど声高に叫ぶ者もいれば、筋道を立てて説明する者もいた。それを進行役が取り仕切り、現在は落ち着きを見せている。

 だが、ナッドはまるで怯えるように震えていた。

 脈拍数が、さながら焦燥を煽るように嵩む。

 

(落ち着け……俺、落ち着け)

 

 外円からの迫力に気圧され、気後れする。

 だが、張り詰めた面持ちはナッドに限らない。

 帝国小隊は指を咥え、飛び交う意見を聞くばかり。

 半径三丈の空気は沈滞している。さながら硝子壜に閉じ込められたような、息苦しい愁嘆場だった。身を固めた面々は唇の紐を引き締めている。胆力は一丁前のゲラートすら歯を軋らせるのみだ。誰もが口を挟むことを恐れ、一向に手を挙げようとしない。

 彼らの手指を拒んだ根源は、威圧感。

 見渡せば、剽悍な面々が並んでいる。

 この、蝟集する意思の穂先もさることながら──。

 一番は、真正面に陣取った大英雄の存在だった。

 

「────」

 

 薄く眼差しを出して傾聴する、醜い老爺。

 その傍らで慎ましく瞼を閉ざす『黎明の導翳し』。

 この峻峭な威厳がナッドたちの口を塞いでいる。

 息を落とすことさえ顔を窺わなければならない。どれだけ割って入ろうと拳を固めど、結局は勇気の寸借詐欺に終わる。議論の流れに身を任せたまま、灌木のように一言も発せられず、いまも立ち竦んでいる。

 現状、処分案は大きく二つに絞られつつあった。

 ひとつは、帝国小隊が望む生残案である。

 ──討伐を遂げるまで集落に逗留させる穏健案。

 もうひとつは、懸案事項は抹消すべきという極論。

 ──ここで帝国小隊を斬り捨てる過激案だ。

 

「むしろ、利用価値ってモンが見つからねぇだろ」

「言い分は理解できる。だが殺すのは短絡的──」

「いやいや、帝国軍を生かす理由がなかろう! これが帝国の民であれば温情をかけるのも吝かではなかった。だが、しかし彼奴らは国家を担う戦士だ!」

「……もっとも、である。バルバイム殿の意見に賛成する。彼らは国家に殉じる戦士たち。ここで情けを見せ、首を晒さないのはそれこそ侮辱に他ならない」

「余計な楔となるならば、致し方あるまい」

「ははっ、そうだろうそうだろう!」

 

 ホロンヘッジ・バルバイムは明るい語調で頷く。

 この青年が、小隊の斬り捨てを推す急先鋒だ。

 抜けるような笑みの下、提案されたそれに討伐隊の過半数が賛同した。敷延して考えれば、話の潮流は自然かつ滑らかだ。なにせ彼らは『根絶』討伐という大事を控えている。そこで毒薬をわざわざ口に放り込む人間はいない。まして、互いに兵役を担う人種なのだから、敵兵を生かす選択を取るほうが奇行と言える。

 ただ、彼が牽引する意見とは少しズレていた。

 帝国小隊の顔を立てるために、との論調だ。

 

(……馬鹿言いやがる。国に奉仕したくて兵士になる連中ばっかりじゃねえんだ。特に帝国じゃ愛国心なんざ犬の餌だ。後ろであくびしてるクソ女は言うに及ばず、俺だって首を捧げる気はねえぞ)

 

 こんな、悲哀に暮れた独白は舌に乗せられない。

 喉の奥に引っ込めたゆえ、愁訴は届かない。

 ナッドは頭を振って、思考の余分を追い出す。

 ──ここまでは想像した通りの展開だ。

 

(結局ホロンヘッジの主張は、無価値な俺たちをこの場で切り捨てるという言説と変わらない。これが過半数を取ってるのは予想通り。昨日あいつから話を聞いて、俺たちの全員が真っ先に思い浮かべた流れだ。むしろ意外なのは、八割にも満たないこと)

 

「でも、イルルはホロンくんには反対だからね!」

「いかんなイルルよ、人の話はよく聞くものだ。いまオレたちは論理と心理の両面から結論を出した。これ以上に何が必要だというのか!」

「論理も心理もフジューブンだよっ!」

 

 穏健派の牽引者は、間近に立つ青年に喰い下がる。

 デュナム公国の代表たるイルル・ストレーズだ。

 彼女はその片割れを、びっと指弾した。

 

「論理的って言いながら、ただ考えようとしてないだけじゃん! 心理ってゆーのも、あの人たちの意見も訊かずに決めつけてるだけだよ!」

「しかしな、イルルよ。戦士たるもの──」

「ホロンくんのテツガクはいいから」

「そ、そうか……」

 

 ホロンヘッジは気勢を殺がれて鼻白む。

 気圧され後退った彼に、イルルが詰めた。

 

「だってここは戦場じゃないんだよ。イルルたちも、あの人たちも、目的は獄禍っていうみんなの敵なんだから。戦場の法律に従う必要、ないよね?」

「ッ……なるほど。確かにその通りだ」

「なら、ここは握手してバイバイしようよ! 血で血を洗ってたら真っ赤なまんま。剣を収められるときは収めたほうがいいに決まってるよっ!」

「む、むう。これはイルルが理に適っているな」

 

 あまりの気迫に押されてか、青年が折れかけた。

 まさかの追い風だったが、周囲が冷静に嗜める。

 

「バルバイム殿……勢いで納得しないでもらいたい」

「そっちのストレーズ、感情論でしか言ってねぇよ」

「そも、いまの俺たちには帝国小隊をご丁寧に送還する益も、するだけの余裕もないぞ。だからこそ、手間もかからない『処分』って選択肢が妥当だって話や」

「…… イルル・ストレーズ様。議論で言い包めようとするのは御法度です。それは謂わば、正解をつくる行為。議論とは畢竟、正解を捜すという形をとりますから、抽象的かつ個人的な御意見は自重ください」

「うー、ごめんなさい」

 

 至極真っ当な水を差され、少女は一歩退いた。

 そこで議論に生まれた隙間を埋めるように──。

 理性的な穏健派の声が、おずおずと上がる。

 

「……まあ、ストレーズ殿の言はともかく。短慮な決断を下すってのは早計だ、と愚考するがね。少なくとも、こっちに余裕はないんだ。使えるものは老木でも使え、という言葉は貧乏性の妙諦だろう」

「全くだ。ちっとばっかし、頭に血が上りすぎてる」

「だが、そっちも建設的な意見はないだろう」

 

 即座に過激派から切り捨てられ、沈黙に戻る。

 穏健派の主張は弱々しい。積極的に過激案を拒んでいる者はイルル一人だけだ。なぜなら、彼らが過激案を飲まない理由を二分すると「小隊の処分自体に反対はしないが、我らに有益な使い道があるかもしれないため、それまで保留しよう」または「物騒な話には賛同しかねる」という消極的な意見に収束するからだ。

 いずれも、過激案を跳ね除けるだけの力がない。

 たとえるなら、激流に幾つか樹木を渡しても橋にならないことと同じだ。時を経ず飲まれるのが摂理である。声高に主張できる『確固たる形』を持たない意見では、過激派の口を塞ぐに到底足らない。

 劣勢は変わらず、徐々に窮地に追い込まれていく。

 押し切られれば『処刑』の執行が決定される。

 

(これ、まずい流れだぞ)

 

 丸めた指の背で、唇上に溜まる脂汗を拭う。

 ナッドは身上の危機に焦れていた。

 流れが変わることを願わずにはいられない。

 いや、命が惜しくば自ら変えねばならないのだ。

 しかし、手立てがない。小隊が望む結論は、ここから無傷で帰還することだ。それは理想論にすぎるとしても、少なくとも生還したい。だが、当の討伐隊からすれば一分の利益もない結論だ。総員で頓首して縋れど、一顧だにされないことは間違いない。

 焦慮に急かされるままに視線を馳せた。

 

「────」

 

 幼女は黙然としたまま動かない。

 豪儀に腕を組み、自然体に近い姿勢だ。

 その後ろ姿からは安気な気配のみが窺える。窮状を嘆く様子はなく、ナッドの内側で沸き立つ焦燥感の泡すらない。風に白髪を弄ばれながらも、ソル自身は泰然自若を地で行く態度を貫いている。

 流れに身を任せているのか、それとも深慮遠謀を秘めているのか。

 

「いいかしら?」

 

 瞬間、紛糾していた声が溶けた。

 

「挙手さえすれば、発言資格はあるのよね?」

 

 そして、一斉に放たれた視線の矢。

 ナッドが面食らっていると、細腕に退けられた。

 議論に水を差した少女が進み出てくる。

 朝靄のかかった日差しを鬱陶しげに睨みつつ、緩慢な速度で通り過ぎていく。耳元の髪を払えば、前を塞いでいた小隊の塊が割れて、道をつくる。この立ち振る舞いは単身で矢面に立ったと思えないものだ。

 彼女は更に歩を進め、遂に幼女の横に並ぶ。

 一度は隣に目を遣るも、素気なく正面に向け直す。

 

「帝国小隊の方。不躾ながら、御名前を伺っても」

「マジェーレ・ルギティよ。この帝国小隊の副隊長を任されているわ……跪く必要はある?」

「いいえ。進行を優先し、略式で構わないと」

「そう、素敵な規則があるものね」

 

 ナッドは呆然と、マジェーレを見つめていた。

 しかし、その内情は数秒前で止まっていた。

 

(何で……何で、この場面で水を差せんだよ)

 

 なぜ、潮目を変えるために声を上げられるのか。

 彼女の人物評として、自分本位で気儘な人間というものがあった。自分に似た性情を持つ彼女がいけ好かないという個人感情と、あの不遜な態度から見れば満場一致で同意を得られたことだろう。そのはずが小隊の危難を救うため、矢面に立っている。

 ひねくれ者で、斜に構えた馬鹿(ナッド)とは違う。

 一度は自分と似ていると思ったが、やはり違う。

 

(そりゃそうだよな。当たり前だ。あいつはそれだけの力を持ってる。自分の思いを通せるくらいの力を。それが自信に根づいて、あんな大胆なことができてんだ。だから前提が違う。あいつと俺たちは、違う)

 

 結論づければ簡単な話だった。

 呑み込むには慣れた、苦い飴玉である。

 

「じゃあ、このまま話させてもらうけれど」

 

 少女は、前方に陣取る英雄たちと対峙していた。

 ハキムは顎を引いたまま変わらず座している。

 シャイラも瞑目したまま、彼の傍に立っている。ただ、きつく引き締めた口許は何らかの情動の表れだろうか。少女の不躾な声色が耳障りだったのだろう。

 その隣で、イルルが無邪気に瞳の赤を輝かせる。昨晩までは不気味と形容していたかもしれない。だが、先ほどの言動を思えば阿保面にしか見えなかった。

 そしてその隣、ホロンヘッジ・バルバイム。

 彼はマジェーレを不敵に笑って、歓迎する。

 

「さあ、帝国小隊の副隊長殿は何用だ!」

「議論が白熱していたところ悪いけれど、私たちを無視して話を進めるのは『なし』よ」

 

 ナッドはそう啖呵を切る少女を思った。

 注目を一身に受けるも、一向に意に介さない。

 足下を顧みず、彼女は思ったままに口にする。

 ──俺にも力があれば、こうなれたかもしれない。

 

「ふむ! オレは無視していたつもりはないが」

「そういう取り繕う話はいいわ。大事なことは、私たちの譲歩なく、帰国への道が端から望めないということ。あなたたちの議論はそういうことよね?」

「そうだな! 話の流れが行き着く先はそうなる」

「なら……ホロンヘッジと言ったかしら。あなたに私たちの価値を示しましょう」

 

 その少女の言葉は充分な衝撃があった。

 眩さに顔を顰めていたナッドすら、心が動く。

 ホロンヘッジは首を捻りつつ単語を舌で転がした。

 

「価値。価値か」

 

 青年の翠瞳と少女の黒瞳が、正面から衝突する。

 彼は芝居がかった挙措で胸に手を当てた。

 

「それは……帝国についての情報源としての価値だろうか? もしや間諜として帝国に送り帰せという要求か。いやはやそれは通らん! 反帝国を掲げる者共にとってみれば議論の余地があっただろう。しかし、しかしだよ。我々はその前に、天災を討つ使命を背負っている。そんな命乞いは通じない!」

「……ねえ、わざと? それとも意図して言及を避けているの? 私たちが提供できるものはそんな、不確かで迂遠なものだけじゃないわ」

 

 呆れ混じりの声色に、青年は興味を濃くした。

 

「では、聞かせてくれ! 如何なる益なのかを!」

「勿体ぶるほどでもないわ。戦力(・・)よ。あなたたちが私たちを見逃す代わりに、私たちが『根絶』討伐の一助になる。そう言ってるの。時には馬車馬のように働きましょう。時には恋人のように盾にもなりましょう。ほら、そこの立派な腕利きさんたちに比べれば使い潰しも効くでしょう?」

 

 ──ば、馬鹿か。馬鹿なのかこいつ。

 ナッドは声をうっかり漏らしかけた。

 声だけでなく吐瀉物も喉元まで達しかけた。

 死中に活を求めると言っても限度がある。

 マジェーレの提案は、小隊視点からすれば、ひとまずの生存を念頭に置いたその場凌ぎの案だ。小隊総意だと思われる、この場における生存という結論は最低限、満たされてはいる。外づけの戦力として一時的に彼らと手を組めるならば、確かに価値になる。

 しかし、後難の谷は何を差し引いても深い。

 

「……『根絶』討伐に参加だぁ?」

 

 鼓膜に、石臼を曳いたような響きが擦れる。

 恐る恐る背後に眼差しを送れば、鬼がいた。

 ゲラートの表情と、零れる声色がそう思わせた。当然の反応である。彼女の提案は、ここに集った自殺志願者たちと同道する案に等しいのだから。

 だが、小隊内では反論を唱える者はいなかった。

 一時的な延命としてならば、飲み込めなくもない。

 少なくとも、この場で首と胴体が離されるよりは。

 そのときひとつの失笑が落ちた。

 少女は耳をぴくりと跳ねて、黒目を巡らせる。

 

「……何か道化じみたことを口にしたかしら、私は」

「いや、オレは名案かと手を打ったのだが、何かしら問題があるのか! 誰か教えてくれ!」

「ホロンヘッジ様……お言葉ですが」

 

 青年の問いに、輪のひとりが所感を露にした。

 

「多少なりとも、戦力が増強されるのは我々にとって不利益とは申しません。ですが、その増えた戦力の矛先が何も原罪の獄禍に向くとは限りません。逃亡するならまだ良し。最悪、離反を企てて、我々の脚を阻む可能性が……低い、とは到底思えません」

 

 ──信頼できない相手と盟など結べるか。

 当を得た指摘が粛々と告げられる。

 ナッドが改めて肌に感じた感情は侮蔑だった。

 だが甘んじて受けざるを得ない。少女は今更、この場の不文律を踏んだのだ。誰もが言外にわかっている前提条件。それは、あらゆる小隊の価値が、議論中で退けられ続けた理由に直結している。

 すなわち、敵軍との口約束を無条件に信頼する馬鹿はいないということ。小隊がどれだけの恭順を口にしても、信頼できる証明にはなり得ない。

 次の瞬間、背中に刃を突き立てる恐れもある。

 その恐れが結実せずとも、そんな憂いを残して正念場に臨むことは避けたいだろう。事実、ナッドもあくまで命を繋ぐための延命処置だと考えたほどだ。

 ホロンヘッジは満足げに首肯して、胸を張った。

 

「なるほどなるほど有難い! これで完璧に理解したぞ! マジェーレ・ルギティよ、そういうわけだ。信頼できぬ相手に背は任せられんからな!」

「ねえ、無知と無恥を見せつけないでくれる?」

「それはすまないが、無知はオレとお揃いだな!」

「一緒にしないで。そんなこと百も承知よ」

 

 少女はホロンヘッジの同調に冷や水を浴びせる。

 青年の軍服が風に乗ってはためく姿は、どこか虚しさを覚えさせた。彼は過激派の意見を気勢よく牽引していたが、本質はイルルたちと大差ないのだろう。思考回路の実在すら疑わしかった。

 マジェーレは目を薄すらと細め、矛先を変える。

 

「約束を担保する物はそちらにあるでしょうに。そうよね、そこの『黎明の導翳し』さん」

「っ……わっ……私、ですか?」

 

 矛先は、一言も発さず事態を俯瞰していた──。

 『黎明の導翳し』シャイラ・ベクティス。

 彼女はすぐに瞼を上げると、目を横に逃した。

 

「その。わ、私に、何か……?」

「ええ、だから気を抜いてないで答えて」

 

 ──なあ、こいつは俺らを殺す気なのか?

 ナッドは外眥に力を入れ、少女を射殺さんとする。

 たとえ射殺せずとも、あの妙に角が立つ口だけは塞ぎたい。あわよくば窒息死まで持ち込みたいところだ。なにせ、いつ無礼打ちされても不思議ではない言動である。一刻も早く黙らせなければならない。

 ナッドの肝は潰れんばかりに縮み上がっていた。

 少女が口を開くたび、幾陣もの殺気が外円から襲ってくる。何が悲しくて、処分決定を待たずして死の風に晒されなければならないのか。あの太平楽気取りには「俺たちの命が惜しいなら社交性を身につけてくれ」と言いたい。きっと一顧だにされないだろうが。

 しかし、帝国小隊の命運は彼女に託されている。

 泣けど笑えど、結末は彼女次第になってしまった。

 もはや半泣きだが、好転する未来を祈るしかない。

 

「待て、小童」

 

 少女の無作法に応じたのは、重圧。

 地の底から漏れ聞こえるような声だった。

 それは、シャイラの隣に腰掛けた老爺のもの。

 

「言うたはずだ。『黎明の導翳し』の全権は俺に委任されとる。問答は俺が引き受けよう」

「そっちは、懶眠のなかになかったようで何より」

「呵々、小童めが。相変わらず口が達者で、肝も太いようだが目は悪いようだなあ。周りを見てみい。次、余計な口を挟めば袋叩きに遭いかねんぞ」

「……私も命が惜しいから、さっさと本題に行くわ。『御璽(ぎょじ)』を出しなさい。四大将様が出張っているのだから、当然持ち歩いているでしょう?」

 

 ── 御璽? おい……こいつ、まさか。

 絶句するナッドを置いて、話の潮流が変わる。

 

「……口の利き方がなっとらんが、その問いには是を返そう。持っとるよ。もっとも、誰に託すことも許されぬ魔道具なれば類推も容易かろうがな。のうシャイラ嬢、御璽を手放してはおらんな?」

「は、はい。ここ、です」

 

 シャイラは懐中から小物を取り出した。

 水を掬うように両手に乗せ、見せる。

 それは一本の印章だった。大きさは妙齢の女性でも握り込める程度。黒を基調にした円筒状で、金で縁取った上品な配色だ。その側面には、蚯蚓《みみず》が這い回ったかのような筆致で聖文字が彫刻されている。

 ナッドは思わず息を呑む。

 それは『遵奉(じゅんぽう)勅命(ちょくめい)御璽(ぎょじ)』と呼ばれる魔道具だ。

 神代の時代から残る遺物にして国宝である。

 現存する御璽の数は、ビエニス国祖が当時の四大将に下賜して、現在まで受け継がれてきた四つのみ。紛失すれば死罪と定められた貴重な代物だ。

 彼らは御璽を肌身離さず持ち運ぶ。なぜなら如何に厳重な金庫の奥より、大英雄の懐こそが最も危難からは遠い場所だからだ。転じて、現代では御璽とは四大将である証と見做されている。

 生きていて、まず目に触れる機会のない宝物。

 出自を問わず、この場の皆が凝然とするなか──。

 

「待て待てマジェ! オメェ何言ってやがる!」

「なに? 威勢のよさは──」

「いまは戯言に付き合ってられっかよ!」

 

 ゲラートは堪らずといった形相で吼えた。

 柱石めいた腕でナッドを押しのけて、前に出る。

 

「俺たちはまだ何も納得しちゃいねぇんだぞ! 『根絶』討伐にかかわる話も、何も! しかもオメェ、御璽だぁ!? 寝言が言いてぇなら頬に一発くれてやっぞ! それを使わせてる意味がわかってんのか!?」

「そんなことを言っている場合? 躊躇するだけの時間はとっくに使い果たしてしまったのよ」

 

 マジェーレの態度は冷ややかだった。

 彼女は半身だけ逸らして振り向くことで、憤懣やるかたない形相と目を合わせる。さも、相手にすること自体を大儀に思っているような表情だった。それは当然、ゲラートの怒気に薪を焚べることになる。

 ナッドはその炎めいた憤怒に同調してしまう。

 遵奉勅命の御璽の悪名は大陸史に轟いている。

 神代から残る魔道具ゆえに、効力も絶大と聞く。

 発動までの手順は至極簡単だ。

 まず、誓約書を作成する。そこに遵守させる対象者の血判を押し、魔力を流し込んだ御璽を重ねて押すだけでいい。これで発揮される効果は、言うなれば「当事者たちが取り決めた誓約書を絶対遵守の誓約書にする」のだ。しかし、強制力が働くわけではない。

 ただ書面の文言に反すれば、罰が下るだけだ。

 

(その罰が洒落にならねぇんだ……)

 

 生者には想像を絶する末路が待っている。

 曰く「違反者の一族郎党を根絶やしにする」「遍く苦痛を味わい、死に至らしめる」「あまつさえ死後の魂も永劫に炙られ、その果てに消滅させられる」。つまり文言を違えた罰は、大陸の宗教観の両手から落とし、ただ果てのない無に還されるというわけだ。

 突飛すぎる、なんて出鱈目だと笑い飛ばしたい。

 だが、可能性が頭を過ぎるたびに身体が震えた。

 御璽の効果は歴史的な裏づけがあるのだ。

 

(文言を違えて、絶えた王族がいた。御璽での取り決めを恐れて、莫大な対価を払った国があった。必死に裏を掻こうとした英雄がいた。……真実がどうあれ、これで軽く考えられるほど俺は能天気じゃない)

 

 ナッドはデュナム人たちを横目に、少女を睨む。

 

(なあわかってんのかよ、マジェーレ。そんな代物で誓約を結んじまったら……それこそ本気で『根絶』討伐をやらなくちゃいけないんだぞ。途中であいつらの目を盗んで逃げ出すとか、策を弄して罠にかけるとか、できなくなっちまうんだぞ……!)

 

 ──かの原罪の獄禍に相対する。

 天の齎す災いに弓引く、愚かな一人になる。

 戦場で管を巻く命知らずですら難色を示す愚行だ。

 だが、少女は「今更?」と目を眇めた。

 

「余裕があればこんなことしないわ。いま私たちの生きる術は命を賭けた先にしかない。だって、命以外に賭けられるものがない。死ぬか戦うかの二択だったら、まだ可能性のあるほうを選びたいでしょう」

「そりゃ……わかるッ! わかるが、オメェはどうだよ!? 本当にわかってんのか!? その果てに選ぶ二択が『獄禍に潰されるか』『文言を違えて消滅するか』になるってことを!」

「……途中下船は『有り』よ。その場合」

 

 マジェーレは眉間に皺を寄せる。

 それはまるで、ジャラ村のときのような──。

 ナッドに次善の策を託したときのような顔だった。

 

「私が、この場で丁寧に介錯してあげる」

「どちらにしろ、降りる場所は同じじゃねぇか」

「違うわ。途中下船するなら安寧に逝かせてあげる」

 

 ゲラートは犬歯を覗かし、排撃を弄しかける。

 

「……もちろん、あなたに名案があると言うのなら、この発言は撤回するけれど」

 

 だが、この言葉で二の句が告げずに俯いた。

 黙るしかないのだ。元より名案を携えていたのならば、少女の馬鹿げた提案など一蹴している。消極的に賛同を示す他ない。帝国小隊では彼女以外、誰一人として沙汰を乗り切る術すら出せていないのだから。

 そして、集落には幕切れの沈黙が落ちた。

 進行役を務める男は、その隙にぐるりと見回す。

 

「帝国小隊の提案に、異議はございますか」

「……まあ、あちらがそれでいいってんなら」

「我々に不利益はありませんからねえ、賛同しよう」

「気遣いを無駄にされた感じはあるがな」

「うん! みんなでこれから頑張ろうよ! おー!」

「うむ、当然オレも賛成だぞ!」

 

 ──遂に進退極まった。極まって、しまった。

 帝国小隊の舳先はきっと苦難の方角を選んだ。

 すなわち『根絶』討伐の一助となること。討伐隊から信頼を得るために御璽を容認し、地獄まで同道すること。それが掴み取れた最善だという事実に、悲しみ以外の感情で涙が出かかるナッド。

 だが、死の三叉路を越えられたことも事実だ。

 今日もまだ息はしていられる。実感という実感のない『生』が、言葉を介して胸に灯った心地だった。安堵と疲労感が内面を満たす。帝国小隊の面々も大なり小なり同じようで、項垂れる者が散見される。

 そうやって、議論の終結を見切ろうとした矢先。

 喧騒を塗り替える──「待て」の声が響いた。

 途端に静まり返る空間に、嗄れた言葉が紡がれる。

 

「纏まりかけたところ悪いが、そこの小童。まだちィとばかし足らんところ(・・・・・・)があるのう」

 

 その主は──顔を上げて頬を掻く、醜い大英雄。

 ハキム・ムンダノーヴォは笑みを浮かべていた。

 対する少女は胡乱げな目顔で、言葉を繰り返す。

 

「……足りないところ、ね」

「御璽を用いれば、懸念事項の悉くは解決を辿る。多少なりとも戦力が増える、人によっては肉盾ができたと喜んどる奴もおるかもしれん。だが、いまだに納得できとらん者もここにはおるだろう。ゆえに貴様らには、ひとつ証明してもらわんとならん」

「何を。価値なら示したけれど」

「その価値の真偽を、示せ」

 

 ハキムは目玉を回して、帝国小隊を見渡していく。

 一人一人を存在感で呑み込んでいく。

 ぎょろり、ぎょろり、ぎょろり、ぎょろり。

 

「力で示せ。それがビエニスの法ゆえになあ」

「……力量を測る、ということ?」

「ああ、そうだ。値札に釣り合う価値を見せよ。貴様らが『根絶』攻略に足る実力か。木偶人形を加えては至嘱の精鋭と言えんだろうがよ。それはディナ陛下、ひいてはビエニスの看板に泥を塗ることになる」

「軛にしかならないと判断が下ったら──」

「無論、遠慮なしに断ち切らせてもらう」

 

 そして最後に、彼が射抜いたのは──。

 

「……そこの、ソルと言ったか。帝国小隊の長である貴様には示してもらうぞ。貴様らの値打ちを。御璽を押すまでの重みを持つに足るかを」

 

 ハキムはただ枯れた唇を釣り上げただけだった。

 だが、その凄絶な表情に総員が息を呑む。

 老爺の周囲が一層、色を落としたように思えた。

 否、水気を多分に含んだ墨色が足されたのだ。それが明け方の白を濁す。幼女の白を穢す。視界に映る赤を、青を、黄を、緑を、紫紺を──滲ませた。

 きっと濃密な殺気が彰顕しているのだ。それらが結晶化し、彼を取り巻く文目となって、可視光を屈折させているに違いない。まるで気を纏ったかに見える。

 ナッドはすでに言葉を失っていた。自身の怯懦に絡め取られ、桎梏となる。杭という比喩では到底足りない。錠でも及ばず、鎖でもまだ欠ける。彼はその迫力で見事に拿捕されて、動けなくなった。

 そして、真正面から殺意を受けた幼女は──。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

(……『俺の目論見通りだろう』と言いたげじゃな)

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──話は昨晩の会話まで遡る。

 ハキムが旧友を「孫」と言い放ったあとの話だ。

 

『え、孫って、この子、が……!?』

『俺も俄かには信じられんかったがなあ』

『血の繋がった家族……なんです、か……?』

『ああ。……聞きたいか? こやつとの事情を』

『ッ! は、はい。お願い、します!』

 

 ──やりおったな、クソジジイめが。

 結論から言えば、幼女は泣き寝入りした。

 ハキムを蹴飛ばそうにも代案が思いつかなかった。

 ソルはただ肩身を縮め、せめてもの抗議の目を向けたことを覚えている。だが一顧だにされず、老爺はさも大事を告げるようにシャイラを見据えていた。

 彼は真剣味を繕い、経緯を騙ってきかせた。

 曰く、俺と女房の間には息子がいた。しかし、二十年ほど前だろうか。息子は親の傭兵稼業を嫌って、家から飛び出してしまった。持ち出されたものは、幾許かの路銀と護身用の剣だけ。ハキムも彼の足取りを追ってはみたものの、一切の消息を掴めなかった。

 全く親不孝者だったよ、と一呼吸おいた。

 

『だからこそ、あやつを俺の血縁と呼ぶつもりはなかったのだ。傭兵稼業を嫌い、親元から飛び出したのだから、それが本望だろうと思ってなあ』

『いままで、ハキムさんが言わなかった、のは』

『……あやつの欲しがったものは、手慰みの玩具ではなく、名前にも、土地にも、親にも、何者にも縛られぬ自由だったからよ。そいつは俺たちが、親として与えられる唯一のものだった』

 

 そうして時は過ぎ去り、迎えた今日。

 ハキムはソルと出会って愕然とした、という。

 彼女の握る剣が、まさしく息子のそれだったのだ。

 これが唯一の血縁者を知った経緯である、と。

 

『そう……だったん、ですか……息子、さん』

 

 シャイラは口許に手を当て、ひどく驚いていた。

 彼女は幼女の側に置かれた剣と、幼女自身と、老爺を順繰りに何周も見回した。ぐるぐると目も回して、どこか呆然としている姿が印象的だった。

 この純真な仕草も肩身を狭くする要因だった。

 

『初めて……聞きまし、た』

『ああ、実はおったのだ。不肖の息子だったがなあ』

『……その方は、まだ生きて──います、か?』

『いいや。聞くと、こやつの育ったダーダ村はラプテノン軍に焼かれたそうだからな。シャイラ嬢の耳にも届かなかったかのう。帝国軍の『修羅』の話は』

『ごめんなさ、い。あまり覚えて、なくて』

 

 ──でも、そう。そう、なんですね。

 シャイラは幾度も呟きを繰り返し、呑み込んだ。

 まるで運命の巡り合わせのような偶然を。

 まるで劇的な物語の一場面のような幸運を。

 

(まあ、よくも口が回ることじゃのう)

 

 幼女はひとり、冷めた目線で見つめていた。

 咄嗟に話作りをした割に、嘘のつき方が巧妙だ。先に教えていたソルの物語に付け足す形で、矛盾なく人生を加筆できている。流石と言うべきか。ソルが明示しなかった、ダーダ村の両親の素性をいいことに、都合よく掘り下げ、見事に関連づけてみせた。

 老爺が大胆なのは、その先も嘘だということ。

 ソルの知る限り、彼に子供はいなかったはずだ。

 

(本当はいないからこそ『実は』という言葉が有効なのじゃな。勉強になる……なるが、この男がそら恐ろしくなってくるのう。もっとも、むかしから変わらんと言えば変わらんが)

 

 果たして、この孫設定は受け入れられた。

 シャイラの眼差しに疑念の影はない。

 戸惑いに憐憫の色を配して、二人を見回している。

 

『だが、シャイラ嬢。このことは他言無用だ』

『え……あ、息子さんの、ために』

『違う。それはこやつに関係ないだろうがよ』

『ご、ごめんな、さい……』

『……謝るでない。俺もそこまで咎めておらん』

 

 ──帝国小隊の処遇が決まるまで公表しない。

 ハキムの言葉はつまり「ハキムとシャイラが、報告会ではソルに表立った助力を加えない」ということを意味していた。曰く、これは先入観や贔屓を抜きにした、真なる価値を示させるため、だった。

 最初からソルをハキムの孫として紹介されれば、否応なく見る目が変わってしまう。実力が見合わずとも価値を認めてしまう者も出るかもしれない。

 だが、それで遂げられるほど現実は甘くない。

 

『お前さんがどれだけ錆びておらんか。……いいや、違うか。そう、どれだけ背丈を伸ばせたか。それを示せねばお前さんとて容赦せん。此度の討伐は決して飯事ではない。重石にしかならんなら、切り捨てる』

『望むところじゃ。実力が見合わぬなら、見切れ』

『……今度は、俺からの助けなどないぞ?』

『見切られたなら、わしもそれまでの男ということ』

 

 ──もちろん、容易く諦めるつもりはないが。

 ソルは表情を動かさず言い切った。

 

『あの……男? 女の子、ですよね……?』

『……見切られたなら、それまでの女の子じゃ』

『お前さんも律儀な奴だなあ』

 

 小隊と討伐隊、双方のために必要な条件は一つ。

 厳正な判断の下、討伐隊から認められること。

 ソルの願いを鑑みれば、示すべき価値は力量だ。

 その機会ならつくってやろうではないか──。

 ハキムはそうやって瞳の奥だけで笑った。

 

孫よ(・・)。明朝の集いでな、お前さんは一言も舌に乗せてはならんぞ。ここで言葉を介してわかったが、お前さんは俺の性情を継いでいない』

『実に喜ばしいことじゃな』

『どちらかと言えば、俺の女房に似ておる。まさか明敏犀利な柄でもなかろう。ゆえに孫よ。ただ黙して語らず、流れに任せよ。さすれば運命は都合よく、俺たちの手元に転がり込んでくるだろう。結局、最後は力量を試す場が開かれる』

『……そう上手くいくのかのう』

 

 ソルは半信半疑であった。

 自身が口下手とは重々承知している。差し出口を挟んで場を混乱させるより、むっつり黙っているほうが万人のためになるだろう。だがソルの希望は万人の思惑から外れているのだ。小隊の総意は帝国への帰還であり、討伐隊の総意は、討伐に支障がない、あるいは便益となる処遇にしたい、だろう。

 ソルの討伐参加の目論見とは噛み合いそうにない。

 対して、ハキムは片頬を上げるだけだった。

 

『俺を信じろ、孫よ』

『……わしは納得する他ないがのう、貴様』

『どうしたソルよ。つまりは我が孫よ』

『先ほどから……孫、孫と。連呼するでない』

『いやあ勘弁しておくれ。愚息とは言え、息子が遺した唯一の孫だ。感慨深くもなるだろうがよ。いままで口にできなかった分を呼ばせてはくれんか』

 

 老爺はさも切なげに呟く。

 

『だが……俺は悲しくてならん。人を指して『貴様』などと、粗暴な言葉遣いをしていることが。可愛いお前さんのそんな姿は見ておられん。……きっと、帝国軍で過ごすうちに染まってしまったのだろう』

『……何が言いたいのじゃクソジジイ』

『俺をお爺様と、いやお爺ちゃんと呼ぶがいい』

 

 ──いっそ手元の剣で首級を挙げようか。

 衝動が一周回り、表情が抜け落ちる。

 老爺の首筋を「穴よ開け」とばかりに凝視した。

 この殺意を具現しなかった所以は、ただ一つ。

 

『……ソル、ちゃん。駄目、です』

『ベクティス殿』

 

 厳しさを忍ばせた声で咎めた、彼女の存在だ。

 シャイラは目線を数本垂れる髪越しに合わせる。

 その瞳は深藍に潤い、揺れていた。水源である感情は読めない。だがここで「老爺を血祭りに上げん」と剣を抜けば、彼女を惑乱させてしまうかもしれない。

 憧れる英雄の心を翳らせるのは本意ではなかった。

 惜しみつつも、視線を人体の急所から外す。

 シャイラは安堵を滲ませ、取り繕うように言う。

 

『お爺ちゃんは……ええ、と。家族は、大切にしないと、駄目……ですから。その、ソルちゃんにとって唯一の、家族なら、大事に。ね?』

『……ベクティス殿が仰るならば』

『英雄に現金な孫で悲しいのう』

 

 ハキムは後頭部を無造作に指で掻く。

 そして、あくび混じりに区切りをつけた。

 ──気にせずに構えておれ。

 ──お前さんの台本は、俺が書いてやる。

 そんな、彼の気負わない声が残響して──。

 

 

 

 2

 

 

 

「どうだ? 貴様の価値を証明して見せよ」

 

 再び問い返すハキムの言葉で、我に返る。

 いま、幼女には数十の目が注がれていた。

 帝国小隊の視線の束が背中に刺さっている。気配から察するに、有り余る不安とわずかな期待を孕んでいるようだ。彼女の一挙一動にすべてが懸かっているからだろう。ただ隣の少女だけは瞑目していた。

 討伐隊のほうからは視線の輪が押し寄せる。それを織りなす感情は多岐に渡る。主だったものは軽蔑か驚愕か、あるいは好奇心もあるだろうか。

 幼女は嘆息を抑え、確と首謀者を睨み返す。

 

(内心では『どうだ』の意味が違うのじゃろうな)

 

 ソルは議論の最中、沈黙を守らされていた。

 ハキムの凄みを利かせた笑みも、腐れ縁の立場からしてみれば得意満面の笑みにしか映らない。神経が逆撫でされるが、そこに文句はつけられない。得意げになるだけの結果を、彼は突きつけたのだから。

 なぜなら台本通り。議論の大筋は、ハキムが昨晩に取り決めていた通りに推移したのだ。若干の違和感すら覚えるほどに、不気味な予定調和だった。

 だが、迫られた問いには返答せねばなるまい。

 

(はてさて、どうするべきか。いまはちょうど、ハキムが価値の証明法を提示したところじゃ)

 

 ──価値の証明、その舞台は。

 ──純粋な腕節を(はか)る模擬戦とする。

 ここに立つ者たちは猛者ばかりである。なにせビエニス王肝入りの討伐隊に選抜されるだけの力量を備えているのだから。ゆえに後方支援要員を除いて、誰かを上回れたならば価値を認めよう。さすれば、御璽で誓約を結び、晴れて帝国小隊を『根絶』討伐隊の仲間として迎え入れようではないか──。

 このハキムの言葉に、討伐隊は色めき立った。

 ビエニス王国の気風が追い風だった。王国側に否を唱える者はいなかった。デュナム公国側も話に流されつつも、ここに至っては一番乗り気であった。一方、帝国小隊は血の気と言葉を失っていたが。

 対戦者の指名は、幼女の独断に任された。

 

(確か、ここもハキムの台本があったのう……)

 

 ──指名まで来れば、お前さんの一人舞台だ。

 ──選ぶ相手はデュナム公国の代表がいい。

 ──そう、ホロンヘッジ・バルバイムだ。

 ソルは老爺の指示を思い返し、青年を見遣る。

 彼は晴れやかな表情で見つめ返してきた。

 そして、ぐっと親指を突き立てる。

 

「オレの出番か! ならば致し方ない!」

「焦るなバルバイム、あれは目が合っただけだ」

「なにッ!? まだお預けか……」

 

 ソルは期待の眼差しを前に、思考を巡らせる。

 ハキムが彼を推した理由は二つあった。

 ひとつ、性格から推し量れる議論上の立ち位置。

 彼は直情的かつ単純な思考回路らしい。帝国小隊の処分決定の際、工夫を凝らすだけの手間をかけず、安直な選択肢を取ると予想されていた。ハキム曰く「誠実で勤勉なんだが、良くも悪くもデュナム人だ。平たく言えば、馬鹿と阿呆の合いの子よ」とのことだ。

 それに加えて、彼は腐っても代表者の一人。

 過激派の旗印になることは必然だった。

 これを模擬戦の相手に据えたなら「ホロンヘッジは帝国小隊の排斥に動いていた頭目だ。たとえ幼子を前にしたとて、手心を加える余地はない」となる。

 実力を認めさせる土壌としては申し分ない。

 

(そして、ハキムがホロンヘッジ・バルバイム殿を推した理由はもうひとつある)

 

 それは、彼が相応の実力者であることだった。

 腐っても討伐隊の代表者の一人である。デュナム公国では指折りの実力者らしい。だが、ハキムが言うには「お前さんと隔絶するほどではない」。全霊で足掻けば喰い下がれる。謂わば、ソル本来の実力を潰さない程度に腕が立つ相手とのことだった。

 模擬戦で力量を示すには理想的な手合いである。

 ゆえに、ソルが出すべき答えは決まっていた。

 そのまま台本通りに、緩慢に腕を伸ばす。

 

「ぬしを、指名しよう」

 

 どよめきはなく、水を打った静寂に包まれる。

 背後の帝国小隊は皆、言葉を失って──。

 囲む討伐隊も一様に目を剥いて──。

 気怠げに立っていた少女すら呼吸を止め──。

 老爺に至っては表情を消すや否や、噴き出した。

 なぜなら、手が示した先には青年ではなく(・・・・)──。

 

「え。わ、私、ですか?」

 

 ただただ困惑を露にして、問い返す女。

 王国が誇る大英雄、四大将『黎明の導翳し』。

 彼女は紫紺の髪を跳ねさせ、わずかに後退った。

 

 


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