ロクでなし魔術講師と死神魔術師   作:またたび猫

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皆さんお久しぶりです‼︎
遅くなりましたが『12巻』発売と
『ロクでなし魔術講師と追想日誌3』の発売を
記念して大変でしたが今迄よりも膨大に頑張って
書かせてい頂きました‼︎


『HYパズ様』、『レン様』、『★めいか ★様』
更に応援してくださる皆様、貴重な意見な感想を
ありがとうございます‼︎


出来れば『感想』、『意見』、『評価』、『栞』、
『投票』などしてもらえると自分としては本当に
有り難いです‼︎更に読んで応援をして頂いたり、
意見や感想などを頂けたらとても有り難いです‼︎


【報告】

『ロクでなし魔術講師と死神魔術』は
これからにもよりますが書かないか
『削除』をするかもしれません…
まだ分かりませんがとりあえず他の作品や
新しい作品を集中して書いていきます…
皆さんこれからもよろしくお願いします。


交わる陰謀と思惑

山の稜線から顔を覗かせる曙光が、

薄闇のヴェールを払い始めた早朝。

朝靄漂う中、帝国北部イテリア地方と

南部ヨクシャー地方を結ぶ街道上を 南下する

馬車があった。

 

 

 

雄々しく逞しい馬四頭に牽引されるその馬車は、

要所要所に金銀細工のリレーフが施され、いかにも

貴人専用といった豪奢なしつらえとなっている。

それを裏付けるかのように馬車には翼を広げた

鷹の紋——帝国王室の紋章があった。

ロイヤル・ホースカート。

 

 

王室に縁ある者達のみが乗車を許される由緒

正しき馬車だ。その四方を軍馬に騎乗した衛士達

が固めている。盾と翼の文様をあしらった緋色の

陣羽織、腰には細剣(レイピア)。帝国軍に

おいて、特に王室の貴人達を守護することを

主任務とする王室親衛隊の衣装だった。

 

 

王室親衛隊とは、高度な剣術と一通りの軍用魔術

を修めた帝国軍屈指の精鋭である。それゆえに

親衛隊に所属する衛士達は皆が皆、選ばれた者

としての誇りと尊き王室の守護者としての使命感

を抱き、鋭い覇気に漲っている。

 

 

 

そして、最も馬車の扉に近い位置に、周囲の

親衛隊の面々とは纏う風格も、放つ眼光も

一際違う武人がいた。

 

 

やや白髪交じりの黒髪に髭、鋭い眼光、あちこち

肌を走る古傷がいかにも歴戦の古強者を思わせる

男だ。

 

 

王室親衛隊、総隊長ゼーロス。すでに初老の域に

さしかかっているものの、四十年前の奉神戦争を

戦い抜くことで鍛え抜かれたその士魂には微塵の

陰りもなかった。

 

 

ふと、周囲に鈴鳴りのような金属音が響き渡った。

それを聞いたゼーロスは腰袋に手を入れ、中から

半割れの宝石を取り出し、それを耳に当てる。

 

 

「報告せよ」

 

 

 

威厳と重圧感あふれる声色でゼーロスが言った。

 

 

 

『はっ! 第五班、第六班は本隊のおよそ一キロス

先を先行、現在、その周辺地域の歩哨中。

なお、現時点において野盗、魔獣の類いの姿は

ございません』

 

 

すると、宝石から先発隊からの状況報告が

聞こえてくる。

 

 

 

「うむ、ご苦労。だが、抜かるな。主要街道周辺

は軍が定期的に街道整備を行い、いまや民草らが

護衛なしで行き交える時代になったとはいえ、

今、我々が随伴している御方は女王陛下なのだ。

それをゆめ忘れぬよう、己が義務と忠誠を尽くせ」

 

 

『はっ!』

 

 

通信を切り、宝石を腰袋に戻すと、ゼーロスは

再び周囲に油断なく注意を払い始める。怪しき者が

近寄らば、斬る。いざという時には己が身を盾に

するのみ。そんな、涼やかながら確固たる裂帛の

意思。ゼーロスと王室親衛隊が守る限り、馬車の

中の貴人に危害がおよぶ事態など万が一にも

ありえない——見る者に自然とそう思わせる

威風堂々ぶり。そんな忠義の衛士達の頼もしい

雄姿を、 その女——アルザーノ帝国女王アリシア

七世は馬車の中からカーテンレースごしに見つめて

いた。アリシアは長く艶やかな金髪をアップに

まとめた、優しげな瞳の淑女だった。

 

 

 

ごく自然に周囲の者達の背筋を正させるような高貴

さと気品、それでいて悪戯に周囲を委縮させない

穏やかな気質を持ち合わせている。 すでに御年

三十代も後半だというのに、かつてアルザーノの

白百合と謳われたその美貌に衰えはなく、ますます

磨きがかかったようでさえある。

 

 

そんなアリシアの本日のお召し物は、王室の権威を

象徴する装飾煌びやかなロイヤル・ドレス——女王

の公的な正装——ではなく、黒とベージュを基調と

した簡素な外出用ドレス。だが、それでも人物の

内面に秘められた品位品格を隠しきれては

いなかった。

 

 

 

「もうすぐ……フェジテに到着になりますわね、

陛下」

 

 

 

アリシアの隣に腰かける二十代半ばほどの女が

声をかけた。ヘッドドレスにエプロン、ガーター

ベルトなどと言った使用人服に身を包む、黒髪黒瞳

の女性だ。

 

 

 

彼女の名はエレノア。女王アリシアの身の回り

の世話を務める侍女長、政務を補佐する秘書官、

そして護衛までをも兼任する才女である。

 

 

かつて、アルザーノ帝国大学政経学部を主席で

卒業し、剣術や魔術の腕も超一流と鳴らしていた

エレノアはその能力を買われ、女王の補佐役に

抜擢。今や上級貴族の一角たる四位下の官位に

就き、公私において女王を支える存在と

なっていた。

 

 

 

「ええ、そうですね、エレノア。

あの学院に顔を出すのは久しぶりですわ」

 

 

 

アリシアは艶然と微笑み、窓から馬車の進行方向

へと視線を移す。見渡す限りの牧草地帯、左方に

大きく緩やかに婉曲する街道の先に微かに見え

始めたフェジテの市壁と——その行き先を象徴

するかのように、空に浮かぶ幻の城の偉容が

あった。

 

 

「しかし、学院の転送法陣さえ、

あの忌々しい組織に破壊されていなかったら、

陛下がこのようなお苦労をなさることなど

ありませんでしたのに……」

 

 

 

転送法陣とは、離れた場所と場所を繋いで一瞬で

移動することを可能とする、超高等儀式魔術を補助

する魔導施設である。 敷設に適した土地の霊脈の

関係上、世界中のどこにでも自由に敷設できる代物

ではなく、おまけに敷設には莫大な金と時間が

かかる上に、法陣を活用できるのは魔力操作に

長けた人間——魔術師だけという欠点もある。

 

 

 

だが、それでも都市間移動を駅馬車や徒歩、

船に頼るこの世界では便利極まりない代物だ。

近年開発された蒸気機関という新しい動力源を

利用した鉄道列車の整備も現在、政府の開発条項

にあがっているが、実用化はまだまだ当分先、

転送法陣に代わる物ではない。

 

 

 

アルザーノ帝国魔術学院にも、帝都オルランドと

学院を繋ぐ転送法陣があったのだが、この転送法陣

は一ヶ月ほど前、 学院を襲ったテロ事件の際に

破壊されており、いまだ復旧のめどは立ってない。

 

 

ゆえに女王が帝都からフェジテに赴くには、

このように馬車を使い、何日間もかけて移動

するしかなかった。

 

 

「いいんですよ、たまには」

 

 

エレノアの憂いに満ちた言葉を受け、アリシア

はいたずらっぽく笑いながら人差し指を口元に

あて、ウインクした。もう良い歳だというのに、

どこか童女のような雰囲気のあるアリシアには

不思議と似合った仕草だった。

 

 

「こうして帝都の王宮から出て、政務を離れ、

外の世界を見るのも楽しいものですよ。それに、

たまには口うるさい爺やから離れて 羽を伸ばす

のも悪くないですし」

 

 

「はぁ……陛下ったら……それを聞いたら

エドワルド郷がまた泣かれますわ」

 

 

公的な場では非情に厳粛で、威厳と威光に

満ちあふれ、まったく隙のない傑物として諸国に

知られているアリシアだが、エレノアは自分の

仕える主君が私的な場では意外と茶目っ気あふれた

子供っぽい人物であることを知っている、数少ない

人物の一人だった。

 

 

「それにしても……ご機嫌ですね、陛下」

 

 

「ふふっ、わかりますか?」

 

 

アリシアは遠い目で窓から馬車の行く先を

見据える。

 

 

「娘に……三年ぶりに会えるかも

しれないんですもの」

 

 

 

「エルミアナ王女殿下……ですね」

 

 

だが、アリシアの期待を、エレノアは

申し訳なさそうに諫める。

 

 

「陛下、お気持ちはお察しいたしますわ。

ですが……」

 

 

 

「わかっています。みだりな接触は

避けるつもりです。遠くから……遠くから、

ほんの少しでもあの子の元気な姿を見ることが

できれば、それで充分ですから……」

 

 

でも……もし、できるのなら——アリシアは

声にならない言葉を呟き、胸元に下がっている

ロケット・ペンダントを手にした。楕円形の

真鍮製で、由緒正しき王家の人間ともあろう者が

身につけるには、えらく簡素な作りだった。

 

 

 

アリシアがロケットの蓋を開くと、中には

射影機で撮像されたモノクロの肖像が入っていた。

アリシアと、その両脇にアリシアの面影を

感じさせる二人の幼い少女が仲むつまじく

並んでいる構図。その少女達の片方は——三年前、

自分がこの手で放逐した少女だ。

 

 

 

「陛下、それは?」

 

 

 

「だめですね……捨てられないんです。 私は

この国を導かなければならない女王なのに、

あの子には何もかもを捨てさせたのに、私は……

これでは女王失格ですね」

 

 

 

アリシアは自嘲気味に言った。

 

 

 

「そんなことはありませんわ。陛下は派閥と

権謀術数入り乱れるあの魔窟のような帝国政府を

よく御しておられます。陛下なくしてはこの国は

立ち行きません。それに……貴女はアルザーノ

帝国の女王であると同時に、母親でもあるの

ですから……」

 

 

「……でも、あの子はきっと私のことを

恨んでいるのでしょうね」

 

 

小さく嘆息し、アリシアはロケットの蓋を閉じた。

そんなアリシアの様子を見てとったエレノアは、

神妙な面持ちで進言する。

 

 

 

「ご無礼を承知で進言させていただきますわ、

陛下。よろしいでしょうか?」

 

 

「なんですか?」

 

 

「そのロケット・ペンダント……もし、万が一

のことがあれば問題になります。フェジテに

御参着の際には、置いていくのがよろしいかと

存じ上げます」

 

 

「そうですね。

世の中ままならないものですね……でも、

どうしましょう?何か代わりの装飾を

用意しないと……エレノア」

 

 

「はい、わかりました。今、お召し物に合う物

をお探しいたしますわ」

 

 

エレノアは座席の下から宝石箱を取り出し、

それを物色し始める。しばらくして、エレノアは

ネックレスを一つ、宝石箱から取り出した。

 

 

翠緑の宝石が納まった金色細工だった。

 

 

「ふふ、陛下。これなどいかがでしょうか?」

 

 

 

「あら、綺麗。でも、初めて目にする

ものですね。一体、どうしたんですか? それ」

 

 

 

「ええ、陛下に相応しいとても良い一品

でしたので、先日、知り合いの宝石商から新しく

入手しておいたのです。きっと、今の陛下の

お召し物にお似合いですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

——夢を、見る。それはルミアにとっては、

もう何度見たかわからない夢。だから、ああ、

またあの夢だ……と胡乱な意識の中、

ルミアは漠然と思った。

 

 

「ひっく……ぅう……お母さん……お母さん……」

 

 

一筋の光も差さぬ、塗り潰したかのような

真っ暗闇の中、幼い自分は泣いている。

 

 

「やだよ……捨てないでよ……わたし、

いい子にする……いい子にするから……もう、

わがまま言わないから……わたしのこと、

嫌いにならないで……」

 

 

幼い頃の私にとって母は私の世界の全てだった。

だから母から捨てられた私は、世界の全てから

嫌われてしまった、要らない子になってしまった、

そんな風に感じていた。

 

 

それでも恐る恐る周囲を見渡す。私を冷たい目で

追放した母親の姿を探すかのように、誰か私の

味方をしてくれる人を探すかのように。

 

 

だが、代わりにその目に飛び込んで来たのは——

 

 

 

「ひぃ——ッ!?」

 

 

死体だった。血塗れの死体が自分の周りに、

いくつも転がっている。母に捨てられたと

思って僻み、お世話になっていた家の人達に

毎日当たり散らしていたら、ある日、突然、

私をさらった、悪い魔法使いの人達の死体だ。

 

 

 

きっと、私のことを嫌いになった母親が、

捨ててもなお悪い子のままでいる私を殺そうと

差し向けたのだ。なぜ、その魔法使い達が

死んでいるのかはわからないけど……その光景は

まるで、お前に味方してくれる人は誰もいない、

世界からそう突きつけられたかのようで……

未来の自分の姿を暗示しているかのようで。

 

 

 

「ぁ、あ、あ、ああああ——ッ!?」

 

 

 

怖い。怖い。怖い。感情が振り切れる。

捨てられた悲哀も、さらわれた恐怖も、

血と死体の気持ち悪さも。

 

 

あの時の私は、何もかもが限界だった。

 

 

「もう、嫌ッ! 嫌ぁあああ——ッ!」

 

 

 

頭を抱えて私は泣き叫んだ。

 

 

「なんで……ッ!? 

どうして、わたしばっかりこんな目に!?」

 

暗闇の中、ただ一人ぼっちで

私がわめいていると——

 

 

「君はもしかして……異能者なの?」

 

 

背後でぞっとするような、暗く、低く、冷たい声。

 

 

反射的に首だけ回して振り返ると、そこには、

黒髪、黒瞳、黒い外套、黒の長い口当て、そして

漆黒の鎌を肩に担いでいる全身黒ずくめの男の人

がいて、顔の辺りは『阻害魔術』で見えなかったが

昏く冷え切って寂しそうな瞳で私を見下ろしている

様な気がした。

 

「——ひッ!?」

 

 

 

心臓が止まるかと思った。今まで理解を

拒んでいた頭が瞬時に状況を理解した。

 

 

そう、あの悪い魔法使い達を殺したのは

間違いなくこの人だ。この人が漆黒の鎌を

取り出したら、なぜか悪い魔法使い達は皆、

怯えた表情をして何のためらいなく悪い人達を

一方的に狩り殺したのだ。最後は皆、命乞いすら

していたのに、この人は微塵も容赦しなかった。

 

 

そして——きっと、次は私の番なのだ。

 

 

「い、いやぁあああああああッ!? 

やだ、助けて!? 誰か、誰か助けて!?」

 

 

「うわ、しまった!? な、泣くな!? 

僕は君の味方だよ! 味方!」

 

 

 

「嘘ッ! 

私に味方してくれる人なんているわけないもん!

この世界で私に味方してくれる人なんていない!

お母さんも、お母さんすら私を捨てたのに——

むぐッ!?」

 

 

 

その人は咄嗟に私を引き寄せてぎゅっと

抱きしめていた。その瞬間、あまりもの

恐怖に心臓が破裂しそうなほど跳ね上がった。

私の背筋を氷の刃で刻まれたような悪寒が

痛みすら伴って駆け上る。小船を翻弄する

嵐のような狂乱、次第に空白へと淀んでいく

思考の中、私は死に物狂いで暴れたが、手足は

完全に押さえつけられ、何もできなかった。

殺される、いよいよ殺される。死にたくない。

助けて、誰か助けて。いやだ。こんな所で

一人ぼっちで死ぬのは嫌だ、嫌だ、嫌だ——

 

 

 ——だけど。

 

 

 

「大丈夫…僕も異能者だから……

君と同じだから安心してくれ…大丈夫だから…

人殺しの僕が怖いかもしれないけど大丈夫だよ…

とにかく頼む…今だけは落ち着いてくれ…頼む…

今だけで良いから僕を信じてくれないか?」

 

 

 

ゆっくりと、一言一言、言い聞かせるように

紡がれたその言葉に。訴えかけるように必死な、

真摯なその眼差しに。そして自分と同じ異能の力が

あると聞いた瞬間、私の狂乱は少しずつ、引き潮の

ようにゆっくりと、落ち着いていく。

 

 

「……ッ……ッ…………ッ!」

 

 

そして何故か分からないけど先程自分の心を蝕み

染まっていく恐怖は不思議と消えていった。心臓

が破れそうだった動悸はいつの間にか治まって

いた。ぼろぼろとあふれる涙がいつの間にか

収まっていた。しかし、この人がさっき私の

目の前で、血も涙も なく人を殺したのは事実

なのだ。私はこの人がまだ少し怖い。何者か

分からなくて怖い。怖くて怖くて今にも死んで

しまいそうだった。けれど、その人はそんな

恐怖に震える私を、抱きしめてほんの一瞬だけ

震えてる様な気がした。

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 

「僕のことをいくら怖がろうが、僕は嫌おうが

構わない。だが、もし、君と僕が奇跡的にまた

会えたなら——……」

 

 

 …………。

 

 

 

「ルミアー? ほら、そろそろ起きないと……」

 

 

「……むにゃ?」

 

 

ゆさゆさと揺さぶられ、ルミアの意識が

夢の中から現実世界へ舞い戻る。

 

 

「あれ? …………ええと」

 

ルミアが寝ぼけ眼をうっすらと開ければ、

そこはシスティーナと共同で使っている、

いつものフィーベル邸の一室だ。華やかな

文様が描かれた絨毯、壁の燭台、磨かれた

オーク材の机に椅子など、部屋に据えられた

調度品の数は控えめだが、どれも品が良い。

 

 

自分はゆったりと丈の長いネグリジェ姿で、

ふわふわの羽毛布団を抱きしめ、ベッドの上で

寝そべっている。

 

 

そのベッドのそばにはシスティーナがいた。

今日のシスティーナが普段の学院制服姿に加え、

その細腰に革の剣帯を巻いて、曲線状の鍔を持つ柄

(スウェプト・ヒルト)が美しい細剣(レイピア)を

佩剣するという魔術師の伝統的な決闘礼装なのは、

今日が魔術競技祭当日だからだろう。

 

 

ゼンマイ式の壁かけ時計へ目を向ける。

朝の七時過ぎだ。窓から差し込む朝の陽光と、

カーテンを揺らしながら吹き込む爽やかな風。

本日はよい日和になりそうだ。

 

 

「……早いね、システィ」

 

 

「ほら、まぁ、私はその、やることあったから

……そんなことよりもほら、今日は魔術競技祭

なんだし、お父様とお母様は 仕事でいないし、

もう起きなきゃ」

 

 

「うん、そうだね……」

 

 

ふわ、と小さくあくびをしてルミアは身を

起こした。

 

 

「私、下で待ってるから。

……二度寝しちゃだめよ?」

 

 

「……しないよー」

 

 

「と、言って二度寝したことが今まで三回

あったわよ」

 

 

「あはは、そうだっけ?」

 

 

互いに苦笑いを交わしながら、システィーナは

部屋から出て行き、ルミアはベッドからの

そのそとした動作で降りる。絨毯の柔毛が

ルミアの足の裏を微かにくすぐった。

 

 

「久しぶりにあの夢、見たなぁ……」

 

 

ルミアはまだ少しはっきりしない頭のまま、

夢の内容に思いを馳せた。

 

 

今からおよそ三年前、エルミアナとして

生きていた今までの人生を全て否定され、

ルミアとして生きていくことを余儀なくされ、

フィーベル家に引き取られた頃の話。

 

 

母親から捨てられたという負い目から、

何もかもが信じられなくなり、この世界に

自分の味方はいない、自分は一人ぼっち、

自分は世界で最も不幸な子、と荒れていた頃。

ルミアはシスティーナと間違われて誘拐され、

そして、『グレン』と『幻影の死神』(ノワール)

に出会った——そしてあの時の『思い出』が、

あの『言葉』が全てを失いそして色褪せた白黒

しかなかったモノクロの世界に一人取り残された

ルミアの世界に複数の色の色彩がつき明るくて

眩しい世界を教えてくれた。

 

 

 

「どうして今になってまた、

あの頃の夢を見るんだろう……?」

 

 

もう、全て吹っ切ったはずだ。

 

 

考えようによっては母親がしたことはルミアに

とって悪いことばかりではなかった。システィーナ

とノワール君と友達になることができたし、

なにより自分を助けてくれたグレンと出会うことが

できた。グレンがあの時の出会いのことを すっかり

忘れているのが、ほんのちょっとだけ不満だけど、

それでも今の自分はあの頃よりも前向きに

生きている。エルミアナとして何不自由なく

生きていた頃とは違い、人生に新しい目標も

できた。

 

 

全て、吹っ切ったはずなのだ。

 

 

「……ううん、吹っ切ったって……

思いたいだけなのかな……?」

 

 

なんとなく、またこんな夢を見た原因には心当たり

がある。今日、学院にあの人が——かつて、

自分を捨てたあの人が来るのだ。夢の中の出来事

を体験する切欠、全ての元凶が、今日、学院に

やって来る。どうやらその事実は自分にとって、

思っていた以上の心労だったらしい。

 

 

「…………」

 

 

 

ルミアはベッド横に据えてある小さな丸テーブル

の上に置いてあった楕円形の真鍮製ロケット

を手に取り、その蓋を開く。中には何も入って

いない。否、正確には、かつてそこには何かが

入っていたらしく、その何かが剥ぎ取られた

ような痕が残るのみだ。

 

 

 

ルミアはしばらくの間、無言でそれを見つめ、

やがて何かを振り払うかのように、軽く頭を

振りながら、その蓋を閉じた。ロケットに繋がる

鎖の端を両の手でつまみ、首の後ろに回して

留め具を合わせる。

 

 

 

「よし、今日は頑張ろう」

 

 

 

一つ、小さく気合いを入れて、ルミアは自分の

衣類が納められたクローゼットに向かって

歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそ………朝から最悪だ……」

 

 

 

ノワールはそう言って二階の部屋の寝室から

出て降りた。しかし、今のノワールの姿は

髪は寝癖のせいでボサボサになって目の下には

眠れなかったのか目の隈がくっきり見えていた。

 

 

 

「忘れた…筈だったのに……」

 

 

 

それもそのはず、ノワールの大好きな人達、

『イルシア』や『シオン』は自分のせいで

死んでしまったと思っているあの時から

ノワールの時間は止まってしまい更には

『魔術を憎む感情』などを全部忘れる為に

ただ狂ったかのようにこの手が赤黒く

染まるまで外道魔術師達を刈り取り続けて

己のドス黒い泥のような感情に蓋をした筈だった。

 

 

なのにーーー

 

 

 

「胸糞悪い……」

 

 

 

 

ノワールは右手で自分の顔を隠しながらそう言う。

ノワールがそう言うのも無理もなかった。

『魔術の表』しか見ていない学院の生徒達が

グレンの言う通り『外道魔術師達の犯罪数』、

『魔術がもたらす不幸の深い闇』や更には

『薄汚れた世界』を見て見ぬふりをして魔術を

崇拝や孤高とか偉大などと同じように口にして

神を見るような信仰をして更に以上なまでの

『魔術が絶対的な正義』だと信じて揺るぎない

と表情を見ていて何故かたまに心の奥底から

ドロドロと負の感情らしき物がするものが

明らかに少しずつ、少しずつと増えていくのが

自分でも嫌というくらい分かった。

 

 

 

そしてしまいには外道魔術師の組織、

『天の智慧研究会』の学院の襲撃事件、

『エルミアナ王女』事『ルミア=ティンジェル』

を誘拐しようとした最も魔術を崇拝して狂った

外道魔術師のテロリスト達…『ジン=ガニス』、

《竜帝》ーー『レイク=フォーエンハイム』、

『ヒューイ=ルイセン』などの外道魔術師達を

ノワールが冥府の鎌で刈り取って…殺して殺して

殺して殺して殺し尽くす……そしてレイクに

言われた『あの言葉』にようやく気づいて

悟った……

 

 

 

『どんなに悪が善を行おうとも行き着く先は

薄汚れた血みどろの世界で光すら見えない

真っ暗なで茨の道しかないと言う現実を……』

 

 

 

そして最後の決定的な決め手となったのは

グレンとハーレイの魔術競技祭前の練習所の

やり取りだった。ノワールから見たハーレイの

姿は今迄の外道魔術師達に見えた。

 

 

 

更に『名誉』、『勲章』そして『高い階級』

そして更には自分より他人を見下していて差別的

な目をしていて非常に不愉快に感じたからだ。

しまいの果てには『崇拝で偉大な学問』の

一点張りがノワールの負の感情の引き金となった。

 

 

 

 

『崇拝で孤高なら何故、二人は死んだ…?

そんなに素晴らしい魔術の世界なのなら

何故、こんなにも理不尽で不条理なんだ…?』

 

 

 

 

その感情の引き金が引かれた瞬間、

蓋をしていたドス黒い負の感情が完全に

吹き出してドロドロと溢れ出しながら

頭の中に渦巻いて気付いた時にはシスティは

頬を叩かれて手遅れだった。

 

 

 

任務の時に感情に身を任せるのは暗殺者として

明らかに絶対にしてはいけない事だと自分でも

分かっていた筈だったのに何故かその時だけは

言わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

「どうして……今になってあんな事を…?」

 

 

 

ノワールはどうして自分自身があんな事を

口走ったのかいくら考えても全く分からなかった。

もしかしたら、路地裏で見たあの時の

『イルシアの幻覚』を見たせいかもしれない。

そんな事をいくら考えてもその時の自分自身が

納得する答えは浮かばず、更に考える事が全く

もって馬鹿らしくなっていた。

 

 

 

 

「行くか…」

 

 

 

 

ノワールはそう言って玄関の扉を開けて

アルザーノ学院を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ女王陛下を歓待するその時が

近づいていた。

 

 

魔術学院正門前は、女王陛下の行幸を出迎える

ため、学院関係者でごった返していた。正門から

本館校舎の来客用正面玄関に向かって人垣の道が

できている。先発で到着した王室親衛隊の面々が

周囲に目を光らせ、あふれかえる生徒達を

仕切っていた。

 

 

 

(相変わらずやる気出し過ぎだろ…)

 

 

ノワールが冷めた瞳で周りを見いると

今や、その場に集う学院関係者の全てが、

緊張した面持ちで女王陛下の到着を

今か今かと待ちわびていた。

 

 

「ていうか……本当に陛下、今日来んの?」

 

 

 

そんな人垣を構成する一角、

緊張に満ちたこのような状況にも関わらず、

ただ一人グレンはいつもの調子で、

すっとぼけたことを呟いていた。

 

 

 

「貴方、いまさら何、

馬鹿なこと言ってるのよ!?」

 

 

 

グレンの左隣に並ぶシスティーナが

呆れたようにグレンをたしなめる。

 

 

「あはは、ちゃんとお越しになられる

はずですよ? 陛下はこういうこと、大切に

するお方です。ほら、民の様子を視察するために

よく各地を巡歴なさっていますし」

 

 

グレンの右隣に並ぶルミアも苦笑いするしかない。

 

 

「いや、だってさぁ、帝都からここまでめっちゃ

遠いじゃん? 転送法陣も今は使えねえし……

俺が陛下だったら絶対、面倒臭くて来ねぇ」

 

 

 

「アンタみたいな出不精と女王陛下を

一緒にすんなッ! 不敬でしょうが!」

 

 

 

ぺちん、とシスティーナはグレンの背中を

はたいた。すると、たいした力を加えたわけでも

ないのに、グレンがよろめいた。

 

 

 

「……先生!?」

 

 

 

とっさにルミアがよろめくグレンへ駆け寄り、

脇下に腕を入れて支える。

 

 

「っとと……すまん。つーかさ、来るなら

さっさと来て欲しいんですけど……俺、もう、

こうやって立ってるだけで限界……は、腹が……」

 

 

 

 

グレンがそう言って横目だったが視線を

ノワールに向いていると、その時だ。

 

 

 

 

 

 

「女王陛下の御成りぃ~ッ! 

女王陛下の御成りぃ~ッ!」

 

 

 

人垣の道の中央を、馬に騎乗した衛士が叫びながら

駆け抜けて行く。それを受け、待機していた楽奏隊

が歓迎のパレードマーチを演奏し始めると、生徒達

一同は大歓声を上げながら盛大な拍手を

巻き起こした。

 

 

音の爆音が辺り一帯を支配する。やがて、人垣で

できた道の間を護衛の親衛隊に囲まれた豪奢な

馬車が悠然と進んで行く。女王アリシア七世が

窓から身を乗り出して、生徒達の歓声と拍手に

応えるように手を振ると、さらに拍手と歓声の

音量が上がった。

 

 

そんな、盛況ぶりの最中。ルミアは音のない

異世界にただ一人取り残されたかのように、

その光景を遠い目で眺めていた。女王を讃える

歓声も、拍手の渦もまるで耳に入っていない

ようだった。無意識のうちにルミアの手は首に

かけられたロケットを探り当て、それを開く。

 

 

中には——やはり、何も入っていない。

 

 

 

「どうしたの? ルミア」

 

 

すると、親友の様子に気付いたシスティーナが、

心配そうにルミアに声をかける。

 

 

 

「それ……ロケット? 

……中に何も入ってないみたいだけど?」

 

 

システィーナに手元を覗き込まれたルミアは

慌ててロケットを閉じ、首を振った。

 

 

 

「あ、あはは、なんでもない、

なんでもないよ?」

 

 

そして、取り繕ったかのように

歓迎パレードの方へ目を向ける。

 

 

 

 

(やっぱり…魔術は崇高なものなんかじゃない…

だって、目の前の一人の女の子を救えずに

人殺しに特化した人の役に立たないそんな

殺人兵器を馬鹿みたいにみんなが崇めるなんて…)

 

 

 

 

ノワールはルミアを見てそう思ってると

 

 

 

 

「それにしても、女王陛下って相変わらず

凄い人気だよね……それに、とてもお綺麗な

人だし……なんか憧れちゃうなぁ……」

 

 

 

システィーナはそんな不自然なルミアの様子に、

確信した。

 

「ルミア……やっぱり、貴女……」

 

 

 

ルミア=ティンジェルは本名ではない。

ルミアの彼女の本当の名前は

エルミアナ=イェル=ケル=アルザーノ。

帝国王室直系の正当な血筋を引く、

元・王位継承権第二位——

つまりはアルザーノ帝国の王女様だ。

 

 

ルミアは本来ならば、このような場所に

いるはずのない貴人なのだ。だが、三年前、

ルミアが『感応増幅者』と呼ばれる先天的

異能者であることが発覚し、様々な政治的

都合から表向きは病で崩御なされたとして、

その存在を抹消されたのである。

 

 

その裏事情はとても複雑だ。アルザーノ帝国

王家の始祖は、隣国のレザリア王国王家の系譜

に連なっている。それゆえにアルザーノ帝国

とレザリア王国は、互いの国家の統治正統性や

国際権威上の優位性について、常に揉めに

揉めてきた関係だ。おまけに帝国王家の統治

正統性を保証する帝国国教会を、レザリア王国

を事実上支配する聖エリサレス教会教皇庁は

異端認定しており、両教会の関係もすこぶる悪い。

 

 

そんな中、帝国王室の血筋から悪魔の生まれ

変わりであると、いまだ広く堅く信じられている

異能者が生まれてしまったことが明るみに

なりかけたのだ。

 

 

もし、エルミアナの存在が外部に漏れれば

国内混乱は避けられず、神の子孫であると

される帝国王家の威信は地に落ち、常に帝国の

併合吸収を狙うレザリア王国や聖エリサレス教会

教皇庁が知れば、第二次奉神戦争勃発の引き金に

すらなりかねない。

 

 

 

アルザーノ帝国は良くも悪くも神聖なる王家に

対する民衆の絶対的な威信でもっている国である。

エルミアナの存在で帝国を根幹から揺るがし

かねない猛毒だったのだ。

 

 

そのためエルミアナ王女は表向き病死とされ、

密かに処分されることが決定した。

国家を背負い立ち、国民を守らねばならない

女王と帝国政府の苦肉の決断だった。

 

 

そして、様々な思惑と権謀術数の果てに

エルミアナ王女——ルミアは今、

こうしてシスティーナのそばにいる。

 

 

システィーナもつい最近までルミアの

そんな壮絶な素性など露ほども知らなかった。

両親がどこからか引き取ってきた身寄りのない子、

そんな風に思っていた。しかし、一月ほど前に

起きた事件の後、事件解決の功労者の一人として、

ルミアにもっとも近しい人間の一人として、

システィーナはルミアの素性を帝国政府の上層部

から極秘に聞かされた。事情を知った上でルミア

の秘密を守る民間の協力者となることを要請

された。

 

 

 

そして、そんなルミアの素性を知っている

からこそ、システィーナは今のルミアの心境が

容易に想像できた。

 

 

「ねぇ、ルミア。……大丈夫?」

 

 

システィーナはルミアに寄り添い、ルミア以外の

誰にも聞こえないように囁いた。

 

 

 

「ん? それってどういうこと? システィ」

 

 

同じくひそひそ声で返すルミアの様子は

いつも通りだ。

 

 

「えと……ほら、ルミアの本当のお母様って

……ほら……」

 

 

 

どこに誰の耳があるかはわからない。

公の場で決定的な言葉を紡ぐわけにいかず、

システィーナは言葉を濁した。だが、流石は

姉妹同然の親友同士、ルミアはシスティーナが

一体、何を言いたいのかを簡単に察した。

 

 

「心配してくれてありがとう、システィ。

でも、うん、私は大丈夫だよ。だって私の

本当の両親はシスティのお父様とお母様だもの」

 

 

「……そう」

 

 

複雑そうな表情でシスティーナは

親友の横顔を見つめる。

 

 

 

「それじゃあルミアは……もう、

本当のお母様には……その、なんの未練も?」

 

 

「うん……だって私、幸せなんだよ? 

システィとお父様とお母様と一緒で、皆、

凄く良い人で……」

 

 

 

ぎゅっと、ルミアはロケットを握りしめながら

儚く笑った。

 

 

「ルミア……」

 

 

 

なんともいたたまれない気持ちでシスティーナ

は言葉を失った。本人が幸せだと言うなら

システィーナには何も言えなかった。

 

 

 

そんなルミア達の会話を見て聞いていた

ノワールはアリシア七世を見て思った。

 

 

 

 

(どんなにここにいる学院の生徒達が魔術を

『崇高』や『孤高』などと口に出して言おうと

魔術の根本はグレンが言う通り変わらない…

魔術は人殺しに特化したエゴの塊の象徴なんだ。)

 

 

 

 

ノワールがそう思っている中、そんな二人の

やり取りをグレンは黙って見守っていた。

空気を読んだわけではない。ただ、しゃべると

空きっ腹に響くからであった。魔術競技祭は例年、

魔術学院の敷地北東部にある魔術競技場で

主に行われる。競技場はまるで石で作られた

円形の闘技場のような構造だ。中央には

芝生が敷き詰められた競技用フィールド。

三層構造の観客席は外に向かうほど高くなり、

空から見れば深皿のように見えるだろう。

この競技場は魔術的ギミックを組み込んだ

建築物でもあり、管理室からの制御呪文一つで、

フィールドをなみなみと水の張られたプールに

したり、樹木が乱立する林にしたり、炎の海に

したり、石造りの舞台を出現させたり、

あらゆる条件・競技に対応可能だ。

 

 

 

そして今、競技場の観客席は人であふれかえり、

活気に満ちていた。観客席にいるのは学院の

生徒達だけではない。生徒達の両親や、学院の

卒業生など、学院の関係者が続々と集まっている。

競技場観客席の最も高く見晴らしの良い場所に

据えられたバルコニー型の貴賓席には、女王陛下の

御姿も見えた。魔術を公の場で使用することを

法的に禁じられているこの国において、魔術による

競い合いというものは、実際に参加するにしろ

観客に徹するにしろ、魔術師達にとっては何物にも

代えがたい娯楽なのだ。そういうわけで今年も

大勢の観客が学院の内外から集まり、

賑わっていた。

 

 

 

魔術競技祭は学年次ごとのクラス対抗戦で、

年に三度行われる。つまり一年次生、

二年次生、三年次生の三つの部が

あることになる。今回開催されるのは

二年次生の部だ。ちなみに四年次生の部は、

四年次生が卒業研究で忙しいとの理由で

開催されない。最終的に表彰されるのは、

総合一位に輝いたクラスのみだ。二位や三位に

意味はない。全か無か。それゆえに勝利に

あらゆる手段を尽くすことを是とする魔術師の、

古典理念を正しく踏襲した表彰方式である。

そして、今回の二年次生の競技祭のみに限り、

女王陛下自らが表彰台に立ち、優勝クラスに

勲章を直接下賜するという帝国民ならば誰もが

羨むような名誉がある。魔術競技祭に参加する

全ての生徒が、そして各クラスの担当講師が、

なんとしても優勝したい……そう息巻いているのが

今回の二年次生の部の魔術競技祭であった。

そんな中、二年次生二組——グレンの担当クラスは

特に学院内の噂でもちきりとなっていた。

なにしろ、この状況で、まさかの

クラス生徒全員参加なのだ。

 

 

成績上位者も成績下位者も分け隔てない、

この平等出場。グレンは勝負を捨てた、流石は

魔術師の風上にも置けない男、でもグレン先生の

クラスは全員参加できて羨ましい、いや待て、

このやる気のなさは女王陛下に対する

不敬ではないのか? ……この一週間、

各方面で散々に囁かれた。

 

 

 

グレンとノワールはハーレイに喧嘩を売って、

お互い優勝に給料三ヶ月分を賭けているという

噂も注目を集めるのに一役買っていた。

とは言え、奇異の目を集めてはいたが、

誰もグレンの担当しているクラスに期待など

していなかった。勝負になるとすら

思っていなかった。

 

 

 

(ふん…くだらない…)

 

 

 

 

ノワールはそう内心で悪態をついてそしてこっそり

と隠しておいた前回、テロ事件で使った自分と全く

同じのゴーレムを起動をさせてその場を後にして

いるとやがて時間がやってくる。決闘礼装として

の細剣(レイピア)を腰に吊った生徒一同が中央

のフィールドに集合整列し、魔術競技祭開催式が

行われる。開式の言葉、国家斉唱、関係各者の

式辞、生徒代表による選手宣誓——式は粛々と

進んでいく。そして、女王陛下の激励の言葉と

共に、とうとう魔術競技祭が開催されるので

あった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————。

 

 

 

競技場の外周に等間隔にポールが立っており、

その外側を飛行魔術を起動させた選手達が風を

切って飛び翔けている。

 

 

二人で一チームを作り、広大な学院敷地内に設定

されたコースを、一周毎にバトンタッチしながら

何十周も回る『飛行競争』の競技。そして、今は

そのラストスパート。観客席の生徒達は、競技場

の外側を大きく回るように飛翔する選手達の、

予想外な勝負展開に歓声を上げていた。

 

 

 

『そして、さしかかった最終コーナーッ! 

二組のロッド君がぁ、ロッド君がぁああ——

ぬ、抜いた——ッ!? どういうことだッ!? 

まさかの二組が、まさかの二組が——これは一体、

どういうことだぁあああ——ッ!?』

 

 

魔術の拡声音響術式による実況担当者、

魔術競技祭実行委員会のアースが実況席で

興奮気味の奇声を張り上げている。一位、

二位確定の先頭集団はそっちのけで、グレンの

担当クラスである二組チームにご執心の

ようであった。

 

 

 

『そのまま、ゴォオオオル——ッ!? 

なんとぉおおお!? 飛行競争は二組が三位!

あの二組が三位だぁ——ッ! 誰が、誰がこの

結果を予想したァアアアアア——ッ!?』

 

 

その拍手の発生源は主に、競技祭に参加

できなかった生徒達からだった。グレン率いる

二組クラスとは別のクラスだが、何か共感できる

ものがあったのかもしれない。

 

 

 

『トップ争いの一角だった四組が最後の最後で

抜かれる、大どんでん返し——ッ!』

 

 

 

一位は当然のようにハーレイ率いる一組だったが、

前評判で勝って当たり前のハーレイの一組より、

負けて当然だったグレンの二組の奮闘ぶりの方が

会場の注目の的だった。

 

 

一方、競技祭参加クラス用の待機観客席にて。

 

 

 

「やったぁ、凄い! 先生、三位! 

ロッド君とカイ君、三位ですよ!?」

 

 

 

(うそーん……)

 

 

 

隣で手を打ち鳴らして大喜びするルミアをよそに、

グレンは目を点にして呆然としていた。その視線が

向けられる先に、飛行魔術の名手として知られる

他クラスの選手達を相手に健闘したロッドとカイ

が、空でハイタッチして喜びを分かち合っている。

 

 

 

(……ま、まさか、ここまでやるとは……)

 

 

 

とは言え、冷静に考えればこの結果は確かに

当然の帰結とも言えた。空を飛ぶ飛行魔術は、

専用の飛行補助魔導器——昔は箒型の気流操作

魔導器がよく用いられていたらしいが、今は

指輪型の反重力操作魔導器が主流——を身に

つけ、黒魔【レビテート・フライ】の呪文を

唱えることで発動する魔術である。

 

 

 

 

そんな飛行魔術の腕前を競うのが『飛行競争』

の競技であり、今回の『飛行競争』は学院敷地内

に設定された一周五キロスのコースを二人で交代

しながら計二十周するというルールであった。

一周だけ見るなら瞬発的な飛行速度が重要だろう

が、二十周ともなれば相当の魔力消費と疲労が

予想される持久戦となる。元々、維持や制御が

難しい飛行魔術には鋭敏な集中力も必要とされる。

この条件下で好成績を残すには、事前に何度も

コースを完走して、綿密なペース配分を確立して

おくことが必須だ。

 

 

 

 

この一週間、この競技だけを練習してきた者と、

複数の競技の練習の片手間にしか練習して

こなかった者や練習する暇がまったくなかった

者とでは、ペース配分に関する練度と精度に

必然的に差が出てくる。実際、ロッドとカイは

地力では他クラスの選手に劣っており、前半は

最下位を低迷していた。だが後半、練習不足の

他クラスの選手は皆、前半の激しい首位争いの

結果、ペース配分を誤って失速、自滅。中には

魔力切れで途中脱落してしまう選手すら出る始末。

去年の『飛行競争』がごく短距離の速度比べ

だったことも災いしたのだろう。

 

 

 

色んな要因が重なり、その漁夫の利を得る形で

二組が好成績をさらうこととなった。

 

 

 

(いや、まぁ、確かに一週間で飛行速度上げるのは

絶対無理だから、ペース配分の練習だけやってろ、

とは言ったがな……)

 

ここまで上手くハマるとは予想外である。

 

 

「幸先良いですね、先生!」

 

 

システィーナも顔を上気させ、興奮気味にグレン

に話しかける。

 

 

 

「飛行速度の向上は無視してペース配分だけ練習

しろって、どういうことかと思っていましたけど

……ひょっとして、この展開、先生の計算済み

ですか?」

 

 

 

「……と、当然だな」

 

 

いくら相手が、あの普段生意気で小姑のように

うるさいシスティーナとはいえ、そこまで

感服されたような表情を向けられれば、もう、

そう答えるしかなかった。

 

 

 

「俺はこうなることを、この学院全体に蔓延

する『飛行競争』に対する認識からすでに 読み

切っていた……なにしろ今回の『飛行競争』は

【レビテート・フライ】の呪文を使って、一周五

キロスのコースを二人で交代しながら計二十周する

競技だ。一周だけ見るなら瞬発的な飛行速度が

重要だろうが——」

 

 

 

 

結果を見てようやく気付いた勝負の裏に潜む

落とし穴を、さも最初からわかっていたかのように

堂々と説明するグレン。なんかもう格好悪いこと

この上ない。

 

 

「——後は連中がペース配分間違って勝手に

自滅するのを待つだけさ。だから、俺が指示

したことは実に簡単だ。ペース配分は死んでも

守れってな……ふっ、楽な采配だぜ」

 

 

 

 

席に深く背を預けて足を組み、余裕綽々な表情

を掌で隠し、指の隙間から不敵にほくそ笑む

その様は、いかにも大策略家な雰囲気を

(見た目だけは)かもし出している。

 

 

 

そして、そんなグレンの後付け講釈をかたわらで

聞いていた生徒達はすっかり勘違いして、グレン

に畏怖と尊敬の目を向け始めた。

 

 

「ひょ、ひょっとして俺達……」

 

 

 

「あぁ……まさか……とは思ったが、

先生についていけば、ひょっとしたら……」

 

 

 

(やめて、君達。俺にそんな期待に満ちた

純粋な目を向けないで。心が痛いから)

 

 

 

また、観客席通路の向こう側から、土壇場で

負けてしまった四組の生徒と二組の生徒達が

言い争いをしているのが聞こえてくる。

 

 

 

「……ちっ! たまたま勝ったからっていい気に

なりやがって……ッ!」

 

 

 

「たまたまじゃない! これは全部、グレン先生

の策略なんだ!」

 

 

 

「そうだそうだ! お前らはしょせん、先生の

掌の上で踊っているに過ぎないんだよ!」

 

 

 

 

「な、なんだと!? くっ……おのれ二組、

いきがりやがって! 俺達四組はこれから、

お前達二組を率先して潰しにいくからな!

覚悟しろよッ!?」

 

 

「返り討ちにしてやるぜ!なんてったって俺達

にはグレン先生がついているんだ!」

 

 

 

「ああ、先生がいる限り、俺達は負けない!」

 

 

 

(やめて、君達。本当にやめて。

もうこれ以上、ハードル上げないで、お願い)

 

 

 

グレンは心の中で冷や汗をかいていた。

 

 

「あの……先生? なんか顔色悪いですよ?

その、大丈夫ですか?」

 

 

 

「あぁ、ルミア……

お前だけが心のオアシスだ……」

 

 

「……?」

 

 

 

 

(んで、ノワールは……)

 

 

 

 

どこか憔悴しきっている様子のグレンに、

ルミアはきょとんと首をかしげた。そんな中、

グレンはノワールに似たゴーレムを見ていると

ノワールに似たゴーレムは隅でグレン達を

眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっはははははははははははははははは!」

 

 

 

女王の貴賓席に相席を許される栄誉を賜った

学院の魔術教授セリカは、誰もが予想だに

しなかった『飛行競争』の結末に、女王の御前で

あることも忘れて膝を叩きながら大笑いしていた。

場所が場所ならば即座に斬って捨てられても

おかしくない暴挙である。

 

 

 

実際、女王の背後に控える侍女長エレノアは

露骨に眉をひそませ、貴賓席の周囲を警邏する

ゼーロス達王室親衛隊の面々は不愉快そうに

セリカを睨みつけた。

 

 

だが、この自由奔放唯我独尊を地で行く

大陸最高峰の女魔術師はどこ吹く風だ。

 

 

「はしたないぞ、セリカ君。陛下の御前だよ。

そんな風に笑うのは不敬ではないかね?」

 

 

同じく貴賓席に相席する学院長リックが、

ため息交じりにセリカをたしなめる。

 

 

「あー、いや、すまんすまん。

悪かったな、陛下。許してくれ」

 

 

 

だが、セリカに反省の色は欠片もないようだった。

 

 

 

「セリカ様。流石に陛下に対する

そのような口の利き方は……」

 

 

 

流石に見逃せず、エレノアが苦言を

申し立てようとするが——

 

 

 

「いいんですよ、エレノア」

 

 

 

女王陛下——アリシアはそんなセリカの

傍若無人な態度にも気分を害した風もなく、

穏やかに笑っていた。

 

 

「彼女と私は旧知の仲、私が子供の頃から色々と

お世話になった友人でもあります。それに、今回の

私の訪問はアルザーノ帝国女王としての公的なもの

じゃありません。将来、帝国の未来を支える若者達

の、飾らないありのままの姿をこの目で拝見する

ための、帝国一市民アリシアとしての私的な訪問

なのです。堅苦しいことはなしですよ?」

 

 

「それはそうですが、陛下。

これは我々学院側の体面もあってですね……」

 

 

 

「賓客歓待礼式を国賓式ではなく、

貴賓式にさせたでしょう? ほら、

今日の私は貴方方ほどの大人物が一方的に

平服しなければならない相手じゃありませんよ?」

 

 

 

「そ、そんな、恐れ多い……むぅ……」

 

 

 

困ったようにリックがこめかみを

押さえてうめいた。

 

 

 

 

「楽しそうですね、セリカ」

 

 

「ああ、楽しいよ、アリス」

 

 

アリシアの言葉に、セリカはアリシアの

幼少の頃の愛称で応じた。

 

 

 

「実に胸がすく思いだ。最近の魔術競技祭に

権威を求める、くっだらない風潮にはうんざりと

してたんでね。勝つために成績上位者しか

出場させないとか、もうね、アホかと。

ったく、なんのための『祭』なのか、

ちょっとは足りない頭で考えろというんだ」

 

 

 

 

こらえきれないかのように、

セリカはくっくと含み笑いを続ける。

 

 

 

「しかし、そのグレンという

講師の方の戦術眼は凄いのですね」

 

 

アリシアは先ほど、セリカからこの勝負の裏に

潜む落とし穴について聞かされている。

 

 

 

 

「まーさか。あいつは多分、

なーんにも考えちゃいないよ」

 

 

 

だが、セリカはあっさりとそれを否定する。

 

 

 

「クラス四十人全員使う選択も、

ペース配分重視の戦術も全部たまたまだ。

それが本当にたまたま上手くいっただけだ。

なにせ、あいつは基本どこまでも凡人だからな。

ただ、それなりに努力はしたというだけの」

 

 

 

セリカはアリシア七世とグレンについて

話していた。だが、途中でとセリカは視線を

ノワールに向ける。それは200年前の戦争で

外宇宙から召喚された邪神の眷属を殺害した

伝説を持つ、人外と評される第七階梯に至った

『セリカ=アルフォネア』すらノワールという

存在にあの時の言葉に表せない程の恐怖を

忘れられなかった故につい見てしまう。

 

 

 

そして、

 

 

(それに…ノワール=ジャック……

貴様は一体…何者なんだ?)

 

 

 

セリカはノワールを見て一人で思考を

必死に出来るだけ巡らせていると

 

 

 

 

「セリカ‼︎」

 

 

「ど、どうしたんだ…アリス?」

 

 

 

セリカはアリシアの声にやっと気づいて

反応したのか

 

 

 

「どうしたじゃないわよ? 貴方が彼について

教えてくれるって言ってたじゃない。セリカ…

本当にどうしたの?」

 

 

 

アリシアが思い詰めたセリカを心配して

何回も声をかけていたのだ。

 

 

 

 

「い、いや…なんでもない…それよりあいつは

間違いなく凡人のはずなのに、凡人以外の何者

でもないのに、あいつは、なぜかいつも予想外

のことをやってくれる。そういう星の下に生まれて

きたんだ ろうな。昔からそうだったよ。だろ? 

女王陛下殿?」

 

 

 

セリカはそう言って、その場を誤魔化そうと

笑顔を作ってアリシアにウインクを飛ばした。

そんな意味深なセリカの言動に、アリシアは

少しだけ言葉を選ぶように沈思して——

 

 

 

「そう、ですね。

ええ、彼はそんな子でした……」

 

 

 

懐かしむように微笑んでいた。

 

 

 

それからもグレンのクラスの快進撃は、

奇跡的に続いた。成績的には平凡な生徒が

初っぱな三位という好成績を収めたことが

特に効いたのだ。自分達でもやればできる、

戦える。勝負事においては士気の高さが何よりも

重要であることを体現するかのような二組生徒達の

奮闘ぶりだった。さらに、使い回される他クラスの

成績上位者が後に残された競技のために、魔力を

温存しなければならないのに対し、グレンの

クラスの生徒達はその競技だけに全魔力を

尽くせるという構造的有利。

 

 

グレン本人すら気付いていなかったが、

精神論を否定していたはずの他クラスの講師達が、

実は魔術師としての体裁や格式に拘った非合理的な

戦術を指導してしまっていたことに対し、過去に

生きるか死ぬかの軍生活が長かったグレンは、

表向き精神論を掲げていたが、勝つという一点に

関してはどこまでもシビアで合理的な戦術を

指導していたこと。様々な要因が、グレンの

クラスと他のクラスの地力の差を埋めていた。

 

 

 

 

『あ、中てた——ッ!? 二組選手セシル君、

三百メトラ先の空飛ぶ円盤を見事、

【ショック・ボルト】の呪文で

撃ち抜いた——ッ!?『魔術狙撃』の

セシル君、これで四位内は確定!?

またまた盛大な番狂わせだぁああああ——ッ!?』

 

 

 

「や、やった……動く的に狙いを

つけるんじゃなくて、動く的が狙いをつけている

空間にやってくるのを待ってろっていうグレン先生

の言うとおりだ……これなら……ッ!」

 

 

 

成績が平凡な生徒達は、予想外の奮戦をして……

 

 

 

『さぁ、最後の問題が魔術によって空に光の文字

で投射されていく——これは……ちょっと、

おいおい、まさかこれは——な、なんとぉ⁉︎

竜言語だぁあああ——ッ⁉︎竜言語が来ました

ぁああ——ッ!? これはえげつない! さっきの

第二級神性言語や前期古代語も大概だったが、

これはそれ以上ッ⁉︎出題者、解答者達に正解させる

気が全くないぞぉ⁉︎各クラス代表選手、

【リード・ランゲージ】の呪文を唱えて解読に

かかるが、ちょっと流石にこれは無理——』

 

 

 

「わかりましたわッ!」

 

 

 

『おおっと!? 最初に解答のベルを

鳴らしたのは二組のウェンディ選手! 

先ほどから絶好調でしたが、いくのかッ!? 

まさか、これすら解いてしまうのか——ッ!?』

 

 

 

「『騎士は勇気を旨とし、真実のみを語る』

ですわ! メイロスの詩の一節ですわね!」

 

 

 

『いった——ッ!?

正解のファンファーレが盛大に咲いたぁ——ッ!?

ウェンディ選手、『暗号解読』圧勝——ッ! 

文句なしの一位だぁあああ——ッ!』

 

 

 

 

「ふふん、

この分野で負けるわけにはいきませんわ。

とは言え……もし、神話級の言語が出たら、

いきなり共通語に翻訳するのではなく、いったん

新古代語あたりに読み替えろっていう先生の

アドバイスには感謝しないといけませんわね……」

 

 

 

成績上位者は安定して好成績を収め続ける。

観客席も二組が参加する競技が始まる時は特に

盛り上がった。住む世界の違う成績上位者のみ

で構成されるクラスより、より住む世界の近い

グレンのクラスの方が見ていて熱が入るのだろう。

そのクラスを率いるのが、良くも悪くも色々と話題

の尽きない噂の新人講師ということもある。いずれ

にせよ、二組は今回の魔術競技祭の注目の中心に

あった。

 

 

だが——

 

 

(まぁ……地力の差は大きい、か——)

 

 

 

二組の待機観客席にて。自分のクラスの生徒達が

ハイテンションで盛り上がりに盛り上がる中、

グレンは一人冷静に戦況を見つめていた。

 

 

 

グレンは競技場の端に据えられた得点板を

見据える。現在、グレンのクラスは十クラス中の

三位。ハーレイのクラスは一位である。

 

 

 

一位から三位までは、それほど大きな得点差は

ない。だが、じりじりとハーレイのクラスに

離されている感は否めなかった。

 

 

 

(ていうか、まぁ、

よくここまで食い下がったもんだ)

 

 

 

本来ならば、ぶっちりぎりの最下位で当然なのだ。

 

 

 

(お前ら、えらい。本当に俺の言うことを信じて、

この一週間、皆、本気で一生懸命頑張って

来たんだな……)

 

 

 

思い返せば、グレンは当初、魔術競技祭になど

欠片も興味なかった。そもそも、この学院出身だと

いうのに、素で競技祭のことなど忘れていたし、

さらに競技祭に熱を入れることになったのも、

元はと言えば金のためだ。それが嘘偽りない事実

だった。だが、こんなにも皆で一丸となって、

楽しそうに、一生懸命に勝負に挑み、皆で応援し

合っている自分のクラスの生徒達の熱い姿を見て

いると——

 

 

 

「……ったく、テメェらを勝たせてやりたく

なっちまうだろうが……あぁ、面倒臭ぇ」

 

 

 

グレンは誰にも気付かれることもなく、一人

ごちていた。

 

 

 

(だが、どうする? ここまで健闘できている

こと自体、まぐれっつーか、奇跡の賜物なわけで、

地力の差は歴然としているぞ……)

 

 

 

今は勢いだけで誤魔化しているが、競技が進行

すれば進行するほど、本来の地力の差が現れ、

じりじりと突き放されていく展開になるであろう

ことは容易に想像がつく。個人競技の多かった

午前と比べ、午後は配点の大きな集団競技が多い。

逆転が狙えるとしたらここだ。そして、逆転する

ためには、依然、最高レベルの士気が必要だ。

グレンのクラスは三位。午前中に後、一つ順位を

上げておきたい。

 

 

 

それが成せれば——午後にまさかの可能性が、

ある。

 

 

 

「確か、次が午前の部で最後の競技だよな……

えーと、なんだったか……?」

 

 

 

グレンが手元のプログラム表を開いた。

それをしばらくの間、じっと見つめて……

 

 

 

「……なるほど。ひょっとしたら、いけるかもな」

 

 

 

 グレンはにやりと笑った。

 

 

 

魔術競技祭、午前の部、最後の競技が始まる前の

空き時間にて。

 

 

 

「ねぇ、先生……」

 

 

 

その時、気が気ではなかったシスティーナは、

隣でだらしなく腰かけるグレンへ不安そうに

声をかけた。

 

 

 

「その……今からでも、ルミアを他の子に

変えない?」

 

 

 

「はぁ……?」

 

 

いかにも、お前何言ってんの?

みたいな表情をシスティーナに向けるグレン。

 

 

 

「だって、あの子の競技は……」

 

 

 

システィーナは中央のフィールドに目を向ける。

そこには次の競技に備えて待機する生徒達の

姿があった。出場者は十人、等間隔で円を

描くように定位置に並んでいる。その中の一人に、

やや緊張した面持ちでたたずむルミアがいる。

 

 

 

 

「『精神防御』……やっぱり、

こんな過酷な競技、あの子には無理よ……ッ!」

 

 

 

システィーナは必死にグレンへ訴えかけるが、

グレンはどこ吹く風だ。競技『精神防御』。

精神汚染攻撃への対処法は魔術師の必須技能の

一つであり、この競技はその能力を競うための

ものである。具体的には精神作用系の呪文を、

白魔【マインド・アップ】と呼ばれる自己精神強化

の術を用いて耐えるという形で競わされる。

 

 

そして、少しずつ受ける精神汚染呪文の威力は

上がっていき、最終的に正常な精神状態を保って

残った者が勝者となる敗者脱落方式の耐久勝負だ。

 

 

「見てよ! 他のクラスの出場者は皆、

男の子じゃない! 女の子はルミアだけよ!?」

 

 

 

システィーナの指摘通り、いかにも精神的に

タフそうな男子生徒達が揃い踏みする中、

ルミアだけが紅一点だ。

 

 

 

「お、おい……見ろよ……大丈夫なのか……?」

 

 

 

 

「女の子がこの競技に出場するなんて……」

 

 

 

「あのクラスの担当講師は一体、

何、考えてるんだ……?」

 

 

 

そんなルミアの姿に違和感を覚えているのは、

システィーナだけではないらしい。観客席の四方

から戸惑いの声が上がっていた。そんな空気を

読めてないのか、あるいは読んでいるのか。

ルミアは困惑の視線を一身に集めながらも、

観客席に座る自分のクラスメイト達に向かって

小さく手を振りながら、にこにこと笑っていた。

 

 

 

「ははっ……あなたもひどい人だ、先生」

 

 

 

 

グレンの背後から皮肉げな笑いと言葉が上がった。

システィーナがちらりと横目を向ければ、そこには

口の端にひねた笑みを浮かべるギイブルが

座っていた。

 

 

 

「あなたは去年の競技祭の時、この学院に

いなかったから、この競技の過酷さを知らなくても

無理はないのでしょうがね。この『精神防御』……

去年は軽度の精神崩壊を起こして三日間くらい

寝込む者が続出したんですよ? そんなことも

調べてないんですかね?」

 

 

「…………」

 

 

グレンは無言だった。

 

 

 

 

「それにほら、見て下さいよ。彼女の隣を」

 

 

 

 

ギイブルはルミアの右隣にいる生徒を指差す。

そこにはやたら迫力のある生徒がいた。魔術師

らしからぬがっしりとした体格はルミアの二回りも

三回りも大きい。赤く染めた髪に、日焼けした

浅黒い肌。顔立ちは常に何かに苛立っているかの

ような強面、夜道で不意に出会った女子供の誰もが

泣いてしまうこと請け合いだ。指輪やネックレス、

ピアスにブレスレットなど、なんの魔術的効果も

ない銀細工のアクセサリを体の至る所に身につけて

おり、制服の袖はまくりあげられ、肩に入れ墨の

入った筋肉質な腕がさらされている。道を歩けば、

往来の札付きチンピラすら避けて歩きそうな、

威圧感と迫力をまとうその生徒の名は——

 

 

 

「五組のジャイル。没落貴族や商家の次男三男が

集まる不良チームの頭だの、暴力事件を起こして

よく警備官のお世話になっているだの、色々と

悪い噂が絶えない生徒さ」

 

 

 

ふん、とギイブルは忌々しそうに鼻を鳴らした。

 

 

 

 

「だが、それでも彼は去年の『精神防御』の

勝者だ。それも、他の追随を許さぬほどの大差を

つけた、ね。やれやれ、素行はともかく精神力の

強さだけは本物らしい」

 

 

 

 

「た、確かに……

気合い入ってそうな人だしなぁ……」

 

 

 

 

 

システィーナが納得したようにうめく。

基本、誰もがインテリ然と澄ましているこの学院

の生徒達の中で、ジャイルの異彩ぶりは見ていて

目眩がするほどだ。

 

 

 

「ま、彼のことはさておいて、です。先生、

いくらなんでもこの競技に初出場のルミアを

彼にぶつけるのは酷なんじゃないですかね?」

 

 

 

「…………」

 

 

「事実、いくつかのクラスはジャイルが出場する

というだけでこの競技を捨てにかかっている。

ハーレイ先生の一組に至っては、この競技に限り

足手まといの成績下位者を特別に送り込んでいる

始末だ。まぁ、合理的な判断ですね。この競技は

一位抜けの人にしか得点が入りませんし、下手に

主力を送り込んで壊されてしまったらたまりません

から」

 

 

 

「…………」

 

 

「まさか……とは思いますが。先生、彼女……

ひょっとして捨て石のつもりですか?」

 

 

 

そんなギイブルの言葉に、システィーナが

はっとしたようにグレンの横顔を見る。

 

 

 

グレンは手を組んで顎を乗せ、両肘を両膝の上に

乗せた格好で沈黙を保っている。

 

 

「ああ、なるほど。彼女は治癒系の白魔術は得意

ですが、それ以外はそうでもない……そこそこ、

こなしはしますがね。今回、治癒系の呪文が役に

立つような競技がない以上、他の戦力温存のため

に、彼女をここで使うのは実に合理的だ……」

 

 

「…………」

 

 

「ははっ、いやいや、たいした戦術眼ですよ、

先生。吐き気がしますがね」

 

 

グレンは無言。先ほどから何も言わずに目を

閉じたまま、だ。その沈黙は……何よりも

雄弁な肯定なのではないだろうか。

 

 

「先生……嘘、ですよね? 先生に限って、

そんなことするわけないですよね……?」

 

 

 

システィーナが不安げにグレンに呼びかける。

だが、グレンが返答する気配はない。グレンの

ことを信じてはいるつもりではあるが、その態度

はどうにも不安にさせられる。

 

 

「先生、何か言って下さいよ……先生……

先生ったら!」

 

 

矢も盾もたまらず、システィーナがグレンを

揺さぶると……

 

 

がくん、とグレンの体が傾いだ。

 

 

「zzz……」

 

 

よくよく見れば、グレンは涎を垂らして、

いつの間にか盛大に眠りこけていた。

 

 

人の話など何一つ聞いちゃいなかった。

システィーナとギイブルが頬を引きつらせながら

数秒間、たっぷりと絶句して。

 

 

「この、起きろぉおおおおおおおお——ッ!?」

 

 

「ぐぼぁはぁあああ——ッ!?」

 

 

システィーナ渾身のボディブロウが、グレンの

脇腹に良い角度で刺さった。

 

 

 

「な、何しやがるんだ、この白猫ッ! 

せっかく人が節約待機モード入ってんのに!?」

 

 

 

「うるさい! 

わけのわかんないこと言わないでッ!」

 

 

 

そして、システィーナは遠くにいるルミアを

指差し、まくし立てる。

 

 

 

「それよりも、今のギイブルの話、

本当なんですか⁉︎ 本当にルミアを戦術的な

捨て石としてこの競技に送ったんですか!?」

 

 

「はぁ……?」

 

 

「もしそうだったら……いくら先生でも、

私、絶対に許さないんだから……ッ!」

 

 

 

 

微かな怒りと戸惑いに肩を震わせ、システィーナ

が必死にグレンを睨みつけてくる。

 

 

「……話がまったく読めんが」

 

 

グレンは面倒臭そうに頭をがりがりと掻いて、

言った。

 

 

「ルミアが捨て石? ……はぁ? お前ら、

何言ってんの?」

 

 

 

「え?」

 

 

(ああ、なんか緊張してきたなぁ……)

 

 

 

競技開始までのわずかな間。ルミアは周囲を

見渡しながら適当に時間を潰していた。

 

 

 

自分のクラスメイト達が座っている観客席を遠目に

眺めれば、システィーナがグレンの脇腹を殴り

つけている見慣れた光景が小さく見えた。

また何かあったのだろうか?

 

 

 

(システィも素直じゃないなぁ……それにしても、

ノワール君も相変わらずだな……)

 

 

 

ルミアが微笑ましくそんなことを思っていると。

 

 

「……おい、そこの女」

 

 

隣から噛みつくような野太い声が

浴びせかけられた。

 

 

ルミアが目を向ければ、そこには仏頂面をした

ジャイルがこちらを睨んでいる。

 

 

「悪いことは言わねえよ。今からでも棄権しな」

 

 

「!」

 

 

「この競技はお前みてえな女子供に務まるヤワな

競技じゃねえ……医務室のベッドで精神浄化を

受けるハメになりたくなけりゃ、とっとと

すっこんでろ」

 

 

普通の女子生徒ならば、思わず竦み上がって

しまいそうなほどの威圧的な恫喝に加え、飢えた

野獣のような眼光がルミアを射貫く。

だが——

 

 

 

「あはは、ええと、確か……五組のジャイル君

だったよね?私のこと、心配してくれてるの? 

ふふ、優しいんだ」

 

 

「……あぁ?」

 

 

まったく予想外の反応に、逆にジャイルが毒気を

抜かれて戸惑った。

 

 

 

「大丈夫だよ、私。クラスの皆も一生懸命頑張って

るんだもの。私だって頑張らなきゃ」

 

 

「ちっ……ああ、そうかい。後悔しねえことだな」

 

 

「それに……ジャイル君の五組は確か、

今、二位だったよね?」

 

 

「……ふん、くだらねえ。それがどうかしたか?」

 

 

 

「私のクラスが今、三位だから……もし、私が

ジャイル君に勝ったら……いまの順位、

入れ替わっちゃうね?」

 

 

そう言って、ルミアは立てた人差し指を口元に

当て、いたずらっぽくウインクする。

 

「……面白ぇ」

 

 

ジャイルがウサギを見つけた狼のごとく獰猛に

笑った。正直、ジャイルはクラスの勝ち負けなど

興味がなかった。そもそも魔術競技祭などどうでも

よかったし、今、こうしてこの場にいるのも、

いけ好かない担当講師やクラスメイト達がまるで

腫物を扱うような態度で、びくびく頼み込んできて

鬱陶しいから、仕方なく出場してやっているだけの

ことだ。

 

 

だが、誰もが恐れて近寄らない自分に対し、こんな

か弱そうな小娘がこれほどわかりやすく『挑戦』

してきたのだ。燻る餓狼のような闘争心に火が

着くのは必然だった。

 

 

『あー、あー、音響術式テス、テス。えー、

時間になりましたので、ただ今より精神防御の

競技、開始します!』

 

 

響き渡る実況の音声に、観客席から歓声が上がる。

 

 

 

『ではでは、今年もこの方にお出まし

願いましょう! はい! 学院の魔術教授、

精神作用系魔術の権威! 第六階梯(セーデ)、

ツェスト男爵です!』

 

 

 

すると、参加生徒達が組んでいる円陣の中心に、

突如どろんと煙が巻き起こり、その煙の中から

燕尾服にシルクハット、髭と言った伊達姿の

中年男性が現れた。

 

 

「ふっ、紳士淑女の皆さん、ご機嫌よう。

ツェスト=ル=ノワール男爵です」

 

 

比較的簡単な短距離転移魔術で、芝居げたっぷり

に現れた男が一礼する。

 

 

「さて、それでは早速、競技を開始しよう。

選手諸君、今年はどこまでこの私の華麗なる

魔技に耐えられるかな……?」

 

 

ごくり、と。参加選手達の何人かが唾を呑んだ。

 

 

 

『それでは第一ラウンド、スタート! 

ツェスト男爵お願いします!』

 

 

「それではまず、小手調べに恒例の

【スリープ・サウンド】の呪文あたりから

始めてみようか……いくぞ!」

 

 

 

こうして、『精神防御』の競技が始まった。

 

 

「《身体に憩いを・

心に安らぎを・その瞼は落ちよ》」

 

 

 

ツェストが白魔【スリープ・サウンド】の呪文を

唱える。

 

 

 

「《我が御霊よ・

悪しき意思より・我が識守りたまえ》」

 

 

 

同時に、生徒達が対抗呪文(カウンター・スペル)

として白魔【マインド・アップ】を唱えていく。

 

 

生徒達が呪文を完成させた直後、ツェストが

自分を取り囲む十人の生徒へ、等威力で一斉に

術をかけた。音叉を叩いたような音が波紋の

ように周囲に染み渡っていった。

 

 

呪文の威力が場に拡散していき——

 

 

『ね、寝た——ッ!? 第一ラウンドでいきなり

脱落したのは一組、ハーレイ先生のクラス

だぁあああああ——ッ!?』

 

 

地べたに倒れ伏してぐっすりとお眠りになった

生徒に、観客の失笑が集まった。

 

 

『ちょ、これ完全に捨て駒だ——ッ!? 

やる気なさ過ぎでしょハーレイ先生ッ!?』

 

 

「うーむ、私としては、もうちょっと耐えて

欲しかったのだがね……」

 

 

 

『まぁ、去年の覇者、五組のジャイル君

いますからねー、きっと主力温存作戦でしょう。

彼の勝利がもう決まっているようなものですから、

イマイチ盛り上がりも欠けますしね。というわけ

で、実況の僕としては、紅一点、二組のルミア

ちゃんがどこまで残れるか……これが見所だと

思うんですけど、どうです?男爵?』

 

 

 

「ふっ、そうだな。可憐な少女がどこまで私の

精神操作呪文に耐えてくれるか、いたいけな少女

の心をどのように汚染し尽くしてやるか、実に

楽しみだ……ふひ、ふひひ……」

 

 

 

男爵が気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、

ルミアを一瞥する。流石のルミアも、これには

脂汗を垂らして思わず一歩引いていた。

 

 

 

『うわぁ……ここで男爵、まさかの嫌な性癖大暴露

……ていうか、男爵ってまさかそういう変態的な人

だったんですか?』

 

 

「何を言うか、私は断じて変態ではないッ! 私は

ただ、喪心しちゃったり、心が病んじゃったり、

混乱しちゃったり、恐慌を起こしちゃったりした

女の子の姿に、魂が打ち震えるような興奮を

覚えるだけだッ!」

 

 

 

 

『変態だァアアアアアアアアア————ッ!?』

 

 

 

あいつ、クビにしよう。学院長リックが密かに

そう心に決めたことも露知らず、男爵は次々と威力

を高めながら精神操作系の呪文を唱えていき、

生徒達も必死に【マインド・アップ】を唱えて

対抗し、ラウンドは着々と進んでいった。

 

 

 

『ツェスト男爵の白魔

【コンフュージョン・マインド】の呪文、決まった

——ッ!? うわぁ、やばい!? 八組の選手耐え

きれなかったぁあああ——ッ!?』

 

 

 

 

「あばばばばばばばばばば……暑い! 暑い!」

 

 

 

「ぎゃああああ——ッ!?. ちょっと君! 

男子生徒に脱がれても私はちっとも嬉しくない

のだが!? どうせならルミア君——」

 

 

 

『おい、やめろ! 少しは欲望隠せよ、このバカ

男爵! 救護班、早く八組の人連れてって!

精神浄化! 精神浄化!』

 

 

 

 

「次は白魔【マリオネット・ワーク】だ! 皆を

私の操り人形にしてせんじよう! さぁ、踊れ!」

 

 

 

『ぷっ! だっははは——ッ!? 

耐えきれなかった十組の選手、踊りだした——ッ!

ていうか男にセクシーダンス躍らせんな、バカ

男爵! キモいんだよッ!?』

 

 

 

「……ちっ」

 

 

『ちょ、男爵、アンタ何、ルミアちゃんの方見て

舌打ちしてんの!? いい加減にしろよこの変態

エロ親父ッ!?』

 

 

 

吹き荒れる精神汚染呪文の嵐。大方の予想通り

『精神防御』の競技は去年同様、阿鼻叫喚の

地獄絵図の様相を成し始めていた。

 

 

 

だが、盛り上がる競技フィールドとは裏腹に、

当初、観客席は冷めていた。なにしろ傍目には

地味な競技だし、何より結果がもう見えている

のだ。

 

 

 

五組のジャイルが勝つ。それが大方の予想であり、

実際、どんどん威力が高まる精神汚染呪文を前に、

ジャイルは冷めた目で平然と立っている。

 

 

「だ、男爵……俺、実は男爵のことがずっと

好きで……」

 

 

 

「ぎゃああああ——ッ!? 嫌ぁああああ——ッ⁉︎

じ、蕁麻疹がぁあああッ!?」

 

 

 

『く、腐ったぁああああ——ッ!? 

男爵の下心全開の白魔【チャーム・マインド】!

ド裏目だぁああああ——ッ!? ていうか、

ホント誰かなんとかしろよ、この変態犯罪貴族!

救護班は取りあえず精神浄化! ついでに男爵の頭

も浄化したれ! 早く!』

 

 

 

 

「今度は白魔【ファンタズマル・フォース】の呪文

で、名状し難き冒涜的な何かの幻影を見せて

せんじよう! 我が秘奥が魅せる宇宙的脅威、

存分におののくがよい!」

 

 

 

「ぁああああああああああ——ッ!?

 嫌だぁああああああああああ——ッ!?」

 

 

 

「うわぁああああ——ッ!? やめろぉお!? 

それだけはヤメロォオオ——ッ!?」

 

 

 

「ああ、窓に!? 窓にィ——ッ!?」

 

 

 

『正気を失い、狂気にのたうつ選手達!

ちょ、やり過ぎでしょ男爵!?救護班、精神浄化

急いで! ていうか毎年思うんだけど、なんで

この競技、禁止になんないの!?』

 

 

 

 

だが、ラウンドが進んでいくうちに、ざわざわと

観客席はどよめき始めた。この過酷な競技、

真っ先に脱落すると思われていた二組のルミアが

いつまでも残っている。しかも他の選手達のように

頭をかきむしったり、爪を噛みながら必死に

耐えようとしているわけではなく、平然としている

のだ。まるでその隣のジャイルのように。 あれ? 

ひょっとして……まさか?

 

 

 

観客席の生徒達の疑念は段々大きくなっていき——

それは次第に期待へと変わっていき——

 

 

 

 

『九組脱落——ッ!? なんと、誰が予想したか

この展開——ッ!?これで五組代表の優勝候補の

ジャイル君と、二組代表ルミアちゃんの二人の

優勝をかけた一騎討ちだぁああ——ッ!?』

 

 

 

この予想外の展開にいつの間にか観客たちは

盛り上がり、今、大歓声を上げていた。

 

 

「う、うそ……」

 

 

観客席でルミアを見守っていたシスティーナは

唖然としていた。

 

 

 

「こ、こんなことが……ここまで強かったのか……

彼女……」

 

 

 

常に冷めた態度を崩さないギイブルも動揺を

隠せないようだった。

 

 

 

そんな二人にグレンは面倒臭そうに言った。

 

 

 

「白魔【マインド・アップ】は、素の精神力を

強化させるだけの呪文だ。元々の精神制御力が

強い者ほど……要するに肝が据わっている奴ほど

大きな効果がある。で、うちのクラスにルミアより

精神力が強い奴はいない」

 

 

「あの子が……?」

 

 

ん、とグレンは頷いた。

 

 

「あいつは常人とは心構えっつーか、在り方が

なんか違うんだよ。まるで平時からいつだって

死ねる覚悟を固めているような……ある意味、

異常な人種だ。素の精神力の強靭さでルミアに

敵う奴はなかなかいやしない」

 

 

 

「そ、それであの子をこの競技に……?」

 

 

システィーナは、ふと、一ヶ月ほど前に学院で

起きたテロ事件を思い出す。言われてみれば、

あの時のルミアはテロリストの外道魔術師達を

相手に一歩も引くことなく、毅然としていた。

少し間違えばすぐに殺されるかもしれなかったと

いうのに。

 

 

 

「しっかし、まぁ、なんだ……あのジャイルとか

言う奴も大概だな。一体、どういう修羅場潜って

来たんだ? あいつ……」

 

 

グレンは呆れ顔で、ルミアと同じく平然とその場に

残り続けるジャイルを見る。

 

 

 

「……ルミアに任せりゃ楽勝だと思ったんだがな。

仕方ない、万が一の時は……」

 

 

 

親友を夢中で応援するシスティーナのかたわら、

グレンは一人静かに覚悟を固めていた。

 

 

 

 

 

一方、競技フィールド上では、この予想外の展開に

男爵も困惑気味だった。

 

 

 

「むぅ、なんと……ジャイル君はともかく、

まさかルミア君がここまで粘るとは正直予想外

だったよ……ちっ」

 

 

 

『……ちょっと、男爵。

なんで微妙に悔しそうなんですかね?』

 

 

 

「さて、そろそろ白魔【マインド・ブレイク】の

呪文に行ってみようか」

 

 

 

実況の突っ込みを華麗に無視して、ツェスト男爵は

次の呪文を宣言する。

 

 

『とうとう来ました! 第二十七ラウンドからは

【マインド・ブレイク】だ――ッ!? この呪文は

あらゆる思考力を一時的に破壊する、精神操作系

の白魔術の中では最も高度で危険な呪文の一つ!

下手をすると相手を一瞬で廃人に追いやってしまう

こともある恐怖の呪文だぁあああああ――ッ!?』

 

 

 

「いくらなんでもそこまで強くは唱えぬよ。

せいぜい三日くらい放心状態で寝込む程度に

抑える! 倒れた場合、ルミア君の治療と看病は

私が責任持ってせんじよう!」

 

 

『……ジャイル君の看病は?』

 

 

 

「――いざ行くぞッ!」

 

 

そして、ツェスト男爵が粛々と

【マインド・ブレイク】を唱えた。応じて、

ルミアとジャイルも【マインド・アップ】を

唱える。男爵の呪文が起動し、キーンとかん高い

金属音が辺りに響き渡って……

 

 

 

「ふむ、大丈夫かね? 二人とも。

大丈夫ならば返事を――」

 

 

 

「……ちっ。この程度がなんだっつうんだよ」

 

 

「――はい、私も平気です」

 

 

 

一瞬、返答に間があったが、しっかりとした目で

二人が応じた。

 

 

 

『なんと【マインド・ブレイク】すら

耐えたぁあああ――ッ!? 凄い! 

この二人は本当に凄いぞぉおおお――ッ!?』

 

 

 

この熱い展開に、どっと沸き立つ観客席。

洪水のような歓声と嵐のような拍手の中、

ジャイルがルミアに声をかける。

 

 

 

 

「ふん。お前……女のくせにやるじゃねえか。

ここまで気合い入ってるやつは野郎でも、

めったにいやしねえ」

 

 

「そ、そうかな?」

 

 

「へっ。だが、そろそろきついんじゃねえか?

 脂汗浮いてるぜ?」

 

 

「あ、あはは……わかる? うん、実は結構、

きついかも……今も一瞬、くらっと

しちゃったし……」

 

 

 

「棄権したらどうだ? 三日昏睡は嫌だろ?」

 

 

「心配してくれてありがとう、ジャイル君。

でも……だめ。私だって負けるわけには

いかないんだ」

 

 

 

気丈に笑うルミア。誰がどう見ても、やせ我慢感が

ありありと見て取れた。ジャイルがやれやれと肩を

すくめる。

 

 

「はっ……わからねえな。どいつもこいつもが

自己顕示欲と名誉欲にまみれたこのクソくだらねえ

競技祭ごときに……一体、何がお前にそこまで

させている?」

 

 

「先生が言ってたの。俺達は全員で勝つって。

皆は一人のため、一人は皆のためにって」

 

 

「先生? あぁ、お前んトコのあの噂のアホ講師か。

ふん、余計わからんな。そんな馬鹿馬鹿しい

義務感のどこに……」

 

 

「楽しいの」

 

 

ルミアの端的な言葉に、ジャイルが押し黙る。

 

 

 

「皆と一緒にね、何か一つのことを目指すって

凄く楽しいよ? ジャイル君。先生のおかげで

私も初めて知ったんだ。だから、私も頑張ら

なきゃ」

 

 

「…………ふん、そうかい」

 

 

それ以降、ジャイルはルミアに対して何一つ

言わなくなった。堅い信念を持って立ち塞がる

好敵手に語る言葉などない、ということなの

だろう。

 

 

 

『では、次! 第二十八ラウンド――ッ!』

 

 

いよいよ、勝負も佳境。観客席は盛り上がりに

盛り上がっていた。その過熱ぶりは、まるで止まる

ところを知らないようだ。

 

 

「では……さっきよりもう少しだけ

【マインド・ブレイク】の威力を上げよう。

いくぞ、心の準備はいいかな、お二方!」

 

 

ツェスト男爵が慎重に呪文の威力を調整しながら

呪文を唱えていく。二度、三度と重ねられる呪文

に、ルミアもジャイルも【マインド・アップ】を

次々に唱え、【マインド・ブレイク】に耐えて

いく。

 

 

続く、第二十九ラウンド。

さらに、第三十ラウンド。じりじりとラウンド数が

上がっていって――そして――第三十一ラウンド。

膠着状態だった戦況に変化が訪れた。

 

 

 

『ああ――ッとぉおおお!? ここでルミアちゃん

がよろめいたぁあああ――ッ!?』

 

 

初期と比べてかなり威力が上がった

【マインド・ブラスト】の呪文によって、喪神を

引き起こす金属音が辺りに一際強く、鳴り響いた

瞬間。

 

 

とうとう、【マインド・アップ】の守りを貫通した

のだろうか。ぐらり、とルミアの体が傾いでいた。

 

 

「……ッ!」

 

 

バランスを崩したルミアは、がくりと片膝を

折って無言でうつむいている。

 

 

 

『一方、ジャイル君はまったく動じず仁王立ち

したまま! こ、これは流石に決まったか

ぁあああ――ッ!?』

 

 

 

「大丈夫かね、君……ギブアップかね?」

 

 

「………………いえ」

 

 

少し意識が朦朧としていたらしい。返答にラグが

数秒あったが、ルミアは頭を振って気丈に顔を

上げ、立ち上がった。

 

 

「……大丈夫です。まだ、行けます!」

 

 

力強く言い放つその言葉と目にはまだまだ力が

灯っている。

 

 

 

『な、なんとぉおおお――ッ!? 続行です、

続行――ッ!? まだまだ勝負の行方はわからない

――ッ!?』

 

 

 

実況のアナウンスに観客達が総出で大歓声を

上げた。紅一点だった少女の最後の奮闘に会場の

テンションは最高潮だった。ここまで来ると、

誰もが見てみたいのだろう――可憐な少女が屈強な

男に勝つその光景を。会場の期待が渦巻き、それに

応じるように実況が声を張り上げ――

 

 

『では! 張り切って行きましょう! 

次は第三十二――』

 

 

 

「棄権だ!」

 

 

 

突然、上がったその叫びに、会場が水を打った

ように、しん、と静まり返った。

 

 

「……え? 先生?」

 

 

その声に、ルミアが振り返る。そこには、

いつの間にかやって来たグレンが立っていた。

 

 

 

『え、えーと? 今、なんておっしゃい

ましたか? 二組の担当講師グレン先生……』

 

 

 

「棄権だ、棄権。二組は第三十一ラウンド

クリア時点で棄権だ。何度も言わせんな」

 

 

 

微妙な沈黙が競技場全体に流れていく。

 

 

『な、なんと……二組ルミアちゃん、棄権……

これはまた、あっけない幕切れ……』

 

 

実況が残念そうに呟いた、次の瞬間。

ふざけんな、最後まで勝負させてあげろ、

ひっこめ馬鹿講師!嵐のような大ブーイングが

観客席から巻き起こった。だが、そんな

大ひんしゅくの空気をまったく意に介さず、グレン

は突然終わった勝負に放心するルミアの頭に手を

乗せ、ねぎらいの言葉をかけた。

 

 

 

「よくここまで頑張ったな、ルミア」

 

 

 はっと我に返り、ルミアがグレンに抗議する。

 

 

「そ、そんな、先生! 私はまだ……」

 

 

「いーや、もういい。 本当はお前、

わかってんだろ? 今が限界だって。

次はないって」

 

 

「……そ、それは……その……」

 

 

見事に図星らしい。しゅん、とルミアは

うつむいた。

 

 

「でも、優勝が……ここで私が勝たないと……」

 

 

「そりゃ確かに惜しいがな。かと言って、流石に

お前に三日間も昏睡させるようなそんな真似は

させられん。いや、本当によくやったよ。……

だが、相手が悪かった」

 

 

すまなそうに、グレンは目を伏せた。そして、

ちらりと隣で仁王立ちしているジャイルに目を

向ける。

 

 

「お前ならさしたる苦労もなく勝てると思って

たんだ。だが、あんな化け物がいたとは完全に

予想外だった。キツかっただろ……マジですまん」

 

 

 

すると、ルミアは小さく首を振って薄く微笑んだ。

 

 

「ううん、そんなことないです、先生。

楽しかったですよ? 負けちゃったのはちょっと

悔しいけど……私も皆のために戦えているんだって

気持ちになれたから」

 

 

 

「……そうか」

 

 

そんな二人をそっちのけに、実況の話題は勝者

インタビューに移ったようだった。観客の意識を、

なんとかブーイングからそらそうと実況者も必死

のようだ。

 

 

 

『えー、それでは、去年に続いて見事、精神防御

の勝負を制した五組代表ジャイル君。何か一言

お願いします』

 

 

「ふっ、流石だね、ジャイル君。……ん? 

……ジャイル君?」

 

 

呼びかけても、まったく微動だにせず終始無言を

貫くジャイルを不審に思い、ツェスト男爵が

ジャイルの顔を覗き込んだ。途端に、その顔色が

変わる。

 

 

『おや? どうかしましたか? 男爵』

 

 

「じゃ、ジャイル君はすでに――」

 

 

『え? ジャイル君がどうしたんですか?』

 

 

「た、立ったまま気絶している――」

 

 

『…………は?』

 

 

 

今の今までグレンに対するブーイングの嵐だった

場内が、再び静まりかえる。

 

 

『えーと? ということは……?』

 

 

「……ルミア君の勝ちだろう。

棄権したとはいえ、第三十一ラウンドをクリア

できなかったジャイル君に対し、ルミア君は一応、

クリアはしたからね」

 

 

 数瞬の間。そして――

 

 

『……な、なんとぉおおおお――ッ!? なんと

いうどんでん返し! この勝負を制したのは紅一点、

二組のルミアちゃんだったぁあああ――ッ!?』

 

 

 

 再び爆音のような大歓声が渦巻いた。

 

 

「……せ、先生……?」

 

 

「……マジかよ」

 

 

突然のことにルミアもグレンも目を白黒させて

いた。

 

「やったぁ! やったじゃない! ルミア!」

 

 

「きゃ!?」

 

 

そんなルミアの背中に、誰かが体当たりするかの

ように抱きついた。

 

 

「システィ?」

 

 

「もう、無茶するんだから! もし、途中で辛く

なったら我慢しないで大人しく棄権しろって言った

でしょ、この意地っ張り!……でも、おめでとう。

無事でよかった」

 

 

 

見れば、二組の生徒達が観客席から飛び降り、

一直線に駆け寄って来てルミアを取囲み、

その健闘を次々と口早に讃えてくる。

 

 

ルミアは困ったような表情を浮かべ、遠巻きに

その様子を眺めるグレンに視線を送る。

 

 

グレンは口元を笑みの形に歪め、肩をすくめて、

それに応じた。ルミアは一つ頷いて、そして、

クラスメイト達に振り返って――

 

 

「ありがとう、みんな!」

 

 

嬉しそうに笑うのだった。

 

 

それは何一つ曇りも憂いもない、花のような笑顔

だった――

 

 

「……少しは安心したか? アリス」

 

 

セリカは、ルミアの試合を食い入るように

見守っていたアリシアに声をかけた。

 

 

「……っ! ……はい」

 

 

アリシアは、自分の応対を務めるセリカとリックが

一ヶ月前の事件の後、最高機密であるルミアの正体

を知らされた者達だったことを思い出して、

頷いた。

 

 

「あの子が、良き師、良き友人達に恵まれ、あんな

風に笑う姿をこの目で確認することができて……

本当によかった」

 

 

「ったく、あの子のことをそこまで母親として

愛しているなら、どうして最初から私に声を

かけてくれなかったんだ。私がどうとでも

してやったのに……」

 

 

「それは……」

 

 

「無茶を言ってはいかんよ、セリカ君。

きっと陛下には陛下の事情があったのだろう」

 

 

リックが、たしなめるように口を挟む。

 

 

「わかってるさ。ただ、予言だの統治正統性だの

王室権威の危機だの……そんな、くっだらない理由

で実の母子が引き裂かれなきゃならなかったことに

ムカついただけさ」

 

 

「……そうですね、私は……母親失格ですね」

 

 

 

悔恨の表情でアリシアはうつむいた。

 

 

「アリスを責めてるわけじゃないさ。実際、

お前はあの子を救うために相当無茶したんだろ? 

王女が病気で崩御したように見せかけるために

裏で物凄い工作をしたようだし、あの子の

引き取り先も色々と手を回して……

それにアイツから聞いたんだが――」

 

 

「いいんですよ。……いいんです」

 

 

アリシアは、しぃ~っと口元に指を当て、

あいまいに微笑んだ。

 

 

「私が裏で何をしたとしても、私が帝国と王家の

威信のために、あの子を捨てた事実は

変わらないんですから……」

 

 

そんなことを言われてしまっては、

セリカは何も言えなくなってしまう。

 

 

「今日はとても満足しました。ずっと気がかり

だったあの子の元気な姿を、遠くからとはいえ、

こうしてこの目で見ることができたんですもの。

これから先、もう二度とあの子の姿を見る機会

はないのでしょうが……きっと、私は大丈夫

です」

 

 

「…………」

 

 

「後はあの子が幸せになってくれることを祈る

ばかりです。なんだか長年の胸のつかえが取れた

感じ。ふふっ、これで明日から、なんの気兼ねも

なく政務に励めますね」

 

 

「…………」

 

 

「あ、もう少し欲を言えば、あの子の花嫁姿を

一目見てみたかったのですが……流石にそれは

無理ですね。一市民の結婚式に女王が参列する

わけにもいきませんし」

 

 

「…………」

 

 

 

「あ、そうそう、結婚と言えば……さっき、

あの子の試合を止めるためにグレンが割って

入りましたが、あの子のグレンを見る目、

何か怪しくありませんでした? あの子、

ひょっとしたら……ふふふ」

 

 

まるで自分を納得させるように続くアリシアの

独白に。

 

 

「……それでいいのか? アリス」

 

 

セリカはストレートに核心を突いた。

 

 

 

「……え?」

 

 

「このまま遠くから見ているだけで、話も何一つ

せずに……本当にそれでいいのか?」

 

 

「それは……でも、そんなの無理なことで……」

 

 

 

「まったく、お前は私を誰だと思っているんだ?」

 

 

やれやれとセリカが肩をすくめた。

 

 

「私は、北大陸に名高き第七階梯(セプテンデ)、

セリカ=アルフォネアだぞ?全知全能――と

までは流石にいかんが、あらかたのことは

できるんだぜ? 例えば、王室親衛隊の連中の

目をごまかして、久しぶりに母娘水入らずで会う

機会を作ってやる、くらいはな」

 

 

「……セリカ」

 

 

「で? どうするんだ? アリス。

娘に会いたいのか? 会いたくないのか?」

 

 

 

セリカの誘いに、アリシアがどうしたものか

迷っていると。

 

 

 

「今日、この時くらい、ご自分に素直に

なられてはいかがでしょうか? 陛下」

 

 

 

意外なことに、迷えるアリシアに助け船を

出したのは、先刻から静かにアリシアの背後に

控え、ことの顛末を伺っていたエレノアだった。

 

 

「エレノア?」

 

 

思い出のロケットすら置いていくよう進言した

あの慎重深いエレノアが、まさかそんなことを

言い出すとは思わなかったので、アリシアは驚きに

目を瞬かせていた。

 

 

 

「大丈夫ですよ、セリカ様は大陸屈指の魔術師。

きっと悪いことにはなりませんわ」

 

 

 

「ほら、お付きの者はこう言ってくれてるぞ?」

 

 

 

我が意を得たりとセリカがいたずらっぽく笑う。

学院長リックは、その強引なセリカの手引きに、

密かに苦笑をこぼしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学院生徒達で賑わう魔術競技場――

その観客席を通う通路の一角にて。

 

 

 

黒を基調とした揃いのスーツと外套に身を包む、

奇妙な男女の二人組がいた。

 

 

一人は二十歳ほどの青年だった。

藍色がかった長い黒髪の奥から、

鷹のように鋭い双眸が覗いている。

すらりとした長身で痩せ肉だが骨太。

その物腰は、落ち着いていると称するよりは

むしろ冷淡さを色濃く感じさせ、

ナイフのように触れてはならない致命的な

鋭さをどこかに隠している――そんな

雰囲気の男である。もう一人はまだ十代半ばの

少女だった。ろくに櫛も通されてない

伸び放題の青髪を後ろ髪だけうなじの辺りで

雑に括り、印象的な瑠璃色の瞳は常に

眠たげに細められている。華奢で小柄な

その肢体や、精巧に整ったその細面は

アンティーク・ドールを想起させる。

笑えばさぞかし魅力的に映るのだろうが、

その相貌には表情という表情が死滅しており、

いかなる感情の欠片すらも読み取れない。

二人が着用する外套は要所要所を金属板や

リベット、護りの刻印ルーンなどで

補強されており、明らかに魔術戦用の

ローブであることがわかる。

 

 

 

そんな二人の姿は、学院の生徒達で賑わう観客席

において特に異彩を放っていた。衣装もそうだが、

何より身に纏う雰囲気が明らかに堅気のものでは

ない。だが奇妙なことに、その二人に対して奇異

の視線が集まることはない。まるで二人が道端に

落ちている石であるかのように、その存在が気に

留まらないようだった。

 

 

「――グレン、だな」

 

 

ぼそり、と。青年が冷淡に呟いた。

 

 

「……ん。どう見てもグレン」

 

 

それに応じるように、少女も感情の色が見えない

呟きをこぼす。二人の視線が注がれる先には、

たった今、『精神防御』の終わった中央競技

フィールド上で、金髪と銀髪の少女二人に挟まれて

何か言い合いをしているグレンの姿があった。

 

 

「俺達に何も言わずに去って行ったと

思ったら……こんな所に居たとはな」

 

 

青年が冷酷に獲物を見定める猛禽のような目で

そう言うと、青年の隣の少女は無言で音もなく、

グレン達がいる中央のフィールドに向かって

歩き始めた。

 

 

 

「待て」

 

 

 

威嚇するような固い声と共に青年は手を伸ばし、

少女の後ろ髪を無慈悲に掴む。がくん、と少女の

頭が引っ張られ、後ろに傾いだ。

 

 

 

「……何をするの? アルベルト」

 

 

 

無表情を微塵も揺るがさず、少しも感情を

にじませず、少女が青年に問う。

 

 

「それは俺の台詞だ。何をする気だ? リィエル」

 

 

 

青年は青年で、その険しい猛禽の表情を微塵も

揺るがさず、端的に問い返す。

 

 

すると、リィエルと呼ばれた少女はさも当然と

ばかりにこう答えた。

 

 

 

「決まってる。……グレンと決着をつけに行く」

 

 

 

ぐい、と。青年――アルベルトは掴んだリィエル

の後ろ髪をさらに引っ張った。

 

 

「痛い。どうして引っ張るの?」

 

 

言葉とは裏腹に、まったく痛くなさそうに、

リィエルは淡々と応じた。

 

 

「余計な事はするな。任務を忘れたのか?」

 

 

 

「任務?」

 

 

リィエルが少し考え込むように間を置いて。

 

 

「……グレンと決着をつけること?」

 

 

「……………………」

 

 

アルベルトが険しい表情を微塵も揺らさず

押し黙る。二人の間に沈黙が流れる。

 

 

「……今回、俺達に与えられた任務は三つ。

その内の一つは、今、女王陛下の護衛を務める

王室親衛隊の監視だ」

 

 

「なぜ? 彼らはわたし達の仲間」

 

 

「俺達は一枚岩じゃ無い。

王室直系派、王室傍系派、反王室派、過激派極右、

保守的封建主義者、マクベス的革新主義左派、

帝国国教会右派……さらに、それぞれに青い血側と

赤い血側……アルザーノ帝国は様々な思想主義と

派閥が渦巻く混沌の魔窟だ」

 

 

「そう。わたしにはよくわからないけど」

 

 

 

「だろうな」

 

 

また、二人の間に沈黙が流れる。

 

 

「右派の筆頭、王室親衛隊に最近不穏な動きが

あるとの情報が入った。異能者差別に対する

新しい法案が円卓会で閣議されるようになって

特に顕著になったとの事だ」

 

 

 

「どうして?」

 

 

 

「世間一般的に、異能者は悪魔の

生まれ変わりだと信じられている。そして、

法は女王陛下の名の下に発令されるものだ。

つまり、異能者を女王の名の下に法的に

保護する事は神聖なる王室の威光に傷がつく、

と考えているからだ」

 

 

「そう。わたしにはよくわからないけど」

 

 

 

「だろうな」

 

 

さらに、二人の間に沈黙が流れる。

 

 

「よって、俺達は王室親衛隊を監視している。

その確率は限りなくゼロに近いが、今回の陛下の

学院訪問を機に、連中は陛下に対し、何らかの

行動を起こす可能性がある。もし、そんな事態に

なれば、政府上層部の派閥争いに重大な影響を

及ぼす事になるだろう」

 

 

「なるほど、わかった」

 

 

リィエルは一つ頷いて、

合点がいったように言った。

 

 

「話をまとめると、わたしはグレンと

決着をつけなければいけない……

そういうこと?」

 

 

「……………………」

 

 

アルベルトが険しい表情を微塵も揺らさず

押し黙る。再び二人の間に沈黙が流れる。

 

 

 

「……ん。頑張ってくる」

 

 

「頑張るな」

 

 

 

再び歩き始めたリィエルの後ろ髪を、

アルベルトが再び容赦なく引っ張った。

 

 

「アルベルトはグレンに会いたくないの?」

 

 

二度邪魔されたリィエルが、淡々と問う。

 

 

「……知れた事を。あの男には色々と言いたい事

がある」

 

 

アルベルトは言葉尻に怒気を微かに滲ませて

言った。

 

 

「そう。なら、わたしがグレンをボコる。

アルベルトは色々言いたいことを言えばいい」

 

 

「だから、待てと言っている。

俺達はあいつに会わない方がいい」

 

 

「なぜ?」

 

 

「久々、あいつの姿を見てわかった。あいつの

居るべき世界は…… やはり俺達が居るような血に

濡れた闇の世界ではなかったらしい」

 

 

二人は再び競技場に目を向ける。何があったのか、

グレンが銀髪の少女の足下で土下座している。

金髪の少女が何かを言いながら銀髪の少女を

なだめているようだ。

 

 

 

「あいつの居るべき場所は、あそこだ。

眩い陽の光が当たるあの場所こそ、恐らくグレン

という男が真に生きている場所なのだろう」

 

 

「女の子の足下が? それはなんとも面妖」

 

 

「……………………」

 

 

アルベルトが険しい表情を微塵も揺らさず

押し黙る。さらに二人の間に沈黙が流れる。

そしてアルベルトが一番気になっていたのが…

 

 

 

(それに…今、リィエルに勝手な行動をさせる

訳にはいかない…幻影の死神の出方が俺なりに

一番心配だからな……)

 

 

「……?」

 

 

アルベルトがそう考えているとリィエルはそんな

アルベルトの様子に、ほんの少しだけ小首を傾げて

……結局、奇妙な沈黙が二人の間に流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔術競技祭は午前の部と午後の部に分かれており、

その間に小一時間ほどの昼休みが入る。競技場に

集まっていた生徒達は学院内の学食に行く者、

学院外の外食店に赴く者、あるいは弁当を用意して

きた者と分かれて、ぞろぞろと移動し始めていた。

グレンのクラスの生徒達も一旦解散し、昼食のため

に各自分かれて移動し始めている。

 

 

 

「はぁー……さて……

俺はどうしたもんかね……?」

 

 

 

憔悴しきったような、何かを悟って諦めたような

表情でグレンが呟いた。

 

 

腹が減っていた。とにかく腹が減っていた。

冗談抜きにお腹と背中がくっつきそうだ。

クラスの生徒達の何人かは、持参した弁当を、

この場でこれ見よがしに広げ始めている。

この場にとどまるのは精神的にも辛かった。

とは言え、金がないので食事のアテはない。

仕方なく、グレンはおいしそうな匂いが

漂い始めたこの場からの戦術的撤退もかねて、

今日もシロッテの枝――非常食になる――

を拾いに行こうと席から立ち上がった。

 

 

「あ、あの……先生……?」

 

 

ふと、呼ばれて振り向けば、どこか小動物的な

雰囲気を持つ小柄な少女が立っていた。

グレンのクラスの生徒の一人、リンだ。

 

 

「……どうした? リン」

 

 

「そ、その……ちょっと相談したいことが……

あって……その……」

 

 

「相談?」

 

 

グレンは頭をがりがり掻きながら周囲を見渡す。

 

 

 

「……その相談とやらはここじゃ

ダメな類いのものか?」

 

 

 

「え? その、はい……できれば、あまり人の

いない場所で……」

 

 

 

正直、七面倒臭かった。

相談事に頭を回すエネルギーすら、今は惜しい。

 

 

 

だが、なぜか少し泣きそうになっているリンの

様子を見て、流石に甲斐性なし男世界選手権代表

グレンも邪険に扱うことはできそうになかった。

 

 

「……わかった。じゃ、場所を移すか」

 

 

 

そうして、グレンはリンを伴って

競技場を後にし、学院中庭の方へやってきた。

青々と広がる芝生、庭師によってよく手入れの

施された植樹達、端の方で色とりどりの花を

咲かせる花壇。おなじみの光景がそこにはある。

普段は昼になるとこの場所は弁当を開く生徒で

賑わうが、今日は競技場が開放されているため、

そのまま競技場内で弁当を開く生徒が多い。

それゆえに中庭は閑散としていた。

 

 

「で? その相談ってなんだ? 

金以外のことなら大体、聞いてやるぞ」

 

 

 

「そ、その……」

 

 

 

リンがおどおどとしながら、

少しずつ心の中をまとめるように呟いていく。

 

 

「あ、あの、私、『変身』の競技を

任されているんですけど……その、自信がなくて」

 

 

「……はぁ?」

 

 

 

「変身の魔術は一生懸命練習しては

きたんですけど……今日になったら

緊張してきて……全然、

上手くいかなくなっちゃって……それで、

私を他の誰かに代えてくれないかと……」

 

 

 

「…………」

 

 

 

「せ、せっかくクラスの皆が一丸になって

一生懸命、優勝のために頑張っているのに……

私が足を引っ張っちゃったら、皆に申し訳なくて

……その……だから……私を、他の誰かに代えて

……下さい……ッ!」

 

 

 

肩を震わせ、目尻に少し涙を浮かべてリンが

懇願してくる。グレンは頭をがりがりと

掻きながら、ため息をついた。

 

 

 

「……お前はそれでいいのか?

 本当は出場したいんじゃないのか?」

 

 

「そ、それは……」

 

 

「まずはそこをはっきりさせてくれ。

じゃないと、なんとも言えん」

 

 

 

しばらくの間、リンは自分の心の内を

さらうように押し黙って、そして――

 

 

「本当は……私も出たい……です……

でも、皆に迷惑がかかるから……」

 

 

 

「じゃ、決まりだ」

 

 

 

グレンは、ぽんとリンの頭に手を乗せた。

 

 

「出ろ。何も問題ない」

 

 

「え!? で、でも! 

私が出たら、皆に迷惑が――」

 

 

 

「あのなぁ、魔術競技祭。お祭りだぞ? 

お祭りに足を引っ張るも迷惑もあるもんか」

 

 

 

「で、でも、皆で優勝目指すって

盛り上がってて……先生もそう言って……」

 

 

「……あー、そうか。

あれがお前に気負わせちまったのか……」

 

 

 

グレンは自分の軽率な言動を

今になって少し後悔した。

 

 

 

「確かにちょい身勝手な諸事情により、

ついノリであんなこと言っちまったがな。

もう、どーでもいいのさ。まずはお前らが

目一杯楽しめりゃそれでいい。その上で

優勝できれば最高だ。ま、その程度だよ。

気にすんな」

 

 

 

「……そう……なんですか?」

 

 

 

「ああ。だから、お前も皆の足を引っ張るとか

優勝のためとかうんぬんより、楽しんで来い。

お前、変身の魔術、好きなんだろ?」

 

 

「は、はい……私……昔から気が弱くて、

優柔不断だけど……変身の魔術は、その……

なんだか違う私になれるようで……」

 

 

「なら、それでいいじゃねえか」

 

 

だが、グレンがここまで言っても

リンはどこか不安そうだ。

 

 

「……仕方ねーな。じゃあ、ちょっと、

特別講義といこうか」

 

 

 

そんな自信なさげなリンに、グレンは気まぐれで、

ちょいとお節介してやることにした。

リンは驚いて、うつむきがちな目を

グレンに向ける。

 

 

 

「……特別、講義?」

 

 

 

「ああ。なぁ、リン。まずは復習だ。

変身の魔術には二種類あったな。

そう、【セルフ・ポリモルフ】と

【セルフ・イリュージョン】だ。

その違いがなんだかわかるか?」

 

 

 

少し考え込むように沈黙してから、リンが答える。

 

 

 

「え、ええと……【セルフ・ポリモルフ】は

白魔術で、【セルフ・イリュージョン】は

黒魔術です」

 

 

「ははは、それじゃ六十点だぜ?」

 

 

「す、すみません……え、えと……ええと……

【セルフ・ポリモルフ】は……その、肉体の

構造そのものを作り変えて変身する魔術で……

【セルフ・イリュージョン】は光を操作を

することで変身したように見せかける

幻影の魔術です」

 

 

グレンのダメ出しに、慌てて答え直すリン。

 

 

「まぁ、そんなとこだ。ゆえに

【セルフ・ポリモルフ】は肉体と精神を操る

白魔術、【セルフ・イリュージョン】は

運動とエネルギーを操る黒魔術ってわけだ」

 

 

 

グレンは右腕の袖をまくって、三節のルーンで

呪文を唱えた。すると、その右腕がめきめきと

変化する。筋肉がふくれあがり、黒い剛毛が

びっしりと生えそろい、爪が伸び……

あっという間に狼の前足になった。

 

 

 

「【セルフ・ポリモルフ】は術式で決まる。

例えば狼に変身するなら狼に変身する

【セルフ・ポリモルフ】、竜に変身するなら

竜に変身する【セルフ・ポリモルフ】だ。

そして、失敗すると元に戻れなくなってしまう

危険性はあるが、変身したものの能力を

得ることが可能だ。馬に変身すれば馬の速度で

走れるし、鳥に変身すれば飛ぶことができるし、

竜に変身すれば火が吹ける」

 

 

グレンが再び呪文を唱えると、

狼の腕に変化した右腕は元に戻った。

 

 

 

「だが、【セルフ・イリュージョン】は

そうはいかない。光を操作して、そう見せかけて

いるだけだ。だから、馬に変身しようが鳥に

変身しようが、速く走れるようにはならんし、

空も飛べん。じゃあ、変身魔術としては

【セルフ・ポリモルフ】の方が上か……と言えば

必ずしもそうじゃない。えーと、そうだな……

例えば……」

 

 

グレンがこめかみを指でつつきながら、

【セルフ・イリュージョン】の呪文を唱える。

すると、グレンの周囲の空間が一瞬、ぐにゃりと

揺らいで……グレンの姿の焦点が

あやふやになり……再び焦点が結像した時。

 

 

「る、ルミア……ッ!?」

 

 

そこにグレンの姿はなく、腕組みして不敵に

笑うルミアの姿があった。とても幻影には

見えない。その質感はルミアが本当にそこに

立っているかのようだ。

 

 

「ま、こんなもんか」

 

 

声もルミアになっている。どうやら声の

波長と周波数も即興で変えたらしい。

 

 

「呪文と変身対象が一対一対応している

【セルフ・ポリモルフ】系の魔術とは

異なり、【セルフ・イリュージョン】には

この通り、術者のイメージを反映する術式が

組み込まれている。つまり、イメージ次第で

何にでも変身できるというわけだな。

張りぼてだけど」

 

 

ルミアの姿と声で、仕草はグレンのまま、

淡々と説明が続く。

 

 

「結論すると、【セルフ・イリュージョン】に

よる変身が上手くいかなくなったってことは、

まだイメージがあやふやだっていうことだ。

逆に言えばイメージさえ固め直せば必ず

上手くいく。俺の首を賭けてもいい」

 

 

にやりと、ルミアの姿のグレンが不敵に笑う。

 

 

 

「さて、リン。

お前は【セルフ・イリュージョン】の呪文で

『変身』の競技に参加する予定だったな? 

何に変身するつもりだ?」

 

 

「え? ええと、天使様に変身しようかと……

『時の天使』ラ=ティリカ様……」

 

 

「ったく、元ネタ自体が伝説上の存在とか、

また難しいの選んだな……まぁ、いい。

そういうことなら、今から学院の附属図書館に

行って、聖画集でも借りてこい。競技開始まで

それをずっと眺めてろ。それで大分違うはずだ」

 

 

 

「わ、わかりました。さっそくやってみます」

 

 

 

そして、最後にルミアに変身したグレンは、

リンにまっすぐ向き直って言った。

 

 

 

「なぁ、リン。お前なら大丈夫だ。

お前はお前が思っている以上に優秀だ。

ちょっと自分に自信がないだけだ。

お前の力は俺が保証してやる」

 

 

「せ、先生……」

 

 

「失敗しても気にすんな。

優勝しろとは言ったが、どうせ祭りだ、祭り。

誰も死にゃせんし、文句も言わん。もし負けて、

それを責めるような奴がいたら、俺がそいつを

鉄拳制裁してやる。だから気楽にな。

わかったか?」

 

 

 

と、そこでリンはとうとうこらえきれなく

なったかのように腹を押さえ、くすくすと

含むように笑い始めた。

 

 

「……なぜ笑うんだ」

 

 

 

せっかく真面目に話したのにどうにも締まらず、

グレンはふて腐れたように言った。

 

 

「だ、だって、先生がルミアの姿と声で

男前なこと言うのが……おかしくて……」

 

 

「ぐぅ……そ、そうか……

まぁ、そりゃそうだ……」

 

 

まったく、その通りだった。真面目なことを

言うなら術を解いてから言うべきだった。

 

 

 

やれやれと、グレンが頭を掻きながら術を

解こうとした、その時だった。

 

 

「ルミアったら、こんな所にいたんだ。

探したわよ?」

 

 

中庭に、いつの間にかシスティーナが

やって来ていた。

 

 

「あ、システィ。どうしたの?」

 

 

システィーナの存在にいち早く気付いた

リンが応じる。

 

 

「あはは、私、ちょっとルミアに用があってさ」

 

 

 

「あ、いや、俺は……」

 

 

 

グレンが正体を明かす暇もなく、

システィーナはグレンに笑いかけながら言った。

 

 

 

「早くお弁当食べよう?

ルミア。言ったでしょ? 今日のお昼は

私がルミアの分まで作っておいたって。

ルミアの好きなトマトのサンドイッチも

あるわよ?」

 

 

 

「え……? 弁当……?」

 

 

 

気付けば、システィーナは大きめの

バスケットを手に提げている。

 

 

(まさか、この中には……ッ!?)

 

 

 

思わずグレンは喉を鳴らした。

 

 

 

「後はアイツなんだけど……アイツ、

一体、どこ行ったのかしら……?」

 

 

 

システィーナが何かわけのわからないことを

呟いているが、それどころではない。弁当を

作ってきたシスティーナが、変身魔術で

ルミアに変身したグレンを、ルミアと

勘違いしている……これは、ひょっとして

凄まじいチャンスなのではないだろうか?

上手く立ち回れば、システィーナが作ってきた

サンドイッチをゲットすることができるのでは

ないだろうか?

 

 

 

(……馬鹿な、冷静になれよ、グレン)

 

 

 

グレンは脂汗を額に浮かべながら、

心の中でその邪な思考を一笑する。

 

 

(教師が、生徒のお弁当を騙し盗るだと?

そりゃ流石に最低最悪じゃあねーか! 

いくらなんでも俺はそこまで堕ちたくねぇ! 

堕ちてたまるものかぁッ!?)

 

 

「ルミア?」

 

 

頭を抱えてそっぽを向き、ぶつぶつ言い始めた

ルミア姿のグレンに、システィーナが

小首をかしげる。

 

 

 

(そも、全部自業自得じゃねえか……

そのシワ寄せを生徒達に向けるのは、

教師というか男として、人としてどうなんだ?

せっかくのチャンスだが、ここは素直に

変身魔術を解いて、大人の対応を……)

 

 

 

と、その時だ。

 

 

 

ぐぅ~~。

 

 

 

グレンの腹が盛大に鳴った。

 

 

「ぷっ、あはは!

ルミアったらそんなにお腹空いていたの?」

 

 

 

 

(……うん。やっぱ、背に腹は変えられないよね。

俺は悪魔に魂を売った)

 

 

 

そして、ルミア姿のグレンはシスティーナに

詰め寄って、その両肩に手をかけた。

 

 

「……今すぐここで食お……食べよう? 

白ね……システィ! 俺……じゃねぇ、

私、とってもお腹空いちゃってさーッ!、

あは、あはははは……ッ!」

 

 

「な、なんか随分必死ね……」

 

 

不思議な威圧感を放つルミアの姿に、

システィーナも額に脂汗を浮かべる。

 

 

 

「あっ。でも、ちょっと待って? 

その前にアイツを探さないと」

 

 

「え? アイツ?」

 

 

 

「そ、アイツ。その……せっかく、一応、

私達の分を作るついでに、アイツの分も

作ってやったわけだし……ホント、その、

ついでのついでに仕方なく、だけど……」

 

 

 

ぷい、とあさっての方を向くシスティーナの

頬にはほんの少し、赤みがさしていた。

 

 

「探さなくていい! アイツって

誰かわかんないけど、探さなくていいって!」

 

 

 

 

「ルミア?」

 

 

 

「そんなことしてるうちにルミアに

見つかったら……じゃなくて! わ、私、

もうすっごくお腹空いちゃってさぁ! 

早く食べないと割とマジで死んじゃうかも! 

だから――」

 

 

「あのぉ……先生……?」

 

 

 

あまりにも必死過ぎるグレンの背中を、

リンが突っつく。途端、グレンは今度は

リンに取り縋り、リンにしか聞こえない声で

まくし立てる。

 

 

 

(頼む、リン様! 武士の情けだ!

見逃してくれッ!)

 

 

(いえ、そうじゃなくて……)

 

 

 

(大丈夫だ! もちろん、ルミアの分を

全部食べたりはしない! ほんの一切れ、

二切れ、ご相伴に預かるだけだ!だから頼む! 

今回ばかりは! 今回ばかりは~~ッ!)

 

 

(その……言いにくいんですけど……本物が……)

 

 

「……え?」

 

 

グレンが硬直した、その時だった。

 

 

「あ、システィ、ここに居たんだ?」

 

 

 

背後から、聞き覚えのある声がした。

 

 

「待たせちゃって、ごめんね。

私、ちょっと用事があって……あれ?」

 

 

 

とことことやって来たルミアは、自分の姿をした

何者かがそこにいるのを見て、小首をかしげた。

 

 

 ……………………。

 

 

 

圧倒的に気まずい沈黙が辺りを支配する。

 

 

 

 

「な、なんてことなの……俺……あ、私が二人!?

ま、まさかどっちかがニセモノ……困ったわ!

ここまでそっくりじゃ、どっちが本物かなんて

わから……」

 

 

「《力よ無に帰せ》」

 

 

 

ぼそりと、システィーナが

【ディスペル・フォース】を唱える。

たちまちグレンにかかっていた変身魔術が

中和され、化けの皮が剥がれる。

 

 

「……まぁ、そういうわけで」

 

 

 

ふっ、と。正体を暴かれたグレンが不敵に笑い、

髪をかき上げ、くるりと踵を返す。

 

 

「グレン先生はクールに去るぜ」

 

 

 

そのまま何事もなく、歩き去っていこうとする

グレンの背中に……

 

 

「こ、の、お馬鹿ぁあああ――ッ!」

 

 

 

システィーナが唱えた【ゲイル・ブロウ】の

突風が容赦なく叩きつけられて……

 

 

 

「ぎゃああああああああああああああ――ッ!?」

 

 

 

グレンは情けない悲鳴を上げて、

吹き飛んでいくのであった。

 

 

 

「信じられない! 最低! 

教師が生徒のお弁当を掠め盗ろうとするとか、

ありえないでしょ!? せっかく私が朝早く起きて

……ふんっ! もう、知らないッ!」

 

 

 

顔を真っ赤にして、わめき立てるシスティーナ。

ため息をつくリン。状況をよく飲み込めず、

ルミアは目をぱちくりさせるのであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呪文のダメージから回復したグレンは早速、

昼食を調達しに行くことにした。とは言っても

お金のないグレンにまともな食事は許されない。

ここ数日間、グレンに許された食事は、

シロッテと呼ばれる木の枝だ。シロッテは

星形の葉が特徴的な落葉広葉樹で、その若枝に

限って樹液に糖分が含まれている。

その枝をかじると、枝に含まれる糖分を

ある程度摂取することが可能だ。一週間前、

学院敷地内の北部に広がる通称『迷いの森』の

入り口付近で、シロッテの木を発見した

グレンは以来、昼食時になるとその場所に

足繁く通い、シロッテの若枝を回収、

飢えを凌いでいた。

 

 

「とは言ってもなぁ……」

 

 

シロッテの枝を取ってきたグレンは学院中庭の

ベンチにぐったり腰かけながら、枝を口に

くわえている。

 

 

 

「なんかこう、人間としてどんどん落ちぶれて

いってる気がする……ちくしょう……もう二度と

ギャンブルなんかしねえぞ……ぐすん」

 

 

 

涙目でシロッテの枝をかじりながら、

グレンはどんよりと淀んだ目で遠くを見た。

 

 

 

「へへっ……今日は、なんだか妙に

目にゴミが入りやがる……」

 

 

 

目元を拭うグレンの腹の虫が盛大に鳴った、

その時だった。

 

 

「あ、先生~」

 

 

 

遠くできょろきょろと何かを探していたらしい

ルミアがグレンの姿を見つけると、ぱたぱた

駆け寄ってくる。その手には何かを大切そうに

抱えていた。

 

 

 

「……ルミアか。どうした?」

 

 

 

「あの……先生に差し入れを届けに来ました」

 

 

 

「差し入れ?」

 

 

訝しむように構えるグレンに、

ルミアは布包みを差し出した。

 

 

 

「これ、サンドイッチの包みです。先生、最近、

ずっとお腹が空いているみたいだったから、

もしよかったらと思―――」

 

 

 

「ありがとうございます天使様! 

喜んで謹んで、頂戴いたしますぅ――ッ!?」

 

 

 

狂喜と共にグレンがルミアの手から布包みを

ひったくり、布をむしり取るように開く。

中身は特になんの変哲もない、トマトサンドや

ハムサンドなど、ごくありふれた普通の

サンドイッチだったが、今のグレンにはそれが

最高級の宮廷料理に見えた。

 

 

 

「ぅおおおおお!? 生きてるって、

なんて素晴らしいんだぁああああ――ッ!?」

 

 

 

「お、大げさだなぁ……」

 

 

 

グレンは夢中でサンドイッチに噛みついた。

瑞々しいトマトの酸味が、ほどよい塩加減の

ハムの旨味が、薄くスライスされたチーズの

コクが、飢えきった舌の上で極上のハーモニーと

なって踊る。粗挽きされた黒胡椒の辛みと

香りにとめどない感動が溢れる。ルミアは

グレンの隣に腰を落ち着けると、隣で

号泣しながら中身のサンドイッチを頬張る

グレンを苦笑いしながら眺めていた。

 

 

 

「ところで……これ、

お前が作ってくれたのか?」

 

 

 

「はい、私が先生のために作りました……

なぁんて言ってみたいんですけど、

実は私じゃないんです」

 

 

 

と言って、ルミアがいたずらっぽく笑う。

 

 

 

「あはは、私、

不器用だから料理とか苦手で……」

 

 

 

「そうなの? 

じゃ、これ誰が作ったんだ?」

 

 

 

「それは秘密です。

本人たっての希望なので……

うちのクラスのとある可愛い女の子が作った、

とだけ言っておきますね?」

 

 

 

「ふーん。ま、別にこの弁当の

出所なんてどうでもいいけどな」

 

 

 

「実はですね……その可愛い女の子は、

とあるちょっと気になる男性のために、

以前、お世話になったお礼にと、その弁当を

早起きして一生懸命作ったらしいんですが、

その女の子はどうも素直じゃなくて、

つい渡しそびれちゃったらしくて……」

 

 

 

「誰か知らんが、そりゃご愁傷様だったな……」

 

 

 

グレンが同情するようにため息をついた。

 

 

 

「つーか、その男の方も大概だなぁ……

せっかく女の子が弁当作ってきてくれたんだから

そこは察してやれよ……ったく、そんな空気の

読めないスケコマシ野郎なんざ、どーせロクな

奴じゃあるまい。やれやれ、その女の子とやらも

男の趣味が悪いぜ」

 

 

 

「あ、あはは……」

 

 

 

なぜかルミアは脂汗をかいているが、

グレンは気付かない。

 

 

 

「ま、まぁ、それはとにかくですね、その子が

せっかく作ったお弁当を捨てようとしていたので、

もったいないから私が受け取って、

こうして先生の所に持ってきたんです」

 

 

「ったく……俺はゴミ箱の代わりかよ。

ま、別にいいけどな。助かったし」

 

 

 

グレンはふて腐れたように鼻を鳴らし、

それでもサンドイッチをかじり続ける。

 

 

 

「ねぇ、先生。どうです? 

そのサンドイッチ、美味しいですか?」

 

 

 

 

問われて、グレンは改めて口の中に広がる味に

思いを馳せる。

 

 

 

「美味い」

 

 

 

率直に思ったことをグレンは素直に言った。

 

 

 

「工夫はないが丁寧に作られてる。

オーソドックスだけど、スゲー美味い

ノワールのホットドッグには劣るけどな…」

 

 

 

「ふふっ、そうですか。

ノワール君がですか…それにきっと、

それを作った子も喜ぶと思いますよ?」

 

 

 

そう聞いて、ルミアはにっこりと笑った。 まるで

自分が作った料理を褒められたかのようだった。

しばらくすると、結構多めに作ってあった

サンドイッチは全て空になった。

 

 

 

「ふー、食った、食った……ごちそうさん」

 

 

 

「ふふ、お粗末様です……って、

私が言うべき言葉じゃないですけど」

 

 

 

「これで寿命が三日ほど延びたかな……

よし、ぎりぎり行けるぞ……」

 

 

 

「……?」

 

 

 

グレンの意味不明な呟きにルミアが小首をかしげて

そしてルミアは

 

 

 

「グレン先生‼︎」

 

 

 

 

「お⁉︎ ど、どうした…ルミア?」

 

 

 

 

グレンがルミアの大きな声に驚きながら聞くと

ルミアは今、真っ先に聞きたい事を聞いた。

 

 

 

「昨日の事なんですけど……」

 

 

ルミアが言いにくそうな表情で話すとグレンは

頭をガリガリと面倒くさそうに掻きながら

 

 

 

 

「あぁ……ノワールの事か……」

 

 

 

 

「は、はい…」

 

 

 

グレンがルミアにそう話すとルミアは

しゅんとした表情で俯いていた。

 

 

 

 

「昨日は白猫は……泣いただろ…?」

 

 

 

グレンは俯いているルミアに気まずそうに

そう話すとルミアはそんなグレンの表情を

気付いたのか

 

 

 

 

「そう…ですね……先生の言う通り

システィはかなり泣いてましたね……

先生には前にも言いましたけど、

システィにとってはお祖父様と繋がって

いられる唯一の存在でしたので…」

 

 

 

 

「そう、だったな……」

 

 

 

 

グレンはそう話すとルミアは

 

 

 

 

「先生……もうあの時みたいにシスティと

ノワール君と一緒に楽しく仲良く話す事は

出来ないのかな……」

 

 

 

 

ルミアはみんなの前では笑顔で振舞っていたが

ルミアは昨日の会話が頭から離れなかった。

 

 

 

「大丈夫だ……ノワールについては俺が

なんとかしてやるから安心しろ…」

 

 

 

グレンは目線をルミアに向いて真剣な表情で

ルミアにそう言うとルミアは少し安心した表情で

グレンに微笑んで

 

 

 

「グレン先生……そうですね…

グレン先生の言う通りですよね……また、

システィとノワール君であの時のように

楽しく一緒に話せますよね…?」

 

 

 

「あぁ…俺、グレン大先生に任せておけ‼︎」

 

 

 

 

グレンはルミアを安心させようと

高らかにそう宣言するとルミアは

花が咲いたような安心した表情で

 

 

 

「そうですね‼︎ じゃあ、グレン先生

よろしくお願いします‼︎」

 

 

 

ルミアがグレンに頭を下げると

グレンは一息ついて

 

 

 

「さて、人心地もついたし、

そろそろ競技場に戻るか」

 

 

 

「はい」

 

 

 

グレンとルミアがベンチから立ち上がった。

 

 

 

 その時。

 

 

「そこの貴方はグレン、ですよね?

 あの……少し、よろしいですか?」

 

 

 

立ち去ろうとする二人の背後から、不意に

女性の声がかかる。呼び止められたグレンは、

いかにも面倒臭そうに振り返った。

 

 

 

「はいはい、全然よろしくありませーん、

俺達、今、すっごく忙し――って、

ぇえええええええええええええええ――ッ!?」

 

 

 

グレンは背後から声をかけて来た人物の

正体を知ると、素っ頓狂な叫びを上げた。

 

 

 

「じょ、じょ、じょ、女王陛下――ッ!?」

 

 

 

そこにいたのは他でもない、アルザーノ帝国女王

アリシア七世その人だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、アリスのやつ、うまく接触できたかな?」

 

 

 

バルコニー型の貴賓席で、セリカは紅茶を傾け、

優雅な一時を過ごしていた。

 

 

「それにしても傑作だったなぁ。

アリスが居なくなったことに気付いたときの、

王室親衛隊連中の顔!」

 

 

笑いを堪えきれず、セリカは肩を震わせている。

 

 

 

「相変わらず神をも恐れぬ女じゃのう、

セリカ君は……」

 

 

こんなセリカの態度には、

リック学院長も呆れ顔だ。

 

 

 

 

「ははは、何を言うか学院長。

私に言わせれば、ぶっちゃけ神より

人間の方が怖いぞ? 神はただ人間には

及びもつかない強大で絶対的な力を持ってて、

やたらめったら強いだけだけど、一方、

人間ときたら――」

 

 

 

そんな、ご機嫌なセリカの下に。

 

 

 

「セリカ様……」

 

 

 

何やら深刻な表情で、エレノアがやってくる。

 

 

 

「ん? どうした?」

 

 

 

「大変なことが起きてしまいました……

どうしてもお耳に入れて欲しいことが」

 

 

「……何事だ?」

 

 

 

エレノアのそのただならぬ様子に、

セリカが表情を引き締める。

 

 

 そして。

 

 

 

「実は…………………」

 

 

エレノアがそっと耳打ちしてきたその話の内容に。

 

 

 

「な――なんだと!? 

そんな、馬鹿な――」

 

 

セリカは顔色を蒼白にして目を剥き、

エレノアを凝視していた。

 

 

「ど、ど、どうしてアナタのような高貴なお方が、

下々の者のたむろするこのような場所に、

護衛もなしで――ッ!?」

 

 

 

突然、現れた女王の前に、

グレンはひたすら恐縮しまくっていた。

 

 

 

「あ、いえ、その、さっきは無礼なことを

言って申し訳ございませんでした――ッ!」

 

 

 

いつもの横柄で傍若無人な態度はどこへやら。

グレンは畏まって片膝をつき、その場に

恭しく平服する。

 

 

 

「そんな、お顔を上げてくださいな、グレン。

今日の私は帝国女王アリシア七世ではありません。

帝国の一市民、アリシアなんですから。

さぁ、ほら、立って」

 

 

「いや、そうは言ってもその……

し、失礼します……」

 

 

 

グレンはおそるおそる立ち上がって、恐縮する。

 

 

 

「ふふっ。一年ぶりですね、

グレン。お元気でしたか?」

 

 

 

 

「あ、はい、そりゃもう。

へ、陛下はお変わりないようで……」

 

 

 

「……貴方にはずっと謝りたいと思っていました」

 

 

 

ふと、アリシアは目を伏せた。

 

 

 

「あ、謝る……って、そんな……」

 

 

 

「貴方は私のために、そして、この国のために

必死に尽くしてくださったのに……あのような

不名誉な形で宮廷魔導士団を除隊させることに

なってしまって……本当に我が身の不甲斐なさと

申し訳なさには言葉もありません……」

 

 

 

「いえいえ、全然、気にしてませんって! 

いや、ホントです! ていうか、俺って

ぶっちゃけ仕事が嫌になったから辞めただけの

単なるヘタレですから! マジで!」

 

 

 

ぶんぶんと頭を掌を左右に振りながら、

グレンはアリシアの謝罪を固辞する。

 

 

 

「そうですね……

私は貴方に頼るばかりで、貴方の辛さや

苦しさをわかってあげられなかった……

女王失格ですね。思えば三年前のあの時も……」

 

 

 

「いやいやいやいや!?

俺みたいな社会不適格者に女王たるあなたが

頭下げちゃダメですって!? 誰かに見られたら

どうするんですか!?」

 

 

 

グレンが戦々恐々と周囲を見渡す。

都合の良いことに――いささか都合が良

過ぎる気もするが――周囲には誰もいなかったが、

グレンは気が気ではなかった。

 

 

 

「で、陛下……

その、今日はどういった御用向きで……?」

 

 

 

「ふふ、そうですね。今日は……」

 

 

 

アリシアは視線を横にずらす。その視線が

捕らえた先に、呆然と立ち尽くしている

ルミアがいた。

 

 

 

「……お久しぶりですね、エルミアナ」

 

 

そんなルミアに、アリシアは優しく語りかけた。

 

 

 

「………………」

 

 

 

ルミアは無言でアリシアの首元に視線を

さまよわせる。そこに翠緑の宝石が納まった

金細工のネックレスがかけられているのを

確認すると、なぜかルミアは目を伏せた。

 

 

 

「元気でしたか? あらあら、久方見ないうちに、

ずいぶんと背が伸びましたね。ふふ、それに

凄く綺麗になったわ。まるで若い頃の私みたい、

なぁんて♪」

 

 

「…………ぁ……ぅ……」

 

 

「フィーベル家の皆様との生活はどうですか?

 何か不自由はありませんか? 食事はちゃんと

食べていますか? 育ち盛りなんだから

無理な減量とかしちゃだめですよ? それと、

いくら忙しくても、お風呂にはちゃんと

毎日入らないとだめよ? 貴女は嫁入り前の

娘なのですから、きちんとしておかないと……」

 

 

「…………ぁ……そ、その……」

 

 

硬直するルミアをよそに、アリシアは本当に

嬉しそうに言葉を連ねていく。

 

 

 

「あぁ、夢みたい。またこうして貴女と

言葉を交わすことができるなんて……」

 

 

そして、感極まったアリシアは、

ルミアに触れようと手を伸ばす。

 

 

「エルミアナ……」

 

 

 

 だが――

 

 

 

「……お言葉ですが、陛下」

 

 

 

ルミアはアリシアの手から逃げるように、

片膝をついて平伏した。

 

 

「!」

 

 

「陛下は……その、

失礼ですが人違いをされておられます」

 

 

ルミアがぼそりと呟いた言葉に、

今まで嬉しそうだったアリシアが凍りついた。

 

 

 

「私はルミア。ルミア=ティンジェルと申します。

恐れ多くも陛下は私を、三年前に御崩御なされた

エルミアナ=イェル=ケル=アルザーノ王女殿下と

混同されておられます。日頃の政務でお疲れかと

存じ上げます。どうかご自愛なされますよう……」

 

 

「…………」

 

 

慇懃に紡がれるルミアの言葉に、アリシアも

グレンも気まずそうに押し黙った。

 

 

 

「……そう、ですね」

 

 

 

そして、アリシアは寂しそうに薄く微笑み、

目を伏せた。

 

 

 

「あの子は……エルミアナは三年前、

流行病にかかって亡くなったのでしたね……

あらあら、私ったらどうしてこんな勘違いを

してしまったのでしょう? ふふ、

歳は取りたくないものですね……」

 

 そんなアリシアの哀愁漂う言葉に、グレンは

複雑な表情で頭を掻く。ルミアは淡々と

言葉を続ける。

 

 

 

「勘違いとは言え、このような卑賤な

赤い血の民草に過ぎぬ我が身に、ご気さくに

お声をかけていただき、陛下の広く慈愛あふれる

御心には感謝の言葉もありません……」

 

 

 

「いえいえ、こちらこそ。

不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」

 

 

 

しばらくの間、重たい沈黙が周囲を支配する。

ルミアは何も言わない。アリシアは何かを

言おうとして口を開きかけ……そして、

諦めたかのように口を閉ざす。

その繰り返しだった。

 

 

 

 そして――

 

 

「……そろそろ、時間ですね」

 

 

 

未練を振り切るように、

アリシアはグレンを振り返った。

 

 

 

「グレン。エル――……ルミアを、

よろしくお願いしますね?」

 

 

 

「……わかりました、陛下」

 

 

グレンが何か物言いたげな表情で見送る中、

アリシアは静かに去って行った。

 

 

 

やがてアリシアの姿が、中庭から見えなくなる。

 

 

「…………」

 

 

 

 

その場に恭しく平服したままのルミアは

ついぞ一度も、去り行くその背中に目を

向けることはなかった……。

 

 

 

「やっぱり、私を母親とは

認めてはくれませんか……そうですよね……」

 

 

 

 

競技場の貴賓席へ、アリシアは肩を

落としながらとぼとぼと向かっていた。

 

 

 

 

アリシアは往来を堂々と歩いているというのに、

すれ違う誰もがアリシアの存在を気に

とめることはない。セリカの高度な人避けの

魔術が効いているのだ。

 

 

「エルミアナ……」

 

 

 

触れようとした瞬間、まるで他人のように

振る舞った我が子を思い出す。どのような

理由があれ、確かに自分は娘を裏切り、

捨ててしまったのだ。エルミアナという少女を

亡き者とし、エルミアナとして生きてきた半生を

全否定したのだ。エルミアナは聡明な娘だ。

母親であると同時に女王である自分がそうせざる

を得なかったことは理解しているのだろう。

だが、頭で理解はしていても、心で納得できる

ものではない。おまけに追放当時のエルミアナは

まだ幼かった。報告によれば、王宮から

放逐された直後のエルミアナは、しばらくの間、

相当に荒れていたらしい。母親が恋しい多感な

年頃に、一方的に放り出されれば、誰だって

そうなるだろう。それでも、彼女は誰からも

好かれるような優しい子に育った。それは

母親から捨てられたエルミアナとして

生きたからではない、フィーベル家の一員として

新たな人生を歩むことを選んだルミアとして

生きたからなのだろう。なるほどそう考えれば、

さっきアリシアの前に立っていた少女は、

確かにエルミアナではなく……

ルミアだったのだ。

 

 

「……残念、です。本当に……」

 

 

こんなに惨めで辛い思いをするくらいなら、

セリカやエレノアの提案に安易に乗らず、

遠くから見るだけにしておけば良かったか。

そんな考えが思い浮かぶ。だが、彼女達の

せいにはできない。結局、娘に会うことを

望んだのは自分自身。セリカとエレノアは、

そんなアリシアの心に燻る思いに気を利かせた

だけに過ぎないのだから。暗鬱な気分で

アリシアが魔術競技場へと歩を進めていた、

その時だった。

 

 

 

「……アリシア陛下」

 

 

 

自分を呼ぶ声にふと、アリシアが顔を上げる。

周囲を見渡せば大きな大木の背後から

黒のロングパーカーのコートを被っている

ノワールがいた。

 

 

 

 

「死神さん…」

 

 

 

アリシア七世は暗い表情でそう言うと

ノワールは大木から魔術競技祭の石の柱の

背後に回ると

 

 

 

「どうやら…ルミア=ティンジェルの所に

行ったみたいだな……?」

 

 

 

「は、はい……」

 

 

 

アリシアは石柱の裏にノワールのいる石柱に

近づきながら話しを続ける。

 

 

 

 

 

「今更ですよね……大人の勝手な事情で

大事な一人娘のエルミアを捨てておいて…

随分と身勝手ですよね……」

 

 

 

 

アリシアは俯いて更に胸の辺りをぎゅっと

握り締めながらそう呟くと

 

 

 

「もしくは…貴方の横暴的な性格が

余りにも重かったとか…『ガシッ』」

 

 

 

 

ノワールは右手を顎の辺りを触りながら

冗談半分でそう言うと

 

 

 

「⁉︎」

 

 

 

突然だったのかノワールは異様な寒気を感じた。

 

 

 

 

「へぇー……貴方は今まで私の事をそう思って

いたのですね……それに『誰が横暴なのですか?

誰が?』詳しく聞かせて頂きましょうか?」

 

 

 

 

ノワールは石柱の背後を見て見ると瞳から

光がなくなったアリシアがこちらを見ていて更に

右手で石柱をがっしり掴んでとてもない威圧的で

近づき難きオーラを感じ取った。

 

 

 

 

「へ、陛下…ち、違うんです‼︎

これは…言葉の綾と言いますか……」

 

 

 

 

「ほぉー…言葉の綾ですか……では、

きちんと最後まで聞かせてもらいますよ……?

もし、私が満足する答えでなければ…

そうですね…お望みとあれば私の権限を持って

私の知りうる全ての拷問をしてあげましょうか?」

 

 

 

ノワールはアリシアの言葉を聞いた瞬間、

額から大量の脂汗が流れて

 

 

 

 

「す、すみませんでした‼︎」

 

 

 

直感だった。ノワールは今、謝らなければ

後でとんでもない事になる事だけは分かった。

 

 

 

 

「……まぁ、良いでしょう…んで、

私に何か用事があるから此処に来たのでしょ?」

 

 

 

 

こほん、とアリシアが咳払いした後、

石柱の背後にいるノワールに聞くと

ノワールは安堵した表情で話し始める。

 

 

 

「天の智慧研究会についてですが…

前回の学院のテロ事件で分かった事ですが…

どうやら天の智慧研究会の奴等も一枚岩では

ないようですね…」

 

 

 

「どういう事ですか…?」

 

 

 

 

「僕も詳しくは知りませんがどうやら組織内で

様々な派閥が言い争ってるみたいにですね…」

 

 

 

 

「そうですか……」

 

 

 

 

アリシアはノワールの言葉を聞いた瞬間、

国を納める陛下の表情を浮かべていた。

 

 

 

「そうですか…分かりました。

では、近いうちにこの事を議題に出して

対処策を講じておきますね?」

 

.

 

「そうですか…分かりました……」

 

 

 

 

ノワールはその表情を見てそう答えると

 

 

 

 

「では、早く戻らないと周りにバレて大騒ぎに

しまいそうなので会場に戻りますね…」

 

 

 

アリシアがノワールにそう言って

向かおうとすると

 

 

 

「陛下……最後に一言、言っておきます……」

 

 

 

「死神さん……? な、何でしょうか?」

 

 

 

 

アリシアがノワールの声に頭を傾げると

 

 

 

「『背後には気をつけたほうが良い』とだけ

貴方には言っておきます……では、

僕はこれにて失礼します……」

 

 

 

「‼︎ そ、それは一体、どういう事ですか⁉︎」

 

 

 

ノワールはそう言って幻想の羽衣を使ってその場を

後にしようとするとアリシアはノワールの最後の

言葉が気になったのか必死になって声をかけると

もういなくなっていた。

 

 

 

 

「もう、いない…ですか…」

 

 

 

 

(背後に気をつけろ……ですか……

一体、どういう意味でしょうか…?)

 

 

 

アリシアはノワールの最後の言葉が

頭から離れなかったのか考え込んでいると

 

 

 

「陛下……」

 

 

 

アリシアは声がする方に視線を向けると

並木道に並び立つ木陰に見知った姿があった。

王室親衛隊、総隊長ゼーロスだ。

なにやら切羽詰まった鬼気迫る表情で

こちらの様子を伺っていた。

 

 

 

(おや、変ですね。どうして私のことを

認識できたのでしょう? まだセリカの魔術が

効いているはずなのですが……)

 

 

 

 

不思議に思いながらも、アリシアは

この忠義あふれる衛士に声をかける。

 

 

 

「あらあら、見つかってしまいましたね。

勝手に外を出歩いてしまって、すみません、

ゼーロス。ところで……どうかしましたか?」

 

 

 

「少し、お話があります、陛下」

 

 

ゼーロスは音もなく木陰から出ると、

アリシアの前に立ち、手を振り上げた。

 

 

 それが合図だったのか。

 

 

 

「――ッ!?」

 

 

 

どこからともなく現れた数名の衛士が、

あっという間にアリシアを取り囲んでいた。

 

 

「……どういうことでしょうか?」

 

 

 

そのただ事ではない雰囲気にも動じず、

アリシアが静かに問う。

 

 

 

 

「ご無礼をお許し下さい、陛下。

しばらくの間、我ら一同、力尽くでも御身を

拘束させていただきます。けれど、この狼藉は

決して御身に、そして帝国に対する敵対行為に

非ず。一重に御身と祖国に対する忠義ゆえと

ご理解願いたい。ゆえに今しばらくご辛抱を」

 

 

 

 

「ゼーロス……」

 

 

 

アリシアとて素人ではない。

セリカには到底およばないが、それなりの

位階の魔術師である。有象無象の賊共から、

自分の身を守ることくらいは充分にできる。

だが、対魔術装備に身を包み、近接戦闘に

優れた凄腕の衛士数人に、この至近距離で

取り囲まれてしまったら、

もうどうしようもない。

 

 

 

「……わかりました。

まずはお話を聞きましょう」

 

 

 

観念して、アリシアはゼーロスに

従うことにするのだった。

 

 

 

 

「……信じられんな」

 

 

 

言葉とは裏腹に、アルベルトは冷静沈着

そのものの声色で、淡々と告げた。

 

 

 

「どうしたの? 遠見の魔術で何を見たの?」

 

 

 

「王室親衛隊が――動いた」

 

 

 

「……? それは動くでしょう? 

彼らも生きた人間なのだから」

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

アルベルトが険しい表情を微塵も揺らさず

押し黙る。二人の間に沈黙が流れる。

 

 

 

「……王室親衛隊は、武力をもって女王陛下を

本格的に自分らの監視下に置いた。これは

事実上の軟禁状態と考えていい。しかし、

総隊長ゼーロス……短慮を起こすような人物では

なかったと記憶していたが、認識を改める

必要があるようだ」

 

 

 

「そう」

 

 

それを聞いたリィエルが早速、迷わず歩き始める。

 

 

 

「何処へ行く気だ?」

 

 

 

そんなリィエルの後ろ髪を、

アルベルトは手を伸ばして掴んだ。

 

 

 

「決まってる。敵は、わたしが全部斬る」

 

 

 

「待て。相手が多過ぎる。幾らお前でも無理だ」

 

 

 

「敵の戦力の方が上だというなら、

こちらがそれを上回ればいいだけ」

 

 

 

「援軍を呼ぶ気か?」

 

 

 

「ううん、気合い」

 

 

 

「……………………」

 

 

 

アルベルトが険しい表情を微塵も揺らさず

押し黙る。また二人の間に沈黙が流れる。

 

 

 

「……帝国王室親衛隊は直系右派の筆頭、

女王陛下に最も忠義厚き者達だ。陛下に直接的な

危害を加えるとは考えられん。この行動には

必ず何らかの思惑があるはず。俺達は連中の

この無謀な行動の裏に隠された意図を探り、

事態を収拾すべく行動すべきだ」

 

 

 

「そう。わたしにはよくわからないけど」

 

 

 

「だろうな」

 

 

 

沈黙。少女の後ろ髪を掴む男、という奇妙な

構図で二人が静止している。そして、先に口火を

切ったのはリィエルだった。

 

 

 

「作戦を考えた。わたしが正面から敵に突っ込む。

アルベルトはわたしの後に正面から突っ込んで」

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

アルベルトが険しい表情を微塵も揺らさず

押し黙る。いつものように、二人の間に

沈黙が流れた。そして、少ししてアルベルトが

 

 

 

「とにかく…お前は勝手な行動をするなよ……

それに…気になる事もあるしな……」

 

 

 

「気になる事……?」

 

 

 

 

リィエルが頭を傾げながらアルベルトに聞くと

 

 

 

「幻影の死神についてだ…」

 

 

 

アルベルトは幻影の死神について

リィエルに言うと

 

 

 

『幻影……の、死神…?』

 

 

 

本人のリィエルは無表情で意味が分からないと

いった表情で更に頭を傾げると

 

 

 

「さっき言っただろ……今回の任務の

重要な人物一人である都市伝説の暗殺者だと

言ったはずだろ…」

 

 

 

「そうだっけ……?」

 

 

 

リィエルはアルベルトの言葉を聞いてリィエルが

アルベルトの言葉を全く理解出来てないのを

アルベルトが一瞬で理解した。

 

 

 

「……とにかく、勝手な行動をするな…

それだけ覚えておけ…いいな? 」

 

 

 

「わかった……」

 

 

 

 

(遠見の魔術で陛下達の会話や様子を見ていたが…

石柱背後にいた人影は…まさか……)

 

 

 

アルベルトはある考えが一瞬、頭によぎったが

まずはリィエルに今、言った事をとにかく

それだけは言っておこうと意味がなくても一応、

リィエルに伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔術競技祭、午後の部が始まった。

午後の部最初の競技は、念動系の物体操作術に

よる『遠隔重量上げ』だった。

白魔【サイ・テレキネシス】の呪文で、

鉛の詰まった袋を触れずに空中へ持ち上げる

競技である。より重い袋を浮かせることができた

選手に多くの得点が入るルールだ。アリシアとの

密会の後、消沈するルミアをつれて競技場に

戻ってきたグレンは、午前同様に盛り上がる

クラスの生徒達とは裏腹に、上の空で重量上げの

競技を眺めていた。ぼんやりと考えていることは、

当然、ルミアとアリシアのことだ。グレンとて、

ルミアの正体とその身の上の複雑な事情を、

一ヶ月前の事件の後、政府上層部から極秘に

聞かされた者の一人だ。帝国女王としての立場が

ありながら、ルミアとの関係を勘ぐられる危険性を

犯してでもルミアに会いたかったアリシアの

気持ちも理解できるし、そんなアリシアを拒絶した

ルミアの気持ちもなんとなくわかる。

 

 

わかるのだが――

 

 

 

(……かと言って、俺にどうしろってんだ?)

 

 

 

結局のところ、あの二人の間の問題は、

あの二人にしか解決できないのだ。

部外者が何を口出ししても、それは嘘になる。

問題の根底にある物が理屈ではなく感情で

ある以上、どんな正論も教唆も慰めも、

まったく役に立たない。

 

 

 

「……ったく、やれやれだ」

 

 

 

グレンは深くため息をつく。問題は次から

次へと発生し、まるで息つく暇もない。

周囲のやたらハイテンションなクラスの

生徒達がまるで異世界の住人のようだった。

そんな風に、グレンがぼんやりと考え事に

浸っていた、その時だった。

 

 

 

「……先生」

 

 

 

むぅ~っ、と不機嫌そうにむくれた

システィーナが、突然グレンに声を

かけてきた。

 

 

「うお!? な、なんだよ、白猫!? 

やんのかコラ!?」

 

 

 

昼休み中のやりとりを思い出し、

グレンは思わず拳闘の構えで身構える。

 

 

 

「……ルミアがいなくなったんだけど」

 

 

「は、はぁ!?」

 

 

「考えてみれば、あの子……先生に会いに行って、

帰って来てから、ずっと様子がおかしかった」

 

 

 

「あれ? なんでお前、俺がルミアと

会っていたことを知ってるんだよ?」

 

 

「うるさい!」

 

 

 

「ひゃい! ごめんなさい!?」

 

 

ぴしゃりと切り返され、

グレンは情けなく縮こまる。

 

 

 

「午後の部には、もうあの子の出番は

ないけど、だからと言ってサボるような

子じゃないわ。だから、何も言わずに姿を

消したのはおかしいなって、思って」

 

 

 

「……まぁ、そうだな」

 

 

 

システィーナはグレン同様、ルミアの身の上の

事情を知る数少ない人間の一人だ。

 

 

 

 

だが、つい先刻ルミアが実の母親――

女王陛下と密かに面会していたことは知らない。

ならば、そういう雑感だろう。システィーナも

関係者だ。何が起きたか知っておいた方が

いい、とグレンは判断した。

 

 

 

「おい、白猫。ちょっとこっち寄れ。耳を貸せ」

 

 

 

「……?」

 

 

そして、グレンは訝しむような表情の

システィーナに、先ほどのアリシアと

ルミアの顛末を声を潜めて話した。

 

 

 

「そんなことが……」

 

 

 

全てを知ったシスティーナは、

なんとも複雑そうな表情だった。

 

 

 

「じゃあ、あの子がいなくなったのって……」

 

 

 

「十中八、九、お前の想像通りだろうな。

そんな状況、俺だって一人になりたいわ」

 

 

 

やれやれ、とグレンはため息をついた。

 

 

 

「だが、一人になりたい気分はわかるが、

一人になり過ぎるのもよくないな。

なんの解決にもならんが、仲間達と

一緒に騒いでいた方が気も幾ばくか

紛れるだろ。どーせ、一人で塞ぎ込んで

解決する話でもねーし。探して、

連れ戻して来てやるよ」

 

 

 

頭を掻きながら面倒臭そうに物言うと、

グレンは席を立ち上がった。

 

 

「白猫。お前も来るか?」

 

 

 

「そうね、私も――」

 

 

 

と、システィーナが反射的に首肯しかけて……

 

 

 

「――ううん、私はここで待ってる。先生が、

あの子を迎えに行ってあげて。先生が戻って

くるまで、私がクラスをまとめておくから」

 

 

なぜか、そんなことを言った。

 

 

 

「おいおい、薄情だな。

お前達、親友同士じゃなかったか?」

 

 

 

「親友同士だからこそ、よ」

 

 

 

ぷい、と。システィーナがそっぽを向いた。

 

 

 

 

「こんな時……あの子が誰に一番そばにいて

欲しいかくらい……不本意だけど……」

 

 

 

何事かをぼそぼそ呟くその横顔は、怒ったような、

諦めたような、むくれたような、拗ねたような、

嫉妬しているような、なんとも複雑な表情だ。

 

 

 

「なんだかよくわからんが、

俺に任せる、それでいいんだな?」

 

 

 

 

と、グレンが立ち上がると

 

 

 

 

「おい、白猫…」

 

 

 

「な、何よ‼︎」

 

 

 

 

システィがグレンの声に反応するが

グレンは更に話しを続ける。

 

 

 

 

「ノワールの事をどう思う……?」

 

 

 

「そ‼︎ それは……」

 

 

 

ノワールの話しになった瞬間、

システィの顔色が悪くなったのが

一目瞭然でグレンにも分かった。

 

 

 

 

「……最初はただのお調子者だと思ってたけど…

昨日のハーレイ先生とのやり取りを聞いていて

嫌いと言うより…ノワールと言う存在が全く

見えなくてとても怖くてしょうがないのよ…

それに、ノワールは私とお祖父様が繋がって

いられる大事な魔術と言う思い出をあんなに

踏みにじったのだけは許せない……」

 

 

 

システィはそう言っているのを聞いてグレンは

システィの顔を見ているとシスティは

難しい顔をしていた。

 

 

 

「白猫…ノワールの事はもう少しだけ

待ってくれないか? さっきルミアも

言っていたが…二人の会話があいつには

とても楽しかったって…」

 

 

 

グレンがシスティに真剣な表情でそう話すと

 

 

 

 

「分かりました……私も先生を信じます……」

 

 

 

システィがそう言うとグレンがルミアを

探すために歩み去ろうとした、その背中に。

 

 

 

「……ちょっと、待ちなさいよ」

 

 

 

システィーナが不意に言葉を投げつける。

 

 

 

「なんだよ?」

 

 

 

首だけ軽く回して、振り返る。

システィーナは相変わらず不機嫌そうだ。

 

 

 

「一つだけ聞きたいことがあるの。

先生……ルミアから何かもらわなかった?」

 

 

 

「あー? サンドイッチくれたぞ? 

どっかの誰かが作った廃棄寸前の物を

回収したらしいな。それが何か?」

 

 

 

「その……どうだったのよ、それ」

 

 

「はぁ?」

 

 

「どうせ不味かったんじゃない? 

ふん……哀れな残飯処理、ご苦労様なことね」

 

 

 

「……いや、別に? すっげぇ美味かったが?」

 

 

 

途端に、なぜかシスティーナはグレンに、

くるりと背を向けた。そんなシスティーナに、

グレンは眉をひそめ、頬を掻きながら忠言する。

 

 

 

 

「……なぁ、どーでもいいが、

そんな作り手に失礼なこと言うもんじゃねーぞ?

 お前らしくもない。お前は俺以外の人間には

優しいやつだったはずだ」

 

 

 

「わ、わかってるわよ! 

早く行きなさいよ、もう!」

 

 

 

ぴしゃりと返ってきた言葉は、

こちらを見もしないで放たれている。

今の言葉の何が癪に障ったのか不明だが、

耳まで真っ赤にして怒っているようだ。

 

 

「ったく……やれやれ」

 

 

 

このシスティーナという少女だけは扱いに困る。

なにしろ何を考えているのかさっぱりで全く

わからないし、おまけにすぐ怒るときたものだ。

ルミアの百分の一くらいでも、わかりやすい

可愛さがあればありがたいのだが。そんな無い物

ねだりなことを考えながら、グレンは競技場の

外へ向かって歩き始めた。先ほどの中庭に

ルミアの姿は無かった。仕方ないので身を

任せて歩き回る。

 

 

 

「まずいな……マジでどこ行ったんだ……?」

 

 

 

まずは学院校舎本館、西館、東館の周囲を

一回りし、学院付属図書館と図書館前広場を

足早に通り過ぎ、迷いの森入り口周辺、薬草菜園、

魔術実験塔周辺に足を運んでみた。だが、

ルミアの姿は見当たらない。めげずに、

競技場に人が集まることで閑散として

しまった学院内を延々と宛てもなく回り続ける。

延々と探し続ける。流石にグレンが焦りを

覚え始めた頃、学院敷地の南西端、学院を

取り囲む鉄柵のかたわら、等間隔に植えられた

木々の木陰にちらりと、見覚えある金髪が見えた。

 

 

 

「……見つけた」

 

 

 

グレンがその木陰に歩み寄る。

そこには木に背を預け、神妙な面持ちで

手元を見つめているルミアがいた。

 

 

 

「……ルミア? 何、見てんだ?

……ロケットか?」

 

 

 

特に覗くつもりはなかったのだが、

ルミアに歩み寄る角度と身長差の関係から、

偶然、ルミアの手元が見えてしまったのだ。

ルミアの小さな手の中には簡素な作りの

ロケット・ペンダントがあった。ルミアはその蓋を

開いて、その中をじっと見つめているようだった。

 

 

 

 

「このロケットにはですね、

何も入っていないんです……」

 

 

 

 

グレンの接近を察したルミアは、ぱちんと

ロケットの蓋を閉じ、それを握りしめた。

 

 

 

「昔は、誰か大切な人達の肖像が

入っていたような気がするんですが……

いつの間にかなくなっちゃいました」

 

 

「…………」

 

 

 

沈黙するグレンの前で、ルミアは寂しげに笑い、

ロケットの鎖を首の後ろで繋ぎ、ロケット本体を

胸元から衣服の中に落とし込んだ。

 

 

 

「これ自体、特に価値があるものでもないのに……

変ですよね。こんなものを今でも大事に肌身離さず

持ち歩いているなんて」

 

 

 

「……別に変じゃねーよ」

 

 

 

グレンはそっぽを向いて頭を掻きながら、

ぶっきら棒に応じた。

 

 

 

「その中身を紛失した経緯ってのは

わかんねーけどな。でも、今でも何か大事なもんが

詰まってんじゃないのか? それ」

 

 

 

「…………先生は」

 

 

 

 

 意を決したかのように、言葉を切って、

ルミアが問いかける。

 

 

 

「知っているんですよね? 

……私と、女王陛下の関係を」

 

 

 

「あぁ。こないだの事件の後、

政府のお偉いさんから聞かされたよ」

 

 

 

そして、グレンはくるりと踵を返し、

ルミアに背を向ける。

 

 

 

 

「だーが、どうでもいい。おい、行くぞ、

ルミア。皆がお前のことを待っている。

楽しい楽しい魔術競技祭、後半戦開始だぜ?」

 

 

そのまま歩き去ろうとして……

 

 

 

「ふふっ、先生はいつだって先生ですね」

 

 

 

くすり、と。ルミアはほんの少しだけ微笑んだ。

 

 

 

「ここは落ち込んだ女の子に、

何か優しい言葉をかけてあげる場面ですよ?」

 

 

 

「ぶっちゃけ、何を言って

やればいいのかさっぱりわからん」

 

 

 

堂々と甲斐性なしなことを言ってのけるグレン。

 

 

 

そんなグレンを見て、

ルミアはくすくすと含むように笑う。

 

 

 

「あの……じゃあ、もう少しだけ私のお話に

付き合ってくださいませんか?」

 

 

 

「……ああ」

 

 

 

そしてルミアは再び木に背を預け、

グレンはルミアに背を向けたまま空を見上げた。

 

 

 

とつとつとルミアが語り始める。

ルミアが話すことは実に取り留めのないことだ。

まだ、自分が王女だった頃の話。日々の政務で

忙しい中、それでも時間を作って遊んでくれた

優しい母親。いつも自分の面倒を見てくれた

優しい姉。王室直系の娘として何一つ不自由なく、

王室直系の娘としてやはりどこか不自由だった

日々。それでも、確かに幸せと呼べた在りし

日の記憶――それは恐らく、王女としての

地位を剥奪され、王宮を放逐されたルミアが

フィーベル家の一員になろうとして、

全て忘れ去ろうとして――結局、

忘れきれずにまだ心の奥底に燻っている

思い出達なのだろう。

 

 

 

「……私、どうすればよかったんでしょうか?」

 

 

 

 

一通りの思い出語りが終わると、

ルミアはグレンに静かに問う。

 

 

「陛下が私を捨てた理由……わかるんです。

王室のために、国の未来のためにどうしても

やらなければならない必要なことだったって。

それでも……私は心のどこかで陛下を

許せなかった……怒っているんだと、

思います……」

 

 

 

「ま、理屈じゃねーからな、そういうの」

 

 

 

「だけど、あの人を再び母と呼びたい、

抱きしめてもらいたい……そんな思いも、

どこかにあるんです……ずるいですよね……私……」

 

 

 

「ま、理屈じゃねーしな、そういうの」

 

 

 

「でも、あの人を母って呼んだら、

私を引き取って、本当の両親のように

私を愛してくれたシスティのお母様や

お父様を裏切ってしまうようで……

それが申し訳なくて……」

 

 

 

「ああ、理屈じゃねえんだよな、そういうの」

 

 

 

「だから、私、わからないんです。

どうしたらよいのか、どうすればよかったのか……」

 

 

 

 目を伏せるルミア。

 

 

 

グレンは面倒臭そうに、

ため息を一つ吐いて、言った。

 

 

 

「持論だがな。人は、どうも人生において

あらゆる選択と決断をする際に、後悔し、

傷つかずにはいられない生き物らしい。

一般的には後で悔いが残らないような選択を

しろってよく言われているだろ? 断言してやる。

ありゃ嘘だ……ていうか、無理だ」

 

 

 

「そう、なんですか……?」

 

 

 

グレンは頷いて続ける。

 

 

 

「神様ってホント意地悪な奴だと思わないか?

目の前に道が二つあれば、どんなに悩んで考えて

一方の道を進んでも、もう片方の道にしておけば

よかった……って、後で何かしら後悔するように

人間をお作りになったんだからな。ご丁寧に

まぁ、道の選択そのものから逃げたとしても、

選ばなかったこと自体を後で悩み苦しむ、

クソ仕様だ」

 

 

 

グレンはふと、自分を振り返る。

かつて、グレンは絵本に出てくるような

正義の魔法使いに憧れ、魔術師を志した。

今では安易にそんな道を選んだことを

激しく後悔している。自分が選んだこの道は

間違いだった。別の道にしておけばよかった。

何度そう思ったかわからない。だが――

夢を捨て、別の道を歩めば、あんなに悩むことも

苦しむこともなかったのだろうか?

否、やっぱり夢を諦めずに頑張ればよかった……

その道を選ばなかったことを、後になってから

延々と悩み苦しむのだろう。

 

 

 

「だからこそ、本音が重要だと思ってる」

 

 

 

「……本音、ですか?」

 

 

 

「ああ、その道を本音で選んだなら、

どっちにしろ後悔することになるなら、

ちったぁマシだと、そう思わないか?

 散々、後悔した後で前に進める気がしないか?」

 

 

 

「で、でも……私……

自分の心がわからなくて……」

 

 

 

すると、グレンは頭を掻きながら言った。

 

 

 

「俺は昔、帝国軍に所属する魔導士だった。

……意外に思うだろうが」

 

 

 

意図の読めないグレンの台詞と告白に、

ルミアは戸惑った。

 

 

 

「で、仕事柄、宮廷に赴く機会も結構あってな、

さっきお前が大切そうに見つめていた物と

まったく同じ物を、宮廷内でとある偉い人が

身に着けていたのを見たことがある。

……意味、わかるな?」

 

 

 

「……っ!」

 

 

 

ルミアがはっとして、思わず胸を押さえた。

 

 

 

「今の今まで後生大事に肌身離さず持っていた、

お揃いのそれ。捨てるタイミングなんて

いくらでもあったハズだ。……もう、

答えはとっくに出ているんじゃないのか?」

 

 

 

「答え……」

 

 

 

「恨み辛みでも文句でも、なんでもいい。まずは

言葉をぶつけることから始めてみたらどうだ? 

さっきのお前みたいに向き合うことから

逃げるだけじゃ、なんにもならんだろ。

まぁ、散々向き合うことから逃げ続けてきた

俺が言うのも……なんだがな」

 

 

 

ルミアはしばらくの間、無言でうつむいていた。

グレンはそんなルミアに相変わらず背を

向けながら、返答を静かに待つ。

 

 

 

 そして。

 

 

 

「私……怖いんです」

 

 

 

ぽつりと、ルミアは消え入りそうな声で、

そんなことを呟いた。

 

 

 

「私を追放した前日まで、

あの人はとても優しかったんです。でも、

私が追放されたあの日、あの人に呼び出されたら、

国の偉い人達が険しい顔で沢山集まっていて……

あの人は凄く冷たい目で私を見つめていて……

まるで別人のように豹変していて……」

 

 

 

「…………」

 

 

 

「さっきのあの人はとても優しかったけど……

また、いつ私に対して、突然、あの冷たい目を

向けてくるかと思うと……怖くて……だから……

その……」

 

 

 

 意を決したように、ルミアは真っ直ぐと

グレンの背中を見つめた。

 

 

 

「先生、一緒についてきてくれませんか?」

 

 

 

 

「……やれやれ、なんつーか、

お前にもそういうガキっぽいトコあったんだな」

 

 

 

グレンは肩をすくめて苦笑いしながら、

ルミアに振り返った。

 

 

 

「いいぜ? 付き合ってやるさ」

 

 

 

「本当ですか?」

 

 

 

「……ここで嘘だって言ったら、

単なる極悪人だろ」

 

「もう、先生ったら」

 

 

 

 

面倒臭そうに息をつくグレン、おかしそうに

笑うルミア。グレンはルミアを伴って歩き始める。

二人の間に流れる、穏やかで気安い空気。

さて、とは言ったものの、どうセッティング

すればいいのやら。いつの間にか、また厄介事が

一つ増えてしまっていることに気付き、

グレンは再び頭を悩ませていた。

 

 

 ――だが。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

ふと、グレンは奇妙な集団が、

自分達の行く手に現れていたことに気付いた。

その集団は全員が全員、体の要所を守る軽甲冑に

身を包み、緋色に染め上げられた陣羽織を羽織り、

腰には細剣(レイピア)を佩剣している。その数、

総勢五騎。弧を描くような陣形を組み、

通りの向こうから、足早にこちらへ向かって

やって来る。

 

 

 

「あの陣羽織は……王室親衛隊か?」

 

 

 

 

帝国軍の精鋭中の精鋭。

もっとも女王陛下に忠義厚い者達で構成された、

王室一族を何よりも優先して護衛する、

王室の守護神――それが王室親衛隊だ。

ゆえに王室親衛隊は今回の女王陛下の学院訪問の

際、当然のように女王の近辺警邏と護衛を

務めているはずなのだが――

 

 

 

「なんで連中が女王陛下の護衛サボって、

こんな所をほっつき歩いてるんだ?」

 

 

 

疑問に首をかしげていると、

王室親衛隊の面々はグレン達の前で足を止め、

グレンとルミアの二人を囲むように、音もない

足捌きで素早く散開した。

 

 

「ルミア=ティンジェル……だな?」

 

 

 

二人の正面に立った、その一隊の隊長格らしい

衛士が低い声で問いかけてくる。

 

 

 

 グレンとルミアは顔を見合わせた。

 

 

 

「……ルミア=ティンジェルに間違いないな?」

 

 

 

「え? は、はい……そ、そうですけど……」

 

 

 

念を押すように再び重ねられた問いかけに、

ルミアは戸惑いながらも答える。

 

 

ルミアが返答した次の瞬間。

 

 

 

衛士達は弾けたバネのように一斉に抜剣し、

ルミアにその剣先を突きつけていた。

 

 

 

「――ッ!?」

 

 

 

自分に向けられた鋭い切っ先に、

思わず硬直してしまうルミア。

 

 

「……どういうつもりだ、お前ら」

 

 

 

同時に。ルミアを自分の背後に庇っていた

グレンが、恫喝的な声で衛士達を威嚇する。

 

 

 

 

「傾聴せよ。我らは女王の意思の代行者である」

 

 

 

一隊の隊長格らしい衛士は、そんなグレンを

忌々しそうに一瞥し、朗々と宣言した。

 

 

 

「ルミア=ティンジェル。恐れ多くも

アリシア七世女王陛下を密かに亡き者にせんと

画策し、国家転覆を企てたその罪、もはや

弁明の余地なし! よって貴殿を不敬罪および

国家反逆罪によって発見次第、その場で即、

手討ちとせよ。これは女王陛下の勅命である!」

 

 

 

あまりにも現実離れした、その現実に。

グレンとルミアは凍りつくしかなかった。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございます‼︎
『ロクでなし魔術講師と白き大罪の魔術師』、
『落第騎士と幻影の騎士』や『新たな作品』を
沢山、書いていきますのでこれからも
よろしくお願いします‼︎

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