天才少女リリカルたばね   作:凍結する人

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第二話:出逢い

 学校が終われば、なのはとアリサ、すずかは塾へと向かう。今年になって、三人で塾に通うようになったのだ。

 一方、束はこの塾には通っていない。学校という苦行を六時間潜り抜けて、更に塾まで通うのは、流石になのちゃんが一緒でも辛いから、というのが理由だった。

 しかし、やはりなのはとは別れ難いのか、

 

「なのちゃんこっち、塾へ向かうにはこっちが近道なのだよ、ちょっと道は悪いけど」

 

 下校後歩いて塾へ向かう三人にピッタリついていき、ちょっかいを出したりしていた。

 

「……まぁ、アンタが言うなら間違いはないわよね。行くわよ二人共」

「うんっ、束ちゃんも一緒に行く?」

「勿論だよ!」

 

 束の案内で三人が歩くのは、自然公園の小道である。アスファルトの道路よりもデコボコしているが、公園の中を一直線に通り抜けるのだから、ショートカットになるだろう。

 そうして、アリサとすずか、なのはと束の二人組に分かれて、ワイワイ話しながら歩く。極普通の小学生、仲良し四人組として。

 だが。

 

「――?」

 

 唐突になのはが立ち止まる。

 あまりにも突然過ぎて、気付かず数歩先まで歩いてしまった束は、急いで戻ってなのはに問い質す。

 

「どうしたのなのちゃん?」

「え……ううん、なんでもない、ごめんごめん」

 

 そんななのはの返答を、束は何かの誤魔化しと判断した。

 目が泳いでいるし、笑顔がどことなく、わざとらしいから。

 

「ね、私にだけ聞かせて。何かあったの?」

「いや、その……なんだか、あやふやだし……」

「そりゃあ、束さんはあやふやなことは嫌いだよ。あの二人の凡愚に何だか分かんない、ちゃらんぽらんな事言われたら当然ムカつくしキレるけど」

 

 凡愚って何よ! と怒鳴るアリサは無視して、束はなのはに言い聞かせる。その手を取って、両手で握りながら。

 

「なのちゃんは別。ねえ、何を感じたの? 何を思ったの? 束さんに聞かせて?」

「え、えと……」

 

 友人にそうまで言われては、答えないわけにはいかないのか、なのははゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ始めた。

 

「そのね、今朝の夢で……この道を、見たような……気がして……」

「うんうん。過去にここを通ったことは?」

「覚えている限りだと無い、かな」

 

 そこで、アリサも口を挟む。

 

「それ、デジャビュって奴じゃないの? ほら、えーと」

「実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じること。つまり既視感。déjà-vuってのはフランス語だね。何も知らないのに偉そうに言葉を使わないでよ凡愚」

「だぁっ! 凡愚言うなぁ!」

 

 小馬鹿にするような態度で突っ込んでくる束と、それに腹を立てて騒ぐアリサ。この二人の相性の悪さは折り紙つきであった。

 二人が言い争っている間に、今度はすずかが心配そうになのはへ質問する。

 

「なのはちゃん、その夢って、どんな夢だったの? 思い出せる?」

「うーんと……夜中で、公園のどこかで……男の子がいて」

 

 たどたどしくもそこまで語られた、その時更に。

 なのはは何かとてつもないものに気づいたのか目を見開き、束でもアリサでもすずかでもない、中空の何処か一点を視る。

 そして、三人から声をかけられるよりも早く、小道からは全く外れた方向へと、まっすぐ走り出した。

 

「なのちゃん!?」

 

 驚く束。これもまた、彼女にとっては予想外なのである。

 すぐさまアリサたちと共に追いかけるが、彼女は意図的に走るスピードを緩めた。本来ならば、運動音痴のなのはの足になんてすぐ追いつけるのだが、あえてそうしなかった。

 なのはが何を掴んだのか気になったのである。いつもはちょっとおとなしすぎるくらいにおとなしい彼女が、突拍子も無く焦って走るくらいなら、そこにはきっと何かがあると確信できるから。

 そして、なのはの足が止まったのは数十秒後。林の中を潜り抜け、木々の真ん中でしゃがみこんでいた。

 その目の前には、倒れている小動物。橙黄色の毛皮は土で汚れ、衰弱しきっている。首輪は無く、代わりに赤い宝珠が紐で括り付けられていた。

 

「どうしたのなのは、急に走り出して!」

「あ、見て! 動物……?」

 

 アリサとすずかがなのはに近寄り、そして小動物にも気づいて騒ぎ出す。

 

「怪我してるみたい……」

「うん、ど、どうしよう?」

「どうしようって……とりあえず病院!?」

「獣医さんだよ!」

「え、えと、この近くに獣医さんってあったっけ?」

 

 そんな中、束だけが三人から一歩離れて、フェレットを見つめていた。

 彼女の胸に何故かよぎるのは――例えでなく、本当に吐き気を催すような違和感。

 そう、違和感。もっと細かく言えば、人間が今までの経験と体験から明らかに逸脱しているものを見る時、心が抱く生理的不快感だった。

 しかし。しかし何故、見た目はただのフェレットであるそれに、気持ち悪さを感じるのか? それを確かめねばならない。

 束にとって、理屈で説明できず納得も行かないことを放置するのは、それこそ虫酸が走り鳥肌が立つくらいに嫌なことであった。

 

「三人共、ちょっと下がってて」

「束ちゃん……?」

 

 ゆらり、と進み出た束は、幽鬼のように蒼ざめ、血の気の引いた顔をしていた。

 

「ど、どうしたのよ、アンタもいきなり」

「いいから下がれ!」

 

 そして、アリサとすずかはおろか、なのはですら驚く程の切羽詰まった大声で怒鳴る。目は据わって、おおよそ表情と呼べるものは顔に浮かばず。そして、脱力してだらりと下がった両腕の手にある十本の指が、まるで点検動作中のロボットアームのように、わきわき、ぐにゃぐにゃ、動いていた。

 

「……アリサちゃん、すずかちゃん、束ちゃんの言う通りに」

「わ、わかったわよ、なのは」

 

 なのはの先導で、三人共小動物から離れる。いつも言動や行動が飛び抜けている天才の、しかし余り見られない底冷えした只ならぬ雰囲気を感じたのか、皆が皆緊張していた。

 束はゆっくりと、気絶している小動物に近づく。そして、先程のなのはと同じようにしゃがみ、無造作に動かしていた右手の指を意識の制御下に置いて。

 全長30cm程の身体に、五本の指を突き刺すように触った――

 

「……っっ!?」

 

 瞬間。まるで電流でも流されたかのように、束は震え、フェレットから指を離す。

 その指先から滲み出ているのは、赤い血。

 

「束ちゃん、どうしたの!?」

 

 心配したなのはが駆け寄るも、束の目線も意識も、目の前の小動物にのみ注がれていた。

 これは、なんだ。

 束の『分解』を――いや、更にその前段階である『解析』を――この、姿形からして哺乳綱食肉目イタチ科イタチ属のヨーロッパケナガイタチの亜種、学名Mustela putorius furo Linnaeus、通称フェレットに分類される小動物は、受け入れなかった。

 束が『解析』し『分解』出来るのは機械に限ることではない。彼女の鋭利な頭脳が、その全容を把握できるのならば。それが例え生身の生物でも、まるで解剖のように『分解』出来る。

 だが、このフェレットはダメだった。束の頭脳には、あらゆる生物の知識・身体構造がインプットされているというのに。

 そうなった理由はただ一つ。束がこのフェレット――いや、フェレットの形をしたナニカ――を、知らないからだ。

 

「…………」

 

 束はただ、指先の剥けた皮から流れ出す血を、じっと、忘我の思いで見つめている。

 

「た、大変、なんでかわからないけど束ちゃんまで怪我してる!!」

「とにかく獣医さんよ! 獣医さん探さないと!」

「でも獣医さんって、人間の怪我も治してくれるのかな……」

「すずかうっさい! 家に電話して探させるから!」

 

 騒ぎ立てる三人の喧騒が束を包む。今度は分析も解体も考えずにフェレットらしきものを手に取れば、簡単にひょいっと持ち上がった。

 その体温は、やはり何の変哲もない、フェレットそのもので。だからこそ、束は益々訳が分からず、彼女らしくない戸惑いを覚え――握る手を、震えさせてしまうのだった。

 

 

 

 

 

「暫く安静にした方が良さそうだから、とりあえず明日になるまで預かっておくわ」

 

 なのはたちが、無言で止まったままの束の首根っこを引っ張りながら駆け込んだ槙原動物病院は、実に良心的かつ親切な病院であった。

 フェレットの怪我を治し、ついでに束の指先に、応急処置までしてくれたのだ。

 獣医の槙原愛が、束の五本の指に絆創膏を貼りながら、語りかける。

 

「人間の方は専門外だけど、これくらいはね。でも不思議。どうして指先だけこんな怪我しちゃったのかしら」

「…………ッ」

「あ、あのっ! 地面に擦りむいちゃったんです」

 

 とぼけた一言が癪に障り、苛立つ表情を見せた束を、なのはがフォローする。

 

「そう……はい、出来たわよ。まあ傷は浅いから、明日になれば治ると思うけど」

「……」

「束ちゃん!」

 

 ありがとうございますを言わなきゃ、と続くだろうなのはの指摘。しかし、束にしてみれば余計なことだった。束にとってこの程度の傷は、一時間とちょっともすれば治るほどの軽症なのだ。

 

「とにかく、ありがとうございました。また明日伺いますので」

「この子のこと、お願いします……あ、そういえば、塾の時間が」

「そ、そうだったわ! 行くわよなのは、すずか!」

 

 すずかの一言で、なのはもアリサも慌てて病院から去ろうとする。

 しかしなのははその直後、俯く束に目を向けて。

 

「束ちゃん……大丈夫?」

 

 と聞いてきた。

 

「うん、大丈夫だよなのちゃん。私は大丈夫だから、早く行きなよ」

「え……でも……」

「いいから」

「なのは! 早く行かないと!」

 

 束の返答は短いものだった。なのはは未だ不安そうな顔をしていたが、アリサとすずかに急かされて慌ただしく出ていった。

 こうして、残ったのは束と獣医だけである。

 

「……ねえ」

 

 そうなるタイミングを待っていたかのように、束が口を開いた。

 

「何? どうしたの?」

「あなたはあの小動物、何だと思う?」

「え……と、フェレット……だと思うけど」

「本当? 本当にそうなの?」

 

 束はしつこく問い質す。その表情は重苦しく、いつも飄々としている束らしくない真剣さに満ちていた。

 

「そ、それは……まぁ、随分変わった種類だけど、でも」

「見た目と触診からしてそうとしか考えられない、か。はぁ、お前も常人だなぁ。もういいよ」

「なっ……」

 

 専門家の意見など、期待できないと改めて理解した束は、ちらとフェレットらしきものを見つめる。病室のベッドの上に置かれているそれの首には、赤い宝珠が掛かったままであった。

 束は暫く、そうして留まっていたが。

 やがてぷい、とそっぽを向いて、病院から走り去っていった。

 

「な、何なの、あの娘……」

 

 いきなり暴言を言われたからか、呆然とする獣医を残して。

 病院から出た束は街をひた走る。その速さは大人の全力疾走も顔負け、まるで地を蹴って飛んでいるかのように軽い足取りだ。

 だから、20分もせずに丘の上の篠ノ之神社までたどり着く。

 

「おかえりなさい、束……」

「ただいま晩御飯はとっといて後で食べるから!」

 

 軒先に出て花壇を世話していた沙耶が出迎えたが、束は目を合わさずに早口を吐きつけながら、真っ直ぐ走り、家のドアではなく、その隣にちょこんと経っている、バラック建ての小さな小屋に飛び込んで扉を固く閉じた。

 そこは、篠ノ之束の作り上げたラボ、そして秘密基地である。

 見た目は建付けの悪いボロボロの納屋であり、そこからドアを開いても、古い棚や机にこれまた用途不明の雑多なガラクタが散らかりまくっているだけなのだが。

 束が納屋の壁の一部分に、平手をくっつけると、きぃん、と赤い赤外線光が掌を照らす。

 それが指紋認証であり、続いて網膜確認、体温測定が行われ、篠ノ之束本人であると確認されれば床がぱかっ、と開いた。その中にあるのは階段である。

 そして下に降りていき、パスワードでロックされている鋼鉄製の分厚い扉を開けば――そこにあるのは、蛍光灯に照らされたおびただしい数の機械、機械、機械。上のあばら家と比べて十倍広い地下空間に、作業機械やコンピュータがぎっちり詰め込まれている。

 これこそ、束のラボの真の姿。世界最先端より10年から20年ほど先んじている束の技術の集大成であった。

 

「……海鳴市の即時全域探索、それから過去の観測データの照合を」

 

 束のつぶやきを音声認識したコンピュータが、彼女の望むデータをモニタへすぐに表示する。

 2週間前の海鳴上空、そして数日前のあの自然公園。どちらにも共通する、観測機が捉えた未知の反応と、空間の異常。

 

「転移してきてる? 何かが?」

 

 独りごちたのは単なる予測であった。束の「未知」探しの一端として海鳴市内の広域に配置している小型の観測機械、それらが所々、通常ではありえないデータを示している。特に重力に関しては、まるで空間そのものが歪んでいるような数値が弾き出されている。

 この街で何かが歪んで、そこから……例のフェレットもどきがやってきた。そう考えるのが自然であろう。

 しかし、それが一体、何によって引き起こされていたのか調べるのは、とても難しいことだった。

 

「観測機の数値じゃなにも分からない……現実に起きた結果は分かるけど、過程で何が起きているかは掴めない」

 

 観測機が役立たずということではない。もともと、捉えることができるような現象ではないのだ。

 そして束の使っている観測機は、当然熱源から重力異常まで現在の科学技術で探知できるものは全てサーチし記録できる、スペシャルな高性能探知機であるのだから。

 それを引き起こしたものは。既存の物理法則・化学方程式を全て無視した、全く新しい原理であると考えられる。

 

「そんな……」

 

 束の心象を五文字の単語が支配する。あり得ない。自分は全てを知っているはずだというのに。そんな自分の理解から、まるで外れたチカラがあるのか。

 分からない、分からない。全部が全部、まるっきり、理解不能だ。

 束は、コンソールを動かす自分の手が、僅かに震えていると認識した。無意識の反射行動である。しかし、どうしてそうなったのかは分かりたくなかった。

 何度も観測機のデータを見返す。全ての数値はとっくに記憶しきっていて、もう新しく分かる事実もないというのに。ゼンマイ仕掛けのおもちゃが、常に同じペースで足を動かし歩くように、何度も何分も何時間もかけて――

 認めたくない何かから、目をそらすように。

 

「……っ!?」

 

 それは僥倖でもあった。普段はつまらぬデータなどに拘らず、暇つぶし兼手慰みな発明品づくりに没頭していたろうから、ここまで早くは気づけなかったはずだ。

 先程訪れた動物病院の周辺で、異常が起こっている。例によって観測機の数値では、ただ起きているとしか認識できない類のものだ。

 そこで何かが起きている。外から見たら分からない、何かが。

 しかし、束の身体は恐ろしいほど精密で頑健な触覚だ。目も耳も鼻も舌も皮膚も、この世のどんなセンサーやレーダーよりも敏感に物事を観測し、そしてスーパーコンピューターを軽く上回る異能の頭脳が、それを解析する。

 ならば、束が異変の場所へ直接出向けば、全てはっきりするだろう。何が起こっているのか。何がことを起こらせているのか。

 行くべきだ、行かねばならない。

 それが束の行くべき道だ。天才たるものの為すべきことだ。この世にまだ分からないことがあって、それを放っておくのは科学者として、天才として失格だ。

 

「……行かなきゃ……!」

 

 束は飛び出さざるを得なかった。その瞳孔に、確たる焦点を持たないまま。

 ラボに篭っていた間、すっかり夜も暮れて今や星が光っている上空をひた走る。コンクリートの道に沿うのは回りくどいから家々の屋根から屋根に飛び移る。俊敏な、兎のように。

  そうして、春も始まったばかりだからか冷たい夜風を浴びていたら、束の心は落ち着き、そして理解した。

 

 自分は今、恐怖している。自分の知らない何かに。

 

 何かそのものが怖いのではない。自分は天才でしかも肉体は細胞単位でオーバースペックなのだから、大抵の危機は乗り越えられるはず。そういう自信は束の中に、未だ確固として存在する。

 怖いのは、知らないこと。分からないことそのものへの、根源的恐怖だ。

 束は猛烈に苛立った。なんだそれは。反吐が出る。篠ノ之束は天才であるのに。それがどうして怯えるか。どうして恐れるか。

 天才というものは、そういうものではない。どんな恐れも困難も、全てを愉悦として糧にするくらいのメンタリティがあるものだ。

 然るに何を怖がる。私は天才だぞ。皆がそう言っているからではない。何より自分自身、己を天才だと定義しているではないか。怖がっていて、何が天才か!

 人間誰しも、理解できないものには恐怖心を抱く。理屈がない幽霊を怖がるようなものだ。

 しかし、束はそれに甘んじない。そういう自分を否定する。束にとっての「天才」は、それだけ高貴で重い物であるから。

 

 しかし、走りながら束は、確かに迷っていたと言える。人の感性と天才としての感性の間で。

 だからかもしれない。

 本当なら、誰よりも先に束がたどり着くと、そう予測していた事件の現場に、先客が来ていたのは。しかも、それは束のよく知っている、しかし全く理解できない女の子だった。

 

「……っ!?」

 

 動物病院の数件前にある家の屋根の上、束は自分にストップをかけた。動くのが余りにも早すぎて、数々の屋根を蹴っても無音だった足元が、ぎしりと音を立てる。

 

「な、なになに、一体何!?」

 

 高町なのはだ。

 なのはが既にここにいる。彼女の前に現れているのは、黒い塊のような、恐らくはこの異常の根本だ。

 そう認識した途端、束は、

 

「なのちゃんっ!!」

 

 友人の危機に、何もかもをかっ飛ばして飛び込もうとして――寸前で停止した。

 どうしてここに、なのはが居る? この病院と彼女の家とは、ご近所とはいえ結構離れているはずだ。それに、運動音痴のなのはの足は遅い。バスに乗ってきた訳でもあるまい。

 それらの情報を換算すると、なのはが自分の家からこの病院までたどり着くのにかかる時間はざっと、20分。自分がここに来るまでの時間は12分26秒40。

 つまり、7分33秒60の差で、なのはが束より先んじて、何かに気づいたのだ。

 その事実が、束の足を止め、代わりに脳髄を限界まで動かす。この差が何を意味するのか。高町なのはは、一体どうして――

 

「来て、くれたの?」

「しゃべった!?」

 

 フェレットもどきが口を開いたら、人語が出てきた。なのはは驚き慌てたが、それを俯瞰する束にとっては、もはやどうでもいいことだった。

 彼女の思考は既に、高町なのはただ一人にしか向いていない。

 

「その、何がなんだかよくわかんないけど、一体何なの、何が起こってるの?」

「君には資質がある。お願い、僕に少しだけ力を貸して」

「資質?」

「僕は、ある捜し物のために、ここではない世界から来ました。でも僕一人の力では思いを遂げられないかもしれない」

 

 ここではない世界。なるほどそれなら空間も歪む。フェレットもどきな何かも居るし、今、なのちゃんに襲いかかっているような黒い化物も生まれる。でもそれは後でいい。今はなのちゃんだ。私のかわいいお友達のことだ。

 なのちゃんは何を見て、どうしてここへ行き着いたのか? 街を見張っていた私よりもずっと早くに、何を。

 

「だから、迷惑だと分かってはいるんですか、資質を持っている人に協力してほしくて! お礼はします、必ずします! 僕の持っている力を、あなたに使ってほしいんです。僕の力を――『魔法』の力を!」

 

 

 魔法。

 その言葉を聞いた途端、組みかけていたパズルのピースが、ピタリと嵌った。

 

「魔法……?」

「お礼は必ずしますから!」

「お礼とかそんな場合じゃないでしょ!? どうすればいいの!?」

 

 凶暴に飛びかかってくる化け物。逃げ惑うなのはがフェレットもどきに問いかける。

 

「これを!」

 

 問の答えの代わりとばかりに、フェレットもどきがなのはに捧げたのは、首に掛けていた赤い宝珠。

 

「温かい……」

「心を澄ませて、僕の言うとおりに繰り返して」

 

 束はそれを見守ることしか出来なかった。例えば颯爽と飛び出して、持ち前の身体能力を使って化け物を吹き飛ばすことも出来たのに。

 邪魔をしたくなかった。見つめ続けたかった。高町なのはが何を為すのか。彼女の中に秘められていた何かが、今こそ花開くのだ。

 今日のお昼に束の語った、

 

「なのちゃんはきっと、私よりもずっとずっと、特別なことが出来ちゃうんだよ」

 

 という言葉、これは紛れもなく束の本心であった。その時の束は、「特別なこと」というのが何かは全く分からなかったが。

 それは今ここで、まさにこれから始まるのだと確信できた。

 

「我、使命を受けし者なり。契約の元、その力を解き放て」

 

 フェレットもどきが語り、なのはがそれを繰り返す。

 どくん――

 空気が震えた。一人と一匹を中心にして、胎動のような戦慄きが周囲を揺らし、そして束の肌を撫でる。

 感じるのは未知への恐怖。全く分からぬ現象への忌避感。だが、それ以上に胸の中で蔓延り尽くすのは、歓喜。

 自分はこれこそを待っていた。モノクロームの世界、既知に溢れた、自らが全能足り得る世界の中で、思い通りにならない未知を。

 

「風は空に、星は天に」

 

 光る。祈るように握られたなのはの手の奥。宝珠が光っている。

 束はそれを、屋根の上で立ち止まりながら見つめている。目に焼き付けている。

 機械などは使わない。生の目で視て心で感じて、それで一生忘れないから。

 頭脳と肉体がそう出来るようになっているのだから、一体どうして、記録などという無粋な真似をする必要があるだろうか?

 この、記念すべき生誕の日を。

 

「そして、不屈の心は――」

「この胸に!」

 

 

 ああ、不屈の心。それはまさしく、なのはのことだ。高町なのはの物語は、正しくここから、始まるのだ――

 

「この手に、魔法を! レイジングハート! セット・アップ!」

《Stand by ready. Set up》

 

 宝珠を掲げたなのはの左手。そこから迸る鮮烈な光は、天へとそびえ立つ柱のように真っ直ぐ、眩しく。束の目を灼き、視神経を通って、脳髄を灼き、そしてその奥の奥にある心までを灼き尽くした。

 

「――!!!!」

 

 歓喜。無上の歓喜。もう恐れも怯えも吹き飛んで、消えていく。

 なのはの光が、束に本当を教えたのだ。「未知」から恐怖のベールを吹き飛ばして、その中に内包する眩い光を見せてくれたのだ。

 

「なんて魔力だ……落ち着いてイメージして! 君の魔法を制御する魔法の杖の姿を、そして君の身を守る強い衣服の姿を!」

「いきなり急に言われても……えと、えーと、とりあえず、これで!」

 

 なのはとフェレットもどきが二言会話を交わしたら、彼女の全身が光に包まれる。

 束はその中を見たいと目を凝らすが、桃色の優しい、しかし強い光は彼女の認識をことごとく阻んだ。

 

「……」

 

 それでも束は止まったまま。あの中では、きっと素晴らしいことが起きていると信じられるから。

 やがて、光が溶けるように消えて、その後に現れたのは――

 

「成功だ――」

 

 全身を包む真っ白な服。肩の部分や袖口には、青いラインが走っている。胸に大きい真っ赤なリボン。そして、足をすっぽり隠すロングスカート。学校の制服によく似ているが、材質も強度もぜんぜん違う防護の衣装。

 そして、白い柄の先に丸い金色の装飾具、更にその中心に真紅の、大きな宝珠が埋め込まれた魔法の杖。

 束の目に見える、その姿、まさに――光の女神(てんし)。もしくは、古の白騎士(ナイト)にほかならない。

 

「あ、は」

 

 束は笑う。目を見開いて、口を大きく開いて、顔の全部を、動かして。そうでないと表現できないのだ。この狂気に似た喜びを。

 

「あは、あはははははははっ」

 

 なんなのこれ、となのはが呟くのが聞こえた。

 束も思う。全くだよ、何だこれ。

 さっきまで着てた黄色の私服はどこに消えた。あの杖を、あの服を構成しているものはなんだ。それが魔力であるとして、どうしてこんな定型で存在できるのか。

 大体、なのはから発されるその力はなんだ。束はなのはの身体なんて、何回も調べて測定しているはずなのに、どうして今になるまで分からなかったのか。これほどの、束の身体という計器を揃って狂わせるくらいのエネルギーの奔流が、あの小さな体のどこに秘められていたというのだ。

 

 分からない。分からない。分からない――でも、怖くない。むしろ、楽しい。

 

 それは、なのはだからだ。『分解』出来なかったフェレットもどきも、もっと言えばあの黒い化け物も束は怖かった――でも、今のなのはは怖くない。だから他のも、全然怖くなくなった。

 どうしてか? なのはが束の友達だからか? いや、それもそうだが、もっと深く、硬い理由があった。

 束は思い出したのだ。

 これはあらかじめ、固く約束されたものであると。

 三年前の、あのときに。

 

「じゃあ、私が連れて行ってあげる。束ちゃんがつまらなくない、楽しいって思える世界に」

 

 ああ、これは偶然なのか。運命なのか。それとも因果なのか? いいや、そのどれとも違う、これは――

 

 奇跡だ。

 

「くくくくくくふふふ、ひひひひひひひいひひひひひひひひ! あっははははははははははははははははははははははははははーーー!!!!」

 

 狂ったように、いや、とことんまで狂い果てて笑いながら、束は居ても立っても居られず、なのはが立ちすくむ路地へと飛び出した。

 

「嘘、何なのこれ! って束ちゃん!? え、え、えええーっ!?」

「うわぁっ、え、暴走体!? いや違う、でもなんなんだこの人!?」

 

 当然、その姿を見て哄笑を聞いたなのはとフェレットもどきは大いに驚いたのだった。

 

 




IS最新刊読みました。
予想外を愉しむ束さんかわいいよ束さん。
ちょっとゲスな気もするけどそういう他人をなんとも思わない所もかわいいよ束さん。
あと、自分の領分を踏みにじられてキレちゃう沸点低い所も愛しい。

次回投稿は日曜日(5/28)の午前11時ごろです。

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