それは、世界と世界の間に存在する、闇色の広大な空間に浮かんでいる。
全幅、約300m。まるで空中城塞のような外観は、何百年もの経年劣化により古び、不気味に黒ずんでいる。所々に点滅する赤と緑は魔力光であり、その巨体がただの朽ちた廃墟ではなく、魔導炉によって駆動している巨大な航行物であると分かる。
その名は、時の庭園。
ミッドチルダの魔法技術で作られた、次元間航行も可能な移動庭園だ。
そして、庭園の内部、大理石のような石で設えられた、広い広い廊下の真ん中に、金色の魔法陣が展開される。
淡い光の中に現れる人の像が三つ。空間転移の魔法だ。
まず現れたのは、この魔法を展開した主である、フェイト・テスタロッサ。
金色の髪をツインテールに纏め、黒と白の二色で整えられた目立たない私服に身を包んでいる。
続いて、彼女の使い魔であるアルフ。
露出度の高い服装に、グラマーな肉体を収めて立ちながら、その表情はどことなく不服そうで、犬歯を覗かせ苛立っている。
その理由となる三人目が、最後に転送されてきた。
「……ふむふむなるほど。これが転送魔法ね、おーけー把握した」
機械仕掛けのうさみみに、いつもの一人不思議の国アリスな出で立ちをした、天才少女、篠ノ之束である。
夕方頃、フェイトに呼び出された彼女が告げられたのは、時の庭園への招待であった。
曰く、彼女たちの主でありフェイトの母親のプレシア・テスタロッサなる女性が、束の存在に興味を抱き、是非とも客として招きたい、とフェイトたちに命令したようなのだ。しかも束の予測通りに、一人で来て欲しいと言われた。
プレシア・テスタロッサ。束やなのはの敵として戦っているフェイトの母親、つまり敵の大ボスである。
そんな彼女から誘われるという極めて面白いチャンスである。逃げるなどという選択肢はない。
かくて束は、なのはたちが時空管理局と遭遇しているその間、時の庭園へと乗り込んでいったのだ。
「……いいかい、下手な真似したら噛み砕いてやるからね」
殺気立っているアルフの警告に、束はへらへらした笑顔を返した。
「はいはいわかってますよー。虎口に入ったようなもんだってことは重々承知だってばさ。それよりぃ?」
「なんだい、何かあるのか」
「随分だだっ広い拠点だねえ。見たところ君たちとプレシアしか住んでないようだけど……それにしてはちょっと広すぎだと思わない?」
その生意気な口調と態度がアルフの感情を逆撫でするようで、ぐるるるる、と喉を唸らせながら怒鳴られた。
「うるさいんだよ! フェイトに何も出来ず叩き落されたガキが生意気に!」
「はん。ありゃ単なる実力調査。だから真っ向から勝負したんだよ。今この状況この間合で、搦め手使えば楽勝でいくらでも叩き落とせるもんねー」
「喧嘩売ってんのかい!? フェイトに手出しするのはあたしが許さないよ!」
「あ、アルフ。もう止めて……」
段々とヒートアップしていく二人。フェイトが慌てて口を挟むも、一向に止まる気配を見せない。
「お前の許可なんかいるかワンコロ」
「っ! あたしは狼だ! こんにゃろ、今ここでぶっ倒してやる」
「お? やるの? ねえやるの? いいよぉ、なのちゃんの敵を少しでも減らせるなら私は何時でも」
「や、やめてっ……アルフも、その、しのの……シノノノさんもっ」
そして、互いに拳を構えた束とアルフが、向かい合っていざ尋常に殴り合いを始めようとしたその時――
『アルフ』
「っ!」
廊下の奥から、暗く鈍く冷たい老婆の声が響いてきた。
これが、プレシア・テスタロッサの声なのだと束は確信する。
『彼女は客人よ。手を出すのはやめなさい』
『で、でもこいつは敵だよ!? 今のうちにやっちゃったほうがさ』
『黙りなさい』
その言葉には、親しいものにしか感じられない無形の重圧があるらしく。アルフは渋々ながらも拳を下ろし、敵意をもって束を睨みつけるだけに留めた。
束もそれを見て拳を下ろす。彼女としても、敵の本拠地のど真ん中で戦端を開くことは不利であると理解していた。まあ、開いたは開いたでそれなりに面白い展開にはなりそうだったが。
『フェイト? 自分の使い魔の手綱くらい、きちんと握っておきなさい』
『ご、ごめんなさい、母さん』
奥からの声は続いてフェイトを譴責し、彼女はそれに頭を垂れて謝意を示す。
それは母娘の会話というよりは、主と配下に交わされるものであると錯覚できるくらいに、熱のないものだった。
「……ま、無駄話はそれで終わりにしいてあげようよ。それより? 君がこのパーティの主催者かい?」
威圧的な声を耳朶に受けながら、束は尚傲然と前を向き、廊下の奥にある巨大な門を見つめて問いただす。恐らくあの先で待っているはずだ。
『ええ、ようこそ、私の庭園へ。転移魔法のご感想はどうだったかしら?』
「いやぁー、流石に魔法ってすごいなぁと思ったよ。座標計算にも手間がかかったわけだ」
『……なるほど、仕組みは既に知っていた、と。流石ね』
「自分、天才ですから?」
そう言って胸を反らす束に対し、プレシアはまるで世間話でもしているような調子で、なんのアクションもなくごくごく普通にこう語った。
『奇遇ね。私も天才なのよ』
その一瞬、束の目の色が変わった。
いつものふざけた、この世全てを笑い飛ばすような表情が、鋭く、険しく、そしてより悦楽を感じたように歪み始める。
獰猛な猛禽類を思わせる、攻撃的な笑い。
「天才……ねぇ」
『嘘だと思うなら、扉を開けて御覧なさい。私の研究室に案内してあげる』
「ふ、上等だね!」
だんっ、と石畳を蹴って走り出す束。一足出すごとに数メートルほど進むそれは、まるで兎が飛び跳ねるかのようだった。
「母さん、私たちは」
『フェイト。アルフ。あなた達は手出し無用よ』
「なっ……プレシア!? でも、あいつが何しでかすか」
『アルフ? 私を誰だと思っているの? 負けはしないし、今回は勝ち負けの話ではないわ。とにかく、暫く待機していなさい』
そんなプレシアの命令を受けて、なおもフェイトは納得行かないように立ち尽くしたまま。
「母さん……その……向こうでこれ、買ってきたんだけど」
右手に持っていた紙袋を掲げ、食べてほしいと願うが。
『悪いわね。母さんは今忙しいの。あなた達で食べなさい』
無碍に拒絶されて、しょんぼりと肩を落としその場から立ち去るだけだった。
直後。
そのはるか前方で、束が両腕を思いっきり開き力を入れて、プレシアの場所へとたどり着く。
「たーのもー!」
ばだん、と大きな音が響き、束が叫んだその先には。
玉座に座り、顎を手に載せながら、不敵な笑みを浮かべる女性がいた。
その肌には皺が深く刻まれて、彼女が経た年月の長さと深さを表すが、しかしそれでも魔性、と呼ぶべき美貌を保っている。
紫色の瞳が、じぃ、と束の紅玉色の瞳を見つめ、互いの視線が交錯した。
その時、束は思い知る。
この女の瞳の奥、心の中に灯っている炎は。
色は違えど、自分とほぼ同質の光であると。
「はじめまして。私はプレシア・テスタロッサ。かつては大魔導師とも呼ばれていたわ」
「……はじめまして。篠ノ之束さんだよ。今この瞬間に天才だよ」
束とプレシア、共に「はじめまして」と頭につけて挨拶を交わした。
それは、束という人間にとっては極めて異例の礼儀正しさであった。
そして同爺に、プレシアという人間にとっても例外的なことであるのだとも、束には予測できた。
「ふ。ふふ。ふふふふふ」
「く、ひひひ、あははは」
そして二人、図った訳でもなしに同じタイミングで笑い出す。
この運命のいたずらとも言うべき邂逅を、嘲り笑うために。
そして、プレシアが語りだす。その言葉は踊り、まるで懐かしい友人に出会ったような響きを見せる。
「モニターで見た時、まさか、とは思ったけれど……やはり。貴方、子供の頃の私にそっくりね」
「く、ひひはは……何が言いたいんだい?」
聞き返す束に、プレシアは首を横に振って、
「あら、そんなこと……とっくに『分かっている』のではないかしら?」
と、更に返した。
束の背筋に、戦慄に似た高揚が走った。
「『分かっている』か……くふふふふふ、あははは! そうだ、確かにそうだね!」
こいつは、目の前の婆あは。
私が予め大凡を『予測』している――ということを『予測』していた。
つまり、立つ土俵が、同じであるということ。
こいつも私と同じ――。
「なるほど、確かにお前は天才だね、プレシア・テスタロッサ」
「ええ。そういう貴方も天才よ、篠ノ之束」
天才。
天性の才能、生まれつき備わった優れた才能。
常人の努力では至らない、至れないレベルの才能を秘めた人物。
篠ノ之束はそれであり。そして、プレシア・テスタロッサもそうだということだ。
「面白いものを、見せてあげましょう」
プレシアはそう言うと玉座から立ち上がり、束を手招きしながら部屋から出て、エレベーターへと向かう。
それについて行きながら、束の気分は言いようもないくらいに昂ぶっていた。
なるほど、あの世界――今まで自分が唯一知っていた世界である地球――には、自分と同レベルの人間は存在しなかった。
忍者だの、退魔士だの、夜の一族だの、HGSだの。特異な存在は沢山いるけど、どれも自分の予測をはみ出て、だからこそ及ばない。
高町なのはは唯一それに当てはまらないが、アレは束より遥かに上の存在だ。少なくとも束の中ではそう位置づけられている。
だが、地球とは別の世界。次元世界の只中に、自分と同じ目線を持てる者がいた。
これを喜ばずにいられるか? 例えそれが、ジュエルシードという宝石を奪い合う敵同士出会ったとしても――
「さあ、ここよ」
と、考え事をしていながら、いつの間にかプレシアの目的地の前へとたどり着いていたようだ。
プレシアが大きな木の扉を開くと、その奥に広がっていたのは研究室らしき空間であった。
幾つもの機械が稼働し、光を明滅させている。書きかけの書類や薬品だらけで、雑然としたその様相は、どことなく束の地下ラボに似ていた。
しかし、部屋の中央にある一つのカプセル。その存在と、その中身が、束のラボと明確に異なる一点だった。
「……ほぉう」
何も身に纏わず、ぷかぷかと浮いている幼い金髪の少女。
それを見ただけで、束はその正体を理解する。
なるほどなるほど、そういうことか。益々以て面白い。
実に狂っている。天才という名に相応しい所業であるだろう。
「そう、これはアリシア」
プレシアが語る言葉は少ない。説明も何もなく、ただ事実だけをぶつけている。
だが、束相手にはそれで十分なのだ。
経緯や状況など、勝手に予測してしかも外さないのだから。
「なるほど、あれは、そうなのか」
「そう。紛い物よ。だから私はあの子を愛さない」
「随分と暗い雰囲気だったのはそのせいだったんだね。酷いことをするもんだ」
「当然でしょう? 私の娘は一人だけ、そこにいるアリシアだけなのよ」
プレシアの所業を酷い、と罵る束だが、その口調には罵倒の意志も侮蔑の響きも存在せず。
また、返すプレシアも自らの行いに何ら良心の呵責を持たず、まるでそれが当然であるかのようにのたまった。
束が察したこと、それは。
フェイト・テスタロッサが目の前の死体、アリシア・テスタロッサの遺伝子と記憶を元に作られたクローンであるということだった。
そして、プレシアの目的とは、死んだアリシアの復活であり。
フェイトはアリシアとは似ても似つかず、だからプレシアに虐げられている。
それだけの事実を、束はほんの一瞬、カプセルを見ただけで読み切ってしまったのだ。
「軽蔑したかしら?」
「ううん。全然。それにしてもすごい技術だねえ。直接戦った私でさえ、クローンだと気づけなかったよ」
「ええ。プロジェクトFは私が心血を注いだ生命創造技術だもの。アレは紛い物とは言え、人間としては機能不全などなく完成しているのよ」
「なるほどねえ。こっちにも一応、そういう技術はあるんだけど。例えば『
束自身はそういう、生命操作の分野を専門にはしていなかったが。
極平穏な世界の裏で蠢いている、法律など無視した後ろ暗い計画なども、大凡予測のつくことであるのだ。
「そこを行くとあの子は中々どうして、素晴らしいよ。拍手したくなるね、ぱちぱちぱち! ……っと、そこまでしたら苛立っちゃうかな? 君にとっては失敗作らしいし」
「ええ、確かにアレは失敗作、アリシアにはなれない無様な
そう言いながらもプレシアは、怒る素振り一つ見せず、むしろ悦楽に唇を歪ませ残酷に笑う。
束もそれに釣られて、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃいで回り。
「いいね、これはいよいよ愉快なことになってきた」
プレシアのデスクの上に尻を乗っけて座りながら、彼女の胸をびしっ、と指差し問いかけた。
「で? 君は一体どうしたいのさ、プレシア・テスタロッサ」
「ふむ……どうしたい、とは?」
「焦らさないでよ、そっちだって判ってるくせに」
ぐおんぐおん、と機械の音。カプセルの液がかすかに揺れる。
酷薄な笑み全開で、束は質問した。
「君はジュエルシードを利用して、アリシアを取り戻そうとしている。その方法を教えてもらおうか」
「……」
「私に協力させたいんだろ? 昨日の夜、ジュエルシードを制御して願いを叶えた私の力、それが欲しいんだろう? 自分の計画をより完全に遂行するために」
ここに、自分の本拠地に。敵であるけど魔法の使えぬ束を呼んだ理由など、それくらいしかないだろう。
単純に寝返って、戦力になって欲しいのならば、束など呼ばず普通になのはやユーノを呼びつけるはずだ。
ならば、自分が呼ばれた理由は一つ。昨夜フェイトとアルフの前で見せた、ジュエルシードの解析、そして発動について聞き――交渉して仲間に加える、それしかない。
「ええ。流石に察するのが早いわね」
「そりゃあまぁ。天才ですからねぇ。でも、束さんが居なくったって、君はきっと、ジュエルシードを制御できるんじゃないかなー?」
くくく、と笑いながら長広舌を振るう束は、敵の親玉に対し自分の秘策をぶちまけた。
「要は、意志の問題さ。あの呪文も必要だけど、最後にものを言うのは強い強い意志と願い。それが無いから暴走する」
「なるほど……」
「そこへいくと君の心の中には、強い強い、とても強い。狂っていると形容できるほどに強い意志がある」
プレシアはそれを聞いて、己の思いを剥き出しにした狂笑を浮かべた。
「ええ! 私はアリシアを取り戻す! 愛するあの子を死という
「そうそう、その意気その意気。そういう自分のわがままをぶつけること。それは言い換えると夢であり、願望であり。それを叶えるためにこそ、ジュエルシードは作られた」
束はこれまでの数週間、自分の制作物に精を出す片手間、なのはからジュエルシードを借り受けて、その中身を解析していた。
そうして判明したのは、ジュエルシードに使われているミッド式とは異なる魔法式の存在と、それを使っていた魔導文明が、いかにしてジュエルシードを作ったかという経緯。
彼らは自分たちの世界に「旧世界」を取り戻すためジュエルシードを作った。
その「旧世界」というものが何なのかまでは解析できなかったが、とにかくそれを取り戻すためには、ジュエルシードという魔力の結晶を二十一個も作り出すだけの、膨大な魔力が必要であったのは確かである。
そして、その魔力を制御する道標のために、人の思念、想念、欲望や願望を利用する。
それがジュエルシードの設計思想であり、だからこそ成功すれば、願いを叶える宝石として奇跡に片足を踏み込んだ代物になっていただろう。
だが、そうはならなかった。プログラムが未熟かつ杜撰極まりなく、些細な事で暴走してしまう素晴らしく不安定な劇物と化してしまった。
だから、ジュエルシードは固く固く封印され。そうされた場所が何百か何千年か経って遺跡となり。それをユーノ・スクライアが掘り出したのだ。
「で、もう一つ重要なのが、望みを叶える方法だ」
そして、束は経験者として付け加える。
「いくら願いが強くても、そのための方策が無ければいけない。膨大な魔力をどう利用したいって具体的なビジョンがなきゃ制御できないんだ」
その点においても、ジュエルシードは願望を実現する奇跡の宝石にはなり得ていない。
ただ握って、呪文を唱えて祈る。それだけではあっけなく暴走してしまうのだ。
願いによって発現する莫大な魔力をどう使い、どう活かすか。それを予め決めておかねば、それこそ次元を揺るがす大災害を引き起こしてしまう。
束は、自分の脳や身体に魔力を流し、一時的に活性化させて五年先のアイデアを閃いた。
そうするのが一番で、しかもそうするしかないと決めておいていたから、あそこまでスムーズに力を引き出せたのだ。
では、プレシアはどうするのか?
プロジェクトFという道具をいかに使って、死人の復活などという冒涜的な不可能事を成し遂げようとしているのか?
そう考えた時、束のテンションは天井近くに達していた。
なのはと出会った時の驚きと較べても遜色なく、極めて近い。
「さあ、お前はどうするんだ? 大魔導師のプレシア・テスタロッサ。お前は一体、ジュエルシードの力を何に使うんだ? 教えてよ。早く。早く早く早くっ!!」
体温が上がる。心拍数が跳ね上がる。
息が荒く、目は血走り、そして唇は思い切り歪み果てる。
さあ、聞かせてくれ。聞かせておくれ、プレシア・テスタロッサ。
お前ほどの天才ならば、この私にさえ想像もつかないほどのアイデアがあるだろう?
「……私は」
プレシアも笑う。己によく似た天才が、待ち望んでいる答えを綴る。
「私は行くのよ。アルハザードへ。次元世界の狭間にあって、かつて人の手から失われた伝説の地へ。命と時を操る秘術の眠る場所で。そこで取り戻すのよ。アリシアを、そして私とアリシアの過去と未来を!」
「――あぁ?」
束が返した返答は、奇妙にとぼけた、呻きであった。
「ジュエルシード、二十一個全て。その魔力を解放すれば、次元に断層が出来上がる、その中にこそ、アルハザードへの道がある」
だが、プレシアには聞こえていない。それどころか、束の表情から笑いが消えていくことにすら気づいていないようで、一人滔々と、誰に聞かせるのでもなく独演する。
「あなたのアレを見る前は、大雑把に暴走させて道を開こうと思っていたわ。でもそれよりも、スマートな道があると教えてもらえた。それは僥倖だった」
プレシアが言っていることを、束は理解できる。
恐らく自分が解析した発動用の呪文と、今語った発動のための方策が、プレシアにとっての天啓だったのであろう。
「お陰で実現の可能性は極めて高くなった。今までの方法での成否が六割前後だと試算できて、そこにあなたの方式を取り入れれば……九割になる。ほぼ確実に、私は彼の地へと訪れることができる」
ありがとう、感謝するわ。と語るプレシアは、束に向かい手を差し伸べた。
「その御礼よ。あなたも一緒に行きましよう? きっと、とても愉しいわよ。アルハザードの超技術は、私の予測も、きっとあなたの予測をも飛び越えている。そんな未知の塊に触れる事ができるの。科学者としてこれ以上の喜びがまたとあるかしら?」
プレシアは陶酔の極みにあった。しかし、その隣には奇妙に底冷えした空気があった。
「お友達も誘ってあげましょう。ご家族も連れて行ったらどう? あら、あなたはきっと、家族のことは嫌いなのよね。分かるわ、私もそうだった……じゃあ、答えを聞いてもいい? 私と共に、すばらしい新世界へと向かうか、それともあの、つまらない灰のような世界に居座るか……」
彼女の中で、答えは決まっているのだろう。
喜んで手を取り、つまらない世界から一緒に抜け出して、夢と希望に満ちた新しい世界へと向かっていく。
そうすると決めつけているのだろう。
ああ。私の答えも既に決まってる。
見せてやろうじゃないか。
束はプレシアに向かって手を伸ばし――
それを思い切り振りかぶって、彼女の伸ばしてきた手を引っ叩いた。
「っ……!?」
驚愕するプレシアの顔面へ、思い切りぶつけるように叫ぶ。
「篠ノ之束を安く見るなッ!!」
それは、天才としての誇りに満ちた激情。
そして、期待をあっけなく、しかも完全に裏切られたことに対する怒りでもあった。
「なんだそれは。アルハザード? 伝説の地? 時を操る秘術? あぁもう、ふざけてるね、ちゃんちゃらおかしい、馬鹿らしい!」
ああ、なんだ、その体たらくは。
子供じみて、馬鹿馬鹿しくて……ああいや、それはいい。自分だってそうだ。
問題は、そこじゃない。
「安っぽい! あぁ、全くもって安っぽい! アルハザードに眠る秘術だぁ? 時を操り、失ったこれまでを取り返すだぁ!? 安い。温い。生半可で中途半端で、それ故無様!」
束は絶叫する。
己のお人好しを後悔する。
「他力本願この上ないんだよ、お前ッ!!」
望みとは、夢とは、希望とは。自分の力で手に入れてこそではないのか。
ああ、そりゃあ他人の助けは要るものだ。
私だって、今は一人じゃ自分の夢に届かない。親の温かい目。アリちゃんすーちゃんの切なる願い、そしてなのちゃんの笑顔と励ましと、シュークリームの一個も無ければ夢には届かないだろう。
だがな――!
「何故かって!? 終着点が下らなすぎるんだよ! アルハザードの秘術!? それは結局、お前の作ったものじゃないだろ!? あるかどうかも行ってみなきゃ分からない! 確証もなく! そんなものに縋るというのか!?」
そのためにジュエルシードを全て発動するというのか?
間違いなく、次元がひび割れ砕け散る。昨夜の振動とは訳が違う、本物の次元震、そして次元断層。
それは恐らく、地球を含めた幾つもの世界を滅ぼす行為である。
――いや、それはどうだっていいのだ。天才としての行動ならば、自分の手に入れたいものの為に、全てを捨てるというのは至ってそれらしい行動で、しかし――
「アリシア・テスタロッサは、あのカプセルにぷかぷか浮かんでる死体は、お前の愛する娘なんだろう!? ならば他でもない、自分の手で救いたいと思わないのか!? どこにあるとも知れなくて、誰が作ったかも分からない、そんな怪しい、伝説なんてあやふやなものに……!! 娘の再生を預けるなんて、ふざけてるねッ!!」
束は怒り狂う。
目の前の、天才だと、大魔導師だと嘯く只の老婆の妄言に。
だが。
尚も束は、怒らねばならなかった。
「……そう」
プレシアは焦りもせず、怒りもせず。ただ酷薄な笑みを浮かべて、激高する束を見つめていたのだ。
ああ、こいつ、この婆ぁめ。
この篠ノ之束を下だと位置づけやがったな。
束さんの怒りを、方法を選んでしまう高潔さであり、天才には要らぬ余計なプライドだと判断し。それに囚われず真っ直ぐに、望み叶える外道を選んだ自分は、この小娘など至れぬ高みにいる。
そう考えている。
束にははっきり、そう『予測』出来る。
「残念だわ。分かってくれると思ったのに」
憐憫の情たっぷりの台詞。むかつくし反吐が出る。
「でも、それがあなたなのよね。それを曲げはしないのよね……分かるわよ、私もそうだもの」
ふざけるな。お前と束さんとを一緒にするな!
束さんは天才だ。お前なんかとは違う!
お前みたいな、自分の欲だけで何もかも投げ捨てるようなのとは――!!
「なぁ、お前」
束はプレシアに吐き捨てる。なまえなどよばない。呼ぶ価値すら消え失せた。
「どうしたの?」
「私はお前に勝つ」
再びプレシアを指差し、その目線に今度は殺意めいた怒りを込めり。
「……今ここで、戦うというの?」
「違うね。そうしたらまぁ、束さんが勝つだろうけど」
そう語る根拠は十分にあった。
ここはテスタロッサの根拠地であるが、同時に閉所である。
であれば、プレシアが魔法を組むより、束が一撃を喰らわせる方が早い。
プレシアを助けることができるフェイトとアルフは遠くにいて、すぐには駆けつけられない。
そして――
「そんなボロボロの病人と戦って、勝ったところでなんにもなんないから」
プレシア・テスタロッサの身体はひどく傷ついている。
恐らく一撃、腹部に拳かなにかぶち当てたところでへばってしまうのがオチだろう。
それでは束が納得行かない。
病人いじめて何になるというのだ。
それこそ下らないし、自慢にもならない。
「だから……決戦は一週間後だ」
「へえ……どうして?」
「その日までにジュエルシードはあらかた揃い終わる。管理局が出張ってきたし、確実さ」
「ああ、こちらでも観測しているわ。L級巡航艦が一隻。それなりの戦力だし、確かに七日もすれば集め終わるでしょう」
「そうしたら、お前は総取りを目論んでくるだろう? その時が決戦だ」
束はそう、言ってのける。
神ならざる身で、その後の展開をほとんど確実に予測して。
だが、プレシアもそのことは早晩承知の上であるようだ。
「ええ、かまわないわ。事態が私
「舞台が整い、役者が揃う」
「そして――全てに幕が引かれる」
プレシアの表情に、不安やためらいは欠片もない。
余命幾ばくもない病床の身で、頼れる戦力は不安定な人形だけ。
更には、管理局という巨大な組織すら相手にしているというのに。
既に勝利を確信していた。
絶対の自信を持って、私こそこの戦いの勝者であると宣言しているようだ。
だがそれは、決して過信でも妄想でもない。
そう誇れるだけの方策と勝算を、プレシアは確かに持っている。
それが一体何であるのかも、束には概ね理解できて。
まさに逆転の一手であり、多少の抵抗など退けてしまう凶悪無比な切り札であることも分かっている。
だが。
それがどうした。
篠ノ之束は天才だ。
そして、高町なのはは――
「負けるものかよ、お前なんかに」
見下げるプレシアに、束は見上げて返答し、踵を返して帰途についた。
束「安いッ! 安さが爆発しすぎてるッ!」
フィーネ=篠ノ之束説を提唱するSSとかありませんかね(