天才少女リリカルたばね   作:凍結する人

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第十話:迷いと怒り

 篠ノ之束はその日、自分のラボの椅子の上で目を覚ました。人参柄の寝間着のまま、トレードマークのうさみみも外して近くにおいてある。目の前にあるコンソールには、書きかけのプログラムの文字列が映し出されていた。

 

「……いかん、寝ちゃったか。流石に三徹はきついなー」

 

 ごしごしと瞼をこすって、画面右下にある時計を見れば、既に七時を回っている。意識がぼんやりしてきたのは確か、昨夜の夜二時過ぎであったから、都合四時間程度眠っていたことになる。

 束は十秒だけぼんやりした後、大きくあくびをして眠気を覚まし、再びプログラムの構築作業に取り組み始めた。

 ここ最近、篠ノ之束の朝はいつもこうだった。朝まで徹夜するか三、四時間しか寝ずに起きた後、登校するぎりぎりまでラボに篭って作業を続け。学校の中でも平然と内職ばかり、休み時間は空き教室でがっつりと作業し、放課後はなのはのジュエルシード探しにちょくちょく付き合いつつも、暇さえあればラボに戻って組み立てや設計を超スピードで行う。そしてまた、夜遅くまで起きて徹夜あるいは仮眠だけ取って朝を迎えるのだ。

 そんな、とても女子小学生とは思えない日常を過ごしながら、文句一つ言わない自分の体に感謝しながらも、束はひたすらに、何かに迫られるような素早さでプログラムを書き上げていた。

 そこに、ドアベルのじりりりりん、という電子音。

 

『束? 束! 朝ごはんよ』

 

 篠ノ之沙耶である。ちらとラボの入り口を監視するモニターに目を向ければ、ラップに包まれた和膳を両手に持って抱えていた。

 束は外に通じるマイクを持ち出して、眠たげな声で話した。

 

「ん、あぁ、置いといてよ。ほら、そこのさ、ちょうどそのお盆と同じ形と大きさしてる石段の上に」

『え? 束? それでいいの?』

「うん。ただしはみ出さないように。そしたら後は束さんの居るところまで運ばれるから、それを食べるよ。食べた後の食器は食洗機に入れとけばいいんだよね?」

『ええ、お願いね。私も今日は神社のお手伝いしなきゃいけないし』

「はいはーい」

 

 束の言葉に従い、平らな石畳の上に和膳をおいた沙耶を見て、束はモニタの電源を切ろうとしたが。

 

『……それじゃあ、頑張りなさい。ちゃんと出てきて、学校には行くのよ。それは守れって、お父さん言ってたわ』

 

 という、沙耶の言葉を聞いたので、母がその画面から去って消えるまで十秒ほど待ってから消した。

 

「はいはい、分かってますってぇ……むにゃ」

 

 学校に行かない理由など無い。そこにはなのはが居て、ジュエルシード集めについての最新情報と、フェイトという少女についてのことも教えてくれるのだから。

 束はフェイトへのリベンジを目論んでいる。あの日現代兵器を盛大に使いながらもこてんぱんにされた記憶は未だ色濃く、そして束は、受けた借りならば正であろうと負であろうと、絶対に返そうとする人間なのであった。

 とはいえ。

 

「……これは、ちょこっと不味いかなぁ」

 

 マッハの早さで打ち込むコンソールの画面右端にある縦の棒、それは虹色のゲージメーターになっていて、束の取り組んでいるある発明品の完成度を表している。

 しかしそれは、開発開始から二週間経っても未だ半分を越していなかった。

 その数値、37%。

 重ねて言うが、束の発明品作りとしては異様に時間が掛かっている。

 

「基礎理論はほぼ出来た。自動人形の技術の応用で駆動系もまぁイケる……けど……」

 

 一旦手を休めて、傍らにあるうさみみを取り付ける姿は、まるで疲れたオフィスウーマンがメガネを掛けるかのようだった。

 

「問題は動力。それからシールド。そして……ハイパー・センサーだね。こいつらを束さんの想定通りに完成させるには、技術的ブレイクスルーを後数十項目くらい成し遂げなきゃいけない……んだよねー」

 

 常人が聞けば恐らく正気を疑うようなことを言いながら、しかし束は、それを為さねばならない、自分なら出来ることだ、と硬く信じていた。

 とはいえしかし。それは、時間的な制約を抜きにしての仮定であった。小学三年生の時に微分積分が出来ずとも、高校生の自分ならできるだろう、というのはあまり意味のないことだ。

 あまり時間は掛けられない。海鳴温泉での戦いから既に数日が経過し、なのはも、そしてフェイトも更にジュエルシードを集めている。

 このままでは間に合わないのだ。束の発明品を以て、魔導文明に挑戦状を叩きつけ、リベンジを果たすことができなくなってしまう。

 

「でも、焦っては何にもならない。計算ミスと失敗の元、まぁ束さんとしては、そういうつまらないミスや勘違いはしないんだけど」

 

 そう嘯いてはいるのだが、このままではタイムリミットまでの時間はせいぜい、一週間や二週間ほど。余りにも、そう、余りにも短すぎる。

 たとえそれが完成しなくても、事件は解決するだろう。なのはの実力は徐々に、しかし着実に伸び始めている。だからこのまま進んでいざ決戦という段階になれば、フェイトと互角か僅かに下がるくらいの実力は備わるはずだ。

 そして、ユーノに聴取した時に知った、時空管理局という組織。彼らがユーノの話通りの規模と実力を持っているならば、そろそろここの事件に気づいてもいいはずなのだ。

 束の予測出来る範囲で考えるならば、この事件の結末は朧気ながら見え始めている。これ以上何かをする必要はないかもしれない。

 だが。

 

「このままじゃ間に合わない、やる必要がない。それがどうした。それでもやりたい、仕上げたい。束さん自身のためにね」

 

 石段型のエレベーターで降りてきた朝ごはんを掻き込みながら、ごきゅっ、と喉を鳴らして飲み干すのは、薬瓶の中に入った濃厚な液体だ。

 『束印のアウェークニング・ドリンクVer1.3』である。ユーノに飲ませたVer1.0より効能は下がるが、副作用もほとんどなくなって純粋な栄養ドリンクとして完成している。

 天才たる人間がこういう物に頼るなど馬鹿げているとは思ったが、徹夜続きで疲れた頭脳をもう一回転させるためにはそれしかなかった。

 でも、それでも未だ届かない。

 このままでは間に合わない。

 ならば。

 束は唇を吊り上げて、これから自分がやろうと決めた、投機的行為を思いほくそ笑んだ。

 

「……やっぱり、やらなきゃいけないのかも、しれないね」

 

 それは、脳裏に浮かんだ最後の方法。

 可能性は恐らく半々。フェイトとの戦いで経験したような、天才的頭脳でも判断できない一種のギャンブルであった。

 だが。束の心には、一つの疑問符が突き刺さっている。

 そうまでして自分は何を為すというのだ。

 そうまでして発明を完成したら、一体何ができるというのか?

 まず、空を飛ぶことが出来るだろう。戦うことも出来て、あのフェイトという金髪の魔導師とのリターンマッチで勝つことも出来るはずだ。

 そうして、なのはと一緒に戦い、事件を解決する。それは実に甘美で充実した体験になることだろう。

 しかし。

 

「……ここまでやって作り上げるんだ。もうちょっと、もっともっと、欲張ってもいいかもしれないね」

 

 その時、束の脳裏に一筋の閃光が走った。

 

 

 

 

「ったくもう……なのはったら! すずか、聞いてる!?」

「う、うん……」

 

 連休も終わり、再び一学期が続く学校のお昼休みの途中で、アリサ・バニングスの苛立ちは頂点に達していた。

 火付けの種は、ごくごく些細なことなことであった。一緒にお昼ご飯を食べようと誘ったなのはが、束と共に二人きりで何処かへ行ってしまったのである。

 それはなにも、今日この時に限ったことではなく。最近ずっと、もう二週間くらい断られっぱなしだった。

 アリサ、なのは、すずか、それからおまけに束が交友関係を持ってから二年。特に忙しかったり理由があったりしなければ、毎日のように昼食を共にしていたにも関わらず、である。

 更に、放課後一緒に塾に通おうとしても、いつの間にか教室から消えていて別行動をされたり、それなら休日に遊ぼうとすれば、束ちゃんにラボへ呼ばれたから、と陳謝されたり。

 

「最近、あの二人はおかしいわよ!」

「そ、そうかなぁ」

「ええ! そりゃあ束はもうおかしいのが当たり前だけど……こないだから、なのはまでおかしくなってる!」

「……」

 

 それが、アリサの言い分であった。すずかもそれを宥めながら、明確に否定はしていない。

 同じように考えているからだ、と理解したアリサは更に捲し立てていく。

 

「別にそれはいいのよ。またぞろ何か怪しい研究でもしてて、なのはが実験台になってると考えれば、そうあり得ないことじゃないし。今までもそういうこと、無いわけじゃないし」

「あったね……去年の冬休みとか。バーチャル・リアリティだったっけ」

「仮想現実でハワイ旅行させてあげるんだって、わけわかんないこと言いながら、丸一週間変な機械の中になのはを閉じ込めて……どういうつもりかと思ったわよ、アレは」

 

 最後は二人も巻き込まれかけた苦い思い出にため息を付きながらも、アリサにとって今回の異常はその時と全く異なるものであり、だからこそ憤慨する。

 

「いやまあ、でもその時は……なのはも暫く留守にするって言ってたし」

「束ちゃんも、意味は全然わからなかったけど一応説明してくれてたよね」

「そうよ! でも今回は違うじゃない!」

 

 アリサは机を両手で叩く。あまり力は入っておらず、教室の喧騒の中に消えてしまうほどの小さな音だったが、すずかをびくっ、と震わせるには十分であるようだった。

 

「あいつら、私たちに何も言ってくれない。何をやってるか、何をどうしてるのか! その前までは――束なんて、分からせるつもりは毛頭なかったし、ついでだから、友達の友達だからって理由だけど、教えてくれたのに!」

 

 アリサの悲痛な叫び。彼女にとってなのはと、それから束はこの学校で最初に出来た友人であり、今では様々に増えた彼女の繋がりの中でも特別なものである。

 それを蔑ろにされているような現状は、彼女にとってはものすごく、我慢ならないことなのだ。

 だが、ここまで極端な言葉になると流石に同意できないのか、すずかがおずおずと、しかしはっきりと反論してくる。

 

「でも、アリサちゃん……友達だからって、秘密にしたいこととか、隠しておきたいこと、無いわけじゃないよ」

 

 アリサはそれを聞いて、確かにそれはあるだろうと納得する。

 他のクラスメートや先生に言われるならともかく、あの(・・)すずかがそう言うのだ。説得力は十分だし、黙って首を縦に振りたくなる。

 それでも、アリサは我慢できなかった。それほどに深く重い激情を、内に秘めていたのであった。

 

「それは分かる、分かるわよ、でも……あいつらにとって、私たちってそんなに信用ならないものなの!?」

「あ、アリサちゃん、そんなに怒っちゃ駄目だよ」

「だって、見え見えなのよ! 何かに悩んでるのも。迷ってて困ってて、それに向かって一生懸命頑張ってて……まるで戦いかなにかでもやってるみたいな顔をして!」

 

 なのはと束、二人が話していることの中身は、アリサにはてんで分からぬちんぷんかんぷんであるけれど。

 その顔、その目、その立ち振舞を見ていれば、なんとなく分かってしまう。

 二人がやっていることは、いつもの馬鹿馬鹿しい珍発明などではなくて。もっとシリアスで重大な、とてつもなく大きな何かに挑んでいるのであるだろう。

 

「……でも。それを、二人が喋りたくないのなら、秘密にしたいのなら……私達には、待ってあげることしか出来ないんじゃないかな」

「それがムカつくって言ってんのよ!!」

 

 すずかの言葉は確かに正しいし、それが最善手であるのかもしれない。だが、いやだからこそ、アリサは激昂する。どうにもならない気持ちを親友へぶちまける。

 

「だってそれ……私たちが役立たずって言ってるようなものじゃない!」

「え……」

「男子が読んでるようなバトルものの漫画で良くある話よ。此処から先はお前らのレベルじゃ太刀打ちできない領域だとか、こいつの相手は俺たちじゃなきゃ駄目だ、とか。あたしはね、すずか。二人にそういうことを言われてるような気がしてならないのよ!」

「あ、アリサちゃん……!」

 

 そんなアリサの言葉に胸を抉られる所が多少なりともあったのか、すずかは先程までのやんわり留めるための態度とは打って変わって、じっと聞き入っていた。

 

「そりゃあ、二人からしてみれば、ごく当たり前の対応よね。束はどうなのか分かんないけど、なのはなら。私たちを傷つけまいとして、遠ざけるくらいはやるわよね」

「うん……そうかも、しれないね」

「でもそれで、置いていかれる方はどうしろっていうのよ! 大丈夫だって言ってるから、信じて待ってりゃそれでいいの!? ……大丈夫だなんて言ってるけど……あんなの、絶対に嘘よ!」

「アリサちゃんの言うとおりだね。だって、なのはちゃん……すごく、疲れてるもん」

 

 すずかの言うとおり、二人から見たなのはは最近、とても疲れているように見えた。

 朝は早起きでもしたのか通学のバスの中でぐっすり熟睡していて、放課後分かれて塾で合流したときも、時折かなり汗をかいていたりする。こうした休み中に話しかけても常に上の空なのだから、間違いなく、それもかなり疲れている。

 

「そりゃ、束はまだいいわよ! あんな馬鹿げた体力してるんだし。でも、なのはは……」

「……うん、分かるよ。きっと無茶ばかりしてる」

「そうよ。なのはのことだもん、絶対そうよ!」

 

 それは、二人の共通認識であった。

 高町なのはという女の子は、一見分をわきまえていたり、常識的に見えたりするけれど。実は結構、いや、物凄く頑固でなおかつ一本気だ。一度決めたことは、何があろうと絶対にやり通すという心の強さを備えている。

 だがそれが、悪い方向に働いてしまうと、自分の背丈に合わないような無茶ばかりをするようになってしまう。ボロボロになっても止めようとしない。それこそ、見ている方が不安になるくらいの頑迷さでもって事に当たるのだ。

 二人は現に、そういうなのはを見たことがあるのだ。それも二年前、知り合う最初の最初に起きた、あの事件の時に――。

 

「……でも、それなら尚更止められないんじゃないかな、私たちには。もうなのはちゃんの心は多分、ひとつに決まってるんだから」

 

 だからこそ、すずかは弱音を吐くのだろう。

 なのはの心魂の奥の奥がそう固まっているのなら、自分たちには干渉できないという、その理屈はきっと正しい。

 だが、なればこそ、アリサはまた別の理由で苛立つのだった。

 

「……どうしてよ、どうして……」

 

 それは、どうにもならないことである。アリサ・バニングスがアリサ・バニングスである限りは、永遠に埋まらない溝であり狭間である。

 

「私は……天才じゃないのよ……! あの二人と同じものを……見れないのよ……!」

「アリサ、ちゃん……」

 

 アリサ・バニングスは常人である。

 彼女の実家はお金持ちで、彼女自身体力も学力も同年代を上回っている。性格的にも何ら問題はなくおまけに容姿は整っていて、頼もしい大人と親しい友人、それから愛犬たちに囲まれ、平和な国で幸福な人生を送っている。

 と、ここまで並べれば、これ以上に幸福な人間もそうは居ないだろう60億存在する人類の中でトップクラスに幸せかつ、明るい未来が保証されている子供であろう。

 しかし、彼女に篠ノ之束のような才能はない。

 優秀ではあるがしかしそれだけで、飛び抜けても居ないし常識はずれでも無かったのだ。

 だから、天才である存在と、同じ目線に立つことはできない。それに追いつくことも、同じものを見ることも無理な話だ。

 それが何より、口惜しかった。

 

 だって、私――

 あいつと出会う前までは――

 

「あ、アリサ、ちゃん」

 

 はっ、と我に返る。見ると、すずかが震えている。アリサの肩よりちょっと右上を指差し、わなわなと怯えている。

 きょとんとして振り返ると、そこには。

 

「って……!? アンタは……!」

 

「やぁやぁ、そこのお二人さん。放課後はちょいと……私も相乗り、させてもらっていいかな?」

 

 目を細め、にたりと悪魔のような笑顔で笑うあいつ(天才)が居た。




次回は2017年06月07日(水) 18:00更新ですー。

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