終わりと別れ

未練と惜別



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 ユグドラシル。日本国内において、一時はDMMOと言えばコレ、とされるまで流行りに流行った革新的なゲームも終わりの時が近づいていた。

 アインズ・ウール・ゴウン。ユグドラシルというゲームの黄金期を支え、良くも悪くもゲーム内にその名前を轟かせていた。本拠地たるナザリック地下大墳墓は度重なる襲撃に晒された。だが散発的な襲来も、1500人による大規模侵攻も、その全てを例外なく跳ね返してきた。

 そんな無敵とも言えるギルドも今攻め入られることが有ればあっという間に陥落してしまうだろう。ゲームのサービス開始から12年。プレイヤーの数は減少し続け、解散するギルドは後を絶えなかった。それはアインズ・ウール・ゴウンも例外ではなく、積極的にログインするプレイヤーはもはや一人。

 いつからか、モモンガはいつも一人だった。だが今日はその限りではない。ナザリックの地下深くに二人の支配者がいた。





さよなら世界

 

「結構話しちゃいましたね」

 

「そうですね。まあ最近は俺イベントとかやってないんであんまり面白い話じゃなかったかもしれませんが・・・・・・」

 

「そんなことありませんよ。それにこうやって話してると昔の事結構思い出しますね。イベントと言えば随分前にウルベルトさんが――――」

 

 二人の声が良く響く。それもそのはず、今日は久しぶりの再会で積もる話もあるというものだ。立派な円卓に備え付けられた椅子のほとんどは空席だったが、それでも会話は弾んだ。

 

「あの人たちはほんとに騒がしくて。まあ楽しかったんですけどね」

 

「ええ。みんな忙しいんだろうなあ」

 

「私たちもよっぽどですけどね。でも、確かにみんなどうしてるんでしょうねぇ」

 

「そうですね・・・・・・」

 

 会話が止まる。最後の話題もあまり明るいものではなかったためか空気が若干重い。改めて周囲を見回すと、室内は煌びやかな装飾や意匠を凝らされたアイテムに満たされ、製作者の執念が伝わってくるようだった。全ギルドを見渡してもこれほど見事な本拠地を持つ者はそういないだろう。その豪華さがかえって空席を目立たせているような気がして、寂しい。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。異業種のみで構成された異色のギルド。DQNギルド、ユグドラシルの悪の華といった数々の悪名を持ち、ゲーム内最多の9個もの世界級(ワールド)アイテムを所有する紛れもないトップクラスのギルド。もっとも今となっては、ギルドの構成員は実質一人しかいない。

 

 残された一人――――ギルド長のモモンガ。今回久方ぶりにギルドに訪れた数名のギルメンは、みな彼の招集に応えてやって来たのであった。ギルド創設から滅多に無かったモモンガの我儘。かつて栄華を誇ったこのギルドに、栄光あるナザリック地下大墳墓に四十一人全員が揃う光景を望む。ただそれだけの願いを受け取ったのは僅か三人(・・・・)であった。そしてその内の二人はもういない。

 

 かつての仲間との再会。それはモモンガのささやかな願い。少しだけ、かつての輝きをもう一度だけ見せてほしい。ただそれだけのちっぽけな想い。そのために一人でギルドを維持し続けてきた。

 

「――――さん。モモンガさん?」

 

「――――あ、すみません。ぼーっとしてました」

 

「大丈夫ですか?私が言うのもアレですけどモモンガさんのとこも真っ黒(・・・)なんでしょう?」

 

「はは・・・・・・明日は4時起きですよ。ヘロヘロさんこそ大丈夫ですか?」

 

「いやーそれが駄目です。この前の健康診断、もう真っ赤ですよ」

 

「まずいですね・・・・・・」

 

 溜息をついてグネグネと体を動かすスライム。彼は招集に応じた最後の一人、現実(リアル)ではプログラマをしているヘロヘロ。ユグドラシルでは前衛を勤め、敵の装備を破壊することに特化した悪辣極まりない攻撃的な構成をしているが、今日の彼からはまったく覇気が感じられない。本人も言う通り体に鞭打っているせいで疲れているのだろう。

 

「・・・・・あっ。そういえばギルド武器って装備したことないですよね?モモンガさん」

 

「あー・・・・・・そうですね。奪われたら終わりですし、特に必要なことも無かったですしね」

 

「じゃあ装備しません?ギルド武器と言えばギルド長が持つべきですよ。最後ですし」

 

「それは・・・・・・はい、そうですね」

 

 奪われれば即ギルド崩壊にもつながるギルド武器は軽々と持ち歩くものではない。ギルドを重んじるが故に、これまで一度も円卓の間から動かされたことは無かった。ゆっくりと席を立ち、その至宝に向かって歩く。部屋の奥に鎮座し輝きを放つそれは、やはり軽々しく触れてはいけないものに思える。

 

 だが・・・・・・最後(・・)

 

 その言葉を免罪符に手をかざすと、それは引き寄せられるように骸骨の手に収まった。先端に宝玉を銜えた蛇が巻き付く黄金の杖は、モモンガの装備する最高級の神器級(ゴッズ)を上回る力を秘めた破格の存在だ。二人でしげしげと眺めると、先端の宝玉に変化が現れる。

 

「はぇー、エフェクト細かいですねぇ」

 

「悪趣味ですけどね。でも本当によくできてる」

 

 ギルメンの汗と涙と時間とお金と・・・・・・とにかく色んなものをつぎ込み完成したそれはまさにギルドの誇り、全ギルメンの誇りであった。

 

「ちょっとポーズキメてみて下さいよ」

 

「うーん。『我が名はモモンガ。魔王の名のもとにひれ伏せ』・・・・・・どうです?」

 

「いいですよーまさに悪のギルドの親玉って感じです」

 

「ははは」

 

 プレイヤー達にももう忘れられているのだろう。アインズ・ウール・ゴウンはそもそもが悪をもって悪を征すロールプレイギルドであった。その長はやはり悪の親玉然としているべきだろう。

 

「ははは・・・・・・ふぅ」

 

「あ、戻しちゃうんですね」

 

 黄金の杖は、自分で言うのもなんだが結構似合っていたと思う。だが、それだけだ。ギルドが形骸化した今ではギルド長など居ても大して意味は無いし、そんな自分にギルメンの思いが詰まったこの偉大な武器が似合うとは思えなかった。元の場所に戻された杖はやはり輝きを放っており、やはりこれはこのままにしておいた方が良いと、そう思った。

 

「・・・・・・あのーヘロヘロさん」

 

「なんですか?」

 

「明日もお忙しいですよね」

 

「まあ、はい」

 

「ですよねー」

 

「どうかしましたか?」

 

「あー、あのですね・・・・・・」

 

「はい」

 

「花火、をですね」

 

「花火?」

 

「そうなんです。花火を仕掛けたんです。沢山」

 

「沢山」

 

「で、ですね。ヘロヘロさんさえよければこの後一緒に花火見に行きません?」

 

「あ、良いですよ」

 

「そうですよねやっぱり忙しい――――ん?」

 

 ぐるんと首を回してヘロヘロを見る。ピコピコとエモーションアイコンを浮かべたヘロヘロがこちらを見ていた。

 

「良いですよ。いやぁ花火なんていつぶりだろう。私あれ結構好きなんですよね」

 

――――あれ?こんな簡単に?さっきまで悩んでた俺の苦悩は?ぐるぐると思考が巡る間にもヘロヘロはさっさと踵を返している。

 

「モモンガさん?行くんでしょ。早くしないと終わっちゃいますよ」

 

「あ、はい・・・・・・あの、ちょっと締まらないのでもう一回いいですか?」

 

「あ、どうぞ」

 

「じゃあ、ゴホン・・・・・・『ヘロヘロ、私と共に花火を上げよう。終焉という名の花火をだ。滅びゆく世界に餞をしてやろうではないか』」

 

「『御意。この糞の様な世界など滅びて当然、せいぜい最後は派手に散らしてやろう』」

 

「・・・・・・これ、疲れるからもうやめましょうか」

 

「ですね」

 

「ふぅ・・・・・・よし!じゃあ行きましょうか!」

 

「モモンガさん?あなた疲れてるんですよね?」

 

「ヘロヘロさんがいるから大丈夫ですよ!さあ行きましょう!我らがギルドの最後を飾るのです!」

 

「・・・・・・おお!行きましょう!」

 

 やけくそな二人の空元気による声が円卓の間に響く。社畜の二人はどう考えてもさっさとログアウトして寝た方が良いのだが、既にそんな気はさらさらなかった。

 

「ヘロヘロさん、きっと驚きますよ!」

 

「いやぁ楽しみだなぁ。我らがギルド長のお手並み拝見ですね!」

 

 

 二人はドスドスと足音を立てながら円卓の間を後にしていく。たった2人だろうと、その歩みが空元気によるものだろうと、それでよかった。残り僅かな時間。だが確かに夢が叶うその時間を心置きなく楽しむことができるだろう。骸骨もスライムも、その顔は笑わない。だがその後ろ姿は希望に満ち、いつしかその足取りは本当に軽やかなものになった。

 

 

 談笑する二人の声は、かつてギルドを賑わせていたそれと比べてあまりにもか細い。だが、在りし日のように期待に胸を膨らませ、開け放された扉を背に意気揚々と去っていく者たちからは、少し前まで墳墓に漂っていた寂しさなど一片も感じられなかった。たった二人だけの最後の冒険。墳墓の主(モモンガ)漆黒の粘体(ヘロヘロ)はいつものようにギルドを出ていった。未知への期待を抱き、次なる冒険に胸を躍らせ意気揚々と出ていく様は、栄光の日々を思い出させるよう。彼らの、そしてアインズ・ウール・ゴウンの最後の冒険は、きっと希望にあふれたものになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 ナザリック地下大墳墓。ギルド〈アインズ・ウール・ゴウン〉の本拠地であり、幾度の侵攻、その悉くを跳ね返した不落の要塞。他者を寄せ付けず、やがて孤独な支配者を除く全ての主が去った、忘れられた場所。

 

 その地下深く――――第九階層。ギルドメンバーと一部の者以外誰も存在を知らないその場所に、円卓の間は存在する。全メンバーの椅子がぐるりと囲む、黒曜の輝きを放つ円卓。ただの装飾に至るまで細部にわたり創造した者たちの力・財の限りを尽くされた、まさにトップギルドにふさわしい威光を放つ広間。神器級(ゴッズ)を超え、世界に僅か存在する世界級(ワールド)にも届き得るギルド武器の鎮座する場所。その場所も、今では至高の四十一人のための椅子は一つとして埋まらず、ギルド武器である黄金に輝く杖が佇むのみ。

 

 長きに渡り、独りで仲間の帰りを待ち続けた慈悲深き支配者はもういない。誰もいなくなったその場所、そしてナザリック地下大墳墓はひっそりと――――ゲームの終了と共にその役目を終えた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘロヘロさん、急いで!ほらもうあと10分しかないですよ!」

 

「モモンガさんがついでにあれもこれもって寄り道するからでしょう!」

 

「それはヘロヘロさんもでしょ!・・・・・・あそこ、あそこの湖です!」

 

 飛行(フライ)でぐんぐんと目的地に向かう。隠蔽も偵察も無し。これがユグドラシル全盛期ならハチの巣だろうが、サービス終了日にそのようなことをする無粋な輩はいなかった。もっともプレイヤー自体が激減していたため杞憂だっただろうが。

 

「ち、近くて良かったですね」

 

「いやこれほんともうちょっと遠かったらまずかったですよ」

 

「ヘロヘロさんが寄り道するから」

 

「まだ言いますか!宝物殿の片づけしたいとか言うし!もう!」 

 

「いや、まあ、それは・・・・・・あ!あそこ!ほら!」

 

「いやまだ話は・・・・・・って何アレ多くないですか!?モモンガさんいくら使ったの!?」

 

「気にしないで!」

 

 湖畔に降り立つと、興奮もそのままに骸骨の手がスイッチを取り出す。これから起こることに二人して期待した。

 

「さぁヘロヘロさん!しっかり見ててくださいよ!でっかく花を咲かせますから!」

 

「いえーい!でもこれ爆発とかしないですよね!?こわい!」

 

 湖畔の静寂を打ち破る、二人だけの最後の冒険。呼吸を合わせ、打ち上げの刻を迎える。

 

「3、2、1、「点火(ファイアー)!!」」

 

 掛け声――――押されるスイッチ――――そして大量の花火。湖畔に並べられた大量の筒から次々と発射されていく。その数、優に5000発。運営の最後の安売りに乗じて大量に用意されたそれらは、一つの大きな光の塊となって夜空を昇って行く。一瞬の間のあと光の塊は弾け、大地を揺るがす轟音と共に夜空に大輪の花を咲かせた。

 

「うわ、すご!つーか眩しい!」

 

「やっぱ買い過ぎですよ!」

 

 爆音に負けないように声を張り上げる。スライムはたまらず触手の様な手を伸ばして頭に纏わりつかせ、骸骨は骨の手で頭部を覆う。互いのその姿はひどく間抜けなものに見えた。

 

「ヘロヘロさん、あなたの種族の耳ってそこなんですか?」

 

「モモンガさんこそスカスカなんだからそこ塞いでも意味ないでしょ」

 

「いやいや、これが骨に響くんですよ」

 

「じゃあ私もプルプル振動してますよ」

 

「「・・・・・・アハハハハハ!!」」

 

 軽口を叩き合う。その間にも花火は弾け、闇夜を照らす太陽の如く輝いた。

 

「景気づけに・・・・・・運営のバカヤロー!」

 

「ちょ、ヘロヘロさん最終日にBANなんて勘弁ですよ!」

 

「ないでしょ!ほらモモンガさんも!」

 

「あー、流れ星の指輪(シューティングスター)高すぎなんだよ運営!」

 

「wwwwそれモモンガさんが運悪いだけですよ」

 

「あちゃー」

 

 未だ続く軽口に対し、夜空に浮かんだ太陽には陰りが見えた。永遠に続くかに思われたその輝きも、一度陰れば急速にその輝きを失い、嘘のように消え去った。そうして太陽が堕ちた後は、耳が痛くなるほどの静寂だけが残る。あたりに漂う奇妙な満足感は、きっと今この世界にいる者たち共通のものだろう。

 

「いいものですね、花火って。なんかすっきりしました」

 

 付き物が落ちたような声は、静寂に包まれた闇夜に溶けていく。

 

「ですね。――――ふぅ、終わったらなんか眠くなってきました」

 

「そうですね。時間は・・・・・・あと二分です。あの、ヘロヘロさん」

 

「んー、なんです?モモンガさん」

 

「本当に、本当にありがとうございました。ヘロヘロさんのおかげで楽しかったです。今日は俺のわがままで来てもらってすみません。でも、本当に感謝しています」

 

「いえ、お礼を言うのはこっちの方です。モモンガさんが出迎えてくれて嬉しかったですよ。だって俺――――」

 

 

    ――――俺、最後にログインしたのがいつかも覚えてなかったのに――――

 

 

「・・・・・・」

 

 横目で窺えるアバターの表情は変わることは無い。時折奇妙な動きを見せるだけで、そこに人間らしい表情は感じられない。ヘロヘロが何を思ってそう言ったのか。それは誰にもわからない。だが、ヘロヘロも終わりを惜しむ気持ちはきっと同じだと、そう思った。

 

 ちらりと、嫌な記憶が蘇る。今日この日を迎えるまで、来る日も来る日もギルドを維持するためだけにログインする毎日に嫌気が差していた。誰か一人でいい、顔を出してくれないか。そんな思いを募らせ、誰にも打ち明けることなくギルドの維持に勤しんだ。ドロドロとした暗い感情を胸の内に燻らせる日々は途方もない苦痛であった。どうして誰も来ないんだ、あんなに楽しかったのにどうして――――

 

「・・・・・・でも、いいじゃないか」 

 

 零れるような呟きは、驚くほどするりと自分の胸に入ってきた。そう、これで良かったのだ。ユグドラシルが終わり、細くなった彼らとの縁も完全に途絶えてしまう。それはとても残念なことで、考えるだけで胸が締め付けられるようで――――だが、それは自然な事なのだ。一人だけ辞め時を失って取り残されてしまったが、そろそろ終わりにしなければ。幸いにも隣に心強い仲間がいる。だからもう、大丈夫だ。

 

 深呼吸をして前を向き、声を出す。横にいるヘロヘロだけでなく、ここには居ない皆にも聞こえるように。しっかりと伝わるように精一杯胸を張って。

 

「ヘロヘロさん。ありがとう。皆も、ありがとうございました。俺、忘れないよ」

 

 絞り出すような、心からの言葉。万感の想いを乗せた独白は夜空に溶けていく。ふと、あまりにも静かなヘロヘロが気になり横を見ると、微動だにしないスライムがそこにいた。ヘロヘロは普通に寝ていた。

 

「ここでまさかの寝落ち?ヘロヘロさんらしいや・・・・・・ふふっ」

 

 いっそ懐かしさすら感じる、立ったまま寝ているヘロヘロの姿に思わず笑みを零し、視線を夜空に戻す。ヘロヘロはそのままでも強制ログアウトされるだろうから放っておいていいだろう。

 

 それよりも、もうすぐサービスが終了する。それまではこの夜空を目に焼き付けておきたかった。すっかり見慣れてしまったこの夜空も、二度と見られないとなると惜しいものである。そうして星の瞬く夜空を眺めていると、何かが打ち上げられる音と共に視界に数字が現れた。

 

 

 10、9、8――――

 

 

 次々と現れては消えていくそれは、誰が打ち上げたものだろうか。世界の終わりをまざまざと見せつけてくる。

 

「あー花火以外にもあんなの売ってたっけ・・・・・・」

 

 これも安売りの課金アイテムだろう。見渡せば、そこかしこで同じような数字が打ち上げられていた。どう考えても間違えている数字もあるがそれはご愛敬だ。数寄者がいるのだろう。見渡せば、花火とはまた違った赤々とした光を放つ数字が沢山揺らいでいる。居る(・・)のだ。自分と同じように、消えゆくユグドラシルを惜しみながらも盛大に別れを告げようとする者たちが。

 

「ふう」

 

 肩の力が抜ける。強制ログアウトの後は、また仕事に追われる日々に戻ることになる。ユグドラシルが無い分睡眠時間が増えるかもしれないが、とりあえず今日はほとんど眠れないのは確かだ。

 

「ねむ・・・・・・」

 

 思い付きのまま目を閉じた。脳とメガコンをコードで直接繋いでいるため視界が閉ざされることは無い。相変わらず視界には夜空の黒と赤が映る。ただ、そういう気分だったのだ。耳をすませば、カウントダウンをするプレイヤーの声が聞こえるようだった。

 

 

『3!2!1――――!』

 

 

「さよなら、ユグドラシル。みんな、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ゼロ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 唐突に、目の前が真っ暗になった。ダイブ中に視界が閉ざされるなどあってはならない。良くて機械の故障、悪くて失明だ。世界の終焉の余韻に浸る間も無く慌ててヘッドセットを探ろうとして、手が止まる。

 

「・・・・・・なにこれ」

 

 空には太陽。さんさんと降り注ぐ光の下で、爽やかな風に揺れる草原。自然と空けていた瞼のその先に、信じられない光景が広がっていた。

 

「は?いや・・・・・・ええ?」

 

 まともに言葉も紡げない。確かに先程までは夜の湖畔にいたはずだ。

 

「どういう・・・・・・ッ!?」

 

 取り乱すその寸前、唐突に(・・・)思考が落ち着くのを感じた。

 

「ええ・・・・・・?もうなんなの」

 

 冷水を頭にかけられても、こうまで急に落ち着くことはあるまい。パニック寸前だったのが嘘のように落ち着いているのが不気味だった。

 

「・・・・・・」

 

 原因はわからない。だがこの状況で冷静に思考できることは有難い。そして考えるべきは――――

 

「ヘロヘロさんは?」

 

 そう、先程まで傍にいた友人の事を思い出した。だがぐるりと周囲を見渡した結果、グネグネと動くスライムの姿は見つけられなかった。この怪奇現象に巻き込まれる前に落ちたのかもしれない。

 

「協力者はいない、か・・・・・・」

 

 早速の不安材料に頭を抱えると、やけにツルリとした感触が帰って来る。おかしい(・・・・)。まだヘッドセットは外していないはずだった。頭をまさぐっても、カラカラと何か硬いものが擦れ合うような音しか聞こえてこない。まさか、いやそんなことは――――

 

「・・・・・・」

 

 ゆっくりと腕を目の前に持ってくると、真っ白な腕が見えた。骨だ。見慣れた自分の腕ではないが、確かに自分の腕だと思える。骨だけになって生きる人間など居ないはずだが。

 

「どういうっ、こと、なんだ・・・・・・」

 

 再び精神が落ち着くのを感じる。静かになった頭の中に疑問が次々と湧いてくる。

 

――――ヘッドセットは無い。だが現実離れした場所で、ゲーム時代の格好をしている。幻覚を見ているならまだマシだろう。だが先程の骨の感触も、今見えている光景もリアル過ぎた。こんな平和な光景が現実(リアル)にあるはずがない。だがこれを幻と断じることもできなかった。これが運営のサプライズなら大いに成功している。精神こそ落ち着いているが、訳が分からな過ぎて早く種明かしをしてほしかった。だが、プラカードを持った誰かが出てくることは無い。

 

「・・・・・・」

 

 冷えた頭で考える。緊急事態に陥った時こそ冷静に。かつての仲間の言葉が支えになる。今やるべきことは――――

 

「現状の、確認」

 

 ゲーム時代であれば当然真っ先に取る行動を試すべきだ。というかそれしかできることが無い。だが――――

 

「コンソールが開かない・・・・・・」

 

 そもそも浮かんでいるはずのシステムコマンドも見当たらない。これではGMコールはおろか強制終了もできない。

 

「・・・・・・」

 

 あっという間に打つ手無しとなった。平坦な思考の海に、徐々にある考えが浮かび始めていた。状況が、そして体感がそれを告げている。

 

「いやでも、それは」

 

 否定する呟きは、しかし力の無い物であった。先程の強制鎮静化のおかげか取り乱すことはしない。ゆっくりと景色を眺め呼吸を整える余裕もある。相変わらずのどかな光景であるが、そういえば嫌に遠くまではっきりと見渡すことができる。眼鏡をしていないのに。

 

 深呼吸を一つ。そして宣言する。自覚をもって、自分に言い聞かせるように。今いる場所は、ここは――――

 

「ここは、ゲームじゃない」 

 

 断言と共に実感する。ゲームでなければ現実かというと、それも無い。虚構にまみれたゲームでも、汚染され尽くされた現実(リアル)でもない。体を通り抜けていく風も、鼻腔をくすぐる香りも、全てがそれを否定する。

 

「ここは、どこだ?」

 

 答える者はいない。未だ状況が不明の中、モモンガは一人草原に佇んでいた。

 

 








 円卓の間の扉は開け放たれている。ふと、一人の老執事が通りがかった。執事は恭しく一礼をした後円卓の間の中を窺う。そこには誰もおらず、もう一度礼をしたあと扉をゆっくりと閉めた。そうして扉が閉まったあと鋼のようにピンと背筋を伸ばしまた巡回に戻る。それはいつも通りの光景。だが執事の視線の先には普段とは違うものがあった。

 乱暴に歩いたのだろう、絨毯に跡が残っている。廊下には遠ざかっていく楽しそうな声が響いている。執事はその場に立ち止まると、平時であれば鋭い眼光を放つ目元を緩ませた。そして微笑みを湛え深く深く礼をした。それは祝福。通り過ぎていった偉大なる御方々へと向けた心からの祝福であった。

 
 
 嵐は次々と巡っていく。



 玉座の間に立つ麗しき美女が

 荒野に漂う生贄の天使が

 桜舞う聖域で祈る巫女が

 溶岩に潜む混沌の悪魔が

 コロセウムに立つ双子が

 凍てつく氷牢に潜む武人が

 廊に潜み侵入者を阻む鬼が

 そして――――宝物殿に潜む無貌が


 みな笑みを湛えていた。そうして嵐が遠ざかり、墳墓から消え去るとき。


『いってらっしゃいませ』

 
 何者をも拒む魔王の根城。ナザリック地下大墳墓に場違いなほど優しい声が響き、そして消えた。




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