意識が高すぎて魔法科高校に入学したが劣等生だった。   作:嵐電

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横浜騒乱編26

「おっ!」

隣の席の長岡さんが、小さく反応した。

 

15:30だ。預言通りに始まった。

 

クーロン力制御魔法の併用によって重力制御魔法の必要強度を下げ(対象物の質量が変化する為重力制御魔法の事象改変の継続が困難とされている)、継続的核融合反応へのこだわりを捨て断続的核融合反応を新技術「ループキャスト」により実現したアイデアの素晴らしさに、聴衆は惜しみない称賛を壇上の市原さん五十里くん司波くんに送っている最中だ。こちらの戦いは圧勝だろう。大会の結果発表があるかわからないが。

 

「それにしても、荷物大きいね」

隣の涼野さんが僕の足元に無理矢理置いている黒いキャリーバックのようなものに視線を移す。ここまで誰もこれを棺桶みたいとぶっちゃけてしまわなかった。みんな遠慮しているのだろうか?

 

棺桶型キャリーバックの中には、主人に忠実な最強吸血鬼が横たわっいて、主人の命令で敵を殲滅するわけではない。

 

15:37。爆発音と振動があった。グレネードを敵が使ったらしい。後ろのほうで「本当に来た!」と喜んでいるバカ女がいる。本気の斬り合い殺し合いが好きなどうしようもないうつけ者だ。舞台袖に喜び勇んで向かうお祭り女を西城くん達が追いかける。あちらは司波くんに任せておこう。

 

フルオートでない銃声と足音。対魔法師用のハイパーライフル?単に弾丸節約?

 

さて、おっぱじめますか!

 

僕は、口笛を吹いた。文章でこれを表現するのは難しいな。小林秀雄の『モオツァルト』をもっと真面目に読んでおけば良かった。

 

「その曲何?」

 

「夕陽のガンマン」

 

「デバイスを外して床におけ!」

対魔法師用ハイパーライフルを構えた軍服を着ていない武装集団に囲まれた。

 

僕は構わず口笛を吹く。音声起動により黒い棺桶が開き、中から吸血鬼ならぬ89式がせり上がって来る。

 

「おい!お前もだ」

司波くんにゲリラが怒鳴っている。

 

”Fire!”

 

タタタタタ。

 

アクティブフィルタのおかげで周辺に89式の銃声はほとんど聞こえない。僕の姿も見えていないはずだ。

 

銃弾は、五人のテロリストの脳天を上から貫く。銃口は適当な方向を向いていたのだが、銃弾は標的に向かってその起動を変える。

 

これが本当の魔弾の射手、あるいはサイコガン!

 

こんなことが可能なのか?可能です。魔法ですから。(種明かしは後ほど。)舞台下ではテロリストが司波くんに撃った銃弾を掴まれて逆上。司波くんは『マトリックス』のネオみたいな事が出来るのか?できますとも! 魔法師だもの。

 

ツーマンセルのバディを脳天から撃ち抜かれたテロリストはパニクったのか?コンバットナイフを持って司波くんに突っ込んだ。

 

司波くんは、テロリストの腕を切り落とした。素手で。高周波ブレードみたいに。

 

そこで、今書いておく。僕が戦死したら誰も書かないだろうから。

 

腕がなくなったあるいは腕がないと念ずるとうまくいけばこの世の自分の腕ではその存在が消えてしまう。その消えた分はどこに行ったのか?

 

鄭志鴻の「天経 甲骨文字啓蒙」には、1/0=∞ 1:道、0:無極とある。とはいえ、道家に興味がない人には説明がわかりづらい。

 

E=mc²のとおり、質量はエネルギーとなる。なので、消した分だけ新しくエネルギーが使えるのだ。これが神は無から有を作り出すの意味だ。とは言え、「腕がない」と念じても普通は何も起こらない。先ずは自分の情動が邪魔するからだ。だから、情動が起こらない誰かは新しいエネルギーを使いやすい。事象改変しやすくなりマトリックスのネオみたいなことも出来てしまう。

 

 しかし、情動を起こらないように脳を細工するのは大変危険だ。なので、座禅では、先ず雑念が出なくなるまで座る。雑念をはらいはしない。ただ考えるのを止めてしまうだけだ。15分も座れば自然に考えるのを止めてしまうが。

 

発勁の練習では、自分の身体を無いと念ずる方法もある。難しければ腕だけでも消せば良い。特に発する時にどうしても筋肉が緊張してそこで勁がとぎれてしまう人には有効だ。敵の素早い攻撃にいち早く反応するにもこの技術は使える。

 

さらに自分を空と念じたりもする。「我が心すでに空なり 空なるが故に無」(真田弦一郎)

「我が身既に鉄なり、我が心既に空なり、天魔覆滅」(千葉真一)

 

 

台湾にわたり太極拳の普及に努めた鄭曼青は「夢の中で両手が折れたことで太極拳の奥義を悟った」と語っている。

 

鄭曼青(ていまんせい)(1902年-1975年3月14日)

 

浙江温州永嘉の出身。鄭子太極拳の創始人としても広く知られている。 数々の神秘的な伝説があり、「腕なし名人」または「無招勝万招(技がないが、多くの技に勝つ)の拳」と言われている。

鄭曼青の拳は敵の攻撃を受けた瞬間に弾き飛ばす技が不要の拳法である。腕力とはまったく関係ないその神秘的の神技は、科学実証主義を第一とするアメリカ政府機関が、超能力、超常現象ではないかと驚嘆せしめ、本格的に実験の対象にしたと言われている。

 

いまだにその研究は実を結んでないようだ。腕がないと念じて太極拳を練習してみればいいだけのことだ。動きがよくなるから。相手を吹っ飛ばすのも急に上手くなるかもしれないのだ。今一つなら、空と念じてやってみるべきなのだ。

慧可の「雪中断臂」もこのことと関係している。

 

慧可(えか)(487年-593年4月22日)中国禅宗の二祖。正宗普覚大師。

 

洛陽武牢(河南省滎陽市)生れ。はじめは儒教や老荘思想を学んだが得心せず、香山の永穆寺で得度した。出家後は問法のため各地を放浪し、さらに香山に戻り8年間修行を続けたものの、疑念を解明することが出来ず、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に面会し弟子入りを請うた。達磨*は断ったが慧可はあきらめず、自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている(雪中断臂)。

 

ただし、本当に腕を切り落として入門させてもらったかどうかはわからない。この逸話自体を「公案」と考えてもよい。

 

*達磨大師(マグマ大使とは無関係。)

 

菩提達磨(ぼだいだるま)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。

 

腕がないつながりではあるが、ジミーウォング主演映画の「片腕必殺剣」(1967年)や「片腕ドラゴン」(1972年)との関連性は全くない。ギロチンが空を飛んだり両腕が伸びたり片手しかも小指で逆立ちしたりするが魔法とは関係がない。

 

さて、弾道を曲げて標的に向かっていく弾丸についてだ。

 

ただの小型誘導ロケット弾だ。ただし誘導するのは大変なのでスリーマンセルで一人の砲手を二人が守る必要がある。変なヘルメットを着用する必要はなく七草さんがやってるようなマルチスコープができれば誘導はできる。なので、操作中はマルチスコープ中の七草さんと同じく変顔になる。服部さんには秘密だよ。 100年の恋も覚めてしまうからね。

 

会場にいる皆の携帯端末から耳障りなサイレンが鳴り響く。

 

国民保護サイレンだ。

 

その気味の悪いサイレン音に会場の皆は凍り付いてしまった。

 

これで静かになった。ちょうど良い。

 

「諸君!!私は河原真知陸軍少尉である」

 

棺桶型キャリーバックをお立ち台に見立ててその上でライトアップ(光井式光学系統魔法のパクリ)されて僕は、演説を始めた。

 

以前、九島烈がやったのと同じように聴衆の意識を自分に向けさせるのに成功した。

 

「諸君が見聞きしたように我国は敵国からの武力攻撃を受け『国民保護法』及び『事態対処法』に基づき『国民保護サイレン』が鳴らされた。これ以後、われわれ日本国民は国民保護計画に基づき速やかに行動しなければならない!」

 

 




白隠 慧鶴 他1名
夜船閑話 白隠禅師法語全集 4 禅文化研究所

現代語訳をしている人が座禅を実践しているので訳が妥当で良い。

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