another SILENT HILL story 病める薔薇~ 作:瀬模拓也
キャロル街道を北へ。
歩くたびに霧は一層濃さを増し前方からロサラに向かって吹き付けてくるような気がした。街中に自分の靴音だけが響くのはどことなく薄気味が悪い。
「?!」
目の前に現れた物体にロサラは足を立ち止めた、ネイサン通りに抜ける直前の道は工事中らしく鉄の金網とビニールで出来た壁が延びている。さらに間の悪い事にラジオのホワイトノイズが鳴り出したのだ。慌てて近くの建物に身を隠す、遠くの方に動く影が見えるがあれは人ではないという事なのだろう。動く影はこちらにくることなく霧の中へ消えてしまう。安堵のため息を付き別ルートを探すため地図を取り出す、そのときふと足物に落ちていた紙に目が止まる。どうやら身を隠した建物は劇場だったらしく紙は次回公演のチラシで大きな文字で『オフィリア』と書かれている。首を傾げて少しだけ思案する、オフィリアとはつまりハムレットに出てくる悲劇のヒロインの事だろう。チラシには真っ白なドレスを纏いベールに顔を隠した女性が描かれている。きっと劇作家が趣向を凝らしてヒロイン目線で物語を作ったのだろう、こんな状況でなければ観にいってみたい気になっただろう。何気なくチラシの裏を捲ると今度はそこに稚拙な文字で
―純粋なまま死ねる人間などいないのに。―
と書かれている。この物語の事だろうか?それにしてはチラシを傾けると赤いインクがまだ滴り落ちてくる。
(純粋なまま・・・・)
何故だかその言葉は酷く頭の中に刺さる気がした。
多少遠回りだが道を南下しても行けることが判ったので今度はサンダース街道を目指す。幸いにも今度は、道は何処も塞がれておらず道なりに進む事が出来た。だが再びラジオが鳴り出す、慎重に足を進めるものの音はどんどん大きくなっていく。アパートのある通りに出た時ついにバケモノと対峙してしまう、病院で会ったのと同じオタマジャクシのバケモノがロサラに気付く。それでも引き返すわけにはいかない、アパートはもう目と鼻の先なのだ。意を決して走り出す、バケモノの脇を通り抜けてアパートを目指す。自分を追ってくる湿った足音が聞こえる。アンバランスな体は歩みが遅いらしく追いつく事が出来ない様だがロサラの方も息が上がってきている、長い入院生活で体力は心許なくなっていたのだ。
何とか息が上がりきる前にアパートのフェンスにある扉に手を掛けると勢いよく中に滑り込み鍵を掛ける。思うように肺に息が送り込めずに目眩を覚える。それでもどうにか目的の場所へ着く事ができたのだ。
『ブルー クリーク アパート』
ここに兄さんが居るのだ。息が整うのを待たずに中へと入る。
アパートの中は停電が起きたように薄暗く静まり返っている。そこでロサラは重大な事に気付く。
(兄さん、何号室に住んでいるのかしら・・・・)
とは言え引き返すことも出来ずにロサラは途方に暮れてしまう。頼みの綱である郵便受けは文字が擦れてどれも読めない。仕方がなく直傍の階段を上がり最初に突き当たった部屋のドアをノックする。
「すみません。誰かいませんか?」
返事はない。今度は強めにノックし声を上げる。
「あの、お聞きしたい事があるのですが!」
ドアノブを回してみても鍵が掛けられて開く事はない。隣の部屋も、向かい側も同じ事だった。
「兄さん。いないのかしら。」
町にもバケモノが跋扈していたのだ、アパートの住人全員がどこかに避難している可能性は大いにある。
諦めの気持ちで突き当たりの部屋のドアノブを回すと今度はあっさりと開きロサラを部屋の中に招き入れる。
「あの、どなたかいませんか?」
入り口で声を掛けるも矢張り返事が返って来る気配はない。
いや―何か音が聞こえる。
あー・・・あー・・・あ・・・・・
人の声と言うよりは鳴き声が奥の部屋から聞こえてくる。だがそれと同時にポケットのラジオも小さなホワイトノイズ音を響かせるそこに居るのはバケモノなのか?それとも廊下の方だろうか?
―二者択一。ロサラは恐る恐る奥の部屋へと入って行った。
「きゃあ・・・!」
部屋に入って直に自分の選択が間違いである事に気がつく。簡素なリビングルームなは鳥籠が床にころがり無数の羽が散らばっている。その鳥籠を中心に大きな赤い血溜りが広がっている。量からして小鳥のものではないのだろう。
あー・・・あー・・・・
ホワイトノイズの音が激しくなる。続きの部屋のドアがゆっくりと開き声の主が入って来る。
猫。そう呼ぶには余りにもその容貌は酷すぎた。大人の両腕ほどもある身体は半分近く焼け焦げ肉が爛れており、片目は潰れている。籠の鳥を狙う悪戯な猫などという可愛らしいものではない。この生き物は小鳥の飼い主ごとその腹に収めてしまったのだろう。
あ・・・・あー・・
妙に甲高い声が耳に障る。黄色の瞳がロサラを捉えるとその大きな姿に似合わぬ素早さで飛び掛ってくる。間一髪で避けるが掠った上着の袖が引き千切れてしまう。ソファーの上に着地した猫は次の攻撃の態勢に入る。出口とは逆に逃げてしまったためロサラは動けずにいた。あの生き物をブーツに入れてあるナイフで仕留められる自身はない。
あれは?ふと目をやった机の上にオートマ式の銃が置かれているのに気がついた。家人の持ち物なのだろうが、丁寧にも弾丸の入った箱まで置かれている。腕を伸ばし手に取ると猫が再び襲い掛かる前に引き金を引く。
「くっ・・・・・・!」
反動で手が痺れたが弾丸が猫の腹に命中するとそのまま倒れ絶命する。
一息付いてロサラは手に持つ銃に目をやる。持って行くべきだろうか?だがナイフとは違う攻撃力はロサラに安心感を与えた。結局弾丸の入った箱もポケットにしまうと部屋を後にした。
階段を上がり3階の廊下に出ると先程の焼け爛れた猫が道を塞いでいた。この猫も病院で出会ったバケモノの仲間なのだろう。狙いを定めるが今までに銃を撃ったことなど無いロサラにとって動く敵に狙う事は簡単な事ではなかった。上着の裾の一部を引き換えに倒した時には弾丸は空になっていた。再装填させて階段に一番近いドアへ入る。
「!!!」
動く物影に身構えるが、意外にもそれは人であった。薄ぼんやりとした部屋の中央に一つだけ置かれた椅子に女性が気だるそうに座っていた。
「行き成り入って来てすみません。あの、人を探していて・・・それで。」
緩慢気に女性が顔を上げる、目はお互いに合っている筈なのにどこか遠くにいる印象を受けた。
「あの、ここに住んでいる人でフェザーガーデンと言う人なのですが・・・」
今日初めて人に会えたと言うのに落ち着かない。
「御免なさい・・・判らないわ。私もこの部屋の住人じゃないの。バケモノに追われて、此処まで逃げてきたのだけど。」
言葉を次ごうとしたロサラを遮るように女は話し出し終わるとまた俯いてしまう。よくよく見ればロサラとあまり年も変わらない感じだが彼女の持つ独特の疲れの様なものがその顔をずっと年老いて見させる。
「私はもう行くわ。気をつけてね。」
どうすべきか考えあぐねているロサラより先に女は立ち上がるとドアを開けて出て行ってしまう。
「気をつけて。その、なるべく早くこの町を出て行った方が良いと思うわ。」
慌ててどうにかロサラはその背中に向かって言う。本当なら自分も早くこの町から逃げ出したい。
「ええ、きっとその方が良いのでしょうね。」
振り返った女は寂しげにそう笑って答える、悪い人では無いのだろう。
(もっと色々と話せよかった。)
誰も居ないドアを見てロサラは自分を窘めた。
「?」
ふと先程まで女が座っていた椅子から明かりが辺りを照らしているのが見える。よく見れば首から提げるタイプのポケットライトが置かれている。部屋全体が薄ぼんやりとして見えたのはこれのせいだったのだろう。ちょうどこの薄暗いアパートを移動するには具合が良いので拝借する事にした。もし先程会った女の持ち物なら次に会った時に返せるだろう。目の前を照らす明かりに勇気付けられえうような気がした。
「!!」
3階の奥の部屋はどれも鍵が掛かっており矢張り誰も居ないのかと諦めかけた時その音は聞こえてきた。
甲高い女性の悲鳴のような声。兄では無いにしろこのアパートの住人だろうか、それとも先程会った女だろうか。いずれにせよ断末魔に近いその声は一刻の猶予も感じさせない。急いで声が聞こえた方の部屋のドアに手を掛ける、施錠はされていないらしくあっさりとドアノブは回る。部屋の中を見て周るが人の影はおろか気配すら感じない。だが奥にあったベッドルームに来て理由は判明した。ちょうどベッドの枕側の窓が無くなっていたのだ。ガラスが割れたわけでも取り替える寸での所に出くわした分けでも無い。窓枠ごとすっぽりと消えてしまっているのだ。覗き込んで見ると向かいのアパートの窓も開いているらしく悲鳴はそこから聞こえる。距離も差ほど離れておらず病院生活の長かったロサラにも簡単に跳び越えられる程だがロサラは躊躇ってしまう。
「やだ・・・・」
確かにアパートの3階ともなれば誰でも躊躇してしまうだろう。遥か下の地面を見下ろしてしまえば尚更だ。
けれどもそれ以上の何かにロサラは捕らわれてしまう。身が竦み、足が震える。
落ちたら?
しんじゃう?
頭の中に浮かんだ迷いを断ち切るように一度目を瞑り、考えを払うとロサラは意を決して隣のパートへ跳び移った。
「!」
薄暗い室内に目が慣れる間も無くロサラはその光景に愕然とする。悲鳴の主は確かにその部屋に居た、しかしそれは人間では無かった。跳び越える前のアパートでロサラと散々対峙した焼け爛れた猫が何匹も、無残にも事切れて床に散らばっている。それ以上にロサラを戦慄させたのがその猫を切り刻んでいる生き物だった。
人では無い。元は白だったのだろうか、ドレスらしき物を着ているが長い年月と返り血で黄ばみ至る所がボロボロに擦り切れている。顔の部分にあるベールも同じように風化しているが顔は隠れていて見えない。今までのバケモノより人に近い姿だが、纏う空気は人のそれとは全く異なっている。
(あのチラシの・・・)
劇場の近くで見たチラシに描かれた女性にその姿はそっくりだった。まるで何百年も前に書かれた己の結末が不服で絵の中から抜け出したように。
躊躇いも無くドレスを着たバケモノは手に持っていた鉈らしき刃物を猫に振り下ろすとロサラの方に向かって歩いて来る。敵の敵は見方と言う安易な考えには至れない、間違いなく目の前のバケモノはロサラの身体を切り刻むだろう。あの鉈一振りでロサラなら背骨など簡単に折れてしまう。
「来ないで!」
幾ら叫んでもバケモノ歩みは止まる事が無い。緩慢だが確実にロサラに向かっている。
背中を見せれば一気に襲い掛かって来るような気がして向かい合ったままロサラはじりじりと動きながら横にあった部屋に飛び込む。
「そんな・・・」
部屋に入り、ロサラは更なる絶望を味わう。飛び込んだ部屋は出口では無く袋小路、簡素なバスルームであった。それどころかドアに鍵さえ付いていない。
最後の抵抗ともいえるようにロサラはバスルームの奥へ避難するとバスタブに穴が開いている事に気付く。穴、と言うよりはバスタブの底そのものが無くなってしまっている。ここから降りれば少なくともこの部屋から脱出できる。けれどもバスタブの底は暗くポケットライトで照らしても先が見えない。もし下の階に繋がっていなかったら?改装工事か何かで下まで床が無かったら?玄関の床で冷たくなっているロサラを見て興味半分で忍び込んだ少女が誤って足を滑らせた位にしか誰も思わないだろう。
迷うロサラの耳にドアノブが回される音が届く。
来た。
シャワーカーテンで姿が見えないがその向こうに居る。
飛び降りれば先は無いかもしれない、けれどもこのままでいれば確実に自分は殺される。ロサラはバスタブの淵に足を掛けると暗闇にその身体を委ねた。