another SILENT HILL story 病める薔薇~   作:瀬模拓也

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「それじゃあ、また明日。」

 



深く、深く、落ちてゆく意識を留めてドアを開ける人影を見つめる。

もっと多くの言葉を交わしたいのに唇からは微かな吐息しか出てこず

腕を伸ばそうにも闇色の荊に絡め取られて指一本満足に動かせないでいる。





いつもはこんなんじゃないのに・・・・





まるで神様が明日に備えて早く体を休めなさいと言っているみたい。

眠りを堪えるのをやめてゆっくりと瞼を閉じる。体が深淵に沈んで行くよう

な気がした。 明日は・・・・



~第1章  悪夢への目覚め ~

ひんやりとした空気が喉元をなぞりロサラは目を覚ました。

 

ぼんやりとした頭で、ゆっくりと体を起こすと病院の硬いベッドの感触が手に触れる。いつもと変わらない目覚め、いつも通りにサイドボードの上に置いてある時計に目をやる。

 

「?」

 

 一瞬自分がまだ寝ぼけているのかと思った。時計の針は既に8時を回っている。起床時間はとっくに過ぎているのに誰も起こしに来た気配はない。

退院する患者は起こしに来ない、という訳でもないだろうに。

 

 とにかく着替えるため一度カーテンを閉めに窓辺へ近づく。

 

「何?」

 

 窓の外の景色にロサラは更に驚く。普段ならそこから見える病院の中庭は真っ白な霧で覆われていて何も見えない。

サイレントヒル、この町の病院に入院して半年、今までこんなことは一度もなかったのに。

 

 パジャマから洋服に着替えるとロサラは再び窓の外を覗き込み落胆した。

 

(この分じゃ、あちこち見て回るのは無理ね。)

 

 小さくため息を付くと昨日の会話を思い出す。

 

 

「ね。明日退院するのだし、そしたら町の中を見て周りたいわ。」

 

 ロサラが子供の様な笑みで傍らの兄にお願いをすると彼はちょっと困ったような笑みを 浮かべる。彼女の体を考えれば、まだ安静にしていた方がよいのだが。

 

「お祝いに。」

 

 ロサラは更に食い下がる。外に出ることも殆どない長い病院生活で彼女が退屈していた事も事実なのだ。

 

 

「分かった。明日、朝一番で迎えに来るからちゃんと支度しておくのだよ。」

 

 結局兄の方が根負けしてしまい、そう言って了承した。

 

「とにかく、支度しなくちゃ。」

 

 窓から離れるとロサラは退院の支度をする。とはいえ、殆どは寝付けずにいた昨日の夜の内にしてしまっていた。パジャマを畳み、時計を鞄にねじ込む。そこでふと入り口付近に目をやる。

 

 

 

 

 ―――院内が静か過ぎる―――

 

 

 

 

退院する事に浮かれていて今まで気付かなかったが、いつもなら聞こえる患者どうしの話し声や看護婦の足音がまったく聞こえないのだ。ドアをそっと開けると頭だけ出して辺りを見回す。

 

誰もいない。

 

普段忙しそうに歩き回っている医者やスタッフの姿は何処にも見当たらず院内はしんと静まりかえっていた。何が起きているのか分からないまま恐る恐る病室の外に出る。

彼女が入院していたのは病院の3階突き当りの部屋、もしかしたらここから見えないだけできっと他の階には人が居るはず。不安を拭い切れないまますぐ傍のエレベーターへ駆け出す、と視界の隅に何かが映り込む。

 

(何かしら?)

 

 彼女から見て廊下の端、病室棟の入り口近くに白いものが見えた。スタッフが落としていったシーツか何かがだろうか?

目を凝らすと、それは人に見えた。白衣を纏いナースキャップを被ったこの病院の看護婦。

 

シーツと見間違えたのは彼女が立っていなかったからだった。看護婦は足を投げ出し項垂うなだれる様に廊下に座り込んでいた。

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 ロサラが駆け寄りながら話しかけるが看護婦は顔を上げようとしない。

近づいてよく見てみると看護婦の鎖骨から胸元にかけて赤い染みが広がっている。それが血であることはロサラにも直に理解できた。

 

理由は分からないがこの看護婦は胸に致命傷とも言える大怪我を負っているのだ。あまりにも突然の出来事に体が震えだす。とにかく誰かを呼んでこなくては。そう思い震える足でどうにか一歩踏み出す。

 

 

 

 

 ぽたり――。

 

 

 

 

 看護婦の胸に血が一滴、滴り落ちた。

 

 顔を下に向けていることと、肩まで伸びた髪の毛で横からでは分からなかったがどうやら頭にも傷を負っているようだ。無意識の内に覗き込む様に彼女の正面にまわる。

 

「―――――――――――――――――――――っ!」

 

 悲鳴を上げることも忘れてそこから飛び退くと目の前の病室の扉に手を掛ける。乱暴に扉を開け倒れこむように中に入る。胃の中身が逆流してくるのを感じ、慌てて口を手で押さえると焼けるような喉の痛みに涙が零れていく。

 

 ・・・・目が・・・・・・鼻が・・・・・・いや、顔そのものがなかった・・。

 

 以前は患者達に明るい笑顔を振りまいていただろうその顔は、顔中のパーツを抉り取られ一個のグロテスクな肉塊へと変貌を遂げていた。

 

(何なの?何が起きているの?)

 

 

 蹲りながら荒い呼吸を何度も繰り返す。心臓が暴れるように跳ね耳の奥が熱くなる。

 

 ザアァ―――――ァァ・・・・・・・・・・。 

 

 不意に自分の息遣いに混じって無機質な機械音が聞こえてくる。

立ち上がって音のしている場所を確かめる。彼女が飛び込んだ病室は大部屋だったらしくベッドが四つ向かい合って置かれていた。

 

音は入り口の方のベッドに置かれたポケットラジオから流れるホワイトノイズだった。ベッドは先ほどまで誰かがいた痕跡を残している、まるでラジオを付けたまま持ち主だけがこの静寂に溶けてしまった様に思えた。

ページが開かれたままの雑誌、まだ湯気が立ち上るコーヒーカップ、よくよく見てみれば他のベッドも今し方までそこに人がいた形跡がある。

 

ならば患者や医者達は何処へ消えてしまったのだろうか。

 

いや、逃げ出したのかもしれない。廊下の看護婦の遺体、この病院が何らかの事件に巻き込まれたのは明らかだ。麻薬中毒か何かのならず者が病院に押し入って、あるいは入院患者がこっそりと刃物を持ち出して?

半年も入院していれば望まずともそういう患者が居るという話が耳に入ってくる。となれば彼女は逃げ遅れて凶器の餌食になってしまったのだろう。

もしかしたら避難した患者の中にロサラが居ないことに気付いて警察の制しを振り切り勇敢に助けに来てくれたのかもしれない。

 

「とにかく、逃げ出さなきゃ。」

 

口に出して言ってはみるものの、どうすればよいのか頭は未だに混乱していた。院内がこんなに静かなのは恐らく篭城した犯人と警察の間でこう着状態が続いているせいだろう。不用意にエレベーターや階段を使えば犯人と出くわす危険性がある。

 

ザアァァ―――――――。

 

纏まらない思考をホワイトノイズが余計にかき乱してゆく。

いったい何だと言うのだろうか、先ほどよりも音が大きくなっている気がした。持ち上げるとラジオの側面に白いマジックで〝ブルックへイヴン病院〟と書かれている。病院が患者に貸し出しているラジオなのだろう。

 

妙に不安を煽られ、このままここに居てはいけない気にさせる。

 

いっそ窓から助けを求めようかと思った時―――――。

 

ぺち、ぺち、ぺち。

 

ホワイトノイズの間から足音が聞こえる、それも靴音ではなく素足で廊下を歩くような音だ。ロサラは一瞬で凍りつく、犯人が逃げ遅れた患者を探して再びここまで来たのだろうか、いやもしかしたら彼女と同じ様に院内に取り残された患者がここまで逃げてきたのかもしれない。

 

 ロサラが開け放したままの病室の扉から足音の主は入ってきた。

 

 ぺち、ぺち、ぺち。

 

 その姿にロサラは腰が抜けたようにその場に座り込んでしまう。

 

 その生き物は、のっぺら坊な乳幼児に見えた。

大きさもロサラの膝位しかない、ただ何故か大人の女性の腕が、本来足があるべき場所から生えているのだ。ご丁寧に赤いマネキュアまで爪に塗られている。ちょうどオタマジャクシが蛙になる途中のようなアンバランスな体は戦慄と共に不快感をロサラに与えた。

 

「こっ、こないで!」

 

立ち上がる事もできないまま後退りする、これならジャンキーの方が幾分かマシだ。後ろに下がりすぎたためサイドボードに背中をぶつけてしまう。頭上から何かが落ちてくる、恐らくサイドボードに置かれていた物だろう。確かめる間もなくそれは金属音を立ててベッドの下に滑り込んでしまう。

 

おたまじゃくしの様なバケモノがロサラの足に爪を立てる。ブーツの上からだというのに食い込んだ爪が鈍い痛みをふくらはぎに与える。

 

「い・・・嫌!」

 

 無我夢中で振り回した腕がバケモノの体に当たると、あっさりとバケモノは入り口付近まで弾き飛ばされる。横倒しになったバケモノが蝉のような甲高い鳴き声を上げて体をばたつかせる。

どうやらアンバランスな体は一度倒れると中々起き上がれないようだ。

 

 その隙にロサラはベッドの下に手を伸ばす、武器に成りそうな物でなくてもいい兎に角あのバケモノとこのまま素手で対峙していたくなかった。

手に金属の冷たい感触が触れる、拾い上げるとそれは果物ナイフだった。純銀製だろうか、全体が白く光るそのナイフは刃の部分に蔦の模様が彫りこまれている。見事なまでの出来栄えに置かれている状況を忘れてロサラは見入ってしまう。

 

 が、――それも束の間のことだった。立ち上がるのを諦めたバケモノは這いずる様にしてロサラに突っ込んでくる。のっぺら坊に思われた顔に裂け目が入ると口が現れる、顔全体を覆う程大きな口からは鋭い牙が幾本も並んでいるのが見える。

 

あの牙で今度はブーツごとロサラの肉を食いちぎると言うのだろうか。

 

「やあぁぁっ!」

 

 突き動かされた様に立ち上がるとバケモノ目掛けナイフを振り下ろす。赤黒い血と共にバケモノが悲鳴を上げバタバタと暴れる、身をくねらせてロサラに噛み付こうともがく。降り飛ばされない様柄を両手で握り締めるとさらに深くナイフを差し込む。激しく暴れていた腕が徐々に緩慢な動きになり、遂には動かなくなった。

 

 死んだ・・・のだろうか?

 

 病室は再び静寂に包まれる。

 

「何なの?」

 

 恐らくナースを殺したのはこのバケモノなのだろう、ぐったりと床に体を投げ出してロサラは叫ぶ。

目尻に溜まった涙を指で拭うとベッドを伝いよろよろと立ち上がる。酷い焦燥感にこれ以上体を動かしたくなかったがバケモノの屍骸とこれ以上一緒にいるのはもっと嫌だ。

 

「兄さん・・・・・・」

 

 小さく呟くとふと気が付く、兄さんは何処?

 

時間的にはもう病院に来ていてもおかしくないのに。もっともこんな状況では警察が院内に入れてくれないだろうが、そうなれば病院の外で彼は今ロサラの身を案じているのかもしれない。

 

とにかく一刻も早く病院の外へ出ないと。自分に言い聞かせるように頷くとハンカチでナイフの刃の部分を包み自分のブーツに仕舞い込む。あのバケモノが一体だけとは限らない、もし逃げる途中で再び出くわした時のためにどうしても武器は必要だ。持ち主に心の中で詫びると病室を後にした。

 

 

 

身を滑らせるようにしてエレベータに乗り込むと1階のボタンを押す、ゆっくりと音を立ててエレベータが動き出した。ロサラは安堵のため息を付くとポケットからラジオを取り出す、先ほどの病室にあった物だ。悪いとは思いつつもこちらも持ってきてしまった。ニュースか何かでこの病院の現状を知ることが出来ればいいのだが、無情にもラジオからは先ほどと同様にホワイトノイズが小さく鳴り響くだけだった。

壊れているのだろうか?

 

エレベータは何事も無く2階を通り過ぎ静かに目的の階へとたどり着く、病室棟を走り抜け診察室等がある管理棟に足を踏み入れてもバケモノが襲ってくる気配はない。あの一体だけだったのだろうか、だとしたら何故この病院に?

 

「きゃあっ。」

 

予想していない出来事に思わず悲鳴を上げてしまう、思考は出入り口の脇に倒れているナースの遺体に再び遭遇したことにより途切れた。

彼女もまた3階にいたナースと同様に顔が潰されている。恐怖が足元から這い上がってくる、顔を背けるようにして扉に手を掛ける。自分ではもうどうすることもできないのだ。頭の中で言い訳のようにそう何度も繰り返す。

 

――そう、如何する事もできなかった―――

 

 

 

 

 

外に出ると病室で見たときよりもさらに霧が濃くなっているように感じた。自分さえ見失ってしまいそうな白い空気が肌や服にしっとりと纏わり付いてくる。

 

「嘘でしょ。」

 

 病院と外界の間には高く聳え立つ門扉があり、それが閉じられていた。ロサラは愕然とする。

今までこの門が閉じられた事などなかったのに、いやそもそも此処に門などあっただろうか。

 

「誰か、誰かいませんか?」

 

 扉を叩きながら叫ぶが返事は帰ってこない。途方に暮れて辺りを見回す。何処かに抜けられる場所は無いだろうか。不意にラジオからホワイトノイズが鳴り出す。霧の合間からこちらに向かってくる影が見える、それが人でないのはその形から十分理解できた。

 

(さっきのバケモノ!)

 

 咄嗟に近くの植え込みに身を隠す。ボリュームなど上げていないのにホワイトノイズ音は次第に大きくなっていく。

 

体中から冷や汗が噴出す、音量を調節しても音が小さくなることはない。

 

 芝生を踏みしめる足音が直近くで聞こえる。音は更に大きくなっていく。

 

 ロサラは慌ててラジオを上着の中に仕舞い込むと身を丸めてなるべく音が外に漏れないようにする。足音が目の前を通り過ぎる。植え込みの間から目を凝らして見ると病室で遭遇したのと同じバケモノが2体並んで歩いている。

 

(見つかりませんように・・・・)

 

 心の中で何度もそう唱える。幸いにもバケモノ達はロサラに気付く事無く通り過ぎて行った。安堵のため息を付くと上着からラジオを取り出す。不思議とノイズ音は消えていた。

 

 ふと、ロサラは思った。ラジオが鳴り出したのは先ほどと今、どちらもバケモノと遭遇する前に鳴り出しバケモノがいなくなると鳴り止む。もしかするとバケモノが近くにいるのを察知して音が鳴り出すのではないかと。理屈では説明できないが直感でそう感じたのだ。だとすれば諸刃の剣だ、音でバケモノに自分の居場所を知らせる事にもなりかねない。

 

 散々思案した挙句やはり持って行く事にした。上手くいけばバケモノと戦わないで逃げることが出来るかもしれない。

 

(後はどうやって此処から出るか、ね。)

 

 立ち上がろうとすると自分の腕を冷たい空気がなぞっているのに気が付く。よく見れば植え込みの少し先、壁に穴が空いている。大きさがロサラの膝ぐらいしかないので今まで気付かなかったのだ。それでも屈めば十分に通れる大きさだ。ロサラは思わず顔を綻ばせる。

 

(よかった。これで此処から抜け出せる。)

 

 這う様にして身を屈めると小さな穴に潜り込む。病院の壁はそんなに厚くないはずなのに酷く長く感じられた。

 

 ようやく穴から這い出ると服に付いた埃を叩き落とす。辺りを見回すも人の気配は無い。

 

「兄さん。あの誰かいませんか?」

 

 叫んでみるもののロサラの声は霧に空しく溶けてゆく。

それにしても―――この霧は何だとゆうのだろうか。この町に来て半年、いくら一度も外に出たことはないと言えこの事態が異常であることは分かる。町には人一人見当たらない。濃霧警報が出て皆外出を控えているのだろうか。

 

 ――だったら、こっちから会いに行くしかない。――

 

 ロサラは上着のポケットを探ると地図を取り出す。観光用の大雑把な地図だが一箇所赤く丸で囲ってある。『ウッドサイドアパート』兄さんが住んでいる場所、前に教えてもらった時に書いたものだ。その他にも教えてもらった名所などを自分で書き込んであるのだが今は無視することにした。

 

 怒られるかもしれない、勝手に病院を抜け出してこの霧の中を歩き回っているのだから。それでも、行かなくてはいけない。この病院の惨状を伝えないといけないし何より心細かった。

 

「兄さんに、逢わなきゃ。」

 

自分の居る場所と向かう場所を地図でもう一度確かめる。

 

ロサラは小さく頷くと霧の支配する町へと足を踏み出した。

 

  

 

 

 

 


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