とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
この季節にしては珍しい残暑特有のべたつきを感じる。
今朝は思いのほか肌寒かったため少し厚着をしてきたというのに、昼近くになるとこれだ。
絹旗最愛はまとわりつくうっとおしい熱風に苛立ちながら眉を顰め、目的地へと歩を進める。
今彼女は第22学区に来ている、暗部組織に所属する絹旗が態々こんな学区まで来ることには理由があった。
「あ、きぬはた」
「……滝壺さん。早かったんですね」
「うん、ちょっとでも遅れるとむぎのが煩いもん」
「まぁ、それもそうです」
彼女に声をかけてきたのは同じ暗部組織に所属する滝壺理后、彼女はレベル4の大能力者であり、アイテムの中核を担う重要なメンバーである。
滝壺は普段通りの長袖のジャージ姿であるが、絹旗と違って全く暑さに負けている表情はしていない。
いつもの無表情天然系少女を貫いている。
「でもまだそのむぎのが来てない」
「まぁ、フレンダも超来てないですけど」
今日は彼女達が所属する暗部組織アイテムが一同集まり、とある場所へと大事なお話をしに行く予定である。
全員が集まる、というのはそれなりに大仕事か大事な要件の聴取だと考えられ、今回は後者だ。
絹旗と滝壺が集合場所に到着してから10分程経過し、さてそろそろリーダーさんのお出ましだと考えていた矢先に携帯が鳴った。
「あ、麦野から電話です」
「うん」
このタイミングで電話、ということは十中八九仕事に関することで、さらに今回自分は来れなくなったから仕事を丸投げするお願いの可能性が高い。
「もしもし」
「あ、絹旗?悪いけど今回の訪問、アンタと滝壺で行ってくれない?」
「やっぱりそういう感じですか」
「私とフレンダはちょっと仕事入ってね、さっくりとスクールのおバカを一人処分してくるわ」
「またスクール関連ですか」
「まぁね。そろそろあの馬鹿に私たちに歯向かったらどうなるか教えてやらないといけないし。んじゃ」
「は、超了解です」
そういって絹旗は電源ボタンを押し通話を切った。
また、スクール。
ここ最近麦野の口からは当然だが、仕事にもスクール絡みのことが本当に多くなってきた。
先日七惟と滝壺の三人でスナイパーと戦闘を行った件はもちろん、他にも小さないざこざを数え始めたらゆうに10は超えている。
この件で自分のように難しいことを考えているのはもちろん誰もいない、麦野はスクールの頭を潰したくてしょうがないみたいだし、フレンダはいつものように能力者を甚振ることが楽しくて仕方がない。
滝壺なんて何にも考えていないんじゃないか?と思える程だ。
このままいけば、雪だるま方式で事は大きくなっていって何時かはスクールの頭……あの男と正面から激突することになるだろう。
そうなれば、きっとアイテムは……。
「きぬはた」
「あ、はい。電話の要件ですよね」
「うん」
そんな絹旗の心配など全く知らない滝壺は普段通りの表情で尋ねる。
「どうやら麦野たちは来ないみたいなんで、私たちだけで話をしてこいだそうです。相変わらず超適当ですよ麦野のやることは」
「でもそれにもう慣れちゃったし」
「まぁ、仕方がないからやるしかないんですけどね」
「うん、早く中に入ろうよ。なーないが待ってる」
そう、七惟が待っている。
今回彼女達アイテムが第22学区にやってきたのは、現在協力関係にあたる『メンバー』との今後の方針確認やブツの受け渡しをするためだ。
わざわざ彼らのアジトがある第22学区までやってきたのは、彼らが生活している居住区が携帯の電波すら通さない空間にあるからだ。
でなければ、こんなところにわざわざ来るわけがない。
「じゃあ、超行きましょう」
二人は目の前に聳えたつ高層ビルの入口へと向かう。
目的地はこの高層ビルの頂上ではなくその反対、一番下の奥深くの場所。
核ミサイルの攻撃にだって耐えられるシェルターだ。
絹旗と滝壺はメンバーの地下シェルターまでやってきた。
そこで出迎えたのは、メンバーの古株であり情報戦略の要でもある男なのだが……。
「……おい、レベル5の奴はどうした?」
「さぁ?何も聞いてませんよ、とりあえず私と滝壺さんでこの仕事に当たれって電話があったくらいです」
「バカ言うんじゃねぇよ絹旗最愛。お前らの情報は同盟組んでる俺らには筒抜けなんだ、スクールの連中と何かしてるってのはわかってんだよ」
「あ、そうなんですか」
「そういうスクールの連中とのゴタゴタはてめぇら下っ端が対処して、ここは頭の原子崩しが来るべきだろーが!」
「そんなことで私に怒鳴られても困りますよ。ていうか貴方誰ですか?七惟、この人雑用の人なのになんで超出張ってるんですかね?」
「この糞ガキが!」
今絹旗と言い争いをしているのは馬場という男である。
絹旗は当然馬場という男が『メンバー』の情報収集係であり、中核をなす人員だということは理解している。
だが、こんな地下深くの穴倉のようなシェルターにまで態々来たというのに彼女が気に食わないことが立て続けに起こってしまい、非常にご立腹なのだ。
「絹旗、馬場も大概にしろこのアホンダラ。それに馬場、ここに来る途中で俺がほとんど喋ったからもうお前が喋ることは何もねぇから黙っとけ。てめぇが口を開くと事態が余計ややこしくなるだろが」
絹旗の振りに答えた少年の名前は七惟理無、メンバーの構成員でありこの組織の最高戦力、そして現在アイテムにも臨時構成員として在籍している。
「お前喧嘩売ってんのかオールレンジ!」
「知るか。お前もだ絹旗、これ以上あんまり面倒事起こすな」
「別に私はそんなつもりは超ありません、あっちが喧嘩を吹っかけてきてるだけです。滝壺さんも何か言ってください」
このメンバーのアジトにやってきたのはアイテムからは絹旗ともう一人滝壺理后という名の少女である。
普段は無口で天然オーラを周囲にまき散らしている彼女だが、当然今回も平常運転中だ。
「別に私はなーないの話しか聞いてないから、あの人の声はぜんぜん聞いてない」
「なんだと!」
彼女の天然の力が成せる業なのか、滝壺は絹旗以上に酷い一言を平然と言ってのけると、それを聞いた七惟が頭が痛いとばかりに眉間に皺を寄せた。
「とりあえず、だ。博士の奴が来るまで滝壺と絹旗はソファーに座ってろ」
「おいオールレンジ!俺の話はまだ終わってねぇ!」
馬場が一回り近い少女にコケにされたことが相当頭に来たらしく、その怒りは一向に収まることがない。
その血走った眼は絶えず絹旗をにらみつけているが、見た目メタボの無能力者から怒鳴り散らかされたところで全く怖くない。
眼をぎらつかせて凄みを増す馬場を見て下らなそうにため息をついた絹旗に、遂に馬場の口からあの言葉が。
「この小学生に少しは世の中って奴をだな!」
『小学生』。
そのワードは、当然彼女にとってはNGワードであり導火線に火をつけるには十分過ぎるものだった。
「超わかりました、そんなに貴方がぼこぼこにされたいと言うのなら超仕方ありません。私が望み通り貴方を超ぎったんぎったんのボコに超してあげましょう」
超のつけ方が通常の3倍くらいになった。
絹旗は立ち上がり窒素装甲を展開する、それを見た七惟はもはや止めることを諦めたのか、それとも面倒なので無視を決め込んだのか分からないが頭が垂れる。
さて七惟も邪魔をしないなら拳の一発でも叩き込んでやろうかと絹旗が意気込んだその瞬間、思わぬ邪魔が入った。
「博士が来ます、皆さん席についてください」
「博士が?……ち、しょうがねぇ」
「…………わかりました」
二人の間に割って入ってきたのは、絹旗最愛のイライラの原因となった少女。
今日このアジトの地上入口で七惟とあったその瞬間から七惟の隣に居て、ずっと引っ付いて離れない奴。
話しかけようとしたら何か言い出す、話していたら間に割って会話をぶった切る、近くに立とうとしたらそれを阻むように立ち位置を変える。
こっちとしては仲直りをしてから久しぶりに七惟と会えたのだ、もっといっぱい喋りたいことだってあったというのに…………!
まるでお邪魔のプロだ、絹旗が沸点が低い人間だったらとっくに殴り倒していてもおかしくない。
だいだいなんなんだこの女は、元からメンバーに居たのか?
いや、メンバーと同盟を結んだ時にはメンバーの構成員のリストをもらったが、この女の姿形なんて何処にもなかったし、名前だって載っていなかった。
おそらくメンバーに加わったのはつい最近で当然七惟との付き合いだって自分のほうが遥かに長いはず。
それなのにこの女はずっと七惟に引っ付いて、こっちに話す機会を与えようとしない。
それどころか七惟に必要以上に体を寄せたり、媚を売るようにすがったりするその姿が余計に絹旗の神経を刺激した。
以前は女子と喋っている七惟を見ても何も感じることはなかったのが、どうしたことか今日は今までに感じたことがない感覚に襲われている。
「オールレンジ、席についてください」
「…………あぁ」
そういって間髪入れずに七惟の横に女は座る。
自分の額に血管が浮かび上がるのを感じながら、絹旗は必死に作り笑いを浮かべてこういった。
「七惟、その女は誰ですか?こないだ貰ったリストにはそんな奴は超居ませんでしたけど。作戦の邪魔になったり、戦力外になるようだったら省いてくれると助かるんですが」
ふふ、と眼が笑っていない表情を浮かべて、副音声で『お前は邪魔だから消えろ』としっかり伝える。
「私が矢面に立つことはないです、基本的にメンバーのサポートをするのが私の仕事ですから」
「そうですか、私は貴方にじゃなくて、七惟に超聞いてるんです」
いいから早くどこかに行け、と今度こそ口に出してやろうか。
「それはすみません」
「…………」
絹旗が睨み付けるとふいっと少女は視線を逸らし、体と眼はすぐさま七惟のほうへと向かう。
その動き一つ一つに自分のフラストレーションが溜まっていくのを自覚し、一発くらい殴ってやろうかと思った矢先だった。
「これは待たせたね、オールレンジに馬場……あぁ、君も居たのか。そしてアイテムの諸君、集まってくれて礼を言おう」
今回の主賓ともいえる男が姿を現した。
「博士、遅いですよ」
「あぁ、すまない。ちょっと分析が上手くいかなくて手詰まりだったのだ」
見た目は老人だが、その風貌からは如何にも研究者である、というオーラが体中から感じられた。
昔自分を実験台に使っていた人間とその老人が重なって見えて絹旗は無意識の内に体が硬くなる。
「ふむ、やはり原子崩しは来ないか。それに比べてうちのレベル5は優秀だな、こんな無意味な会議にも顔を出してくれるのだから」
「無意味だったら俺は帰るぞゴミ野郎。こんなアリの巣みてぇな所に長くいられるか」
「ふ、まあそんなに邪見に扱うことはない。ひとまずこれで私たちが同盟関係であるという証拠は作れたしな、あと原子崩しへこれを渡してくれ」
そういって博士は懐からメモリースティックを取り出すと、絹旗の目の前で差し出す。
訝しげな視線を向けるも相手はポーカーフェイスだ、どうやら決定権はこちらにないらしく黙って絹旗はそれを受け取った。
「おそらく彼女が望む情報がこれに入っているだろう、有効に使ってくれ。もちろんオールレンジも利用してくれて構わない」
「俺の決定権はてめぇに委譲した覚えはねぇぞコラ」
「そうか、それは失礼した。それでは私は分析を続ける、後は適当に解散してくれ」
「…………」
用は済んだ、と博士は踵を返して元来た暗がりの道へと歩を進めていく。
メンバーの頭、博士から貰ったメモリースティック。
いったいこのスティックの中にどんな情報が入っているのだろうか。
「きぬはた、それをむぎのに渡すの?」
自分の考えに気付いたのか、今までずっと黙り込んでいた滝壺が問いかけてくる。
滝壺がどう考えているかは分からないが、少なくともこのスティックに関してはスクールの情報が入っていると考えていいだろう。
「いい気分はしませんけど、そうするしかないでしょう?」
初めてメンバーの頭とコンタクトを取った時から、絹旗はどうもアイテムの舵取りをあの男に操られているような気がしてならない。
メンバーからは有益な情報をもらっているのは確かだ、そして麦野自身がそれを喜んでいるし、その情報のおかげで先手先手を取って目的を潰しているのも間違いない。
だが、ここまでこのスティックのおかげでトントン拍子に物事が進んでいってしまって、違和感を感じてしまう。
そう、まるでアイテムがメンバーのマリオネットのようになってしまったのような…………。
「おい、アイテムのガキ。用事が終わったんならさっさと帰れ」
「貴方は余程私に殴られたいみたいですね、覚悟は超いいですか?」
「絹旗、馬場も大概にしろ」
まだ絹旗からコケにされたことを根に持っているのか相変わらず馬場はアイテムの二人に挑発を続けるも、それに反応した絹旗を七惟が止める。
「七惟、大人の私にだって我慢の限界ってやつがあるんですよ、このメタボにはそれを超思い知らせてやる必要があると思います、そうでしょう滝壺さん」
「私はすぐに此処を出たいから、きぬはた帰ろうよ」
「…………わかりました」
何処までもマイペースな滝壺は馬場からあんなことを言われてもどこ吹く風、と言ったところか。
相変わらずの無表情天然系の少女は視線を七惟に向けたまま続ける。
振り上げた拳の降ろし先が無くなってしまった絹旗はただ力なく、はいと言うしかない。
「なーない、地上まで一緒に行こう。私たちだけだと途中で迷っちゃうから」
「あぁ、最初からそのつもりだ」
「ありがとうなーない…………」
「それならば私が行きます、雑務は私の仕事です」
滝壺と七惟との間で上手く話が纏まりかけたところで割って入ってきた奴はやはりあの女である。
また邪魔するか、とばかりに先ほど降ろした拳を再度握り直そうとしていたところで七惟が先に答えた。
「別に問題ねぇよ、俺もすぐに出る予定だったからな、お前は大人しく此処で雑用やってろ」
「いぇ、それならばせめて私もご一緒します。オールレンジにそんなことをさせる訳にはいきませんから」
お前なんて超要らない、と言いそうになった言葉を何とか飲み込む。
この女どうやら意地でも自分たちを七惟と一緒に行動させたくないようだ、幾ら自分が異論を唱ええようと無駄である。
どうして此奴がこんなに七惟と行動したいのかその理由はわかりたくもないし知りたくもないが、どうせ下らないことだろう。
ムカムカする衝動を抑えつけながら、それでも体は全体を苛立ちで震わせながら絹旗は静かに頷いた。