とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
眼下には衝撃で揺れる足場、背後から迫りくる垣根提督、好機を狙い、身を潜めているかもしれないクレーン女、何処から襲ってくるか分からないスクールの下位組織の連中。
時間にはほんの少しの猶予すらなさそうに思えるそんな切羽詰まった状況で、滝壺と絹旗は重傷の七惟を連れていって欲しいと訴えており断われるような雰囲気ではない。
現実的には有り得ないその選択肢が、更なる重荷になって浜面の身体にのしかかる。
いったいどうしてこの男が此処まで好かれているのか浜面には理解出来ない。
滝壺はまぁ、先ほど自分を気遣ってくれたのを見るにまだ何とか理解出来るかもしれないが、絹旗に関しては余程のことが無い限り相手を思いやることなんてないはずだ、それを実行させるどころかこんな緊急事態の時にすら情を持たせるとは。
「……絹旗」
此処に来てついに七惟が声を上げた、蝋燭のように今にも消え入りそうな声だったが、それでもその場の三人の耳に届くには十分過ぎる程、全員の感覚は研ぎ澄まされていたのだ。
「まだ死んだわけじゃねぇからな、俺も此処で残ってあのメルヘン野郎と戦う」
七惟の言葉に絹旗は呆れたように、リアルな一言を突きつける。
「何を言っているんですか七惟。今の貴方の状態じゃ、私にすら勝つことは出来ませんよ。はっきり言って此処に居られると超迷惑なんです、気を取られて隙を作ってしまうかもしれませんしね。なのでさっさと逃げる算段のことを考えてください」
それでも、と七惟は食い下がった。
「はッ……んなこと言われなくても分かってる。囮にでも盾にでも使いやがれ、そうすりゃ時間は稼げるだろが」
分からない。
滝壺や絹旗が七惟を助けたい、と思う理由なんて珍紛漢紛だが、それ以上に意味不明なのはこの男がどうしてそこまでするかだ。
確か七惟理無は他の組織から送られてきた『臨時』の構成員だったはずだ、それは自分でも言っていたし、例えアイテム側が全滅したとしても何ら困らないはずだ。
特別アイテムと仲が良かった訳でもないだろう、まだアイテムに七惟と浜面が加わって一カ月も経っていない。
もしかして滝壺を助けたいと思っているからか?自分を助けてくれた女を、殺されたくないからか?
それならばまだ分かるが、自分が囮や盾になったら意味がないだろう。
それは自分から死に行くようなものだ、せっかく滝壺に助けて貰った命だというのに此処で捨てるような奴なのか。
自分には到底真似出来ないような行為だが、それでも七惟の決断が良いのか悪いのかで言ったら、浜面にだって判断は出来る。
「はぁ……全く、超呆れますね貴方には。厨二病かと思ってましたが超が付く程の頑固者です」
「そうだろ、会った時から互いに呆れてばっかだったからなお前とは」
意外だった、あの七惟と絹旗がこんな表情で語り合うなんて。
二人の口数は少なかったが、この会話から二人が浜面が思っていたよりも長い付き合いであり、それなりの友情関係らしきものを構築していたのが分かった。
それはアイテムのような裏社会の『仲間』と呼ばれる関係ではなくて、表の社会……まぁ、スキルアウトの集団でも同じだったのだが、『友情』と呼ばれるものに表現すれば近いものだと思った。
「なーない、でも」
「悪いな」
滝壺の声に一言で応える七惟。
たった一言だったが、その言葉で七惟の伝えたいこと全てが分かったのか滝壺はもうそれ以上口を開くことは無かった。
七惟もそんな滝壺の頭にポンと手をやり、彼女の頭を撫でるだけで言葉はない。
この違和感は何だろう、彼は七惟理無で間違いないのだがまるで昨日の七惟とは別人だし、スキルアウトのリーダーを半殺しにしたあのレベル5や麦野とは全く違う。
こんなにも彼は、レベル5は……人を思う人間だったのだろうか?
こんなにも人間らしくて泥臭いレベル5なんて見たことがない。
そんな二人のやり取りをマジマジと見て、隣で無言で佇む絹旗がぽろりと言葉を漏らした。
「そんなに滝壺さんを守りたいんですか?」
このタイミングでそんなことを言うか……!?
それは絹旗らしからぬ言動だった、いや七惟に関しては先ほどから絹旗は的外れな言動ばかりなのだが。
今この切羽詰まった状態で、誰かを守りたいとかそんなことはどうでもいいはずだ。
如何にして逃げて、重要人物である滝壺を逃がすかが大事である。
戦略面で見ても滝壺を逃がす、守ることは一番重要な事項であると絹旗自身が言っていたというのに、何故この場でそれを再度問うのだろうか、時間の無駄では。
「……ちょっと、羨ましいですね」
今度こそ普段では絶対に言わないような言葉が絹旗のその小さな口から零れた。
年相応の少女のような、誰かを想うような声で言われた言葉。
何も言い返せないだろう、と思っていたが……。
やはり七惟は違った、自分が今まで見てきた能力者たちとは。
「何言ってんだこの馬鹿」
「え?」
「お前とも、一緒に居たいからに決まってんだろ」
「七惟……?」
七惟の声は、爆音が響くサロン内でも三人の頭の中にしっかりと認識され、それが意味を成す言葉として浸透していく。
「……嬉しいこと、言ってくれますね七惟」
絹旗は七惟を見つめて、少し頬を赤らめながらほっぺたをぽりぽりと掻いた。
表情はとても嬉しそうで、幸せそうで。
今まで見たことが無いような、可愛らしい子供の笑みを無邪気に浮かべた少女がそこには居た。
「……その言葉が聴ければ超十分ですよ」
絹旗はそれ以上七惟には何も言わずに、平静を取り戻して浜面に言う。
「浜面、七惟を連れてエレベーターへ。入口に七惟を置いて、そこからは滝壺さんと二人で逃走してください。こんな状態ですが七惟が本気を出せば、1、2分程は未元物質を止めることが出来るでしょう」
「お、おい……!」
浜面が抗議の声を上げる、それだったら此処で一緒に絹旗と七惟が未元物質に立ち向かったほうがまだ勝ち目があるのではないかと言いたいのだ。
だがそれは決定事項のようで、七惟も絹旗の思いを受け取ったのか、無言で頷いた。
浜面は気付かなかったが、これは絹旗が七惟に向けたメッセージだった。
本当は、戦わずして逃げて欲しいと彼女は思っていた。
あんな重傷で垣根と戦ったらどうなるかなんてわかりきっていることだ、下手をこけば命を落としてしまうことだって。
彼女は彼女なりの考えがもちろんある。
浜面が考えるように共闘すれば少しは勝率が上がるということくらい分かっているのだが、それは限りなく0%に近い勝率が1%あるかないかに変わるくらいかの違いしかない。
ならば個別に戦線を引いて戦ったほうがまだ時間稼ぎが出来る、正直戦う時間は変わらないかもしれないが口先で足止めする時間は間違いなく増える。
どちらにせよアイテムが消滅すれば絹旗自身の身も運命を共にする未来が見えている、必要なくなった暗部組織の構成員の将来なんて闇に食いつぶされる未来しか待っていないのだ。
ならば此処で滝壺を逃がすために最善の策を。
……死にたくなくても、アイテムが消滅したらそれこそ待っているのは『死んだ未来』だけなのだから。
七惟をこの戦いに巻き込んでしまったのはアイテムなのだ、アイテムが垣根に啖呵を切って此処までの事態を招いてしまった。
あの時自分が麦野にあんな馬鹿らしい提案をしなければこんなことにはならなかったし、七惟だって今頃第七学区の寮でバイクを洗車するくらい平凡だけれども幸せな日常を過ごせていたかもしれない。
彼女も滝壺同様、七惟にこんな重傷を負わせたことの責任を痛感していたのだった。
だが、それでも七惟は一緒に戦うと、こんなどうしようもない人間の自分と一緒に居てくれると言ってくれた。
ならば、七惟のその強い気持ちも尊重しなければならない。
その二つを両天秤にかけたら、やはり彼を助けたいと言う気持ちのほうが大きかったのだ、だからわざわざサロンの入り口で二人に別れろと言ったのだ。
あそこまで行けば七惟の能力を使って滝壺と浜面を何処かへ逃がすことが出来るし、本人も逃げる選択肢を選べるはずだ。
最後に戦うか、逃げるのかどちらを選ぶかは本人次第と言ったところだが……絹旗は、七惟が前者を選ぶということ分かっていた。
彼女自身は、後者を選んで欲しかった。
「それじゃあ浜面、二人を超頼みました」
「きぬはた、大丈夫?」
「超大丈夫です」
そう言って浜面が七惟を背負う、力の入っていない人間は思いのほか重く、傷ついた体細胞が悲鳴を上げる。
しかし浜面はもう何も言わない、この男がここまで言ったのならば、それに何か言うのは野暮というものだろうし、自分のようなクズにそんなことを言う資格も無い。
「超七惟」
「んだよ?」
最後に絹旗が七惟に声をかける。
まるで今生の別れのような雰囲気だけに、滝壺も浜面も声が出ない。
二人の間には自分や滝壺にはとても割り込めない、何かがある。
「また、バイクに乗せて貰ってもいいですか?」
「何度でも乗りゃあいい、お前軽いからな」
「……その時を、超楽しみにしてますよ」
その言葉を最後に、絹旗は浜面達に背を向けて反対方向へと走り出した。
浜面は無言で七惟を背負って走り出す。
この男が、どうして滝壺や絹旗に好かれているのかよくわかる気がする。
コイツは、この裏の世界では絶対に手に入れられないモノを持っていて、それをもって他者に接していた。
裏切りや殺しが当たり前のこの世界では、表の世界やスキルアウトの掟のようなモノは存在しないと思っていたし、それはあるだけ無駄なもので自身の寿命を縮めるモノだと浜面も認識していた。
生きるために、何だってするのがこの暗闇の果ての世界だと信じていた。
だが、七惟だけは違った。
七惟は表の世界の人間にではなく、裏の世界の人間に『絆』を持って接していた。
どんな奴でも、絶対に利益関係でしか結ばれないこの世界で、彼だけはそんなことはお構いなしに滝壺や絹旗と接していたのだ。
凄い奴だ、と思うと同時に、当初会った七惟から大きく変わったとも実感した。
「おい浜面」
「なんだよッ」
走る浜面に七惟が声をかける。
「お前にまだ直接雑用頼んだことねぇからな、全部終わったら覚悟しとけ」
「……そうだな!」
やはり、変わっていた。
自分も、彼女達と同じように思われていただなんて。
自分のような無能力者で地に落ちたゴミ人間は、まるでコンビニのビニール傘のように使い捨てで扱われると思っていた。
だが、学園都市で8番目に強い人間が、レベル5の人間が、自分とは月とすっぽん程に価値の違う人間が一緒に居たいと言ってくれるのならば。
まだ終わるわけにはいかない。
まだ終わってはいないのだ、自分の人生は。
何時も御清覧頂きありがとうございます。
スズメバチです。
おそらく2015年最後の更新です、今年もご愛読頂きましてありがとうございました!
今年の目標は暗部編を終わらせることだったんですが全然でした……悔しい。
今度は3月末までに暗部編を終わらせるよう頑張ります。
凄いターボかけないと厳しいのでお正月休みを活用したいと思います!
それでは皆様、良いお年を。