ロクでなし魔術講師と記憶喪失の少女 作:たこやき
「遅い!」
魔術学院東館校舎二階の最奥、魔術学士二年次生二組の教室。正面の黒板と教壇を、木製の長机が半円状に取り囲む構造の座席、その最前列の席に腰かけるシスティーナさんは苛立ちを隠すことなくはき捨てる。
「どういうことなのよ!もうとっくに授業開始時間過ぎてるじゃない!?」
「確かにちょっと変だよね……」
その右隣に座っているのがルミアさんでシスティーナさんの左隣に座っているのが私だ。
「グレンさん……急用って言ってたけど、さすがにこれはまずいですよ……」
時間を過ぎても、一向に現れない教師に対し、システィーナさんを筆頭に苛立ちを感じている生徒が多い。
「あのアルフォネア教授が推す人だから少しは期待してみれば……これはダメそうね」
「そ、そんな、評価するのはまだ早いんじゃないかな?何か理由があって遅れているだけなのかもしれないし……」
「そうですよ。何かしらのトラブルがあったから遅れているかもしれないですし」
遅れている教師を擁護している私とルミアさんに対し、システィーナさんは私たちに振り返ると、反論をする。
「甘いわよ、ルミア、ステラさん。いい?どんな理由があったって、遅刻をするのは本人の意識の低い証拠よ。本当に優秀な人物なら遅刻なんて絶対ありえないんだから」
「そうなのかな……?」
「確かに遅刻はまずいですよね……」
「まったく、この学院の講師として就任初日からこんな大遅刻だなんて良い度胸だわ。これは生徒を代表して一言言ってあげないといけないわね……」
本来なら、私は転入の挨拶をしなければならないのだが、グレンさんが来てから言おうと思っていた矢先、その本人が来ないので、まだ挨拶が出来ていないので、周囲のクラスメイトたちから、誰こいつ?という視線を向けられているので、すごい居心地が悪い……
「あー、悪ぃ悪ぃ、遅れたわー」
私の心配をよそにけだるい声をと共にグレンさんが教室に入ってきた。
「やっと来たわね!ちょっと貴方、一体どういうこと!?貴方にはこの学園の講師としての自覚は―」
システィーナさんは何かを言おうとしたが、グレンさんの姿を見て硬直した。
「あ、あああぁぁぁぁ!貴方は!?」
「………違います。人違いです」
「人違いな訳ないでしょ!?貴方みたいな男がそう居てたまるものですか!」
「人を指さしちゃいけませんってご両親に習わなかったのかい?」
その理論でいくと私は普段からグレンさんに指を指されているんですが……
「ていうか、貴方、なんでこんなに派手に遅刻してるの!?あの状況から、どうやったら遅刻できるっていうの!?」
「そんなの……遅刻だと思って切羽詰まってた矢先、時間にはまだ余裕があることがわかってほっとして、ちょっと公園で休んでいたら本格的な居眠りになったからに決まっているだろう?」
「なんか想像以上に、ダメな理由だった!?」
急用って公園で休んでいたんですね……なんとなく想像が出来ていた自分が少し情けない。
「えー、グレン=レーダスです。本日から一ヶ月間、生徒諸君の勉学の手助けをさせて頂くつもりです。短い間ですが、これから一所懸命頑張っていきます。おーい。ステラ」
「は、はい!」
私はグレンさんに名前を呼ばれたことで立ち上がった。
「お前、こいつらに挨拶はしたの?」
「えっと……まだです。グレンさんがきてからしたほうがいいと思って」
「それならこっちこい。これから一緒にすごす級友にちゃんと挨拶しとけ」
「はい」
私は教壇のほうに歩いていく。私の姿を見て、クラスメイトたちが騒ぎ始める。
「ステラ=フィールドです。今日からこのクラスに転入しました。わからないことが多いので、いろいろと教えていただけるとすごく助かります。これからよろしくお願いします!」
私は自分の自己紹介と共に頭を下げる。
「それじゃあ、ステラに関して何か質問はあるか?」
「ステラさんには後で個人的に聞くので、今はいいです。それより授業を始めてください」
「おいおい。せっかくの転入生だぜ。ひとつやふたつくらいあるだろ?」
「グレンさん……そろそろ授業を始めたほうが」
システィーナさんの怒りが頂点に達しているから、私は自分のことよりも授業を始めたほうがいいと進言した。
「あー、まぁ、そりゃそうだな……かったるいけど始めるか……仕事だしな……」
私は自分の席に戻った。
「よし、早速始めるぞ……一限目は魔術基礎理論IIだったな……あふ」
あくびをかみ殺してグレンさんがチョークを手に取り、黒板の前に立つ。
私を含めて、皆が注目している中、グレンさんは黒板にある文字をかいた。
「自習」
黒板に大きく書かれたその文字を見ると、私たちは沈黙するしかなかった。
「え?じ、じしゅ………じしゅう?え?え?」
システィーナさんだけでなく、ここにいる全員がその文字に目を疑った。
「一限目は自習にしま~す。……眠いから」
クラスが沈黙する中、グレンさんは机に突っ伏すと、すぐに寝息を立て始める。
「ちょおっと待てぇえええええええええ!!」
「システィーナさん!気持ちはわかるので、落ち着いてください!教科書を投げるのはやめましょう!」
私は腕にしがみつく形でシスティーナさんの暴挙を止める。
「離しなさい!ステラさんはあんな態度を見せられて、何も思わないの!?」
「システィーナさんの怒りはわかりますし、私も思うところはあります!今日はあんなですけど、ほんとはすごい人なので!」
「すごい人?」
「はい……もう少しだけ信じてあげてくれませんか?」
私が懇願するように言うと、システィーナさんは怒りを抑えてくれた。
グレンさんの行う授業はあまりよくないものだった。とにかく、聞いていて授業の内容が理解できない。そもそも説明になっていない。
だらだらと間延びした声で要領の得ない魔術理論の講釈を読み上げ、時々思い出したかのように黒板に判読不能な汚い文字を書いていく。
生徒達は授業の内容を何一つ理解できなかったが、このグレンとかいう非常勤講師が恐ろしくやる気がないことだけは理解できた。
「これでこの先大丈夫なのかな……」
クラスの空気が余りよくないことを察した私はこれからのことを不安に思った。
そんな中、一人の生徒がグレンさんに質問をしようと手を上げた。
「あの……先生……質問があるんですけど……」
「なんだ?言ってみな」
「えっと……この五十六ページ三行目のルーン語の一例なんですが、共通語訳がわからなくて………」
グレンさんは言われた場所のページを開き、内容を読む。そして、何かを悟ったように笑った。
「悪い、俺もわからん」
「え?」
「すまんな。自分で調べてくれ。それかステラに聞いてくれ。あいつ、こういうのは詳しいから」
グレンさんの返しに質問した生徒は呆然と立ち尽くしている。
確かに私はそういう勉強もしたから、詳しいけどさ……
「ちょっと待ってください!」
流石にこの対応に関してシスティーナさんは怒り心頭だった。
「生徒の質問に対してその対応、講師としていかがなものかと」
「だーかーらー、俺もわからんって言ってるだろ?わからないのにどうやって教えりゃいいんだよ?それにステラならわかるかもしれな言っていってるだろ」
とりあえず、私を巻き込むのはやめてほしいのだが……
「答えられないのなら、後日調べて次回の授業で改めて答えてあげるのが講師としての勤めだと思うのですが?それにステラさんにだってわからないことはあるかもだし……」
「だったら、自分で調べた方が早くね?てか、そもそも分からないからってすぐ人に聞くなよな。まずは自分で調べて、それでも分からなかったら聞くもんだ。ステラはわからないところは人に聞かずに全部自分で調べてたぞ」
私の場合は単に教えてくれる人が近くにいないことが多かったから、わからないところは自分で調べるしかなかった。
「そういう問題じゃありません!私が言いたいのは―――」
「あ、ひょっとしてお前ら辞書の引き方知らねーの?」
「辞書の引き方ぐらい知ってます!もう結構です!」
やる気を出さないグレンさんに対し、システィーナさんは怒りを抑えるように席に座る。
クラスの空気は険悪なものに変わり、グレンさんに対する評価はかなり下のほうにあり、グレンさんの最初の授業は最悪な形で終わった。