ロクでなし魔術講師と記憶喪失の少女 作:たこやき
アルザーノ帝国魔術学院。アルザーノ帝国の人間でその名を知らぬ者はいないだろう。
今からおよそ四百年前、時の女王アリシア三世の提唱によって巨額の国費を投じられて設立された国営の魔術師育成専門学校だ。
今日、大陸でアルザーノ帝国が魔導大国としてその名を轟かせる基盤を作った学校であり、常に時代の最先端の魔術を学べる最高峰の学び舎として近隣諸国にも名高い。
現在、帝国で高名な魔術師のほとんどがこの学院の卒業生である確固たる事実が存在し、それゆえに学院は帝国で魔術を志す全ての者達の憧れの聖地となっている。
その必定の流れとして、学院の生徒や講師達は自分が学院の輩であることを皆等しく誇りに思っており、その誇りを胸に日々魔術の研鑽に励んでいる。
彼ら、彼女たちに迷いはない。そのひたむきなる研鑽が、将来、帝国を支える礎になることを、自らに確固たる地位と栄光を約束してくれることを正しく理解しているからだ。
よって、この魔術学院において授業に遅刻する、サボるなどというその辺の日曜学校のような意識の低いことはまずめったに発生しない。
「うぉおおおお!? 遅刻、遅刻ぅううううッ!?」
早朝の町中にて、こんな風に全力疾走している男性を除いては……
「なんで起こしてくれなかったんだよ!ステラ」
「起こしましたよ!人が制服に着替えている間に二度寝したお馬鹿さんはどこのだれでしょうね!」
街中を全力疾走しているグレンさんの後方を私は走って追いかけている。
「すまん。俺だわ」
「ですよね!初日から遅刻するとか、伝説に残りそうです」
「お前だって、制服のことでさんざん文句を言ってたじゃないか!」
「だって、おへそが出ているんですよ!恥ずかしくて着れないです!」
「知るか!それをデサインしたやつに言え!」
私たちはそんなやりとりをしながら、学園までの道のりを走って向かっている。
私たちが走っていると、影のほうから、二人の学生がこちらの方向に歩いているのが見えた。
「グレンさん!人がいますからとまってください!」
「な、何ィいいッ!?ちょ、そこ退けガキ共ぉおお——ッ!」
私は後を追いながら、必死に叫ぶが、動物が急に止まれないように人間も同じでグレンさんは彼女たちのほうにむかっていく。
「お、《大いなる風よ》ー!」
左側にいた学生ががとっさに一節詠唱で、黒魔【ゲイル・ブロウ】の呪文を唱えた。瞬時にその手から巻き起こる猛烈な突風がグレンさんの体を上空にあげていく。
「あれ——ッ!?俺、空飛んでるよ——ッ!?」
グレンさんは天高く空を舞い——放物線を描いて——通りの向こうにあった円形の噴水池の中へと落ちた。
「だ、だいじょうぶですか?」
グレンさんよりも先に、彼女たちに私は声をかけた。
「う、うん……私たちは」
「少しやりすぎたかな……」
噴水にいるグレンさんに視線を向けると、グレンさんは無言で噴水から出てきた。
「ふっ、大丈夫かい? お嬢さん達」
「いや、貴方が大丈夫?」
なんでさわやかな笑顔で言うんですか……
「あはは、道を急に飛び出したら危ないから気をつけた方がいいよ?」
「いや……急に飛び出して来たのは貴方だったような……」
「そうですよ……もしかしたら相手にけがを負わしていたかもしれません。本当にごめんなさい!」
私は彼女たちに頭を下げる。
「ううん。わたしたちこそごめんなさい。いきなり魔術を撃っちゃって……もしかしたらこのくらいじゃすまなかったかもだし……」
「本当にすみませんでした。どうかご無礼をお許し下さい」
私が頭を下げると、二人の学生もそれぞれに謝罪する。
「まぁ、仕方ないな!俺はちっとも悪くなくて、お前らが一方的に悪かったのは明確だけど、そこまで言うなら超特別に許してやる……ん?」
グレンさんは金髪の学生のほうに近づいていく。
頬をむにーっと引っ張り、細い肩と腰をなで回し、前髪をつまみ上げ、目をのぞきこむ。ここに警官がいたとしたら、一発で不審者として逮捕されるようなことをしている。
「あ、あの……私の顔に何かついていますか?」
「いや……お前、どこかで」
「グレンさん……」
「おい。そんな犯罪者を見るような目で俺を見るな。ステラ」
私以外でもそう思うのが常識だと思うのだが……
「アンタ、何やっとるかぁああああ——ッ!?」
銀髪の髪をした学生の回し蹴りがグレンさんの延髄を見事に捉え、グレンさんを吹き飛ばした。
「ギャァアアア——ッ!?」
情けない悲鳴を上げてグレンさんは地面を転がっていく。
「不注意でぶつかってくるのはまだいいとして、何よ今のは!?女の子の身体に無遠慮に触るなんて信じられないッ!最ッ低!」
「ちょっと待て、落ち着け!?俺はただ、学者の端くれとして、純然たる好奇心と探究心でだな!?」
「……そうですね。いつも平気で私の着替えをのぞいてきますもんね」
「ステラさんっ!?ここで爆弾を落とす発言はやめてほしいな!?」
グレンさんが少しあれなのは知っていたけど、まさかここまでとは思わなかった。
「ルミア、警備官の詰め所に連絡。この男を突き出すわよ。やっぱりただの変態だわ」
「え!?ちょ、勘弁してください!仕事の初日からそんなんなったらセリカに殺される!マジごめんなさい!許してください!調子乗ってすんませんでしたッ!」
年下だと思う人たちにこんなことで土下座をする大人を私は見たことがない……
「本当にごめんなさい!悪い人ではないので、今回は見逃してください」
私は彼女たちに対し、もう一度深々と頭を下げる。
「あの……反省はしているみたいだし許してあげようよ」
「はぁ?本気?貴女って本当に甘いわね、ルミア……」
「ありがとうございます!このご恩は一生忘れません!ありがとうございます!」
グレンさんは私の横で気丈に振舞う。
「って……時間!グレンさん!時間!」
「そうだった!こんなことしてる暇はない!急がないと遅刻する!」
私は時計を取り出すと、現在の時刻は9時を回っていた。
「……遅刻?ですか?」
「嘘よ、そんなの。まだ余裕で間に合う時間帯じゃない?」
「んなわけねーだろ!もう、九時じゃねーか!」
私たちは時計を取り出すと、現在の時刻を見せた。
「その時計、ひょっとして針が進んでませんか?ほら」
金髪の女の子は同じように時計を取り出すと、私たちに見せる。時計の針が指すのは八時だ。
「…………」
しばらくの間、不思議な沈黙が両者を包み込む。
「ステラ。俺は用事を思い出した。先に行っててくれ」
「え……どこに行くんですか!?」
「急用だ」
グレンさんはそう言ってその場を去っていった。
「逃げたわね……」
「あはは……ごめんなさい」
私は目の前の二人に謝りつつ、苦笑を浮かべる。
「その制服、あなたもアルザーノ帝国魔術学院の生徒だよね?」
「はい。今日から転入の予定です」
「名前を聞いてもいいかしら?」
「ステラ=フィールドです。学年は二年二組です」
「それじゃあ、私たちと同じクラスだね」
「そうなんですか?」
「ええ。これからよろしくね。私はシスティーナ=フィーベルよ」
「私はルミア=ティンジェル。よろしくね。ステラさん」
「よろしくお願いします。二人とも」
こうして私はこれから学園生活を送っていくにあたって、初めての友達と呼べる人物たちとの出会いを果たすのだった。