「雲一つ無い青空というのは、こういう事かのう、勇者よ?」
魔王を倒して、一夜明けた今日。
俺は、玉座の間でオッサンと対面していた。
「空が闇に覆われたときは、この世の終わりかと思ったものじゃ」
ここにいるのは、俺一人。
シアちゃんと姫は衣装合わせに行くと言って、姿を消した。
あれほど嫌がっていたシアちゃんが率先して行くなんて、きっと逃げたに違いない。
「おぬしも見よ、この爽やかな青空を。失いかけて、初めてありがたみがわかった」
上を見上げると、オッサンの言うとおり、爽やかな青空がどこまでも続いている。
そして、暖かな陽の光が差し込んでくる。
「これこそが、勇者の成した功績と言っても差し支えないだろう」
俺もさすがに、これ以上は耐えられそうも無い。
だから、一言だけ言わせて欲しい。
「頼むから、言いたい事があるなら素直に言ってくれ」
天井に開いた大きな穴を見ながら、俺は、オッサンに懇願した。
天地を繋いだ光の剣は、空を覆った闇を切り裂き、魔王をも切り裂いた。
だが、それで終わりではなかった。
天をも切り裂いた剣は、海を越え、向こう岸まで到達し、城をも一刀両断したのだ。
さらに、城下街にも一部損害があった。
事前の避難勧告で、死傷者こそ出なかったのが不幸中の幸いか。
さんざん皮肉を言われた俺は、さすがに意気消沈して玉座の間を後にし、街に出る。
街の喧騒が、どこか懐かしい。
人々の顔には笑顔があふれ、あちこちで子どもの遊ぶ姿が見える。
……正直、魔王を倒す前と何一つ変わってないんだが。
まあ、魔王が具体的に何かを起こそうとする前に倒したせいでもある。
やった事といえば、昼を夜に変えたことくらいか。
派手ではあるが、恐ろしいほど効果が地味だ。
実際に戦った俺達が死にそうな目に合ってるわりに、人々の評価が芳しくない理由はそこにある。
派手といえば、俺が最後に使った呪文だろう。
天地を貫く巨大な光の剣と、それがもたらした災厄。
こちらの方がインパクトが強かったらしい。
そのせいで人々の間には、勇者を排斥する動きもあるそうだが、いかんせん、俺=勇者という認識が広まってない。
おかげで、こうして普通に街中を歩けるわけだ。
……改めて考えてみると、無性に悲しくなる。
もう考えるのはよそう。
「きゃーー! 誰か、助けて!」
突然の悲鳴。
駆けつけた俺の目の前には、全身鎧の男がいた。
しかも、若い女性に絡んでいる。
「そこの道行く娘。我が花嫁になる気は無いか? 今ならコレがついてくるぞ」
どこかから取り出したメイド服を女性に見せながら絡む男に、俺は背後からそっと近付く。
そして、背中に両手をつき、呪文を唱えた。
「バシルーラ」
男は、地面を弾みながら吹っ飛んでいく。
被害が広がらないように、下向きに放ったせいでもある。
20歩ほどの距離を飛んだところで、地面にめり込んで止まる。
「さあ、今のうちに」
何故か顔を青褪めさせた女性をうながし、ここから離れさせる。
何事かと人々が集まってくる。
ここは、早めに離れたほうがいいだろう。
そう考えていると、野次馬から悲鳴が上がる。
男がおもむろに立ち上がったのだ。
……頭を小脇に抱えた状態で。
男は何事も無かったかのように、頭を元に戻し、駆け寄ってくる。
「貴様、突然何をする!?」
もの凄い勢いで走ってくるサイモンの姿に、俺はそっと溜息をついた。
「何をやってるんだ、お前は?」
俺の当然の疑問に、サイモンは胸を張って答える。
「見てわからんか? ナンパだ」
どこがだ。
大体、なんで普通に街中を闊歩してやがる。
「どうして、ここにいるんだ?」
「若様の護衛だ」
「で、肝心の若様はどこにいる?」
「はぐれた」
「で、お前は何をやってるんだ?」
「ナンパだ」
どうやらコイツには、常識というものが無いようだ。
何しに来たのかはわからんが、リバストも放って置けない。
とりあえず、コイツはどうしたものか。
辺りを見回した俺は、ある事を思い付く。
「サイモン、一つだけ教えて欲しいんだが、お前、泳げるか?」
「いや、さすがの我も、鎧の重量ゆえに水に沈んでは起き上がることも出来ぬ」
やっぱりそうか。
「何故、そのような事を聞く?」
首をかしげるサイモンに両手をつける。
「……バシルーラ」
通りに沿って流れる川に、盛大な水しぶきが上がった。
リバストは思っていたよりも簡単に見つかった。
というか、向こうから声を掛けてきた。
「探したぞ、勇者」
探してたのは、俺の方だ。
「さっきサイモンに会ったから、来ているのは知っていたんだが、何しに来たんだ?」
「うむ。人間の王との間に友好条約でも結んでおこうと思ってな」
当然といえば、当然だな。
今なら竜王の軍勢も弱体化しているからな。
オッサンのことだ。
即時殲滅とか言い出しかねない。
一応、竜王の息子の力を借りたとは言っておいたんだが。
「それで、サイモンはどこだ?」
「川に沈めてきた」
「そうか。まあ、たまには良い薬になるだろう」
それでいいのか、次期竜王。
「……それで、どうして俺を探してたんだ?」
突っ込むのはやめた。面倒くさい。
「国王に会う前に、民間レベルで親交を深めておくのも良いだろう?」
あー、なるほど。
約束の年上のお姉さんに会わせろということか。
まったく、どいつもこいつも。
「……はあ、わかったよ。ついてこい」
足取り重く、呪文屋への道を辿った。
突然だが、俺は今、窮地に立たされている。
目の前には、怒りに燃えるお姉さんの姿。
「な、何て言うか、ご愁傷様です」
その言葉に、更に怒りのボルテージが上がっていく。
「たった15ゴールドで呪文を教えたお礼が、この仕打ち?」
指差す先には、飛んできた城の破片によって見事に全壊した呪文屋の姿。
ははは……、一部損害って、ここの事か。
「えーと、不可抗力?」
お姉さんが呪文を唱え始めると、右手に炎、左手に氷が凝集する。
そして、両手を合わせると、弓矢のように引き絞る。
初めて見る魔法だけど、間違いなくやばい。
俺の経験がそう語る。
「お姉さん、その魔法、危なくない?」
俺の質問に、にっこりと笑いながら答える。
「大丈夫。私は死なないわ」
それって、俺は死ぬって事?
勇者は逃げ出した。
しかし、回り込まれた。
「覚悟は良い?」
良いわけが無い。
ん? そういえば、リバストはどうした?
見回すと、呆気にとられたように硬直する姿が。
「ちょっと待った!」
俺の制止の声に、お姉さんは一旦動きを止める。
「なに?」
リバストを前面に押し出す。
「お姉さんと交際したいなんて言う、奇特な男を連れて来たんだけど、どう?」
「どういう意味だ、それは?」 「どういう意味かしら、それは?」
ふたりの声がハモる。
なんとなく、命の危険を感じる。
何か悪いことを言ったか、俺?
「バギクロス!」
リバストの唱えた風の呪文が、俺を天高く舞い上げる。
そして、お姉さんの引き絞る光の矢が解き放たれた。
「メドローア!」
空中で身動きの取れない俺を光の矢が穿つ。
薄れ行く意識の中で、ふたりが仲良く手を取り合うのが見えた。
「……幸せになれよ」
俺の言葉が風に消えていった。
「おお、勇者よ! 死んでしまうとは、情けない!」
オッサンの声で再び目覚める。
「魔王を倒した今、おぬしはいったい誰と戦っておるんじゃ?」
「……運命、かな?」
呆れかえるオッサンを残し、王城を後にする。
そういえば、シアちゃんと姫はどうしてるのだろうか?
王族御用達の衣装屋って、どこにあったっけ?
道行く人に尋ねながら、その店へと歩いた。
「こ、このような物を身に付けねばならんのか?」
扉をくぐると、そんな声が聞こえた。
「これが、大人の女のたしなみですわ」
ふたりで何かを選んでいるようだ。
奥へ進むと、色とりどりの小さな布が飾られた場所に辿りつく。
まあ、俗に言う『下着売り場』だ。
「何やってんだ、ふたりとも?」
声を掛けると、シアちゃんはビクッと身体を震わせてこちらを凝視し、姫は優雅に礼をする。
「勇者さま、良い所にいらっしゃいました」
「まさか、あるじに伺いを立てる気か?!」
何やらふたりで揉めている。
首をかしげていると、姫が2枚の布をこちらに広げてみせる。
「こちらの絹の物と、こちらの木綿の物と、どちらがアリシアさまにお似合いになると思います?」
大人っぽいデザインのシルクの下着と子どもっぽいデザインの木綿の下着。
俺は迷わず指をさす。
「こっちの木綿の奴」
「まあ、どうしてですか?」
そんなのは、当然だ。
「だって、シアちゃんだし」
「だそうですわ、アリシアさま」
シアちゃんは、真っ赤な顔をして、シルクの下着を手に取る。
「わらわは、コレに決めた!」
店員にソレを包んでもらっているシアちゃんを見ながら、首をかしげる。
「シアちゃん、どうしたんだろう?」
「女心というのは、男の方にはわからないものですわ」
姫は、そう言って笑っていた。
店を出ようとした時、ある物が目に留まった。
扉を開けた瞬間、風に舞った赤いリボンと青いリボン。
2本で10ゴールド。
決して高い物ではないが、今の俺には精一杯か。
懐を覗くと、ぴったり10ゴールド。
さっきの死亡が何気に痛い。
「店員さん、コレください」
店の外で待っているふたりの所に行って、寄って欲しい所があることを告げる。
突然、思い立ったのだ。
「どこに行くんじゃ?」
「ふたりに会って欲しい人が居るんだ」
それだけを言い、町外れへと歩く。
途中、シアちゃんにお金を借りて、花束を買い、目的地が墓であることを言う。
「来たよ、父さん、母さん」
目の前の小さな墓に花束を置き、今までの事を報告する。
勇者になってしまった事、魔王を倒した事。
そして、生涯を共に生きたいと思う女性に出逢った事。
「ふたりに言わなきゃいけないことがある」
俺は、両親の墓の前でふたりの女性と向かい合う。
「俺と結婚してくれないか、シアちゃん、姫…いや、ローラ」
双方とも、一瞬何を言われたのか理解していないようだったが、やがて変化が現れた。
「私、私、とても嬉しいです、勇者様……。この日が来るのをどんなに待ち望んだことか」
姫は、いや、ローラは満面の笑みを浮かべて、涙を流す。
一方のシアちゃんは、何かに耐えるように唇を噛み、そっぽを向く。
「……そっか。シアちゃんは、嫌なんだ……」
俺の呟きが聞こえたのか、シアちゃんが叫ぶ。
「嫌ではない! ただ、わらわは、おぬし達とは、生きる時間が違う」
言葉と同時に、押し殺していた涙が瞳から溢れ出る。
ローラとは違う、悲しみの涙だ。
俺は、そんな彼女を抱きしめる。
「シアちゃん、俺、前に誓ったよね。絶対に寂しい思いはさせない。生きている限り、ずっとそばにいるって」
腕の中で彼女がうなずく。
「あれ、少し変えようと思うんだ」
その言葉に顔を上げる少女。
「俺は、いや俺達は、シアちゃんに絶対に寂しい思いはさせない。たとえ死が俺達を別つとしても、俺達の絆は生き続けるんだ」
包みから、赤と青の2本のリボンを取り出す。
「本当は、指輪とかが良いんだろうけど、これが俺達の絆の証だ」
シアちゃんの髪を赤いリボンで結ぶ。
彼女の瞳から再び涙が溢れる。
「……約束したからの。絶対に破るでないぞ」
約束の印として、口づけを交わす。
シアちゃんを立たせ、ローラも同様に髪を青いリボンで結ぶ。
「父さん、母さん、紹介するよ。俺の妻達だ」
「初めまして、ローラと申します」
「む、その、なんだ。アリシアじゃ、その、まあ、それだけで良かろう?」
照れるシアちゃんの姿に、俺とローラは笑い、シアちゃんは怒る。
俺達は、ずっとこうして生き続けるのだろう。
ずっと、3人で。
たとえ死が俺達を別つとしても、俺達が生きた証はこの世界に生き続ける。
世界を魔王から救った、勇者の伝説として。