ロトの印。
伝承にのみ語られ、ロトの仲間の手によって歴史の闇に葬られた遺物。
これを見た人間が今もなお生き続けているとは考えにくい。
ならば何故、聖なるほこらの老人はロトの印を知っていたのだろう?
一つ、試してみるとしよう。
「おお! それはまさしくロトの印!」
勝った!
老人が、コレをロトの印だと認めた瞬間、俺はそう思った。
「そんなバカな……」
シアちゃんは言葉を失っている。
「アリシアさまの負けですわ」
姫がうなだれるシアちゃんに追い討ちをかける。
「さて、何をしてもらおうかな?」
うさみみバンドをつけてもらおうか、それとも……。
色々な想像が頭をよぎる。
「楽しそうですわね、勇者さま」
「もちろん!」
話を始めるタイミングを失って、口をパクパクさせる老人を置いてきぼりにしたまま、俺達の会話は続く。
「あの格好で旅をするのはどうですか?」
「あの格好って、ゆきうさぎ?」
それもいいなあ。
「シアちゃんは、どう…………、アレ?」
さっきまでそこに居たのに、どこに行ったんだ?
首をかしげていると、姫が袖を引っ張る。
「止めた方がよろしいのでは?」
指し示す方向には、老人の胸倉を掴んで前後に激しく揺らす、シアちゃんの姿。
「おぬしが! おぬしが、しっかりしておれば!」
「あが、あががががが……」
老人は、泡を吹いて失神している。
これ以上は、命に係わりそうだ。
「姫は、シアちゃんを!」
「ハイ!」
なんとか2人を引き離す。
シアちゃんは、姫が気絶させたようだ。
俺は、未だ意識の戻らない老人を見やる。
老人の手の中には、原因となった紙製のメダルがしっかりと握られている。
全ての発端は、昨日の夜へとさかのぼる。
「何をしておる?」
夕食を終え、明日に備えて眠るだけという時間。
俺は、かねてからの疑問を解消するため、工作にいそしんでいた。
「ロトの印を作ってるんだ」
紙を何枚も貼り合わせて、円形に切り取る。
そして、本物を見ながら、紋章を模写する。
出来上がった紙製のメダルは、大きさだけは本物と同じ。
しかし、明らかに子供の工作としか思えない代物だった。
案の定、シアちゃんは呆れている。
「ソレで、何をするつもりじゃ?」
「もちろん、聖なるほこらの老人に渡すんだけど?」
俺は、シアちゃんに語った。
老人もおそらく、伝承でしか知らないのではないだろうか?
ひょっとしたら、偽物でも騙し通せるかもしれない。
全てを話し終えた時、シアちゃんは大きなため息を吐いた。
「馬鹿じゃ、馬鹿じゃとは思うとったが、まさかここまでとは……」
「思い立ったら、即行動。それが俺の信念だ!」
そんな俺のセリフも、ただの開き直りにしか見えなかったらしい。
また、大きなため息を吐いた。
「まあ、どうなさいましたの?」
部屋に入ってきた姫に、一部始終を話す。
「試す価値はありますわ」
姫は、賛成派に回ってくれた。
シアちゃんだけが、そんな俺達に抗議する。
「そのような事に、何の意味がある!」
「俺が満足する!」
しかし、俺の答えに、シアちゃんは満足しない。
そんなシアちゃんに、姫が提案を持ち掛けた。
「では、賭けをしてみてはどうでしょう?」
俺達は、当然、だまされるに賭けた。
シアちゃんは、その反対。
負けた者は、勝った者の言う事を何でも一つ聞く。
ただ、それだけの事のはずだった。
意識を取り戻した老人に、事の顛末を洗いざらい白状した。
「確かに、ワシは本物を見たわけではない。ただ、その形状を知るまでに過ぎぬ。……じゃが、聞けば済む事ではないか? まったく、要らぬ恥をかいたわ」
俺は、ただひたすらに頭を下げるだけ。
そして老人に、太陽の石と雨雲の杖を手渡し、本物のロトの印を見せる。
シアちゃんは未だ意識を取り戻さず、姫はそんな彼女を背負っている状態だ。
老人は、そんな俺達を見て、深いため息を吐き、祭壇へと向かった。
「神よ! この聖なる祭壇に雨と太陽を捧げます」
太陽の石と雨雲の杖が光になり、やがて一つに溶け合った。
光がおさまった時、そこにはちいさな宝石があった。
「さあ、勇者よ! 祭壇に進み、虹のしずくを持っていくが良い!」
手に取ったそれは、ほのかに暖かく、不思議な色合いをしていた。
まさに、虹のしずくの名にふさわしい。
「ここには、もう用はあるまい。さあ、行くのじゃ。これは、記念にもらっておこう」
老人は、紙製のメダルを示し、笑って見せた。
俺は、老人にもう一度深く頭を下げると、その場を後にした。
「はあ、シアちゃんのおかげで、とんでもない目にあった」
「おぬしが、妙なことを思いつくからいかんのじゃ!」
意識を取り戻したシアちゃんは、早速俺にかみついてくる。
確かに、元々の原因は俺にあるけど、手を出したのはシアちゃんだよなあ。
そう思いながらシアちゃんを見ると、睨みつけてくる。
俺はため息を吐くと、こう切り出した。
「おわびに、シアちゃんの頼みを一つだけ聞くよ」
これが悪夢の始まりだった。
「あのさあ、シアちゃん。コレ、なに?」
「首輪と縄じゃ。見て判らぬのか?」
いや、それは判るんだけど。
「どうして、俺の首につけるのかな?」
「首に縄を付けておかんと、何をしでかすか判らぬからの」
湖畔の街へと戻った俺達は、早速シアちゃんに雑貨屋へと連れて行かれた。
そこで、コレを付けられたのだ。
言っておくが、ここは街中、しかも繁華街の中心部だ。
恥ずかしい事、この上ない。
「首に縄を付けるってのは、言葉のあやって奴で……」
「問答無用じゃ。わらわにも、この格好を強要するのじゃ。覚悟は出来ておろう?」
そう言って、今までに無い気迫で凄むシアちゃんの頭上には、2本の長い耳が揺れている。
例の賭けの結果だ。
服装はいつもと同じローブ姿だが、うさみみが可愛らしさを際立たせている。
一方、俺はというと、いつもの服装に首輪と縄。
しかも、縄の端はシアちゃんが握り、先導している。
姫は、いつもの格好でシアちゃんの隣りを颯爽と歩いている。
蒼い鎧を着込んだ凛々しい女性。
隣りには、うさみみを付けた少女。
そして、その少女に引っ張られる首輪付きの男。
明らかに怪しい組み合わせだった。
街の人間の視線が痛い。
老若男女を問わず、厳しい視線を投げかけて来る。
当然だ。俺も当事者でなければそうする。
やがて、奇妙な行進は終わりを告げ、今日泊まる宿が見えてくる。
やっとこれで解放される。
そう思ったのも束の間、目の前の扉から老婆が出てきた。
その姿には見覚えがある。以前に会った、自称予言者の婆さんだった。
「おお、久しぶりじゃな、勇者よ」
コラ、身元をばらすな。
案の定、それを聞いていたであろう周囲の人々から、失意と感嘆の声が聞こえてくる。
「ねえママ、あの人、勇者だって」 「ダメよ。あんなの見ちゃいけません!」
「さすが、勇者ともなると、やる事が違うねえ」 「確かにありゃあ、ある意味、勇者だな」
俺は地面に両手をついて突っ伏した。
そんな俺を見て、自称予言者はのたまった。
「ずばり、おぬしらは、女王様と犬じゃろう!」
「違うわ!」
俺は即刻抗議した。
しかし、この場に俺の味方はいなかった。
「まあ、勇者さまったら、こんな所で四つん這いにならなくともよろしいですのに」
「あるじ、そんなに犬になりたかったのか?」
周りの喧騒に気付いているのかいないのか、ふたりしてひどい事を言う。
さすがに、この状況に耐えかねた俺はキレた。
「くっくっくっくっ……」
「……まさか、泣いておるのか?」
「……少し、やりすぎてしまいましたか?」
姫の言動を聞く限り、どうもふたりの策略だったらしい。
何が目的なのかは知らないが、もう、どうでもいい。
「……マホトラ」
姫とシアちゃんから、魔力を少しばかり分けてもらう。
「なんじゃと?!」
「勇者さま?!」
呪文屋のお姉さんの説明を思い出す。
俺は、魔力の上限が高いが、なぜか最大まで回復する事が出来ないのだそうだ。
そして、生命力も著しく低い。
理由は簡単。シアちゃんとの契約のせいらしい。
元魔王と契約して、死なない事が奇跡だと言われた。
まあ、それに関してはどうでもいい。
彼女と共に生きる事を決めたのは、俺自身だからだ。
それに、魔力を補いさえすれば、魔法が発動することが証明された。
その前段階が、この魔力吸収呪文、マホトラだ。
そして、次に唱えるのは、最低最悪最凶の呪文。
出来れば使うな、と忠告を受けたが、今この場で使わせてもらう。
俺は万感の思いを込めて、その言葉を叫んだ。
勇者はパルプンテを唱えた。
どこかで何かが壊れる音がした。
宿の建材の一部が落ちてきて、勇者の頭を直撃した。
20のダメージ。
勇者は死んでしまった。
「おお、勇者よ! 死んでしまうとは、情けない!」
もう、笑うしかない。
俺は、どうやってもこうなる運命から逃げられないらしい。
「ど、どうしたんじゃ、勇者よ」
慌てるオッサンを尻目に、俺は声が枯れるまで笑い続けた。
あの後、街は大混乱に陥ったそうだ。
勇者が自滅した上に、その場から消え去ったからだ。
泣きながら謝るふたりに聞いた。
首輪を付けたのは、俺を戒めるためだったらしい。
俺のためにしたことなので、結局、許す事にした。
その代わり、俺の言う事を一つずつ叶えてもらったが、内容については割愛させてもらう。
ただ、出発が1日延びることになったとだけ言っておこう。