城に戻った俺達を待っていたのは、未だ腑抜けたオッサンの姿だった。
「おお、パトリシア……。どこにおるんじゃ?」
玉座に座るオッサンの様子は心ここにあらずという雰囲気。
その瞳は何もない空中を見つめ、実に痛々しい。
「申し訳ありませんが、勇者様。あの日から、王様はこのような様子で、とても受け答えが出来るとは……」
借金を返した途端に勇者と呼ぶようになった衛兵のおっさんが教えてくれる。
ちなみに、20ゴールドで勇者殿、利息分として10ゴールド余分に払ったら勇者様になった。
「仕方の無いお父様ですわ」
そうなったのは姫のせいでしょうが。
でも、言えない。
俺も共犯者にされてしまう。
いや、姫はきっと勇者さまのために必要だったとか言うだろうから、主犯が俺になるのか。
どちらにしても犯人は俺。とても口に出すことは出来ない。
「パトリシアとは、なんじゃ?」
シアちゃんの問いに答えるべきだろうか?
まあ、答えるだけなら問題あるまい。
「オッサンの愛馬らしい」
これくらいなら、大丈夫だろう。
関与を疑われることもない。
だけど、シアちゃんの理解度は、俺の想像を遥かに超えていた。
「なんと! あの男、そのような趣味があるのか……」
えっ、あの、ちょっと、もしもし?
「さすがに一国の主ともなると、嗜好も特殊になるとみえる。王に比べれば、あるじの男好きなど、可愛いものぞ」
すまん、オッサン。
俺の知らない所で、別の意味で馬好きにされてしまいました。
俺の力量不足で、本当に申し訳ない。
でも大丈夫。俺なんて、魔物の世界でも男好きだからさ。
……竜王に迫られたら、どうしよう?
世界の半分をくれてやるから、ワシの物になれ、とか。
うわ、シャレにならん。
竜王がまともな嗜好の持ち主である事を心の底から祈る事にしよう。
「お父様、いいかげんにいたしませんと、また、潰しますわよ♪」
姫が妙なセリフを楽しそうに口にする。
オッサンの様子は変わらなかったが、何故か、衛兵が股間を押さえて震えだした。
なんだ、そのリアクションは?
またって事は、過去にもあったって事か?
しかも、何故に股間?
……? なんだ、既視感がある。
確か、オッサンが股間を押さえて……、泡をふいてて、その隣りには……、あどけない笑顔の……。
そこまで思い出したところで、悪寒が全身に広がる。
軽い嘔吐感もある。
「どうした? あるじ」
俺の異常に気付いたのだろう。
シアちゃんが声を掛けてくる。
「い、いや、なんでもない」
「ぎょえーーー!!」というオッサンの断末魔が頭の中にこだまする。
「これで私と勇者さまの間を邪魔するものはありませんわ」という幼い少女の声が……!
いや! 思い出しちゃダメだ。思い出しちゃダメだ。思い出しちゃダメだ!
俺は、この記憶を永遠に封じよう。
引き出しの奥にしまい込んで、2度と思い出さないように。
結局、オッサンの意識はパトリシアから離れる事は無かった。
姫の言葉は、俺と衛兵のトラウマを刺激するだけに終わった。
「仕方ありませんわ。パトリシアを探しましょう」
城を出た所で、姫がそう提案した。
「オッサンがあの調子じゃ、聞くものも聞けないし、仕方ないか」
同意する俺の言葉に、シアちゃんが当然の疑問を口にする。
「探すといっても、手がかりがあるまい」
だが、そんな言葉はスルー。
「とりあえず、廃墟の街の方へ歩いてみましょうか、姫?」
「そうですね。それで見つからなければ、もう少し捜索の手を広めればいいですし」
「お主等、何か知っておるのか?」
シアちゃんが睨んでくる。
でも、こうなったのはシアちゃんのせい、なんだよなあ。
言うべきか、言わざるべきか。
「申し訳ありませんが、ふたりだけの秘密ですわ」
その言い方はまずいです。
ああ、シアちゃんの視線がますます強く。
「そうですわね、勇者様♪」
でも、同意を求めてくる姫に、俺はうなずくしかなかったわけで。
姫と俺は、辺りをきょろきょろと探しながら歩き、シアちゃんはずっと無言でついてくるだけだった。
探索しながらの旅は、思ったより時間が掛かり、行程の半分も行かない所で日が暮れてしまった。
「今日の所は、この辺りで野宿しましょう」
姫の提案で、俺達は役割分担を決めた。
先日のアレで、ふたりに食事当番を任せる事の恐ろしさに気付いた俺は、2人に火の準備を任せ、川に行った。
ひざほどの深さしかない川だが、魚の居そうな場所は、経験からわかる。
両手で抱えられるほどの大きさの石を選び、魚が隠れていそうな石にぶつける。
たちまち、数匹の魚が浮かんでくる。
これぞ、ガチンコ漁法。効率は悪いが、食べるだけなら充分だ。
何度か繰り返し、10匹ほど捕らえて、持ち帰った。
火を確認すると、早速料理に取り掛かる。
まずは、魚を串にさし、火の周りに並べる。
焼けた魚の半分は、明日の朝食に回し、あとの半分をさらに加工する。
3匹はそのまま焼き魚として、2匹分の身をほぐし、骨を取り出す。そして、魚骨を出汁に、塩と香辛料でスープを作った。
簡単な料理だが、2人はずっとその様子を眺めていた。
姫は、何かメモまで取っている。
「意外と器用じゃのう」
「勉強になりますわ」
そりゃあ、まあ、ガキの頃から一人で家事はこなしてたし、他にする人間もいなかったしなあ。
でも、そんな事言ってもしょうがないしな。
「どんなにダメな人間でも、一つくらい特技はあるんじゃな」
「職業が主夫というのも、よろしいかもしれませんね」
何も言わないと、こうなってしまうらしい。
どうしてそんなに息がぴったりなんだ?
何はともあれ、シアちゃんの機嫌も食事時には良くなり、3人で楽しく食事をとった。
ちなみに、シアちゃんの主食は俺の血やら何やらだが、食事でも補えるらしいので、普段は普通に食事をしてもらっている。
やがて、食事も終わり、何故か姫の怪談が始まった。
「真夜中のお城というのは、それはそれは楽しいものですわ。家具が突然震え始めたり、スプーンやお皿が空を飛んだり、そうそうお人形さんと遊んだ事もありますわ」
怪談の割には、実に楽しそうに語る。
「侍女に話すと、何故か怯えるんです。無理に引き止めて、一緒にお人形さんと遊んだら、翌日からお城に来なくなってしまって……。本当に懐かしいですわ」
それに付きあわされたのか。可哀想に。
「ある日突然、神父様がお越しになられて、それ以来、ぱったりと止んでしまって。あれから、夜があまりにも静か過ぎて、とても怖い思いをいたしましたわ」
あー、そうですか。
幽霊が出ない方が、怖いと。
かなり、ずれてらっしゃいますな。
「あ、あるじは、こここ、怖くないのか?」
シアちゃんが、俺に抱きつきながら、話し掛けてくる。
元魔王のくせに、どうしてまた、こんなに怖がりなのか。
「うーん、特に怖い話ってわけじゃないな」
幽霊なんかより、現実の方がよっぽど怖い。
自称312才の元魔王に、父親の○○を素手で握りつぶすお姫様。
何の力も無いのに不死身の勇者と、その勇者に世界の命運を任せる王様。
これほど怖い話は無いだろう。
「さすが、勇者さまですわ」
姫が笑顔で賞賛を送ってくる。
とりあえず、今のところ、その笑顔が怖い。
記憶の奥底から恐怖が湧き上がって来る。
その時、突然、後ろの茂みから音がした。
「なななな、なんじゃ?」
シアちゃんが裏返ったような声を上げる。
「ケケケケケケ、ケェーー!」
それに呼応してか、甲高い声を上げながら、ソレは飛び出してきた。
「ゴースト!」
姫がその名を叫ぶ。
「ギラ!」
すかさず魔法が飛び、ゴーストを消滅させた。
ってあれ? 今の誰?
「全く、おどろかすでないわ!」
シアちゃんがそう言いながら、座り直す。
「あれ? シアちゃん、今のゴーストだよね?」
「それが、どうしたんじゃ?」
いや、幽霊は嫌いなんじゃ……?
「幽霊は怖いのではありませんでしたか?」
姫が、俺の考えを代弁する。
「何を言っとる? アレはゴーストじゃぞ。魔物の一種ではないか?」
シアちゃんなりに基準があるらしい。
そして、再び、茂みから音が。
「また、ゴーストか?」
「わらわに任せるが良い」
シアちゃんがその方向に手の平を向ける。
ギラの体勢だ。
だが、現れたのは、巨大な白い影だった。
「ヒッ!」
シアちゃんが構えを解き、抱きついてくる。
未だに、基準が良くわからない。
やがて、それは、こちらにその全貌を明らかにした。
「まあ、パトリシアではありませんか」
姫の言葉に気付いたのか、白馬は姫に擦り寄っていった。
えらく頭の良い馬だ。
おそらく、火を見て、人間が居る事に気付いたのだろうと、姫は言った。
「これで、大手を振って、帰れるな」
「そうですわね」
「こやつが、パトリシアか……。王も好き者じゃのう」
一人、妙なコメントを残しているが、気にしないようにしよう。
翌日、パトリシアを連れて城に戻った俺達は、姫を助けた時と同じくらい歓待された。
まあ、その辺は特に語る事も無いので、割愛する。
「勇者よ! よくパトリシアを救ってくれた。礼を言うぞ」
「そんなことより、お父様」
「そんなこと、わしの可愛いパトリシアがそんなこと……」
妙な方向にダメージが。
姫は業を煮やしたのか、オッサンの耳元で何かを囁く。
途端に、オッサンの腰が引ける。
「な、なんじゃ、どうした? わしの可愛い娘よ」
何か、今のオッサンを見てると涙が出てくる。
昔の威厳はどこに行っちまったんだ。
「ロトの印の事、ご存知ではありませんか?」
「ロトの印? 伝承によれば、手のひら大のメダルで、ロトの紋章が入っているそうじゃぞ。だが、勇者ロトが持っていたとは記されておるが、その後の行方まではな」
「そうですか……」
とりあえず、どんな物かわかっただけでも充分だ。
シアちゃんに心当たりが無いか聞いてみよう。
勇者ロトの縁の地でも捜し歩けば、そのうちぶつかるだろう。
そう考えた俺は、シアちゃんの方を向いた。
「……あれが、ロトの印じゃったのか?」
心当たりがあるようだ。
「知ってんの? シアちゃん」
「知ってるも何も、アレを捨てたのはわらわじゃぞ」
は? 捨てた?
シアちゃんの言葉に、俺達は固まってしまった。