人の想像力とは素晴らしい物だ。
古来より人は、想像を形にすることで発展してきた。
しかし、時にはそれが恐怖を呼び起こすこともある。
……要するに、今の俺の状況なわけだが。
ようやく戻ってきた。
オッサンには適当な言い訳をしてお茶を濁し、ルーラで戻ってくれば着地に失敗して地面と激しいキスを交わし、そして今またあの扉の前にいる。
この扉の先はどうなっているのだろう?
俺が殺されたことに気付いたシアちゃんの手でスプラッタハウスになってはいないだろうか?
もしそうなってたらどうしよう?
オッサンにばれたら、殺される。
いや、殺されても死ねないから、あの特別室で一生を過ごすことになりかねない。
むしろそれよりも悪いかもしれない。
飽きるまで死刑を繰り返されて、となる可能性もある。
そうなる前に、シアちゃんを連れて逃げよう。
意を決して扉を開く。
すると、開ききる前に向こうから何かが俺にぶつかってきた。
これは、あの時の再現か?! とも思ったが違っていた。
「うっ、ぐすっ、ど、どこに行ってたんじゃ、あるじ。わらわを一人にしないでたもれ」
今までにないほど、大泣きしているシアちゃんだった。
大粒の涙が真っ赤な瞳から溢れ、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
怒ってるわけじゃないみたいだな。
でも、一人? 姫はどうしたんだ?
……ま、まさか?!
最悪の状況を頭に描いたが、どうやらその心配は杞憂だったようだ。
抱きついてくるシアちゃんの頭越しに、部屋の入り口で放心状態になって座り込む姫の姿が見えた。
どうやら、シアちゃんからは、ドラゴンの身体が邪魔になって向こう側が見えなかったようだ。
良かった……、本当に良かった、皆が無事で。
いまだ泣きじゃくるシアちゃんを抱き上げて、その頬にそっと唇を寄せる。
そして「ゴメンな」とささやいた。
「うっ、ひっく、よ、よいのじゃ、あるじから目を離したわらわがいかんのじゃ」
なんか、俺のほうが迷子になったみたいだな。
まったく。
俺の首筋に顔をうずめて嗚咽をもらすシアちゃんを抱いたまま、姫に近付く。
久しぶりに見た姫は、きれいな黒髪を後ろで束ね、その宝石のような瞳は虚空を見つめていた。
どうやら、俺が近くにいることに気付いていないようだ。
「姫、姫!」
肩を揺さぶりながら声を掛けると、ようやく目の焦点が合ってきた。
「ゆ、勇者さま! 私、私……、何て、何て事を。うっ、ううう……」
……今度はこっちか。
「あー、あー、俺、身体だけは丈夫なんですよ、昔から。だ、だからほら、泣かないでください」
もっと他に言うことがないのか、俺。
泣き止む様子が全く見えない彼女の姿にこれ以上なく狼狽える。
「で、でも、私、助けに来て頂いたのに……うぅぅ……」
仕方ない、アレをするか。
昔から、女性の気付けにはこれが一番だって言うしな。
「姫、失礼します」
そう言って、俺は姫にキスをした。
無論、唇にだ。柔らかな感触が心地良い。
役得と言うなかれ。
実は正気づいたシアちゃんに首筋を噛まれているのだ。
正直言って、非常に痛い。
必死に痛みを噛み殺し、芝居がかった仕草で姫に語りかける。
「烏の君。涙を流していては、せっかくの貴女の黒い瞳が見えなくなってしまいます。どうか、私に貴女のその美しい宝石のような瞳を見せていただきませんか?」
「あるじ、恥ずかしくないか?」
そんな声が耳もとで聞こえる。
恥ずかしいに決まってんだろうが!
「姫は、昔からこういうのが好きなんだよ。結婚式ごっことかで、いつも言わされてたんだぞ」
シアちゃんにだけ、聞こえるように話す。
「あるじ、それはごっこでは無いと思うぞ」
ん? どういう意味だ?
しかし、聞き返すことはできなかった。
姫がようやく泣き止んでくれたからだ。
「勇者さま。私の事を覚えていらっしゃるのですか?」
「ええ、こんなに美しい貴女を忘れるはずがないでしょう?」
実際には、ついこないだまで忘れていたわけだが。
まあ、口に出さなきゃバレはしまい。
「では、約束の事も?」
約束? なんのことだ?
さっぱり思い出せないが、ここで忘れたとかいうと「そんな、ひどい…」とか言われそうだ。
とりあえず、知っていると答えておくか。
「ええ、もちろんです、姫。約束を果たすべく、こうして馳せ参じたのです」
その言葉に、姫は満面の笑みを浮かべる。
うん、正解だったようだ。
「では、私を勇者さまの妻にしていただけるのですね。うれしゅうございます。ぽっ」
なんですと?
いつそんな約束をしましたか、俺?
イテ、イテテ、絞まってる、絞まってるよ、シアちゃん。
「あの、そちらの方は?」
ヤ、ヤバイ、シアちゃんの事、どう説明しよう?
えーと、俺の娘? 恋人? 母親?
混乱する俺をよそに、事態はマズい方向に動いていた。
「わらわは、勇者の永遠の伴侶じゃ」
のぉーー! いきなりなんて事を!!
慌てる俺とは対称的に、シアちゃんは冷徹な笑みを浮かべている。
しかし、事態は俺たちの想像を遥かに上回った。
「では、私は第2夫人ですね!」
「は?」
「なんとお呼びすればよろしいでしょうか? お姉さま? それとも……」
「えっ、いや、わらわはアリシアという……」
「では、アリシアさまとお呼びしますね!」
「う、うむ」
俺達は顔を見合わせた。
正直、この反応は意外だった。
当の本人は「私、実はお姉さんが欲しかったんです!」とはしゃいでいる。
「あ、あの、良い……の?」
思わず、姫に聞いてしまった。
しかし、返ってきた答えは「何か問題がありましたか?」だった。いや、かなりの美少女だし、俺は異存ないんだけど、シアちゃんがなあ……。
思惑が外れて、呆然としている。
何となくキスしてみた。
「あ、あるじ、突然何をするんじゃ!」
あ、戻ってきた。
姫はと言うと、「まあ、アツアツですわね」と微笑んでいる。
まあ、いいか。
なるようになるさ。
現実逃避だとは分かっているが、そう思わずにはいられなかった。
「あら、勇者さま? どこかケガでもされてるんですか?」
旅立ちの準備をしていると、姫がそんな事を言ってくる。
ああ、そういえば、着地失敗だとか、シアちゃんに噛まれた傷とかあったな。
「ああ、でも、たいした傷じゃないよ。すぐになおるし」
死ねば、無かったことになるしな。
でも、その答えには満足しなかったようだ。
「いけません! 例え針に刺されたような小さなケガでも死につながることがあるんです!」
どくばりを指に刺して死んだことを思い出した。
……知ってて言ってんじゃないよな。
「私に任せてください。少しは心得があるんです」
応急処置でもするのかと思っていた。
「ベホイミ」
小さく唱えると同時に、白い輝きが俺の身体を包み込んだ。
そして、その輝きが消えた時には、全身の痛みも、首筋の傷も全てが消えていた。
「お、王女よ、呪文を使うのか?」
シアちゃんが驚いている。
もちろん、俺も驚いている。
「ハイ、勇者さまの妻として当然のことですわ」
なんか、俺の立場がどんどん弱くなって来ている。
っていうか、俺、イラナイ子なんじゃ?
全快した身体とは裏腹に、俺の心は重く沈んでいた。
洞窟を出た俺達は、北にある温泉の村に向かっていた。
シアちゃんの髪も洗ってやりたいし、姫も身体を清めるには丁度いいと思ったからだ。
「あの? 姫は他にどんな呪文が使えるんですか?」
「勇者さまほどではありませんわ。 ほんのたしなみ程度です」
いや、俺、メラとルーラしか使えないんだけど。
なんか、勘違いされてる?
姫の呪文がたしなみ程度ではないことはすぐに証明された。
モンスターがあらわれたのだ。
そして、俺達はここで、とんでもない間違いに気付かされることになった。
姫が指先から、雷光を放ったのだ。
あの、これって、ひょっとして、ライデイン?
ってことは、姫が本当の勇者さま?
俺の立場は?
俺は本当にイラナイ子?
誰か、俺に教えてくれーーーー!!
心の中で叫んでいた。