サルベージ   作:かさつき

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「この基地が……卑怯者、ですか?」

津田さんの言葉を反芻する。基地の本質が、卑怯。いまいち彼の言わんとするところが掴めない。卑怯とは、物事に正面から取り組んでいないことだ。祖父が聞いたらきっと憤ることだろう。津田さんは、アニミズムを熱心に信仰されているのだろうか。

 

「はい。正確には、その一つ前です。」

 

一つ前。卑怯というのはこの場において、そもそも私の言だった。私は何を指して卑怯といったかーーー。

「〝誰かに見てもらう〟……?」

 

「そうです。〝ごみ袋〟をね」

そこまで言って、彼はマグを傾けた。私も、茶を一口すすった。

 

 

津田さんの話は、今のところ、全体通して婉曲的だ。私を少しずつ誘導しては、立ち止まらせ。そして、立ち止まらせては歩を促すように話すーーーひょっとすると彼は、元々お喋り好きなのかも知れない。

 

お喋りな人は、会話することそのものを楽しんでいるのだ。母や祖母は、ひとたび話し出すと止まらないのを思い出した。やれあの家電がいいだの、どこそこの某さんが旅行に行ってきただのと、「とりとめのない」とは、あれを指すのだ、と私は確信している。

 

ただ津田さんは、お喋り好きでも少し毛色が異なっているようだ。

母や祖母のお喋りが、あちこちに揺れ動く酔っ払いの千鳥足とするなら、津田さんのはまるで、小学生の帰り道だ。帰着すべき方向へとゆっくりのんびり歩く。ただでさえ歩調が遅いのに、道草するものだから時間を食う。両者性質は相異なるが、会話の帰着点がいつ来るか、判然としないことは共通している。

 

態々強調したのだから、このごみ袋が何かのメタファーであることは、想像に難くない。問題は暗に示している者が何かだ。

 

中身の解らないごみ袋。それは不気味に蠢いている。それを見つけた人間たちは、そのごみ袋に興味を惹かれるはずだ。何が入っていて、なにが動いているのか。でもそれを見るには、結構な勇気がいる。だから勇気ある人に、代わりにそれを見てもらう。

自らは直接見ないで、誰かの力を借りるわけだ。

 

津田さんは其れを指して「分業」と言った。自分にできぬことは誰かにやってもらうが効率良し、ということか。

 

他方、私は其れを指して「卑怯」と言った。それではまるで、艦娘と人間の関係みたいではないか。中を見たからと言って死ぬわけじゃなしーーー。

 

そこまで考えてふと思いついた。

ーーーーー艦娘と、人間?

 

「あ」

 

肺の空気がキュゥと、すべて絞り出されるような、そんな錯覚を覚えた。

いままでのらりくらりと歩いてきた道の先に、何があるのかを見た気がした。

 

あった。あるじゃないか。目の前にあって。でもその正体が解らないモノ。

私は今朝見た。やにわに消えた朱と藤。代わりに現れた二人。全く未知の存在。

 

「黒いごみ袋ーーー未知のモノ……この基地の、艦娘」

 

「その通りです。ここで言う〝黒いごみ袋〟とは、この基地に所属する艦娘ですよ」

 

「…」

私は、知らなかった。こんな存在を、今の今まで。

だがその存在が、もっと前に、別の誰かに認知されていたならば……?

その誰かはどうするだろう。

 

ーーーまず、恐怖するはずだ。

中を見たからと言って死ぬわけじゃない?とんでもない。

実際、私も死を覚悟したではないか。殺戮者の姿に相対して、自らの命を半ば諦めたではないか。

 

その後は?

ーーー知りたがるはずだ。

それが単純な好奇心であれ、恐怖に対する防衛本能であれ、未知の事象を明らかにせんと動くだろう。

つまり、この基地の目的はーーー。

「この基地は、艦娘、いや、深海棲艦……?彼女らの観察を……?」

 

「ふふ……あなたと話すのは、なかなか楽しいですね」

この基地に配属されて、初めて見る津田さんの笑みだった。おしゃべり好きだという予想も、強ち外れではないだろう。

 

「ご名答。敵・味方が定かでない艦を、収容する施設という性格も持っていますね」

それから彼は、ゆるりとした口調で話し始めた。

 

 

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艦娘と深海棲艦。それらの性質を併せ備えた存在が認知されたのは、5年程前らしい。

その第一号は、この基地に配属された、ある軽巡洋艦娘だった。

 

ある日、彼女は寝苦しさを感じ、寝台から起き上がった。

汗を拭くために服を脱いだ時、月明りに照らされた自らの腕が、異常に白いことに気が付いた。体の異常を確かめるため、鏡を見ると、その中には、異形が映り込んでいた。

骨のように白い肌。闇の中に煌々と輝く瞳。

半狂乱で金切り声を上げて、体を掻きむしるが、異常は収まらない。

物音を聞きつけ、隣室の艦娘が起きだし、部屋を訪ねてきた。

彼女は、その艦娘に助けを求めるべく、戸を開けた。

 

そこからが、彼女の不幸の始まりだった。

隣室の艦娘は、彼女の姿を見、パニックを起こし、悲鳴を上げた。

さもありなん、昨晩の私と同じようなものだろう。

真夜中の官舎内は騒然となる。

 

さっきまで笑いあっていた仲間達、皆が皆、一様に敵意を向けた。

彼女をどうした。貴様は何者だ。どうやって侵入した。ここで何をしている。

 

全く姿の変わってしまった者が、自分を自分と証明するのは、存外難しい。

混迷の最中で、艦娘たちが冷静な判断を下すには、時間が悪すぎた。

夜中、突然基地内に姿を見せた敵が、夜襲か、間諜の類か、と疑われることは、明々白々であった。この事態がそもそも、彼女にとって晴天の霹靂であるのに、それを説明する術を持ち合わせて居ようはずがなかった。

 

結局、私は私だというより他、なかった。

 

遂には仲間たちに、砲を向けられた。演習用の弾ではない。深海棲艦を殺すための兵器である。

 

この状況は、彼女をいよいよ絶望させた。もう逃げるくらいしか手はなかった。

艦娘たちは、背を向け外へ駆け出した彼女に、砲撃を浴びせた。

 

ーー自らの背に向けて放たれる砲火。

紙一重で躱しつつ、必死でやめて、やめてと叫ぶ声は爆音に掻き消され、もう仲間には届かなかった。

 

 

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「因みにこれは、すべて室内で起きた出来事です」

津田さんは、そこで一端話を切って、お得意の寄り道話を始めた。

 

「え」

室内で砲撃とか正気の沙汰ではない。

 

「ま、彼女らも相当混乱していたのでしょう。背を見せて逃げる敵の姿に、闘争本能を刺激されたのでしょうか。熊みたいですね」

神経でも通っているのかと思うほどよく動く一本の毛をもった、ある軽巡洋艦娘を思い出した。

 

ーーーそれにしても官舎内で砲撃とは。

混沌とした状況が、ありありと想像できた。きっと後で大目玉を食らったことだろう。

 

「あの官舎が、殊にオンボロなのは、それが原因です」

 

「ああ……なるほど」

私は、妙に納得してしまった

 

「元々ただでさえ古かったのに、この一件でさらにズタボロになったものを、安い業者に委託して修理したものだから、ああなりました」

官舎(学生寮)が、官舎面してあそこに立っているのは、そういう経緯だったらしい。いっそ建て直せばよかったのに。全く、勘弁してほしいものである。

 

私は、横道に逸れた話を修正すべく、ふと浮かんだ一つの疑問を呈することとした。

「え、と………いやに詳しいですね……?当時の状況に……」

 

「ええ。本人に聞きましたから。」

 

「はい……?」

 

「ですから、本人に。その、逃げ出した彼女に」

津田さんは、実に平然とした口調で言ってのけた。

 

「ま、待ってください……!彼女は、まさか?」

 

「まだこの基地に所属していますよ。事情があって、あまり顔を見せませんが」

 

「……!」

〝仲間に、背中を狙われ、追立られる〟ーーーそんな苛烈極まる経験をした者が、この基地に……。私は知らず、顔を顰めていた。

 

「失礼、話を戻しましょう。その後の話です」

 

 

 

 

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彼女は、隠れる場所などない、海の方向に逃げた。理由は分からない。

ただ自然に、そうしなければならないと感じたから、だそうだ。

艤装も装備していないのに、不思議と体が動いていたらしい。

 

彼女は着の身着のまま、海面へと踏み出した。

 

すると驚いたことに、ごく当たり前であるかのように、体が水面に浮かんだのだ。

艤装を着けている時と同じように、いつも通りに。ある意味では通常で、ある意味では異常なことだった。

 

これに対して、彼女は何も不思議を抱かなかったらしい。「ああ、浮いた」としか思わなかったという。

 

一方基地所属の艦娘たちは、基地司令官に報告する者、出撃しようとする者、深海棲艦になる前の彼女を探そうとする者と、いまいち統率がとれていなかったようだ。

大混乱の最中、極めて平穏な海域の基地で、練度が低かったことも手伝ったのだろう。

 

一先ず、基地近海を哨戒することに決まった頃には、彼女はかなり沖の方まで逃げ仰せていた。

 

 

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「その数時間後、空が白んだ頃、彼女は沖合十数キロの場所で、哨戒部隊に発見されました。普段通りの、艦娘の姿で」

 

「……元に戻っていた、と」

 

「彼女は、ひどく恐ろしいものを見たらしく、自分の手で、目を抉っていたそうです」

津田さんは、さらりと恐ろしいことを言った。

 

「め、目を……?」

 

「何があったのか、何を見たのか、それだけはどうしても、聞き出せなかった。ひたすら、『もう見たくない』と繰り返すだけで」

 

「一体何が。自ら、目を抉るほど、恐ろしいものって……」

 

「さて……何でしょうかね」

彼は首をかしげて、それきりだった。こればかりは、本当に知らなかったようだ。

 

「兎にも角にも、こうして目出度く、艦娘と深海棲艦、二面性をもつ存在の第一号が発見されたわけです」

ーーー何が目出度いものか。

口には出さなかったが、眉を顰めて見せた。そんな私の態度など毛ほども気にせず、津田さんは話し続けた。

 

「あくまで、第一号です。その後、似たような事例が、いくつかの基地から報告されました。全部併せて6件です」

 

「つまり……この基地所属の艦娘は6人いると」

 

「ええ、今はね。これからも増えるかもしれません」

6人。ちぐはぐな編成にはなろうが、一応1艦隊が組める。基地としての体裁は保たれているわけだ。

 

「現状、中央では彼女らを指して、〝中間体〟と呼んでいます。」

裏と表。艦娘と深海棲艦。海の上と下。それらの半ば。二つの顔。

何かにつけ、人は名前をつけたがるーーー祖父の言葉を思い出した。

津田さんは、ぬるくなった茶を啜った。

 

「彼女らは、どうしたって注目されました。特にーー研究者連中に」

唯でさえ謎の多い艦娘たち。彼女らの登場は、その状況で、さらなる研究の種火を投げ入れる結果となったわけだ。あとは、私が想像した通りだろう。内地からなるべく遠いところで、研究・観察を行う、と。

 

「経緯はわかりました。しかし、どうしてわざわざ、こんな北陸の……言っちゃ悪いですが、その……」

 

「こんなくそド田舎に施設を作ったか……と」

折角濁したのに。私はそこまで言う気はなかった。

津田さんは、少し間をおいて話し始めた。

 

「海佐。この基地が、海自の上層部でなんと呼ばれているか、ご存知でしょうか」

ギクリ、と体が強張った。喉が急に渇いていく気がした。

 

「……流刑地、でしたか」

ーーーー上層部が表に出したくない不祥事。その張本人の左遷先。

 

「海佐が何をしたか。私も、それは知っています」

 

「……」

 

「ですが、それだけでは、七割ですね」

 

「七割」鸚鵡返しするだけしかできなかった。

 

ええ、と頷いて、津田さんは、湯呑を傾けた。中に茶は入っていないのを知っている。

思うにこれは、彼のリズムなのだ。会話をし続けるわけでもなく、止めるわけでもなく。

 

「この基地での、海佐の役割は、何だと思われますか?」

 

「……艦隊指揮、でしょうか」

 

「ふむ……この平穏な海域で?どうやって?」

することがないのでは、と思っていたが、本当のようだ。

私に心当たりがないとみて、津田さんは、また遠回しに言った。

 

「さっきのごみ袋の話。それを、今話したこの基地の経緯に当てはめると、一つだけピースが足りていないのです」

 

この基地の経緯。未知のモノ・中間体を観測する場所。内地の研究者たちが、研究をする所。津田さんは、こう言ったーーーこの基地の本質は、卑怯者だと。

〝ごみ袋〟の中身を知りたい卑怯者が内地にいるなら、勇気ある観測者は、どこにいる。

 

「つまり観測者ーー〝ごみ袋〟の中身を見る者というのは、私……?」

 

「はい。そしてーーーー」

 

 

 

 

 

ガチャ。

 

 

 

 

 

津田さんがそこまで言った時、事務室の扉が開く音が聞こえた。

 

 





いつもより、少し文字数多めです。


2017/8/4 脱字修正しました。

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