サルベージ   作:かさつき

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――おっす、川内。どうした、怖い顔して。

 

――――解ってるのにとぼけるの、嫌い。

 

――お、おう……ごめんて。

 

――――謝るの、私じゃないと思うけどね。

 

――樋口っちゃんと話したってな。丁度いま電話してたところさ。

 

――――ちゃんと謝ってないでしょ。

 

――いや、謝ったさ。

 

――――嘘。ちゃんと最初から最後まで聞いてたんだから。

 

――聞いてたん……?もう忍者にでもなんなさいよ君。

 

――――やだヨ、そんなの。コソコソしてばっかで夜戦できないじゃん。

 

――いや、今まさにコソコソしてたじゃねぇの。

 

――――昼はいいのよ。

 

――どういう…?まぁ、いいや。で、お前はわざわざ、セコイ老いぼれを叱りにきたのかい。

 

――――それもあるけど、この際ちゃんと聞いておこうと思って。

 

――何をだ。

 

――――貴方は昔から、言うべきことを言わない悪い癖があるよね。

 

――必要に応じて、伏せるところは伏せるさ。俺なりの処世術でな。

 

――――言うべきことを言わないけど、意味のないことも、あまり言わない。

 

――へぇ。そう見えてんだ。

 

――――「4分の3くらい」って、さっき電話で言ってたね。

 

――そんなこと……言った、かな。

 

――――当ててみようか。教えなかった理由は全部で4つあるってことでしょ。そのうち3つは、さっき言ってたこと。

 

――さぁ、どうだか。

 

――――あとひとつは?

 

――ねぇよ、そんなもの。

 

――――「歩み寄るプロセスが欲しい」「他人行儀な人の方が上手くいく」だっけ。

 

――そうだ。その方が良かったと思うし、間違ってはなかったと今も思う。

 

――――3つ目は……ちょっと解らなかったけど「ひーさんの為」?

 

――いずれ、説明する。

 

――――それで?もうひとつは?

 

――だから、無いっての。

 

――――赤城さんのため?それとも、神通のため?

 

――…怖ぇよ、女の勘。

 

――――何があったか知らないけど、ちょっとずるいと思う。尻ぬぐいは、自分ですることだよ。

 

 

 

***

 

 

 

 電話が切れた後、私は椅子の背もたれに体重を預けた。使われる頻度が少ないのか、他のに比べて柔らかい。スポンジに沈む体は、いつもより重く感じる。すぐに瞼が重くなる。ゆっくりと規則正しく呼吸すれば、腹が膨らみ、しぼんで、また膨らむ。緩いリズムに合わせ、睡魔が意識を削り取っていく。

 

 大島海将は、ある意味で私を信頼していたし、ある意味で全く信頼していなかった。

――存分にテンパってくれる。

――手際も要領も悪い。

――人間関係に奥手。

 彼の言葉を反芻しては歯噛みする。私のそういう弱みが功を奏すだろうとの思惑があったにせよ、依然、納得は出来ない。ほとんど言った通りになっているのがまた悔しい。最後、さっさと電話を切ろうとしたのは、その仕返しみたいなものだったのだ。

 あるいは、もう少し、詳しく話を聞くべきだったろうか――。

 

「あ。ちょっと。ここで眠ってちゃいけませんよ」

 

 事務室の扉が開く音、そして津田さんの声で、現実に引き戻された。見ると萩風さんが彼の隣にいる。彼女だけ、朝の談話室にいなかった。瑞穂さんの監督当番は彼女だった。手には空のコーヒーカップを持っている。赤城さんと交代して、休憩を取るらしい。……いや、もう取った後か?淹れたてのコーヒーを2、3分で飲みきっていては、口を火傷する。

 

「すみません、つい」

「電話は終わりました?」

「ええ、はい。ついさっき」

「ついさっきって……40分も話し込んでいたんですか?」

「いえ、そんなには……え、40分?」

 

 どうも私は自覚する以上に疲れているらしい。朝に続いて、また時間を飛び越えたような感覚に陥った。本当に、布団を被って休んだほうが良い。キョトンとした私に呆れたようで、津田さんは言った。

 

「お願いですから休んでください。それか、明日は年休でもとりますか?」

「いえ、休みますよ。眠ってきます……では」

 

 2人に会釈して、事務室を辞した。

 寒さに手を擦りながら、ぼんやりと歩く。自身の輪郭がふやけてしまったように感じることは、ここ数日たびたびある。寝れば治るのだろうか――いずれにしても、さっさと床につくべきだ。廊下は寒い。

 

 踏板の軋みが、体の軋みに同期したように思える。体重を上へと持ち上げるのが、いつもより億劫だ。何か、間違っているような……いや、気のせいか。

 

「あの、どこへ?」

「え?あぁ、神通さん。こんにちは」

 

 いつもより低い位置から、彼女に呼び止められる。私は部屋に向かうだけだ。その旨を伝えると、神通さんは困ったように首を傾げた。

 

「貴方の部屋は一階では?」

「はあ…?そうですけど」

「何か、二階に用事でも?」

「いえ…何も…。何も、ありませんね」

 

 そこで気が付いた。

 私は、自分の部屋に帰るために、二階への階段を昇っていた。今の今まで、その矛盾を矛盾と感じていなかった。

 

「すみません。何をやっているんだ、私は」

「別に、謝ることではありませんが。これは…」

 

 神通さんの眉間に皺が寄った。迫力満点だが、怒気は不思議と感じない。

 

「ついてきてください」

「はい?何か」

「少し伝えなければならないことが」

 

 彼女が手招きするので、階段を降りてついていった。私は再び――これほどすぐにとは思わなかったが――神通さんの部屋に招かれたのであった。私が自室に戻るのはまた、先送りされたことになる。

 

***

 

「お茶をお淹れします」

「はぁ…これは、ご丁寧にどうも」

 

 立ち上る芳しい香りを帳消しにするくらいに、居心地が悪い。一対一で腰を据えて話すのは着任初日ぶりか。

 

「お料理は、得意なほうですか?」

「ええと、そこそこですが。何故です?」

「最近作ったものは?」

「なんですか、一体。作ったもの……おでんとかですかね。あと煮物をいくつか。かぼちゃの煮付けは自信作ですよ。筑前煮風のアレンジを加えてみたんです」

 

 神通さんの眉間の皺が深くなる。

 

「それは貴方が……〝食べた〟ものでは?」

「え……はい、そうですね。私が食べて……ん、おでんは……あれ?ヒトミさんが作ったのか。そう、レトルトのカレーも合わせて……ああ、確か米を多めにつけたんです。あの人が、お腹を空かせないように。あの人が……あの人?」

「あの人とは?」

 

 私は返答に窮した。私の脳裏には間違いなく〝ある人物〟の顔が浮かんでいた。その人物を「あの人」と表現する気味の悪さに絡みつかれて、口が思うように動かなかった。

 

「聞いていますか。あの人とは、誰なのですか?」

「いや、私の、私自身のことです。私が……食べたんです」

「貴方自身のことですか。自分のことを、あの人、なんて表現したの?」

「ええ、まぁ。…いや、おかしな言い方だ。我ながら妙なことを言いました」

「貴方のせいではありません。貴方の中には、本当に……瑞穂さんとヒトミさんが〝混じって〟しまったのですね」

 

 神通さんは、私にそう告げた。ゾッとするのと同時に、妙に納得した。ふやけていた自分の輪郭が、自認が、別の形で定まった気がした。神通さんは、さらに続ける。

 

「彼女は、海と表現していました。記憶や人生の経験、心の有り様、生き方を、貴方に流し込んだ。それがついに、行動にまで表れ始めている……のかもしれません」

「私は、彼女たちに操られている?」

「違います。きっと貴方は、そのものに成りかけているの。体はともかく、心や考え方、記憶までもが。或いは、余計に深刻です」

 

 彼女はそう言って、湯呑みを傾け、喉と唇を潤した。

 

「あのとき、あともう少し踏み込むのが遅ければ、本当に、取り返しのつかないことになっていたかもしれません」

「でも、そうはならなかった。だから、私をわざわざ呼び立てたんですね?神通さんが物音に気付いてくれたお陰ですね」

「そ……ま……まぁ」

 

 神通さんは、困ったように咳払いをした。これはもしかすると、照れているのだろうか。

 

「私は、何をすればいいのでしょう?神通さんには何か考えが?」

「確実なことはわかりません。しかし、あそこになら」

 

 彼女は、部屋の入り口の方に――特に何もないが――顔を向けた。少し考えて、その意図が解った。あの方角には、格納庫がある。

 

「例の話ですね。初代司令官がそこで何かをしていた」

「そうです。十中八九、妖精さんに関わる、何かを」

 

 そしてそれは、あの白い子だ。個人的に確信していた。

 

「神通さんは、彼と仲が良かったんですよね?」

「さぁ……どうだったかしら」

「さっき彼と話をしました。大島海慈、旧姓時安」

「……ふぅん。そうですか」

 

 神通さんは、努めて平静を保っている。ほんの少し、湯呑みを握る手が、緊張しているように見えたのは、きっと気のせいではない。

 

「信じられないことに、私の前任基地の関係者でしたよ。一切、此処の情報を教えてくれませんでした」

「そうですか……何か、恨まれるようなことでも」

「ありません。要は、あの人の掌の上で踊らされていたんだ――むしろ此方が恨んでやりたいくらいで」

「そう…変わってないみたいね、あの方も」

 

 神通さんは、そこで一呼吸置いた。

 

「彼は私について何か?」

「いえ。そこは、何も。はぐらかされてしまいました」

「そう…そうですか。そうでしょうね」

 

 いたたまれなくて、直視出来なかった。

 つい先刻まで凛と構えていた彼女の雰囲気があからさまに変わったからだ。彼女の体は一回り小さくなってしまったのかと錯覚したし、眼帯の奥で涙ぐんでいるのじゃないかと心配した。

 

「…大丈夫ですか?」

「何がです?」

「何がって……それは……ムゥ」

 

 この尋常でない落ち込み具合からして、未だに大島海将を慕っているのだろう。5年も前に1度は拒絶された筈なのに、それでもなお、その想いが色褪せていないのは美しくもある。

 しかし、解釈によっては、これもある種の停滞だ。結論が出ていないある事柄が、何もかも有耶無耶のままで2人は別たれた。それが今、偶然の機会を得て表出した。成就するにせよ破綻するにせよ、大鉈を振るうならば、今しかないのではないか?

 

「神通さんは、彼と話したくはないのですか?」

「別に、どういうことも。彼は私に興味がないでしょうし」

「彼がどうとかではなく、貴女の思いを訊いたんですよ」

 

 彼女は一拍置いて、答えた。

 

「話したく……ありません」

 

 そして、彼女は部屋を出る準備を始めた。このまま格納庫に向かうようだ。当然、私もついていくことになっているのだろう。

 

 まだ自室には戻れそうにない。 

 




お久しぶりです。

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