サルベージ   作:かさつき

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お待たせいたしました。


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「先刻もう既に訊いて、たしか、教えてくれなかったと……?」

「うん。でも、今の様子を知ってたら、また違うかもだよ」

 

 我々は廊下で立ち話をしている。洗濯室の隣ーー神通さんの部屋の目の前だ。

 那珂さんの話に曰く、洗濯室の壁は特別薄いため、神通さんの部屋からでも様子がわかる、と。神通さんの尋常ならざる聴力を以てすれば、たった今洗濯室で起きた一部始終を把握することなど朝飯前であるらしい。結構声を抑えていたつもりだったが、この会話すら筒抜けだとか。

 

「どうぞ」

 

 流石にそんな大げさな、と半信半疑だったが、那珂さんがノックするより早く扉の向こうから返事が聞こえて、信じざるを得なかった。那珂さんは、当たり前のことの様に扉を開け進入する。私も続いた。

 

「こんばんは。体は良いのですか?」

 

 神通さんは、こちらを一瞥すらせず訊いた。部屋の真ん中に卓袱台。座布団に正座して読書をしている彼女の横で、見覚えのある電気ストーブが橙赤色の電熱を発していたーー私の部屋の物と同じ型だ。窓側にテレビと、その台として背の低いキャビネット。部屋の隅には寝具一式が畳んである。神通さんらしさを感じるシンプルな景観だ。彼女は、我々に向き直った。

 

「聞いてたよね?お姉ちゃん」

「……ええ」

「誰かの悪意がある、ってわかるでしょ?」

「悪意かは断言できません。ですが、自然発生的な現象ではないですね」

 

 神通さんは私に顔を向ける。那珂さんと神通さんの声はーー姉妹だからかーーよく似ているが、その性質は丸きり違っている。普段なら、神通さんの刃のような声を聞いていると、喉を締め付けられるような緊張感が身に降りてくる。しかし今、その声からは、拒絶の意志が読み取れなかった。

 その上彼女は、我々に座布団と緑茶を出し、着座を勧めてくれた。しかし那珂さんは、一服することもなく本題を切り出した。

 

「何か知らない?さっきも訊いたけど」

「何か知っていたら、どうなのかしら?さっきも訊いたけれど」

 

 質問を質問で返すのは、神通さんが作法を弁えないからではない。私には、彼女が我々を試しているようにも聞こえた。

 

「元に戻すの。海佐の髪も、肌も」

「そのままでも、大した影響は無いと思いますが」

「何でそんなこと判るの?やっぱり何か知ってるんだよね」

「いいえ?想像を述べただけですよ」

「私の来る前とかに、同じような人はいなかったの?」

「いたような、いなかったような。何せ数が多いですから」

「……このままじゃ、海佐がいなくなっちゃうかも知れないんだよ?」

「この基地から離れたら、体も治るかも知れません」

 

 那珂さんが多少押してみても、糠に釘。私はただ、黙っている。少し間があって、那珂さんは反論した。

 

「自然発生的なものじゃないってわかってるのに、自然に治るかもなんて、お姉ちゃんにしては楽観的過ぎるよ。この基地から離れても治らなかったら、取り返しがつかないでしょ。そんな無責任なこと言う人じゃないって、私は分かってるから。前例があるんでしょ?で、その人はもう治ってるんでしょ。何とかなるって、知ってるんだよね?」

 

 矢継ぎ早に言い切った那珂さんを見て、神通さんの発する雰囲気が、少し柔らかくなった。

 

「那珂ちゃんは本当に、この人のことを好いてるのね」

「す、好い……えっ。違うって、そうじゃない、こともないけど。その……」

 

 急にしどろもどろになった那珂さんをみて、神通さんは少し笑った。

 

「まぁ、そうね。ありますよ、前例なら。他ならぬ私が当事者……いえ、加害者ですから」

 

 そして、少し寂しそうに告白した。

 

 

***

 

 

「カガイシャって…害を加える、で加害者ですか」

「そうですよ。勿論」

 

 目を見開いて完全に硬直した那珂さんに代わり、私が尋ねた。加害者があれば、被害者もいる。彼女の言う被害者とは、つまり、今の私の立場に相当しよう。

 

「こう言うのも変ですが……お相手は?」

「初代司令官。私と赤城さんと津田さんしか知らない人です。時安、という……この辺りでは珍しい名字の方で」

 

 今日の眼帯は落ち着いた緑ーーいつも通り、神通さんの表情は覆い隠されている。顔が俯いているから、少なくとも愉快な思い出でないことだけは窺えた。

 

「あれは、執務室でしたね。私は……彼を押し倒しました。力では、負けませんから」

「……そうですか」

「そのまま、唇を奪いました。舌も入れたかしら。5分くらいずっと、彼の口を貪って……」

「い、いえ、あの。是非、ダイジェストで…」

「失礼しました。そしてその後、潮風の香りがして……ふっと、自分の体から何かが抜け出るような、不思議な感覚があって、意識を失いました。気づいた時には2人は折り重なるように倒れていた」

 

 漸く那珂さんが時間を取り戻した。途切れとぎれに、絞り出すような問いを神通さんへ投げかけた。

 

「なんで……そんなことを、したの……?」

「そのときの私もきっと、今回の犯人と似たような心境だったのでしょう」

 

 はぐらかされた……のかも知れない。質問に答えているようで、答えていない。何か複雑な事情があることは察せられたが、昔のことだから、と神通さんは話題を切り上げる。今度は、私が尋ねた。

 

「その後……司令官の髪が、白髪に?」

「元々多少、白髪混じりでしたが、そうね。相当お年を召したように、真っ白に」

「津田さんは……知らなかったんですか?そのことを」

 

今朝〝こんなことは初めて〟と言っていた。

 

「当時は、基地周辺に下宿しながら、非常勤で仕事されていたので。顔を合わせるのも週に1度くらいのことでしたから」

「その……結構な大事件だと思いますが、何も相談しなかったのはどういうわけでしょう?」

「さぁ。何か考えがあったのかしらね」

 

言いたくない、と暗に言われた気がする。もしくは本当に知らないのか。

 

「……それで、治ったんですよね?」

「ええ。そうです」

「何をすれば…あー…。或いは、何をしてもらえば……」

 

 彼女は首を横に振った。何が飛び出すかと身構えたが、神通さんの答えに、私は少し拍子抜けした。

 

「それが、はっきりとは解らないのです。数日後、突然治りましたから」

「と、突然…治る?そうなんですか……」

「じゃ、お姉ちゃんは何も知らないの?」

 

 那珂さんは大袈裟に肩を落とした。部屋の空気が重くなる。神通さんは、何かを思い出そうとするように顎に手を当てた。会話が中断し、間がもたないので、私は茶を啜った。飲みやすい温度。程好い渋味と旨味の中に、上品な甘味を感じる。玉露を低温でじっくり抽出したときの味わいだ。良い茶葉を使っているらしい。

 

「方法は知りませんが、1つだけ、思い当たることが」

 

 少しの間、考え込んでいた神通さんが、声をあげた。

 

「白髪が治る前の数日間……。日中、彼の姿が見えなかったのを記憶しています。確か、格納庫の鍵が誰かに借りられていたような……」

「ほう、格納庫。それは何か、有力な手がかりになりそうだ。よくそんな細かいことを覚えてますね。大した記憶力です」

「いえ……。あのときは……」

 

 神通さんは素直な称賛を贈る私の視線を避けるように、顔を背けた。

 

「あのときの私は〝たが〟が外れていましたから。とにかく、彼の一挙手一投足を……監視して、管理して、支配しようとしていました。朝起きて、夜寝るまで側について。だから、覚えているんです」

 

 神通さんの口からまたもや鮮烈な言葉が飛び出て、那珂さんは再び硬直した。神通さんは私に向き直って言った。

 

「1つ、ご忠告申し上げます。那珂ちゃんもさっき、言っていたでしょう。何か良くないことが起きている、と」

「ええ、言われました。確かに」

「それはなにも、昨日今日始まったことではないのです。この基地が、この地にできたときからずっと、私たちはその渦中にいます」

「そうなんでしょうね、聞く限りでは」

「遅効性の毒がゆっくりと、此処に訪れた人たちを蝕んでいる。その毒は時折〝弱さ〟の形をとります。少なくとも、私は耐えられなかった」

 

 那珂さんが俯いた。

 

「誰かの優しさですら、こんな形でしか返せない。そういう場所なのです、此処は。なるべく距離をおくようにするのが、一番良いのです。貴方は此処にいるべきではありません。分かるでしょう?」

 

 私は答えず、視線を逸らした。

 

「格納庫といえば、ですね。あの白い妖精さんが、何か助けてくれるかも知れない。でしょう?那珂さん」

「う、うん」

「行ってみましょう。善は急げだ」

「……うん」

「と、いうわけで、そろそろお暇します」

 

 辞意を示すと、神通さんはため息を吐いて、頷いた。湯呑を片付ける彼女に、ひとつ捨て台詞を吐いた。

 

「耐えられなかったと云っていましたが、本当にそうでしょうか?案外、まだ戦っていたりしてね」

 

 或いは、睨まれたろうと思う。私は振り向かず、部屋から退散した。

 




そろそろイベントですね。

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