サルベージ   作:かさつき

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こんにちは。61話です。

センシティブな内容を含む可能性があります。


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 黒い水の底に体を横たえて、私は焦っている。理由は見つからない。自分にさえ説明のつかぬこの焦燥は何だ。

 いま、心地よい、悪くない。決して悪くない気分だ。この水は、冷たくなく、暖かくもない。昼寝に丁度良いくらい温度。底を通じる緩やかな水流が、体を撫でほぐしていく。ちゃぷちゃぷと気味のいい音が鼓膜を直に揺らしている。体がゆっくり、水と馴染んでいる。

 しかし、この状況はどうも「違う」気がしてならない。どこか、違和感を覚えている。例えば朝、二度寝したいくらいに心地のよいまどろみは、私の代わりに仕事をこなしてくれない。いつかは出なければ、ここから出なければ。そういう焦り、いや、葛藤?そうだ、しっくりくる。何にせよ、いつかはこの状況からぬけ出さなければ。

 

「良いんですよ?ずっと、此処にいても」

 

 水流に混ざった彼女の声が、私を許した。そうか、良いのか。私も此処にいたい。彼女が許してくれるならば、それでも良いか。いや、しかし、私には成すべきことがある――気がする。何処かの誰かが私を必要としている。そう信じたい。本当にとどまっていて、いいのだろうか。

 

「ええ、勿論います。誰しも、1人では生きていけません。けれど、残念ですが、代わりは幾らでもいますよ。そうやって、成り立っています。良いも悪いもなく、ただそういう風になっているのです」

 

 そう、か。代わりがいる。私もそうだ。私の代わりなど、幾らでもいる。でもそれならなおのこと、此処にいる意味もないのではないか。私が何処にいても同じ。此処から消えても、きっと代わりが現れる筈だ。

 

「ええ、その通りです。何処にいても、何処に行っても同じ。しかし今、貴方は此処にいますし、そして、居たいと思っている。此処にいる意味もないなら、同じくらい、此処から離れる意味もない。そうでしょう?」

 

 そう、か。離れる意味も同じくない。私は此処に残りたい。ならば自ずから結論が決まっている。

 

「ちなみに、ですが。此処……この場所は、私と提督のいるこのまどろみ、どっち付かずの中途半端な、何処へもいけない中間地点は、貴方を失ったらなくなるのです。貴方があるから、此処にあるの。貴方がいるから、まどろみは続くのです」

 

 なんだ、それは。何かの比喩か?代わりがいると、たった今言ったじゃないか。

 

「言いました。それもまた、真実です」

 

 それでは、貴女もいなくなる?私を失って、この場所ごと貴女も一緒に消えてしまうのか。それは、そんなのは……。

 

「私は、さみしいです」

 

 そうだ。そんなのは、さみしい。

 

「そうでしょう?消えるのは、いなくなるのは、別れるのは……寂しいです。此処にいましょう?ずっと、まどろんでいましょう?ずっと、ずっと。ずぅっと」

 

 そう、か。そうだ、私のすることは決まっている。此処にいるべきだ。いや、待て、しかし。私がいつまでもまどろんでいたなら、彼女らを……中間体の6人を放っておくことになる。それはあまりにも無責任ではないか?此処にいたいのは、あくまで私の願望だ。そんなものより優先されるべきことが、在るのではないか?

 

「ふ。ふふ……。ふふふ、そうですか。お優しいのね」

 

 優しさ……いや、そんな貴いものではない。彼女たちのためになにかをしたい。これは独り善がりの意地だ。凡夫の卑小な決意だ。そこに価値はない。そこから生まれるものがあればと願う以外、何も出来ない。

 

「ええ、ええ。そういうことにしておきましょう。でも、あるのですよ。此処にとどまる方法。そして、彼女たちに対する責任をもとる方法」

 

 あるなら、それは、嬉しいことだ。いや、しかし、そう都合の良いことは世の中にない。大抵、彼方をたてれば、此方は立たないのだ。

 

「善か悪か、敵か味方か、彼岸か此岸か。二元的に表すには、この世は多様過ぎます。そうでなきゃ、中間体なんて存在しないのでは?何れをも両立させることは、確かに難しいですが、不可能ではない」

 

 諸々、相解った。話を聞こう。まずはそれからだ。

 

「ひとつになればよいのです」

 

 ひとつに?何と。

 

「私と、ですよ」

 

 何だそれは。随分、荒唐無稽だ。普通、人間は誰かとひとつには成れない。

 

「そう、でも実は、とっても簡単なのですよ」

 

 簡単、か。それはまた、どういう理屈でうまく行くのだろう。取り敢えず方法は受け入れるにしても、納得のいく説明が欲しい。

 

「あら、疑り深いのね?もう既に、提督はご経験なさっているのではありませんか。ヒトミさんと、那珂さん。あら、もう萩風さんも〝居る〟のね」

 

 それは、つまり……アレ、か。アレは、辛かった。

 

「今回は、そんなに辛くないですよ?3人は無自覚に、突貫工事をしてしまった。そのせいで、どうしても提督の体に負担がかかったのでしょう。だから今度はゆっくり、時間を懸けます。その代わり、少し規模が大きいけれど」

 

 規模が、大きい?

 

「ええ。申し上げた通り、私と、1つになるのです。見たところ、3人の場合は記憶とか、経験程度かしら?提督の頭の中……ほんの隅っこに、すぼまっていますが」

 

 では記憶や経験以上が、流れ込むと?

 

「流れ込む、なんて生易しいもので済めばいいけれど。心を、くしゃくしゃにかき混ぜるくらいしなければ、ひとつには成れません」

 

 それはそれで、辛そうだ。

 

「いえ、むしろ……ふふ」

 

 なんだ……?いや、それはそうと、どういう理屈だ。まだ、質問に答えてもらっていないじゃないか。

 

「ですから私とひとつになるの……貴方はずぅっと、此処に居られるでしょう?」

 

 だから、それは何故かと……。

 

「絡みあって、溶けあって、混ざりあって、ひとつに」

 

 わかった。それはわかったから、どういう理屈で。

 

「じゃあ、もう始めてもいいかしら」

 

 待、待ってくれ、私はまだ納得していない。

 

「あら。先程、宣言なさったじゃありませんか。方法は受け入れる、と。納得は後からでも遅くはないですよ?」

 

 そんな、バカな。違う、あれは違う。拒絶する。勝手に、そんな――。

 

「あら、これは?ああ……残念です」

 

 出る。ここから脱出する、直ぐに出なければ。水底を蹴る、上へ。上へ。

 

 

***

 

 

「う、うぅ……?」

 

 何か不思議で恐ろしい夢を見た気がする。首を動かす。固い感触――床の上だ。

 瞼の裏に光を感じる。朝、か?いや、暗い。まだ暗いのに、ぼんやり明るい。何だ?どういう状況か判らない。暖かい、心地よい、眠い。何だ、何かが、蠢いている。私の上だ、もぞもぞ、もぞもぞと。これは何だ。しばらくあって目がなれると、甚だ不可解な光景が眼に飛び込んできた。

 

「おはようございます。提督」

「な、に、を……」

 

 瑞穂さんが、私の腹の上に跨がっていた。

 首から下が動かない。決して、瑞穂さんが重いのではない。金縛りにでもあったかのように固まっているのである。彼女は薄笑いを浮かべながら、私の様子を観察する。

 

「体、動かせないでしょう?」

「これは、貴女が?な、何が、何を、一体これは……?」

「私のせいとも言えますし、貴方の意志とも言えます。心の誘導……暗示に近いかしら。心のブレーキを少し緩めて……でも、土壇場で戻って来られるなんて思いませんでした。ヒトミさんたちから〝訓練〟を受けたお陰かしら?」

 

 分からない。眠い、気持ちいい。朦朧とした意識を何とか繋ぎ留める。彼女が私の頬に、ズルリ、と舌を這わせた。

 

「う、あ。み、瑞穂、さ」

「あ……ごめんなさい、思わず。瑞穂、いま少し、昂っています。ちょっと心を落ち着けますね」

「っ……」

「ん、はぁぁ……。ふぅぅ……。ふふ、潮風の香り」

 

 私に覆いかぶさって、わざわざ耳もとで呼吸をする。艶っぽい息遣いが、私の耳を怪しく擽る。柔らかいものが2つ、私の鎖骨あたりに押し当てられている。自然、心臓が早鐘を打った。

 

「暖かい、ですね。この、優しい音。さっき貴方の内側に触れた時、凄く穏やかな気を分けて頂きました。提督は、色々な人を支え、そして支えられ、生きてきたのね。この基地の司令官として、これ以上ない適任だと思います」

「どうして、こんな、ことを……?」

「あら、それは説明申し上げましたよ。さみしいですから。貴方にいなくなって欲しくない。その一心です。この基地に居て欲しいの」

「わ、私は……」

 

 いなくなるつもりはない――そう云おうとしたが叶わない。彼女の人差し指が唇に当たり、言葉を遮った。

 

「今は、そうでしょうね?でも、貴方が思うよりも、それは難しいことです」

 

 瑞穂さんが、私の首筋に手を当てる。頸動脈が圧迫され、首の脈が彼女の指に捉えられ……いや、これは彼女自身の心音――?規則正しいリズムが、どくん、どくんと耳もとで刻まれる。自分で、自分が分からなくなる、安心するリズム、心地よい。まるで、すぐそこに彼女の心があるような。安心する、気持ちいい、何だこれは。意識が遠のきかけた。

 

「聞こえていますか……私の〝音〟」

「……心臓?」

「今、提督は……。ふふ、瑞穂に〝近づいて〟いるんですよ。だから聞こえる。ふふふ。とっても安心できて、きもちいい、でしょう?ヒトミさんたちのいるところへ、私も参ります」

 

 ふと、心臓以外の音が聞こえた、何かが小刻みに震えるような音――ぶうぶうと耳障りだ。瑞穂さんが煩わしそうに体を起こした。彼女は、その何かを放り投げたらしい。カツン、と遠くで音がした。

 

「ごめんなさい。近づきかけていたのに、また離れてしまいました。……では、もう一度」

 

 また、彼女は私に覆い被さった。先ほどよりも、その肢体を露骨に密着させる。私の脚に彼女の脚が絡む。首筋から白く細い指が這い上がってくる。両手で顔を固定される。瑞穂さんが顔を近づけてくる。鼻と鼻とが当たらんばかりの距離。熱い息が顔にかかった。また、あの音が、耳に染み込む、さっきよりも、重厚な音――意識があっという間に遠のいた。

 

「あは……さっきよりも、深くて濃いのが」

「う……うう……!」

「もう少し、あと、もう少しですよ。私と、溶けあいましょう?とろとろぉ…って、混ざりあいましょう?提督。さぁ……」

「ひ、ぃ……溶へへ、混さ、ふ?なん、お、言……」

 

 呂律が回らない、眠い、気持ちいい。抗い難い安寧。明らかに異常な事態なのに、心が凪いでいく。大きくて柔らかなものに包まれる錯覚。意識が保てない。全てが弛緩する。瞼が落ちる。口の端から唾液が溢れたかも知れない。瑞穂さんがクスクス笑ったかも知れない。分からない、眠い。拍動が重なる。彼女のしん音と、わたしの心おんと、どうちょうする。ねむい、きもちいい。

 

「幸…に飲みこ…れ…くだ…い。大丈…、うま…いく筈…す」

「あ……?」

 

 ことば、とぎれる。わからない。

 

「ひとつ…なって、同じに…って。ここ…、この…地にずぅっと居…しょうね」

「あ……」

 

 ねむい。もう、だめ、だ。

 

「て…督?提…く?も…限か…みた…ですね」

「……あ、あー……」

「おや…み…さい。さよ……ら」

「……?」

 

 いま、さいご、なんて……?

 

 

 

====================

 

 

 

 私は廊下を歩く。木製の踏板が軋む。多分ここは官舎の1階だ。意識はあるが、どうも頭に靄がかかったような心持ちだ。いままで、私は何をしていたのだろう。何かいい夢を見た記憶はある。じゃあ、寝ていたのか?それにしては、起床した直後の記憶がない。目覚まし時計を止めた覚えもなければ、布団から這い出した覚えも、着替えた覚えもない。意識を取り戻したときには、もう、廊下を歩いていた。第一、廊下が暗すぎる……今は夜だ。何故、こんな遅くに、私は1人で歩いている?便所に行きたい訳じゃない。小腹が空いたのでもない。寝惚けていたのだろうか。ボウっとしているのに、目は冴えている。不思議な感覚だ。

 

「と……とりアエず、部屋に戻ロうカ」

 

 元々、暗い場所は得意じゃない。理解不能な状況に、幾分背筋が冷たくなってきた。気を紛らわすために独りごつと、声に違和感を覚える。風邪だろうか。

 

「だ、誰……津田さん?そこに、居るの」

 

 後ろから声がかかる。か細い声に、一瞬ゾッとしたが、声の主に心当たりがあった。これは、ヒトミさんだ。

 

「あ、アあ。ヒトミさん、こんバンは」

「……!ど、何処に。3日も…!何処に……行ってた、の!みんな、探して…!?」

 

 彼女にしては大きな声だ。心配?確かに私は、悪くもない体調を心配されて、1日寝転がって過ごした筈だ。だが、探すも何も部屋に居た筈なのだけれども……3日?

 

「海、佐?なに、それ……」

「はい?そレ、とは?」

「目。目が……。か、髪の毛、も……。ウソ、こんな」

 

 歩み寄って、私をまじまじと観察する。心なしか、彼女は震えている気がする。彼女が何歩かよろけたので、思わず体を支えた。

 

「おっ…ト。ひ、ヒトミさん?大丈夫デすか?」

「……」

「……ヒトミさ……?」

「手……冷たい、です。でも、暖かい……何?これ……」

 

 〝私たちと、同じになったみたい〟

 

 ヒトミさんの続けた言葉を聞いて、小さな頭痛がした。

 




やってしまいましたな。



PS

艦これイベントめっちゃ楽しいです。

ヒトミさんの御令妹をお迎えできたのが何よりの収穫。

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