サルベージ   作:かさつき

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色々なことに動揺する夜だ。

 

お化けに怯え、虫の息の病人を見つけたかと思えば、それは深海棲艦で。

助けようとしたら別の深海棲艦が現れ。しかもそのどちらもが、言葉を解す人型で。

今はその二人と連れ立って夜の官舎(学生寮)を歩いている。

こんな経験をする者など、この世に二人と居はしないだろう。

 

 

一度は縮んだ寿命が、のびる思いだ。

今後これほど驚くことはまずなかろう。

 

ーーー私は、そう思っていた。

 

 

 

 

談話室に入り、ソファーに彼女を座らせる。空母棲姫が電気のスイッチを入れた。

 

薄暗い廊下に慣れ切っていた目が眩む。

しばしの後、漸く普段通り目を開けられるようになった時、私の呑気な予想は、あっさりと裏切られることになる。

 

 

そこには本日最大の衝撃が待っていた。

 

 

 

彼女の髪は、まるで墨に浸されたかのように、じわりじわりと黒に染まっていった。

 

薄っすら開いた瞳から藤色の光が消えた。

 

死人と見紛うほど白かった肌には、みるみる血色が戻っていった。

 

 

 

彼女はやはり、ヒトミさん本人だったのか。

 

 

「あ………な、なん」

 

目の前の現実が受け入れられなかった。私の頭の中では、こんな事態どうしたって有り得なかった。

 

 

「どうされました?」

背後から、空母棲姫が聞いてきた。

 

一体どういうことか、これは何なのか、問い質さなければ。

 

私は振り返った。そしてもう一度仰天した。

 

 

 

 

そこには空母棲姫がいたはずだ。私がヒトミさんをソファーに座らせる傍ら、談話室の電気を点けてくれていたはず。

 

しかしそこにいたはずの空母棲姫は忽然と消え失せ、別の女性が立っていた。

 

 

 

 

腰まで届く長い黒髪を蓄え、紅袴の弓道着を身にまとっている。ヒトミさんとは種類の違う美人であった。

 

ヒトミさんが怜悧で、落ち着いた雰囲気の見た目であるとするなら、彼女はどこか柔らかな印象を受ける。

 

どことなくふっくらとした頬と、少し垂れた眉がそう思わせるのか。

 

いずれにせよ、冷たい破壊者は、そこに居なかった。

 

 

 

「………!」

口が空いて戻らなかった。

 

ヒトミさんに何が起きたのか、あなたは誰なのか、空母棲姫はどこに消えたのか、色々なことが口から同時に出ようとして、渋滞を起こしていた。

いつだかの大淀さんの気持ちを追体験した私であった。

 

 

 

呆然とする私を余所に、紅袴の美人は、ソファーで休むヒトミさんに寄り添い、彼女の背中をさすっている。

 

 

 

 

 

 

丑三つ時の談話室には、暫くの間、弱弱しい呼吸音と、衣擦れの音が響くのみとなった。

 

その静謐は、ひどく心に悪かった。無音に雁字搦めにされ、動くに動けないような、そんな心持だった。

 

ほんの少しの間なのにひどく肩が凝ったような気がした。私はただ立ち尽くすだけだ。

 

 

 

五分ほどたったころか。

暫く彼女らの様子を眺めていると、徐々にヒトミさんの呼吸が整ってきた。精神的な疲れ、だったのだろうか。

 

徐に紅袴の美人が切り出した。

 

 

 

「……なにか辛いことでも、思い出したのですか………?」

 

「う………」

まだ彼女の声は、力を取り戻していない。ヒトミさんは、膝の上で組んだ自分の手を見つめている。

 

「廊下の………明り、赤いのが。なんだか、〝眼〟に見えて」

 

「ああ………なるほど、そうでしたか」

紅袴の美人は其れだけで、すべてに察しがついたようだった。

 

「妹さん。まだ……ですものね」

 

「ーーーーーはい」

項垂れて、それきりだった。

 

 

 

妹さん、と言った。姉妹艦のことかだろうか。

旧帝国海軍の伊十三型潜水艦と言うと、特殊攻撃機「晴嵐」を2隻搭載した潜水空母である。ヒトミさんは、その一番艦の記憶を受け継いだ艦娘なのだ。

記憶が正しければ、三番艦と四番艦は未成で終戦を迎えたはずだ。ということは、つまりーーーー。

 

 

「伊14……か」

 

 

1945年7月。伊14はトラック諸島への偵察機輸送任務に従事していた。

翌8月に任務は成功するもその地で終戦を迎えて、その後は米軍に接収されたらしいが………。

 

 

廊下、明り、赤いの……?非常灯のことか。メ、とは眼のことか、何かを悪いものを、想起してしまったということか。

 

考えるに昔の彼女に、何かがあったらしい。

紅袴の女性は、知っているようだ。それは多分、大きな大きな心の傷。

ーーー少なくとも、息が詰まる程度には。

 

 

 

気にはなったが、暗い表情で俯くヒトミさんに、今聞けることではないだろう。

今まで起きた不可思議な現象。それに付随して湧いた、数々の疑問や疑念、そして不安。一切合切ひっくるめて、今すぐにでも洗いざらい聞いてしまいたいが、今はどうにも無理そうだ。

 

それら全部は、明日以降の未来の自分に任せるしかない。いや既に「今日以降」か。

 

 

 

 

一先ず、と前置いて、私は話を切り出した。

「ヒトミさん。今日は部屋に戻って、ゆっくりと休むべきです。」

 

夜も遅い。健常な者は熟睡している時分だ。きっと彼女は心身共に疲弊している。

 

「そうですよ。あったかくして、ね?」

紅袴の女性も同調した。

 

 

未だ表情は優れず、反応は薄いが、小さく頷いた。

彼女は紅袴の女性に肩を借りながら、私に小さく会釈して、談話室を後にした。

 

 

少しだけ安心した。ヒトミさんは、彼女は、彼女だった。

心の冷え切った殺戮者・深海棲艦は取りあえず、この場から消え失せたかに思えた。

 

 

 

後に残った私はそこで漸く、自分の体がひどく冷えているのに気づいた。

薄めの寝間着一枚の自分を見た瞬間、一気に寒気を自覚した。

大きなくしゃみを一つかまして、自らの部屋に帰った。

 

 

 

 

 

 

ーーーーここに来てから、本当に、考えごとばかりしている。

 

布団にくるまって、眼を瞑ったがもう眠りにつける状態ではなかった。

様々なことが頭を回って、藤色と朱色の光が瞼の裏に明滅した。

 

 

突如現れた深海棲艦。そいつはあろうことか、目の前で艦娘へと変貌した。私の知る艦娘へと。

 

そして、現れた空母棲姫。彼女は消え失せ、代わりに突如別の女が現れた。

ーーーこれはやはり、ヒトミさんに起きたことと同じ現象があったとみていいだろう。

結局、紅袴の彼女の名前は聞きそびれた。

 

また、ヒトミさんは心に大きな傷を負っているらしい。それは彼女の姉妹艦に関係していて、紅い光が原因だったようだ。

 

 

疑問が渦まく。

 

あの現象はなんだ。ーーー艦娘と深海棲艦が同一の存在だという噂は本当だったのか。しかも見た目を自由に切り替えることができているではないか。いままで見てきた艦娘すべてそうなのか。

 

彼女らはなんだ。ーーーなぜ私にその事実を知られても平然としている。自衛隊に籍を置く艦が、あまつさえ、敵と通じている。こんな致命的なことは、隠そうとするのが普通ではないのか。

 

この基地は、なんだ。ーーーなぜ深海棲艦が当たり前のように存在している。

 

深海棲艦とは、なんだ。ーーーなぜ人類を殺す。

 

艦娘とは、なんだ。---なぜ人類を守る。

 

 

彼女らの目的は、いったい何だ。

 

 

 

明日がーーー既に今日かーーー休みで本当に良かったと思う。

 

今日が最後の休業日だ。

 

 

 

私には、知らないことが多すぎる。これからこの基地で、業務をしていくのだ。

聞き出そう。問い詰めよう。調べよう。納得いくまで、だ。

 

 

そんなことを思いながら、半ば意識を失うような微睡に落ちたのは、もう空が白んだ頃だった。

 

 

 

 




遅くなりました。


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