サルベージ   作:かさつき

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大変長らくお待たせいたしました。


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波間に揺蕩う私はわたしとなった。この海に人ではないわたしは船で、いや私は人だ?部屋の中の私はつまり、多くの姉のいるわたし。姉?姉は、いや違う、私に姉はいたかいないはず。でもわたしは私でないのにわたしは私となっている。なんだ、これは。ああ、わかった。また、これか。

 

 

 

暗転。

 

 

 

私が聞いたのはわたしの撃つあの子の撃つ魚雷。音は処分の音。魚雷は駆逐艦の魚雷でわたしとあの子は駆逐艦だ。いやだ、いやだ、すごくいや。仲間に撃つものじゃない嫌だ。彼女の腹に吸い込まれ、爆音。轟音。仲間?彼女は仲間で仲間に武器を向けるなど。強くて強い彼女は沈む。わたしたちが沈める。脆くてもろい私は征く。炎に包まれ体も折れて、彼女はしずむしずむ深い底へ逝く。ミッドウェー?わたしは泣かない泣けない涙はない。共にいたあの子も泣かない泣けない涙はない。わたしはあの子は人でないのに怖い。なぜ怖い?彼女さえ沈んで、わたしたちはきっと脆く消える?いやだ。

 

 

 

暗転。

 

 

 

私とわたしは霧の中海の中。運んだ人陸の人彼らも、姉もいなくなった焼けて爆ぜて消えた。私も?そんなことは。怖い。無心で運ぶせめて届けて。雨の闇、左から衝撃があって痛い、炎が。炎?待ち伏せ?何も見えない。被雷。被弾。私があっという間に、わたしは焼けて、爆ぜて。やめろ。昏い海に燃える体が、熱い痛い。やめて。わたしは沈む。夜の海の暗い底へ。仲間も沈む、あの子と、あの子も。あの子は逃げた?わたしは消えて水底へ。もがくのに、上がれない。私はあがいてわたしはもがくのに沈むだけ。どこまで沈むの?波をかき、水をわけ、誰かを救う手がない。人のように、わたしにも立派な手が、腕が在れば。

 

 

 

暗転。

 

 

 

水底。白い手と黒い手。白の手は普通の小さな細い。黒のわたしの手と腕は大きな手で、掴み握り。便利な腕で、引きちぎってへし折る。やめろ。便利な強く立派な腕で戦える、簡単に敵を薙ぎ、潰し、壊し。やめるんだ。便利な腕その為の腕。違う。弱いのが悪い。ちがうぞ。強い腕に怒りを込め、わたしの振り下ろす振り回す左手を。わたしは誰に?敵に?振り上げ振り抜く右手を。当たらない知らない見えない鬱陶しい。夜戦、夜が、好き?わたしは嫌い。黙れ黙れ黙れ。白いマフラーが翻る。お前はそうかお前が。嫌い嫌い、何も見えないのは怖い。帰れ消えろ。何も見えないまま、沈んで消えろ。

 

 

 

暗転。

 

 

 

被雷。また、沈む。沈んで逝く。逝くなまだだ。暗い、寒い、寂しいよ。まだだ諦めては。浮く?死ぬな。明るい?生きろ。嘘、見える?生きろ。わたしはあなたが、見える。

 

 

 

明転。

 

 

 

明るい海の上の広い空の下に小さなわたしは生きる。光眩しく見えるのは波と風。この時代には違う敵がいる。弱い脆い小さなわたしもせめて誰かを。遠征でも、偵察でも。小さな弱い手で掬えるだけの全てを救うせめてそれだけでも。

 

 

 

少し、暗転。

 

 

 

敵が多くの敵が島を、わたしは誰かを人をそこで救うため。そこは遠い島。逃げ遅れた人大勢が。空を睨み海を睨む。対空警戒。対潜警戒。いつもとは違う任務難しい仕事。対空警戒。対潜警戒。風の強い波の高い日よりによってこんな。対空警戒。対潜警戒。砲撃はきっと迎撃部隊の戦う音。空気が痺れて張りつめて裂けて焼ける音。島が近い。対空警戒。対潜警戒。島が近い。対空警戒。対潜警戒。島が近い。

 

島が、近い。

 

 

 

暗転。

 

 

 

綺麗な島。みんなをのせて、早く帰ろう急いで早く。入電、第5分隊?いない1人が逃げ遅れた?島の向こうにでもどうやって。遠い場所だけど見捨てるなんてそんなのは、せめて誰かが残って誰かがわたしが。それでも良いわたしが残って、その人を。だってもう夜が近い。暗い場所に1人なんて。みんなに手を振るかならず無事で生きて基地で。海に背を向け往く往かなきゃ。綺麗な島は暗闇に融けて。

 

 

 

深く、暗転。

 

 

 

見つけた。暗い仏間。1人。もう大丈夫。わたしが、わたしが?白髪?違う、何を。何が。白い髪白い手、嘘。ひ。掻き毟る。ひぃ。違う、わたしはわたしが?味方。砲口がわたしに。違う、違うの。痛い。違うの。やめて撃たないで。痛、苦し、喉。逃げて逃げないと逃げ、息が。かは。

 

 

 

さらに深く、暗転。

 

 

 

ゴミ捨て場。ゴミ。役立たず。廃棄物。終わり。壊れる。亡くなる。いなくなる。土の下。海の底。わたしはもう。わたしはもう。息が苦しい。息が苦しい。息、が、でき。かは。足音?終わり、絶える、消える、絶、絶望、死、もう終。終わり。足音が、鼻唄が………鼻唄?

 

 

 

ほんの少し、明転。

 

 

 

スーツ姿でもサンダルお酒臭い。おじさんは何を此処で何をしてどうして誰?何者だってそれもわたしの言葉そのまま返す。あなたは?わたしは……。違う、わたしはいいの。助けに来たの。あなたたちを此処から逃がすため。知らなくないどうでもよくない関係なくない。あなたを連れて、わたしは。さあわたしと一緒に。一緒に?わたしは一体どこへいけばどこへ。わからなくて、怖い、へたりこんだ。

 

 

 

また少し、明転。

 

 

 

話を聴くと呂律もおかしなお酒を飲んでくだをまく。愚痴。あんまり明るくない話。保険?家族を養う?失踪?わからないけどわかる。きっとこの人は消える気だ。スーツで名札で社員証もつけたまま。着のみ着のまま消えて果てるため来た。この名前は?珍しくもない名前普通の人小さな弱い人。わたしと同じで何かに大きな何かに負けた人。助けて誰か助けなきゃ。せめてこの人はわたしが助けなきゃ。わたしは歩く、暴れないで、とにかく引っ張って港へ、駄々こねないで、海の方へと。

 

 

 

また、暗転。

 

 

 

後ろ頭に冷たい感触は砲の重い鉄の。敵が、いや、味方が私に砲口を向けて。武装を、解除、する。するから。撃たないで。する、出来ない?しなきゃ、出来ない?何これ、出来ない?腕、太い腕。そんな、こんな、知らない。わたしじゃ、ない。違う。わたしは、ちがうわたしは敵じゃない、化け物じゃないよ。違う、違うのに。怒りが沸き上がる立ち上る爆ぜる。違うって言ってるのに。煩いしつこい、黙れ黙れ黙れ。嫌い嫌い嫌い。消えて消えろ、みんナ消エろ。背中の腕が、嬉しそうに動いた。味方に、いや、敵に砲口を向けて撃って、また撃って、もっともっと撃って、撃った。いなくナれ、いなクなレいナクナれイナクナれイなく…。もういない。これでいなくなった誰もいない。いやいる、倒れて、いる?なんで、倒れて、わたし、は、何を。敵を、いや、味方を?わたしが。

 

 

 

暗転。

 

 

 

逃げた。遠くへ、逃げて逃げた。どの基地でも同じ。神戸でも、同じ。わたしはもう、ゴミじゃない、毒だ。害だ。生き恥曝し、癌細胞、疫病神。わたしはもう終わり。終わりなのになんで、逃げる?わからない、消えたくない、でも消えて消えてしまえばいい。わたしは。消えて、いなくナレ、わたしのほうこそ、いなくなれ。いなくなればいいのに。でも、逃げた。神戸からも逃げた。どこでもいいから、さっさと沈めば良かったのに。

 

 

 

暗転。

 

 

 

悲鳴が聞こえて駆け込む談話室にふたりの人。この男は私か私がヒトミさんにのしかかっている、これは。いや誤解だ。ヒトミさんが辛そうな顔で、目に涙、息が切れて、これはまさか。違う誤解だ。これは一体いやとにかくわたしは彼女を助けに。待って誤解。体が動く叫んで振り抜く思いきりわたしの右手を。誤解なのに。弱い、弱い手で、今度は当たった。今度は?狼藉者が吹き飛んだ。もう大丈夫ヒトミさん。え、勘違い。

 

 

 

暗転。

 

 

 

私の目の前に趣味の悪い椅子。いや椅子ではないこれは艤装だ黒くて不快な臭いと生々しくぬめる光。そこに囚われたのは不気味な笑いを浮かべた男、私か。やたらと腰の低いでもたまに怒鳴るし今度は急にヘラヘラと。訳がわからない怖いこの人不気味な人だ。理解が出来ない見えない知らないわからない。わからないのは怖い。でも1つわかるこの人のこと。この人は多分弱いわたしも同じ。きっときっと…ずっと変わらない。

 

 

 

暗転。

 

 

 

勢いに任せてペラペラと。話してなにがどう変わる?変わらない何も、わたしはずっと毒のまま。この人もそのうちいなくなる。どうせいなくなる。わたしと仲良く?意味ありますか、それ。天井を眺め白いベッドに横たわる。勝手に話して勝手に倒れて、やっぱり毒で迷惑で、邪魔者だ。那珂さんに謝らなきゃ。赤城さんにも。あの人には…あの人にも謝ろう。流石に今度のはちゃんと謝ろう。仲良くしても意味はない。でも少しくらいは。少しくらいは……何?わからない、謝る、なんて。まるでわたしは。

 

 

 

明転。

 

 

 

この人は、変に腰の低いこの人は、わからない。幸せになっていい?そんなのは、わからない、どうして、そんな、ほんとに?変に優しいこの人は、わからない。わたしは毒で害で化け物で。それでもいい?わからない。けど、不思議と。わからないのに怖くない。鼻の奥がつんとした。何かがこみあげて流れた。止まらない終わらない。知らなかった。涙は海の味がする。

 

 

 

暗転?明転?

 

 

 

何を話してもこの人は、わたしを逃がしては諦めてはくれない。この人だってきっと弱くて何かに負けて此処にいる。じゃあ弱いわたしは、この人に背を向ける?それを見て、この人はどんな顔をするだろう。怖がるかな?怖い。わたしは、わたしの、わたしが、わからない。どうしよう、どうすれば、どうすべき。違う、違う、そうではなくて。この人の言ったことは多分、そうではなくて。わたしはどうしたい。何になりたい。どこへ行きたい。わたしのしたいこと?

 

まだ隠している。まだ見せていないのに。背中は――。

 

 

 

 

「…ん、ぐ、が」

 

 うつ伏せに倒れたせいで、けばだった畳が頬に張り付いている。この状況を作り出した犯人ーー件の妖精さんーーは苟もこの部屋の主たる私に股がり、お馬さんごっこに興じている。残念ながら馬というより、ナメクジかウミウシが関の山で、ノロノロ這いずって畳んだままの布団に頭を突っ込んだ。今回のは格別だ。脳味噌の中枢に硫酸を流し込まれたような頭痛。うめき声が思わず出て、そんな小さな刺激すら痛みを助長する。しばらくは思考すら億劫だった。

 

「…いや、偶然だろう」

 

 布団に向けて独り言を放った。頭痛の収まった時分になって、あらためてあの夢を思い出す。脳裏にこびりついたのは、萩風さんが出会ったあの男性。その社員証を、彼女は見ていた。そこにあったのは、大して珍しくもない名前だった。

 

「偶然…だ」

 

 私はそのままの体勢で、気絶するように眠りについた。

 

***

 

 次の朝。

 私は瑞穂さん謹製料理の品々をぼちぼち消化した後、インスタントココアを啜っていた。雪は止んだが、まだ空は鈍色。本日も依然冬型の気圧配置、そのうちまた降るだろうとの予想に、天気予報のお姉さんからお墨付きを頂いたところで、薬缶の笛がピョウと鳴った。ココアの2杯目を作らんとして席を立ったのは、別に自分で飲むためでなく、目の前にぼんやりした顔で座る萩風さんへ振る舞うためである。

 ついさっき、少しお話があります、と会うが早いか言ってはきたのだが、以来うんともすんとも言葉を発さない。甘いものでも摂れば口も滑らかになるのでは、と思い、大ぶりのマグカップを差し出してみたは良いものの、昨晩のホットミルクのようにはいかなかった。

 

「どうぞ。お嫌いでなければ」

「……ありがとうございます」

 

 今、談話室には我々だけしかいない。萩風さんは手に取っただけで、口をつける様子がなかった。昨晩の夢、概ね萩風さんの語った事実と符号したが、多少の気がかりも残る内容であった。細かい部分は萩風さんすらおぼえていなかったのだろう。起床してから今までずっと腹の底で渦巻いている種々の疑問をぶつけてみたかったが、その答えは望めないかも知れない。

 テレビに顔だけ向けつつ、萩風さん気配を伺っていると、不意に彼女は呟いた。

 

「わ」

「…?」

「こ……こんな、感じ、なんですね。へぇ」

「何か…?」

「ヒトミさんと、那珂さんはこんな感じだったんだ、って」

「え、あぁ…まさか、貴女も」

「不思議ですね、これ。イメージが流れ込んで来る」

 

 なるほど、あの夢を見た、つまるところ私の思考は今、彼女に筒抜けであるわけだ。

 

「萩風さん、あまり驚かないんですね?」

「それこそ、貴方自身の口から聞きましたし……その、つまり、私の記憶を見た、んですよね?」

「ええ。まぁ、そこそこ、鮮明に」

「じゃあ私の……背中のことも?」

 

 背中のこと――私は萩風さんの言を理解できずにいた。それも伝わったようで、彼女は訝しげな視線を寄越した。

 

「記憶、見たんじゃないんですか…?」

「それはそうなんですが、洗いざらいすべて、という訳では。早送りに絵柄の変わる金太郎飴の断面を通り抜けている感じというか、なんというか…。上手いたとえが思いつきませんが」

「総てを、覚えている訳ではない…?」

「はい。萩風さんの背中、でしたか?あったのかも知れませんが」

「そう…。夢なんて、そんなものかもしれませんね」

 

 萩風さんは、また黙ってしまった。それとなく――全部伝わるから意味の無い気づかいなのだが――先を促しても、しばらくは曖昧な返しだった。今でなくても良いか、と思い直し自室に帰ろうとすると、しかし彼女は唐突に私を引き留めた。

 

「あの私、昨日言わなかったことがあるんです」

「…そうですか」

「その、私の、背中の――」

「無理に、言わなくてもいいんですよ?」

「え…」

「さきほどからずっと、躊躇いがあるように見えました。服務に際して重要な障がいがあるなら、相談して欲しいですが」

「それは…そうでも、ないかもですが」

 

 彼女は、少し言いよどむ。

 

「ならば良いじゃありませんか。貴女の過去――辛いことを、昨日しっかり話してくれました。これ以上は恵まれ過ぎです。図らずも、色々見てしまった訳で――」

「でも!」

 

 身を乗り出して、萩風さんが私の言を遮った。

 

「でも、不公平じゃないですか?司令はこれから、言いたくないことも知られたくないことも全部、筒抜けなんですよね?」

「まぁ、そうですね。はい」

「私ばっかり言いたいこといって、本音を隠そうと思えば隠せるんですよ?そんなのズルい気がします」

「はぁ……それは、その。律義なことで」

「せめて…せめてそう云うところだけは、対等で…対等、は、無理でも、せめて少しくらい、その、えっと」

 

 ばつが悪そうな顔で、だんだん小さくなる声で、彼女は言葉をつづけた。

 

「仲良くなれれば、って。ご飯だって、一緒に…」

 

 格納庫では一度断ったが、それを撤回する、と彼女は云ったのだ。思わず頬が緩んだのを、一体誰が咎められよう。

 

「ええ、ええ。勿論ですよ。是非、ご一緒しましょう」

「…はい」

「わかりました、腹をくくります。中間体のことに触れた時点で、私は皆さんと一蓮托生だ。貴女の、えっと、背中のこと、でしたか。謹んで拝聴します」

 

 気色悪くにやつく頬を引き締め、萩風さんに向き直る。きっとこれは、彼女が一晩考えぬいた結果なのだと思う。これは、一つの儀式だ。彼女はもう覚悟を決めた。私に傷を見せる覚悟だ。ならばこちらも、覚悟に報いる必要がある。

 

「……ただ、ですね。そのことは」

「……大丈夫です。みんなも、知っています」

「ならば、良かった。私の脳味噌経由で、那珂さんたちに秘密が明らかになるわけではない、と」

 

 彼女はマグカップを片付けると、見覚えのある鍵を取り出した。

 

「一緒に、格納庫に、来てほしいんです」

 

 




大変な状況ですが、皆さんどうかお体にお気をつけください。

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