サルベージ   作:かさつき

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明けましておめでとう御座います。
旧年は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


55

 人さし指を口の前で立てて見せる。3人の寝息が聞こえることに、萩風さんも気が付いた。囁くくらいの声で、私は訊ねる。

 

「こんばんは、萩風さん。もう体は良いんですか」

「……はい」

「何か、腹に入れました?」

「はい。さっき、おにぎりを」

 

 彼女もやはり囁くように受け応えた。なるべく音を立てぬよう、ゆっくりと扉を閉め、私の方に歩み寄った。

 

「遅くにすみません。今日のこと、どうしても謝らないと、って…思って」

 

 沈黙で返す。次の言葉を待った。

 

「今日のこと、本当にすみませんでした。危険極まりない行為でした」

「まぁ、はい。とりあえず、大丈夫でしたし」

「そ、それで。その、こんな遅くになってしまったんですが、足のソレを…」

 

 視線を落とし、黒布の巻かれたモノを彼女は指さした。

 願ってもない申し出だが、どうしよう。さっきの今で寝ついた3人を起こすのは憚られる。かといってこのままの流れでさらりと終わらせて良いものか。わざわざ私のために残ってくれたのに、みなさん寝ている間に問題は解決しました、とは報告しづらいし筋が通っていないようにも思う。ここは日を改めるべきか。

 

 

「それなら我々、席を外しましょうか?」

 

 

 優柔不断の阿呆が結論を出すより先に、暗闇から津田さんの声がかかった。

 

「あれ……。津田さん、眠ってたのでは」

「まぁ、訓練もしてるしさ。起きるって」

「まがりなりにも艦娘ですよ、私たち。あれだけ眩しいと、流石に」

 

 那珂さんと赤城さんも、暗がりから此方を見ている。津田さんが電灯を点けると、萩風さんはかなり恐縮した様子だった。

 

「す……すみません、皆さん。起こしてしまって」

「いいえ。日の変わる前に来てくれて良かったです……それで、どうしましょう」

 

 萩風さんは、少し迷った。数瞬の後で意を決したように赤城さんを見つめ返した。

 

「今度は……大丈夫、です。1人でやってみせます」

「……そう、わかりました。では、宿直室で待っています」

 

 萩風さんの様子を見るに、あまり余裕があるようには思えなかった。何かあれば大声を出します、と念じると、那珂さんがこっそり親指を立てた。これでは私が萩風さんに狼藉されるようではないか、などと考えていると、那珂さんがふき出した。

 

 

 ***

 

 

 今度は目をつぶっている旨を進言したのだが、萩風さんは依然芳しくない表情だ。電灯のスイッチを切りながら、彼女は深刻な声で切り出した。

 

「あの…お願いが、あって」

「はい、なんでしょう」

「何が聴こえても、目をつぶっていてくれますか?」

「ん……〝聴こえても〟……?」

 

 要するに艤装の装着に際して、何かしら音がするのだろう。ちょっとした拍子に目を開けるな、という念押しなのだと私は認識した。

 

「承知しました。充分注意を」

「きっと…。きっとですよ?…お願いしますから」

 

 もう私は、目をつぶっている。真っ暗な視界の奥、足の辺りで布が取り去られる音と感触。続いて、彼女が私の真ん前にかしずいたような気配。端から見ればだいぶ間抜けだろうけども、万全を期すため両掌で目を覆った。

 

「本当に、本当ですよ?」

「え、ええ。大丈夫です。絶対に見ません」

 

 私は直ぐに、先の安請合いを後悔した。

 び、び、びい。布が裂けた…?

 べき、べき、べき。固いものが折れた…?

 くちゃ、ぬちゃ、くちゃ。粘性のある何か…?

 どす、ぶす、どす。何かが刺突された…?

 一体何事だ、この音は。萩風さんの呻き声がときどき聞こえる。

 

「っ……見。っ、見てませ。っ、んよね…?」

「だ、大丈夫、です…!」

 

 とんでもなく気になっている。鶴の恩返しも浦島太郎もそうなのだけど、決して覗くな決して開けるなと言われれば、見たくなるし開けたくなるのが人情だ。

 まあ、私の場合は事情が違って、自ら立てた約束なのであり、ましてやその誓いをものの数秒で反故にするのは天に唾吐く行為であろう。薄目を開けたい欲求は昔話にケチをつけて誤魔化す――ややあってから足首の重みがすぅと消えた。

 

「萩風さん……もう、良いですか?」

「ま、待って。まだ…です」

「分かりました」

 

 ガシャ、と台車が軋む音――多分艤装を載せたのだろう。次いで、カチ、とスイッチの音――部屋に明りが灯る。そこでやっと、萩風さんから合図があった。

 

「あぁ………外れた。どうもありがとうございます」

「いえ、そんな……。お礼を言われる立場では…」

 

 視界が開けても、何かが大きく変わった訳ではない。ただ、先刻まで私の足元を覆い隠していた黒い物体が、今は台車の上に載っている――それだけだ。案外、大した感慨は湧かない。やっとゆっくり寝られるな、とそれくらい。それよりも、私の視界の向こう側で起きていたことが気になった。恐らく彼女、一度艤装を着けてから再び外したのだろうが…装着音にしては、あんまり不自然過ぎる。見るな、と言うからには、訊くのも御法度だろうか。

 せっかく解放されたのに、座ったままの姿勢で悶々としていると、彼女は懐から白いタオルを取り出した。私に背を向け、流し台へーーガス湯沸し器のツマミを廻し、点火する。しばらくして、熱めのお湯が出る頃合で、タオルを濡らした。

 

「どうぞ。足を拭いてください」

「あ、これはどうも。お気遣いを…」

 

 艤装の粘液が乾いて、ズボンの感触が妙にパリパリしている。肌に張りついて気色が悪かったので、助かった。しばらくの間、ズボンの裾、脛、および足首の清拭作業を続けていると、流し台に体重を預けながら、萩風さんがポツリと呟いた。

 

「……さっきの話の続き、なんですけど」

「はい……ええと、おばあさんを助けて…その後、でしたか」

 

 萩風さんは首肯した。

 

「あの日。実はもう1人、居たんです。逃げなかった人が」

 

 

 ***

 

 

 萩風さんは半狂乱の状態で、味方と交戦することになった。国内で起きた軍事組織の衝突という意味では、恐らく占守島以来となる陸上戦闘か。味方どうしの衝突であったことが、やるせない。聞けば、陽炎型駆逐艦の標準的装備は、うまく言うことをきかなかったらしい。たとえ中間体だとしても、深海棲艦の姿を呈している折には、この腕型艤装を使うのが適しているようだ。狙いも覚束ぬ状態で発砲して、近くにいた老女や隊員たちに被害が出なかったのは、不幸中の幸いだろうか。

 

「向こうの弾は、命中しました。私の弾は……どうだったかな…」

 

 彼女は喉の辺りをさすった。

 

「この辺りに被弾して……まぁ、死にはしませんでした。小破くらい、かな?直撃を食らってその程度だから…やっぱり、駆逐艦としては異常かもですね…私」

 

 攻撃もできない。言葉も届かない。彼女は仲間に背を向けた。

 

「喉を潰されて、暫くはうまく呼吸できませんでした。酸欠でクラクラしていたけど…夢中で逃げました。向こうの攻撃がそこまで来なかったので、なんとか逃げ切れたんです。多分、民家が近いから、打つに打てなかったんだと思います」

 

 あちらからすれば、未知の敵を単艦で相手取った訳だ。こちらに戦意が無いことも、艤装がうまく扱えないことも判らない――わざわざ撤退してくれたのを幸いに、増援を待つことにしたのだろう。

 逃げ切った後、彼女は身を隠すことにした。すべてに先んじて、命を守る必要があった。ごみ集積所の中、ごみ袋の間に縮こまって、朝を待つことにした。すぐにも追手が来るかも知れない。深海棲艦が上陸するかも知れない。自分自身の在り方さえが朧になって、それはもう筆舌に尽くせぬ不安だったに相違ない。

 

「ずっと…震えてました。寒くないのに、は、歯の根が合わなくなって。思い出すとっ、い、息がうまく、出来なっ。けほ」

「う、お。い、いったん落ち着きましょうか。ゆっくり深呼吸です、深呼吸。どうぞ座ってください」

 

 焦ってはいけない。彼女は胸に手を当て、深い呼吸をする。電子レンジがあって助かった。勝手ながら、冷蔵庫の牛乳を拝借してホットミルクを作った。リラックス効果を期待して、少し砂糖も混ぜた。いずれ諸々、買い足しておくとしよう。

 

「お嫌いでなければ、どうぞ」

「………ありがとう」

 

 萩風さんは、折々マグカップを口に運び、少し冷ましては飲みながら、先よりはわりあい緩い早さで話しを続けた。時計の短針は「10」を指している。

 

「……それから、多分1時間くらい……足音が聞こえたんです」

 

 ただでさえ小柄な体を更に縮め、息を潜めたが、足音はどんどん近づいてくる。見つかった、殺される、とそのときは本気で思ったそうだ。しかしその足音、増援部隊のものにしては様子がおかしかった。

 

「足音はひとつだけでした。せっかく仲間を呼んだのに、単独行動は違和感が…。あと、スリッパとか草履みたいなペタペタ、って軽い音だったし。そのうえ、唄が聞こえて…」

「う、うた?」

「鼻唄です。男性の声でした」

 

 まさか、と顔を覗かせると、酩酊した男性が、一升瓶片手にふらふらと通りすぎて行った。年の頃は5、60。一目見ただけでは単なる酔っ払いだが、身に付けた衣服はそこそこのスーツで、ある程度の社会的地位をもつ人だと思ったそうだ。

 

「思わず、声をかけてしまいました」

 

 突然後ろから声をかけられ、その男性は飛び上がった。何もんだ、と返されたらしい。そっくりそのまま此方の科白だが、少なくとも彼は、萩風さんのことを深海棲艦だとは思わなかった。先の話に出た老女もそうだが、深海棲艦の姿は当時、「異形の化け物」としてしか認知されておらず、人型がいることまではあまり知られていなかったようだ。

 

「話を聞こうとしても、だんまりで…。救助隊だと説明しても、知らねぇよ関係ねぇよ、と」

「はぁ…。困りものですね」

 

 こういうところ、さすがは萩風さん――彼女は諦めなかった。遂には地べたに座り込んでしまった男性に、粘り強く話しかける。自分のことでいっぱいの状況だった筈なのに、結局、彼女の心根は誰がなんと言おうと優しく気高いのである。

 

「話を聞くと、地方の海運会社の社員さんでした。深海棲艦の出現から経営が苦しくなったんだ、とか。色々愚痴を聴かされました」

「それまたどうも、お疲れ様で」

「ええ……。もともと地元の人で、いっぱい勉強して大手に入社して…」

 

 それで、と1回言葉を切って、萩風さんはまたホットミルクを一口含んだ。

 

「最近、リストラされたんだって、言っていました」

「む……それは」

 

 天井を仰いで、彼女はため息を吐いた。当時、船舶戦争保険の保険料は、うなぎ登りに高騰していた。たしか、1航海につき数千万――そんな目玉の飛び出そうな額でさえ、ただの通過点でしかなかった。わが国の経済を支える重要な産業ではあるのだが、文字通り命懸け――業者にとってのリスクが高過ぎた。幾つかの商魂たくましい手合を除けば、ほとんどの海運会社が事業の縮小を余儀なくされ、海運業からの撤退や、最悪、倒産にまで追いやられた。それに伴って、少なくない人員整理があったようだ。

 

「再就職も上手くいかなかったってぼやいてました。ハッキリとは言わなかったんですが、あのおじさん、死ぬ気だったんじゃないかと思います。地元でちょっと休みたかった、なんて言ってたけど」

 

 運悪く――或いは運良くか――彼が地元へ帰った日にあの事件が起きた。彼は老後を、つまりは人生の最後を、故郷で過ごしたかった。それが少し早まった、などとそんな風に考えてしまったのかも知れない。ここへきて、萩風さんの措辞に含みがあったことに気づいた。彼は逃げ遅れたのではない――正に「逃げなかった人」なのである。

 

「何とか、説得しようとしたんです。でも、拗ねたみたいに、その場で横になってしまって…」

「それはまた……こどものような」

「自棄だったんでしょうね…。それはそれとして、もう強硬手段に出ました。無理矢理、運ぼうと」

「おじさんを引き摺って、港の近くまで…。でも、ちょっと時間がかかりすぎました」

 

 艦娘の腕力があれば可能だろうが、相手は駄々をこねる大人だ。抵抗はされる。

 

「時間が……かかりすぎた?まさか、追手が」

「はい、そうです……けど」

 

 彼女の過去の躓きの、恐らく核心に迫ろうかというところで、しかし、張りつめていた空気が、少し弛んだ。彼女はマグカップを大きく傾け、中の液体を飲み干す。

 

「けど…?」

「追手、って。サスペンスの見すぎですよ」

「あ…ええ、はい。お恥ずかしい」

「うん。ふふ……」

 

 一瞬だったが、彼女は笑った。格納庫で見せた自嘲的なものではない。今度こそ、笑った。それなのになぜか私は、その笑顔が苦しそうな表情に見えた。

 

「その後は、まぁ、御想像の通りです……増援が来ました。背中にいきなり砲口が当てられて。私が硬直している間に、おじさんがあっという間に保護されて。気づいたら周りは敵だらけ……いえ、味方だらけ、かな」

「それで捕まってしまった、と……」

「まぁ……はい。幸い、作戦行動中の死者はなし。虚偽の報告はされていないわけです」

 

 何となく、彼女は言葉を濁した気がした。拘束され、連行された先で何があったのかは、言わなかった。或いは、言いたくないことであったかも知れない。触れて良いのかどうか微妙なところだ――私はいくらか慎重に言葉を選んだ。

 

「萩風さん。度々で申し訳ないんですが、疑問が」

「何です?」

「先ほど、格納庫で話を伺った折、貴女は言いました。あの時自分は〝心の底から〟化け物になった、と」

「………言いましたね」

「今の話からはそこのところ、あまり見えてこなかった。むしろ……」

 

 むしろ、自らの事情を先ずおいて、他者に利せんとする行いは、高潔甚だしいと思う。化け物どころか、有徳者のそれであった。

 

「ひょっとして、まだ何か、言っていないことはありませんか?」

「……」

「私には…言えませんか」

「……どうでしょう。解らないです」

 

 まただ。また萩風さんは、苦しそうに笑った。

 

「ホットミルク、ごちそうさまでした。美味しかったです。とっても、落ち着きました」

「いえ……お粗末様です」

 

 今日はここまで、と宣告された気がした。彼女はこれ以上、歩みを進めるつもりはないようだ。彼女は腰を上げ、私に背を向けた。台車に載せた艤装を運んでいく。

 結局何も、進展していないのではないか――そう思って彼女を呼び止める。笑顔のまま、萩風さんは振り向いた。

 

「ひとつ。いいですか」

「何ですか?」

 

 いま、私が伝えるべきなのはきっと、こういうことだ。

 

「万が一、貴女が化け物だったとしても、幸せになって良いと思いますよ?」

 

 顔に張り付けていた微笑みを消し、彼女は目を丸くした。

 

「誰かに優しくし、優しくされ。嫌なことは嫌だと言い、困ったなら助けを求めて良いと思います。たまにはご馳走を食べて、夜は風呂で温まって、ぐっすり眠って良いと思います。楽しいときは笑って良いし、辛いときは無理に笑わなくて良いし、物事が上手く行かなければ、逃げても良いし、やり直したって良いと思います……あと、それから、ええと……?」

 

 いやはや、弱った。

 話していて、だんだん何が言いたいのか解らなくなってきた。だいいちこれでは、彼女を化け物だと断ずるようじゃないか。ひとつ、と云ったのに幾つも幾つも後付けするし。みっともない尻すぼみの口上を、これ以上垂れ流すのは、余計みっともない。さっさと切り上げてしまうに限る。

 

「あー…と。あれこれ言いましたが、結局、あれですよ。貴女はあまり、自分を…卑下……しない………方…………が?」

 

 愚かにも私は、雨漏りと勘違いして、天井など見上げてしまった。萩風さんの頬に伝った水滴が、彼女の涙だと気付くのに少し時間を要した。

 

「え!ええ!は、萩風さん…!?」

「あ…え?……うぅ」

「ししし、失礼でしたよね!決して貴女を化け物だなんて言ってる訳では……!」

「うぇぇ。ち、違…うえぇ」

「あぁ…そうです、その通りです!ち、違いますよね、化け物じゃありません!」

「ちが、う。そうじゃ、う、うええぇぇ…」

「はい、違います!勿論ですとも!どうか、どうか泣き止んでください…!」

 

 幼気な少女を泣かす三十路男――最低最悪の卑劣漢である。

 そこから暫く大変だった。頭を撫でたり、背中をさすったり――これはこれで問題になりそうだが――どれだけなだめすかしても一向に泣き止んでくれない。堰を切ったように溢れてくる涙と鼻水を拭くために、箱半分のティッシュを消費したころ、しゃっくりを交えつつも、やっと聞き取れる言葉を発してくれるようになった。

 

「そ、そんなこと。ひっく。い、言われたの、初めてで…」

「は、はい。本当にすみませ――」

「そ、そうじゃないで。ひっく。ちがうんです。私……」

「ちがう……?」

「私、ひっく。あの後、に。逃げたんです。増援を、みんなやっつけて…」

 

 ――みんな、やっつけた…?

 彼女の過去話は――ついでに今の状況も――いよいよ混沌の様相を呈し始めた。

 

 




泣ーかしたー、泣ーかしたー。

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