サルベージ   作:かさつき

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「もしもし、お電話代わりました。樋口です」

「ああ、繋がった。携帯電話にかけても出られなかったもので」

 

 お休み中にすみません、と彼女は慇懃に断った。その声に何処か違和感を覚えたがいったん打ち遣り、携帯電話が我が臀部によって絶命したこと、そのため今後暫く連絡がとりづらくなることを伝えた。彼女は呆れたように溜息を吐く。

 

「尻ポケットに入れてたんですか?」

「ええ、まぁ、はい」

「普通は……いえ、思い出しました。明石を本気で怒らせる才能があるんでしたね、貴方」

 

 私が明石さんを激怒させた工廠出禁事件は、空前絶後の珍事であり、同時に、知る人ぞ知る間抜けエピソードであった。察するに、物は大事に扱えという皮肉であろうか。あまりこの件を掘り下げると、またヒトミさんに知られたくないことが伝わってしまうだろうから、さっさと話題をかえた。

 

「ええと、それで今日は一体」

「ああ、はい。取り急ぎ、引き継ぎ書類の何点かについて伺いたいことがありまして――」

 

 艤装適正についての質問だった。ある艦に適切な装備を積むと、普段より幾らかパフォーマンスの向上が見られる場合がある。恐らく妖精さんとの相性の問題であろうと思う。同型艦でも微妙な違いを持つ場合が多いので、まだまだデータの蓄積は必要だ。先々、他部隊との合同演習が計画されており、大淀さんが演習計画の青写真を描く大役を仰せつかったという。それはそれとして、私にも分かるくらいのことであれば、明石さんや実験軽巡洋艦娘・夕張あたりに訊けば手っ取り早いのでは、と疑問が湧いた。

 

「――なるほど、解りました。参考にします」

「明石さんはいなかったんですか?これくらいの知識、彼女がもっていそうですが」

「今日は出払っています。他基地と実践交流があるとかで」

「そういうことでしたか。……ええと、気のせいでしょうか。声、かすれてません?」

 

 先ほどからの違和感を、口に出してみた。電話の向こうで暫しの沈黙があり、妙に歯切れ悪く彼女は取り繕う。

 

「あ…ええ、その。風邪です」

「嘘ですね?本当は、酒やけでしょう」

 

 大淀さんは、ごく稀に大酒を飲む。それは例えば、色々抱えきれなくなった時だ。私が倒れて入院したとき、明石さんは一晩付き合わされた、と聞く。どうしようもない上官もいたものですと怒り上戸だった、と教えてもらった――当時、私は震えあがったものである。

 年に1度有るか無いかの珍しいことだが、今回も何かしら、彼女の中に鬱積した澱が弾けたのではないかと予想した。

 

「はぁ…。まぁ、色々あったんですよ」

「無理に聞き出しはしませんが、どうぞご自愛ください。最近、寒くなってきましたし」

 

 幾ばくかの逡巡の後、彼女は私に尋ねた。

 

「ええと……男性は皆、露出の多い娘が好きなんでしょうか」

「ん、え?何ですって?」

 

 神妙な語調で、変なことを訊く人である。単純な多さで言えば、好き側に軍配が上がろうかと思う。率直な意見を述べると、彼女は相槌を打った。

 

「まぁ、そうでしょうね。予想はしていました」

「なんですか、一体?」

「新司令のことですよ。特に小さめの娘が好みなのでしょうかね。よく声を掛けていますよ?島風さんとか」

「そ、それは…大丈夫なんですか?私が言うのも筋違いですが…」

 

 普段は普通に真面目な人なんですよ、と大淀さんは1つ断って教えてくれた。件の新司令官、篠田氏は若いが優秀だと既に聞き及んでいる。しかしどうも、小柄で細見で薄着な娘を見る目が熱っぽいのだそうだ。いやはや、今も昔も優秀な人間というのは、他人様より余分に業を背負ってしまうらしい。何かあれば、直ちに大島海将へ報告するよう念を押した。

 

「では、これで。くれぐれもお大事に」

「あの、あー……」

「…何でしょう?」

「いえ。海佐も、体調には気をつけてください」

 

 最後に何か、彼女は言いかけた気がした。しかし、その正体を明らかにするより先に、電話は切れてしまった。

 

 

 

==================

 

 

 

ーーわざわざ土曜日に実践交流ねぇ…。仕事熱心なんだ、私って。

 

ーーーー別にいいのよ。あの人、私のこと疑わないもの。

 

ーーうわ、悪女だ。

 

ーーーー才女って言ってくれるかしら。

 

ーーはいはい。それで?わざわざ嘘までついて、電話する口実作って。篠田さんの愚痴言うためだったの?

 

ーーーー……。

 

ーーなに、言いたくないの?

 

ーーーーいや、違うけど。ううん……何というか。あの人の声聞いたら、妙に冷静になったというか。

 

ーー何か掴んだんでしょ?前任の人のこと。

 

ーーーーまぁ、名前だけね。ほらこれ。

 

ーー何、これ。

 

ーーーー職員調書のコピーの一部。海佐のいる基地の記録ね。

 

ーーうへ、もろに個人情報じゃん。大丈夫なのそれ。

 

ーーーー事が終わったら焼いちゃうつもり。

 

ーーそうしてよね。なになに?コエ、カワ…ケンイチ…?

 

ーーーーコシカワって読むのよ。

 

ーーふぅん。名前くらいなら、いいんじゃないの?

 

ーーーーいや、こっちはいいのよ…もう1枚が問題でさ。初代司令官っていうのがこっち。

 

ーーん、あれ?………これ、まさか…。

 

ーーーー多分ね。結構珍しい名前だし。

 

ーーそういう感じかぁ…。

 

ーーーーでも、伝えたからって何かがすぐ変わる訳じゃないし。あんまり焦らなくていいやって思っちゃったのよ。

 

ーーまぁ、そうかも知れないけど。それで、元気そうだった?

 

ーーーーええ。今日はちょっと、明るい感じだった。

 

ーーならまぁ、安心かな。名字違ってるね。なんて読むの、これ。「時」に「安」?

 

ーーーー「トキヤス」よ。婿養子だったんですって。昨日の飲みで聞き出した。

 

ーーああ……。だから遅くまで連れまわしたんだ。

 

ーーーー4軒はしごした甲斐はあったわね。しっかり聞き出して、しっかり潰しておきました。

 

ーーしっかり自力で帰れてれば、完璧だった。外泊申請、出しとけば良かったのに。

 

ーーーー飛び入り参加だったから。お世話様です。

 

ーー今度間宮奢ってよね。……ってことはなに、あの人、1度離婚してるってこと。

 

ーーーーいいえ、亡くなったそうよ。奥さん。

 

ーーえ、あ…そうなんだ…。んん?でも婿養子だよね?家業が何か知らないけど、大事な跡取りが何で名字戻しちゃったワケ?

 

ーーーーさぁ…そこまでは聞かなかったけれど。

 

ーーんー、何かひっかかるなぁ…。

 

ーーーーとにかく、海佐に伝えるのは、本人に確認してからのつもり。

 

ーー確認って何をさ。どういうつもりですかー、って?

 

ーーーーそういうこと。

 

ーー素直に言うかな?

 

ーーーー大丈夫。多分あの人、私には隠す気ないから。

 

ーー時安海慈、当時は一等海佐…か。あんの狸め。

 

 

 

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 瑞穂さんたちと別れて、かれこれ1時間――かなり待った。レトルトカレーくらい5分もあれば出来そうなものだが、と首を長くしていると、事務室の扉が開いた。

 

「これ…は。ちょっと多くありませんか…」

「いいえ?働き盛りの男性は、このくらい食べなければ」

 

 仕事机に所狭しと皿が並べられていく。大皿に山と盛られた白米と、富士の冠雪が如く天辺だけをささやかに飾るレトルトカレーのルー。何処からどう見ても比率がおかしい。また、瑞穂さん曰くの青いものーー水洗いしたミニトマト、金平牛蒡、切り干し大根、蓮根の山葵和え、南瓜の煮付け、里芋の煮っころがし、ほうれん草のおひたし等々、小皿が選り取り見取りだ。カレーの付け合わせとしては多少の違和感を感じるし、彩りも茶色が多目だが、不足しがちな栄養を補えるのは真である。それにしても尋常でない量と品数だった。

 

「まぁまぁ、瑞穂さん。色々な物を少しずつ、ですよ」

 

 赤城さんに諌められ、渋々引き下がる。足りなければ仰って下さい、と――そんな筈がないのに――ひと言添えて彼女は出ていった。調理器具の片付けがあるとか。

 はてさて、この白米の山、何処から切り崩したものだろう。スプーン片手に往生していると、津田さんが事務室に顔を見せた。

 

「あ、津田さん。すみません、炬燵はまだ出せてないんです」

「いや…そんな物、後回しでしょう。ご無事で良かった」

 

 神通さんに事情を聞いて、駆けつけてくれたようだ。取るものも取り敢えず、野菜の小皿を空けてしまうことに決めた私を眺めながら、他の皆は今後のことについて相談し始めた。自由のきかぬ男をたった1人にしておくと、さっきの二の舞になるだろうし、事務室へ置き去りも色々問題があろうから、今晩は数名で庁舎に泊まろうかという具合に落ち着いたようだった。

 

「今どきは、通年色々な野菜が食べられるから、いいですね」

「でも、旬のものが…一番、ですよ?」

 

 当の本人は大変呑気に、煮物をパクついている。そしてこれまた呑気な返しをしたのは、ヒトミさんだ。冬野菜といえば南瓜が代表的であるが、確かに美味だ。作り置きを温め直したのであろうか、しっかり出汁が染みて味わい深い。さやえんどうの苦味と食感が良い。時々顔を見せる鶏肉も嬉しい。単純な南瓜の煮付けではなく、筑前煮風のアレンジが施してあるのだった。

 

「皆さんもどうぞ?せっかく作ってもらいましたが、私1人じゃ、流石に無理です。この量は」

「いえ、海佐お1人で。どの道必要ですから、食べ切れない物は夕飯か、明日の朝食にまわせばよいかと」

 

 部屋の隅に置かれた電子レンジを一瞥し、赤城さんは提案した。冷めても温めなおせばよい、ということだろう。ヒトミさんはちょっと残念そうな表情――瑞穂さんの料理は極めて美味なのである。

 ところで、冷えた白飯は水気がとぶから、電子レンジで温めなおしてもあまり美味くない。かくも雄々しきカレー富士――結局私は、この霊峰に向き合うしかないのである。

 

 

***

 

 

 二一○○。

 庁舎に残ったのは、3人だった。元々今日のシフトに入る筈だった赤城さん、那珂さん。何かの時のために、津田さん。銘々が、ソファなり椅子なりで毛布にくるまって一夜を明かすこととなった。

私はといえば、先程ちゃんと便所にも運んでもらったし、上だけは着替えている。一応、落ち着いて眠りにつけそうだった。しかし、いつまでも足枷をつけておく訳にはいかない。

 

「萩風さんの様子はどうでしょうか」

「8時くらいに見に行ったけど…そんなに顔色悪くなかったよ。今すぐソレを外せるかは…どうだろね」

「様子見、ですかね。一旦は……」

 

 暗くなりかけた私を気遣ってくれたのだろう、津田さんが話を切った。

 

「消灯には早めですが、もう寝ましょうか。疲れた時はあまり思い詰めないことです、海佐」

 

 その言を継いで、赤城さんが微笑んだ。きっとなんとかなりますよ、と。基地のベテラン2人の言葉は、やけにすんなり腑におちるものだ。

 津田さんが電気を消した。古くてゴワゴワした毛布だが、温かい。足を伸ばして眠れないのは、致し方なかった。

 

「じゃあ…おやすみなさい」

 

 皆さん、頗る寝付きが良いようだ。10分くらいで寝息が聞こえてくる。いつでも仮眠をとれるよう、訓練しているのだろう。高密度のシフト勤務を数年近くこなしてきたのは、伊達ではないようだ。

 私はダメだ。思えば此のところ、気兼ねなくぐっすり眠れた夜の方が少ないし、いつも通りと言えばいつも通りなのだが、それにしたって今日は目がさえている。早く眠らなければと考えるほど、むしろ眠気は遠ざかるものだ。こういう時に寝返りをうてないのが、こんなにもどかしい事だとは知らなかった。

 

「はぁ……」

 

 かれこれ、30分ほど粘ってみたがなんともならない。小さく息を吐いて上体を起こした。真っ暗闇に視覚を遮断されたせいで、他の五感が騒いでいる。さっきは気にならなかったのに、波の音がうるさいし、カレーの残り香が鼻につくし、毛布がやたらチクチクする。玄関から物音がーー物音?

 

「なんだ………?」

 

 すきま風がひょうと唸った。扉が開かれ、閉じたようだ。スイッチが入る音。廊下の電灯が着いて、扉の隙間から光が漏れる。今度は足音。ペタペタ、ペタペタ。これはサンダルの音か。事務室の前で立ち止まった。何かを躊躇うように、ドアノブが回る。

 

「こ…こんばんは……?」

 

 夜の来訪者は、萩風さんの声とシルエットで、おそるおそる挨拶した。

 

 




そろそろご清算。

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