サルベージ   作:かさつき

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お待たせいたしました。


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「あ、外れ…マシた」

 

 ヒトミさんが身に付けたのは、潜水用のマスクである。装着すると顔の下半分がすっかり覆われ、妖しい藤色が瞳へ宿った。本来ガスボンベに繋がるはずのチューブが蛇の如くうねり、艤装へと接続される。左腕が解放された。

 

「さぁ、もウ大丈夫デすよ」

 

 瑞穂さんは、凶悪な造形の鉤爪で艤装を2、3度撫でた。それに呼応するように私の右腕からぬめりとぬくもりが消え、冷涼な外気が肌を冷やしていく。彼女の両眼に薄桃色の輝きが宿って間もなく、病的に白い首へ鎖が伸び、彼女を艤装へと繋ぎ止めた。

 

「ちょっとごめんね」

 

 那珂さんが指を鳴らすと、私の股ぐらから尻の方向へ、ぬるりと艤装が這い出した。彼女の脚が艤装へと、融けるように吸い込まれた。

 

「足についテるやつは、萩風ちゃんのナんだけド…」

「彼女は、今……?」

「医務室。横にナってる筈、っていウか、私がそうさセた」

 

 萩風さんに付き添ってから十分ほどの後、那珂さんは応援を呼んで戻ってきてくれた。瑞穂さんとヒトミさんは、私の惨状にかなり面食らっていたが、艤装を装着することには大した抵抗を示すことなく、割とすんなり助けてくれた。

 艤装を装着すると、どうも声にノイズが交じる。見た目の迫力も尋常でないのに、不協和音を響かせる楽器みたいに絶妙な不気味さを醸している。だんだん慣れてきたとはいえ、さすがに背筋が強張った。

 

「どうシます…?運びましょうか?」

「そうね。入り口まデは、私が…」

 

 足枷のついた木偶の坊の処遇について、赤城さんが切り出すと瑞穂さんが応えた。彼女の艤装には、野太い腕が生えている。見た通りの剛力であった――萩風さんの艤装と私の総質量は、200瓩は下らない筈なのに、軽々持ち上げた。

 

「う、お。わ」

「ほんの少し、我慢なさってくださいね」

 

 格納庫内の物品にちょくちょく体を打ち付けつつではあるが、入り口付近まで運ばれた。身動きのとれぬ成人男性と、それを慎重に運ぶ深海棲艦――傍から見ればさぞかし前衛的光景であろうと推察された。

 

「じゃア……ここカらは、台車で。少し待っていてください」

「え…」

 

 乗り換えが必要らしい。彼女らの話に依れば、明るい場所では艤装が言うことをききづらくなるそうだ。どうも日光が苦手なようで、庫内に引っ込もうとするのだ、と。無理やり連れ出そうとして艤装が暴れると、私の身が危険かも知れない、と。

 4人が本棚の陰に隠れ、ごちゃごちゃした金属音が聴こえてくる。しばらくすると大きめの台車を伴って、また顔を見せた。

 

「ええと…。この萩風さんの艤装は?」

「あ、確かにそうですね…。引きずり込まれるかも。日没まで待つしか…」

「え……。い、今、何時ごろでしょう」

「一四五〇。一刻ほど経てば、日没ですね」

 

 床に大の字で寝転がりたい気分である。漸く温かい場所で一息つけると思ったのに。目の前で餌をちらつかせられて、口に入る寸でのところを掻っ攫われたような心持ちだ。

 

「じゃあ、取り敢えず、皆さん戻って頂いて……」

「いえ、ちゃんと付き合いますよ?夜まで――」

「本当に大丈夫ですから」

「しかし……流石に、それは」

「お願いです。ちょっと1人で考えをまとめたいんです」

 

 赤城さんは気を遣ってくれたが、私は固辞した。言ったことの半分は本当だが、半分は建前だ。実を言うと、さっきから便所に行きたいのである。幸いというか何と言うか、小の方だが、こんな下世話なことを馬鹿正直に伝えてしまうのは恥ずかしいし、なけなしの自尊心も渋い顔をしていた。ただ勿論、ヒトミさんと那珂さんにしっかり伝わったらしく、2人はばつの悪そうな様子で、私から目を逸らした。

 

「その…瑞穂さん。最後に、格納庫の隅っこに運んでくれませんか。なるべく物が少ない所へ」

「は、はぁ…?別に、構いませんが」

 

 出来るだけ我慢するつもりだ――出来るだけ。しかしなおも、赤城さんは食い下がってくる。

 

「ではせめて、食べものを持ってきましょう。1日中、ひもじかったでしょう?ご飯が食べられないのは辛いですもの」

 

 今だけはむしろ、彼女の純粋な心づかいが辛かった。決壊する前に、1人にしてほしい。

 

「何が良いですか?色々買ってきましたよ?」

「まあ、何でも食べられますよ…」

「何でも、ですか…。そう言われると困るのだけど…」

「じゃあ、あれです。マシュマロを買ってくれるよう頼んでいたでしょう?あれをお願いします。頭を働かせるには甘いものが良いらしいですし」

 

 ついでに妖精さんたちに餌付けでもしようかという企みもあった。適当に返答して、ふと瑞穂さんへ視線を移すと、何やら眉を顰めている様子だ。

 

「提督?つい先日バランス良く食べる、と仰って頂いたではありませんか。お昼代わりがそれでは、栄養が足りません」

「えっ。いや、はい。全く、その通りです」

 

 全くの別角度から、牽制射撃が飛来した。

 

「では、その。か、カレーとかも頼んでいたかと。レトルトの…」

「それだけ?青いものも食べないと」

「は、はい。ええと、他には何が有りましたか…」

 

 母親に叱られているような心持ちだ。二重の意味で、脂汗が額を濡らす。そんな私を見て、赤城さんが不審そうに訊き返した。

 

「あの…かなり汗をかいているようですが?」

「え、ええ。大丈夫ですよ。安心したせいか、何だか体が温まってしまって」

 

 その安心感が尿意を招いたと言えなくもない。従って、この脂汗も回り回って安心したせいだ。ある意味、嘘をついた訳ではない。見かねた那珂さんが、助け船をくれた。

 

「まぁ、2人とも。海佐もこう言ってるしさ……」

「いいえ……様子がおかしいです。妙にソワソワしているし。海佐はきっと、何か隠していらっしゃいます」

「そ、そう?私は、気のせいかなって――」

「那珂さんも言っていましたよね。気になることは相談しなきゃ、と」

 

 那珂さん、確かにそうだね、なんて苦笑いして実に簡単に引き下がってしまうのだ。

 こうなると、あとはヒトミさんだ。視線で助けを求めると、あれやこれやに目を移らせて宣言した。

 

「あ、う…。ぺ、ペットボトル、持って…きます」

 

――そこに出せ、と?私は絶望した。

 

 

***

 

 

 過度のプライドは、時として豊かな人生を台無しにしかねない。報告、連絡、相談。皆がそれぞれ、分からないなりに何とかかんとか、考えながら生きている。1人ひとりの知恵を、ぶつけて交わして擦り合わせ、少しでも社会を前に進めねばならないのだ。その為の前提として問題を提起する行為がまず無ければ、物事は立ち行かない。先からの拙い隠蔽工作は、よろしからぬ悪循環の基礎を固めんとする最低の悪手であった。

 

「ふぅ……!」

 

 用を足し終え、そう思索を巡らす。庁舎の便所に、私は居た。

 格納庫が騒がしいので様子を見にやって来た神通さんが「黒い布で艤装を覆い、遮光してから運びましょう」と、極めて建設的な意見を提示したお陰で、幸いも幸い、格納庫の隅に汚物をぶちまけることは阻止された。

 ズボンを上げ、ベルトを締め、便所の扉を開ける。ゴロゴロ、ギリギリ。軋む台車に乗って運ばれて行く。車椅子に乗る時は、こんな気分なのだろうか。木造官舎のボロ床に艤装の重みを耐えうる強さがあるか、この場の数名が疑問をもったため、さしあたり、私は事務室で一息つくこととなった。

 

「おぉ…!暖かい…」

「上だけでも服洗おっか。脱いで」

「はあ、たびたびお世話をかけます」

 

 ジャケットを脱いで那珂さんに渡したが、彼女は首を傾げた。訊けば、シャツも肌着も全部脱げ、とのこと。

 

「……流石に、それは」

「早く。臭い移っちゃうよー?」

 

 問答無用で上半身を裸に剥かれた。この間も思ったが彼女、洗濯の時だけは強引になる。推し量るに、汚れとか悪臭が許せない類の人であろうか。宿直室から引っ張り出してきた毛布を私に引っ掛け、那珂さんは洗濯へ向かった。

 

「では今度こそ、食べ物を持ってきますね」

 

 赤城さんは、食事の用意をしにいった。神通さんも、何かあれば呼んでください、と言い残して部屋を出る。ヒトミさんがそれについて行こうとしたが、瑞穂さんに制止された。

 

「私が行きます。ヒトミさんは此処で提督と一緒に」

「あ、はい…?わかり、ました」

 

 彼女は出掛けに、私の方をちら、と見遣った。是が非でも、私の食事の栄養バランスを改善せんとする気迫を感ずる。残された我々はどうにも手持無沙汰であった。一発、くしゃみをかます。気を遣ったヒトミさんが、ストーブの設定温度をいじると、灯油の燃焼音が一段と激しくなった。こいつは執務室のに比して、まだ健康そうである。

 彼女は私に向き直って、モニョモニョ言い淀んだ。

 

「あ、あの……萩風さんのこと、怒らないで…ね?」

「ええ、はい。大丈夫ですよ。そんなつもりは無いですから」

 

 ホッと胸を撫でおろすように、彼女は表情を緩めた。ココアを作ってくれると云うので、ご相伴に預かることとした。ついさっき瑞穂さんに苦言を呈されてすぐ、砂糖まみれの飲み物を摂取することに多少の後ろめたさを感じつつ、しかしそれでも、冷えた体を温める柔らかい口当たりが頬を緩めた。

 5分くらい静かな時間を過ごしていると、事務室の電話が鳴った。着信のメロディから察するに外線である。ヒトミさんが応対してくれたのだが、二言三言短い会話を挟み、ふと私に視線を向けた。電話口に向かって「かわります」と答え、弦巻形のコードを目一杯伸ばしながら――私は動けないので――歩み寄って来た。

 

「あの…電話が。大淀、さん?です」

「え…!あ、ありがとうございます」

 

 電話口から、耳慣れた声が聞こえた。

 




嵐の前の静けさ。

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