例えばね、と私は始めた。
「貴女は、おにぎりを作ってきてくれた」
「はぁ……別に大したことじゃ」
「毛布までもってきてくれましたね」
「使ってないじゃないですか」
全く心得ていないな、とばかりに、呆れた顔をしてみせた。それを見た萩風さんはムキになる…かと期待したが、小さく鼻を鳴らしてまた俯いてしまう。
「…心配りが嬉しかったんですよ。あの男は今、腹が減って寒かろう、と思えるだけの資質が貴女にはあるんです。優しさとは、誰かの心に寄り添わんとする想像力のことです。心豊かでなきゃあ、そういう行いは出来ない訳です。そもそも、ちゃんと助けに来てくれたし」
「私は、ただ、誰にも知られたくなかっただけで……」
とにかく彼女は、下を向こうとする。確かにあのときを思い出すにつけ、彼女の態度は何かおかしかったし、どうにか隠蔽せんとする気概が見て取れた。しかし、今それを認めてしまうと、丸きりおじゃんである。態度に出さぬよう気を配りつつ、必死に頭を回した。
「んー、と。まぁ………仮にそれが打算だってね、私にとったら同じなんですよ、ええ。ほら、あれです。優しいって字は、あの、人偏の隣に憂いがある。可哀想な誰かがいて、初めて優しさも在るんです。私が嬉しいならそれで良い、と、そういうことです。それで貴女が卑屈になってちゃ、道理が合わない」
「何ですか、その屁理屈」
「屁の出る理屈でも、本当のことです。ふふはは」
実は、祖父の受け売りだ。
「怒られるのが、嫌だったんですよ…。優しくなんか」
「ほう?怒られるって誰に?」
「誰って、それは……みんなにです。津田さんとか、赤城さんとか、那珂さんとか…。海佐はもう、そこそこ仲良しでしょう?」
「ふぅん?大概、許してくれそうなもんですがね。まぁ、そうやってへりくだる奥ゆかしさも好きですよ」
小っ恥ずかしいことを口走ると、萩風さんは腐敗しきったナマモノを見る眼つきになった。心に〝きた〟が、へらへら笑って誤魔化した。
「なんでそんな……無理に褒めようとするの……」
「無理でも何でもありませんが、私も聞きたい所です。なんでそんなに自己評価が低いんです?」
「どうだっていいじゃないですか」
「よくありませんよ。まぁどうしても、私には言いたくないということでしょうか。嫌われてるのは、自覚あるし」
私が何気なく発した一言には、明確な反応があった。いままで俯き加減でいたのに、すわ、彼女は私の目を真正面に捉えた。強いものではないが、はっきりとした不満の色が伺える。
「何よ。そっちだって、私のこと嫌いなんでしょ?あれだけ、怒鳴ったくせに…。何なんです?今日になって、急に好きとか何とか…。もう意味がわからないです。何がしたいの……」
彼女の語尾に滲んでいるのは、困惑だったように思う。攻撃の色はあまりない。どうしていいか判らず、愚痴るような、不貞腐れるような態度。ひたすら困って、途方に暮れている雰囲気だ。あの時の誤解について、上辺で謝ってはいたが、根本の解決をしていないーーと、私は思っているからーー今がチャンスだと踏んだ。
「いや、あまり深く悩まないでください。私はね、弱いだけなんです」
「………弱い?」
「そうです。しかも、弱いくせに義務感だけは一丁前だ。それで結局、行動がちぐはぐに見えたりしまして、そこが面倒くさい所ですね。ふふはは」
「じ、自分で言わないでくださいよ」
「いやはや、これが本当のことでして。例えば、そうですねーー」
あくまで、へらへらと。下らぬ意地で、何でもないようにみせなければ、と思った。自分の弱味を笑い飛ばすのは、簡単だが苦しい。前任基地の失敗談義をふんだんに織り交ぜ、如何に私が情けなく、弱虫で、頼りないかを語った。
「ーーという訳です。私は誰かに頼ることすら厭う、弱っちい自己チューヤローだった、と。倒れてみて、ベッドの上で漸く自覚しました。そうか、自分大したことないんだな、と」
「そこまで…云わなくても…」
たっぷり脚色を入れたその武勇伝は、萩風さんをしてフォローにまわらしめる威力であった。嬉々として自身を貶める男は、彼女にどう映るのか。既に冷静になったというのは、勘違いだったかも知れない。正気の人間に、なかなか出来る芸当ではなかろう。
「なんのなんの。まだまだ他にもーー」
「いや、それで、えと。弱いというのは、何の関係が」
妙に勢いづいてしまって、次の話題に移ろうとしたところで、ばつが悪くなったのか、萩風さんから話を戻してくれた。
「ああ、それです。つまりね?弱いとは、自信のないことですよ。自己肯定が上手く出来ない者は、他人を貶めて自分を守ろうとする。他者を下げることで、相対的に自分を上に見たい訳です。攻撃は最大の防御だから、強い言葉を使いたがるんでしょう」
「攻撃…って。まぁ、その。ちょっと怖かった、ですけど…」
「ええ、はい。弱い犬ほど、よく吠えるんです。あの時はたまたま、色々な不安が募ってまして……ストレスの捌け口にしてしまった。何とも、申し訳ないことでした」
「…でも、あれは…。私の方だって…その」
「いやいや、いいんです。言いっこなしですよ。ただ、1つだけ。別に私は、貴女を嫌う訳じゃないんです。勘違い、すれ違い、ボタンの掛け違いだった、とね?理解して貰えれば、それ以上嬉しいことはない。なんであれば、100%私のせいにしてくれていいので、其処だけは、どうか」
「……勘違い、ですか」
「そうそう。世の中、そういうことで溢れているんですよ、きっと。今迄経験ないですか?相手としっかり話せなかったばかりに、誤解したり、誤解されたり」
「……あったかも知れない、です。うん。ありました、この間のあれじゃなくて……かなり前のことで」
この時、萩風さんは、何かを迷っているように見えた。口を開きかけ、1度閉じてまた開き、を繰り返した。言葉を選んでいるようにも見えたし、私との距離をはかっているようにも見えた。
「……海佐も、そういうこと、いっぱいあったんですか?」
「いっぱい…って。そりゃあ、そこそこ生きていれば、ままならないこともありますけど」
「その誤解は、解けてますか?誤解された人と、仲直り出来てる?」
「え。はぁ……そうですね。出来ないこともある、の、かも?」
意外な掘り下げに遭い、少々戸惑った。自分で切り出した話題だが、あまり具体的なエピソードは持っていなかった。全く無い訳じゃなかろうけれども、印象に残っていないから、多分とるに足らぬ誤解だったのだと思う。
「私…私はもう。誤解された、ままです。ずっと…いまでも。何を言ってもダメで…手遅れで…っ」
「……萩風さん?」
「海佐は嫌じゃないの?勘違いされたままで…。アイツはこういうヤツだ、ってずっと…?もう取り返しがつかなくて、悔しいことは無いんですか?」
「ど、どうしたんです……?」
演技のことなど、忘れてしまっていた。先刻迄の、膝を抱えて塞ぎこんだ彼女からは想像出来ないくらい、滑らかに言葉が飛び出してくるーーその隅っこには、何かにすがりたいような切実さの片鱗を感じた。
「私は、悔しいです。タイミングが、悪かっただけなのに…!」
「一体ーー」
核心にほど近い所まで、踏み込めた気がした。しかしもう一息、どういうことですか、と聞く前に私の言は遮られた。目の前の彼女にではなく、明後日の方角から飛んできたのんびりした声によって。
「おーい。2人ともいるー?買い出し行って来たよー」
那珂さんの声だった。行方不明者捜索隊は、想定以上の迅速な仕事をやってのけた。
「……呼んでますよ」
「よ……呼んで、ますねぇ」
有難いと思う。同時に、よりによって今か、と思った。別に那珂さんは、全く悪くないけれども。
「あ、やっぱりいる……!今ですよー?」
この距離でも、思考は届いているらしい。出来れば2人きりにしてほしかった。今この瞬間は、とても大切な機会でーー。
「うぅむ…、ぉぁっ!」
私を抱きしめる力が、また強くなった。巻きついた舌が蠢いて、再び服と肌の間に滑り込んできた。よせ、やめてくれ、私は逃げないから、と説得しようと思ったのだが、長い舌をねじ込まれ、口を塞がれた。
「うわ、また…。だ、大丈夫…?」
「くぅ、ぐうぅう……」
先刻、萩風さんが言ったことは、本当に正しいらしい。那珂さんが私を連れ戻すべく来たことを、どうも察知したようだ。離すまい、逃がすまいと、もう一段階拘束を強められた。
さて、肝心の那珂さんだが、我々を気遣ってくれたようで、格納庫を出てくれた。ごゆっくりー、とか何とか出がけに叫んでいた気がする。今は一先ず私の意思を汲んで、そっとしておいてくれるらしい。
***
ーーーーあら、那珂さん。どうでした?庁舎は鍵がかかってましたが。
ーーい、今…。
ーーーーど、どうしました。顔真っ赤ですけど…。
ーーかく、中に、2人で、いた、です。
ーーーーあら、いたのね。2人で、ということは…少しは仲直り出来たのかしら。
ーーなな仲直りなんて、もんじゃ…なない、でしたよ……。
ーーーーえ……何?ちょっと落ち着いてください。
ーーなんか、また、流れ込んできて…。
ーーーー流れ?……ああ、はい。思考が聞こえるってやつですか。便利ですねぇ、それ。
ーー萩風ちゃんと、ふ、2人きりにしてくれって…。
ーーーーあら、まぁ…!良いことじゃない。お互いしっかり話が出来れば…。
ーーか、海佐、全身ベトベトだって。
ーーーーは…?
ーー隈無く、舐められてるって。
ーーーーえ…。
ーーだだ、抱き、抱きしめられてるって…。
ーーーー……。
ーー口に、舌を、ねじ込まれるって……!
ーーーーあの2人は、一体、何を…?
ーー姿は見えなかったんだけど!たた、多分奥の方で……くんずほぐれつ…!
ーーーーいや、そんな…。まさか…?
ーー爛れてる…。爛れてるよ…!
ーーーーま、待って。あの人が腕力で萩風さんに勝てるか微妙ですよ?
ーー違うの…。萩風ちゃんの方から無理矢理って感じみたいで…。逃げないから止めて、とか……。
ーーーーえぇ…もっとあり得ないでしょ。
ーーどうしよう…。思わず飛び出して来ちゃったけど、2人きりにさせて良いの、これ?
ーーーーそれは、その。ど、どうしましょうねぇ…?
ーー………突入する?
ーーーーうぅん…。
ーーだってさ…その。間違いがあるかも、だし。
ーーーーあの。ちょっと考えたのだけど、本当に2人きり?
ーーどういうこと?
ーーーーつまりほら〝夜用のアレ〟のことです。話に聞いたかぎりだと、この間の夜にベロンとやられたんでしょう、あの人。
ーーうん、それは考えたけど…。でもそれなら尚更、2人きりに、っていうのが解んなくない?要するに海佐は今、アレに抱きしめられてて、全身を舐められてて…。
ーーーー…………うへぇ。
ーーでしょ?そんな状態なんだよね?萩風ちゃん、なんで助けないの?
ーーーー……そう、ね。色々あるのではないかしら?あの娘にも。
ーー?
ーーーーまぁ、その…危険が無いようであれば、良いと思うのですが。
ーーまぁ、うん…。助けてほしい感じは、あんまり無かったけど。
ーーーーならば、そっとしておきせんか。あの2人の関係が改善しているようなら、野暮かも知れませんし。
ーーホントに、大丈夫かな…。
ーーーーそうねぇ、どうしても心配ならば…。昼用のを着けて突入準備、でどうです?出歯亀みたいで、気は引けますけど。
ーーそ、そっか。そうだね。うん、そうしよう…!
節目の50話が、こんなオチで申し訳ない気持ちです。
最近アツいですね、色々。