サルベージ   作:かさつき

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 がつん、がつんと鈍い音が鳴る。本気で噛まれたら私の腕など簡単に引き千切られてしまうのだと確信した。不気味な光を放つ艤装に囲まれ、動くに動けない我々は、背中合わせになった。

 

「は、萩風さん…何かこれ。殺気立ってません?」

「そうですね…。威嚇しているというか、いや…これは……?」

 

 背筋に汗が伝った。先刻のあれは、やはり味見だったか。どこの部位を誰が喰うか、とか相談でもしていたのだろうか。ここに引摺りこんだのは、野生動物が自らの巣に餌を運び込むようなものだったのか。萩風さんは、艤装の様子に注意を払いつつ、私に耳打ちした。

 

「待って。これは……私かも」

「わ、私かも、って?」

「多分、私が離れれば……」

「う、嘘でしょう…?」

 

 置いていかないで、と喉の奥で叫んだ。流石にプライドが勝って、表面上は黙っておいた。萩風さんは、カタツムリみたいにゆっくりとした動きで、私から距離を取り始める。云われてみると、なるほど私ではなく萩風さんへ敵意を向けるような様子だ。彼女が歩を進めるにつれ、奴らの鼻先もその軌跡を追っていくーー私から離れていく。奴らが方位磁針なら、萩風さんが磁石である。

 のろまに流れる時間を泳ぎ切ってみると、奴らの陣形は変化していて、コの字型に私を取り囲む様。私の背中側に逃れた萩風さんは、先刻暗闇の中で四方を囲まれた私と同じく、息を潜めている。だが、すぐにコの字陣形は解かれ、再度私はとり囲まれてしまった。

 

「は、萩風さーー」

 

 言葉を発せずにいられなくなった。多分それがまずかった。静寂が包む果し合いの場に、居合の達人は、早打ちの名手は、小さなきっかけで得物を抜いて一瞬の勝負を決めるものだ。

 我慢弱いやつが、負ける。別に果し合いの場ではないから「負け」の定義も判然としないが、自身の望まぬ境遇に身を落すことがそれなら、私は十中八九負けだった。

 

 いま、深海棲艦艤装の腕に、抱かれている。抱きしめられている。がっちりと、逞しい。

 

「あぁ、あ、あぁ…あた、暖かいです」

「……そ、そうですか」

 

 生きている。臭い、生暖かい。大変なパニックを起こした脳髄が、差し当たり、率直に感想を述べるよう指令を下した。剛腕が私を抱き寄せた折に、萩風さんは小さな悲鳴をあげたが、その後私の口からのんきな言が飛び出たので拍子抜けしたようだった。

 この状態でされることと言えば……まぁ、1つか。

 

「やっぱりこれは。………うわ」

「ななん、なん。げぇ。で。しょ、か、ぺぇぇ」

「ま、守ってるみたいに見えます。離れないように。………うわぁ」

「それはぁぁ、ぃひいぃ。良いぃぃ、ことぉぉ。で、すねっ…べぇ。ぐぇぇ……」

「うわ………う、うわぁ」

 

 萩風さんが、慄いている。結局また、舐められたのだ、私は。

 今の私を俯瞰でみると、趣味の悪いジェットコースターの座席に座っている様に見えそうだ。肩、腰、両腕、両脚をシートベルトよろしくがっちりと固定されている。身じろぎ1つ出来ず、全身がズルンズルンにされていった。こんなに臨場感抜群で、最低の気分になれるアトラクションは、世界中探したってここにしか無い。また暫く、10分くらいの舌地獄を味わった。

 

「だ、大丈夫、ですか?」

「………」

「………大丈夫じゃないですね…?」

 

 解っているなら助けてくれと思う。助けられるものなら助けてみてくれとも思う。自動車のエンジン音が聞こえた気がした。津田さんたちが帰って来たのだろうか。ぼんやり考えつつ、首だけ動かして彼女を振り返った。応援を呼べるかも、とさっきまでなら喜んだろうが、今はどうでも良かった。

 状況は悪化している。さっきは、足だけだったのに。これから誰が何人来ようが、いまの状況で私がどうやって助かるのか、想像もつかない。なんだこれは。全体どういうことだ。何が悪かった。私が何をした…?

 

「ふふ。あはは」

 

 なんだか楽しくなってきた。我慢が限界に近くなると、何処かしら頭のネジは緩みがちだ。私の場合は、笑いを司る神経の周辺に不具合が生じたようだ。分かりよく換言申し上げると、私は、つまり、ほんのちょっぴりーー〝キレちゃった〟のである。

 

 

 ***

 

 

 萩風さんがたじろいだ。

 

「ど、どうしたの…」

「いやね?うふはは。萩風さん、貴女……あはは」

「……?」

「健康的ですねぇ!減塩醬油って!主婦ですか、主婦なんですか!」

「え、えぇ……」

 

 みるみるうちに、表情が曇っていく。愛想のない無表情か、眉根をひそめた不機嫌顔しか見たことがないから、とても新鮮だ。言葉の端っこに恐怖を混じらせた彼女を振り返って……いやしかしこの体勢、随分話しづらいじゃないか。

 

「か、海ーー」

「首が痛いなぁ」

「はい?」

「首が痛いな?」

「な、何を」

「振り返って話すのも、大変なんですよね」

 

 手首が、かろうじて動いた。左の親指で、私がいる場所から側方3メートルの辺りを指し示した。萩風さんは、へどもどしている。

 

「こちらへどうぞ」

「ど、どうしちゃったの……?」

「……どうぞ?」

「え、と……」

「さぁ!どうぞ!」

「ヒ、ヒィ……」

 

 彼女は、びくびくしながら歩を進めた。あからさまに怖がっていた。こういう人間的な表情が見られると、彼女も私と同じように感情を持つ存在なのだと、何故かとても嬉しくなった。何と言うんだ、この感情は、つまりーー。

 

「好きです、萩風さん」

「え、は……えぇ!?」

 

 思考の途中経過を明かさず、結論のみを伝えると面白い。萩風さんもこういう反応をするのだな、と寿命が伸びる心もちだ。いやはや、いつも仏頂面じゃ、話していてもつまらない。たまにはこう、意外な面を知らなければ。珍しいものを見なければ。知らないことに触れなければ、人生に潤いがない。これはたまらない。とても楽しい、楽しい。

 

「な、な、何を…」

「ですから、好きです、と。ふふは。しゅ、主婦っ。主婦ふふはは」

「えっ…。えぇ……」

 

 失敬なことだが、妖怪を見るような目付きだ。ただでさえ色の悪い深海棲艦の顔が、もっと青くなっているような気がした。そこではたと気付いた。きっと彼女らは今までずっと、こういう表情を向けられ続けてきたのだろう。ここに着任した者にも、それから、以前の仲間たちにも。彼女らの心に少し近づけたようで、もうひとつ嬉しくなった。思い出し笑いを収めると、彼女は血相を変えて、悲鳴の混ざったような宣言をした。

 

「ひぃ、ひ、人を呼んで来ます…!」

「ん?んー……お断りします」

「な……?」

「嫌です。呼ばないでください」

「あ、うぅ…。だだだって、さ、さっき、自分でぇ……」

 

 声が震えている。初めて自動車の爆音を耳にした小動物みたいに、ぷるぷると縮みあがっている。なんだ、この……愛らしいこと!暗い欲求が、首をもたげたーーちょっとイジワルしたい。

 

「まぁねぇ?今更?何人か呼んで来て?この状況で?私を解放?うふふはは。そりゃまた、どうやって?」

「それは……その」

「良いじゃないですか。お喋りしましょう。寂しかったんですよ?暗いし、1人だし、携帯壊れるし、舐められるし!さっきみたいな具合でもう、ベトベトのズルンズルンで。まして身動きも取れない……ああ、そうだ!なんならもう、私、ここに住むとかどうですか!うふはは」

「………っ」

 

 へらへらしながら皮肉った。普通、三十路過ぎのオッサンが突如陽気に笑いはじめ、好きです、いかないで、お喋りしましょうなどと駄々をこねてくる事態(事案?)は、幼気な女子の心に一生分の恐怖を植え付けそうである。彼女なりに負い目はあったかも知れないし、ちゃんと助けに来てくれたのに、随分な仕打ちであるーー弁明しておくと、溌剌とした精神に飲み込まれそういう気遣いの片鱗すら、この時は湧いてこなかった。

 

「さっきね。1人にされたとき、とても心細かったです」

「う、ぁ……。ごめん、なさい…っ」

「いいんです、怒ってません……あ、いや、ウソですね。ちょっと怒ってます。もう嫌ですよ。こんな状態で、また1人にされるのは」

 

 それは正に、本音中の本音である。萩風さんの言を信ずるならば、この艤装たちに敵意は無さそうで、寧ろ私を守ろうとしているらしい、と。それは受け入れるとして、ならば何故解放してくれないのかーー何故嘗め回す必要があるのか!別にこの基地に危険があるでもなし。

 

「だからもうこの際ね!お喋りしましょうよ!余りお互いを知らないでしょう?午前中はもう、とことん流され続きでした!消化不良ですよ全く!さぁさ、座った座った」

「う……うぅ」

 

 萩風さんは、ぺとん、と力なく腰をおろしたーーというか、崩れ落ちた。

 

 

***

 

 

 またしても、私が一方的に話しかけるだけに終始した。萩風さんは、膝を抱え俯き加減に座っていて、小さく相づちを打つだけだったから、寧ろ秘書艦として接した時より距離が広がったかも知れない。判決文を粛々と傾聴する被告人然として、私の放つ言葉の機銃掃射に付き合っている。後になって考えると、つまりこれは、私の心に溜まった膿を吐き出すための独りよがりな精神的デトックスとでも云うべき時間だったから、ある意味正しい姿だった。

 

「萩風さんは、優しいんですね?」

「え…」

 

 しかし、私のあるひと言を皮切りに小さな変化があった。ずっと下を向いていた暗い顔が、自然に前を向く。おや、と思った。

 実はこの時、ほぼ正気に戻っている。冷静沈着な彼女の雰囲気に引き込まれて、先刻迄の行いをじわじわ後悔しはじめている。何をやっているんだと恥じらいを覚えつつ、あれもまた例の情緒障害の一環だと自分に言い訳しつつ、漸く彼女の反応らしい反応があってホッとしていた。

 

「なんのかんの言って、付き合ってくれますもんね」

「そ、それは…。貴方が無理矢理に…!」

「いやいや、意思表示はしましたけど、強要したつもりないですよ。こんな雁字搦めの状態だから、行かないでくれと頼んだだけです。だって、逃げようと思えば逃げられたんじゃ?」

「くぅぅ……勝手なことを……!」

 

 そも、あれは弱味につけこむという意味で、強要ではなく脅迫と言って然るべし、と言っている本人は思っていた。無論、萩風さんも腹に据えかねる様子だが、深く考えずとりなした。

 

「まぁまぁ、そう怒らず。優しい顔が台無しです」

「な……な、何です、急に」

 

 繰り返すがこの辺りで既に、私はほぼ正気であり、冷静である。また、気障な科白が似合う男でないことも重々承知のうえで、こんなことを宣っているのだが、それは小さな予感があったためだ。

 

 彼女は駆逐艦ーー幼いのが当たり前の、駆逐艦娘だ。前任基地で散々振り回されて、無礼られて、同じくらい懐かれたあの娘らと同じ。時系列の前後は知らないーーここに来る前か来た後かも判らないが、少なくとも何時か何処かで、幼い子どもがありのままにいられないような理不尽が、その面様を冷たくメッキした。

 しかし今さっき、そのメッキは少し剥がれていたように思うーーさっき顔を上げたときの、眼を真ん丸にした彼女は、とても幼く見えた。普段の取りつく島もないところからは、随分違った印象だ。怪我の巧名と云おうか、三十路男の暴挙はひょっとすると、ボチボチの戦果をあげたのかも知れない。

 図らずも〝素〟の萩風さんに、私は対面しかけている。今のまま、ねじが緩んだ男を演じ続ければ、少しくらい彼女の為人が見えるかも、という予感はきっと間違いではない筈だ。

 

 

 ***

 

 

ーー部屋にいない?

 

ーーーーうん…。呼んだけど、返事なくてさ。萩風ちゃんも、海佐も。

 

ーーそれなら、まだ庁舎かしら。

 

ーーーーどうかな。津田さんが電話したの午前中だったけど…炬燵出すのってそんなにかかる?

 

ーーあら、そんな時間でしたっけ?

 

ーーーーうん。たしか、混んでくる前にお昼しようって話してた時だったよ。

 

ーーそう……。神通さんか、瑞穂さんには?

 

ーーーーいま、ヒトミちゃんが聞きに行ってくれてるよ。

 

ーー何も言わず遠出はしないだろうし…。またお魚釣りでしょうか。

 

ーーーー今日、買い出しだってわかってるのに?

 

ーーうぅん…。案外、まだ格納庫なのかも。ごちゃごちゃしてて、取り出せてなかったり。

 

ーーーーそう云えば、そもそも、炬燵の場所知ってるんだっけ。

 

ーー流石にそれくらいは、萩風さんに聞いたんじゃないかしら…?

 

ーーーーどうだろ…。2人、仲悪いしなぁ……あ、おかえり、ヒトミちゃん。

 

ーーあの。瑞穂さんも、神通さんも…。今日は萩風さんにしか…会ってない、そうです。

 

ーーーーそっかぁ…じゃあ私ちょっと、格納庫見てくるね。

 

ーーでは、私は庁舎の方を。ヒトミさん、荷物の仕分けお願いしても?

 

ーーーーあ…はい。わかり、ました。

 




お待たせ致しました。

夏本番に、冬の話かいてます。


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