サルベージ   作:かさつき

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見る人によっては、不快感を催す描写がございます。
カエルとか苦手な方は、要注意です。


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 無明の背景に光が浮き上がった。一筋、二筋と増えていき、光源の輪郭がじわじわと顕になった。本来喜ばしい筈なのに、今だけは血の気が引いた。ここまでの道すがら色んな物に体をぶつけ、痛みを覚えているのだがそれどころじゃない。

 これは、深海棲艦の艤装が発する光だ。それに照らされ、周りの様子も薄っすら見えた。ごちゃごちゃした格納庫の中では珍しく、少し開けた場所に居る。ここが庫内の中枢ーー妖精さんの住処らしい。萩風さんの艤装には、口なんてついていないと先刻聞き及んでいるが、他はそうとも限らない。まして、引きずり込まれた先に彼女の艤装しかないというのは、実に楽観的だ。ぐぉるるる。前後左右から、あの唸りが聞こえた。

 

 嗚呼、囲まれたーー。

 

 予備知識を持たぬ者なら落涙せんばかりの、手厚いお出迎えである。体をなるべく動かさぬよう、息を潜めて様子を伺った。依然両足を掴まれていて、逃げるという選択肢は端から潰されているが、せめて相手を刺激しないように、と。まぁ、無駄な努力だった。

 

 幾許もなく、熱烈な歓迎ーー生臭い舌が絡みついてきた。

 

「……!?うぇ…!ぶぁ…!」

 

 生あたたかい。ぬめり、ねばり、からんでくる。顔面を、腕を、掌を、指の間まで丁寧に。味を確かめているのだろうか。那珂さんの艤装は、私を食ったりしなかったが。

 

「ぐ…べぇっ。げほげほっ。……?」

 

 口に入り込んだ苦しょっぱい粘液を吐き出した。いっとき解放され油断したが、すぐさま第二波がやって来た。

 

「!?……うぁぁ。やめ…ぶはぁ。やめてく…ごほぉ」

 

 今度は四方からだ。首、耳、背中、そして鼻、上半身がくまなく餌食になった。わざわざ服の間にまで入ってこないで欲しい。隙あらば口内にまで舌をねじ込もうとする。満足に言葉も発せなかったーー通じるわけもないが。

 

「やめ…。ぐぅぅえぇ………」

 

 不甲斐なくも、泣きが入った。塩味を提供したら余計勢いが強くなった。計ったわけじゃないが、多分10分くらいだと思う。おしなべて、早く終われと願うときほど長く感じるので、20分にも30分にも感じた。さっさと意識を手放せば良かった、と諦めの境地に至った矢先、人生最悪の時間は終わりを告げた。

 

「グズ…。だんだ…?」

 

 みっともなく鼻をすすり〝何だ〟と訝しんだのである。涙声の三十路過ぎ男に気でも遣ったのか、ふと、彼奴らはおとなしくなった。前方に居た艤装の舌が、私から離れる。他のもそれに倣った。そろそろ勘弁してほしかったが、これはまだまだ序の口でーー私の人生最悪は直ちに更新されることになる。

 

 眼前30センチのところで、巨大な口が開かれた。

 

「あ……ああ、死ん…」

 

 小気味良くパクっと、上半身を咥えられた。

 

 

 

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ーーーーやっぱり、まずいかな…。

 

ーーあら、何がまずいの?

 

ーーーーきゃああぁ!

 

ーーきゃ!ご、ごめんなさい、脅かしちゃって。

 

ーーーー瑞穂さん…?

 

ーーこんにちは。時間も良いし、お昼にしようかと。

 

ーーーーそう、ですか。

 

ーー萩風さんもご一緒にいかがです?

 

ーーーーいえ、あの、食欲があまり…。

 

ーーあら風邪?確かに何だか、顔色悪いですね。

 

ーーーー風邪では……ないです。

 

ーー体調が悪いなら、きちんと休んでください?

 

ーーーーはい。

 

ーーそういえば今日、ヒトミさんと当番を交代したって。

 

ーーーーはい、そうなんですが……。

 

ーーちょっとは、打ち解けました?あの人と。

 

ーーーー……そんなには。

 

ーーまぁ…そう。

 

ーーーーえっと…この間、言ってましたよね?大丈夫な人って。

 

ーーえぇ、言いましたね。

 

ーーーーあれ、どう云う意味だったの…?

 

ーー彼を見ていると、なんでか健一さんを思い出すのよね。

 

ーーーー健一さん?

 

ーー越川健一さんね。同じ種類の人に思えたの。

 

ーーーーああ…。ムキムキの。

 

ーームキ……まぁ、間違いではないけれど。

 

ーーーーそんなに似ていますか……?全然イメージが違うような…。

 

ーーう、うぅん。不思議と親近感を感じるというか…。根拠もないのに良い人だと確信があるような…。上手く説明できないんですけど。

 

ーーーーはぁ……。

 

ーー昔を思い出しちゃって、久しぶりにトレーニングなんてしましたもの。

 

ーーーー前はよく、一緒にやってましたね。

 

ーーそうそう。沢山鍛えて貰いました。懐かしい…。

 

ーーーーその人……越川さんは、格納庫のことは知っているんでしたっけ…?

 

ーーいいえ?何かあると勘付いてはいたみたいだけど、あまり詮索しなかったですね。

 

ーーーーじゃあ〝アレ〟を見たことも……。

 

ーーないですね。

 

ーーーーそ……。そう、ですか。

 

ーーあの、本当に大丈夫?真っ青ですよ…。

 

ーーーーちょっと、部屋で、休んできます。

 

ーーええ、はい。お大事にね?

 

 

 

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 ぶしょっ。

 

 奇妙な音がして、私の意識はかったるそうに腰をあげた。何かと思えば自分の嚏だ。どういう訳か、周りが寒い。やたら粘度の高い鼻水が、鼻から頬骨の辺りを伝わっていったーー非常に不快な目覚めである。手で拭おうとすると、どうも顔一面に鼻水がついていることが知れた。何事かと目を開けたら真っ暗で、足が上手く動かないーー。

 

「んがっ…!げほぉ、臭い…」

 

 いや、違う、思い出した。眠りから覚め、寝ぼけからも醒め、上体を起こす。鼻水じゃなくーー〝アレ〟の粘液だ。私はどうなった、今何処にいる、ひょっとしてあの世?いや、それも違う。冷たいコンクリートの感触と、依然両足を固定する艤装の感触と、不快な粘性物質の感触で、自身の存命を知覚した。或いは、死んだ方が幾らかマシだったかも知れないが。

 

 結局奴ら、私を食いちぎろうとはしなかった。甘噛みというほど優しくなく、でも、咀嚼というほど強くなく。どちらかといえば、舌を駆使して臍から上をチャポチャポと……。舐めるというか、しゃぶっていた。口に含まれて逃げ場がないうえ、粘液が鼻と口に絡みつくせいで、だんだん呼吸がし辛くなった。やっと解放されたかと思えば、今度は右側の奴が同じことをーー。私の頭に舌を巻き付け、口の中まで器用に導く。仲良く回し舐めしていた。右が終わったら、左の奴、次は後ろの奴、そして再び前の奴、となかなか終わらない。他人様の上半身をアイスキャンディよろしくシェアしようとは、実に怪しからんことである。

 

 悪臭と酸欠で抵抗の気力をごっそり削られ、私はいっとき失神していた。我ながらよく耐えた方だと思うが、まぁそれは兎も角。

 真っ暗、ということは、あの艤装集団はいま、活動を停止しているか、少なくとも此処にはいないことを意味する。私が気を失って、飽きたのだろうか。とにかく、今が脱出のチャンスだ。引きずり込まれた時ほどの力で握られている訳でもないし、何とかしてこの足枷を外そう。暗中に足の辺りを手探りすると、記憶に新しいあの肌触りだ。那珂さんの艤装に触れたあの感覚。

 

「うぁ…。くそぉ…」

 

 思わず毒づいた。ベトベトの潤滑剤がついているせいで、いまいち力を込められない。色々試行錯誤はしたが、抜けそうで抜けなかった。足首から先が上手い具合に引っかかってしまう。ほんの少しでもこの握り拳が開いてくれればと思うが、萩風さんは重機がないと無理、とか口走っていたような。1人では不可能かーー。

 

「そ、そうだ…!携帯が」

 

 私は尻ポケットをまさぐって、スマートフォンを取り出した。1人で駄目なら、助けを呼ぶのが常識だ。前の基地ではそれに気づくまで随分時間を掛けてしまったが、今の私には味方もいる。津田さんの電話番号なら知っていた。萩風さんに直接助けて貰うのは望めないとしても、艦娘数人がかりでなら、足が抜けるくらいの隙間をつくるのは可能かも知れない。指をズボンで拭ってから、電源スイッチを押す。バックライトが点灯し、一瞬目が眩んだ。

 

「……嘘だろ」

 

 液晶に盛大なひびが入っている。画面が白っぽく点灯するだけで、いくら触っても反応が無い。確かにさっき、尻餅をついた。両足を掴まれてバランスを崩した時だ。コンクリートの床と、成人男性の臀部に思い切り挟まれた精密機器は、こうなるらしい。

 ふ、と掌から力が抜け、スマートフォンを取り落とした。乾いた音をたて、床に転がる。もう、声を張り上げて助けを呼ぶくらいしか思いつかなかった。

 

「だ、誰か……。誰か聞こえないか!誰かぁ!」

 

 ビリビリと特徴的な音がして、それきり。日光からご出張の竜が、応答するばかりである。

 

 

***

 

 

 心細い。

 いや、確かに、絶望するほどの状況ではない。この北陸の地で、私の行動範囲などたかが知れているし、炬燵を取りに行ったことは津田さんも知っている。姿が見えないとなれば、皆で探してくれる筈だ。多少寒いが、吹き曝しにされている訳じゃなし、体力はきっと保つと思う。

 しかし、果たしてあの艤装たちは、また私を見逃してくれるのか。可能な限り、早めの救出を期待したいところだ。そも、奴らは何がしたかったのだろう。私を食い殺さなかったのは良しとしても、先刻の舌地獄はもう経験したくない。まかり間違って、窒息死なんてしようものなら死んでも死にきれない。

 

「はぁ……」

 

 途端に不安になってきた。死ぬ、なんて考えるものじゃなかった。

 肝心要の萩風さんは、今日私を置いてきぼりにしたことを隠すだろうか。そうなると私の発見は、幾らか遅れてしまうことになる。多分私は、萩風さんに良く思われていないし。

 彼女がもしも、悪意をもって私の危機を隠蔽したら。私が体調を崩して部屋に籠っている、とか。伝染すといけないから1人にしてくれ、とか。例えばそういう嘘を、彼女がついたら?最悪、この週末の救助は見込めなくなる。来週始め月曜日、私の無断遅刻がきっかけになるだろう。

 萩風さんに大変失礼で、且つ、後ろ向きな妄想が、脳裏に浮かんでは消えた。今朝と比べ、あんまりな落差である。腹が減ってきたせいもあるか。

 

「あぁ…。止めよう、止めよう……」

 

 口に出して、自分自身に言い聞かせた。まず、ここは暗すぎる。心と体に毒だ。携帯電話のバックライトを点けた。本来の機能は果たさないが、せめてランプ代わりにしよう。

 暗がりに目を凝らすと、ごみの山が絶妙なバランスに恃んで、互いを支えあっているのが見える。どこでも妖精さんは凝り性だ。かまくら型の構造物に、天井は木の板、周囲は黒い布か何かで覆われているのかーー真っ暗の格納庫に、更に真っ暗の空間が拵えられていた。ちゃんと出入口もある。私の入って来たであろう隙間だ。妖精さんは壁抜け出来んのだから、ここが玄関口でーー。

 

「おぉ……?」

 

 来客があった。いや、来客は私だから、家主が帰ったというべきか。眼が煌々と光っていて直ぐに判る。毎度毎度私を気絶させては帰っていくあの妖精さんが、いつものよちよち歩きで歩みよって来たのだ。

 それだけではない。この基地に来て初めて見る妖精さんの軍団がぞろぞろと、単縦陣(警戒陣かも?)で出現した。総勢7名の分隊が、粘液まみれの私に接近しつつあった。

 

 

 

***

 

 

ーーーーどうしよう…。やっぱり…。

 

ーー何が〝やっぱり〟なの?

 

ーーーーきゃああぁ!

 

ーー……。そんなに驚かないで下さいよ。

 

ーーーーじ、神通さん…。

 

ーーこんにちは。時間も良いし、お昼にしようかと。

 

ーーーーそう、ですか。

 

ーー貴女は、もう済ませたの?

 

ーーーーいえ、あの、食欲があまり…。

 

ーー風邪でしょうか?確かに何だか、顔色が。

 

ーーーーか、風邪では……ないです。

 

ーーそう?業務に影響せぬよう、しっかり休んでください。

 

ーーーーはい…。あの……聞きたいことが。

 

ーー何でしょうか。

 

ーーーー神通さんは、自分と他人。どちらを優先しますか?

 

ーー……!な、何で…そんな。

 

ーーーーどうしたんですか……?

 

ーーあ……いえ。えっと、随分抽象的な質問ですけど、うぅん…。

 

ーーーー強いて言えばでいいんです。

 

ーーそうねぇ。他人寄り、かしら。

 

ーーーー他人……寄り?

 

ーー要は、どんな場合に我を通すか、というのが根っこだと思うのですが。

 

ーーーー我を……。

 

ーー勿論、他人というのが、どんな人かにも依りますよ。

 

ーーーーどんな、人か……ですか。

 

ーー世の中、人それぞれに長所短所がありますよね。貴女にも、私にも。

 

ーーーーはい…。

 

ーー私は…まぁ。そんなに優秀なほうじゃないですよね。

 

ーーーーそうなんでしょうか。

 

ーーそうですよ。私などより余程優れた人は沢山います。強い人、賢い人、好かれる人。

 

ーーーーそれは…。

 

ーーそう云う人を相手に、わざわざ〝私〟を貫いても、互いにとって損が多いかもしれません。

 

ーーーー自分を、曲げるってことですか?

 

ーー時には、ね。もちろんいつもじゃありませんけど。

 

ーーーー自分がしんどくても…?

 

ーー…っ。仕方のないことだって、ありますよ。

 

ーーーーそう、なのかな。

 

ーーまぁ、どうしても嫌なら、何か行動するべきです。

 

ーーーー……。

 

ーー最悪なのは、なにもせず有耶無耶に…全部手遅れになることね。

 

ーーーー手遅れになる前に、ですか……。

 

ーー何でも思い通りにはいかないけど。ほら、よく言うでしょう?やらずの後悔よりやった後悔、と。

 

ーーーーうん…。そうかも、です。

 

ーーで、何故こんなことを?

 

ーーーーい、いえ、あの。えっと、ありがとうございました。

 

ーーあ、ちょっと。………外出かしら?

 




鳴き竜、或いは、フラッターエコー。

日本名も英名も、何かカッコよい。

47話でした。



PS
コロラドさんお迎えしまして、本泊地の春イベは終結致しました。

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