サルベージ   作:かさつき

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 朝。地面に霜がおりていると思ったら、積雪であった。役者が整っていさえすれば、白んだ海辺に情緒を感ずる者も居るのだろうけど、生憎私はそういう役になれないことを自覚している。交通機関の麻痺だとか、雪除けの重労働だとか、悪いイメージが先行するさもしい男なのだ。そんなだから冬の朝には、大概眉間にしわが寄る。釣りへ行く気分ではなかった。

 

「おはようございます」

「あぁ。どうも」

「おはようございます。海佐」

 

 入り口で私から挨拶すると、津田さんが会釈し、赤城さんが微笑みかけて来た。津田さんも赤城さんも私服である。

 人が少ない。今日は多くが非番なのだし、たまの朝寝坊もご愛嬌か。平常の日課と異なって、始業も終業も明確でない。休日ではないが平日でもないーーそういう日。土曜の朝の談話室には、いつもより緩やかな時間が流れている気がした。そして珍しいことに、談話室の中に萩風さんがいる。朝は自室で食べる派だと聞いていた。

 

「おはようございます。萩風さん」

「………どうも」

 

 まぁ、いつもの通りである。別段彼女に愛想を期待した訳ではない。1日この調子だと私も辛いから、少し打ち解けようと試みただけだ。いきなり和気藹々なんて虫のいい話はないが少しずつ1つずつ、と。冬の朝にしては珍しく、今日の私は前向きだなと驚いた。冬の寒さと、独り身の寒さとを忘れたかったのかも知れない。

 談話室のストーブに暖を分けてもらった後、今朝はここに来る意味もなかったと気付く。というのも、私の分の食品ーーとりもなおさず我が命の源は、まだこの部屋にないのだ。目下、未だ見ぬ隣町のスーパーマーケットにあらせられて、本日昼から夕頃にかけ、この基地へお越し頂く手筈になっている。それまでは、数時間の辛抱だ。手持ち無沙汰になって、取り敢えず部屋に戻ろうかと席を立ったところで、事情を知った津田さんに呼び止められた。

 

「珈琲でも、飲まれます?」

「………良いんですか」

「いや、まぁ、それくらいね」

 

 津田さんは大ぶりのマグカップを用意し、たっぷりの砂糖と牛乳を注いでカフェオレを作ってくれた。それを見た赤城さんは、おにぎりを分けてくれた。人の優しさは、目にしみる。

 

「買い出しから帰ったら、ここに搬入しておきます。そのまま自室に戻りたいので、庁舎の施錠はお願いして良いでしょうか」

「承知しました」

 

 活力を得、明瞭になった精神で返事をした。

 

***

 

「赤城さん、そろそろ行きましょうか」

「はい……では、お2人とも。行ってきますね」

 

 8時を少しまわった時分、傍らにあった鞄を持って、2人が席を立った。隣町まで出るのに2時間で、そのうえ必要物が多いせいで買い物自体にも結構かかると聞いた。自動車は基地内に見当たらないがどうしているのか問うと、少し離れた所に置いてあるそうだ。雨曝しの潮風曝しだし、海辺は物騒だしで、基地からちょっと離れた所に置きたかった、とは津田さんの言。車庫は作ったと、普通のことのように言われた。幸い土地は安かったらしいが、そこはそんなに気にしていない。兎も角今からまずは、徒歩でそこまで向かうとのこと。

 

「一応、課業の中ですけど開店休業で良いですからね。そもそもが漁協の都合な訳ですし。2人とも、午前であがっても結構ですよ」

「はぁ、そうなんですか」

 

 2人が出て行ってすぐ、扉の向こうから賑やかな話し声が聞こえてきた。多分、ヒトミさんと那珂さんも合流したのだろう。少し羨ましい。暫くすると声が遠ざかって、室内はかなり静かになった。

 

「と…。我々も、そろそろ行きますか?」

「……」

 

 2人きりになると、途端に気まずい。耐えかねた私が腰を上げかけると、彼女も無言で立ちあがった。一言くらいあっても良さそうなものだ。めげずに話しかけ続ければ、いつか成果もあがるだろうと淡い期待をしていたが、彼女の無愛想は、私がめげるまで貫徹されたのである。

 弁明しておくが、津田さんたちを見送ってから、なんとかこの空気を払拭しようとして、私はかなり頑張った。時間にして3時間ほど、時刻で言えば11時くらいまで。秘書艦机の方に顔だけずっと向けていたせいで、首筋が痛くなった。

 軽い所では、趣味の話や仕事の話。少し踏み込んでは、彼女の前任基地での話。何か話題を、何とか会話を、と息まいて、勝手に気張って、全部受け流された。萩風さんが凄いのは「さぁ」と「はぁ」と「いろいろです」の僅か3語で、私との会話を捌き切ったところ。勿論、私の語彙と話題の少なさ、会話の拙さは認めるところで、大淀さん辺りにこのことを聞かせれば、一司令官ともあろうものが口下手も大概にせよと、お叱りを賜ること請け合いである。けれども、ほんの7文字の平仮名に、午前中の努力が敗北したとあって、私の心は折れてしまったのだった。

 

 

=============

 

 

 11時半過ぎ。本日の業務終了まで、30分を切った頃のことだ。骨折り損のくたびれ儲けに意気消沈の私の胸ポケットで、携帯電話が鳴動した。着信元は津田さんであった。

 

「もしもし、樋口です。津田さん?」

「あ、私です。もう1店舗だけ寄って帰ろうかという所なんですが、まだ庁舎に見えます?」

 

 通話口の向こうから微かに音楽が聞こえた。多分、量販店にかかる店内放送の類だろう。時折、聞き覚えのある女性の話し声が聞こえたから、赤城さんたち3人も近くにいることが知れた。

 

「まだいますが…何でした?」

「鍵のことで、ちょっとお願いがーー」

 

 彼は、この後庁舎に寄る用事が出来た、と話した。私の預かっている鍵は、今から指定する場所に置いておいて欲しいと云う。

 

「談話室のガスコンロの下に開き戸があって、収納になってます。鍵ボックスが隠してあるので、そこへ入れてください」

「あぁ、あれ…。鍵入れだったんですね?」

「そうなんですよ。金曜の最後に庁舎を出た人は、そこにしまうようにしてます。一々、私を探すのも面倒だろうと思いまして」

 

 魚を捌いたとき、包丁たての横にナンバーロック付きの妙な箱があって、不思議に思っていた。

 

「ロックの番号は、基地の固定電話の下6桁です」

「なるほど。承知しました。………何か緊急の用事でも?」

「あぁ、いやいや。大したことじゃないんです。今日中に炬燵を用意しておこうかと。雪も降ったことですし」

「こ、炬燵……?」

 

 庁舎の宿直室--というかほぼ仮眠室--が和室になっていて、例年そこには炬燵を用意する。あえてそこを溜り場にして、人を1ヶ所に集める方が、平生の暖房代も節約出来るとか。冷房がないせいで、夏場はあまり使われない部屋は、冬になると第2の談話室になる。年末は皆で年越し蕎麦、兼、宿直蕎麦を頂くそうだ。一年中出しておくと畳が凹むから、毎年春頃には片付けている、とーーまめやかなことである。

 

「やっておきましょうか?それくらいなら」

「良いんですか?結構重いですよ、1人だと辛いかも…」

「大丈夫です。今日は直帰してください」

「はぁ……。では、お言葉に甘えますが」

 

 所詮、炬燵。多少重くても、大の大人がやって出来ないことはなかろうと思い、安請け合いしてしまった。

 

***

 

「……1人で出来ないなら、引き受けないでください」

「いや、全く…本当に申し訳ないです」

 

 そもそも、炬燵の在り処が分からなかった。宿直室にあるとばかり思っていたら、部屋の中には押入れの1つすら見当たらない。執務室に戻って萩風さんに応援を頼むと、嫌な顔をしながらも案内してくれた。無人の事務室を開け、格納庫の鍵ーーまた此処かーーを借りた。

 

 外は刺す様に寒い。北風に巻き上げられた雪粒が顔に当たる。小走りで格納庫に向かい、急いで格納庫の扉を開けた。物が多すぎるし、炬燵用の机らしき物は見当たらない。この中にある、と知っても依然、在り処は分からなかった。

 

「……〝アレ〟をもう見せて貰ったって」

 

 本日初めて、彼女から話題を振ってくれた。そうなんです、と力強く首肯したが、ただの確認のつもりだったようだ。

 

「………。ええと、確か本棚の裏にあるとか」

「はい。炬燵はそのすぐ傍です」

「はぁ……なんでわざわざ其処に…あ、ちょっと」

 

 戸惑う私をさっぱりと無視した萩風さんは、慣れた足取りで荷物の森を進んでいく。後を追う私は、何度か躓いた。目的の物は、埃避けの白いビニール袋とポリエチレン製の緩衝材で包まれていた。

 

「あぁ…!これか。在って良かった」

 

 正直びくびくしていたが、艤装の唸りは聞こえない。向こうも今日は休業日か。用を終えた萩風さんは私に背を向けかけ、顔だけこちらを振り返り言った。

 

「では、本当に私はこれで」

「どうも、ありがとうございました。今日はこのまま帰りますか?」

「ええ。お先に失礼します」

「お疲れ様です」

 

 彼女は、私に背を向けた。私は炬燵に向き直り、台車でも持ってくるかと思案しかけた。

 

 突然、巨大な腕が物陰から生えてきて、私の右脚を掴んだのは、その時だ。

 

「…!?……!」

 

 振り払おうとしたが、強烈な力で掴まれているーーびくともしない。あろうことかその腕は、私を格納庫の奥に引き摺りこもうとした。必死に抵抗しつつ、首だけ振り向いて萩風さんに呼びかけた。彼女は、入口付近で異変に気付き、面倒くさそうに振り返った。当の私がジタバタと、やたらと慌てているだけでなんの説明もしないーーそんな余裕はないーーので、彼女はまた面倒くさそうに踵を返した。そうこうしている間にも、私の体はじりじりと、真っ暗闇に向けて引っ張られていく。

 

「は、萩、か…あ、あ、脚…!腕がっ…!」

「脚?腕?一体何を…。あれ?私の艤装…」

 

 近づいて状況を悟った彼女は目を丸くした。どうやらこの腕は、彼女の艤装の一部らしい。休業日などと言ったのは誰だ。

 

「た、助けてください…!脚が抜けないんです…!」

「私たちの力じゃ…無理だと思います。重機でも無いと…」

「萩風さん……は、早く…」

「……」

「あ、あの!どんどん引っ張られてるんです!」

「だ、だって…それ着けなきゃ、動かせない……」

「そうですけ、ど、うわ…!また!」

 

 やはり腕は、2本揃わねば釣合いが悪い。今度はもう片方の腕が現れ、左足も掴まれた。それに伴って、引き摺り込まんとする力が強くなり、みっともなく尻餅をついた。もうされるがままーー抵抗が出来る体勢ではなくなった。

 

「き…昨日。私、言いましたよね?あの姿見られたくないって」

「……え?」

 

 彼女の言葉は、私の顔を真っ青にするのに十分な威力だった。

 

「は、萩風さん。う、嘘でしょう…?」

「……だ、大丈夫、です。私の艤装、口なんて無いし!食べられることは無いです……と思います…」

「そういう問題じゃ……!」

「あ、み、瑞穂さんが言ってました。海佐は大丈夫な人って…!」

「いやいや!それは、今、こういうのじゃ」

「庁舎は、閉めておきますから!」

「うあ…!ま、待って…!待ってください…!」

 

 懇願しても、もう手遅れだ。萩風さんは今、必死に言い訳を探しているだけ。私を助けないことーー艤装を着けないことーーは、もう彼女の中で決まっている。結局彼女は、入口へ向けて一目散に逃げだしてしまった。

 

 目をつぶっていますから、とか、説得のやりようはあったな、と後悔した。

 せめて誰か呼んでください、とか、お願いすれば良かったな、とも後悔した。

 ご丁寧に電気まで消して行かずとも良さそうなものだ。真っ暗闇の中、格納庫の冷たい床を引き摺られ、私は何処かへ連れていかれる。何もない平面を必死に掴もうとして、指の腹からむなしい摩擦音が鳴っていた。行き先はどうも、格納庫の奥の奥。妖精さんが作ったという、構造物の中心らしかった。

 




現在E-3で止まっております。

妹さん強い。

46話でした。

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