サルベージ   作:かさつき

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 いい加減、この基地の人たちは、執務室の扉を労るべきと思う。

 ゴツンゴツン、とかいう重い音ーー木製の筈だがーーを伴って扉が乱暴にノックされた。3人で陰鬱に黙りこくっていた所へ、場違いも場違いな音を叩き込まれ、心臓が跳ねた。赤城さんが珍しく悲鳴を上げていたし、私も口から声がはみ出た。那珂さんに至っては、一寸飛び上がっていた。

 さて、意外にも、ノックの主はヒトミさんである。彼女らしくもないーー入室の挨拶をさえ省略し、モルタルの床を驀進して、私の面前に陣取った。

 

「はぁっ。はぁっ。はぁっ……!」

「ど、どうしたんです?あんまり動くと、また……」

「はっ、ふっ。か、かい、さ。ふぅっ。海佐…!」

「な、なん、でしょうか……」

 

 肩で息をする彼女の妙な迫力に、思わず背筋を伸ばし、吃りながら返答した。

 

「じ、じん。はっ、はっ。神通さんは、い、良い人、ですよ…!」

「は……?」

 

 彼女は不思議なことを訴え始めた。その意図は杳として知れないーー取り敢えず、神通さんを褒めたいらしかった。

 

「お料理も上手だし、いつも落ち着いてるし、強いし…!」

「はぁ」

「えと、意外と可愛いくて…」

「へぇ」

「あ、そう…!耳が、とっても良いの…!」

「ほぅ」

「……?」

 

 期待したような反応は、得られなかったようだ。気のない私の相槌に、彼女は首を傾げた。首を傾げたいのは此方である。

 

「と、とにかく……神通さんは良い人だ、と」

「そ、そうです…!そうなんです…!」

「それはまぁ、なんとも……良かった、ですね?」

「……何ですか、それ…?」

 

 今度はヒトミさん、口を「へ」の字にひん曲げて、甚く不服の様子。どう受け答えたら、正解なのだ。何ですかそれ、とは此方の科白である。

 

「えぇと、あれだ…。身内自慢大会…ですかね?」

「何、言ってるの…!」

 

 当てずっぽうに答えを返したら、叱責を受けた。何言ってるのか、もう全く、此方が訊きたいところだ。

 彼女には私の思考が分かるだろうけれども、逆はない。どうやらヒトミさん、それが歯痒いみたいで、見るからに焦れている。たとえば、誰かに追跡されている者は、丁度こういう具合になろうか。

 さて、赤城さんが少し上体を乗り出し、ちょっと落ち着いて、と助け船を出しかけた矢先、それ将に〝鬼〟が現れたのだった。

 

「ま、待って下さい、ヒトミさん…!」

 

 神通さんーー鬼は流石に失礼かーーが同じく息を切らせて、部屋に入った。

 執務室にこれだけの人数が集まるのは、なかなか珍しい。分けても、ヒトミさんと神通さんが揃いで此処にやって来るのは、いまいち私の想定になかった。

 大人しい人と、はっきりした人で、意外に相性が良いのか。或いは、でっぱりの少ないヒトミさんの人格は、どんな人とも衝突を回避するのか。何にせよ取り敢えず、現状が異例の事態であるのは、火を見るより明らかだ。

 

「もも、もう。遅い…ですから…!言っちゃいました、から…!」

「え…っ。うぅ…」

 

 神通さんがたじろいでいて、ヒトミさんが肩を揺らして熱弁を振るうーー逆ならばまだ、受け入れられそうな構図。「もう遅い」らしく「言っちゃった」らしいが、当の私は何が何やら、理解していない。神通さんは多分、そんなに狼狽せずとも大丈夫である。

 2人とも頭に血が昇っている。特にヒトミさん、先程好ましくない話を聞かせたせいで、那珂さん云うところの〝変なテンション〟に嵌っているのかも知れなかった。そんなだから必然、血圧も上がろうーー出るものが、出る。彼女の顔の中心から鉛直下方へ、つぅ、と赤色の筋が走った。

 

「へう。あ、あぁ…?」

 

 先刻、幾らか血を排出した所へ、追加を出し、おまけに急な運動をやらかした彼女は、軽度の貧血に陥ったようだ。目眩を催したヒトミさんを支えたのは、赤城さんだった。勢い、何滴か垂れた。

 

「袴が赤くて、良かったです」

「あ、う。……ご、ごめ…なさ」

「大丈夫ですよ。…まだ、体温調節に慣れていないのね、きっと」

「……。また…瑞穂さんに心配されちゃう…」

「フフ。明日のお夕食は、レバーかしら?」

 

 瑞穂さんは、たびたび誰かの世話をするらしい。彼女らの何気ない会話に誘われ、弛緩した空気が部屋に流れ込んだ気がした。

 

「取り敢えず、休みましょう?大丈夫です。海佐はちゃんと、待ってくれますから」

 

 ちり紙を手にした赤城さんが、ヒトミさんに肩を貸しつつ、執務室から出ていった。神通さんが何かを言いかけたが、赤城さんに人差し指一本で制され、口を噤んだ。

 

***

 

 台風一過に残された微妙な空気。ヒトミさんの置き土産を随分もて余しながら、3人は互いに顔を見合わせた。

 

「あの。一体、何事でしょうか」

「お姉ちゃん?何か、あった?」

「えぇと…。な、何を言われたか知りませんが…まぁ、忘れて下さい。大したことではないのです」

 

 流石の神通さんも、動揺気味である。とにかく帰投報告を、と話題を切り替えた彼女に倣い、私は書類の準備をした。きっと互いに、いつもの調子でいつもの仕事を終えて、平静を取り戻したかったのだと思う。何故那珂さんが執務室にいるのか、とか、普段の神通さんならば問うてきそうだが、そういう気配も無い。報告の間ずっと、那珂さんは思案顔であった。

 

「ーー以上です」

「はい……お疲れ様でした」

「先日連絡申し上げた通り、明日から漁船の運行は休止に入りますので」

「あぁ。そうでした」

「業務は更に減りますが、休業ではありません。お忘れのないよう」

 

 出がけに神通さんはすっかり、氷柱を取り戻していた。

 

***

 

 ずっと静かでいた那珂さんは、扉の向こうで足音が遠ざかるのを見計らって、私に水を向けた。ずい、と顔を寄せ、聞く者もいないのに小声で話した。

 

「ねね。どう見ても、おかしかったよ。2人してさ」

「全くです。何があったのやら」

「なんだろね。ヒトミちゃんに、あんなこと言わせちゃうって」

 

 さっぱり判らないーーというより、もっと頭を悩ます事柄に容量を奪われて、思索の余裕はなかったのだ。赤城さんには、解ったらしいーー読心術だろうか?

 

「あのさ、海佐ってお姉ちゃんのこと、苦手だよね?」

「え…。いやまぁ、苦手…というか。少し怖いのはありますけど」

「やっぱり。さっき、ちょっと失礼なこと考えてたしねー?」

 

 神通さんを見るや、鬼を想起したのは彼女に筒抜けだった。ジトリと、もの言いたげな視線にばつが悪くなって、目を逸らした。困ったような顔で笑って、那珂さんは疑問を提起した。

 

「………何で、海佐の考えてること、解るんだろ」

「ムゥ。私にはなんとも…。まぁ多分、あの夢のせいでしょうけど」

 

 ヒトミさんの記憶と那珂さんの記憶、少なくとも、2人の夢を見たーー見せられたーー後に、その異能が発現したことは、確かだ。

 

「うん、そうだよね。原因っていうか、きっかけは多分、あれで…。うーん、と」

「……何か、疑問が?」

「中間体の記憶を知っちゃうと、その娘には思考を読み取られちゃうようになる…?」

「まぁ……赤城さんの話を受け入れるなら、そういうことに」

「もしかして、海佐は聞いてたりする?お姉ちゃんに、何があったのか」

「え、はい。津田さんに聞きましたが…」

「あぁ、やっぱり」

 

 此処にやって来て、3日目。私は津田さんに、問い質した。そうして、中間体や、この基地の役割について聞き出す最中、偶々神通さんが事務室を訪れたのだ。私は、聞いた。仲間に撃たれ、海に逃げ、自分の手で目をーー。那珂さんの言わんとしていることは、朧に理解出来た。

 

「ひょっとして………神通さんにも、私の思考は〝聞こえている〟と?」

「どうかな……。お姉ちゃん、あんまり自分のこと言わないし…」

「し、しかし、ですね。あくまで聞いただけなんですよ?大部分が、私自身の想像で補われているし…。かなり、中途半端というか……」

 

 妖精さんは、記憶そのものを私に〝見せた〟のだ。単なる伝聞とでは、雲泥の差があるように思われる。

 

「それなら、私やヒトミちゃんみたいに、キチンと伝わってこない、とか。中途半端にーー目の前の人間が思ってることだ、って認識出来ないくらい、中途半端に伝わってる、とか」

「……!」

 

 私が、神通さんを目の前にして抱くものといえば、凡そ悪感情と言えようことばかりだったーー恐怖とか、不快感とかーーそれらがそのまま彼女に伝達して、よしんばその感情を〝自分のもの〟にしてしまったならばーー?

 

「お姉ちゃん、今までの人たちにも結構キツいこと、言ってたんだけど。海佐の場合は…なんか極端な気がしてさ。そこまで言わなくてもって思うこともあるし、顔合わせると何時もあんな感じだし。今迄はもうちょっと、ソフトだった気がするんだけど……」

 

 那珂さんは、そう述懐した。頻度と程度が、今までの比ではない、と。

 

「無意識的か、意識的か…とにかく、私が神通さんを良くない目で見るせいで、彼女にもそれが伝わって、悪循環が生まれている、ということでしょうか」

「まぁ、自信ないけど…。でも、前に言ったよね?ホントは、とっても優しいんだよ、お姉ちゃん」

 

 その話を聞いてしかし、依然、私は納得出来なかった。

 彼女との初対面を、私は思い起こしていたのだ。次に着任予定の司令官だと、津田さんに紹介を受けたその瞬間、彼女の態度は豹変したようだった。あの時は、例の奇妙なアイマスクに気を取られていたくらいで、別に彼女のことを、怖いとも不気味とも、思っていなかった筈だ。

 

「思い返すに…。出会った瞬間、もう嫌われていたように見えたんですが…」

「え、そうなの?……んー」

「そうですね、例えば……私が来る直前に新転任者のーー要するに私の情報は、この基地に流れていましたか?」

 

那珂さんは、首を振った。しかし、津田さんならば、知っていただろう、とも口にした。

 

「彼から個人的に聞いていたのなら、まぁ…」

「あぁ、そっか。どんな人で、何をやって此の基地に、とか」

「情けないことですが…嫌われる要素に、心当たりもありますし……」

 

ーーまぁ、良いか。

 

 少し落ち込んだが、気を取り直す。仮に今の話が、正しくても間違っていても、私のすることは結局変わらない。最後には、私がこの基地の面々に、認められなければならないのは同じなのだ。そのためにも、私が彼女らに背を向けていては始まらないではないか。

 思えば私は、神通さんのことを又聞きでしか知らない。話をしたことなど、碌になかった。事務室での初対面からこっち、未だ彼女の第一印象を脱出していないーーずっと引きずり続けている。それはともすると、とても勿体ないことなのかも知れない。

 何せ今、那珂さんが私と共に在るのは、彼女が其の壁を乗り越えてくれたおかげなのだから。

 

「何にしても……まず私自身が彼女のことをーー出来る限り良い面を知るのが肝要、でしょうか」

「うん…!うん、そうだね。ヒトミちゃんのしたこと、意味はよく判んなかったけど、きっと正しいと思う。お互いのこと知らないのに、好きも嫌いもないもんね?」

 

 那珂さんは良い笑顔になって、何度も頷いてみせた。

 

 

===============

 

 

ーーーーねぇ。ヒトミさん?

 

ーーあ、はい。なん…ですか?

 

ーーーー神通さんと、彼。仲良くなるの、大変そうですよね。

 

ーー……。失敗、しました。伝わらなかった…です。

 

ーーーーま…まぁ確かにあれでは、ちょっと。

 

ーーうぅ…。どうすれば、良かった…かな。

 

ーーーー互いの良い面を知るのは、大切なことだけれど。人から教えて貰って、はいそうですか、とは往かないものです。

 

ーーうん…。

 

ーーーー気楽にお喋りできる雰囲気が、大切なんですよ。まずは、打ち解けること。

 

ーーお喋り?

 

ーーーーそう。仕事しながら、遊びながら、御飯を食べながら。今すぐには、無理でしょうけど。

 

ーー御飯……そういえば、歓迎会…。

 

ーーーーあ、そうでしたね。海佐とも話してました。皆でお鍋。

 

ーーじゃあ、お魚が良いな…。この時期は……フクラギとかが。

 

ーーーーシンプルに寄せ鍋で良いかしら。日曜日に食材を買ってきて。

 

ーー神通さんに作って貰えば…。

 

ーーーー上手ですもんね。海佐にも手伝って貰いましょう。共同作業です。

 

ーーネギと、白菜と水菜と…。

 

ーーーーお豆腐と、ニラ。つみれも欲しいなぁ。

 

ーー〆は、雑炊派、です…。

 

ーーーーうふ。気が合いますねー?

 

ーー…そうだ。宿直室になら…確か、炬燵が…。

 

ーーーー津田さんに説明すれば、出して貰えますよ。皆で温まりましょう。

 

ーー萩風さんも……。

 

ーーーーええ。互いのことを知る、ひとつのきっかけになれば良いですね。

 

ーー上手く、行くかな……。

 

ーーーーやってみましょう。あまりわざとらしくならない程度にね。

 




そろそろ、紫の似合うあの娘が登場。
漸く、秘書艦できますね。

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