サルベージ   作:かさつき

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 執務室に入ると、2人は青褪め、1人は困惑している。出し抜けに、何があったと問われたが、それこそ此方の科白である。

 

「どうしました?私は普通に電話を…」

「大丈夫?ホントに海佐だよね?」

 

 那珂さんに問われた。はい私です、と其より他に返答のしようもない。

 

「さっき、凄く…なんていうか、怒ってなかった?ちょっと怖かった…」

「え…特には…。前任基地の大淀さんという人と、話していたんですが」

 

 全体を通して、実に満足を得られた通話であるーーなんてことを説明する要もなく、2人には通じているはずなのに。今の私の心の有り様は、実に穏やかなものである。いまいち状況が掴めず、頭をポリポリ掻いていると、赤城さんが補足をくれた。

 

「急に2人が怯えだしたんです。扉の向こうに何かどす黒い……悪寒を感じた、とか」

「わ……私はずっと1人でしたが」

「ええ、そうでしょうね。海佐の声は、ずっと聞こえてましたよ」

 

 冷たいものが、背を撫でた。あの場には、他の何かが居た、と言うのか?いや、確かに私だけだった…。

 全体こういう霊験あらたかな話は、夏にするから良いのである。ただでさえ寒い所に、余計な寒さは必要ないーー私にすれば、夏季にあっても願い下げだが。

 

「や、止めましょう。そう云うの苦手なんです」

「……。因みに、なんのお話だったの?今の電話」

 

 赤城さんの疑問に答えるべくメールフォームにログインした。表情を見るに、ヒトミさんだけは私のせんとすることを理解しているようだ。

 しかし結局、大淀さんのメールは依然、送られてきていなかった。そも、彼女は何処から電話を寄越していたのかーー多分、休憩室とかだろう。他の仕事もある筈だし、今すぐという訳にも行かないか。幾らか焦れて、更新ボタンを何度か押したが、新規の着信はなかった。

 

「黙っていてすみません。この基地の前任者情報を調べて貰っていたんですよ。何か手掛かりを、と」

「…。そう、ですか」

 

 那珂さんも赤城さんも、多少驚いた様子を見せたが、私をなじる風ではなかった。

 

「で、その結果を送ります、と。そういう連絡だったんです」

「…。良いパートナーがいるのね?」

「まさか。パートナーなんて畏れ多い。師匠とか、恩師に近いくらいのもんで」

 

 大淀さんとか、大島海将とか。至らぬ所の煮凝りみたいな私が、唯一他人に自慢出来る能が在るとすれば、それは人脈を引き寄せる運の強さである。

 

「その大淀さんは、艦娘ですよね?」

「ええ…はい。そうですよ」

「大切ですか?その人のこと」

「え…。そりゃぁ、勿論、大切ですが」

「で、あれば。その人はきっと、幸せね」

 

 それは…どうだろう。私は確かに、彼女の隣に居られて幸運だったが、向こうからすると如何なものか。首肯しかねている私を見、だがそれでも、赤城さんは強く主張した。

 

「きっとです。私たちは所詮、道具。たとえそれが如何に巨大な艦艇であってもーー誉れある第一航空戦隊の旗艦でもーーいつかは朽ちて、忘れられるのが宿命です」

 

 本来なら、歴史の教本の片隅に収まる些末な記号として、写真と文字だけの存在になり、埋没していく筈だった、と彼女は云う。しかしそこは、大いに異議を唱えたいところであった。

 護衛艦にだって名が残っている。決して明るい歴史ではないのだが、だからこそ、子々孫々に伝え残して往くべきと思う。まして今は、艦娘を知らない者の方が少ない。戦いが始まってからこっち、国民の関心を欲しいままにするのは、彼女たちだ。最前線で戦う美しい女性ーー国の英雄と言っていい。

 まぁ、そんなこと云うに及ばず、彼女も了解していたらしく、赤城さんの話は、更に展開した。

 

「ところが、いざ現代に甦って、私は驚きました。数十年前に遠い海で沈んだ一艦艇を、覚えていてくれる人が、こんなにも居る、と。そして同時に思ったのです。この人たちを命懸けで守ろう、と」

「ええ、はい。貴女たちは皆、一所懸命。よくよく知っていますとも」

 

 赤城さんの表情が、少し綻んだ。そして彼女は直ぐ、うしろめたげに、視線を逸らした。

 

「しかしこの頃、それは……義によってでは、なかったように思うの。国のため、人のため、と最初は考えたんですが……」

「え……。ならば、なんだと?」

「きっとそれは、欲でした。練度を上げ、戦果を上げ、もっと活躍したい。もっともっと名を上げたい。そういう欲」

 

 赤城さんは、そう言った。しかしまぁ、多少の野心くらいなら、人間にだってありそうなものだと思う。そう言い含めたが、依然彼女は苦い顔のままだ。

 

「いいえ……。その欲は、野心などという、生半可な物ではないのです。もう少し原始的で、抗い難いーー本能的な欲求と言って、言い過ぎではないかも知れません」

 

 那珂さんやヒトミさんと目があったが、否定する様子ではなく、曖昧に頷いた。なんとなく、心当りがあるらしかった。

 

「……何故、そこまで?」

「思うに……私たちはきっと、忘れられるのが怖いのです。私たちにとって、忘れられることは、死ぬのと殆ど同じなのです。それを裏返すと、覚えておいて貰うこと、思い出して貰うこと、知って貰うことが、無上の喜びであるとも言えるでしょう」

「ムゥ…なるほど?色々な人に知って欲しいから、名を上げる、と」

 

 長い間、暗い海底で孤独に過ごした彼女たち。その想いは推して知るべし、であろう。

 

「ただ、不特定多数に認知されるほどの、絶大な戦果を上げられる者は限られています。ですからせめて、身近な人に対して、あの手この手で、自身の存在を強く刻み付けようとするーー艦娘の生理には、そういう習性が組み込まれているように見えます」

「あの手この手…ってーー」

「身に覚えがあるでしょう。さっき聞いた限り、前の基地にいた娘たちとは、随分親しかったのではありませんか?国中どこを見ても、きっとそうです。殆どの艦娘が、基地の人間たちと、良好な関係を築いているはず。心を通わせ、友となり、恋人となり、家族となることすらあります」

 

 ヒトミさんが、急に顔を赤くしたが、打ち遣っておこう。

 

「特に海佐のお人柄は……なんと云うか、艦娘のそういう部分を、絶妙に刺激しそうですし」

 

 物凄く卑屈な物言いをすれば、カモにされている、と。嘗められていたのじゃなかろうが、素直に喜べない話だ。微妙な表情をする私に、赤城さんのフォローがはいった。

 

「ごめんなさい。決して馬鹿にしているつもりはないんです。容量が大きい、或いは、受皿が広いんです。きっと貴方は、人の悩みと自分の悩みを一辺に抱えたまま、苦しみながらも関わり続けることが出来る人です。私は、そう思います。本当に」

「それは…ちょっと、買いかぶり過ぎかも知れないですが…」

 

 急な激賞に気恥ずかしさを覚えた。今までの水準が低すぎただけだ、とも思ったが、自分で言うのは悔しいし、話を逸らした。

 

「それにしても、本能とは。私としては、些か実感に欠けますね…。前任基地の艦娘連中が、そこまでの物を抱いていたようには、どうしても思えないんですが……」

「きっとそれは、その娘たちが、比較的満たされていたからです。足りない状況にならなければ、欲求も顕在化しないーーお腹が減らなきゃ、ご飯を食べたいと思わないでしょう?」

「フゥム…成る程?」

 

 私は、少し気になった。先程の、言葉を濁し、濁しする態度とは随分違って饒舌になったのは、何故なのだろう。

 

「ところで……どうしたんです?急にこんな話」

「実践…です。那珂さんの云うことの、実践」

 

 ものを考えるためには、材料が必要だ、と赤城さんは付け足した。藪をつついて蛇を出すことになっても、今は足踏みをすべきではないと、判断したのだそうだ。

 

「少し迷ったけれど、やはり、ちゃんと話します。しっかり相談します。つい先刻、ようこそと言ったのを、嘘にしたくないですから」

「……至極、有り難いことです。詰まるとこ、その欲の話が、私の知りたいことに関わっている?」

 

 赤城さんは頷いた。そして、あくまでここからは、多くが私の想像です、と前置いた。

 

「私たちは、海佐の前任基地の娘たちとは、いわば逆です。必要とされないーー。静かに緩やかに朽ちていくだけで、日々出撃もどきを繰り返す、飼い殺し、生殺し。いわば、欲を満たそうにも満たせないーーそういう状況にある」

「……お察しします」

 

 そうとしか、口を挟めなかった。せめて、普通の艦娘ならば、なにかの逃げ道が在ったかも知れない。しかし、中間体としての特異性が、それを塞いだ。この基地はつまり、袋小路である。きっといままで、彼女たちの行き場は、世界中探しても、此処にしかなかったのだと思う。翻って彼女は私に問いを投げた。

 

「そんな中、行き場を失った私たちの欲は、どうなると思いますか?」

「それは……ストレスという形で、顕れているのでは…?心の不健康が、此の基地には蔓延しているように思いますし」

 

 皆の暗い顔が、脳裏に明滅した。諦めとか、不安とか、怒りとか。欲求不満を堆積させたことによる、精神の防衛反応だったと考えると、納得出来た。しかしそれは、不正解らしいーー赤城さんは、首を横に振った。

 

「それは、本能と言ってよい程のものですよ?食事を絶たれれば生きていけないし、睡眠を絶たれれば気が狂う。それに類する強烈な欲を、満たせないの。〝ストレス〟で済みますか?」

「……それじゃあ、何かこう、死物狂いで……なんとかしようと…」

 

 ひどく抽象的な答えに、しかし彼女は、私もそう思います、と頷いた。

 

「彼女たちに説明は望めませんが、きっとその役目を担うのは、妖精さんです。そして、餌食となるのは、本基地に着任した司令官なのではないか、と思います」

 

 餌食、なんて言葉を使った彼女の凛として清潔な顔は、決して、捕食者のそれではなかった。

 

「前々から疑問だったのですが、妖精さんは貴女方の一部なのですか?」

「それは……よく、わかりません。ただ、艤装に住んでいるから、共生関係なのは間違いないでしょう。私たちの危機は、彼女たちの危機、という具合に」

 

 那珂さんが、何かに気づいたようだ。返答したのは私でなく、彼女だった。

 

「……そっか。だからーー覚えて欲しいからーー見せるんだ。私たちの記憶を」

「はい……見せる、なんて言葉も、或いは不十分かも知れません。記憶を植え付けるーー無理矢理、覚えさせるのです。忘れたくても忘れられないくらいに。私たちのこれまでを追体験させ、思い出とか、為人とか、その人を成す種々の情報を、頭の芯に刻み付けたーー。非常に間接的ですが、なんとか欲求をみたした、と」

 

 どうもこの話は、スピリチュアルに過ぎたーーそんなバカな、と普段は一笑に付すところだが、一方で私は見るものを見てしまってもいる。不条理な事態の説明が、やはり不条理になるのは、ある意味道理かも知れない、と思った。

 

「そうね……生物の営みに喩えるなら、ある種の生殖行為に近いかも知れません。自己保存、自己増殖、自己複製。誰かの頭の中に、自分を残しておく訳です。だいぶ、まわりくどいですが」

「ふぅむ?どうしてそんな、まわりくどい方法を選んだんでしょう。他に幾らも素直で、且つ、手っ取り早いやり方が有りそうなものですが」

「うーん…。思うに、ここの妖精さんたちは、生物の交接をよく知らないのじゃないかしら。見た目深海棲艦ですよね?生命の密度が極めて少ない場所ーー深海からやって来たために、それしかアプローチが出来なかった、とか……。あら?」

 

 ヒトミさんの方向に視線を移した赤城さんが、眉を上げた。私は彼女の見る先を追いかけ、最後に那珂さんも追いついた。

 

「うわっ?ちょっと、ヒトミさん?」

「えぇっ!ひ、ヒトミちゃん、だいじょぶ?」

 

 ヒトミさんが唐突に、鼻血を出したのである。

 

「うぐ…えぅ。せ、生…しょく…。わ、わわ…私、そんなつもりじゃ…うぅっ」

 

 真っ赤な顔をしたヒトミさんが、そう呻いたことで、漸く気付いた。当の本人たちを目の前にして、生殖だの交接だのと、とんでもないことを話し合っていたものだ。学究的態度は、時に著しく、デリカシーを欠く。珍しく赤城さんもあたふたしている。

 

「ご、ごめんなさい!ヒトミさん、決してそういう意味じゃないの」

「ずずっ…んぐ。私、そんなにエッチじゃないです……」

「も、勿論です。解ってますよ?あぁっ。啜っちゃダメです……」

 

 この時、一番冷静なのは、那珂さんであった。ヒトミさんの体温を下げるべく、事務室で氷嚢を借りることになった。私も付き添おうとしたが、女の子には見られたくない顔もあるとかで、却下された。また、赤城さんは、今テンションおかしいから座ってて、と那珂さんに叱られていた。

 こうして執務室には、情けなくしょげかえった大人2人が、残されたのであった。

 

 




提督さんお一人お一人に、それぞれ異なった世界観があり、そこが艦これの二次創作の面白さでもあります。このお話でのルール・世界観の片鱗とでも言いましょうか。そういうお話。長くなったので切りましたが、もう少しこの雰囲気が続きます。



まだまだ、解らないこともありますが。

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