サルベージ   作:かさつき

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「ーーー報告は以上です。では私、これにて………ふぅぅ」

 

 先刻、執務室に訪れたのは瑞穂さんである。彼女は特段世間話もせず、小さく礼をして静々と部屋を出ていった。

 

「どうしたんでしょう」

「何でしょうね?」

 

 瑞穂さんの様子に違和を覚えたのは、赤城さんも同じのようである。

 理由は判らないが、始終心此処に在らずといった雰囲気だった。彼女にしては珍しい、と感じた。ただし私は、そもそも平生の彼女をよく知らない。惚れ惚れする程の精悍な体躯も、割烹の名手であることも、つい先日知ったのだ。第一印象を脱出していない人間が、珍しいも何もあったものじゃない。

 だから私は、先輩へ意見を求めたのである。ところが赤城さん、お腹の調子でも悪いのかしらね、と冗談とも本気ともつかぬことを言って、それきりだ。しびれをきらし、私は訊ねた。

 

「こういうこと、よくあるのですか」

「んー…彼女、考え事をする時は、あんな具合ね」

「考え事、ですか」

「ええ。人一倍優しくて気が利くけれど、抱え込んでしまう類の娘…かも?」

 

 瑞穂さんはヒトミさんを評して、引っ込み思案と云ったが、本人にもそのきらいが在る、と。後で話を聞いてみる必要がありそうだ。

 

「お腹がどうとかいうのは…」

「体調の優れない時、ぼんやりしちゃいません?」

 

 彼女曰く、腹痛を催した時ーーとりもなおさず、飯が満足に食べられない時ーーには、世界が色褪せて、無気力になる、と。随分大袈裟な言いぶりだ。

 

「まぁ、風邪で鼻がつまってる時なんかは、辛いもんですがね。味がいまいち判らないし」

「そうなの?私生まれて此の方、風邪はひいたことがなくて」

「本当ですか?それはもう、大したことですよ」

 

 彼女の〝クチュン〟を聞くことは、かなり貴重な経験だったらしい。「健康が何より」とは、あらゆる生物にとって、不動不変の真理と思う。そうはいっても、人間誰しも生まれて数年の内に、病気のひとつもするのが現実だ。むしろそうすることで、体内が鍛えられるのだとも聞くーー成る程、道理である。

 

 さて、艦娘は誰しもが、生まれて高々10年程度だが、赤城さんに限らず、健康な者が極めて多い。免疫機構は先天的に備わっているのであろうか。乃至、艤装の保護能力に因るものか。

 考えてみれば、目の前の彼女はーーのみならず艦娘須くーー小学生と同じ年代なのである。つまるところ、彼女たちが小学校に通っても、法的に間違いではない?

 

 黄色の帽子?

 防犯ブザー?

 ランドセル?

 集団登校?

 五頭身くらいだぞ、あれはーー。

 

 いやいや、よせ、やめろ。よりにもよって、本基地女性陣の小学生姿が、脳裏に浮かんだ。私は、弾指をも数えぬ内に、その恐るべき思考を遮断した。

 

 冷静になると、彼女ら皆、基礎的な読解・筆記・算術くらいが可能な状態で生まれてくる。そんじょそこらの大人より、思考力に長けた者さえあるーー大淀さんが好例だ。敢えて初等教育を受けさせることもない。そも、わざわざ登下校用の鞄に、ランドセルをあてがう蓋然性がない。たとえ法が許しても、社会通念上、甚だ問題があるではないか。全く、こういうことを考えていると、変態疑惑が再燃しかねないーーヒトミさんには思考が筒抜けだ。彼女に再び距離をとられたら、非常に傷つく。馬鹿なことを考えていたせいで、ノックの音に驚いた。

 

「あ、あの……那珂です」

「ぅ……伊13、です」

 

 朝一番に、誘導尋問を仕掛けてきた2人である。私が言承けを返し、ややあってから、顔を見せたーーおっかなびっくりとした様子で。ヒトミさんの第一声は、つまり、私の自戒が手遅れであったことを示していた。

 

「あ、あ、あの。海佐は…やっぱり、小さい女の子が…好き、ですか…?」

「……!」

「で、でも、その。私たちにランドセルは、ちょっと…って」

 

 事の次第を理解し、私の頬が引き攣った。赤城さんは、何が何やら解っていないーー怪訝な顔で、私とヒトミさんを交互に見ている。

 嗚呼、そうだーー。

 ヒトミさんを助け起こしたあの夜、彼女は、便所の扉越しでも、私の思考・情動に勘付いていたという。私が先刻思い浮かべた、例のランドセル姿。あの生々しく、悍ましく、鮮烈で怪奇的な脳神経の蠢きとでも呼ぶべき変態思考が、執務室へ近づきつつあった彼女に、伝わっていたとしたらーー。

 

 ヒトミさんは恐怖しているが、ある意味私も、恐怖していた。

 

***

 

 思考が伝わるのは、なかなか難儀なものだ。

 ただ、誤解されやすいのは確かとしても、誤解を解きやすいのも、一方で亦、確かであった。気の迷い、魔の差したこと、今は反省している旨、言葉を尽くさずとも真摯に訴えたら、きちんと伝わった。

 

「扉の前に立ったら、変なイメージが……頭、に」

「うん……私も同じ」

 

 ひととおり弁明し終えると、ヒトミさんが述懐し、那珂さんもそれに続いた。しかし、後者の何気ない一言は、どうしても看過出来なかった。

 

「え、と、な、那珂さんも?」

「そうなんだよね。なんだろ?今もそうなんだけど、気持ちが解るって言うか…。海佐、焦ってるなー、って」

 

 弁を介さぬ思念や感情の伝達ーーこの極めて不可思議な現象は、今度、那珂さんにまで起きていると云う。どう捻くれて見ても、あの夢がトリガーになったとしか思えない。霧中に遊ばされていたドン詰まりの思考・思索が急に活性化したことで、大脳の深奥に疼きを生じた。そういう動きを敏感に感じとったヒトミさんが、小さな声で訊ねてきた。

 

「あの…夢、って?」

「……いつかいつかで、ずっと先延しだったんですが…」

 

 貴女の記憶を見ました、などと宣う頓珍漢を、どんな顔で眺めるべきか。私であれば、甚だ悩む所である。ヒトミさんは、頬を真っ赤に染めてーー何故だーー対応した。

 

「い、何時の記憶、ですか?どこから、どこまで…?」

「最初から最後まで、です。貴女の、艦としての記憶とか、艦娘となった後とかーー」

「その、あの、お風呂…とか、御手洗いとかも?」

「え?い…いや、日常の場面は、特に。要所要所だけ、と言いましょうか」

 

 それを聞いて、那珂さんが苦笑いした。

 

「ヒトミちゃん…気になるの、そこなんだ…?」

 

 口には出さなかったがーーどうせ伝わるしーー私も大凡で、那珂さんに同意している。確かにそれらも、記憶には違いないのだが、他にもっと、訊くべきことがありそうなもんである。さて、置いてけぼりの赤城さんが、神妙な面持ちで話に割り込んだ。

 

「海佐は、瑞穂さんに言われたこと、覚えておいでですか?」

「言われたこと、とは…」

「〝大丈夫な人〟」

 

 うすら寒いコンクリートの背景に、不思議と清々しい瑞穂さんの笑顔。場に不釣り合いな彼女の印象も然ることながら、意味ありげなその言は、まだ頭に残っていた。

 

「覚えていますよ。どういう意味かは、解りかねていますが」

「3年前に、居たのです。1人、大丈夫な前任者が」

 

 赤城さんの言に反応したのは、那珂さんであった。

 

「3年前…えーと…誰だっけ?」

「コシカワさんですよ。ほら、瑞穂さんと仲良しだった人」

 

 彼女らはその人物を、越川健一、と紹介した。彼が基地司令官を退いたと同時に、ヒトミさんが着任--入れ替わりの形になったらしく、彼女だけは越川氏を知らなかった。

「縁起の良いゴリラみたいな人だったよ」と那珂さん。

「剛を極めた大仏のような人でした」と赤城さん。

 身長、体重、顔面、声量、ついでに耳たぶーーどこをとっても3Lサイズである、と補足し、一般普遍の所謂「巨漢」を想像すれば、九分九厘、彼の外見を正しく捉えたことになる、と結んだ。

 

「その越川氏のこともそうですが、そも、どういう意味ですか。大丈夫、とは」

「最近情緒が不安定だ、と、海佐は仰っていましたよね」

「それは…はい。そうですが……」

 

 ヒトミさんと那珂さんが、何か言いたげに私を見た。彼女らに対して、色々説明を省いて来たことの「ツケ」が、今後一気に押し寄せることだろう。しかし2人とも、私に目配せだけ寄越して、いったん口を噤んだ。

 

「瑞穂さんはきっと、そういう症状が起きない人を指して、大丈夫な人、と言ったのでしょうね」

「はぁ……では、その論でいうと、私は大丈夫な人ではない、と?」

「……私には、判りません」

 

 私の現状と、瑞穂さんの言に矛盾があるではないか、と追及する言葉は、喉まであがって留まった。俯いて言葉を停めた赤城さんーー彼女の薄く開いた瞼の中に「あの目」があったせいだ。急に沈黙した我々を、怪訝そうな表情で見すえ、ヒトミさんが訊いた。

 

「あ…赤城、さん?…どうしたんですか…?」

「いえ、なんでもありませんよ」

 

 赤城さんは初め、迷っていたようにも見えた。「目」は、彼女の葛藤の表出だったのかも知れない。しかし、私が二の句を継げないことで、話を切り上げる気になってしまったようだ。しばらくの沈黙が、部屋に流れた。

 

 

「ねぇ。ダメだよ2人とも。気になることは、しっかり相談しなきゃ」

 

 

 それを破る人がいたーー那珂さんだった。赤城さんを正面に捉えた彼女は、赤城さんの目線の先に、自らの顔を捩じ込んで、言った。

 

「赤城さん。きっと今迄さ、こうやって皆揃って黙っちゃうから、しんどいことばっかり起きて来たんだって、私思うの」

「……かも知れません」

「少しずつ、何か共有しよう?解決出来るか分からないけど、話すだけならタダなんだよ」

 

 次に彼女は、私へ向き直る。

 

「一緒に考えて、くれるんだよね?」

「その通りです、面目次第もありません。今こそ当に、その時でした」

 

 少し笑って、満足気に頷いた。

 

「赤城さん。貴女も言った通りなんですよ。私はもう、後戻り出来ません。毒を食らわば皿まで、なんて言いますし」

「……そうとも、考えられますが」

 

 まだ、迷いがあるーー赤城さんの表情は物語っていた。

 さて。未だ逡巡する彼女の背中を、最後の最後で押したのは、この場の誰でもなかった。明後日の方角から、援護が飛んできた。全く私は、一から十まで「彼女」に頭が上がらない。

 

 私の携帯電話が、ぶうぶうと鈍い音を立て、太股を叩いた。電子メールではない。通話着信である。

 

「………鳴っていますよ」

「っ…すみません。こんな時に」

「いえ…」

「いったい誰ーーぁ…」

 

 画面に表示された番号と名前は、幾分懐かしい「彼女」のものであった。

 

 〝通話着信:大淀さんの携帯〟

 

 ちょっと失礼、と3人に断って、私は執務室を出た。

 

 




読んでいただき、ありがとうございました。

新生活をスタートするにも、色々準備が要るものです。

40話でした。

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