サルベージ   作:かさつき

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遅くなりました。


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 医務室の扉から出ると、ぎゅう、と体が縮こまった。昨夜、那珂さんに上着をひっぺがされて、そのままの服装である。窓に氷がはっている。どん底まで冷えた廊下は、天然の冷凍庫だ。白い息を横目に流し、必然、小走りで談話室に向かった。

 

 談話室の扉の隙間から、灯りが漏れている。握ったドアノブは、心臓が跳び跳ねるくらいに冷えきっていた。朝の談話室には、深夜シフトの瑞穂さんを除き、普段のメンバーが揃っている。赤城さん、ヒトミさん、津田さんに那珂さん。体も心も解しながら、挨拶を交わした後、本日の秘書艦に視線を移すと、どこか白い目で私を見ていた。

 

「えーと、赤城さん。何か」

「……後で、じっくりと」

「は、はぁ」

 

 不穏なことを言ってから、彼女はすぐ食事に戻った。察するに、昨日の遅刻に関してであろう。全くそれは、非難の一つも浴びて然るべきことなのだが、どうしたって私は妖精さんを恨むしかできない。起きて早々、胃袋一杯に重石を入れたような心持ちだ。のったりとガスコンロに近づいて、おでんの残りを温めかけると、那珂さんが話しかけてきた。

 

「昨日あの後、ちゃんと寝られた?」

「はい。ありがとうございました」

「ん。そっか、良かった」

 

 柔らかで温かな笑顔を、ごく自然に向けられたから、少々気恥ずかしくなって話を逸らした。

 

「今日は確か、非番でしたね?」

「うーん…でも暇なんだよね。自分の部屋にいるのもなんだし、執務室行ってもいい?」

「勿論、構いませんが。何をしに、でしょうか」

「それは……暇つぶし?」

「んー、仕事場ですしね…。そう云うのは、ちょっと」

「ダメ…?」

「いや、その、ほら。公私はきちんと分けることが大切かと」

「……ダメかな?」

「いや、まぁ、悪いことはないんですが」

「じゃ、良いんだ」

「い……良いかも、知れません」

 

 艦娘の上目遣いは、滅法苦手である。次いで、メロンパンを咀嚼していたヒトミさんが、ひょこっと顔を上げた。

 

「あ、あの……私、も」

「え、ヒトミさんも」

 

 それを見た那珂さんは、まってました、とばかりに支援を送る。

 

「ほら。やっぱり、みんなでいた方が良いよね。トランプでもしよ?」

「いや、それは流石に…勤務中ですし」

「お仕事、ある?」

「……無いに等しいですが」

「ただお喋りするのと、トランプしながらお喋りするの、大して変わんないよね」

「そう言われれば、そうですが、しかし…」

「こないだ、私が秘書艦の時、殆どお喋りで終わったよね」

「……まぁ、はい。終わりました」

「じゃあ、良いよね」

「い……良いかも、知れません」

 

 ヒトミさんと那珂さんが、目配せをして、同時に笑った。二人の誘導尋問に、まんまと引っ掛けられたことに気付いて、内心口を尖らせた。一方で、今日は退屈しなさそうだ、とも思う。私は大根にかぶりついた。

 

***

 

 執務室に入るや否や、鮮烈な妖気にあてられ、動悸が激しくなった。

 

 私は今、赤城さんに睨まれている。彼女の口もとは、ごく自然な円弧を描いているのに、眼が笑っていない。笑顔とは初め、動物の威嚇の表象であったと聞くから、ある意味で彼女は、場に則した正しい表情を使っているのかも知れない。彼女は普段よりも幾らか低めの声で、大気を震わせた。

 

「昨日は、遅刻なさいましたよね?」

「は…はいっ…!」

「慣れぬ土地に来たばかり、それも酷寒の季節とあって、布団が恋しいのは判ります。しかし、いけません。基地司令ともあろう方が、寝坊のあげく遅刻とは…。充分反省なさってくださいね?」

「はいっ。金輪際、決してーー」

「ま、そっちは割と、どうでも良いのです」

「え」

「瑞穂さんに、朝御飯を作って貰った、とか」

 

 彼女の唇は、きつく引きしぼった弓みたいに、必ずしも自然と呼べぬ円弧を描いた。眼光はまた一層、鋭くなって、背筋を冷たいモノが駆けあがった。遅刻のうえ、秘書艦にそんなことをやらせて恥ずかしくないのか、とそんな説教を受けるのかと思った。

 

「なんて、羨ましいっ…」

「…ぁえ?」

「ぁえ、じゃありません…!ずるいです!いいないいな!」

 

 妖気というのは、語弊があった。普段通りの赤城さんである。確かヒトミさんも、似たようなことを言っていたし、瑞穂さんはこの基地でも、とびきりの料理上手らしい。私の想像とはズレがあったが、彼女の印象にはぴったりの説教(?)だ。

 

「確かに、凄く美味でしたね」

「でしょうね?知っていますとも」

「ちなみに、塩握りとわかめの味噌汁を」

「くぅぅ…!」

 

 いつもながら、食べ物のことになると、彼女は何処か子どもっぽくなる。それはさておき、歯噛みする彼女に経緯を説明した。不思議な妖精さんのことも、瑞穂さんにお返しをすることも、抜かりなく述べる。先刻の迫力は引っ込めたが、頬袋に空気を貯めている。不満は不満の様子ーーいや、これはただ、妬み嫉みと云うか、本当に言葉通り羨ましいだけかも判らない。大失敗をやらかしておいて、良い思いをしたというと、確かに納得のいかぬ所か。

 

「そんなに怒らないでくださいよ。じゃあ今度は、怠惰のお詫びに、私が作ります。瑞穂さんにも、皆さんにも」

「……ふーん。因みに、献立は?」

「じゃあ……そうですね。寒くなってきましたし、シチューでもどうでーー」

「素敵!ごめんなさいね催促したみたいでウフフ」

 

 言いも終わらぬ内、私の「すか」が赤城さんの気勢に取って食われた。いとも容易く機嫌をなおした彼女は、いそいそとストーブの点火にかかる。私の料理の腕前など、この間の炊き込みご飯で心得ているだろうに、この程度で良いのだろうか。

 

「赤城さんは、欲のない人ですね」

「そうでしょうか?食欲は人並み以上、あるほうですけど」

「いやしかし、前の基地ではね?水雷科所属の艦娘連中が、ことある毎に、なんだかんだとねだってきたものですよ」

「へえ。慕われてたのね」

「嘗められてた、の間違いです。威厳がないし」

 

 ヂヂボボゴヒュウ、とかいう、極悪の振動音で以て、達磨ストーブは作動した。いよいよ故障も間近である。赤城さんが、秘書艦机に着いたのを見て、私も自身の席に座った。

 

 執務室に屯する駆逐・軽巡の面々を思い出すーー那珂さん曰く、悪人面らしいのに、やたらと距離が近かった。友達感覚で接されていたなら、司令官としては落第かも知れない。今思えば、贈り物の事件ーー特に秋雲女史の地方行脚ーーが契機となったのだろう。あれ以来、なんのかんのと良い様に使われるようになった。

 

 つまり、物ではなく、サービスを要求されることが、しばしばあったのである。

 

 週末に外出届けを出すから、何処其処まで送ってくれ、いつ時分になったら迎えに来てくれ、とか木曜辺りに要求される。上官として皆の命を預かるのは、確かに私の仕事だが、プライベートの責任までは管轄の外ではなかろうか。君らの父親じゃないんだぞ、と説教してやりたかったーー遊びに誘われるでもなく、ただの「足」扱いだし。勿論ごく個人的なお願いで、きちんと断れば良いのだが、律儀に付き合ってしまったのも愚だ。時間はもう、戻らない。

 

 はて、週末ーー。

 

 急に、その単語が頭の隅っこを引っ掻いた。そういえば、とカレンダーを見遣るに、今日は11月5日、金曜日。シチューなどより前に、食べるべきものがあるではないか。

 

「そうだ。カレーの日ですよ、今日は」

「あぁ……そんなのも、ありましたね」

 

 さても著名な海軍カレー。

 明治期の旧帝国海軍が英国兵式を採用する流れの中で、栄養価の高さや、多量調理の可能性等に目を着け、教本に紹介したのがその始まりだ。

 

 ちなみに私は、牛スジ入りのカレーが大変な好みである。食堂の硬い椅子に座って喰らう、あの蕩けるような旨味が恋しい。食堂のないこの基地。食事は自分で用意するのが常のようで、食欲旺盛な赤城さんには、辛い所かも知れない。

 

「赤城さんは、どんなカレーがお好きですか?」

「なんと云いますか……カレーは少し、苦手です」

「へ」

 

 彼女の口から出た言葉が、あんまり予想外に過ぎて、素頓狂な声をあげてしまった。なんでも平等に、美味しく楽しく平らげそうな人だと思っていた。

 

「一体何が?辛いのがダメ、とか。人参がダメ、とか」

「……辛いのが、でしょうか」

「ほう…!驚きました。貴女にも、食べられないものが」

「いえいえ、出されれば勿論、残さず食べるのですよ?」

「あ、そういうーー」

 

 赤城さんの顔が、少し歪んでいた気がした。だが彼女は、すぐにその表情を引っ込めて、話題を転換してしまったので、これ以上何かを問うことは叶わなかった。

 

「それはそうと、那珂さんと、何かありました?不思議と今朝、距離が近かったような……」

「ええ、はい、それはもう。昨日だけで、色々と」

「良ければ、伺っても?」

「では、順番に。昨日の朝、朝食を作っている際に、瑞穂さんが包丁で指を切りましてーー」

 

 昨日あったことを、一つ一つ述べた。濃厚な一日だったことが、改めてよく確認出来た。私は、確実に前へ進んだーー或いは、これ以上なく深みに嵌まったのだ。語り終えると、赤城さんは険しいような、優しいような、微妙な表情を浮かべた。

 

「そうでしたか。ようこそ、と云うべきかしら?それとも、御愁傷様?」

「縁起でも無いこと、言わないでください…」

「別に、冗談ではありませんよ?記憶は、消せません。少なくとも、昇任の道は限りなく狭くなりました。退職まで、この地で細々過ごすか…。ともすると、色々責任を押し付けられた上、今の地位を失うか…。或いはーー」

 

 幾らでも、悪い想像は可能です、と最後だけ言葉を濁した。

 

「那珂さんにも、言いましたが…私に出来る限りを、するつもりです」

「……そうですか。それはきっと、良いことでしょうね」

 

 改めてようこそ、この基地へーー彼女がそう言うと同時に、部屋の扉が叩かれた。

 

 

======================

 

 

ーー大淀です。

 

ーーーーどうぞ。開いてるよ。

 

ーー失礼します。先日の「お願い事」の件でご報告を。

 

ーーーーああ、朝早くからお疲れさん。どんな感じ?

 

ーー人事関連の伝手を当たりました。

 

ーーーー仕事早いね。

 

ーーかの基地の前任者は全員、体調不良を理由に〝依願〟退職しています。

 

ーーーー依願、か。

 

ーーええ。それも皆が皆、精神疾患との記録が。

 

ーーーーん。だろうな。

 

ーー知っていて……彼を送ったんですか。

 

ーーーーヨドちゃん。顔怖い。

 

ーー……。

 

ーーーーやっぱり、相棒のこととなると、真剣だな。

 

ーー相棒というほど、親しくありません。

 

ーーーー本当かよ。

 

ーー本当ですとも。ただ……。

 

ーーーーただ?

 

ーー全く度し難いことですが。私たち艦娘は「必要とされること」に、並ならぬ充実感を覚える生物のようです。

 

ーーーー…………ほほう。

 

ーー元、無機物ですし。使われてなんぼ、とそういう思いが、心のどこかにあるのでしょう。

 

ーーーーなるほどねぇ。

 

ーーたとえそれが残業製造機でも、誰かの役に立てることが嬉しい生物なんです、私は。

 

ーーーーつまり、あれだ。ここんとこの君のアパシーは、個人的な感情由来のものじゃないと。そうでなきゃ説明がつかんと。そう云いたいわけだ。

 

ーーアパシー?心当たりがありません。簡単な仕事ばかりで、退屈ではありますが。

 

ーーーーへへっ……嘘はいかんね、嘘は。

 

ーーな、なんです……?

 

ーーーー明石に聞いたんだけどよ、万年筆貰ったんだって?

 

ーーえ…!

 

ーーーー見つめてたそうじゃないか、食堂で。

 

ーーべ…別に見つめていたわけでは。

 

ーーーー咎めるわけじゃないけどな。珍しく、口が軽いぜ。

 

ーーすみません。公然と問い詰められ、話を切り上げるために、つい。

 

ーーーーま、君がアイツに、特別な感情を抱いているであろうことは、一先ず置いといて、だ。

 

ーー何故そうなるんです……!というか、普通にセクハラです。

 

ーーーーいっこ前に言ったことは、かなり真に近いと俺は思う。

 

ーー…いっこ前?

 

ーーーー必要とされることにー、って話。艦娘の本能には、きっとそう云う要素があるんだろうな、って俺も思う。

 

ーーはぁ……そうですか。

 

ーーーーそして深海棲艦も多分、艦娘と同じだと思うんだ。

 

ーー仰る意味がよく解りません。必要とされるどころか、我々に嫌われるのが向こうの至上命題でしょう?

 

ーーーー少し、見方を変えれば、そうでもない。ま、俺が勝手に思ってるだけだが。

 

ーーそういう冗談を口走るのは、私の前でだけにしてくださいね。基地の皆が激怒しますから。

 

ーーーー冗談じゃないんだがね。

 

ーーもっと拙いですって……。本当に、士気に係わりますから。

 

ーーーーアイツに関係する話でもあるし。

 

ーー樋口海佐に?

 

ーーーー「遊覧船うみねこ」。

 

ーーは…はい?ゆうら……何です、それ?

 

ーーーーそれがキーワード。十数年以上前の話だ。当時の資料も、探せばあるだろう。

 

ーー艦娘もまだ生まれていない頃ですか?その遊覧船とさっきの話に、なんの関連が。

 

ーーーー暇があったら、調べてみるといいさ。知って微塵の得も無きゃ、俺らの仕事も変わりはしない。

 

ーーでは、遠慮しておきます。

 

ーーーーでもアイツ以上に、アイツのことを理解できるかもな。

 

ーー……。

 

ーーーー興味ある?

 

ーーありません。微塵も。

 

 




大変遅くなり、すみません。
待っていただいた方、本当に有難う御座います。

来年も、何卒宜しくお願い致します。

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