那珂さんは、口内に転がしていた液体を呑み下した。既に出て行ってしまった津田さんは、これまでに比して驚くほど、色々な情報を教えてくれた。有り難いのは勿論だったが、落差があまり大きかったことで、戸惑いも覚えている。自身の思いは、誰かに聞いて貰いたいのが人間だ。ソファに上体を預けた彼女に、それを思わず尋ねていたのは、私がどうやら、人間に違いないらしいことの証であった。
「津田さん随分……饒舌、でしたね?箍が外れたみたいに、なんでも教えてくれましたが」
「んー…なんだろね。いい加減、疲れてたのかな」
「疲れてた…?」
「うん。家族がいなくなって自棄でここに来たー、なんて言ってたけどさ。きっと、根が真面目なんだよ」
確かに、やけっぱちの者の行いにしては、妙に細かで積極的な仕事だし、数年に渡って継続できる辺りにもどこか、上官の命令に従うだけの者に無い〝芯〟を感じる。彼女の推し量る所はこうであった。
「その初代って人が居なくなってから、殆ど1人で、色々やり繰りしてきた訳でしょ?艦娘は、あんまり外の人と繋がれないし、司令官はコロコロ変わるし…。海佐には早いうちに色々バレちゃったし、そろそろもう良いか、って思ったんじゃないかな。外にも中にも秘密抱えるのやめちゃって、せめて中の人にだけは手伝ってもらおう、ってさ」
「外にも、中にも…ですか」
隠し通すことに無理があったのは、百も承知ーーそれでも尚、過去数年彼なりに必死で、神通さんの思いを守ろうとしていたのかも知れない。「根が真面目」とは正に、彼を指すようだ。ともすると本人すら及んでいない深層の人格を受け入れてみると、おしゃべり好きの事務官が、一変して高潔の人に思えるから、私も単純なものである。
私に、彼の意は判らない。しかし、何もかもを1人で抱えるのは、とても辛いことだと知っている。もし那珂さんの考えを真とするなら、私の心はもう、決まったようなものであった。那珂さんは私の手元を指し、言った。
「津田さんが、他の人に鍵預けるのなんて、初めて見たもん」
「へぇ…それは…。随分な大仕事を、仰せつかってしまいましたね」
「あはは。頑張れー」
小さな鍵の少しの重みが、妙に心地良く、嬉しかった。
***
そこから暫く、津田さんの苦労話をゆるりと聞いた。その中で「格納庫」という語が、幾度となく飛び交った。何せ、この基地の秘密の核心ーー取りも直さず皆の苦労の焦点ーーなのだから無理もない。話を聞く中で私は、先日の瑞穂さんの並ならぬ相形に思い当たって、那珂さんに尋ねた。その問いを境に、話の指針は転換を見せた。
「格納庫といえば……瑞穂さんが血相変えて叫んだのは、なんだったんでしょう。やはりあの艤装を気に掛けて?」
「いや、あれは…。えー、と。あの中にね?ちょっと不思議な妖精さんがいてさ…」
「あぁ。それはひょっとして、深海棲艦のような風貌のーー」
「え、うそ。いつ会ったの……?」
着任挨拶の前日だと教えると、彼女は仰け反ってーー比喩ではないーー驚いてから肩を落とした。どうやら、彼女らの演じた芝居は、無用の骨折りであったらしい。誰に言うでもなく、彼女は呟いた。
「なんだぁ…結局色々、手遅れだったんだね」
朝、瑞穂さんも随分驚いていたが、成る程そう云う事情かと納得する。無駄に気を揉ませたのは、確かに少々申し訳ないところであったーーヒトミさんも教えてあげれば良いのに。手順を省略できたと前向きに捉えましょう、と私が言い含めると、微妙な表情をしながらも、了解したようだった。
「格納庫の窓、全部閉じちゃってるでしょ?」
「……そう云えば。初めて見た時、酷く不気味に思ったものです。あんなことして、かえって不自然では?」
「うぅぅん。そうなんだけど……暗い所が好きみたいでさ。あの子たち」
「はぁ…それが……?」
「放っておくと、色んな物ひっくり返して、日除け作っちゃうらしいよ」
ひっくり返すくらいならまだ可愛いものだが、そこはそれ、一晩で深海の艤装を作り直す職人気質の妖精さんたちーーなにやらエスカレートして、近くの物品を分解し、秘密基地まがいの構造物を創出したと、彼女は教えてくれた。私は先日あの中で、壊れた家具類を散見したが、あれはその名残りらしかった。
「で、行くとこまで行って、今はもう、格納庫がまるっきり、あの子たちの秘密基地になっちゃった訳」
「え…と。つまりあの目隠し、妖精さんが設えたものですか?」
苦笑交じりの彼女が首肯した。あの建物、所有権は間違いなく隊に帰するのだが、妖精さんたちにそう云う理屈が通じることはなかったようだ。泣く泣く隅っこを〝間借り〟して通常の艤装を〝置かせてもらっている〟とのこと。いやはや、度し難い。
「わざわざ番犬まで用意して……ご大層なことです」
「番犬……おもち君?」
「いやいや。あの艤装ですよ。自由に動くんでしょう?」
「自由っていうか…。熱とか光とか、あと音にも反応できるみたいだけど……んー…」
「……?」
含みをもった彼女の視線は、私から外れて虚空に揺蕩う。伝えるべきか、悩んでいるようにも見受けられたから、促した。
「引っ掛かることでも、あるんですか?」
「ん…。何なのか判らないけど、目的があって動いてると思うんだよね、アレは」
「ほぅ…。それはまた、どうして…?」
「もしも、アレが本当に〝自由に〟動けるならさ。いままで、あれに近寄った人たちーーつまり、津田さんとか、初代の司令官に、海佐。枕元に立たれた、お姉ちゃんも…。きっとあの連装砲で、吹き飛ばしてたんじゃないかな」
深海棲艦は、人類の敵。
水上打撃戦、航空戦、対空戦、対潜戦。この十数年で、彼奴等との戦闘行為など、掃いて捨てるくらいには数があろう。その数ある戦闘の中で、人類対深海棲艦という構図が、ほんの少しでも揺らいだことは、寡聞にして聞き及ばない。深海棲艦は、人を、艦娘を、現代の文明に存するあらゆるものを、憎んでいるーーいつだって彼奴等は敵だった。
「つまり、那珂さんは…。あの艤装の行動原理が、深海棲艦のそれに近くて、それでいて何かの目的があるために、あえて我々を生かしている、と…?」
「うん、そういうこと」
「…。そも、アレは生物なんですか?どうやって動くのでしょう」
「生き物っぽい雰囲気はあるけど…。妖精さんが操ってる……のかな」
「そうだとしたら…。あの艤装を操る子たちーーあの特徴的な見た目の子たちは、あちら側だと」
「だって、さ。見た目明らかに深海棲艦でしょ。深海側にも妖精さんがいて、色んな艤装を操ってるなら、あの子たちだって、おんなじことをしなきゃでしょ」
「見た目だけなら、そうですが…」
筋は通らないでもないーーしかし、どうしても肯定しかねる。あの無邪気に遊ぶ妖精さんの姿が、頭をよぎった。彼女の話は理解出来るが、納得往かないのだ。あの子が我々に害意をもっているとは、どうしても思えなかった。
あの時の那珂さんの様子から鑑みるに、アレは彼女の意志を離れて、動いた様子であった。いくら小さな基地とはいえ、敵対勢力の構成員の素っ首が、目の前も目の前にあったのだ。煮ても良し、焼いても良しーー試みに頭からパックリいくとして、なんの障害もなかった筈の、あの状況。精々アレは、私の顔面をベトベトにしただけだった。アレが、人類を心底憎んでいるとは、思えない。
そして何よりも、目の前の彼女と今、こうして穏やかな時を共にしていられることこそが、彼女の考えを否定する強烈な論拠であった。
「こうは考えられませんか。〝敵と見なすが、あえて襲わない〟のではなく〝敵と見なさないから、襲う必要がない〟と」
「考えられないことは……まぁ、ないけど。どうしてそう云えるの?」
「だって、ね?見た目明らかに、深海棲艦で。艤装もしっかり着けていて。それにも関わらず、私を攻撃しなかった人が今、私の目の前にいて。あまつさえこうして…実にリラックスして、お喋り出来てしまっているから、ですよ」
「…。それは、そうだけどさぁ」
「故に私は、貴女に付随するあの艤装や、そして、それを操る妖精さんたちも、同じような性質を持っていると思います。どちらかと云えば、艦娘側。襲う必要など無かった。……どうでしょう」
「どうだろね。ちょっと…楽観的じゃないかな?」
「貴女は……あぁ、いや」
「……?」
「楽観的なくらいで、丁度良いじゃありませんか。ここでやっていくにはね」
ーー貴女は、自分を深海棲艦だと、信じたいんですか?
そう言いかけた。だが、彼女の奥にある柔らかで大切な部分を、惨く引き裂くような予感がして、誤魔化した。那珂さんはまた難しい顔で、むぅ、と唸った。
いずれにしてもアレが、この基地の面々に対してーー聞く限りは過去数年に渡りーー害を与えていないのは事実だ。唯でさえ不条理な妖精さんの中でも、殊更特異な存在の正体や、その子たちの作った艤装の本質について、この場で頭を悩ませても、途方に暮れる以外の選択肢は用意されていない。全て憶測の域を出ないのだ。堂々巡りの論議に拘泥するのは、何も今夜の仕事ではないと、私は悟った。
***
「なんか、語るに尽きちゃったねー」
ぐ、と伸びをした後、操り人形の糸を切るみたいに脱力する。わざと筋を緊張させてほぐす動きを、彼女は何度か繰り返し、色の無い温もりを口から放散させた。本当に今夜は色々あった。そろそろ帰って休まないか、と提案すると、彼女は頷いて答えた。
「あぁ、そうだ。せっかく出向いたのに、カラオケセットをすっかり忘れていましたね」
「ん…まぁ、いいよあれは。半分は、あそこに連れてく口実だったしさ」
「そうですか?しかし、また見てみたいと言ったのは、割りと本心だったのですが」
「そっか。じゃ、また今度。きっとね」
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ーー私は、天井を見ていた。
あぁ、そうだ。思い出した。那珂さんと別れ、執務室に戻った私は、彼女が忘れた手袋を見つけたのだ。そう云えば、ストーブで暖を取っていた時、外していた。明日も寒くなるだろうし、早く届けてあげなければと思った。
そこで、あの音に気付いた。その後、私はーー。
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「なんだ…?」
カリ、カリ、カリ。丁度、あの談話室の換気扇みたいな音の出所は、窓だ。寒いのは承知で、鍵を開けて検分する。
「ん。噂をすれば…なんとやら」
やはり、すり抜けの術は練習中らしい。犯人は先ほど散々話題にあがった、例の妖精さんであった。深海棲艦然とした妖精さんが室内に侵入すること等、本来青天の霹靂の筈だが、残念なことに私は先刻、一等恐ろしいものを見てしまったのである。一般に「慣れ」とか呼ばれるある種の抗体ーーあるいは猛毒ーーを体内に蓄えた人間の生理反応は、この程度に収まるらしい。
「また、風呂でも入りに来たかい」
何時だかの執務室でやったのと同じ塩梅で、指の腹を上に向け、差し出した。妖精さんの体は、ぼんやりと光を放っていた。それに気付いた時には、もはや手遅れだった。
それに気付いた時には、もはや手遅れだった。
それに気付いた時には、もはや手遅れだった。
そ。それ、にぃ。き、気ぃきづい、いたぁ、とときには、もう。はや手、ておく、ぇれぇだった。
ぁあれが、ま。また、た、き来た。融けぇ。るのが、このぁ、床に冷、たい、ぁ伏せぇ。
眩暈。流れぇ、込ぉ、消。溺れ、くるので。私でない、の物、またぁ、混ざ。
濁、りに、くだけ、爆ぜる、に押してぇ、流さ、るれる。見えな、いくなっなる。
あ。
暗転。
本当にお待たせしました。
本職と提督業が繁忙期に入ったため、執筆時間がなかなか取れませんでした。
そして結局、もう1回だけ、この夜が続きます。
ごめんなさい。