サルベージ   作:かさつき

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 津田さんによると、那珂さんが借りたのは〝裏口〟の鍵だそうである。あのプレハブ小屋の側面ーー庁舎・官舎からは丁度死角になる位置ーーに、遠目だと判らないよう着色された、別の入り口があるという。

 

「昔、あの格納庫に、穴が開きましてね」

「穴…?」

「はい。アレが這い出した時、どうやら壁をぶち抜いてきたようで」

「そ、それは…なんとも。困りもの、ですね」

「えぇ。で、その穴を少し広げ、もうひとつの入り口として改装してしまったんです」

 

 彼女が忽然と消えたあの時、本来の入り口を出て、其の〝穴〟に回り込んでいたらしい。そして、艤装を着けて、私の後方から忍び寄った、と。

 

「ふぅむ…。しかし、中から見ても、そんな入り口はありませんでしたが……?」

「本棚がズラッと並んでいたでしょう。あれで隠してあるんです。あの後ろに、ちょっとしたスペースがありまして、普段は其処に、あの艤装が置いてある」

 

 その裏口、艤装を装着して通り抜けられる程度の大きさがあるらしい。任期中の事故による施設の破損ーー特に兵器格納庫の穴ーーなど、さっさと修復してしまいたいのが、司令官の人情であろう。当時、外部の業者に見積りもとったが、アレを見られるわけには往かない。そこで一先ず、庁舎の倉庫にアレを移そうとした。だがその際、問題が生じるーー艦娘たちの猛抗議に遭ったのだ。結局初代は、外部委託を断念し、直々に道具・材料の発注をかけた。陸自施設科の友人に、実家のリフォームだと言って助言を受けつつ、自力工事を行ったという。当初は壁材をそれらしく固定しただけであったが、そんなもの、風雨と潮風に曝され朽ちるのに、それほど時間はかからない。その度に新しいのを買っては工事してーー自費だったそうだーーを繰り返したというから、涙を誘う。それが約1年くらい続いた。

 

「ところが、あの人の昇任・転任が決まり、新任者が来るとなった時、そうも行かなくなりました。どうやったら隠せるか、2人して悩んだものです」

 

 私は、ここぞとばかりに尋ねた。

 

「そこがずっと、判らなかったんです。後任に事情を話して、協力体制を築くことはしなかった……一体何故なんだろう、と」

「理由は、大きく2つですーーところで、この基地はそもそも、とある有名な海将の息がかかったものであることは、ご存知ですね?」

 

 忘れもしませんよ、と返した。頭に「忘れたくても」という但書が省略されていることに関して、態々説明の時間を割く要はない。同時に色々思い出して、酷く苦い心持ちだ。

 

「当然、中間体の存在が発覚した際には、あの人に報告が行った。その返答は〝中間体の存在は、いずれ明るみに出る。艤装だけは隠しておけ〟とのことでした」

「隠そうとした理由は、何なのでしょう…?」

「この間教えた通り、正体不明の存在を、秘密裏に観察する為。しかし、観察して何がしたいのかまでは、判りません。戦力か何かに利用できると思ったのか…。ま、あの老獪極まったクサレ狸の言動を理解しようとするのは、脳のリソースの無駄です」

 

 津田さんは、もう少し生産性のあることに時間をかけるべきですね、なんて云って鼻を鳴らすのだ。好き放題に云う彼を見て、私は少し驚いた。この基地の存在意義や秘密を細かに解する彼が、件の海将に何処かで関わっていそうなことは、これまでの事で何となく予測していた。しかし、此処まで、かの者を毛嫌いしていようとは。

 

「え…と、津田さん?間接の上官なんですよね、一応。そこまで言って、大丈夫なんですか。主にその、津田さんのクビ…とかは」

「構いません。どうせ海佐以外、聞きませんし。そもそも部下からの評価なんて、気にする人じゃないですよ」

「そうなんですか…?」

「云ったでしょう。今の私は、意外と彼女たちに感情移入していると。好きになれないんです。あの人のことは、どうしても」

 

 そこから、津田さんが愚痴も含んで語った、件の海将の人物像は、正しく悪人のそれだった。幾分、誇張混じりを感ずるが、何割かは真なのだろう。

 

「そりゃ、今の世界には、必要な人かも知れませんよ。艦隊指揮能力とカリスマ性ーー能力だけ見れば、卓抜してます。代わりが居ないと言っていい。かといって、人格が伴わないと、どうもね?……まさか海佐は、そういうのに好感を抱く人種ですか?」

「そういう訳では……ないですが」

 

 気が合うようで良かった、と冗談めかして笑う彼を見、少し頼もしくなった。いざとなったら一度くらい、味方してくれるかも、と思ったのだった。

 

 そこで津田さんは、しかし、と言葉を継いだ。

 

「その命令を破っても、別に問題は無かったでしょう。なんせ、この事実を知っていたのは、私と当時の司令官。そして、あの人は見向きもしないであろう、低練度の艦娘が数隻だけ。夜だけ深海棲艦になる艦娘ーー他基地で話したところで、笑い飛ばされるか、不謹慎を咎められるかの与太話。情報の漏れようがなかった。それでもーー」

 

 ぐい、とマグカップの中身を飲み干して、続けた。

 

「2つ目の理由のためにーー神通さんが、絶対に黙っていてくれと頼むからーー司令官と私で、頭をふりしぼったんです。……おや」

 

 私の返答を待たず、彼は眉を上げた。それからすぐ、背後から聞き慣れた声が聴こえた。

 

「そっか…。そんなこと、あったんだ」

 

 那珂さんが、洗濯から戻ってきていたのであった。

 

 ***

 

「今はもう、干してるとこ。多分、明日には大丈夫だから」

「すみませんね。其処迄させてしまって」

「ううん。こっちこそ、汚しちゃってごめんね」

 

 回転椅子にちょこんと座った那珂さんは、小さく首を振って応えた。津田さんは別のマグカップに新しい梅昆布茶を入れ、彼女に渡す。彼女はそれを、少し冷ましてから口に運び、表情を緩めた。

 

「テレビで見たんだけどさ、梅はクエン酸っていう栄養を一杯もってるんだって。疲れを取ってくれるらしいね」

「へぇ。通りで、気が休まる訳です」

 

 豆知識ならぬ梅知識を披露するのは、珍しいことに津田さんではなかった。艦娘の口から、テレビという言葉が出るのを少し新鮮に思いつつ、相槌を打つ。

 今の那珂さんは、本当に穏やかな表情をしている。あの時、私の背後に立った彼女は、一体どんな思いでいたのだろう。未知に踏み出すことは、恐怖と表裏を分かつのだ。こんな話が出るのは、きっと彼女自身、疲れていたからと思う。何はともあれ、今は津田さんの話を促した。

 

「それで、神通さんですが…。如何いう考えだったんでしょうか…?」

「詳しくは知りません。教えてもらったことも無くてねーー那珂さんはどうです?」

 

 水を向けられた彼女は、顎に指を当て、思案顔で答えた。

 

「私も聞いたことないけど…。きっと私が同じ立場でも、知られたくない、って思うかも。あの姿とか、あの艤装なんて見たら、絶対みんな怖がるしさ。すっぽんぽん見られるより嫌ーーあ、嘘。すっぽんぽんのが嫌」

 

 私の口角が不自然に引き攣ったことにーー乃至、自身の云うことの意味にーー気付いて、彼女はすぐさま言を撤回した。つい先刻その姿を見、あまつさえ、人知れぬ暗がりで太腿の辺りを触った男が、目の前にいるのだ。それに気付かぬ那珂さんではなかったし、彼女のすっぽんぽんは、それほど安くないのである。冷やした肝を温めなおす間、津田さんは、それは相当ですね、なんて真面目に返していた。

 

「ともかく、幾つかの事情で、何とか後任の者にはアレの存在を伏せて往こう、となった。〝散歩〟の必要に迫られて、あそこを開かずの間にする訳にもいかない。そこで入り口の位置が問題になりました」

「位置…?あぁ、官舎や庁舎から丸見えだ、と」

「はい。夜間任務の際には、どうしてもアレを伴って、格納庫に出入りする必要がある。見られるリスクは、少しでも軽くしたかった。だから、もうあの穴をつかってしまえ、とね」

 

 打ち付けた壁材をはがしーーこれまた自費だそうだーー横開きのシャッターを取り付けた。あとはチェーンと、お得意の南京錠、着色用のスプレーで以て、お手頃価格ーー業者に頼むよりはーーの偽装扉が完成したという。

 

「……その、気付かなかった私が言うのも、変ですが。その程度だと、いつか誰かにバレると思いますが…?」

「おっしゃる通りです。裏口を作った程度、後任の者がーー海佐みたいにーーあの中を見せろ、とでも言った時点で、おじゃんです。それこそ真に、穴だらけだ。正直言って、過去数年間アレを隠し通せたのは、奇跡ですよ。結局ね?あの老獪極まったクサレハゲ狸は、どうでもよかったんです」

 

 中間体や、彼女らの艤装ーーそれらの戦略的・戦術的価値を、件の海将が見出していたと仮定すると、幾分対応がお粗末に過ぎる。費用も特に出さず、隠蔽工作は部下に丸投げ。かの者はどちらかと云えば〝自身の統制し得る情報〟の方に価値を見出していた、というのが津田さんの論であった。それは著しく具体性を欠いて、何かあれば利用してやろう、と云う程度ーー何年かたっても、特別音沙汰が無いから興味も薄れてきた。いや寧ろ、流刑地としての機能を、ある意味で強化してくれたのだから、先方としては万々歳だったかも知れない。万が一、それらが表沙汰になって責任を問われても、部下の独断専行とでも言い訳して、あとは実力を以て、世論を味方につけるーーとそんな辺り。

 

 全く以て度し難いが、確かに、一定の筋は通るように思う。もしそれが真実であったならば、それに振り回された人が多すぎる。それを間近に見ると、なんともやるせなかったが、一方で、救いもある。

 中間体の存在が公にならぬ限り、最も厄介と思っていた存在は、ある意味、敵ですらないことである。

 ならば、出来る限り目立たぬように、好きにしてやろうじゃないか。憤りを含んだ決意を、マグカップに残った最後の一滴に混ぜて呑み込んだ。

 

 ***

 

 津田さんは、そろそろ部屋に帰ると言って、私に鍵を委ねた。そこで私は、この十数分の間、ずっと引っかかっていたことを尋ねた。

 

「さっき言っていましたね。那珂さんはおもち君と一緒だ、とかなんとか」

 

 那珂さんは、怪訝な顔をした。私あんなに丸くないよ?と一々尤もだが、彼の意味する所はなんだったのか。

 

「あぁ…はいはい、言いましたね。いやなに、あの裏口も、年々老朽化してましてね。結構、でかい隙間が開いちゃってたんですよ」

「それは……早急に、直しましょう」

「まぁ、そろそろですね。それはともかく。この間、おもち君が格納庫内に迷い込んだ時、那珂さんと同じく裏口を使ってーーあの隙間からーー入ったんだろうと。要するに、それが言いたかっただけですよ」

「あぁ…成る程」

 

 そして、あの迷宮から出るに出られなくなった、と。確かに雨風は凌げるが、時折恐ろしい唸り声が聞こえるうえ、昼夜を問わず真っ暗ーーそんな場所に、数日閉じ込められたのだ。私の顔面に張り付いた彼が震えていたのは、何も風邪をひいたせいだけではなかった様に思う。さぞ心細かったことだろう。私が同じ立場だったとしたら、一晩で気が触れていたところだ。飼い主から逃げたやんちゃのお仕置きにしては、度が過ぎる。本当に彼も、お気の毒であった。

 

 

 




次回で、この日は終わらせたい所です。

PS
イベントが始まりました。
無理なく参加して行きたいです。

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