サルベージ   作:かさつき

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那珂ちゃん好きは、少々注意です。


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 振り返って先ず、独特の臭気が鼻をついた。

 次いで、白い顔と、首と、そして腕が見えた。那珂さんのーー今は深海棲艦のーー異様に白い肌が、暗がりに浮かんでいる。

 最後に、音が聞こえたーーあの腹に響く、地鳴りの様な音ではない。どこかで、聞き覚えのある音だ。確かそう、あれは……工廠でよく聞いた音だ。ハンマーを打ち鳴らす、甲高い金属音に似ている。がつ、がつ、がつーー音の出所は、我々の足元。

 

視線を、下げるーー。

 

「あ……歯?」

 

 本来、彼女の脚があるはずの場所に、別の何かが在った……否、居た。

 

 黒と白の彩色。怪しく光る眼。それらと並んで、深海棲艦を特徴づける異形のひとつ。

 

 歯と、口。不気味な光を放ち蠢く、金属質の塊。

 深海棲艦の「艤装」が、彼女の下半身にまとわりついていた。

 

***

 

 那珂さんと瑞穂さんが、この建物から私の眼を遠ざけようとしたあの時。2人が見られたくなかったものとは、たぶん〝これ〟なのだろう。

 確かに、深海棲艦の姿をしていて、その艤装だけがないというのは、不合理である。あるべきものは、あるべく存在した。厳しい寒さの中にあっても、艤装を態々はずしてーーとりわけ夜シフトに入る者がーー報告に来るのは、つまり、このせいか。彼女たちはずっと、隠していた。

 

 がつ、がつ、がつーー。

 

 剥き出しの歯が咬合される度、耳に障る。深海棲艦の艤装には、とかく、口や歯、腕といった生物の器官がしつらえてある。それがまた、なまじ人間のそれに似ていて、気味の悪さを助長する。写真資料で見る分にはまだ耐えられるが、間近で直視するのは、かなり覚悟が要ることを実感した。私は、乾いた唇を湿らせて、声を絞り出した。

 

「……生きているんですか?」

「うン、多分ネ。結構、自由に動くシ」

 

 私の問いに反応するように、それは唸り声をあげる。それに伴って艤装の表面から、透明な粘液が糸を引き、とろりと床に落ちた。光沢があるのは、粘膜を纏っているせいだと知れた。また、覚えのある臭いを放ってもいる。これは、生臭さだ。陸に打ち上げられた魚とか、雨上がりの道端に潰れた蛙とかが発する、あの臭い。それを幾らか濃縮したようだ。私の顔が、思わず引き攣ったのを見られていたようで、彼女は自分から、距離を取るような動きを見せた。普通、此方が謝る場面だが、彼女の方が申し訳なさそうな顔をしている。酷くきまりが悪くなって、すぐに話を変えた。

 

「…あー、と。先刻、言っていましたね。那珂さんの艤装は如何とか……。あれは、どういう意味でしょうか」

「ウん…これサ、下半身と同化してルの。だカラ、脚が動かナいトカ、あンマり関係なクテさ」

 

 とんでもないことを、何でもないように言う人だ。

 

「ど、同化…?」

「だかラ、言ッタでショ。大事ナトころ、って」

 

 ーー那珂さんはそう云うと、徐にスカートをたくし上げたのである。

 

 強烈な光景であった。へそから下が無い。白から黒へ、伸びやかなグラデーションがあるだけで、丸きり艤装と一体化している。何の連結部品も、見当たらなかった。彼女が云うには「この艤装は〝履くもの〟というイメージ」で、「装備すると脚の先から腰までが、融けて混ざる感じ」だそうだ。また、連装砲を両舷に携えたそれは、原理不明ながら浮遊しているらしい。不可思議の連続に、知らず私は眉を顰めていたようで、それが彼女の誤解を生んだ。今にも泣きそうな顔で、彼女は云う。

 

「ヤッパり、迷惑…だヨネ。コンなコト…ごめんナサい。どウシても、知っテ欲シくて」

「え、何をーー」

「先に、戻っテて」

 

 ごめんなさい、とまた聞こえた。彼女は私に背を向け、格納庫の奥へと進み始める。

 

 ーーこのまま行かせては、絶対にいけない。

 

 そう、思った。よしんば、ここで彼女を引き留めそこなえば、取り返しのつかぬことになる予感があった。このまま那珂さんは、あの光さえ吸い込みそうな空間に、丸ごと蕩けて形を失い、二度と会えなくなるのじゃないか。そんな、気味の良くない想像までした。

 煮え切らぬ態度は、いけない。瑞穂さんにも、言ったことではないか。私は、これっぽっちも迷惑などと、感じては居ない。伝えなければ、早く。

 

「触っても…!差し支え、ない…でしょうか、それ…」

 

 眼を真ん丸にして、彼女は振り返った。伝え方にも色々あろうが、私の口から出た言葉は、考えていたのと少し違った。

 

***

 

「……本気デ、言っテる……?」

「なんと言うか…はは。後学のために、ですかね?」

「いや、そンナ、訊かれテも……」

 

 ご尤もである。だが幸い、那珂さんの足止めには成功したーー同時に少し、ほんの少しだけ、私は後悔していた。

 

 正直申し上げて、触りたくはない。

 なんでもこの艤装は、「結構自由に動く」そうだ。私は、例えば、生魚を捌く程度、どうと言う事もないし、蛙くらいなら、素手で掴む事も出来る人間だ。ただーー。

 

「キっと、汚いヨ……?」

「手を洗えば、なんとでも」

 

 ただ、今回のヤツは、同じ生臭い中でも、訳が違う。私の度胸が足りていないのも大いに有るが、世界広し、人多しと雖も、深海棲艦の生艤装に、素手で触りたがる者は、物好きに相違ない。

 

「く……臭いシ……」

「なんの。この程度、夏場の男子更衣室に比べれば」

 

 下手を打てば、腕を食いちぎられるかも。何であれば、上半身をパクっといかれるかも。良くない想像が、頭を駆け巡った。しかし、吐いた唾は呑めないし、覆水は盆に返らない。腹をくくるとしよう。

 

「咬ム…かモ」

「それは……気を付けますし」

 

 腹をくくるというか、自棄である。こういう時だけ、私の口はよく回る。格納庫内に蔓延る物の叢を、足で小突いて退かしながら、ズカズカと那珂さんに歩み寄った。奥に進むにつれ闇が濃くなったが、眼がぼんやり光るから、那珂さんの顔は能く見える。その眼を真っ直ぐ見つめ、宣言した。

 

「では、失礼しますよ」

「え…ウぅ。別にイいケド…ホントに?」

 

 半ば強引に言質(?)を頂き、彼女の足元に傅いた。恐る恐る手を近づけ、艤装の側面に触れる。ヌマァ…と、結構な深さまで、指が沈み込んだ。表面を覆う粘液は、意外に厚みがあった。其の触感と云うのが、水田に素足で入った時の、あの感覚とよく似ているから堪らない。普段、余り外気に触れぬ敏感な柔肌を、ゲル状物質に隈無く舐られる独特の擽ったさは、慣れることなど望めそうになかった。艤装の方は静かな物だが、私は思わず呻く。

 

「オォオ…オォオオ…」

「……大丈夫…?」

「何っ……てことは、ぁありませんね…ワハハ」

 

 心配そうな那珂さんの問いに、精一杯の虚勢と乾いた笑いで答え、またぞろ「オォオ」を再開する。せめてもの救いは、咬まれる様子がないことだった。

 

 さて、多少の臭いは我慢するとして、意外にも艤装の本体は温かい。多分、動力機関が内蔵されていて、それが熱を生ずるのだろう。また、見た目には判らなかったが、艤装全体が金属質な訳ではない。艤装の下半分は、見た通りの重厚な手触りであったが、上半分は、生物然としている。上へ上へと撫で上げて行くと、徐々に弾力をもち始め、那珂さんの反応が、少し変化した。

 

「あ…チョっと、暖カい」

「オォォ……。え、感覚が在るんですか?」

「うン…今ハ、太ももノ辺り。アハは、くスぐッタいね」

 

 少し笑って、彼女は首肯した。那珂さんは無邪気なものだが、感覚があると知って、私は内心で狼狽えた。そうだとすると、今の状況、極めてよろしくない。猛獣を撫でる気でいたら、女子の太ももを撫でまわしていました、などと、警務隊の皆さんにぶん殴られても文句は言えるまい。

 

 もう充分。彼女の笑顔が戻ったことで、万事良しとしよう。那珂さんの魅力は、この笑顔だ。私は、艤装から手を離した。

 

「…モう、イイの…?」

「〝もうイイ〟と云うか〝もうダメ〟でしょうね」

「…?」

 

 倫理上、と腹の内で付け足した。那珂さんは、さっきより幾分、表情が良い。確かに、気分は良くなかったし、手にしこたま付いた粘液は、洗い落とすのに苦労しそうだ。しかし、この数分の接触で、彼女に何らかの良い影響があったこともまた、確かである。この時間は決して無駄でなく、触って良かった、と信じられそうだった。

 

 立ち上がろうとして、しかし、それは叶わなかった。何処かにおわす神様は、私のことが嫌いらしい。そう易々と幕引きは、出来ないようである。

 

 ぐるんーー!

 

 さっきまで大人しく撫でまわされていた艤装が、突如、此方を向いたのである。鰐よりも、ひと回り大きな口が、あんぐりと開かれて、私の目と鼻の先にあった。喰われるーーそう直感して体を強張らせたが、そういう様子はなかった。この時、さっさと距離をとればよかった。油断して、その場でボサッとしているからこうなる。

 

 舌で、ベロン、とやられたのだ。

 

 口も大きければ、舌もそれに合わせてあるようだ。何べんも何遍も、私の顔面を舐め回す。ある意味で、喰われるより不快かも知れない。思考すら強張った私は、されるがままに生臭い舌を受け入れた。何が、とは言わないし、言いたくないけれども、口に入った。鼻にも入れば、髪にも制服にも付着した。堪らず咳き込む。

 

「うぷ。べほぉぁっ」

 

 なんとなく、海水の味に似ている。少し苦くて、塩辛い。図らずも私はーー恐らく、人類で初めてーー五感全てを以て、深海棲艦を観測した。庁舎に帰ったら、何よりもまず先に、口をゆすごうと決心した。

 

 やはり、触らなければ良かったかも、とほんのり思った。

 

 

==============

 

 

 前任の基地司令官からの口伝ですが、と津田さんは前置いて話し始めた。

 

「アレは、ある日突然、格納庫の片隅に現れたそうです」

 

 口を濯いで顔を洗い、私は事務室にいた。那珂さんはあの後、謝り通しだった。心配してくれたのだろうが「頭大丈夫?」という文言が、大変気になった。また、洗濯するといって、追剥ぎもかくやという強引さで、私の制服をひん剥くのもどうかと思う。それが、20分くらい前のこと。私は固辞するのに、これくらいはせめて、と言って聞かなかった。

 

「突然ですか…どういうことなんでしょう」

「神通さんが、中間体になった直後のことです。結構な量の資材・資源が、紛失する事件があったそうで」

「はぁ…?大ごとじゃありませんか」

「どこかの食いしん坊が、ちょろまかしたんじゃないかと、注意喚起がなされた。彼女のことで、当時の基地内は混乱の極みで、あまり正確なことは覚えてないみたいでしたが。そんな中、アレが」

 

 パニックを起こした基地の様子が、ありありと想像できた。先刻の私を、当時の人員分だけ用意すれば、再現できそうである。

 

「よくぞ、そんな状態の基地を収められたものです。その人は」

「艦数がそれ程多くなかったのも、好ましく作用したようです」

「それで、その資源は?」

「えぇ。紛失した量と云うのが、軽巡洋艦娘の艤装開発に必要な分に、おおよそ符合したんです」

「………つまり、アレは、妖精さんによって〝開発〟されたものだと?」

「一番、尤もらしいかと思います」

 

 首肯して続ける。

 

「とにかく、タイミングが悪かった。さっさと彼女を殺して仕舞え、なんて過激な意見が出る。司令官は首を縦に振らないものだから、出ていくなんて云う者が出る」

「……彼女が敵だとしたら、現れる場所を選ぶと思いますが」

 

 私に言われましてもね、と言って彼は、秘蔵の梅昆布茶を啜った。私も頂いているが、程好い塩気と梅の香が、萎れた精神を洗浄してくれた。津田さんは、舌が温まってきたようだ。

 

 口ではそう言いつつも、確かにな、と思っていた。不本意ながら、納得出来た。深海棲艦の姿になるのみであれば、時間はかかっても、まだ彼女らを受け入れられる者もあろう。しかし、人類に対する明確な攻撃手段を保持しているとなれば、少し事情が変わる。拳銃を突きつけられて、話し合いもないもんだ、と何かの映画で言っていた。

 何か、対策出来ないのだろうか。彼女らの艤装から〝敵らしさ〟を排除する方法はーー。

 

「あの艤装……破壊や解体は、出来ないのですか」

「実際、解体してみたことがあるそうですよ」

「結果は?」

「明くる日には再建造され、再び資源が消え失せたことを成功と呼ぶならば、成功ですね」

 

 妙な所で気が利く妖精さんである。

 

「むぅ…。では、もうこの際、装備しないというのは?夜間出撃は極力控える、とか」

「あの艤装、結構自由に動き回るんです」

「はい……那珂さんも、そんなことを」

「1週間ほど格納庫内に放置していたら、勝手に這い出してきたそうですよ」

「え……!」

「アレには、定期的に〝散歩〟が必要なんですよ。おもち君と一緒です」

「正に、生きている、と云う訳ですか」

 

 朝起きたら、枕元に化け物が居たーー神通さんすら悲鳴を上げたとかーー私であれば、失神くらいは可能である。それ以後、いやいやながら、少なくとも週に1回は、その艤装に触れる機会を設けたという。

 

「考えてもみてください。名ばかりとはいえ、自衛隊の施設ですよ?民生協力で、来る日も来る日も遊漁船の護衛任務。それも、1日あたり3回です。時代が時代ったって、回数が過ぎてるでしょう」

「そうか。〝散歩〟の、カムフラージュ…」

「はい。一度に6艦の深海棲艦が出撃、なんて目立ってしょうがないですから。日に1艦ごと、こっそりね」

 

加えて、と彼は指を立てた。

 

「うちの財政は火の車です。資源の配給申請にも、理由書が要る。最初は、夜間航行演習って名目で通してたんですが。艦数が増えるにつれ、それだと量的に苦しくなった」

「そこで、遊漁船の護衛に目をつけた訳ですか」

「ちょっと多目に融通して貰えるんです。民生、特に地方への協力ってのはね」

 

 津田さんは、悪巧みの顔である。「理由書」と聞いて、これ以上ないくらい納得している自分が居た。前任基地の書類の山を思い出して、身震いした。

 

***

 

 二〇〇〇。

 いよいよ夜は深みを増し、波の音が屋内でも聞こえる。いつの間にか降り始めたみぞれが、窓を打つ。天気予報は当たったらしい。

 ふと、疑問に思って尋ねた。少し、皮肉も添えた。

 

「私に教えて、良いんですか?」

「那珂さんに瑞穂さん。ヒトミちゃんと…多分赤城さんも。きっと彼女らは、貴方を受け入れたがっています。過半数、ということで」

 

 それと、隠すにはそろそろ手遅れです、と苦笑した。私は、神妙な心持ちだった。この基地に来て、中間体の存在を、アレの存在を知った時点で、もう一線を越えている。きっと私は、引き返せない。光の届かぬ深海へ、あとは、沈むだけだ。せめて窒息死だけは、避けたいものである。まだ手強いのが2人、残っているし。

 

「あぁ、そういえば。さっき那珂さんが、なにやら鍵を借りていましたが……」

「なんてことはありません。それこそ、おもち君と同じですよ」 

 

 津田さんはまた、寄り道癖を見せ始めている。エンジンのかかった彼は、今なら、あることないこと色々教えてくれそうだ。

 

 あと5分もすれば、那珂さんが帰って来る。そうしたら津田さんは、もう一杯梅昆布茶を作る。

 

 夜はもう少し、続きそうだ。

 

 




もうちょっと、今夜が続きそうです。




PS

艦これ二期、おめでとうございます。

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