サルベージ   作:かさつき

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 ヒトミさんの登場によって中断した書類の片付け・整理作業に勤しんでいた私は、空腹を覚え、あの荘厳な掛け時計に目を遣った。その短針は、文字盤の「2」を過ぎている。少々遅めだが昼にするか、と椅子に腰を下ろした時、扉が叩かれた。神通さんが帰るにしては、いやに早いな、と不審に思いながら返事をした。ノックの主は果たして、萩風さんであった。無言で佇む彼女に私は、どぎまぎしながら挨拶した。

 

「お……おはようごず、御座います」

 彼女はいつも通りに眉根をきつく引き結んで、私を睥睨している。一方でそこに、何であろうかーー朝とは趣を異にする色が浮かんでもいる。彼女は一言も発せず、ただ私に視線を送るだけである。そのうち沈黙に耐えきれなくなって、私の方から声を掛けた。

 

「えー、と……よく、眠れましたか……?」

 緊張にーーというか萩風さんと神通さんにーー弱い私にとって、彼女の凝視に堪え得るはずもない。時間が経過すればする程、彼女の無言の圧力に、首を締め付けられていくような錯覚があった。蛇に睨まれた蛙とは、正しく今、このような気分を指すのだ、と納得した。そういうときは往々にして、感覚が研ぎ澄まされるもののようで、時計の秒針のコチコチ鳴る音が、馬鹿に大きく聞こえる気がした。

 

「あの、萩風さん………?」

「女子に睨まれたくらいで、そんなに怯えないでくれませんか?……情けない」

 三度目の正直ーー漸く萩風さんに動きがあった。小さな溜息を吐き、やれやれ、と云う具合に、彼女は話し始めた。失礼ながら、成人男性をして1撃のもとに脳震盪を誘起せしめ、意識を刈り取る腕力を有する者と相対した時、大概の人間はその者を女子扱い出来ないし、またしないのである。もっと言えば、人間扱いも苦しい所だが少なくとも、私が情けないことに関しては賛成だったから、謝ることとした。顎が疼いた。

 

「いや、面目ない。あの時の感触が、どうしても忘れられず」

「あぁ、そう」

「赤城さんとは、会いませんでしたか?」

「会いましたし、事情も伺いましたけど。なんにせよ、直接会ってお話するが、筋かと」

「む……いや全く。その通りで」

 

 てっきり私はまた、なじられるのだと思っていた。秘書艦に対して、特に見舞いに来なかった冷酷な司令官を、彼女はののしる心積もりなのだと。そして、その言葉に激発され、再び〝アレ〟がくることを覚悟した。何とか呑み込まれない様にしなければ、と身構えてもいた。悪戯がばれた子どものような、死刑を待つ虜囚のような気分で、ただ粛々と、そのうち来る運命の刻を待っていた。

 

 ところが。

 

 ちょっと待っても彼女はーー体調が思わしくないのだろうかーー私に雑言を浴びせる風ではない。暫くの間は、つまらなさそうにして、何処へともなく視線を流していたが、やがて信じられない言葉がその口から飛び出したのであった。

 

「1日休んでしまい、申し訳ございません。またいずれ、何方かと交代するので、どうかご容赦を」

「……あぇっ?」

 

 思わず頓狂な声が出た。彼女は、とどのつまり、謝った訳である。淡々としていたが、頭すら下げて。矢鱈殊勝で、不可解極まるその態度に、一頻り困惑した後、しかし、云うことは尤もだし、赤城さんが色々斟酌して万事説明をつけておいてくれたのだろう、と私は解釈した。

 

「では、あー……誰と交代するか、決定したら連絡を。明日未明の護衛はできそうですか?」

「……ええ。可能です」

「解りました。では通常通りお願いします。一先ず今日はこれで、上がって下さい」

「はい。では、失礼します」

 

 片付けに気を逸らされていたことや、身構えていた所に肩透かしを食らったせいもあって、見過ごした。彼女の瞳の奥ーー猛る怒りが無い代わり、依然、其処に暗然たる猜疑の色が渦巻いていたことを。能天気に作業を再開した私を一瞥し、彼女は出て行ったのであった。

 

***

 

 それから直ぐ、書類・書籍はすっかり整理がついていた。最後の1冊をいざ棚へ、と手に取ったとき、この本だけ妙に古いことに気が付いた。「民生の今昔」と名付いたそれを捲ってみると、どうやら民俗学の書籍である。周り殆どが資料の中、些か場違いだった。中程に栞が挟まれていたから、過去の司令官の私物だろうと思う。栞のあった所から数ページに渡って「怪異と伝承」とかいう、奇矯な研究が記述れていた。めったら傍線が引かれていたり、朱書きでメモが為されている。異様な執念と、不気味な雰囲気を感じたので、栞だけ外してさっさと片付けてしまった。その栞に、何か走り書きがしてある。「pw:allcollect」ーー何のことはない。何かのパスワードだろうが、無用心にもこの本に挟んだまま、忘れてしまったらしい。この栞によって、本の私物説はますます強化された。

 

 さて、この本の持ち主は、意外と直ぐに判明することになる。私のよく知る、ある人の所有物だったのだが、そんなことを露と知らぬ私は、このパスワードには何処か聞き覚えがあるな、くらいの印象しか、もっていなかったのであった。

 

=================

 

 夕闇が追いたてた太陽は、水平線のすこし下で肩身狭げに黄昏ている。暫く経てばそれすら消え堕ちて、暗く冷たい夜がこの街を覆うことであろう。

 

 ノックが聞こえ、神通さんの声が入室の許可を求めた。廊下は暗いーーそう云えば、神通さんが深海棲艦の姿になるところを、私は初めて見る。どうぞ、と言承けを返した。

 

 艦娘たちの容姿は、一人一人が際立った個性をもつ。髪の色が、その好例だ。日本人らしい黒一色の者や、薄く茶色の混じるのが殆どだが、中には鮮烈な色ーー青とか、緑とか、桃色だーーの者もいる。この基地に於いては、そういうのは居なくて、眼に優しい色ばかりだが。その一方で深海棲艦たちは、色だけ見れば没個性だ。肌であろうが髪であろうが衣服であろうが、黒か白、此れに尽きる。怪しく発光する部位以外、不気味に統一されている様は、まるで深海魚のようである。彼奴らは普段、本当に海の底で暮らしているのであろうか。

 さて、肝心の神通さんは、如何様なものか。少し深呼吸しながら、彼女を迎えた。

 

「失礼致します」

 

 ーーもしも冥府に鬼がいるのなら、彼女が其であろう。

 身に付けた眼帯の装飾なのか、或いは本当に、額から生えているのかーー判別できないが、角がある。禍禍しく湾曲したそれは、いよいよ彼女を、人ならざる存在として印象付けていた。下に目を移すと、袖なしの制服を着ている。不健康な色の二の腕が露出していて、タイやスカートもきちんと着けてあった。それら全てが黒一色なら、髪色も黒であった。

 

 全身が総毛立つ、喉が鳴る、脂汗が浮く。那珂さんの時は、割りと大丈夫だったのだが。そんな私の心情を察したらしく、彼女は嘲りを混ぜて言った。

 

「呼吸が浅いですね。また、体調が優れないのですか?それとも、刺激が強すぎたでしょうか」

「なんのなんの……大分慣れたな、と思っていた所ですよ」

「……あぁ、そう言えばもう、ご存知でしたか」

 

 怖いは怖いが、精一杯強がって見せると、詰まらなさそうに言って、彼女は執務室に入ってきた。みるみるうちに、いつも通りの姿に戻る。服装、髪色、眼帯の模様に至るまで、神通さんであった。彼女は再び、多分に嘲りを含めて、言った。

 

「いままでの皆さんには、例外なく怖がって頂けたのですが。海佐は恐怖のネジが2、3本緩んでいるようで、安心致しました」

「えぇ、此方こそ。私は、この基地に適任なようで、安心しました」

「その割に、随分と声が、震えていますが?」

「……最近寒いので」

「そういうことにしておきましょうか。では、報告を」

 

 負けじと言い返して見せたが、彼女にはお見通しのようだ。クスクス笑われて、内心歯噛みしつつも、無視していつも通りの作業に入った。報告の最後、彼女が思い出したように付け加えた。

 

「ーーそれと、船員の話し声が聞こえましたが、今週の土曜日を目処に、暫く出港を休止するようです」

「え…あぁ、はい。何でも海は、結構な荒れ模様だとか」

「ええ。〝最近寒いので〟風邪をひかないようにしないと」

 

 わざと一部分を強調して、彼女は言う。とんだ藪蛇である。赤城さんと同じく、彼女もしっかり濡れていたが心配無用の様相だ。荒れた海の上でそこそこ距離も有ったろうに、よく聞こえたものだ、と彼女の聴力に感心するが、言いたいことを言われた相手に、称賛を送るのも面白くなかったから、さっさと会話を切って仕舞った。

 

「それでは、海佐、ご無理のありませんように。余り遅くなると、怖ぁい鬼が、出るかも知れませんよ?」

 

 最後まで私を小馬鹿にしながら、神通さんは出て行った。彼女の去り際、少しムッとしつつも、疑問が湧いた。

 

ーーー何故、神通さんには、少しムッとするくらいで済むのだ。萩風さんとの違いは、なんなのだろう。

 

 

====================

 

 

ーーこんばんは。今、お帰りですか。

 

ーーーーあら、瑞穂さん?お風呂で一緒になるのは、珍しいですね。

 

ーーふふ。

 

ーーーー何か……?

 

ーーいかがでしょう。湯舟に浸かりながら一献。安酒で恐縮ですが。

 

ーーーーえ……。

 

ーー幾分、お疲れのようにお見受けしまして。お酌しますよ?

 

ーーーーさ、流石に、官舎で飲酒というのは……。

 

ーー良いじゃありませんか。女風呂には、咎める者もおりません。

 

ーーーーそういう問題では、なくてですね。

 

ーー艦娘は、ちょっとやそっとじゃ、酔いません。

 

ーーーーうーん……。

 

ーー私の我儘、お付き合い頂けませんか?

 

ーーーーな……内緒、ですよ。

 

ーーえぇ、勿論。

 

 

***

 

 

ーーさぁ、どうぞ。

 

ーーーーど、どうも。有難う御座います。

 

ーーでは、私も……乾杯。

 

ーーーーんくっ…………。

 

ーーあら、良いお顔。

 

ーーーー良い心持ち………久しぶりな気がします。

 

ーー偶にはこうして、肩の力を緩めなければ。

 

ーーーー急に、どうしたの…?こんな……。

 

ーーお嫌でした?

 

ーーーーそうは、言いませんが。

 

ーー………ここ数日、ずーっと。張りつめていらしたでしょう。

 

ーーーーそれは……。

 

ーー先にも申しましたが、偶には緩めておかないと。いつか何処かで、プツンと。

 

ーーーーごめんなさい。お気を遣わせました。

 

ーーいいのですよ。我儘ですから、ね?さ、もう一杯。

 

ーーーーはい。

 

 

***

 

 

ーー彼は、神通さんから見て、どんな印象ですか…?

 

ーーーー樋口海佐のこと、ですか……?

 

ーーええ。

 

ーーーー真面目、と云いましょうか、馬鹿正直、と云いましょうか。

 

ーーふふ。確かに少し、頼りない感じも有りますね。

 

ーーーーええ、まぁ。悪い人とは云いませんが。

 

ーーヒトミさんも、そう言っておりました。

 

ーーーー彼女が……?

 

ーー発作を起こした時、偶々彼が居合わせたそうで。

 

ーーーーあぁ………萩風さんが騒いでいましたね。少し注意しましたが。

 

ーーす、少し……?あ、いえ何でも。

 

 

***

 

 

ーーーー所で何故急に、ヒトミさんの話なのでしょう。

 

ーー彼女は〝温感〟を徐々に失いつつあります。この寒い中、水着で外を歩けるくらいには、薄れてきているみたい。

 

ーーーーええ、その様で。体温も異様に低いとか。

 

ーー……暖かかった、そうですよ。

 

ーーーーはい?

 

ーー彼に抱き上げられた時、とても暖かかった、と。

 

ーーーー……まさか。

 

ーー死んだ筈の感覚が今、再び蘇ったのは果たして、彼の着任と無関係なのでしょうか。

 

ーーーー……萩風さんとのやりとりを見る限り、彼が情緒障害を来していることは、瞭然です。いままでの人たちと、同じ……。

 

ーーしかし、何かが違います。それが何かは分からないけれど。津田さんや、貴女の云う大切な人と同じ、です。

 

ーーーーそれは……確かに、そうですが。

 

ーー1つ、お願いがあるのです。

 

ーーーーはい。

 

ーーどうか、様子を見ては頂けませんか。結論を急がず、保留にして欲しいのです。ヒトミさんや、皆の為にも。

 

ーーーー……彼は、私たちに似ていますね。

 

ーー………?

 

ーーーーどっちつかずで、中途半端。正体不明の中間体。少し弱虫なところまで、そっくり。

 

ーーでは……。

 

ーーーー嫌、です。

 

ーーえ……。

 

ーーーー私は、艦娘です。中間体なんて呼ばれていたって、私は深海棲艦では、ないの。

 

ーー……。

 

ーーーー確かに、何か変わるかも知れない。でも、そうは、ならないかも知れない。いままで通りかも知れない。

 

ーーそんなことは……。

 

ーーーー喩え僅かでも、その可能性があるのなら。彼が、此処に居続けることを、認める訳にいかないのです。喩え誰であれ、守るべき人が狂って行くのを、我が身可愛さに看過ごすことは、できないの。……決して。

 

ーー私は、思います。

 

ーーーー………?

 

ーー我が身可愛さ、と貴女は云いますが〝守るべき人〟の中には、自分自身をも含むべきです。

 

ーーーー何故でしょうか……。

 

ーー誰かを大切にする時は、同じくらい自分のことだって大切にするべきです。そうしなければ、疲れてしまいます。今の貴女のように、自分を追い詰めて。

 

ーーーー……っ。

 

ーーいきなり、受け容れるのは無理でも……せめて話くらいは、聞いてあげて下さいませんか。結論の出る、その日までは。

 

ーーーーし、しかし……。

 

ーーお願いします、どうか。

 

ーーーー判りません……もう、判りません。どうするべきなのか……私には…………もう。

 

 

 

 




少々忙しく、遅くなりました。

此の話で、また1つの区切りでしょうかね。

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