サルベージ   作:かさつき

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太陽が沈み、鈍色の空がどす黒く朽ちた頃。

 

何か資料がないかと思い、私が執務室の書棚を漁っていると、執務室の扉がノックされた。

 

書棚に入っていたのは、この辺の海図とか、町の歴史や統計の資料とかだけで、いまの私が欲している類の情報が得られそうな物は、結局見つからなかった。傍らに紙の束を山と積み、薄っすら汗ばんだ額を拭う私は、傍から見ると空き巣に見えはしないか。心配になり、慌てて居住まいを正して返事をすると、微かな声が聞こえた。

 

「伊13………帰投、しました。」

少し深呼吸をしてから、どうぞ、と返す。いつも通りの扉の軋みが耳にこびり付き、扉が少し開いた。廊下に立ち込める闇が、執務室に流れ込んだ。そこから、ぼんやりとした鬼火が、中を覗きこんでいた。失礼します、と礼儀正しい挨拶が聞こえたかと思うと、長方形に切り取られた廊下の薄闇から、ヒトミさんの姿がずるりと溶け出てきた。その姿に私の肌が粟立つのは、やはりいつもの通りである。さすがに、昨日の今日で悲鳴は上げなかったが。

 

「こんばんは。お疲れ様です、ヒトミさん。……それは?」

蛍光灯に照らされ、肌に血色を戻した彼女は、鍋を持っていた。訝しがる私の言葉に目を泳がせながら、ヒトミさんは答えてくれた。

 

「あ……これ、そのサ、サプライ、ズ………?です」

サプライズーーー誰かを驚かせようとしているのだ、ということだけは伝わった。残念ながら、それ以外は全く何も伝わらなかったから、私は生返事である。取り敢えず鍋を傍らに置いて、ヒトミさんは任務報告を開始した。

 

彼女はーー先刻からずっとそうなのだがーー終始ソワソワした様子で、出発時刻、回頭時刻、帰投時刻を順繰りに述べ、以上です、と結んだ。彼女の報告を要約するに、何もありませんでした、とのことである。平和なようで何よりであった。

 

「寒い中、大変お疲れ様でした。ゆっくりと、体を休めてくださいね」

唯でさえ寒い上に、恐らく彼女は海中に潜っていたことであろう。人目にその姿を曝す訳には行かない。考えてみれば、日が落ちてから基地の外を出歩くことは、彼女らにとって相当なリスクであるはず。ヒトミさん以外の皆は、どうしているのだろうか。

 

夜の海に光源などない。それは彼女らにとって、ある意味不運でもあり、ある意味幸運でもあるかも知れない。詰まる所、彼女らの正体を知られるリスクでもあり、彼女らの身を隠す絶好の隠れ蓑でもあるわけだ。今までは、遊漁船からある程度距離をとって、闇夜に紛れつつ、ギリギリ見つからずに夜間任務をこなしてきたのだろう、くらいに考えていた。

 

実際のところ、彼女らに害など無いのだが、かといって中間体の存在を、なんのお膳立ても無く公にしてしまうのは、幾分無配慮、不用心であろう。混乱は必至ーー私自身が良い例だ。こればかりはある程度、慎重に事を進めざるを得ないと思う。外ならぬ彼女らのためにも。

 

とにもかくにも、まずは目先のことだ。幾つかの意味で危険極まる「夜間護衛任務」は、何とかせねばならないようだ。またも課題が1つ浮上した。

 

さて。

お疲れ様です、と労い半分。事情など教えて貰えるまい、と諦め半分。部屋に帰って休息するよう、ヒトミさんに促したのだがどうも、彼女の様子がおかしい。

 

いつも通りの作業を進める私の様子をチラチラと伺いつつ、なかなか部屋を出て行こうとしないのだ。どうしたことだろう。何か気になることでもあるのだろうか。というか、あの鍋はなんなのだ。

 

「如何されました?」

聞いてみても、彼女はモジモジとしているだけである。

あ、とか、う、とか時折声をあげるから、何やら伝えたいことは、在る様に見えるーーーもう一度尋ねた。

 

「遠慮なさらず、何でも言ってみてください。何か気になることが在りましたか?」

私がそう云うと、彼女は口を真一文字に結び、背筋を伸ばして随分緊張した様子。10数秒間たっぷり逡巡した後、意を決したように話し始めた。それはもう、蚊の鳴くような声で。

 

「さ、さ………さぷ、らいず、ですぅ………」

 

そう言ったーーように聞こえた。彼女はおずおずと、私に鍋を差し出してきたのである。

 

サプライズ。つまり、この鍋は私に、か。鍋から香る芳しい薫りに誘われて、今朝の記憶が蘇った。

 

彼女が持っているのは、今朝、談話室のコンロに置いてあった、あの鍋である。

 

「私に………ですか?」

私が問うと、ヒトミさんは頷いて答えた。

 

「1度……助けて貰って。そのうえ2回も……ご馳走に、なって………。だから、あの……瑞穂さんに……。教えて、貰って……。作りました」

ヒトミさんは、やっぱり蚊の鳴くような声で、1つ1つ、言を紡いでいった。どちらかといえば、サプライズを仕掛ける相手に、サプライズだといの一番にバラしてしまう辺りが結構な驚きだが、そこはご愛嬌。言いっこなしである。

 

これは嬉しい。とても、とても嬉しい。お返し、というやつだ。ここに来て初めてではないだろうか。こんなにストレートな感謝を受け取ったのは。少なからず感動しながら、鍋も受け取った。

 

「これは……。何だかすみません、大切に頂きます」

蓋を開け、チラリと中を覗いてみると、琥珀色のだし汁に浸って、厚切りの大根が挨拶した。その他にも、竹輪、蒟蒻、茹で卵、はんぺん、里芋、牛スジまで。

この季節には、最高ーーおでんである。味噌でいくも良し、辛子でいくも良し、白米のお供にも良し。

 

ーーーいや、しかし………なんというか。

私は不祥事の責任を取って、左遷された身では無かったか。この基地にあって、ここまで贅沢して良いものだろうか。有難いを通り越して、申し訳なくなってきた。

 

「あ、あの。ごめんなさい………。おでん、嫌いでしたか……?ちょっと味も、薄い……かも………ごめん、なさい」

ヒトミさんが消え入りそうな声で謝ってきた。例に漏れず恐縮して、俯いて。

 

ーーーやらかした。

内省の念が、微妙な表情に滲んでいたか。誤解されてしまったようだ。

「いえいえ。大好きですよ。そんなに心配しないで下さい」

 

「む、無理……しないでく、ください………。あんまり、その……。上手に、出来なかった……かも、です……」

私は慌てて取り繕うが、彼女の顔は曇ったままだ。できる限りの笑顔で伝えようとした感謝の気持ちは、中途半端な言葉に絡めとられ、届くべき所まで届かず、墜落した。

 

私は何を、躊躇っているのやら。心の中で、自分の尻を蹴り上げた。一番大切なことを、彼女に伝えるだけだ。

 

「ヒトミさん。私は別に、料理に深いこだわりが在るでも無く、プロ並の腕前を期待しているでもありません。好みとか味とか、それ以前に。貴女の、その気持ちこそがいま。私は嬉しいんですよ」

 

少しだけ、顔を上げた彼女に問いかける。

 

「ヒトミさんは、私がこの基地へ来た理由。ご存知ですか?」

少し間があってから、ばつが悪そうに、彼女が頷いた。神通さんの氷柱声を思い出す。同じくヒトミさんだって、何となくは予想出来ていたはずだ。津田さんあたりに聞いていても、別に不思議はない。

 

「私は、その程度の人間です。諸々事情があって此処に籍を置きましたが、本来であれば、犯罪者との誹りを受けて、然るべきなのです」

 

「貴女はそのことを知って尚。そのろくでなしへのお返しに、こんなにもあたたかなお返しをくれました」

 

「そういう……。何と言いましょう、分け隔てなさ、と言うか。懐の深さ、と言うか」

 

「そういう尊い心の在り方が、少し眩しかっただけなんです。無理なんかしていません。本当に、本当に。嬉しいんですよ」

 

彼女は少し顔を赤くして、それでも笑顔を見せてくれたから、今度はきっと伝わったと思う。

 

***

 

参った。

 

私はこんなにも、クサい科白を吐く人間だったのか。今回といい、ヒトミさんの部屋で話した時といい、最近なにやら随分、ロマンチスト気味である。心の在り方が、眩しいーーー実生活において、そうそう出て良い言葉ではない。今度は、私が顔を赤くする番だった。三十路も過ぎたおっさんが、何を口走っているのか。

 

しかしながら、頬をほんのり朱に染めて、良い顔しているヒトミさんの手前、忘れてくださいと頼むのも違う気がする。彼女はさっきから、ずっと黙ったままで、何も言ってくれないし。

 

「あー…えー…ヒトミさん。2つ3つ、聞きたい事があるのですが……」

さっき諦めかけたが、この際諸々、聞いてみることにした。沈黙に耐えきれなくなった、というのが適当か。無音であればある程、自らの恥言を反芻することになって、いたたまれない。何でもいいから、会話が欲しかった。

 

「あ……はい、なんですか?」

目を細め、真っ直ぐに私を見つめる彼女は、未だに顔を上気させている。その眼差しに耐えきれなくなって、思わず目を逸らす私は、自分から切り出しておいて、しどろもどろだ。というか、何を聞きたいかすら、まとまっていなかった。

 

「む。む。いえ別ん、べ別に大したことじゃり、ぁり、ありませんす。です」

酔っ払いみたいに舌が回らぬ私を見て、ゆっくりでいいですよ、とヒトミさん。実に慣れた様子、何だったら、ちょっと笑われた。千鳥足(?)の口元を引き締め、咳ばらいを一つ。

 

「ごめんなさい。大したことじゃないのですが。今日の昼、艤装の格納庫を見せて貰いました。その中に、何が格納されているかを聞きたいのです」

 

「……?……え、と。艤装が……しまわれて、ます」

言葉が足りなかったようだ。もう少し説明を加えた。

 

「あー……いえ。艤装は、格納庫の出入り口付近にあるでしょう。そこではなくて、もっと奥の方。色んな人の私物があって、その更に奥です」

 

「???……それ以外には、大したもの……無い、と……思います」

本当に知らないのか、或いは、そう見せているだけなのか。どうせ後者だろう。あんな異音を吐き出す物が、大した物でなくて何であろうか。やはり、私に基地の事情を知られるのは、彼女にとっても都合が悪いらしい。

 

それにしても迫真の演技だ。人は見かけによらないもので、彼女は役者に向いているようだ。私は、なるほどそうですか、と返した。此処は信じたふりをしておこう。

 

ーーーヒトミさんも教えてくれない、か。こうなるといよいよ〝聞く〟のは行き詰まりだ。ある程度予想していたとはいえ、状況は俄然厳しくなった。どうしたものかと私が思案していた折、ふと、ヒトミさんと目が合った。

 

いや、違う。多分だが、睨まれた。よりにもよってヒトミさんに。

 

いつもより割増で、じっとりとした視線を寄越す彼女は、珍しく怒っている様子。何かやらかしたか、と思わず眼を泳がせた。どうしたのか尋ねてみても、彼女は無言で目を逸らすだけ。いや、そっぽを向く、というが正確か。ぷくっと頬が膨らんでいる、様に見えたーーほんのちょっぴりなのだが、いつもに比べれば。

 

「ごめんなさい。何か気に障ることでも、ありましたか………?なにぶん、他人の気持ちを察するのが、不得手でして………良ければ、その、教えてください」

 

「……私の……言ったこと………ちゃんと、信じて……くれてます、か?」

ややあってから、こちらに向き直り、彼女は寂しそうに、そう言った。上手く隠したつもりの猜疑心は、どうも表に出てしまっていたらしい。おざなりな返事も、良くなかった。私は歯切れ悪く弁解した。

 

「それは、その………すみませんでした。皆さんにずっと、誤魔化されてきたもので……疑心暗鬼、といいますか」

 

「私……嘘、なんて……」

ヒトミさんは、今にも泣きだしそうな表情で、俯いてしまった。少なからず彼女を傷つけてしまったようだ。

 

ーーー嗚呼。いけない。これは、参った。どうしよう。何を言えばいい。まずい、まずい、まずい。

 

狼狽した私は、思わず椅子から立ち上がった。

「あ、ごご、ごめんなさい………泣かないで……!」

 

 

 

「……。ど………ど………ドッキリー…………です」

 

 

 

 

…………からかわれた?

おでんより、こっちの方が、圧倒的にサプライズである。やはり彼女は、役者に向いている。

 

「か……勘弁、してください……」

 

「ご、ごめん、なさい。津田さんが……海佐をからかうと、面白い、ですよって……つ、つい」

ぐったり肩を落としつつ、不平を漏らす。と言うか、なるほど合点がいった。これは津田さんの入れ知恵か。ヒトミさんは眉根を垂れて、申し訳なさそうな様子だし、悪戯慣れしている人ではないようだ。彼女のイメージを修正する必要がないことに安堵しつつも、私は内心、頭を抱えていた。

 

私はヒトミさんに悪戯心を催させる程、表情豊かな人間性を有していただろうか。いざという時、感情が昂ることは在っても、普段は結構な無愛想者だと、勝手に思っていたのだが。最近の情緒不安定とか、ロマンチスト傾向に相まって、少し心配になってくる。自分の心や体が、自分のものでないかのようだ。それとも案外、私の深層心理は、こういう容貌であったのか。

 

或いはヒトミさん、他者の機微を読み取る達人であろうか。そういえばさっき鍋を受け取った時も、私の微妙な表情を、かなり敏感に読み取っていたような気もする。読心術でも、会得しているのだろうか。

 

私が尋ねようとした瞬間だった。ちょっと聞きたいのですが、と言いかけた私の言葉を遮って、ヒトミさんが急に、話し始めたのは。

 

「ちょっと聞ーーー」

 

 

「少しだけ、解り……ます、よ?海佐の思うこと、とか……考えてる、こと」

 

 

心臓が、跳ねた。ーーー何も言っていない。私はまだ、何も。どういうことだ。

「どーーー」

 

「どういうこと、か………わかり、ません……自分でも」

鼓動がもう一つ、早足になった。ヒトミさんは、いつも通りの表情で続ける。

 

「その……海佐は、ちょっとだけ。怖がり……ですよ、ね?幽霊とか、多分苦手で」

口が上手く動かない。私は寒気を覚えていた。身動きもとれなかった。丁度あの夜の様に。しかしーーー。

 

 

「あの夜も……お手洗いの、中で………今みたいに」

 

 

「なーーー」

彼女が急にそんなことを口走るから、目をひん剥いて仰天した。その直後、頑なに固まっていた口が、もう耐え切れなくなって、暴れ始めた。私は支離滅裂に口を動かしながら、机から身を乗り出す。

 

「何が、一体。一体ど、どうして、そんな所………どうやって、貴女は、そんな……み、見ていたように、何故……一体何故。だって、あの時。貴女は………ドアの、そう。ドアの向こうに……!」

少なくともそのことは、唯の一人にも打ち明けていなかった筈だ。あの夜、トイレの中で身動きできない程恐怖していたこと、いやそもそも、幽霊の類が苦手だとさえ、何一つ、誰一人たりとも知らないはずだ。

 

「さっき…ドアを、開けた時も。ちょっとだけ……怖かった、ですか?」

 

「それ、は……。……貴女は、一体…………」

ついに言葉に詰まった。自分の言いたいことが、自分で解らなくなった。餌をねだる鯉みたいに、口をパクパクやるだけだ。

 

 

「す、少し……だけ。仕返し……です。あんまり、信じて、くれなかった……から」

 

 

ポカンとする私めがけて、そんな捨て台詞を投げつけ、執務室を出ていった。悪戯っぽく笑う彼女は、出ていくときの一礼も忘れなかった。執務室にぽつり、残された私に出来ることと言えば、散らかした書類を片すことばかりである。

 

 

 

それと、おでんは大変美味であった。

また食べたい。

 

 

 

 




さて、長い長い1日が、漸く終わりました。

次の秘書艦は、陽炎型のあの娘ですね。


ps

明けましておめでとう御座います。
本年も何卒、宜しくお願い申し上げます。

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